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2012年2月

2012年2月29日 (水)

うるう日

4年に一度の2月29日だ。この年にはオリンピックがある。

こどもの頃は4年に一度なんて、なんて長い間を開けるんだ!と思ったものだが、今となっては4年などあっと言う間、すぐだなと思う。

今年はロンドン、その前が北京でその前がシドニー?いやギリシャだ。その前がバルセロナとかソウルとか、超うる覚え・・・。

毎回毎回、かなり楽しみで感動するのに忘れるものだ。

東京オリンピックはすごかった。さすがに今でもあの興奮は覚えている。まさに国を上げての大興奮だった。

その東京オリンピック、立候補して敗れもう4年も経つのだろうか?また立候補する。

私は賛成派だ。

国家予算が厳しいからと言って何もしないでは、ますますじり貧の様な気がする。東日本大震災もあった事だ。復興の証しをオリンピックで全世界に証明するぐらいの気概でやったらいいのではないかと思う。

で何時のオリンピックに立候補してるかも分らない・・・。リオの次だから2020年か?ん~、いい歳だがおそらくまだ死んではいないだろう。

東京オリンピックが決まれば、もちろん競技に出るわけではないが、なんとなく新たな目標が出来るような気がする。

その頃には、ああしてこうして、ああなって・・・希望、願望織り交ぜて。

♪オリンピックの顔と顔、アー、コリャ顔と顔~♪我が家の笑顔の数も大幅に増えていたりしたら、これまた嬉しいね!

朝から東京が雪、そして会津も雪、細かく湿った、うるう年うるう日の雪だ。

2012年2月28日 (火)

一陣の風

負けたら応援してくれた人に申し訳ないからと丸坊主にする。ふがいない成績を出したのでオリンピックはあきらめ、また、一生懸命働いて練習するだけだと言う。

市民ランナー川内君はどこまでも爽やかだ。

マネジメント会社もついてないし企業クラブにも属していないから、自分の発する言葉そのままで裏がない。思惑も駆け引きも、飾りもない。

自分の言ったことに責任を持つ。自分の成績に言い訳しない。こういうストレートさが近頃少ない様に思う。

イチローが好きだからアメリカまで付いて行って元気一杯にプレーする川崎選手。1軍になれるかどうかも分らないのにバカだチョンだと言う人もいるが、あの精一杯野球を楽しんでいる姿は爽やかだ。

彼も自分の事は自分で責任を取ると言う立場、誰のせいにも致しませんと言う潔さが際立っている。そして彼もまた丸坊主だ。

『百術は一誠に如かず』 政治の世界にこそ求められる一誠の爽やかさ、なのに政界は一寸先は闇の妖怪たちの世界と化している。

消費税が必要だと言っていた人たちが反対に回り、民主党が増税を旗頭にする。攻守取り違えても何も変わりはしない。

議員定数の削減よりは歳費を削った方が効果がある、などと微妙に論点をすり替える。そんなの議員定数を削減した上で歳費を削った方が良いに決まっているし、国民誰もがそう思っているに違いない。

ま、人様の事を言うのはた易い。そういう自分は行けてるかどうかだ。

加齢臭の中にも一陣の爽やかさが漂うような、そのような生き方(言葉)を心掛けなければならない。

昨日の会津は真冬に逆戻り。そして今朝は冷え込んだが光はやけに明るい。陽射しの角度が春向きに上向いている証しだ。

2012年2月27日 (月)

酔い

こんな事を書くと会津清酒のメーカーには怒られるかもしれないが、会津清酒の大ファンであり、日本酒が世界で一番の酒だと信じて疑わない日本酒党なので許していただきたい。

なにかというと、酔ってもめ事を起こしたり、ケンカ沙汰になったりするのは日本酒の時が多いという事だ。

もちろん異論があってしかるべきだが、私の周囲の場合はかなり当たっている。

高校の同級生無尽を長年やっているが、長年の内には何回か、揉めたり口論になったりつかみ合いになったりする事もあった。血気盛んな高校時代を共に過ごした同級生だからなおのことかもしれない。

そんな時は決まって日本酒なのだ。

また、友人のTくんは大の日本酒党だが、日頃から日本酒の飲み過ぎには注意しているという。

自他共に認めるほど酒の席での失敗が多い御仁であり、日本酒の飲み過ぎはいけない、としっかりと自覚しているのだ。だが、好きなのでついつい飲み過ぎてしまい、懲りずに失敗を繰り返している。

日本酒の酔いは気持ちが良い。

が、どこか重いのだ。頭に酔いが来る。理屈っぽくなったり、感情の起伏が激しくなったり、言わなくてもいい事を言ってしまったり・・・。

万人共通ではないだろうが私も確かにそう思うし、そういう意見の人が周囲には多い。(酔ったら何でも一緒だ!と言う人もいる事はいる)

よく、洋酒の酔いは腰が抜けるとか(下半身に来る)いう。古い話だが、スクリュードライバーなんてウォッカベースのカクテルはオレンジジュースの様な飲み口で、美味しい美味しいと飲んだ女性が腰砕けになる。アラ!大丈夫・・・?

ピンクレディなど、女殺しなどと言われるカクテルもあるが、日本酒の場合、鬼殺しはあっても女殺しはない。

これは蒸留酒と醸造酒の違いなのだろうが、同じ醸造酒のワインともまた酔い方が一味違う。

重い・・・としか言いようがない。

もっとも、歳と共に酔っていろいろな事が起こるのは減って来るのが普通だ。

気持ちも丸く、飲み方もあんっあま(兄様)になるわけだが、先日、久しぶりに同級生同士の悪酔い衝突事件があった。

もともと酒癖の点においては札付きのMくんだったが、よっぽど気持ちが良かったのか一次会から日本酒をかぽかぽと行って、二次会で案の定の結末となった。

飲み過ぎ、悪酔いには注意したいものだ。

私は最近,

日本酒のは時には水を倍ぐらい飲むようにしている。

もっとも酒好きのMくんに言わせればそんなの邪道だ!らしいから、ナントカは死んでも治らないと言うやつなのかもしれない。

2012年2月26日 (日)

科学の一線

福島医大・大津留昌教授の放射線に関するお話を聞く機会があった。

医師として詳細なデータをもとに、チェルノブイリや長崎原爆などの過去の膨大なデータも使って丁寧に話を進める。(丁寧過ぎて少々まぶたが・・・)

結果として、一定レベルの放射線とは付き合っていけるもの。現在の福島県の状況は絶望的な状況ではなく、放射線と付き合っていくことを目指せば十分に再生出来るということだった。

しかし、安全に対する不安というものは人それぞれであり、その思いを否定することは出来ない。一般人の場合どうしても安全か否かの二者択一になってしまう。確かな知識と理性による判断が大切だ、とも仰っていた。

「絶対に安全か!?」放射線の問題はいつもイエスかノーかの議論になってしまう。物事に絶対はない、という事になれば感情論に陥ってしまい、物事は何も進まなくなる。

震災瓦礫がいい例だ。福島の瓦礫にアレルギーがあるのは理解できる。

しかし、宮城県や岩手県の津波による膨大な瓦礫の山、放射線を測っても安全、それを燃やした灰の放射線を測っても安全、それなのに引き受け手がなく復興の道を塞いだままだ。

絆、助け合い、私たちは忘れない、と言いながらも瓦礫を引き受けることはダメなのだ。

絶対か?全く放射能は出ないのか?ゼロか100か?の感情論の前に説明する役人は言葉を失う。

科学的に測って安全である。ゼロではないが科学的には安全だ、と証明できるレベルであるならば、そこまで住民の意見や感情を聞く必要があるのだろうか?

科学は人間が獲得した知恵であり力だ。時にはその科学の引く一線にお任せする事にしなければ何も進まないだろう。

山の様な震災瓦礫、被災地だけの処理では限界であり、瓦礫がある以上前には進まない。そしてこの瓦礫は日本国中どこで処理しても問題ないのだ。深刻な放射能に汚染されたりはしていない。

であるならば割り当てるしかないのではなかろうか?

気の遠くなるような瓦礫の山の映像を見ると、ある意味、人間の残酷さを見る想いがする。

会津はまた雪となった。でも、先の雨で大分雪も減り、寒さにも力が無くなって来た感じがする着更着の末だ。

2012年2月24日 (金)

とんび

萬花楼(まんげろう)は会津を代表する割烹だ。

代表すると言うよりも、昔は沢山あった割烹、料亭がどんどん姿を消した。梅屋敷、新たつた、三園、白龍、名だたる名店が今はなく、生き残った数少ない老舗と言っていい。

創業80年の歴史を誇る萬花楼は文化財的な価値を持って頑張り続けている。

手入れの行きとどいた日本庭園を囲むように広間、大広間、小座敷などが配され、これぞ「ザ・割烹」の趣きだ。

80年と言えば当然ながら私よりも古い。従って萬花楼にかかわる思い出はこどもの頃からのものだ。

じいさん、ばあさんの法事、親戚一同が会しての祝い事など、折につけこの庭を眺めて来た。小学校の時にいとこが全員集合した写真が古いアルバムに残っている。確かこの時、H夫がはしゃぎ過ぎて池に落ちたんだっけ。

母親の法事、父の歳祝いもしたし、父の葬式の後の夕食の使いも此処だった。叔父さん叔母さん、みんな集まったがその親戚も今ではもう半分ぐらいに減ってしまった。

桜の春、夏にはBBQで大騒ぎ、池に飛び込まないようにピアノ線を張られたりする。そして紅葉の秋、雪の庭園もまた格別だ。

昨夜は気の置けない仲間で小さな酒宴があった。芸者さんを一人だけ入れてじっくりと酒を楽しんだ。一人だがラジカセを持ちこんでちゃんと踊りも踊ってくれた。

宴がはねる頃になって他の座敷を終えた芸者衆が顔を見せた。

そこに居た先輩と中学の同級生なのだと言う。「あらー、なんだべ!」と言う事になり、ちょっとだけと3人がなだれ込んできて、飲み直しとなり、またひと盛り上がりをしてしまった。(もちろん玉代はかかります)

あっちの座敷から、こっちの座敷へと呼んでもらうのを「座敷とんび」と言うのだそうだ。初耳。

ま、もっとも顔馴染みでもなければ廊下で会った芸者衆に声をかけることなどないし、芸者衆に掴まるなんて事もない。

今や会津の芸者衆も、全員揃っても20人程度になってしまった。大体は顔を見れば分るし、やぁ!と言う事になる。

とは言え、そう簡単に座敷とんびと言う事にはならないが、昨晩は盛り上がってしまった。

その帰りのタクシーの中、友人と。

「まぁ、俺たちも萬花楼で芸者とんびをさせるような、そんないいオヤジの年頃になったってことだなぁ・・・」と、妙なしみじみ感が漂った佳夜であった。

2012年2月23日 (木)

春雨とがん

会津は雨だ。春雨と言うのだろうか?

冷たい雪もやがては雨になる、が、これはまだまだちょっとした先走り、またすぐに氷点下に引き戻されるだろう。

去年の今日はいとこの奥さんのお葬式に参列していた。早いものであれから一年だ。

病は人の命を奪う。春に桜を楽しんで一緒に盃を交わした人がその年の内に旅立って行ってしまう。まさに人生は無常である。

このところ若年の(と言っても50代、60代だが)がんが多いような気がしてならない。特に肺がん、大腸がんが、私の周りだけだろうか多い。この年代では、見つかった時には非常に厳しいというケースが多いのだ。

がんは老人病でもある。歳をとれば誰もが何らかのがんになると言っていい。日本人の寿命が延びたことががんの罹患率の延びた最大の原因だ。

長生きすれば大体はがんが待っていると言う事だ。でも、そういうがんは意外と進行も遅かったりするし、うまく付き合えば寿命と言う感じで亡くなる。

若ければ若いほど進行も早いから厄介だし、可哀想と言う事になる。

がんです、と言われてガーンとなる。『本当の事を言うと本人がショックを受けるから、絶対に知らせないでください!』と言って家族全員がウソをつく。そして陰で泣く。

こうしたお決まりのドラマの様な事は今ではめったにない。

本人の病状は本人に告げられるべきだし、手術や化学療法など本人の頑張る意思なしには治療が難しいからだ。

告知、と言うのは今ではあたり前の事になっている。でもやっぱりガーン!だろうなぁ、言われたら。

先日、友人のAくんが珍しいがんを疑われたが、辛い検査の結果がんではありませんと言う告知を受けた。慶事である。

「いやー、会津高校に合格したような気分でルンルンよ。生きているのが楽しくて仕事もガンガンやってるし、嬉しいよ」と声を弾ませていた。(高校に入ったのがそんなに嬉しかったんだ)

あれだけ嬉しいんだから逆だったらやはり相当なショックだろう。

父も母もがんで亡くなり、姉は健在だが二度もがんになった。いつかはそんな日が来るだろうと薄々覚悟をしている・・・・今年もしっかり健康診断を受けよう。

まだ40代と若いQさんががんだと知らされた、雨の木曜日である。

2012年2月20日 (月)

カエル

T防衛大臣を見ているとつくづく心の強い人だなぁ、と感心する。

あれだけめちゃくちゃに言われても挫けない。自分の専門でもない事を国会で大臣として、それもテレビカメラを前に次々尋ねられても怖気づいているようにも見えないし、卒倒する様子もない。

肝心の基地名前を言い間違えたり、沖縄に硫黄島があったり、みんなが大騒ぎしているのにあんまりヘリコプターは飛んでないんでしょ?なんて言ってしまったりしても、恥ずかしさで引きこもったり、寝込んだりする様子もない。

もうコーヒーは飲みません!なんて国会で宣言して失笑を買っても、赤くなるどころかキリリと引き締まった顔をしたりする。

嫌みに聞こえるかもしれないが、あそこまで来るとなんと強い心臓だと素直に関心してしまう。

爪の垢を煎じて飲むのは嫌だが百分の一ぐらいあやかりたいと思う。たとえ百分の一でも相当だろう。

思うに政治家で恥ずかしがり屋だったり、引きこもりがちな人と言うのはあまり見た事がない。選挙の洗礼を通り抜ける度に心臓が強くなっていくのだろう。(人間が大きくなるかどうかは分らないが)

厚顔無恥、カエルの面にションベン、と言う言葉があるが申し訳ないがピタッとはまるケースが多々ある。

あんなに寄ってたかっていじめられたら普通なら絶対に凹むし、凹むどころかうつ状態になってしまうのではないだろうか?と想像するが一向に平気だ。

思えば、元総理のHさんだってKさんだってあんなにハチャメチャだったのに、今でも世界会議なんかに堂々と出て行く。

環境問題を語ったりエネルギー問題を語ったり、どう考えても皮肉かブラックジョークにしか思えないのだけれど堂々としている。

他人の言っている事を聞かない、全く気にしないと言う心の訓練が出来ているのだろう。それはそれで一つの技だ。

もし、世界めげない選手権でもあれば表彰台を独占するかもしれない。

弱みを人に見せない姿勢を貫けるのは強い、貫いている内に世の中はなんとか進んでいくものだ。

大臣失格、資質を疑う!とめちゃくちゃに批判されてもひたすら前を向いてカエルになっていればそれはそれ、当面は大臣のままだし、結局はカエルを変える事は出来ない。

雨水を迎えても会津はまだ粉雪の寒い朝だ。

2012年2月19日 (日)

愚妻=賢妻

「第15回ふくしまボランティアフェスティバル」に参加してきた。私の所属しているボランティア団体が感謝状を受けることになり、代表としていただいて来た。

県内の様々なボランティア団体の方々が大勢集まっていた。

空っ風のめちゃくちゃに冷たい福島市、会津からはクルマで1時間半、高速は無料のせいかかなり混んでいた。

記念講演の山形弁の変なアメリカ人ダニエル・カールさんの話は大いに会場を笑わせた。

震災以後、ボランティアで日本を訪れる外国人も少なくない。そうした外国人の実に八割は片言の日本語を話せるのだと言う。そうした外国人と付き合う際の言葉づかい、英語ではなく日本語の言葉づかいを面白おかしく教えてくれた。

日本での生活は30年を越え、山形弁をネイティブのように操るダニエルさんの日本語に対する分析力、洞察力はさすがだ。

日本語は主語がなくても通じる言語、状況から察する言葉で主語がないのは珍しくない。誰がそうするのか?誰が言っているのか?そこが外国人には分らない(通じない)場合がとても多いのだそうだ。

「あれ」の使い方も独特、物忘れが激しい訳ではなくても、あれあれで通じてしまうケースが多い。互いに先回りする思いやり、その「あれ」が何なのかも外国人には分らない。

持って回った遠回しな言い方もイエスなのかノーなのか外国人には理解できない。「あー。それはちょっと難しいなぁ~」日本人にすれば断わっている事も、外国人には少しだけ難しいイエスのようにも聞こえる。

そして異常なまでの謙遜。特に家族を褒めない事は多くの民族には理解できない事なのだという。愚妻、愚息、頑固おやじにくそババア、これが愛情の裏返しとはとても理解できないと言う。

綾小路きみまろさんの漫談など、会場のお客さんをけなしまくる、それでいて当のおばさんたちは大笑いで喜んでいる。ああ言う風景も日本ならではだろう。

謙遜とは違う自虐的な文化、中高年の大いなる開き直りパワーでもある。(好き嫌いはあるが)

美しい奥さんをへちゃむくれと言う日本人、あまりそうでもない奥さんを美人だと自慢するアメリカ人、当のダニエルさんは今や日本人の心境がすっかり板についてしまったのだそうだ。

しかし、我が同級生諸氏を見渡してみると近頃の亭主どもは女房殿を結構よく褒める。

確かに「おれの女房はきれいだ、美人だ」とまでは言わないが、「よく出来た女だ、助かってる、感謝してる。いやー、俺は心から愛してるよ」なんてことは、ちょっと酒の勢いが手伝えば割と平気で言う。

いやいや、この年頃になると結構力を込めて、相当に声高に言い合ったりもする。

あれって 『こんな歳になって、熟年離婚なんて言われたら大変だ―!捨てないでくれよー!!』という危機感の裏返しなのかなぁ・・・?

2012年2月17日 (金)

ニャーァ!

この冬五度目の冬将軍が・・・と言われながらも昼は陽射しがある。(確かに朝は寒うございました)

少しづつ天気予報がズレる。冬将軍にやられてばっかりいないで光の春が抵抗を始めたような感じがして、なんだか小気味よい。

まだ朝が明るくなった感じはしないが、気が付けば夕方はだいぶ日が伸びた。どんなに寒くても季節は着実に進んでいる。会津にも春はかなり遠くから近付いているのだ。

春の季語に「猫の恋」と言うのがある。夜中に「グニャー、クゥー、ウー、ニャー」とうるさいあれだ。

先日、夜中に猫がニャーゴ、ウーと鳴き出した。もちろん外は氷点下、あまりに寒過ぎて雪も粉のように小さく風に舞っているような厳寒夜だ。

『この寒いのに何だって元気いいこと!』と思う人と『こんなに寒空に本能とはいえ可哀想なもんだ!』と思う人、ふた通りあるだろう。

前者は動物好き(猫好き)な人、後者はそうでもない人かもしれない。または、前者は自分も元気で精力的、後者は枯れ木や古民家の境地に到った組かもしれない。

自分は・・・『この寒いのに、しもやけになるぞ!』とつぶやいたのでどっちだ?

あの夜以来、猫の恋は聞こえないので、きっとまだ早すぎた(^^;)と恋をして見て気付いたのだろう。

あと何回冬将軍が来るのかは分らないが、次第に滞在期間も短くなり、猫の唸り声に戦意を喪失して、やがて北で小さくなる日が必ず来る。

バレンタインデーも過ぎたことだ。人間界も大いに恋の花を咲かせ冬将軍に見せつけてやればいい。多少は春が歩みを早めてくれるかもしれない。

頑張ろう!頑張っせ!頑張るぞ!頑張れば!頑張る時・・・・寒いと肩が凝るんだよねぇ~。。。。。

2012年2月16日 (木)

サンドウィッチの中身

会津若松市の国際交流員の中国人女性の話を伺う機会があった。

東日本大震災において国際交流協会はどのような役割を果たし、外国人はどのように震災を受け止めたかという話、大変興味深かった。

当然ながら混乱の中、避難した外国人も大勢いた。が、逆に会津若松市に残り原発から避難してきた人々へのボランティア活動に積極的に参加した外国人も大勢いた事は初めて知った。

また、震災後の風評被害の払しょくに会津在住の外国人たちが懸命に働いてくれている事も知り感動した。

福島市の国際交流協会が大きな被害を受けたため、震災直後の情報発信は会津から積極的に行われたという。

福島の現状、会津の安全性、そうした情報をネットを通じ世界中に配信し、数多くの問い合わせに答え、不要な心配を打ち消して来たという。

日本に来たいが福島は怖いと言う、そんな友人たちを半ば強引に会津に招き、全く心配の要らない現実を見せたりもしたと言う。

百万の言葉より、体験者の語るひとつの真実の方がどれだけ重いか分らない。

振り返って、我々会津人はあんな風に自ら積極的に動いているだろうか?と思うと少し恥ずかしくなった。

会津を風評被害から救うために、親戚や友人、取引先や関連業者、心配するそういった人々に会津の現実を積極的に知らせる努力などした事があるか?と言われれば「スイマセン」と言うしかない。

風評被害で地域が沈没するのでは?と言われながらも役所がなんとかするだろう、団体や業界で頑張ってね、というようにややもすれば傍観者になってしまう。

何事においてもまずは人を頼らず、自分の出来る努力をするという姿勢を日本人は失いつつあるのかもしれない。

まずは「自助」、そして「共助」「公助」の三つの精神が大切だ!と改めて外国人に諭され、恥じ入った次第である。

この大震災を通して彼女は改めて多くの人々との絆の大切さを知り、自分の暮らす会津が故郷なのだ、と強く感じたと語った。

『これまで私たち外国人はサンドウィッチの中身みたいな感じがしていました。自分の生まれた国、自分たちの暮らす国に挟まれて、どちらにも属していないように思っていたんです。でもこの震災を経験してそうではないと考えるようになりました。私たちは離れているのではなくて、どちらにもくっついているんだと言う事が分ったのです。中国は私の生まれた国ですが、会津は私の暮らす故郷です。どうぞこれからもよろしくお願いします』

もちろん、会場は大きな拍手に包まれた。

2012年2月15日 (水)

義理チョコ以外

昨日の会津は比較的気温の緩んだバレンタインデーであった。

ところで義理チョコと言うのはいつごろから始まったのだろうか?聞くところによると1980年代頃だと言う。30年位前からだろうか?

義理チョコをもらい始めてから相当な年月が経つことになる。

最近は女性同士でも友チョコとか言って贈り合ったりするらしい。要するに日頃親しい人に感謝の気持ち(愛)を伝えたいと言う事なのだろう。

昨日は義理チョコを各所から頂いた。お気遣いいただいてありがたい事だ。一種のセレモニーの様なものだが、もらえなくなったら(相手にもされなくなったら)きっと淋しいだろう。

義理チョコ以外の本命チョコと言うのは、当たり前だがない。

ない、と言うか・・・本命チョコをもらった記憶を辿ると、、、なんか無い。我々の学生時代はまだバレンタインなんて騒いでいなかったように思う。

あんまり遠い事で忘れてしまったのかもしれないけれど、連れ合いからもらったという記憶さえもない。(本当にもらったのだろうか??)

多分・・・おそらくはもらったのだろうが、もう、あげた方も忘れているんじゃなかろうか?

と言う事になるとここ数十年、義理チョコ以外はもらった事が無いと言う事になるわけだ。特に深い意味はないが、なんとなく淋しい。

思えば単なる義理よりは気持ちが籠もっているような、そんなビターなチョコもない事はなかったが、それが本命になったらややこしい・・・・。

・・・・。

プレイボーイ氏は語る。『チョコもらって喜んでいる内は可愛いもんよ。チョコなんてあげない、もらわない。バレンタインには絶対に会わない。そんな二人が本物なのよ!』・・・ん~、深い!

近頃、義理チョコも高級化して生チョコが増えた。冷蔵庫に入れて置くと「なんだって邪魔だこと!」と家人に文句を言われる・・・時々食べてるくせに。

2012年2月14日 (火)

三丁目の「豊かさ」

3Dの映画はなんとなく暗い。サングラスみたいなのをかけて観るんだから当たり前だ、と言われればそりゃそうだ、と言うしかないが画面が暗い。

確かに立体的で、飛び出す時はすごく飛び出すが・・・まぁ、好き好きだろう。

「アバター」を撮ったジェームス・キャメロン監督は「もう3D以外の映画は考えられない」と言ったが、2Dをめちゃくちゃに引き離した表現方法だとは思えない。明るい2Dの画面でメガネなしで見る映画もそれはそれでいい。

「ALWAYS三丁目の夕日‘64」を3Dで観た。

東京タワーのてっぺんは手で触れられるほどに飛び出していたが、昭和の街並みを3Dで通り抜ける感じがするほどの感覚ではなかった。

これが300円プラスなら2Dでも良かったかもしれない。

1964年、それは忘れられない東京オリンピックの年だ。私は小学校4年生だったかな。ソロバンのケースや筆入れ、下敷き、何でもかんでも五輪マークが付いたり五色の色分けになっていた。

10月10日はオリンピックの開会式、この日は晴れの特異日で、晴れる確立が非常に高いので開会式に決められたという。

予想通り、真っ青な空に燃える聖火、真っ白な鳩が飛んだ。日本が戦後から完全に立ち直った事を全世界に知らしめた一大イベントだった。

あの日から聖火台への階段を上るように、日本人は「豊かさ」をひたすらに求めて上へ上へと登り続けてきた。

所得倍増論、バブル景気、まるでお金を拝むかのように、お金のある無しがモノの優劣を、価値観を決めた。

それはほんの一部・・・いやいや、そうありたくはないと思いながらも日本は流されて続けて来たのだ。

文芸春秋の今月号(3月号)に載せられた「日本の自殺」という論文は1975年に書かれたものだという。

それからおよそ40年が経っている。私は初めて読んだが、まるで現代の人間が時代をなぞっているようにしか思えないほど、見事に日本の漂流を(今を)予言している。

論文の末尾に記された「日本の自殺」を食い止める方法、それはまさしく今の日本にピタリと当てはまる警鐘だ。

この論文はグループ1984年という知識人集団によって書かれた。このように心ある人々によって警鐘は何度も鳴らされ続けてきたのだ。しかし、走り出した汽車はなかなか止める事も、線路を乗り換える事も出来はしない。

三丁目の映画の中で三浦友和演じる老医師が言っていた。『今、この国はみんなが上へ上へと向いている。豊かになってお金持ちになりたいと誰もが願っている。でも、そういうものだけではない生き方もあるんだ』

あの人情味あふれる三丁目にあった「豊かさ」は、今では違う「豊かさ」に置き換わってしまっている・・・・。

バレンタインデーの会津は、少しだけ緩んでいる感じがするけれど、頬に当たる風は妙に冷たい。

2012年2月12日 (日)

絵ろうそくの夜

夕方5時過ぎ、飯盛山下の「とらぞう」駐車場からシャトルバスに乗る。陽が落ちて急激に冷え込んできた。

お薬園前を通り、鶴ヶ城会館の駐車場まで100円で運んでくれる。鶴ヶ城会館の駐車場は大型観光バスで一杯、大勢の人が鶴ヶ城本丸を目指す。「会津絵ろうそく祭り」だ。

十数年前に始まった小さなイベントも、今では会津若松市の冬を代表する祭りにまで成長した。

初めはお薬園の日本庭園だけで行われたが、今では鶴ヶ城、飯盛山、市内各所も連動して雪の夜に絵ろうそくを灯す。ゆらゆら揺れるろうそくの炎に託す思いは人それぞれ、会津の雪の夜はロマンチックだ。

今年は初めての試みで天守閣をライトアップするデジタル掛け軸なるイベントが行われた。大型のプロジェクターで雪の天守閣に不思議な模様が浮かび上がる。様々な色の幾何学模様妖しく変化していく。

雪をかぶり石垣まで真っ白な天守閣は、よく染まる。

昔、城のライトアップイベントをプロデュースした事があるが、機材の進歩は目を見張るものがある。照明機器ではなくプロジェクターでもきれいに染まるものだ。

「ほぅ!」となかなか美しく楽しめるイベントだったがすぐに飽きた。もう少し音楽と組み合わせるなど工夫があればいいのにと思った。壮大な音楽に合わせて盛り上がって行けばいいのに・・・とか。

本丸内には多くの絵ろうそくが灯されて暖かな雪景色だ。

それにしても予想外に大勢の人だった。風評被害、風評被害といわれてなんだかしょぼいイベントが続いてきたが、なかなかすごい人出、クルマも数珠つなぎ状態だった。色々なものが着実に回復してきている感じがして嬉しい。

今年の冬は寒いが、やはり冬は冬らしくある方が全ての事が都合が良い。雪のない絵ろうそく祭りでは絵にならない。

本丸から夜の街へ氷点下の中を歩く。冬は冬らしく、やはり雪の夜の熱燗は一味違う。

2012年2月 9日 (木)

好好爺を目指そう

私の父の末の弟、20歳も年下の弟(私の叔父だ)が、間もなく80歳になる。

父も生きていれば百歳になると言う事だ。

80を前にまだまだピンピン、とは言い難いが比較的元気な方ではある。大きな声も出るし、少々ピンボケな事も多くなったが会話も充分成立する。

若い頃からの酒好きは鳴りをひそめるどころか、益々拍車がかかってきた感じだ。(これがいけない)認知症的なもの忘れと言うよりもアルコールによる健忘症の様な感じだ。

心臓が肥大していて、このところ腰痛がひどい。家でゴロゴロと動かないので太る。悪循環で全身の動きがますます悪くなる。

入浴などが一人では難しくなってきたため、そろそろ介護認定も必要かと思われる。

「いいんだよもう、どうせ死にかかってんだから。いつ死ぬ分がんねのに酒なの、我慢してられっか!」と相変わらずの憎まれ口を叩いて息子を困らせている。

夫婦二人で息子家族の近くに住んでいる。息子(私のいとこ)は顔を合わすたびにどうしても厳しい口調になってしまう。

まぁ、なんとなく分る。

自分の親には優しく出来て当たり前のように思うが、実は逆なのだ。親が弱って来た事を受け止められない部分もあるのかもしれないが、他人様には優しく出来ても自分の親をがっ飛ばしてしまう・・・この方が普通なのだ。

私もそうだった。今思えばあんなにきつく叱らなくてもよかったものを父に対して何度も声を荒げた。

肉親ゆえの難しさと言うのがある。優しいヘルパーさんや看護師さんでさえも自分の親に対しては接し方が難しいというケースもあるのだ。

ま、いかに困った酒好き爺さんとは言え今では一族の長老、やはり大切にしてあげなくてはいけない。

世間には、年老いて最後は家族に見捨てられているようなお年寄りと言うのも決して珍しくはない。(もちろん叔父は違う)

まぁ、自分自身そうはならないように愛すべきじいちゃん、ばあちゃんを目指さなくてはならない。歳とったんだから好き勝手にする!ばかりではなく、愛される努力も必要だと言う事・・・人生は最後まで大変だと言う訳だ。

またまた会津は冷え込みました。テカテカの道路の上を細かいサラサラの雪が踊っています。

2012年2月 8日 (水)

名曲喫茶「ライオン」

東京渋谷の道玄坂を登ったところに名曲喫茶「ライオン」という今や文化財的な喫茶店がある。

このところ何度か続けてテレビで紹介されている。

古き良き昭和の香りを色濃く残す店内、備え付けのスピーカーは創業店主が東芝と共同で作り上げたという日本でたった一つの特注品だ。

現在の天皇陛下がまだ皇太子殿下だった頃に、御忍びで来店されメンデルスゾーンのバイオリンコンチェルトをリクエストされたという逸話も残されている。

今も昔ながらの演奏プログラムが配られ、クラシックファンだけでなく、昭和のアンティークな雰囲気を味わってみたいと多くの客が訪れているらしい・・・。

実はこの店の創業店主であるYさんは会津の出身で我が家の縁戚にあたる。そんな訳でこどもの頃から何度か訪れた事がある。

小さな頃の思い出は、うす暗い店内にやたら大きな音、名曲と言うよりもなんとなく怖い感じがしてクリームソーダーが無かったらすぐにでも出たい感じだった。

学生時代に行った時には、店の手前にあった道玄坂ストリップ劇場の方がなんとなく気になったりした。

Yさんは店の向い側に住んでおられて、会津の坊主が訪ねるといつも歓迎してくれた。

渋谷の一等地なので小じんまりした客間だったが、高そうな調度品が並んでいた。そして何よりも印象的だったのは建物が池にせり出していた事だ。

Yさんが嬉しそうに戸をガラガラとすると、無数の錦鯉が餌をもらえると思ってじゃぶじゃぶと真下に寄って来た。それはとても壮観だった。私はその時、生まれて初めて金色の鯉と言うのを見た。

有名な錦鯉の愛好家でもあったYさん、会津に来るたびに会津名物の鯉の甘煮を美味しそうに食べた。愛好家なのに鯉を食べるんだ!と妙な事に感心したのを覚えてる。

その後、代がわりされてからは伺った事が無かったが先日、テレビで「ライオン」の紹介を見た東京にいる従兄弟が懐かしくなって訪ねてみた、と詳細なレポートを送ってくれた。

なるほどなるほど、とその後の変遷は大まか分った。が、店内の趣きは全く変わってはいないそうだ。

その内にぜひもう一度、この目で昔の記憶と今を重ね合わせてみたいと思った名曲喫茶「ライオン」のお話である。

2012年2月 7日 (火)

どしゃぶりの雨

夜半過ぎ、屋根を打つ雨の音で目が覚めた。

昨日までの雪の上に雨が降っている。雪の積もったところでは雨音は全くしない。雪の滑り落ちた屋根の上にだけ、どしゃぶりの雨音が響いてる。

♪とても悲しいわ あなたと別れて 流れる花びら 見つめているのは~ どしゃぶりの雨の中で私は一人~♪和田アキ子だったっけ?いずれ夜中にひとり目覚めているのはちょっぴり孤独だ。

それにしても大雪かと思えば、どしゃぶりの雨、そしてまた寒波となんとまあ忙しいお天気だ。濡れて凍って滑って落ちて、、、、新たな災害にならなければ良いと願うばかりだ。

この十日から「会津絵ろうそくまつり」が行われる。この雨ではちょっと興醒めだ。どうせ寒い冬ならもうひと寒波、サラサラの粉雪の中で絵ろうそくの灯が灯るロマンチックなまつりになれば良いのに、と思う。

遠く札幌の雪まつりに会津鶴ヶ城の雪像がお目見えしたと各新聞の一面にカラーで報じられている。立派な大きさ、四分の一ぐらいのスケールだ。当たり前だがすべて真っ白、それでも鶴ヶ城だと一目で分る。

福島の復興を応援しようと会津若松市の鶴ヶ城が作られたという。オープニングには会津若松市長の室井照平さんも札幌を訪れ、会津観光をPRするらしい。どうか雨など降らずに、寒さと雪で雪まつりを盛り立てて欲しい。

・・・7、8年前に札幌の雪まつりに行ったことがある。当時の小泉総理が同じ日に会場を訪れ厳重警戒の中だったのを覚えている。

札幌はさすがに寒かった。タイツを履いてしっかり着こんで完全防備で行った雪まつり、それでもヒゲが凍った。その後に食事会をして二次会へと流れた。

かの、すすき野のミニクラブ。艶やかな美女たちは肌もあらわなドレスで百花繚乱、一方こっちはモコモコ状態だ、この体感温度にはかなりの無理があった。

カラオケで騒ぎながら、汗だくで往生したのを覚えている。

あの頃はまだ誰も省エネなんて言いやしない、そんな暑い札幌の夜だったっけ。

2012年2月 6日 (月)

雪に描いたラブレター

土曜から客人があり、会食をしたり、日曜にはほんの少し観光をしたりして過ごした。なかなか楽しい週末となった。

日曜の午前、雪の降りやんだ会津は晴れた。雪景色がまぶしい。

この時期に鶴ヶ城の天守閣に登ることはめったにない。

連日の寒波で天守閣内はキンと冷えている。冷蔵庫の冷凍室に入ったようで冷気が身体をギュッと締めつける感じだ。

刀剣や歴史資料の展示された階を通って最上の展望階へ。会津盆地が一望できる。

西には財団法人竹田綜合病院の新病院が堂々とそびえたっている。大きい!現在の本館、中央病棟がこじんまりとして見える。さすが会津地方最大の建造物!10月の1日にオープンする。

東には東山温泉、背あぶりの山々が美しい。眺めていると「飯盛山がどこか分かりますか?」とボランティアガイドのおばさんが優しく声をかけてくれた。

「ほら、あそこが白虎隊で有名な飯盛山ですよ・・・」「あ、すみません我々飯盛山から来ました」「あら~、地元の方でしたかぁ」「ハイ、ありがとうございます」

北には飯豊連邦がかすんで見える。街の中心部のビルも白い雪を乗せている。

南は日光街道へつながる山々、墨絵の様に絶妙ななコントラストで重なっている。

見下ろせば本丸の雪の中に大きなハートマークが描かれていた。

おそらく前日に誰かがいたずら書きをしたのだろう。うっすらと雪で覆われてソフトな感じ、これがまたいい。大きく彼女の名前がアルファベットで描かれていた。

男が雪に埋まりそうになりながら一生懸命に描いた雪の上のラブレター。

韓流ドラマのようなコテコテの設定だが、天守閣から眺めた彼女の笑顔を想像すると、微笑ましくなる。

砂に描いたラブレターも、雪に描いたラブレターも時の流れにいつかは消えてしまう。

でも胸に刻んだ愛は永遠に消えない・・・。

純白に輝く雪景色はまぶしい、目を思いっきり細めて見れば、ま、誰でもヨン様やチェ・ジュウに見えない事はない・・・・・・・・・・。

2012年2月 4日 (土)

ハモリズム

ゴスペラーズのコンサートツアー「ハモリズム」の最終公演が節分3日の夜、會津風雅堂にて行われた。

寒波襲来、夕方には氷点下5℃を下回る雪の中、会津はもとより全県下、県外からも大勢のファンが押し寄せた。

当初は福島公演だったものが震災の影響で振り替えとなり、千秋楽が会津に巡って来たそうだ。

アカペラ&ハモりは、男性よりも女性に人気があると言うのが良く分かった。

ゴスペラーズが男性グループでかっこいいからと言うだけではないだろう。会場の9割がたは女性、圧倒的に女性が多かった。(二階からだったので良く見渡せました)

圧倒的なハーモニーは会場を魅了する。

グループ発祥の高校時代の思い出から、会場全体でのハモり、最後には節分の豆まきのおまけまであって熱いステージは3時間半にも及んだ。(さすが千秋楽!)

数多くの音楽グループがそうだったように、彼らも震災後の音楽活動をどうすればいいか迷ったそうだ。そんな中、自分たちは歌う事でしか人々にパワーを届ける事が出来ない!とコンサートツアー「ハモリズム」がスタートしたのが4か月前、40数本目の千秋楽が雪の会津になったというわけだ。

歌いっ放しの3時間半、ノドの強さも自己管理も一級じゃないと決して持たないだろう、まさにプロ中のプロだ。

最後にメッセージ『僕らはこれからも当たり前の様に歌い続けて行く、当たり前のように聞いてくれる皆さんが居て、心の中に少しでもパワーを届けられたら幸せだ』

震災を体験し、多くの日本人が当たり前の日常のありがたさを身に沁みて知った。

当たり前の日常に歌はいつも当たり前のようにある。そんな歌の楽しさを当たり前のように味わえる日々が、今も苦しみの中に居る人々に一日も早く戻って来る事を、彼らは祈りハモり続けるのだろう・・・。

楽しませていただきました。拍手!!!!!

2012年2月 3日 (金)

公平じゃないから公平なんじゃね?

ロータリークラブには四つのテストと言うのがある。『一、真実かどうか 二、みんなに公平か 三、好意と友情を深めるか 四、みんなのためになるかどうか』

日頃の言行をこれに照らし合わせて行いなさい、と言う戒めだ。

福島県の十八歳以上の医療費の無料化は健康保険制度の公平さを欠くと言う理由で国からは見送られた。県では国の補助金などをやりくりして何とか実施しようと言う事になってはいる。

「極めて残念です。」国が断わりを入れた時の福島県知事の遺憾の言葉は極めて通り一遍なものだった。

確かに放射能とは関係なく転んで怪我しても、風邪をひいても福島県だけ無料と言うのは一見、公平ではないようにも思える。

しかし、そもそも放射能汚染が国全体で起こったわけではない。信じられないほどの不公平さで福島県にだけ起きたのだ。

国策である原子力発電に協力してきた福島県で人災として引き起こされた大事故だ。

すでにまき散らかされてしまった放射能はもう取り返しがつかない。それによって何万人もの人々がこの県を離れている。(逃げ出している)

そうした福島県の崩壊を食い止めるためにも、せめて十八歳以下の医療費は無料、と言うぐらいの特典を付けなければどうにもならないから打ち出した政策ではなかったのだろうか?

特典なのだからもともと公平なはずはない。第一、福島県だけ優遇したとしてもまだまだマイナスはとてつもなく大きい。

福島県だけ特別にしてね、とお願いしているのに公平性に欠けるからと言う理由で断るのもピントのズレた話だが、アラ残念!で済ます方もなんだか気が抜ける。

ここは公平でなくする方が、実はみんなに公平なのではないのだろうか・・・。

心配された会津若松市内の雪はそれほど大したことがなくて大いに助かっている。大寒波も峠を越えたようだ。雪が降り止み、鉛の空のすき間から陽射しがこぼれおちている。真っ白な雪に当たると目が痛いほどにまぶしい。

2012年2月 2日 (木)

為されるがまま

古いアルバムに私が10歳の頃、真冬の庭で撮った写真が残されている。庭と言っても二階の縁側にまで届きそうな雪の山だ。

おそらく二階の大屋根の雪を庭に向って下ろし、下ろし終えた雪の山の上ではしゃぐ子供たちを父がカメラに収めたのだろう。

今は見られない雪帽子(寒い時には折上げてあった両側のベロを下ろして顔をすっぽり覆う戦闘帽のようなやつ)をかぶって嬉しそうにおどけている。

昔の会津は今よりもはるかに豪雪で、二階まで届きそうな雪もそう珍しくはなかった。冬は寒く長かった。

やがて地球温暖化が叫ばれるようになって確かに徐々に降る雪の量も減り、気温自体も高くなっているように感じた。

ところが気が付けばここ数年は、またしっかり寒く厳しい冬が続いている。

去年のクリスマス寒波、そしてこの冬の大寒波。これを異常気象と言うのだろうか?昔に戻ったのだから正常化したと言うべきなのか・・・よく分からない。

人間はいろいろと地球の事を分ったように言うが、実のところは良く分らないものなのだなぁ、とつくづく思う。

せいぜい今起こっている事、目の前の天気に対する予測が付けられる程度で、大きな幹のところはまだまだ人智が及ばないと言うのが現実だろう。

5年以内に関東で大地震の起こる率が70%、いやいや30年以内に30%になる計算だ、と言われてもどうすればいいか分らない。

あの東日本大震災の時も、確かに大揺れの来る数秒前に警報が鳴り出したが、それは特殊な地震波を先に捉えて鳴り出したまでで、実際に地震が発生する前に予知し確かな警報を発した科学者は皆無だった。

それを言っちゃあお終いよ、の世界だがまさに「起こる時は起こる、怒らない時は起こらない」としか言いようがない。

地球は氷河期や温暖期を何度も繰り返して、この星に暮らす動植物たちを翻弄し続けて来た。大きな目で見ればまさに為すがまま、為されるがままの歴史なのだ。

そしてどんなに痛めつけられても人間はまた立ち直って来た。

その事を思えばやはり、ガシャン!と来た時に制御不能に陥り、取り返しのつかない汚染物質を吐き出すような怖いものを持っていてはいけないのだ、と言う結論に到達せざるを得ない。

会津の雪はどこまでも白く光り輝いている。

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