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2012年1月

2012年1月31日 (火)

もったいない

50年後には日本の総人口が三分の二になってしまうと言う。

生きてその日を見る事はないだろうがそら恐ろしいような話だ。毎年百万人ずつ人口が減り、高齢者の割合がどんどん増えて行く勘定だ。

この原因は少子化にあるが、その内容は結婚しても子供を産まなくなったと言う訳ではなくて、こどもを産むためのカップリング、すなわち結婚をしない人がどんどん増えているせいだ。(晩婚と言うのもある)

結婚して設ける子供の数はほぼ二人とあまり減ってはいない。結婚して十年間、離婚しない夫婦のこどもの数は二人を越えている。

問題は結婚して子供を作る人が減少しているわけで「少子化」とだけ言うと本質が見えないように思える。日本の大問題は「非婚の増加による少子化」と言うのが正解だろう。

国は少子化を食い止めるために子育て支援策を打ち出しているが、実はそれ以前の策が必要な事態なのである。

周りを見るとなんと未婚者の多い事か!男女を問わず一人で生きてる人がやたらと目に付く。会津でもこんなに多いのだから都会に行けばもっと凄い割合で未婚者が居るのだろう、きっと。

「人間も動物なのだからDNAを子孫に残すことにもっと本気で取り組むべきだ!早く結婚しろ!」などと安易に言うとセクハラ、パワハラの恐れもある。

やはり教育、文化を動かして、社会全体の意識を変えて行くしかないのではないだろうか?

我々、アラ還の世代では誰でも年頃になれば結婚するものだ、と当たり前に思っていた。いつまでも独身でいることに抵抗感さえあった。それがいいとか悪いとか言ってみても仕方がない。

理屈・屁理屈は沢山あるのだろうが、このままでは社会が成り立たなくなるのであれば、誰もが年頃になったら「結婚しよう!結婚したい!!」と思うような社会へ、多少強引にでも変えていかない事には、先がないことになる。

一度限りの人生だ、パートナーとの暮らしや自分のこどもを育てるという経験・・・あんな面白い事を(出来るのに)味合わないのは、素直にもったいない事だと思う。

以前、私の事務所に居たK嬢は少々晩婚。昨年、目出度く男の子が生まれた。その彼女が言っていた言葉がとても印象的だった。

『自分の子どもってめちゃくちゃに可愛いですね。こんなことなら時計の針を戻してもっと早く結婚して一杯産みたかった、と思っちゃいました!』

2012年1月30日 (月)

軽に苦戦

クルマを修理に出しているので代車の古い軽自動車に乗っている。雪のない季節なら軽でも良いのだが、冬道はかなり怖い。特にこの冬は真冬日の連続、ツルツルで小さなタイヤも溝が頼りなく、よく滑る。

ちょいとブレーキをを踏むとすぐにズルッと尻も頭も振れる。出来るだけブレーキを踏まないように、シフトダウンしてセコ、ローとエンジンブレーキで減速するが、それでも四輪で踏ん張る感じが全くなく、シャーッ!と道の真ん中ですぐに横向きになりそうな感じがする。

会津の街なかは軽自動車が数多く走っている。雪道もみんな結構平気で走っている。

私の運転が特別下手なわけではなく、この代車ほど車体もタイヤも古くはないからだろう・・・。

何が違うと言ってABS(アンチロック(スキッド)ブレーキ)と言うのが、あるとないとじゃ全く雪道の走りが違うのが良く分かる。

今じゃほとんどのクルマに付いているABS、あれは優れものだと改めて実感。

昔はポンピングブレーキなんて言って、雪道ではブレーキを何回かに分けて踏むなんて事をやっていたがABSが出来てからはそんなことしなくてもよくなった。

でもそれが付いてないと、なんだか踏んだ途端に車体が妙にブレるのだ。

いや、このところの寒さで朝などは氷の路面になっているので、たとえABSがあっても滑る事は滑るに違いないのだが、ツルーッ、といくその滑り方がなんとなく違う気がする。

ま、いずれにしても早いとこ直して欲しい!と今朝電話をしたら水曜には出来ると言う。

それまで決して事故らぬように慎重に慎重に、だ。

それにしても行き帰りの2、30分、めっちゃ肩に力が入っている。きっと知らない人が見たら軽の中にアメフトの選手が乗っているみたいな感じではなかろうか。なので、肩が凝って仕方がない。

今夜あたりからまたもの凄い寒波が日本列島を覆うらしい。会津はずっと寒気に覆われているのに寒気の重ね着状態だ。

みなさま、心から寒中お見舞い申し上げます。

2012年1月29日 (日)

ギュウっと抱きしめて

地方で良質の演劇を鑑賞するためにつくられた演劇鑑賞会と言う組織が全国各地にある。

会員は毎月2000円の会費を支払い、2カ月に一度やってくる劇団の観劇が出来る。この組織があるから安定した客が確保され、日本中にあまたある劇団もなんとか運営が出来ていると言う事になる。

劇団は自慢の芝居を持って全国各地を巡業して回る。地方巡業と言ってもドサ周りと言うのではない。中央でかかった芝居・役者をそのまま持ってくるのだ。

仲代達矢、平幹次郎、黒柳徹子などそうそうたるメンバーの芝居がそのまま地方で掛けられる。それもお安くだ。

会津にも会津演劇鑑賞会と言うのがある。今年で創立50周年を迎えると言うからその歴史は古い。1年に6本として300本近い芝居を会津の演劇ファンに届けていることになる。

私も会員になって20年近くなるだろうか。この鑑賞会のおかげで、いくつかの忘れ難い芝居に出会い、芝居が好きになり、脚本のまねごとのようなものまで書くようになったと言う訳だ。

金曜日には第294回の例会があった。松金よね子さんを中心としたグループ・パルの喜劇「八百屋のお告げ」

占いがめっぽう当たると言われる八百屋に『貴女は明後日の午前0時に死にます!』と告げられた中年女性をめぐるコメディだ。奇想天外な展開も芸達者たちが演ずるとなんとなくつじつまが合ってしまうから不思議。會津風雅堂の会場は大いに沸いた。

結局は誰もが重き荷を背をって生きる人生・・・生きている事はなんて素晴らしい事なんだと誰もが気付いて行く物語。

『一人で生まれて一人で死んで行く人生、せめてその間だけは誰かとギュウっと抱きしめ合っていたいよね・・・』

ちょっぴりホロっと来て、大笑いと拍手に包まれたエンディング、寒波も吹き飛ばすほどの熱気、やっぱり芝居は楽しい。

芝居のはねた後、テカテカの道を慎重に走らせて熱燗の元へ。観劇後の一杯もこれまたたまらないのである。

2012年1月27日 (金)

天の考え

記録的な大寒波だという。偏西風の蛇行、ブロック高気圧で日本上空に大きな寒気が居座っている。

テレビで見る新潟や北陸の豪雪、本当に大変だ。

幸いなことに会津はまだ大雪と言う感じではない(今夜あたりから怪しいが・・・。)もちろん、大雪の大変さは何度も体験しているので苦労はよく分かる。心からお見舞い申し上げたい。

それにしても大震災の後のこの寒い冬・・・天の考えはわからないが、仮設住宅で避難生活を送る人々にとってはあまりにも厳しい試練だ。

故郷に帰れずに散り散りになっている人々。その人々に避難地の気候風土をしっかりと教えているのだろうか?まるで「ここで暮らすのなら、この冬を乗り切る覚悟がいるんだぞ!」と、でも言っているかのようだ。

時々、天の為す事を考える。

私は、人生に起こる事で無駄な事はない、と思うようにしている。正確には四十を過ぎた頃からそう考えられるようになった。

なんでこんな事を俺がしなくちゃいけないいんだ?なんで俺ばっかりが苦しい思いをしなくちゃいけないんだ?と思う事は誰の人生にでも山ほどある。特に若い時には何度もそんな思いを味わった。(味あわない人もいるのかもしれないけれど・・・)

その時の苦労や思いが時間を経て氷解する、という事を何度か経験した。

氷解するばかりでなく、あの時にああいう辛い思いがあったからこそ、今のこういう心境に至れたのだ、と、多少は兄つぁまに(大人に)なって考える事が出来るようになった。

だから人生、どんなに無意味に思える事でも後で振り返ればきっと意味があるのだと思っている。

しかしこの雪・・・慣れない手で仮設住宅の雪かたしをする人々の姿から、天の深謀を推し量る事は難しい。

寒く厳しい冬だ。春になれば消える雪を必死の想いで片づけなければならない。

そんな全ての人々の苦労もまた、氷解する日の来る事を雪空に祈りたい!

2012年1月24日 (火)

濃厚接触

会津もインフルエンザが猛威をふるってきたようだ。学級閉鎖、学年閉鎖の声もあちこちから聞こえて来る。

ほとんどがA型らしい。なんだかワクチンの効きが悪いような気がするという声もあるが、定かではない。

先週末、土日と泊まりがけで会議があった。20名ほどの出席で土曜午後会議、懇親会、二次会、日曜午前会議と年のはじめの濃密な議論が交わされる。

その中の一名が、月曜にインフルエンザを発症した。ガーン!って言う感じだ。

会議はもとより、懇親会でも隣りで飲んで、二次会では飲めや歌えの小騒ぎでマイクも同じだったような・・・。朝食のテーブルも一緒だったし、おまけに帰りは彼のクルマに乗せてもらって帰って来た。

一緒の部屋で寝たわけではないが、会議の出席メンバーの中でも濃厚接触と言えるだろう。予防接種は11月にすましているがなんだか不安・・・。

インフルエンザになれば強制的に休まなくてはならなくなるため、怪しいと思うメンバーは抑制剤の予防投与をすることにした。

お陰でなのか?今のところ異常はない。

東京に雪が積もったが、会津には降らなかった。しかし、その分冷え込んでいる。インフルエンザウィルスはこんな寒さが好きらしい。

そして乾燥が好きで湿度が問題なのだが、湿度何%という相対湿度と言うやつだけでは当てにならないらしい。

温度の高低によって含まれる水分量は変わってくる。高ければ一杯、低ければ少しになる。従って気温0度の湿度50%と、気温10℃の50%では空気中の水分量は全然違うと言う訳だ。そこで絶対湿度が問題だ!と近頃テレビのもの知り番組でよく取り上げられている。

空気中に一杯水分があるとインフルエンザウィルスは弱い。だから乾燥を防いで加湿しましょう、と言う事になるわけだ。

いずれにしてもうつりたくない!発症したくはない。可哀想だが発症してしまったK先生と濃厚接触したのね、と思われるのもなんとなくいやだ・・・。

みなさんくれぐれもインフルエンザにはお気をつけくださいませ。うがい手洗い、そして安易な濃厚接触は避けた方がよろしいかと・・・。

2012年1月23日 (月)

大奸物

奸物=心の曲がった悪者、という言葉があるが、3・11東日本大震災が起こった時のこの国の政府の責任者たちは大奸物だった!と言われても仕方のないような悲しいニュースが報じられている。

震災発生後、政府が議論を重ね様々な物事に対応してきた会議の議事録一切が全くない事が分ったと言うのである。

いかに緊急とは言え、政府の会議の議事録が作られないと言う事は考えられない。

誰かが作らないように指示をしたか、作ったものを破棄して闇に葬ったかのどちらかである事は明白だ。

そう言う人を奸物と言わずになんと言おう?

ウチの週一回の朝会だってちゃんと議事録はある。

ウチの緊急対策本部に置いてさえ記録係が時間系列に記録した、生々しいあたふたの跡が残されている。

それが日本国政府に置いておや・・・である。

これを知った学者先生は驚きと共に、いかに危機対応したかの記録がなければ今後に活かされる事もない。これは国民にとっての大きな財産の喪失だ、と言っていた。

千年に一度の地震と津波、そして人類が味わったことのない原発事故、その事故に対応した政府の記録が無いと言う事は、日本国だけではなく人類の大きな喪失とさえ言える。

今の世の中だ。きっと様々な録音機器が回されていただろう。それらが何も残っていないなどと言う事はちょっと考えられない。

「私のレコーダーに全て残されています」などと誰か勇気ある信念の人が現れる事を心から期待したい。人類のヒーローになれるのだから出てください!

それにしても本当に悪い人だったんですね、あの人は。ひどすぎる!

週末の会津は緩んだ。(気温が下がらなかった)住宅地の道はザクザクにザケて大変だった。今夜あたりからまた寒波がやってきて、寒い一週間になると言う予報である。

2012年1月21日 (土)

ハンサムガール

今朝の福島民報新聞に漫画家・松尾しよりさんが山本八重さんを主人公にした「清らかに高く~ハンサムガール八重の生き方~」という新作を、来月から月刊女子コミック誌「JOUR」に連載すると言う記事が出ていた。

松尾しよりさんは「永遠(とわ)のはじめ~会津酒蔵物語~」を描いたことで有名。大の会津ファンで会津清酒も大好き、私のこのブログも時々のぞいてくれていて、会津への温かい応援メッセージを寄せてくれたりする。

酒蔵物語の連載終了後は会津のテーマから離れるつもりだったそうだが、震災以降会津への想いを一層深められて再び会津を舞台とした作品に取り組むことを決めた、と報じられている。

ありがたい話だ。

来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」に先駆けての連載、大きな相乗効果を生んでくれることを期待したい。

実は私も山本八重さんを描いた事がある。先の市民手づくり舞台「ザ・ゴールデンデイズ~大山捨松の生涯~」の脚本の中で二人の女性を出会わせた。

八重さんと捨松さん、二人は15歳、歳が離れている(八重さんが上)が、確実に一ヶ月間同じ場所に居た時期がある。それは戊辰戦争で籠城戦を戦った鶴ヶ城の中だ。

まだ8歳と幼かった捨松さんと八重さんが会って話したかどうかは想像の中だが、戦いの間隙、満月の城内で眠れない二人が話し合う場面を描いた。

幼い捨松さんが問う「どうしてこんな戦になってしまったのでしょうか?会津は負けるのですか?」

ハンサムガール八重さんは優しく答える「おそらく負けるでしょう。でも会津の選んだ道は間違ってはいなかったと私は思いますよ・・・」

この二人の女性はこれから数十年先、日本赤十字や看護の道という共通のテーマで再び人生がクロスすることになる。

大河ドラマ「八重の桜」や松尾しよりさんの作品の中に捨松さんが描かれるかどうかは分らないが、会津にはこのように不屈の精神を持った素晴らしい女性たち、そしてもちろん男性たちが数多くいたのである。

そうした先人たちの精神を描くことで大震災からの復興にかける東北へのエールにしたい!と言うのが創作にかかわる多くの人々の願いであり、祈りだろう・・・。

これでまた当分、松尾さんが会津を訪れる機会が減る事はないだろう。

チャンスがあればいつかまた、美味しい料理に舌包を打って会津清酒をがっつら酌み交わしたいものである。

2012年1月20日 (金)

凹む

この半年で二回も車をぶつけた。交通事故と言うのではない。物損事故、一度は電柱に、昨日は石の花壇にぶつけた。

不注意+慌てた=ゴツン!という事故だ。

ここ数十年、相手のある事故は経験していないが、こんな短期間に二度となると、車体も心も大きく凹む。

脳神経の異常による運動系の問題など、ひょっとして病的な原因があるのではないかと事故を振り返ってみるが、まぁ、そう言う事ではないようだ。死角無視、不注意と言うしかない。

友人のWくんは「いいんだよ、そういう小さな事故が大きな厄を払ってくれてるかもしれない。ボコっとぶつかってなかったら大変なことになっていたかもしれないんだ。そんなことで済んでるんだから良かったと思わなくっちゃ!」と、いたって前向きな励ましをくれた。

まさに物事は考えようだ。ボトル半分の美酒を「わ―、もう半部しかない!」と嘆くか「わーぃ、まだ半分も残ってる!」と喜ぶかによって日々が全く違うものになる。

へこたれない人は素晴らしい。

が、私の場合、すぐにへこたれる。しかし、しいて言えば立ち直りは早い方かもしれない。(そう言うのをへこたれないと言うのかもしれないが)

もっとも、ものにはレベルがある。どう考えてもへこたれてしまう、そんなハードな状況に置かれている人々に比べれば、クルマの傷など屁みたいなもの、抜け出せる穴だ。

自分の力ではどうにもに抜け出せない、先に明かりも見えない、そんな深い穴に落とされてしまったら、誰だってへこたれてしまうだろう。

いかに強靭な意志だって時間が過ぎれば過ぎるほどに心も萎えてしまうだろう。

そんな事を考えると・・・今だ15万人とも言われる原発避難の人々に思いを寄せずにはいられない。

ところで、1年以内に2度の事故となると全額は自動車保険からは出ないと言う事を初めて知った。1年以内は免責分があってその分は自腹です!と言われた。

その一瞬、かなり、また凹んだ。

会津は小雪、昨日あたりから若干緩み気味、日中は5℃位までは上がっています。

2012年1月19日 (木)

殿様かく語りき

寒朝の勉強会で会津松平家十四代当主・松平保久さまの講演があった。

保科正之公に学ぶ危機管理の話し、そして来年の大河ドラマ「八重の桜」についてなどなど。

会津松平家の祖・保科正之公の功績が今、見直されている。

生誕四百年に当たる昨年、東日本大震災が発生したというのも因縁少なからぬものがある様に思える。

明暦の大火の後の見事な人民救済、危機の際にしっかりしたリーダーを持たない事がいかに不幸なことか?それを生誕四百年後の日本国民が味わう事になってしまった。

あの菅総理と比べてみても詮無い事だが、正之公の爪の垢でも煎じてせめて百杯ぐらい飲んで欲しかった!と悔やんでも悔やみきれないものがある。

正之公は、火消しに当たるものに米蔵を解放した。まずは被害を最小限に食い止めることに全力を尽くしたのである。

その後は、米価安定のため江戸に居る諸大名を一斉に国元へ帰す。焼け落ちた天守閣の再建を急ぐ幕閣を説き伏せ、とうとう天守閣を再建することなく幕費を人民救済にあてた。実に偉いものである。

この秋には「天地明察」と言う映画が封切られるが、暦を新たにしたのも正之公の功績、その偉業はまさに枚挙にいとまがない。

で、「八重の桜」。

ドラマの半分は会津、半分は京都になるのではないか。いずれにしても会津に大きくスポットがあてられることは間違いがない。このチャンスを大いに生かし、一過性のブームにするのでなく、会津の新しい魅力を掘り起こして欲しい・・・。

NHKに勤務されているだけに話には説得力がある。

昨年亡くなられた十三代・保定さまは会津と宮家との間をつなぎ、会津の事を片時も忘れた事はなかったと言う。

現在NHKのプロデューサーとして活躍している十四代は東京生まれの東京育ちである。が、当主となられてその父上の想いはしっかりと受け継がれたようだ。

「今後も会津の発展のために私も微力ながら力を尽くしていきたい・・・」渋いハスキーボイスで殿様はしっかりとそう締めくくられた。

2012年1月17日 (火)

結局、誰も分らなかった。

二本松の新築マンションの部屋から高いレベルの放射線量が検出されたのは、ショッキングなニュースだ。

結局、採石場の石がコンクリートに使われそれが原因らしい。加えて、その採石は大量に流通してしまっており、百何十社を越える会社が使い追跡調査も大変なことになる。

今だからなんでそんな事をしたんだ!と言えるが採石会社の社長さんの言葉が当時の事をよく物語っている。

『復興のために役立とうと事業を再開し、採石を出荷することが一番だと思っていた。放射能のほの字も頭になかった・・・・』事実だろう。

牛の食べた稲藁だってそうだ。誰も放射能をばらまこうと思ってやったわけではないし、お上も何の規制もしていなかったのだ。

『原発が爆発するなんてことがあるわけがない!』

リスクマネジメントとは最悪の最悪を想定して立案するものだと言われるが、日本における原発の爆発事故と言うのは最悪の最悪以上の、あり得ない世界だったのだ。

あり得ない世界だと全国民が教育(洗脳?)されてきた世界だったのだ。

だから実際に爆発が起こったその先の危機マニュアルが何もなかったといっていい。ただ逃げまどうしかなかったのだから、結局のところ無防備だったと言って良い。

スピーディなどという放射能の拡散を予測するソフトはあっても実際の使用基準がなかった。だから、国民にパニックが起こるといけない、とか言って発表されることはなかった。

結果放射能の高い方に逃げた人も居るのだから笑い事ではない。

マニュアルとはこうなったらこうする!と決めておく事だ。パニック時に予断を挟まずに危機を最小限にするためにベストな方法を決めておく平時の智慧だ。

万一、放射能がばらまかれたらその一帯の物(石や木や植物)の移動は禁止する、というごくごく当たり前の事も実はマニュアル化されていなかったのだろう。だから今度の様な事が起こっている。

いっくら偉そうなことを言ってはみても、結局は誰も分らなかったのだ。

いろいろ理屈を言う前に恥を忍んで見栄も捨て、もっと素直に、もっと謙虚に「ごめんなさい」から始めていれば、もう少しまともな対応が出来る(出来た)のではないだろうか?

『避難続きで、もう家族にこれ以上引越しするパワーが残っていないんです』やっと落ち着いたマンションから放射能が出た、と言われたお母さんの声が悲しく響いた。

・・・毎朝-5℃を挟んだ氷点下、会津は凍える一月です。

2012年1月16日 (月)

生身の「気」を感じた

この歳になって初めて大相撲を生で見た。枡席でお弁当を食べながら一杯やりながら正月気分で大相撲を楽しんだ。

父は相撲が大好きで相撲が始まるとBSの早い時間から日がな一日、寝ころんで相撲を観ていた。

いつか相撲見物に連れて行ってやるから、と何度か言ったものの結局、約束は果たせないままに亡くなってしまった。今も心残りで、国技館に行った時には少し申し訳ないような気がした。

当然だがテレビと生は全然違う。

枡席と言っても2~30mは離れているのだが、力士たちの生身の迫力がビンビン伝わってくる。

やはり人間というのは「気」を発しているものなのだ。闘志むき出しだったり、相手に飲まれているような感じや、気力の差の様なものが仕切っている内にも伝わってくる。

茶の間で観るテレビ画面いっぱいの方がよく見えるはずなのだが、小さくても生の方がいろいろなところがよく見えるし、感じる。

相撲は引いてはダメだ!と言うがその意味がよく分かる。相撲は基本突進力の勝負だ。苦し紛れや術なく引けば必ず負ける。そのことがテレビよりもはるかによく分かる。

ものは違うが、よくテレビで話題の舞台(芝居)などを放送するが、あれも観ているとなんだか違和感を感じて、あまり面白くない。

劇場の客席で見るよりも、テレビの方がアップもあって良く見えて、台詞もしっかり聞こえるのだけれども、何かが違うのだ。

生身の人間の「気」と言うものまで放送電波に乗せるのは大変に難しい事だ。人は生で観る時にはその人の発する「気」までちゃんと見えているものなのだ。

飛び交う声援、ガツンと当たる肉弾の音、歓声にかき消された勝ち名乗り・・・何もかもが生の臨場感に溢れている。観る側も五感をフルに使って観ているからなおの事、面白いのだろう。

往復、貸切バスでの宴会移動であった。(飲みすぎでした)

雪のかけらもない冬晴れの関東平野からおよそ5時間、国境のトンネルをいくつか抜けるとそこは雪国、すっぽりと雪に包まれた会津に戻り付いたのは午前零時少し前の事であった。

2012年1月15日 (日)

燃える想い

「歳の神つけんぞ~!」1月14日(ところによっては15日)の夕方(6時頃)にそんな声が響き渡る。

周りが雪に覆われた中、稲藁を積み上げて作られた歳の神が赤々と燃えあがり、夜空を焦がしていく。正月のお飾りや起き上がり小法師などの縁起物を火に帰し、一年の無事を改めて祈るのだ。

滝沢地区の歳の神は飯盛山を少し下った市営駐車場で行われる。

昔は会津若松市内のいたるところで行われていたが、火の用心やダイオキシンなどの問題で、現在では限られた数か所で行われているだけだ。

その中のひとつが我が家から歩いて5分ほどの広場で行われているのはラッキーだ。

この滝沢地区は古い町内、一時は止めなさいという話もあったらしいが、なんでも市営駐車場に土地を貸している人が歳の神やらせないなら貸さないと言っているのでずっと続いているらしい。(真偽のほどは分からないが)

今年の歳の神は、芯に古い神社の鳥居は入ってるという事だ。昨年の事業で地区の鳥居を新しくしたらしい。その古い鳥居が燃やされるのだ。

なんでこんなに詳しいかというと、滝沢地区の区長さんが同級生のAちゃんだからだ。御蔭で私は隣りの町内なのに毎年出かけて行って、図々しくお神酒やお護符までご馳走になっている。

雪夜に燃え盛る火、赤い火は夜空を舐める龍の舌の様だ。

下の方では真っ黒になった藁炭の中、赤赤とした熾き火が揺らいでいる、まるで呼吸を繰り返す龍の腹のようにも見える。

時折、消防団員が江戸時代のカギ棒みたなので起こすと中の藁はまだ燃えずにある。ゴォーッと一気に新しい炎が上がる。

火は何時まで見ていても飽きることがない。身体の前と後ろを丹念に炙り、今年一年の無事と幸せを祈った。

思えば今年は初詣以来、十日市、歳の神と実に丹念に無事と幸せを祈ったような気がする。

この燃える想いが聞き届けられる事を願い、家に戻って神棚と仏壇にお護符のスルメと焼き餅(少し食ってしまったが・・・)をお供えしてもう一度手を合わせた。

これで万全!?

2012年1月13日 (金)

乾いた雪

今朝の会津は冷え込んだ。風はない。雪が静かに降り落ちて来る。

このぐらい冷えると雪は軽くサラサラ、握ってもすぐに雪玉にならない。

元は水なのだから乾いた雪というのも変だが、乾いた、という感じがぴったりだ。クルマに積もった雪も、肩口の雪も軽く払えばパラッと散り落ちる。

乾いた雪は雪かたしも楽チンだ。スノーダンプでぐいぐい押しても重くない。

これが湿った雪だと大変、すぐに腰が痛くなる。

粉雪、粒雪、ぼたん雪、雪にもいろいろあるが、今年はこんな風に乾いた雪が多い、それだけ気温が低いという事だろう。

なんとかドカ雪にはならないで欲しい。

降っても一度に15センチまでと制限付きで降ってくれればこれほど楽なことなはない。今年はここまではそんなペースで来てくれている(会津若松市内の話です)が、そんなにうまい事行くはずはないだろう・・・。

人間国宝・濱田庄司氏の弟子で、今では大御所の陶芸家・滝田項一さんは30年以上前になるが、一時期会津に窯を開いていた。その時の弟子達が今も何人か会津各地で創作活動を続けている。

若い時分、何度か滝田さんの窯を尋ねた事がある。その時に聞いた言葉でとても印象的なのが雪に関する話だ。

滝田さんの青白磁は実にシンプルで美しいフォルムだ。その見事なまでに滑らかな曲線を彼は会津の雪に教えてもらったと言ったのである。

『しんしんと降る雪がいつの間にか降りやんで薄陽が射している。あたりは一面の雪景色、その積もった雪が描き出す曲線は実に美しい・・・』

版画の家斎藤清氏の連作「会津の冬」は超有名だ。斎藤氏もまた会津の雪に魅せられた一人だろう。

しんしんと降る雪、乾いたその粉雪の創りだす自然の造形美、会津に降る雪は芸術家の心を揺さぶる不思議なパワーに満ちているのかもしれない・・・。

が、それにしてもあんまり降らないで欲しいなぁ、やっぱり。

2012年1月12日 (木)

DRY

アサヒビールからドライゼロというノンアルコールビールが発売されて話題になっている。というか、デザインがビールのスーパードライと似ているため、誤飲を引き起こす危険があると物議をかもしている。

が、このニュース、私個人は全く違った感想を持った。

「アサヒスーパードライ」と言えば今やビールの代名詞の様なものだ。(言い過ぎかな)そのドライからビールじゃないノンアルコールビールを出すという精神が私にはとても理解できない。

朝日ビールはビールが全く売れなくなってビール業界から撤退しようとしていた会社だ。その朝日が乾坤一擲の勝負に出たのが「アサヒスーパードライ」だ。このビールが日本の酒造業界の地図を塗り換えたと言っても過言ではない。

ドライは売れに売れた。朝日をアサヒに変え、決して揺るぐはずがないと言われた巨人・キリンビールの牙城を切り崩し、遂には逆転するという偉業を成し遂げたビールで、ドライは世界のスーパーブランドとなったのである。

そのドライのゼロを出すなんて、おかしな行為のように感じるのは私だけ?

自分で自分のスーパーブランドを落としめているようなものではなかろうか。5.5%とちょっぴり強くてノド越しガツン、従来のビールの概念を打ち破ったビールの自殺行為じゃなかろうか?

ロマネコンティがワインじゃないロマネコンティを出さないだろう。ノンアルコールのドンペリなんか誰が飲むだろうか?

似たような話だと私には思える。(そんな大袈裟な!と言われるかもしれないが)

私はノンアルコールと同じブランドのビールなんて飲む気はしない。(これとは関係ないが我が家ではさんざんドライを飲んできたがここ5,6年前からサッポロの黒ラベルが中心です)

きっとここからアサヒの凋落が始まる事だろう・・・というように読めるニュースの様な気がしてならない。

今今、ノンアルコールがちょっと当たっているからと言って、自らのスーパーブランドまで差し出すのは、いかがなものか?

福島県は知らなくても会津と言えば分る。

「会津」は日本の城下町・観光地の中でもスーパーブランドの一つであることは間違いない。目の前のブームや利益に囚われてこのスーパーブランドを汚せば、長い目で見ればとんでもない損失を出すことになってしまう・・・そんな事も考えさせられたドライゼロの話題でありました。

2012年1月11日 (水)

溢れる神明通り

一年に一度、会津若松市の中心地の繁華街・神明通りに一日中人が溢れる。

それが一月十日の初市「十日市」だ。四百年以上の歴史を誇る会津の真冬の風物詩だ。

この日は決まって天候が荒れると言われるが、昨日は比較的穏やかだった。

昼から大変な人出だったらしい。しかし、人混みが嫌なので行かない!という訳にはいかないのが十日市だ。

この日に市神様をお参りして縁起物を買い求めなくてはならない。すっかり有名になった起き上り小法師を家族の数より一つだけ多く。そして縁起物の風車を求めて神棚に供え、一年の無事と健康を祈らなくては・・・何となく気持ちが悪い。

こどもの頃からの風習というのはそうしたものだ。

また、この市に出かけると多くの人に出会う。普段は顔を合わせない珍しい人と行き会ったりもする。そんな人々と新年のあいさつを交わすのもこの初市の楽しみの一つでもある。

昔は近郷の人々が町うちの親戚や商売先、各所へあいさつに回ったものだ。この日、商家の当主は一日中家に居て、昼から酒であいさつ客をもてなした。

また、まな板や包丁、鍋釜、食器などの生活用品もこの初市に新調することが多かった。従って本当に多彩な露店が立ち並んでいた。が、現在ではその趣きは薄れ、食べ物露店が数多い。

この日が休みに当たらなければ仕事の終わった夕方から出かけることになる。夕方ともなると冷え込んで足元がツルツルになってくる。

6時過ぎ、会社帰りの人々で市は再び人出のピークを迎える。混み合った場所では前にも進めないほどになる。

なんとか神明神社にお参りを済ませた。今年はお賽銭も弾み、お札も新しく頂いた。

なんとなくそんな思いの人が数多く見られたような気がした。それはそうだ!あの大災害から十カ月が経つ。今年が良い年になって欲しいと願わない人はいないだろう・・・。

2012年1月10日 (火)

ストリートダンス

「会津ストリートダンスコンテスト2012」が9日、文化センターで開かれた。

私も昔はダンスでならしたが・・・(んなわけない)、近頃のダンス事情を調べるべく、観に行ってみた。

参加20チームが超パワフルなダンスを披露。

観ているだけで息が上がりそうなくらいステージ一杯に動きまわる。東京や仙台、新潟などからも参加していて、なかなか本格的。優勝賞金は2万円と少しだが、何よりも名誉だろう。かのバロンドール(サッカー世界NO1)も賞金はゼロなのだ。

ストリートダンスと一口に言ってもいろんな分野があるらしい。いわゆるヒップホップと言うやつからロックダンス、ジャズダンス、関節コキコキのロボットダンスみたいなのまで踊りの種類も多彩だ。

会津葵高校の元気なチアリーダ部も出て来た。会津にもあんな元気なチアリーダー部があったのかと知って嬉しくなった。

コンテストなのでちゃんと審査員も居る。プロのダンサーに交じって、このコンテストを応援した我が会津若松ロータリークラブからOさんも代表審査員で出ている。大丈夫?分ってるんだろうか???ま、プロにお任せだろう。

1チーム1曲、20チームの演技は、あっと言う間に終わった。

リズムに乗ってる、笑顔が良い、スタイルが良い、ぐらいは分るが、踊っているダンスの難度がどのくらいなのかはよく分からない。

ま、分らないが実に楽しかった。そして何よりも踊っているみんながとても楽しそうだった。(これが一番だ!)

小学生から大人まで全身でダンスを楽しむ、そのパワーと明るさが寒さを吹き飛ばしてくれた。

ストリートダンスというとダブダブの服を着て街にたむろする不良や、ケンカや薬物などにつながる不健康なイメージをもたれがちだが、どうしてどうして!不健康ではとてもあんなに激しく踊る事は出来ない。健康的なスポーツと言って良い。

グキッ、ガキッ!バキッ!ボキッ!・・・万一、私があんな風に踊ったら一瞬で全身がバラバラになるにちがいない。

踊ってみたら?と言われても困るが(誰も言わないか)、これからもがんばっている若者たちを応援していくのは悪くない。

2012年1月 9日 (月)

プール

正月休みが終わったら、職員が2人骨折して出て来た。いずれも手だ、転倒時に手をついての転倒骨折だ。

毎年必ず骨折者が出る。それほど雪国の凍った道は危険なのだ。(昨年は私も足の小指を骨折したが、これは転倒ではなく宴会時のお間抜け骨折だ)

そんなわけで、冬場のウォーキングはやらないようにしている。

ということになると、今年の様に雪も少なく(大変に助かるが)雪かたしもしないと本当に運動に不足に陥る。

飲んで食ってのお正月などは最悪の状態、ズボンのきつさでおおよその察しは付くので、極力、体重計には乗らないようにして知らんぷりしている。

河東町に温水プールがある。冬場はプールで歩いたり、泳いだりして運動してはどうだろう?という事になり、昨日、意を決して家人と行ってきた。

ちゃんと北島康介選手のようなパンツとキャップとゴーグルも買ってだ。

そんなに混んでいなくてまずまず快適、ほとんどが中高年だ。知っている方にも数人会った。みんな体を気遣って運動しているんだ・・・。

まずは水の中を歩く、割と抵抗があって良い感じだ。大股で歩いたり、横向きに歩いたりしてみる。

で、泳いでみようと平泳ぎで泳いだら、なんだか進まない。進まないうえに沈む、溺れるように沈むわけではないがプールの底に蹴り足が付いてしまう。身体が横というよりは立てになってしまう。浮力の問題というより、根本的に重すぎるようだ。

昔、昔、ボートを漕いでいたので平泳ぎならいくらでも泳げた。平泳ぎでスイスイ、というイメージは充分にあるのだが、今ではかなり一生懸命に泳がない(もがかない)と進まないし、沈んでしまう事が分かった。

背泳ぎこれは結構進んだが、太ももの裏側をつりそうになってすぐに止めた。

クロール、驚いた事に10メートルぐらいしか泳げない。息つぎの時に頭が沈んで溺れそうになる。頭まで太って重くなったのだろうか?

ビート板というのを使ってみたが、2枚重ねにしないと浮くどころか潜行してしまう。溺れた時は浮き輪を二つ投げてもらわないと助からないかもしれない。勉強になる。

一度行ってみてまず分かった事は、水泳を楽しむ、というところになるまでには、かなりの時間と練習が必要だ、という事だ。

さすがに歩くのは大丈夫だ。試しに走ってみる、もちろん走れてないが走ろうとするとかなりの抵抗がある。一往復でも息が上がるし、ガバガバやると周りのこども達がおびえている様な感じもするので、いきなり走るのはよくない事も分かった。

そんなこんなでおよそ一時間、プールの中を行ったり来たりした。

知り合いの方(年上なのに)は週に2,3回、1時間は泳いで、1時間は歩くと言っていた。そんなに出来るもんですか?!と、驚いてしまうが、出来るのだろう・・・全く腹も出ていない。

気温が低く道路も凍る会津の冬、温水プールの水中歩行が安全だし、かなり良い全身運動になることはよく分かった。

さて、冬の間に何回通えるか?それが問題である。

2012年1月 7日 (土)

適当な地図

人は人生の地図を描く。

もの凄くアバウトだったり、精密だったり、描きあぐねたままだったり、と様々だが一応、地図を描こうともがく。

夢を持ちなさい!と言われて、いち早く具体的な夢を抱ける若者は幸運だ。

夢と言われてもなんとなく先には漠然と明るい空が広がっているような気がする・・・程度の若者が大半なのだ。

医学部や法学部、看護学部、薬学部など進路が(職業が)決定される学校に進んだ者は、その地図に沿って航海を進めていける。

しかし、大半の学生は就職活動の可否によって自らの進路が決まるのだ。なんとしても成し遂げたい夢に向って進み続けようとする人はほんの一握り、後の者は就活次第、いわばあなた任せの様な所がある。

我が人生を振り返っても似たようなものだ。夢や虹を追い求めたというよりは、流れに任せたと言うに近い。

地図にしても、一応はこっち、それならあっち・・・程度の適当なものだ。

一つ言えるとすれば、目の前の仕事は真面目に(自分なりに)やってきた、とは言えると思う。どれだけ出来たか自分では評価できないが、どれも投げ出さずにやってきた事だけは確かだ。

そして、思うように成った事もあれば、成らなかった事も沢山ある。

「青年よ大志を抱け!」「夢に向って進め!」と言われても自分の夢がなんなのか、よくは分らない若者は山ほどいるのだ。

確かな事は成り行き任せだろうがなんだろうが人生は進む。時間は万人に公平に流れて行くことだけだ。

今年社会に出る大勢の若者たち・・・その中の一人の父親として言えることがあるとすれば『逃げ出さない事、途中で投げ出さない事』ぐらいかなぁ。

そうすればきっと、人生つまらないことにはならないはずだと私は思っている。

今年の会津は本当に寒い。冬の間でも寒さと緩むのを繰り返すものだが、今年は緩みがほんの少しで寒さが厳しい。冷蔵庫状態の日々が続いている。

寒中お見舞い申し上げます。

2012年1月 5日 (木)

格差あり

出張で東京に行ったりした時に感じる事。東京では本当にタバコの吸える場所が厳しく制限されている。なので、昼食を取ったり、夜一杯やる時なども他人のタバコの煙で嫌な思いをした記憶はあまりない。

健康増進法に謳われている受動喫煙の防止という法律が比較的よく守られているからだろう。

しかしまぁ、振り返ってここ会津の場合はひどいものだ。

飲食のチェーン店は別にしても街のラーメン屋さん、一般食堂、居酒屋など、どこもタバコの吸い放題だ。分煙の試みさえもない。ひどい店になると板前さんがカウンターの中で吸っていたりする。

ラーメン屋のカウンター席で、隣りの人にタバコを吸われるほど嫌な事はない。それも人が食べている時に平気で吸うのだから、とても耐えられない。

健康増進法には『飲食店などは受動喫煙を防止するために必要な措置を講じるよう努めなければならない』と書かれているのに全く努めてないし、NO規制だ。

これほど、誰も守ろうとしない法律もないのではなかろうかと思ってしまう。

これは保健所が怠慢なのか、市の保健行政が怠慢なのかは良く分からないが、どこかのお役人が自らの仕事をしっかりやっていないせいだろう。(まさか、警察が取り締まるものではないと思うけど)

折角、来た美味しいラーメンをすすっている隣りで、プカ~ッとやられた日には、通報したくなるがどこに通報すればいいか分らない。

第一、吸って良いですよ、と灰皿が置いてあるのに注意してぶち切れられるのも怖い。

ここ福島県は除染が大きな問題だ。が、わずかな線量の放射能よりはタバコの煙の方がずっとずっと危険なのだ。

放射能に神経質になる前にまずタバコの煙をなんとかしてくれ!と言いたくなる。

会津が観光の再生を謳うのなら、まずどこに行っても観光客が安全でクリーンに過ごせる環境づくりを目指すべきだろう。

喜多方ラーメン、会津ラーメン、そば、ソースかつ丼、郷土料理のいろいろ。また多彩で魅力的な歴史や文化、伝統工芸などをクリーンな環境で楽しんでもらえる環境整備が大事なのではなかろうか?

除染の大切さはもちろんだが、非常にクリーンで非喫煙者が全く嫌な思いをしないで過ごせる観光都市づくりというのも、すぐに取り組めるまちおこしと言えるのではないだろうか?

「受動喫煙の防止」・・・・こんなちょっと気付かない所でも、東京と地方の格差はどんどん広がっている。

2012年1月 3日 (火)

楽観主義

ついこの間、帰省ラッシュのニュースが報じられていたと思ったら、もう反対向きのラッシュが報じられている。

故郷で新年を迎え、またそれぞれの暮らしの場に戻って行く。手に一杯のおみやげと一緒に、心には何らかのエネルギーを充填して笑顔だ。

今年はどんな年になるのだろう?

時代はどんどん不安定になって行く様な気がしてならない。しかし、漠とした不安の中でうつむいていても何ひとつ好転はしないだろう。

正月見たテレビの受け売り。アランの幸福論の一説から『悲観主義は気分だが、楽観主義は意志である』そう、意思を持って楽観的なエネルギーを生み出す。幸福は誰もが自らの意思を持って手にするものなのだ。

初詣のおみくじが大吉だとしても、何もせずに寝転んでいるだけでは幸せは降っては来ないだろう。

『果報は寝て待て』というが、焦るな、慌てるなという意で、漠然と寝ていて運命が拓けることはないだろう。

沈みきった2011年に別れを告げる確かな意思を抱き、明るく力強い2012年に向かって歩き出したい。

とはいえ一年の計というものはすぐに崩れがちだが、何度も何度も積み直せばいい。

悲観主義に蝕まれてしまわずに楽観主義で行く!それこそが「復興」のベーシックな意思だ。

さて、正月三日。会津高校時代の悪ガキどもと恒例の「初打ち」に行きましょうか。きっと勝つ!良いゴルフができる!と楽観主義で・・・。

2012年1月 2日 (月)

賀正

新年明けましておめでとうございます。本年が無事で平和で穏やかで、幸せに満ちた素晴らしい一年になりますように(欲張りすぎ?)と、祈りたい。

晴れ渡って穏やか、元旦の会津は輝く雪景色の中だ。

恒例の一ノ堰の六地蔵様へ初詣。このお寺の前に郷土料理の「棒たら」を食べさせる名物茶屋が二軒ある。

いや、あったというべきか、南側の一軒は周りに木を打ちつけて廃屋状態、北側の一軒の中におばあちゃんの姿は見えるものの、もう営業はしていない。

ひっそりとした六地蔵様には毎年1、2台のクルマが見られるだけだ。結婚して以来30年、初詣はここだけに来ている。

今年は、少しお賽銭をはずみ紙幣にした。

家族にも仕事にも大きな変化が予想される。すべての無事を千円で済まそうというのもちょっと虫が良い気もするが、有馬記念も年末ジャンボも外れたので勘弁してもらおう。

初詣の帰りには、叔父さんの家に寄って初笑い。

さらに家人の実家へ寄って昼からお神酒を一杯(沢山の一杯)いただく。こども達はいい歳なのにまだばあちゃんからお年玉をもらってホクホクだ。

夕方には7、8年ぶりに旧友と会った。相変わらず・・・相変わらずは幸せな証しだ。

そして、夜には家族そろってDVDを一本楽しんで、寝た。

そして今朝、今必死に思いだそうとしている。一体、何を見たか?どんな内容だったか・・・?

昨晩のDVDの事ではない、初夢のことだ。

何かを見た事だけは覚えているが、中味が全く思いだせない。

富士山?鷹?なすび? んなぁ、訳はないが、ま、吉夢であった事にしておこう。

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