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2011年12月

2011年12月31日 (土)

大晦日

会津若松市、2011年の大晦日である。

明るい曇り空、雪も降りやんで穏やかな朝だ。サラサラの粉雪が15㎝ほど積もっている。除雪車は来ていない。来ないのかなぁ・・・。

とうとう大晦日になってしまった。賀状はまだ、5~6%ぐらいしか書いていないし、まだ一通も投函していない。

例年だと30日に馬力をかけて書くのだが、昨日はお葬式があり、バタバタして何も進まなかった。辛うじて神棚の掃除やお供え、注連縄のお飾りは終えた。

昨夜は家族で毎年恒例の忘年会をやった。毎年恒例の会を同じように出来ることにまずもって感謝だ。酔うほどにあの日の話になり、それぞれの震災体験に改めて花が咲いた。

さて、静かな大晦日の朝、雪かたしをどうするか?まずは朝飯にするか・・・誰一人起きては来ないんですけど。

何といっても今日は賀状を少し片づけなければなるまい。BGMに噂の由紀さおりさんのアルバムを買ってきた(こういうところだけ準備が良い)

おっ?二階で動きが、奥方が起きて来たようだ。おや、遠くから除雪車の音も響いてきた。

まずは穏やかな大晦日を迎えられたことに感謝して、最後の一日を有意義に(とは言えだらだらするに決まっているが)ゆっくりと過ごしたい。

来る2012年が、特段に素晴らしくはなくても良いので、穏やかで平和な一年である事を祈りたいものだ!

みなさま、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。

2011年12月29日 (木)

真実くん

真実くんは恥ずかしがりで寒がりだ。いつも厚いベールを被りなかなかその姿を現さない。

特に大きな事件や事故、歴史的な出来事や人間が止める事の出来ない戦争など、そうした物事の真実は大寒がりで厚いベールに覆いまくられている。

年末、様々な番組であの原発事故の真実を解き明かそうと検証が行われている。それでもなかなか真実は姿を見せない。

それぞれの立場で自己保身、自社保身、最後はつまらないプライドを守ろうと必死に屁理屈を通そうとする。

事故調査委員会の良心には期待を寄せたいが、事故調査委員会が中間発表をする前に被告側とも言える東京電力が自分で事故調査をしてその結果を発表したりする、どう考えても変だ。

『真実は一つだ!』とは、よく聞く言葉だ。間違いない。しかし、それぞれの立場から真実は一つだと言うと、立場の数だけ真実がある事になってしまう。

なんとか、たった一つの真実を解き明かしてくれる事を祈りたい。

私は菅総理大臣が原発事故の後もなんだかんだ言って居座った時には呆れた。

そしてその時にはこう思った。「後でこの事故を徹底検証して真実を明らかにして欲しい、そして罪があったのならばたとえ時の総理であったとしてもしっかりと罰して欲しい」と。

あの事故は、こと福島のみならず、人類に対して、地球環境に対しての重大な罪だ。

しかし、真実くんは厚いベールをなかなか脱ごうとはしない。

こういう時のために日本人は「恥じる」という文化を作ったのだろう。自分のしたことに対してたとえ万人を欺けても、自分自身を欺く事は出来ない。そのセルフジャッジが「恥」の文化だ。

「恥」を知る武士は、「恥」を雪ぐために自らの腹をも切る。恥ずべき事をした自分を自分でジャッジし決着をつけるのだ。

プルサーマルを容認し原子力行政を推進してきた人々(きっと大きな利権も手にしたのだろう)、その人たち(政治家たち)が一転して原発反対と言って、何もなかったような顔をしている。

恥ずかしくはないのだろうか?はたまた恥ずかしくないだけの隠された真実があるとでもいうのだろうか?

歴史に残る2011年の真実くんは大いなる寒がりだ。そして、そのベールは気の遠くなるほどに厚い。

それでも恥入る日本人が、日本人としての誠実な態度、自分に恥じない行動を取るならば、物事はもう少し違うまともな展開を見せるのではないかと思う。

年の瀬の会津は穏やかな陽射しに包まれているが、今日も冷え込んだ。

我が家も昨日、今日と徐々に人口が増えている。

2011年12月28日 (水)

野人になりたい

ゴルフ好きの友の話し。

股関節が悪く、だましだまし続けてきたがいよいよ限界、この暮れと正月を利用し、思い切って人工関節の手術に踏み切った。

入院前の一週間を飲み続け、病院へ向かう前日も午前様で大騒ぎだったとか。

最先端治療の大学病院へ入院、手術開始。

もともと体格も良く、力も強く、体力もある。ただ股関節が悪く動きが緩慢なだけで運動神経も悪くはない。毛深い超の付く肉食系男子である。

手術は順調に進んだが、骨や筋肉が硬くドリルの刃を何度も替えたという話だ。かくして手術は無事に成功!

予想は付いた話だが、麻酔が覚めた途端に動いちゃいけないのに動きだしたり、点滴チューブに絡まったり、看病の奥さんは大変だったらしい。

最小の創で行う先端手術、術後の経過は超が付くほどに順調。本人は元気なので明け方からそこいら中にメールを送り、退屈を紛らわしていたらしい。

昨晩届いたメールでは、予定を1週間も早めて大晦日に退院すると伝えて来た。「ご心配おかけしました」などと普段は絶対に使わない丁寧語に、嬉しくて仕方がないという気持ちが表れていた。

きっと、会津に戻っても異常なペースで回復し、飲んで食って騒いで、「本当に大丈夫か?」の声を背に、春先にはゴルフ場にも復帰し、動くようになった股関節でやりまくる事だろう。

常識を打ち破るほどの回復力、周りを心配にさせるほどの多動性、野人を思わせる傍若無人な振る舞い、まったくもって元気な男だ。

我々、同級生は還暦も近い。そのいいおっさんが、周りに呆れかえられるぐらい元気だと言うのは、まんざら悪い事でもない。いや時に羨ましく、痛快でさえある。

野人の様な58歳、懲りない遊び人、驚異の体力+馬鹿さ加減・・・いろいろなものを失い、角が取れて落ち着いていく人生の黄昏にまだまだ抵抗するかのような、その意気や良し!私もあやかりたい。

体力、気力、加えて蛮力ぐらいがあってちょうどいいのだ。

ご同輩諸君、そんな彼にあやかって「2012年、かかって来んかい!」ってな調子で新年を迎えようではありませんか!!!!!!   ふぅ、疲れた。

2011年12月27日 (火)

黴る(かびる)

今年もう一週間を切った。

昨日は家人が帰りにお飾りを買って来た。早くしないとごく当たり前のシンプルなお飾りがなくなる。やたら派手で海老のおもちゃみたいなのが付いてたり、橙までプラスチックのボールみたいなのが付いていたりする。

ああ言うのはどうにも趣味に合わない。郊外の農家のじいちゃんが作るシンプルな〆縄が一番良いが、年々作る人が少なくなり、なかなか手に入らない。

ウチのカレンダーは、「会津の冬」で有名な斎藤清さんの版画のカレンダーを毎年使っていた。喜ばれるので10本ぐらい買って親しい人にもあげていた。

が、求めていた民芸店もこの夏、震災の風評被害による観光客激減のため、やむなく廃業してしまった。結局、居間のカレンダーは宙に浮いたままだ。どこかに行けば売っているのだろうが、カレンダー探しも面倒くさい。

誰か良いのがあったらください。

餅は、サトウの切り餅や越後製菓のプラスチック飾りではなく甲賀町の日本一分店で、のし餅とお供え餅を求める。餡子は東山の松本家で買ってくる。

こうした毎年の習慣が少しずつ変わっていく(仕方なく変わってしまう)のは淋しいことだ。

特にこだわりを持たなければなんでも手に入る世の中だが、実のところは、個人(古人)にとっては手に入らないものがどんどん増えているのかもしれない。

餅は黴る。黴て乾燥してひび割れた頃に松が取れる。その間に飲んで食って、笑って泣いて、いろんな意味でエネルギーを充填するのがお正月だ。黴るまでのその時間が楽しい。

黴ない餅は合理的で、それはそれで良い。

だけど、今年も黴る餅を買いに行きたい。

2011年12月25日 (日)

歩き方教室

浜通りから避難して来ているこども達を集め、またその保護者のみなさんにも参加を促して、雪道の歩き方教室が開かれたそうだ。

雪道を(テカテカに凍った)普通の道の様に元気良く、または肩で風切って歩いたりするととても危険だ。

スタスタスタと、かかとから足を付く歩き方だと滑ってすってんコロリと行ってしまう。雪道はその勢いがすごいので、もろに脳天を打ちつけ、笑い事では済まなくなる。

雪道は足の裏全体で着地するような歩き方でないと、突然のツルリに対応できないのだ。

そんな話を聞いて、車窓から街ゆく人々を眺めてみると、なるほど会津の人は歩き方が違う。お洒落を決め込んだおネエちゃんも、髪の毛を立てたイケメンたちも足元は安全歩行で、足裏全体着地、若干腰が引けている。

万一滑っても「きゃーっ」と言って手を付くぐらいで済みそうな雪道体制だ。

「あらー、あの人危なそう」と思うのはおそらく浜の人だ。

雪のない地方から就職する若い連中には冬の注意で一つだけ必ず言う事にしている。靴底だけはちゃんとした雪国仕様のを履け!と。

どんなにお洒落でカッコ良くても、靴底が雪国仕様(滑らない)でないのは絶対に危険。ツルっとした皮底の靴など怪我するために履いているようなものだ。

冬の転倒骨折・・・骨折まで行かなくても怪我は想像以上に多いのである。(なにも会津だけの事ではありません。雪国全般)

クリスマスの寒波で会津は凍りついている。幸い、昨年ほどの大雪にはなっていないので助かっているけれど。

このところ冷え込んできて急に古傷の右膝が痛みだしてきた。

これは昨年、雪道でズルッといって思わず膝をついた時のもの。その時はなんてことないかと思ったが、数日経って痛み出し、診てもらったら半月板を損傷していた。おそらく、全体重が一気に膝に乗っかってしまったのだろう。

私のようなベテランでもこの様である。雪道の歩き方は気をつけましょう。

侮るなかれ、なめるなかれ!

2011年12月22日 (木)

無駄足

服、XLでも微妙に小さい。太ったのか肉が付いたのか、最近とみに感じる。

先日、都会のデパートであれが良い、これも良いとなって、「一番大きなサイズをお願いします。」XL・・・なんだかきつくてダメだ。そんな事を繰り返している内に馬鹿らしくなって「大きなサイズを専門に置いてあるところはありますか?」と尋ねたら、上にあると丁寧に教えてくれた。

そういう売り場は一番小さいのが2Lで、上は4L、5Lなんてのまである。頼もしい。私でもブカブカ。

近頃の大きい服売り場は、単に大きいものを集めているだけではなく、ちゃんとしたメーカー品の大きいサイズが集めてあって、大きいからダサいなんてわけではない。

そこでようやく、必要なものを手に入れる事が出来た。

これまではXLでも結構大丈夫だったりしたのだが、なんだか最近XLが小さくなったような気がして仕方がない。

それはあんたが大きくなっただけだ、と言われるが、そればかりでもない、なんらかの社会的変化があるに違いないと腹の底で思っている。(太ったのを認めたくない)

とにかく、まぁ、一般の売り場での探しものは無駄足だ、と言う事に今頃になって改めて気付いた。

この間、那須のアウトレットと言うところに初めて行ったが、結局合うのがなく、500円の台所用品と昼ご飯を食べて帰ってきただけだった。

今、話題のバラクーダ―の高倉健さんジャンパーもXLでは似合わない。なんかパツパツで工事現場の配給ジャンパーみたいだ。

そんなわけで、これからは始めから一般の売り場は見ないで、「大きいサイズの売り場はどこですか?」と聞くことにした。

伊勢丹で。仕事時に着るベスト、ハイ2L~5L、すぐに見つかった。なんと効率が良いことか。

大きいサイズコーナーにお好みが無い時はもう他は見ない。これが良いと思って、XLを着てみて、きついと返って頭に来るから。

明日からの連休、なんか去年と同じようにクリスマス寒波が会津にやってくると言うような嫌な天気予報だ・・・。

サンタさんも大きいのをいちいち探すのは大変だろうから、なんなら商品券でも、現金でもいいですけど。

2011年12月21日 (水)

歳末商戦

先日、久しぶりに新潟へ行って来た。高速は土日で無料だった。万代シティはクリスマスの飾りつけで賑わい行き交う人も一杯だ。誰もが大きな紙袋を下げて、まさに歳末商戦今が盛り!と言った感じで、街は華やいでいた。

思えばこんな風に人々が通りを行き交う姿は、会津から「消えた風景」と言える。

ふた昔前、歳末ともなると神明通りは人で溢れていた。デパート、専門店、喫茶店、食堂、誰もが大きな買い物袋に一杯の荷物を下げて嬉しそうに歩く。着膨れした人の波が年の瀬を演出していた。

その街の中心からはデパートも多くの店も人の波も消え、郊外にクルマの渋滞が出来る。人々は行き交うのではなく、店舗と駐車場の間を忙しそうに駆ける。

年の瀬の街で人々がすれ違う。「あ、お洒落な人だ」「なかなかカッコイイカップルだ」「楽しそうな家族だなぁ・・・」と人を見ることも楽しい。それが街なのだ。

他人のファッションや振る舞いに注意を払う事もなく、みんながみんな向いた方だけを向いているようで、少し淋しい感じがする。

会津で、人々が通りをわんさか行き交う風景と言うのは、ぜいぜい正月の十日市ぐらいなものになってしまった。

だから会津の人は、銀座や浅草に行ったりするとすぐに「わー、十日市みでだこどー!」と、言うのだ。

神明通りが日曜ごとに賑わいを見せていた頃は、そう簡単に「十日いちみたいだ」とは、驚かなかったのではないだろうか・・・?

ちなみに、郊外店の店内がいかに混み合っていても「十日市みたいだ」と言うのは少し違う。あくまでも寒風吹きすさぶ通りが(街が)人で溢れかえる事を「十日市みたいだ」と言うのだ。

ま、どうでもいい屁理屈だけれども、人々が通りを(街を)行き交わない歳末商戦と言うのは、なんだか淋しいものだ。

2011年12月19日 (月)

寒がり

なんだか寒がりになって来たような気がする。

根っから暑さに弱く汗っかきで、冬は結構平気で、寒いのにも強かったのだが、なんだかこの頃寒い。「歳だ!」と決めつけられると面白くない。

異常気象で夏がいつまでも暑い、その上に急に寒くなるから体温調整が上手くいかないのだ。と、少し屁理屈も付けたくなる。

会津平は一面真っ白になった。低い山も一面の雪、まだ多くはないが冬景色だ。

先週末の冷え込んだ朝、うっすらと積もった雪で道路が真っ白に凍った。

こんな話を聞いた。

「雪があまり積もらなくても道が真っ白になってセンターラインが見えなくなったりするんですね」(浜通りの人の声)

おそらく、道路がアイスバーン状態で凍りついてしまうと言うのを体験したことが無いのだろう。雪が沢山積もってセンターラインが隠れるのだと思っていた、凍って見えなくなるなんて思いもしなかったのだろう。

ことほど左様に、こっちが当たり前と思っている事でも、なんの不思議を感じない事でも、感じ方は全く違う。

冬場、吹雪の会津を出かけると、浜通りのゴルフ場は決まって抜けるような冬の青空だ。

会津の天気が悪ければ悪いほど浜通りの空は明るい。気が重くなるほど暗い冬は、浜通りでは間違いなく好天の季節なのだ。

鉛色の空がはがれるように落ちて来る雪、冬晴れが続く浜通りから会津に身を寄せなければならない人々は一体どんな気持ちで眺めるのだろうか?

寒い時には背中の肩甲骨の間にホッカイロをペタンと張ると良いです。そして、長いタイツ(ももひき)をしっかりと履いて暖かく!

それにしてもなんだか急に、寒がりになったような気がする・・・。

2011年12月17日 (土)

収束?

『首相「事故収束」宣言』・・・これが今朝の福島民報新聞のトップの大見出しだ。

この見出しに違和感、不快感を覚えない人がいるだろうか?少なくても私は朝から相当に頭に来た。

言うに事欠いて「事故収束」だぁ?どうせ「終息」とは違います、炉が低温で安定を保たれ一定の収まりが付いたという事で「収束」です。みたいな屁理屈を並べるのだろう。

原子炉が低温で落ち着いているから第二ステップをクリアしたと言いたいわけだ。県民感情としてはまさにふざけんな!だ。

結局のところ原子炉の中がどうなっているかも分らず、この先放射能が漏れる事があるかもしれないと言う危険性を山ほど抱えたまま、何一つコントロール出来ないのに、まるで事故が終わった(落ち着いた)かのような、もう完全に制御できるかのようなもの言い、呆れ返る。

県を代表する県紙なら、せめて見出しから牙をむいて噛みついて欲しかった。「県民感情無視した収束宣言」ぐらいな事を言って当たり前だと思うのだが、これも残念だ。

会津にはおよそ1万人の避難者がいる。昨日からの雪で震えあがっている事だろう。

東電の発表も信用できない。国や県も何をしているのか分らない。先も見えない、見通しも霧の中では、どこへ向って思いをぶつけていよいのか分らない。

西郷隆盛に似ていると言われる(見かけが)野田総理大臣、西郷さんと言えば『敬天愛人』の四文字を思い出す。天を敬い人を愛す、その思いに恥じぬ収束宣言なのですか?

年内に一定の区切りを付ける事がそれほど大事な政治的セレモニーであるのなら、この福島に来て、福島の全首長を前に宣言して欲しかった。

各首長さんがどう聞くか?それを見せて欲しかった。

「収束」などと、とても、とても言える年の瀬ではないと私は思います。

2011年12月16日 (金)

ダアーッ!

共済会の大忘年会というのがある。これが最大の忘年会だ。参加は250名限定、倍近くの申し込みがあり抽選だ。

格安飲み放題、くじ引きの豪華景品も沢山ある。今年は会津若松ワシントンホテルから中の島に会場を移した。実行委員の試食会で圧倒的人気だったそうだ。

一人に一椀ずつ、名物のソースかつ丼が付いた。おそらくはこれが人気を博したのではないかと思う。小丼ぶりではあるが、かつ丼付き宴会というのは初めて体験した。

「マルマルモリモリ」「少女時代」「AKB」観ている方が恥ずかしくなる、やってる方が一番楽しい派手でお下品な出し物がガンガン続く。

この間の盛り上げ方が難しい。

遠くの席から酒を注いで回り、一年の労をねぎらう。ステージには盛大な拍手とヤジを贈りつつ、演者とは目を合わせないようにしなくてはならない。

ガチッと、目が合ったりするとステージに引っ張りあげられて、踊らされたりかぶり物をかぶらされたりする。

女装させられたり、ちょんまげかぶせられたりしたこともある。ま、過去に恥ずかしい事もやっているので、近年はそこそこソフトな感じで済んでいる。

飲み放題は酒、ワイン、ビール、あれだけ飲んでも予算割れしないんだから安いもんだと思う。ビール10ケースで5万円ぐらい?だから・・・計算しても仕方がない。

歌に踊りに太鼓にバンド、なんでもありの忘年会。このコテコテの古典的な大宴会に心が和む。今年も同じようにどんちゃん騒ぎ出来ることに、心から感謝だ。

大抽選会の興奮の後、「中締めの万歳三唱を!」と、お鉢が回ってきた。

私が万歳三唱すると二〇三高地の乃木大将みたいになるので、万歳は勘弁してもらって『イチ、ニー、サン、ダアーッ!』にさせてもらった。

『来年はみんなハッピーになるぞ!オーッ!!、来年も頑張るぞ!オーッ!!、2012年かかって来んかい!オーッ!!、いくぜーーーーーーーーーーす、すいません・・・』

と、言って。やっぱり最後の締めは騒ぐの大好きな院長先生に!

大騒ぎしている幹部をみんな壇上に上げて、超・気合の入った『ダアーッ!』で盛大に閉めくくったのであった。

これにて本年の忘年会の山も、峠は越えた。

目出度し、目出度しである。

2011年12月14日 (水)

治安が心配

刃物でいきなり刺したり切ったり、何か世の中、物騒な事件が多い。

先日、都心の公園で起こった事件などはショッキングだ。都会の昼下がりの公園で暴漢たちに襲われた。500円しかなかった財布に腹を立てたのか、なんと身ぐるみ剥いでパンツ一丁にして池に放り込んだというのだ。被害者は同年代、なんとまあ日本も物騒になったものだと驚いた。

先月、友人がヨーロッパを旅行した時に時にスペインで財布をすられてしまった。別の友人は、今月のあたまにパリの地下鉄で強盗団にカバンごと奪われてしまった。

EUの金融不安からか欧州も治安が相当に悪化しているらしい。窃盗、強盗事件は3,4割も増えていると添乗員が言っていたそうだ。

アメリカだって景気が悪い。狂乱とも言えるバブル景気の中国も極めて不安定だ。世界中がなんだか少しおかしくなってきているような気がしてならない。

日本の安全神話が崩れていくのは、悲しく残念だ。

治安の良さはその国の民度の高さを表している。政治、経済、教育、道徳心、国民性、全てが安定して初めて治安が保たれる。どこかが傷んでもほころびが出てくる。

大震災の際に帰宅困難者が整然と歩いてパニックにならなかった日本人の姿に世界中が驚嘆した。日本の体面は大いに保たれたが・・・それでもやはりほころびはじわじわと広がっているようだ。

何十万人もの帰宅困難者の誠実な行進を見ても分るように、潜む悪人はほんの一部にすぎないのだ。そんな奴らがのさばらない、のさばる事の出来ない社会であって欲しいと月に願う。

年の瀬の会津・・・酔っ払いオジサンがふらふら歩いていても、とりあえずはまだ大丈夫なようである。

2011年12月13日 (火)

同じという事

今年の漢字は案の定というか、予想通りというか、「絆」の一文字だった。

じゃあ、ウチの今年の漢字は何かな?と家人と考えてみた。

「震」「節」「驚」「難」・・・なんかそれぞれに合っているようにも思えるが、なんとなくピンとこない。そこで、同じの「同」かな?という事になった。

すごく大変な震災はあったものの、この師走に来て我が家は去年と同じように暮らしている。暮らせている。

仮設住宅に移る事もなく、職の不安を抱える事も今のところはない。同じように飲んで食べて、忘年会に出続けている。その変わらないことの有難さをつくづく思う。

九ヶ月も経つと遠い事のように思えるが、原発が爆発した時は正直、ここで我々の人生も終わるのではないかと思った。

すぐに死ぬ訳ではないだろうけれど、逃げる事はしなくてはならないだろう。とんでもないSFの世界が現実のものとなってしまった!もうこのままの暮らしは続くはずがないと思った。

一瞬ではあったが確かに覚悟したのだ。

実際にあの時、新潟や沖縄、東京などへ逃げ出した人は会津にも大勢いたのだ。

それが今、去年と同じコタツに寝転んで、寒さに震える事もなくテレビを眺めながら渋茶をすすっていられるのだ。これに勝る幸せがあるであろうか?

ただただ普通の生活がしたい!故郷へ帰りたい!それを最大の夢として生きていかなければならない人々が何千、何万と居るのだ。

これ以上のものを望んだのでは罰が当たるだろう。

いつもと変わらずに、同じように過ごせる事が幸せな事だと気付かされた一年であったな、と二人して納得したのであった。

ごく普通の毎日、それこそが『日々是好日』だ。その好日を無駄にせぬように生きなければならないゾ!と仏壇に手を合わせた酔い覚めの朝である。

2011年12月12日 (月)

糸へんはほどける。

12月に入って結婚式に呼ばれた。場所も裏磐梯と年の瀬にはあまり似合いの場所ではなかったけれど、良い結婚式だった。

会津若松市内もうっすらと雪、裏磐梯はどれほどか?と心配したが、それほどでもなかった。本格的なスキーシーズンにはまだ少し早い。高原のホテルは原発事故の影響もあってか、あまり人気もなくガランとしていた。

シビルウェディングという、無宗教の人前結婚式。ガラス張りのホール、雪景色を眺めながらの式、指輪の交換をして愛のくちづけを交わし、結婚証明書を読み上げる頃に雲が切れまぶしい光が差し込んできた。まるで二人の前途を祝すように・・・ちょっと出来過ぎ。

男性は初婚、女性は再婚、二人の男の子がおり、さらに二人の間にはもうすでに女の赤ちゃんが生まれている。7つ上の姉さん女房だ。

ひと昔前には盛大な結婚式は考えられなかったケースだが、今は全く気にしない。

お色直しのため花嫁が退場する際には、二人の男の子がお母さんの手を引き、ピースサインで先導した。

これまでいろいろな式に出て来たが、いきなり5人家族になる青年に祝いの言葉を贈り、乾杯の発声を頼まれたのは初めてだ。

あんまり気取ってもしょうがないので、率直に話した。

勤めていたJAをいきなり辞めて野球部の強いウチに入社してきた時の事、式の知らせを携えいきなり3人の父親になったと聞いた時の事、「まぁ、思い切った事をするもんだ!」と感心したと素直に言った。

そして・・・縁も絆も糸へんだ。糸へんは油断をするとすぐにほどける、つなぎとめる努力も必要だと。普通ならまずは二人だが、それが最初から5人なら心強い、力合わせて頑張ればそうやすやすとは縁も絆もほどけないだろう、と述べ、ほどけない糸へんを祈って祝杯を上げ、誰もが新しい家族の誕生を祝った。

これから先、新しい「家族の形」というものがどんどん生まれるだろう。

高齢化社会が進めば、たとえ法的なつながりが無くても寄り添い力を合わせて生きる事も大切になってくる。

事実婚とか共同生活とかコミューンの様に誰かを中心にして成り立つ共同体もありかもしれない。

それらの芯を貫くのは愛情だ。ただ、その愛情も血縁だけが絶対ではない、という事に気付き、誰もがその事を認め合うようになってきている。

誰が何と言っても君たちは真の父ちゃんと母ちゃん、そして息子、娘だ。

ほどけるな!糸へん、結婚おめでとう。

2011年12月11日 (日)

初めて降った雪

雪が降った。ドカンとではないが、会津野はうっすらと雪に覆われた。

山々は墨絵の世界、真っ白な雪の町並みも美しい。世界全体が少し静かになった様な気がする。

「初めて降った雪」という創作童話があった。確か村野井幸雄さん(詩人)の作だったと思う。

おぼろげにこんな話・・・きれい好きで厳しいお殿様が村を訪れ、農民に明日までに村にゴミひとつないようにしろと申しつける。なんかの訳があってそれが出来なくなってしまうのだ。懸命に働く農民たちは、お殿様に首をはねられるとおびえて夜を過ごす。次の朝、村は真っ白な雪で覆われていた。初めて降った雪が全てを覆い隠してくれたのだ・・・。

師走も、はや三分の一が過ぎた。年の瀬の慌ただしい感じが、じわじわと迫る。

この時期になるとこの一年を振り返る重大ニュースという話題や番組が盛んになるが、なんだか今年は振り返る気もしない。

あの大惨事が全ての様な気がするし、政治を振り返って鳩山さんや菅さんの顔など思い浮かべるだけで不愉快になる。

純白の雪に全てを覆い尽くしてほしい!

しかし、いくら降り積もっても、その雪が溶けて流れても消すことのできない「毒」がこの故郷にブチまかれてしまった。その事が悔やんでも悔やみきれない。

『それでも天を恨まず・・・』十五歳の少年の言葉が多くの人々の心を打った。地震、大津波、大自然の猛威に人々はなすすべもなかった。多くのものを失ったものの、それでも天を恨まず、この気持ちは尊い。

しかし、あの原発禍!

凡夫には、天を恨まず・・・ましてや人を(東電を、時の政治家の無策を)恨まず、という気持ちにはとてもなれない師走である。

2011年12月 8日 (木)

線引き

福島県内の放射線被害を受けた多くの地域、およそ四分の三にあたる23市町村、150万人を対象に賠償金が支払われることになったそうだ。

高校生以下のこどもと妊婦は一人40万円、大人一人8万円。こども二人の4人家族だと96万円という計算になる。

この対象に白河市を中心とした東白地域、そしてここ会津地方は入っていない。

この線引きで異論が噴出していると報じられている。

福島県全県が被災したのだから全県民を対象にするべきだという意見、どうして白河が外れるのだという意見、県境の他県の放射線高い地域はどうなるんだという意見、いろいろだ。

要はどこで線引きするのか?という事だ。

会津地方でも実際に牛肉や野菜の出荷停止をしたところもあるわけだからもらえないのはおかしい、と主張する首長さんも居る。一理ある。

しかし、これは私の意見だが会津地方はもらわなくても良いんじゃないかと思う。

むしろもらわない事で、会津地方は賠償地域外なのだから安全なのだ!と主張できるのではないだろうか?

会津地域はこぞって賠償金不要宣言をした方が、長ーい目で見ればプラスに振れるのではないだろうか・・・?

もちろん人それぞれだ。

可愛い子供が二人いて96万円ともなれば、なんで?ということにもなるだろうし、実際に遠方に避難させて、すでにお金の出ている人も居るだろう。

でも、この線引き論。なんとなくここが踏ん張りどころという気もするのだが、いかがでしょう?

2011年12月 6日 (火)

師走の航海

インフルエンザの予防接種をしたでしょうか?

私は40代のはじめにとんでもないインフルエンザにかかって、重症化してホトホト参った経験があるので毎年必ずするようにしている。家族全員にも勧めている。

今年はインフルエンザよりも、マイコプラズマ肺炎というのが猛威をふるっているらしい。これも何となく怖い。予防はインフルエンザと同じ、うがい手洗いの励行だ。あとは抵抗力を高めるしかない。

それには暴飲暴食を慎み、寝不足を避け、しっかり運動、充分栄養だ。充分栄養は簡単にとれるが、その他は非常に難しいのが師走だ。

朝歩きも、6時でも暗く寒風吹き抜ける状態だとどうにも二の足を踏んでしまう。

暴飲暴食をしない、これは常に心掛けてはいるが、一杯入ると心掛けがどこかに行ってしまうから困りものだ。暴飲すれば睡眠の質も落ちる。

今年の宴会船は、12月5日に出航し、今のところ18日に一度休息の錨を下ろすのみで、22日まで連続の航海となる。ところどころでWヘッダーになっており、なかなかきつい航海だ。

ま、馬鹿みたいに飲まない、調子に乗って二次会に行かない、ましてや三次会など言語道断!という姿勢で臨めばいいのだが、どういう訳か難しい。

この長い航海に臨み、一宴会一飲み物というのを立案してみた。一飲み物というのは、もちろん一杯だけというのではなく、一種類という事だ。ビール、日本酒、焼酎などとチャンポンせずに一種類で通せば過ぎる事もないだろうと言う狙いだ。

そして迎えた第一回目の昨晩。ところは会津稽古堂前の「ひょうたん寿司」という、なかなかシブくクラシックな店、会津では老舗といって良い。

乾杯はやはりビール。(これは仕方がない)軽く口を付けてあとは焼酎で通そうという計画だった。

もう言わなくてもおわかりの事と思うが、あえなく計画倒れに終わった。

それもまぁ、結局は熱燗だったり、冷や酒だったり、生酒だったり、周囲がいろいろなのをリクエストし、それをどうぞどうぞと勧めるものだから、調子がよくなってしまった。

日本酒あり、焼酎あり、ビールありのなんでもあり。おまけに二次会にまで付き合わされ(付き合わされたのではなく付き合わせた、という意見もあるが・・・)あげく、ジンやウイスキーまで飲んでしまった。

かくして航海初日から「後悔の朝」を迎えてしまったのである。

これは相当に先が思いやられる。再度、海図を見直し入念に計画を練り直さなければならない。

明らかなのは、最低でも日本酒を抜くところをところどころにちりばめないと、身が持たないと言う事だ。

とりあえず目の前の事が大事である。今日はなんとか、ビール少々と薄めの焼酎だけで切り抜けたいと思っている。

師走の航海を後悔に終わらせないために、頑張ろう!

2011年12月 3日 (土)

タダの隠れ蓑

12月1日から東北地方のほとんどの高速道路は、全ての車両が無料になった。何時決まったのか知らないが、パッパと仕組みが変わる。

ETCでOK、被災者割引も要らないで一切、タダ。と、言えば聞こえはいいが被災者割引というのが使えなくなって、東北地方の高速道路を一歩出るとちゃんと有料になり、既定の料金がかかる。

これまで被災者割引を利用すれば会津若松から遠く九州までも高速を下りなければ無料で行けたが、そんなのはもう無くなったという訳だ。

東京から東北地方に来る場合も、一見無料の様な気になるが、東北までの高速料金はちゃんとかかる。東北に入れば無料という事だ。こっちから行くのも、結構かかります。

もう土・日の千円割引もないのだから、実際は相当な値上げというか、元に戻ったと言う事だ。

被災者割引は来年の6月までという話を聞いたが、それもなくなり無料化という隠れ蓑で高速道路は普通に高くなってしまった。

被災三県を往復するのは確かに無料だが、なんかうまいこと騙されているような気もする。

第一、民主党政権って全部の高速道路無料化を謳って政権交替したのではなかったのかしらん?確かそうだったような気がするけど覚えてますか?もう、そんなことおくびにも出さない。

それが土・日の割引も何もなくなり、無料化どころか自民党時代より高くなっちゃったんじゃないの?違うのかな???

ウソも方便とは言うけれども、あれもこれもそれも、みんな正しい道に引き戻すための方便だったのだろうか?そしてこの国は正しい道を歩んでいるのだろうか?とてもそんな風には思えない。

『被災者割引証明書』・・・あ、これは昨日まで、もう要らないの、紙クズです!って感じで大事なことが、なんだかコロッと変わってしまう。

年金?あ、それはこの間で止めたの。あとは自分でやってね。

健康保険に介護保険?あー、惜しかったね、それも昨日で終わり。もう破綻しましたからチャラ、という事でヨロシク!!

なんかまんざら笑い話でもない様な・・・・何となく怖い。

2011年12月 2日 (金)

逆・人生の楽園

「人生の楽園」というテレビ番組がある。都会の暮らしに疲れた夫婦が田舎で第二の人生に踏み出すと言う例の番組だ。

長年の夢だった蕎麦屋を山の中に開いたり、パン屋さんを始めたり、ペンションを建て自然と共に生きて行くと言うパターンが多い。

これはその逆の話しで、私の友人のアイデアなのだが、我々の様な田舎暮らしをしている人間が定年を期にしばらく都会で住んでみる、というのも面白いかもしれない。

特に東京などはありとあらゆるものがあり、文化的にも大いに楽しめるし、自然探索のように街歩きも楽しみは尽きないだろう。

夏は避けたい。都会の夏だけはまっぴらごめんだ。9月の末から5月の末ぐらいまでだろうか。ひと通りの家具の付いたウィークリーマンションを長期で抑える。

そこを基地として、東京で暮らすのだ。浅草あたりの下町がいいかな・・・。

足に合った歩きやすい靴を求め、背中にはリュックを背負い。毎日、東京の街を夫婦で歩きまわるのだ。江戸の古地図などと見比べて歩けば、東京はかなり探検し甲斐のある街だ。この探検、遭難の心配はないし、いたるところで食糧・飲料の補給は出来る。

また、美術館、博物館、演劇やコンサート、落語に歌舞伎etc.これまた文化・芸術・エンターテイメント、楽しもうと思えばなんでもある。

問題は田舎より金がかかる点だが、それも考え方だ。退職金をはたいて第二の人生に賭ける事を思えば、その半分も掛らないだろうし、もし飽きれば切り上げて「ああ、やっぱ会津が一番良いわ」と、元に戻ればいいだけだ。

「逆・人生の楽園」田舎暮らしに疲れて(飽きて)東京へ。足腰も丈夫になって頭も刺激的になってかなりいいかもしれない。東京でいかに金を使わずに身も心もリッチに生きるか?そのチャレンジ自体を楽しみにする事も出来る。

問題があるとすれば、連れ合いに「そんなに四六時中一緒に居るのはまっぴら御免!」と言われたらどうするかだ。

2011年12月 1日 (木)

2/2・二分の二

中島みゆきさんの「夜会」というステージを、東京赤坂のATCシアターで観てきた。コンサートともミュージカルとも芝居ともつかない中島みゆきならではの不思議な世界。なかなか手に入らないプラチナチケットと言われるチケットが手に入ったので思い切って出かけてきた。

前から5列目、最高の席だと思っていたが、オケピにバンドが入っているため最前列になっている。いくらなんでも少々前過ぎの感あり。

「夜会」始まりが8時と遅い。赤坂サカス周辺にはレストランが沢山ある。軽く食事をし、あまり飲みすぎないようにする。特にビールでトイレ通いはいただけないので、注意。

開場を前に長蛇の列、入ればロビーのグッズ売店にも長蛇の列だ。売店では「夜会カクテル」なるものも売られアルコールもOKだ。が、自重する。

いよいよ開幕。物語はジャスミンと呼ばれる姉妹の物語、セリフはなく、かと言ってミュージカルの様にセリフを歌うわけでもなく。中島みゆきのオリジナル曲で進行する奇妙な舞台、始めは少々戸惑ったが、次第にその世界に引きこまれていった。

ジャスミンは生まれてこなかった双子の姉妹。妹は生を受け、姉は死産となった。ジャスミンはまつりかの花、マリとリカという少女。生を受けたリカの人生に死んで生まれた姉・マリの影が暗く付きまとう。

幸せになれない、なぜか幸せを遠ざけてしまう女、中島みゆきの得意な世界だ。

マリの幻想から逃れ、恋人からも離れ、ベトナムへと旅立つリカ。主人公のリカがもちろん中島みゆきだ。

歌い紡がれる物語、バンドもコーラスも最高にうまい。他の出演者がカツラの下にセットした小さなマイクなのに、中島みゆき一人はかたくなにハンドマイクで歌い続ける。彼女が歌う時だけコンサートの一場面になる。

このステージは三度目の再演だという。クライマックスでは、死んで生まれた姉・マリが今を生きるリカと同じ姿で現れる。そして、姉として妹を苦しめ続ける幻想を追い払う。

『生き残ったあなたには何の罪もない。あなたは私の分まで強く生きなさい!』

まさに、多くの人々を津波と地震にさらわれ、今も大きな喪失感と絶望にさいなまれ続けている傷ついた人々への渾身のメッセージかぶさる。

「我々、生き物がとんでもないことになってしまった今年」(中島のことば)彼女が傷付いた人々へ、一番届けたかったメッセージだろう。

リカに向かって力強く生きろ!と歌う中島みゆきの声は、歌を越えたものがある。

時に野太く絶叫の様な歌い方、圧倒的な声量が劇場を包み、観客を鳥肌立たせる。涙がほほを伝う人も多くいた。

終了は10時半、全席指定。全席2万円のちょっとリッチな一夜ではあったが、十分に納得のいく夜ではあった。

会津を午後に出て観劇、ゆっくり食事をし1泊。翌日は美術館に足を伸ばし、銀座で少し買い物をして、年末ジャンボ宝くじを買い(丸の内のチャンスセンターはなんと3時間待ちで断念)夕方には帰若・・・思えば便利で豊かな「時代」になったものである。

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