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2011年11月

2011年11月29日 (火)

それじゃダメじゃん

土・日と東京方面に研修旅行に行って来た。素晴らしい天気でスカイツリーも、富士山も見えた。その内容はいずれ書くとして、帰りのバスでちょっとしたハプニングが起こった。

会津まで1時間を切ったトンネルの中、走行中に後ろの座席の下から煙の様なものが出てきて、一瞬車内が白くなった。

「ぎゃー!」とまではいかなかったが、一瞬軽いパニック、ガイドさんも慌てた。が、運転手さんは、煙の状態や計器類を眺め意外と冷静、次の猪苗代インターで降りると走り続けた。

一瞬、煙の様なものは出たもののその後は出てこない。乗客は全員前の方に移動し、猪苗代で高速を降りて、すぐに点検をした。

車体に目に見える異常はない。恐らくは空調の不調で一瞬、トンネル内の排気を吸いこんでしまったのではないかとの判断、念のため下道を通り若松を目指す事になった。

以後はバスの中の臭いも収まり、一気に車内の空気も和んだ。

一瞬、パニくったガイドさんもさすがベテラン、マイクでハプニングを笑いに変え、自慢のノドまで披露、暗い49線を走る車内は笑いの渦に包まれた。なかなかの危機対応さすがAバス会社さん!と感じた。

笑顔の内に到着、運転手さんの丁重なお詫びがあり解散、私は駅から同じコーポレートカラーのAタクシーに乗った。我々市民はAバスもAタクシーもA乗合自動車という一つの会社だと思っている。(そうじゃないのかどうかも分らない)

そのAタクシーのドライバーに先ほどのハプニングを話すと「かっ、それはひでえなし!」とまるで人ごとのように(他社を批判するように)言うではないか。

あんまり荒い物言いなので「え?・・、バスとタクシーというのは交流とかないわけ?」と聞くと「まったくねえなし、ねえって言うよりバスの運転手とタクシーの運転手は水と油だなし!」と言うのである。

水と油って、仲悪いってこと?と思ったがそこまでは聞かずに黙って呆れた。

確かA乗合自動車は現在、民事再生法の適用を受けて会社の再建中のはずだ。その会社のタクシードライバーが、自社(グループ)のバスの対応をかばうどころか、けなしているようでは、この会社の再建の道が上手くいっていない(相当険しい)事は素人にでも察しが付く。

バスとタクシー、力を合わせて会津観光、会津振興の先頭を走らない事にはどうにもならないはずだ。互いに助け合い褒め合って必死で立て直す、そうした姿勢が感じられないのでは「なあんだ・・・・」と、市民の側も白けてしまう。

片やバスにはあんなにベテランの良い運転手さんもガイドさんも居るのに、仲間のタクシー運転手が足引っ張るような事を言う、それじゃダメじゃん!と思った、小さな旅の最後であった。

もうちょっとしっかりしてくれよA乗合自動車さん!

2011年11月26日 (土)

トンネル抜ければ

接待ゴルフというのは、する方もされる方もめったにないが、遠方から来られて、ぜひ会津でのゴルフを!と御所望の場合には当然お付き合いする。

25日はそんな日。折角、楽しみに来られるのだから大分前から天気予報を大いに気にしていた。しかし、どう見ても冬型のひどい天気だ。気温の急降下ばかりか雨もしくは雪、とてもゴルフどころではないという天気だ。

そこで前日に急遽、中通りのゴルフ場に場所を替えた。会津が雪の時も、ひと山越えれば中通りに雪はない。さらに浜通りまで行けば、太平洋側の晴天が広がる別世界という事になる。

が、浜通りは遠すぎる、新幹線沿線の交通の便から中通りにした。

朝、少し早めに会津若松市を出発。予報通りかなり寒く、冷たい雨もようだ。

高速を進めると八田野辺りから周りはうっすらと白くなってくる。すでに雪が積もっている。

ところでクルマは、まだノーマルタイヤだ。走るほどに辺りは真っ白に。道路にも雪が残っている感じではないか!

ゴルフ場へ着くどころか、クルマが立ち往生するんじゃないかと気が気でない。『雪道滑り止め必要』と表示があるが、実は雪国の人は滑り止めなど持ってはいないのである。

タイヤを冬タイヤに履き替えはするが、タイヤチェーンなどはここ数十年使ったことも、クルマに積んだ事もない。スタッドレスで走れない道は、チェーンを付けても同じことなのだ。

しかし、滑り止め必要の道を普通タイヤでお客様を案内するのは、少々無謀であった。(普通タイヤだという事は黙っていた)

トロトロ運転で猪苗代から四つほどトンネルを抜けると案の定、雪のゆの字も無くなった。東北自動車道に移れば、目指すゴルフ場方向の空は、鉛色の雲の下が明るく輝いているではないか。

ま、こんな風にこれからの季節、郡山から『国境の長いトンネルを抜けると雪国だった・・・』という、そんな会津になって行くわけだ。

御蔭様で風の冷たさは感じたものの、陽射しまで感じる接待ゴルフと相成った。

お客人も大いに喜び楽しいラウンドとなった。無事に目標を達成し、今月続いた一連のM作戦(内緒の)もつつがなく終了したのであった。

2011年11月24日 (木)

だんしがしんだ

「談志が死んだ」談志さん本人が付けた新聞の見出しだそうだ。

天才、風雲児などと言われるが、本人は噺家ではなく落語家だと言って落語に全生命をかけていた。

昨夜からテレビで高座の談志さんの姿を写しているが、落語の素晴らしさはなかなか映像では伝わらない。あれを見て知らない人は、どこが天才なのだろう?と思うかもしれない。

落語というのは、落語家がいてそれを聞く観客がいて初めて創り出されるものだ。客の雰囲気、笑い方、それらを巧みに操りながら落語家は独自の笑いの空間を作り上げてしまう。

客と落語家で作り上げるその時だけの芸空間、いわば再生不能な芸術なのだ。

確かにビデオやDVDを見ても面白い事は面白いが、ライブとは全く違う。

歌手はライブでも、スタジオのセットの中で一人で歌い上げたりも出来るが、落語家は客のいないところで落語は出来ない。ライブしかないのだ。

談志さんの落語を何回か生で聞いたことがある。一番印象に残っているのは今から5、6年前の会津文化センターでの独演会だ。

前座に続いて談志師匠の登場、一席目は世間話の様なものから社会情勢を織り交ぜ、ナンセンスな笑いに引き込んでいく、たしか演目のないような落語だった。しかし、それがすごかった。

最初は椅子に背中を預けていた観客が、次第に身を乗り出して笑う。さらに談志師匠の話術にどんどん引き込まれ手を叩いて大笑い、それも越えて、どっかんどっかんの大爆笑、終いには何を言っても笑い転げてしまう。「ああ、もうやめてくれ、腹が痛い・・・涙出る・・・」というぐらいの大爆笑だ。

わずか30分ぐらいで会場全体が立川談志の世界そのものになってしまった。それこそ大笑いだが、鳥肌が経つほどの感動も覚えた。

幕を入れて、二席目は古典の名作「らくだ」、あれほどナンセンスな落語もないが、談志師匠のらくだのカンカン踊りにこれまた会場は、割れるほどの笑いの渦に包まれた。

『やっぱり、談志はすごいなぁー!』と、つくづく思った。

幕が下りるその時に『ああ、面白かった、楽しかった』ではなく『止めないで、もっと続けて!』と思う事はなかなかない。それも落語で・・・。

あの時は談志師匠もよっぽど機嫌が良かったのだろう。終わった後にロビーに出てきて二言三言、言葉を交わして握手までしてくれた。今となってはプチ自慢の思い出だ

どんな名人、天才、問題児も必ずや年をとって衰える。至宝の芸は必ず消えゆく運命にある。だから、凄い、素晴らしい、と言われる舞台はチャンスがあれば出来るだけ観ておいた方がいい。

そして、やがて芸を育てた観客もまた消えていくのだ。合掌。

2011年11月23日 (水)

初冬ショット

もうそろそろゴルフシーズンも終わりだ。

急に冬将軍が勢いづいてきて、朝なんか0度に迫ろうとしている。フェアウェイも朝の内は霜が降りて真っ白だ。

会津磐梯カントリークラブも今月いっぱいで営業を終える。以前は雪が降るまでなんてこともやっていたが、維持管理費が大変で経営効率が悪いので、ゴルフが出来ても出来なくても11月いっぱいでクローズという事になった。

勤労感謝の日は久々の晴天になった。しかし、気温は低い。朝の内は風もなく穏やかだったが、午後になると青空なのに北風が強まった。

風が吹くと10℃以下の気温では一気に寒くなる。そして強烈なアゲンストともなると、もうどうでもいいような気になってしまう。

だからと言い訳するわけではないが、特筆する事もない当たり前のスコアで一日を終えた。100点。

結局このシーズン大分通ったが、全く進歩が無かったという事になる。仕方がない、これが現実と受け止めるしかないだろう。(ゴルフで100点は壁ではあるが決して誇れない点数である。むしろ恥ずかしいと言った方がいいかもしれない。テストの100点満点とは違う)

それでもやっぱりゴルフは楽しい。最後のラウンド、同伴競技者に恵まれ、これまた実に楽しく回る事が出来たのが救いだ。

これでまた来春まで磐梯ともお別れである。ちょっと寂しいが、北風が強まり天気予報に雪ダルマが顔を出すようでは仕方がない。

今年一年、お世話になりました。ありがとう!またね。

2011年11月22日 (火)

たのもしい人

司馬遼太郎氏の「21世紀に生きる子供たちへ」という文章の中に次のような一節がある。

『鎌倉時代の武士たちは「たのもしさ」ということを、たいせつにしてきた。いつの時代でもたのもしい人格を持たなければならない。人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである』

たのもしい=頼りに出来る。信頼できる。たくましい=身体が頑強である、とは似ているけど違う。たのもしい女性もいれば男性もいる、性別は関係ない。

たのもしさのベースは「人を思いやる気持ち」だろう。人に想いを至らせる事の出来ない人が信頼されるはずはないし、頼りにもされない。

たのもしさは独りでに備わっているものではなく、常に鍛えなければならないものだ。たのもしくあろうと努力しなければならない。だから武士たちはその精神を大切にしたのだろう。

信頼される人であるためには、自らを律し、常に自分を磨くサムライの心が必要だ。

たのもしい人は、もてる。

あの人はたのもしい!と思った時に恋心が芽生えたりする。その意味から言うとたのもしさは時に大いなる錯覚を伴うともいえるが、人の心をキュンとさせる。

「こんな人だとは思わなかった!」・・・たのもしさを錯覚した場合が多い。キュンとしただけ反動としての失望も大きい。そんな事を言われないように自分を鍛えなければならない。

『どうぞ、たのもしい介護者になってください!』昨日の介護者養成講座の卒業生に送った言葉だ。(自分にも言っている)

自分はたのもしいと言われる人間であるかどうか?そんな問いを時々は心に問いたいと思う。

たとえ「だらしない」「情けない」ところはあったとしても、たのもしくありたいと思う気持ちを失ってはならないのだと思う。

一体、今の自分は何人の人からたのもしいと言われるだろうか? 

どうです???

まだ紅葉の会津に急に冬将軍がやって来た。山々の上の方が、白粉を吹いたようにうっすらと白くなった。このところ気温のグラフは上がったり下がったりジェットコースターのようだ。どうしてもう少し滑らかにいけないのか!言っても詮無い文句が口を突く。

2011年11月21日 (月)

暖かい時の何倍も

福島県議会議員選挙が終わった。

現役の友人たちは見事当選した。おめでとう。新人の中で有望と言われた二人の内、一人が当選した。現役は一名欠員だったので結局は誰も落ちずに、欠員部分が前と同じ党の人で埋まったという事だ。

ま、復興のアクセルを踏まなければならない福島県で、その先頭に立たなければならない会津で、即戦力の議員が落ちなくて本当に良かったと思っている。

新人の方には精いっぱい頑張って、努力を重ねて欲しい。

南会津では新旧、入れ替わったようだ。新人は会津高校の同学年、遅咲きの新人だ。が、落ちた現役候補は知り合いの兄上、ちょっと心が痛い。

任期を重ねてきたのに信任を得られなかった。逆に多選が敬遠されたのだろうか・・・。今度会ったら何と言って慰めようか・・・気が重い。

『15万人が避難している福島県の選挙』と聞くと改めて事の異常さを思い知る。内5万人は県外だ。

果たしてこのような状況でこの県土が本当に「ふくしま」を取り戻すことが出来るのだろうか?と思うと暗澹たる気分になる。

特に今日のように冬型の時雨模様、あっと言う間に暗くなる夕暮れには気が沈む。

避難もしていない恵まれたこの身でもそうなのだから、故郷を離れた人の辛さはいかばかりかと思ってしまう。

これからは心のケアがますます必要になってくるだろう。

寒い時には身を寄せ合うように、暖かい時の何倍も想いを寄せ、被災者を忘れない事が大切だ。

あれほどに湧き上がった支援の心や人々の輪も、時が経てばどうしても薄らいでくる。それと寒さを重ねてはいけない。

下がりゆく気温は、カラ元気さえも凍らせてしまうから。

お願いしますよ!新たな県会議員のみなさん、暖かい時の何倍も想いを寄せて、復興の炎を燃え上がらせてくださいませませ。

2011年11月17日 (木)

来賓祝辞

先週の土曜日、久しぶりに結婚式に出席した。うちのボスが欠席のため、来賓祝辞のお鉢が回ってきた。

近頃の結婚式は、とんとん拍子に進む。新郎新婦の入場の後は仲人あいさつが、ひと昔前の常識だったが近頃は仲人がいる事自体珍しい。

従って仲人挨拶もなく、いきなり「御来賓の方から御祝辞を頂戴いたしたいと存じます。それでは・・・」と、なっちゃう。

やけに早いし、心の準備も何もあったものではない。『いきなりかよ!』と突っ込みを入れたくなるぐらいだ。

こっちも上がっているが、聞く方も結構カチコチだ。遠く末席で御両家の御両親が直立不動で立っている。

こうなると下手なジョークをかましても、くすりともしない。反応がないとますます、こっちも硬くなる。堅いのと硬いののぶつかり合いだ。

こんな時に「まぁまぁまぁ・・・」と場を和ませ、一気に聴衆を惹き込むほどの貫録も腕もない。だから嫌なんだ、トップバッターは・・・。

そう、バッターと言えば今日の新郎は野球部でも活躍、そっちの縁でも呼ばれたんだ。結婚生活を野球になぞらえた、朝の寝床で考えたにわか仕立てのあいさつを、受けようが受けまいが、やるしかない。

『①まず基本はキャッチボール、相手の胸めがけて直球を投げ合うそんなコミニケーションを大切に、くせ球は投げない。②常に声を出して言葉にすること。ありがとう、お疲れ様、愛してるよ、口で言わなきゃ分らない。多少大袈裟でも声に出して③盗塁は禁止④準備体操整理体操忘れずに、準備体操はあいさつ、整理体操は夜の・・・』という感じ、受けているのか受けていないのかもよく分からない。

『結婚とはお互いが世界一の仲良しになる事。夫婦が仲良ければ、家庭も、会社も、地域も、ひいては世界平和にもつながるでしょう』的な事を言ったはずだが、紙を読んだわけではないのでちゃんと伝わったかどうかは良く分からないが、おめでとう!と締めた。

大きな拍手は「早く終わってよかった!」というようにも聞こえた。

ま、一応は倒れる事も暴走する事もなく終わった。とてものどが渇いた。あとはひたすら飲むしかない。

いろいろとあった2011年だが、家族、親戚、仲間、友人、そこに居る誰もが笑い合える祝いの席はやはり良い、最高だ。

会津清酒も注入され、しばらくするとだいぶ調子も出てきた。

せめて、このぐらいになってからやらせてもらえれば、もっともっと上手に出来たのですが・・・・来賓祝辞。

2011年11月16日 (水)

超過してます。

今朝歩いたら磐梯山は雲に隠れて見えなかったが、西の博士山、明神ヶ岳の山並みは、上の方がうっすら白くなっていた。

雪が山の上にやってきた。会津はまさに冬隣りだ。

歩くにも手袋、ネックウォーマーがいるぐらいだ。朝歩き人口も徐々に減少傾向にある。特に毎朝、集まってお話をしてラジオ体操をしていたお年寄りグループは、この寒さでめっきり人数が少なくなり、もうそろそろ店仕舞いと言った感じだ。

TSUTAYAの前を通る。「準新作・旧作1本80円」ののぼりが冷たい風にはためく・・・この80円、最近辛い思いをした。

DVD1枚1週間レンタルで80円、実に安い。近頃は競争も激しく凄いところだと50円なんてのもある。

この間、見つくろって4枚借りた。4×80=320円、安い!

ところが1週間が過ぎて、ああ、そうだDVD!と、思い出した時には3日超過していた。(こういう事は極めて珍しい)ああ、また320円払わなくちゃいけない、と思って慌てて返しに行ったのである。

「スイマセン超過してしまいました」「ハイ、では超過料金が、、、2400円になります!」

心の中で『え、えーっ!ウソだろう!!』と叫んだが、全く顔色には現さず、悠然と3000円を出しておつりをもらった。

超過は1枚200円の4枚で800円、それが3日で2400円という事なのだろう。

1週間320円が3日で2400円じゃ合わねぇだろう!と思ったが、それがルールだ、バイトとおぼしき店員さんに噛みついてみてもどうなるものでもない。だったら、情けない顔して払うより、何事もなかったような顔して払った方がいい。

「あっ、そう」(僕はぜんぜん悔しくないよー的に)余裕をかまして、心で泣いた。財布も泣いた。

今朝の寒風の中、あののぼり旗を見て『もう絶対にレンタルの超過はしないぞ!』と再び心に誓った。そしたらスタスタスタスタとやたら足取りも早くなった。やっぱりまだアタマに来てるんだ、僕。。。。

2011年11月15日 (火)

同感の士

選挙期間中に何回か掲示板のポスターを張り替える戦術を取る陣営がある。バックの色も赤から青に変わったりして、新鮮味を打ちだそうという戦術だろう。

そんな中の1枚、ポスターの候補者の顔がなんだかふっくらして本物に近づいたように思えた。

まさか私の「顔のいじり過ぎは詐称ではないか?」なんていうブログのつぶやきが届いたわけではないだろうが、きっと世の中には同じように感じている人がいるものなのだ・・・。

いろんな人に言われて、やっぱり本人かどうかも分らないほどいじくった画像は良くない、と少し改めたに違いない。そう思うのは私だけ?それとも錯覚かな?

私がつぶやいた事がそのまま新聞に載って驚いた事もある。そのままとは大袈裟だが、ほぼ同意同語でだ。

今、超人気の芦田愛菜ちゃん、テレビのバラエティ番組に司会の一人として出ていた。わずか7歳の愛菜ちゃんを前にゲストが下ネタを連発する。これはひどいと思った。

それと同じ感想が新聞に載った。それもその時に私が発したのと同じ言葉を使ってだ。「これはある意味、幼児虐待である」と。

「オシッコ!」や「ウンコ!」と言っただけで大笑いするこどもの前で、非常に露骨な猥談を昼間っから繰り広げる。こどもは分るはずもないのに一応司会なので、多分笑えば大人は喜ぶんだろうな、的な笑いを見せる・・・まあ、健気というか可哀想というか、暴力を使わない幼児虐待のようだ。

親ならきっと怒るだろうと思う。いや、怒っていい、怒って欲しい。

キムタクの「南極物語」を見てこれはひどいなぁ、と思うと視聴率がどんどん下がる。いろんなところに同感の士はいるものだ。

ま、芸能界はともかく、おかしなことはおかしいと、不条理な事は不条理であると、間違っている事は間違っていると、小さくても声を上げる事は大事なことだ。つぶやきでもいいから、言わない事には同感かどうかさえも分らない。

素直でフェアな「同感集め」が選挙であって欲しいと思う。

しがらみや利権やお付き合いではなく、同感の士が集まって当選させた人が、その後の政治家人生も一番強いはずだ。

この一週間で誰がどれだけ多くの人を同感させられるか?これは見ものである。

会津はいよいよ時雨れていくか・・・だ。寒さが山から一気に下りて来たようなお天気である。

2011年11月13日 (日)

加工

先日、アマチュアカメラマンの方と話す機会があって、日ごろ疑問に思っていたことが氷解した。

それはデジタルなら何でもできるでしょう?ってことだ。昔のフィルムと違って、デジタル化された映像は自由自在に加工することができる。そんな中で、写真のコンテストなど開いてもどうなの?と思っていた。

デジタル技術、加工技術の優れた人がどんどんすごい写真を作ってしまうのではないか?写真の上手さ、優秀性をどこで測るのだろうと思っていたのだ。

聞けばなんのことはなかった。プリントの写真と一緒にオリジナルデータ(加工していない)を添付して提出することになっているのだそうだ。

要するにこれが私がシャッターを押したときの写真です。嘘偽りはありませんデータを添えるというわけだ。納得。

10日から福島県議会議員選挙が震災のため半年遅れで始まった。ここ会津若松市のある選挙区は定員4名に7名が立ち、なかなかの激戦である。

選挙ポスターや、いろいろな郵便物、チラシや名刺が飛び交う、そんな時にもふと思うのだが、この写真本物?ってことだ。

一体いつ撮ったの?と思うほど若い頃の写真だったり、明らかにいじくってるでしょう?と思えるぐらい痩せてスマートだったりする。

写真コンテストだっていじっちゃいけないのに、天下の公職選挙法では映像、画像に何の規制もないのだろうか?と疑問になる。

準備の都合もあるだろうからせめて1年以内の写真とか。顔面の加工は禁ずるとかあっても良い。学歴・経歴の詐称には極めて厳しいが、見た目の詐称はOKというのも現代のデジタル化社会には合っていないように思う。

ともあれ、ちゃんと仕事をしてくれて、この痛んだ福島県を、ふるさと会津を再生できる人に当選して欲しいと願っている。

新しい力や感性、それも大事だろうが、一から学んでコツコツと・・・というような余裕はこの今の緊急時にはないんじゃないかと思っている。

2011年11月12日 (土)

老いるショック

天下の巨人軍で内紛が勃発した。清武代表がナベツネさんに噛みついたのだ。大球団の内輪もめは、失礼ながら面白い。

この問題どっちもどっちだが、二つの要素を含んでいる。独裁の崩壊と老いだ。

独裁の崩壊というとあまりに大げさかもしれないが、エジプトの政権崩壊やカダフィ大佐の失脚、ひいてはオリンパスの不祥事やエリエール王子事件と同じ根っこでつながってる様な気がしてならない。

それはネット社会における情報の流出だ。また誰もが容易に情報発信をすることができる、一人の声は一人にとどまらないのだ。この流れは誰にも止められない。

情報を統制して絶対支配をするやり方は限界に来ている。情報を隠ぺいしたり操作し続けることは出来ない社会になっているという事だ。独裁者の悪行(悪行でなくても行き過ぎ)はいつかは必ず暴かれるのだ。

清武さんだって、自分でも言っているようにオリンパスの件やエリエールの件がなかったら、代表自らの内部告発などというカッコ悪い方法は思いつかなかったかもしれない。

絶対権力者に噛みつこうとする、それは噛みつける(噛みついて確実に相手にダメージを与えることができる)方法があるからやるのだ。やっても無意味なら誰もやらない。

現代では仮にマスコミが取り上げなかったとしても、ユーチューブなどネットに乗せてしまう事も出来るし、多くの人に発信する方法はいろいろある。一度こぼれた情報は大衆の中を飛び回る。現代の目安箱は強力だ。

とはいえナベツネさんの権力は絶大なので、清武さんは結局更迭されてしまうかもしれない。しかし、ナベツネさんの思い描いた江川ヘッドコーチ構想なるものが実現できなくなった事は事実だ。

そして、ナベツネさんも結局は無傷ではいられないだろう。

もう一つは、あのご高齢だ。ご本人にとっては判断能力も決断力も全く衰えていない、という事になるのだろう。本人の判断だから当たり前だ。

しかし、言葉も不明瞭、行動にも制約がある。あのようなご高齢で何時までも地位にしがみついて「良かった」という例をあまり知らない。

老いて人々の尊敬を集めるのなら素晴らしい事だが、老いて害=老害だと言われるようでは悲しい。やはり人間、引き際というものが肝心だろう。

大切なのは引き際が自分で判断できるうちに引く事だ。それを通り過ぎてしまうと周囲の遠慮を留意と取り違え「周りが言うから仕方がない・・・」などと我が身を省みることも、引く気さえもなくなってしまう。

それ以上に何が欲しいのか?と思うのだが、欲しいのではなく、手にしたもの(権力)を離したくない、それは老いるほどにますます強くなる、悲しい人間の性だ。

自分で自分をジャッジできるうちに、老いるショックだなどと揶揄されないうちに、それが肝心だとつくづく思わされるニュースである。

会津は昨日の雨がウソのように晴れた。今日は結婚式の御呼ばれである。

2011年11月10日 (木)

歩けば見える事もある

秋の日差しに赤瓦の会津鶴ヶ城が映える。まっ白い壁、温かみのある瓦の色、紅葉に良く似合い美しい。

朝歩きも段々時間が遅くなる。6時にならないと歩きだすような明るさにならない。お決まりのコースと体操でちょうど40分、ひと汗かくので、うかうかしていると時間がなくなってしまう。

夕方も、もう5時には真っ暗で帰宅後に歩く、と言うのもどうもその気にはならない。

そこで、街なかで飲み会がある時には、時々、歩いて行く。「え、飯盛山から歩いて来たの?」などと驚かれるが、実は大した距離ではない。盛り場まで大体30分から40分、それも下りだ。

30分程度歩くなんて言うのは、都会の人にとっては全く当たり前な距離だろう。それが田舎だと「わざわざ、歩いて来たの?」という事になるのだ。

一人に1台、クルマでドア・トゥ・ドア。歩こうとしないと全く歩かないのが田舎暮らしなのである。電車の乗り降りや階段の上り下りもない。

街なか空洞化の原因は郊外の大型店だと言われるが、どんどん歩かなくなったライフスタイルに起因しているところもある。

できるだけ街なかを通って通勤通学すれば(歩いて)自動的にある程度の賑わいは生まれるものだ。

大分以前、まちづくりを考える会議でこんな珍案を述べた事がある。

市の職員駐車場を駅前の遊休地にして、そこから市役所までは歩いて行く。そうすれば駐車場に行くまでの間に強制的に街なかを通らなければならなくなる。通れば、寄り道したり、買い物したりもあるだろう。

そして役所の駐車場は市民や商店街に開放してしまう。

それだけ歩くなら近い人は鼻っからクルマに乗って来ないだろう。みんなで毎日歩けば健康増進にもつながり、医療費の削減にもなる。

遠いと言うが歩いてせいぜい15分から20分だ、都会と比べればそんな無茶な話でもない。

ま、軽く却下されたが、歩行者が少ないというのが街の衰退の一因である事は確かだ。それならば人を歩かせる方法を考えなければ意味がない。

たとえ電線を地中化したりお洒落な歩道を設けたりしても、市民のライフスタイル自体が街を歩かないようになって来ているのだから、根本がズレている。

今日から始まった福島県議会議員選挙、クルマで駆け抜けるだけではなく、時には歩いて回るのもいいかもしれない。

いかに歩行者が少ないか、いろいろな意味で会津の街がいかに痛んでいるかがよく見える。

歩く事によって見つかる政治課題があるかもしれない。

2011年11月 8日 (火)

銀行

小説家・池井戸潤氏の作品をこのところ楽しく読んでいる。

とは言っても直木賞を取った「下町ロケット」江戸川乱歩賞を取った「果つる底なき」と、「空飛ぶタイヤ」読みかけ・・・と言ったところだが。

銀行員だった池井戸氏は銀行の冷徹な論理や大企業の横暴を描く。そんな銀行や大企業に翻弄されながらも、しっかりとした技術を持ち誠実な仕事を積み重ねる中小企業を暖かく見守る。

困難に見舞われ大変な苦労を重ね、何度も歯ぎしりを繰り返しながらもやがて、銀行や大企業をはねのける中小企業の姿はなかなか痛快である。

ちょっとした躓きに手のひらを返したように融資を打ち切ろうとする銀行。優れた技術を奪い取ろうとする大企業。その利益優先の人情もヘッタくれもないやり方にこっちまで頭に血が上る。

私はどうにも銀行員という人種が苦手だ。表面的には人が良さそうでカラオケが上手くて、酒に飲まれず盛り上げ上手。しかしその実、考え方はとてもクールだ。物事の考え方が皆一律に同じで、同じ物差しをもっているように見えて仕方がない。

それは命の次に、いや、時には命よりも大切な「お金」という物差しだ。

『私はこれまで一度だって返済を遅らせた事など無かったし、お宅の営業が来て今月苦しいと言われれば多少の投資や預金も言われるままにお付き合いしてきた。長い取り引きの間に築かれた信頼というものがあるのではないですか!』『・・・・とはいっても審査を通らない事にはなんとも』と、困った時にこそ手を差し伸べるのではなく身を翻し、止めを刺す、それがお金、銀行だ。

雨が降っていない時に傘を貸し、大雨の時に傘を取り上げるそれが銀行だ、と言う例えもある。

銀行員は何年か掛けて、銀行員になっていくのだと思う。組織全体が同じ物差しを共有できなければ銀行という組織からはドロップアウトしなくてはならない。そこは「義理や人情」などという言葉からは隔絶された世界だ。

勤めあげた時には立派なバンカーになっている。いたって人当たりは良いが、一般の人々(銀行マン以外の人々)とは心底交わろうとはしない(100%ではないですが相当な確率で)そういう感じだ。

30歳の時に土地を求めた。バブルの頃で払えなくなったら売れば良い、売れば多少は利ザヤが出るだろう、と言うそんな時代だった。

銀行の応接室で支払いを済ませ、司法書士の先生から土地の権利書を受け取った時に銀行の支店長さんは私にこう言った。「おめでとうございます。これであなたも一人前の社会人です」と。

あの時はなんだか嬉しかったのだが、今思うと、なんともいやらしい言い方だなと思う。

言葉の裏を返せば、土地も財産も持たない人を銀行というところは一人前の人間とは見ないのです、とも聞いてとれる。

あんまり銀行さんの悪口を書くとひどい目に会うかもしれない・・・。

私が言っているのではなく、池井戸氏の小説を読むと銀行というのはそういうもんだと思える、と言う話です。妙に得心が行くんだよなぁ、ホント。ぜひご一読あれ。

会津は気温が低下傾向、ようやく11月の本来の姿になってきたという感じの一日だ。

2011年11月 6日 (日)

百日祭

『尽和霊神』・・・会津松平家十三代当主・松平保定(まつだいらもりさだ)様の霊神号である。

人と人との和を尊び、多くの人に愛されたそのお人柄から十四代・保久(もりひさ)様が定められたものである。

雨の心配された11月6日、院内御廟において百日祭ならびに納骨の儀が執り行われた。拝殿で行われた儀式は午前10時から。

十四代当主・保久様、奥様の由布子様、そして十五代となる親保(ちかもり)様、ならびに60名ほどの関係者が集まり、式が執り行われた。

私は会津松平家奉賛会の一員としてお手伝いをし、列席させていただいた。

式が始まると間もなく雨が落ちて来た。式中は拝殿の屋根をたたく雨の音も大きく聞こえた。式が終わると同時にその雨も上がった。まさに大殿を送る涙雨の様だった。

保定様とは父の代からの御縁である。会津松平家を守って行こうと昭和20年に設立された(財)会津保松会、父も長くその会員であり、父が亡くなった後は私も末席に加えていただいた。

保定様とはこどもの頃から何度となくあいさつをさせて頂いたが会うたびに「なんと立派なお顔で役者のようだなぁ」と感心していた。

長じてお話をさせて頂くようになると、全く気取ったり偉ぶったりされる事がなく、大変に気さくなお人柄だった。

冗談もよく言うし、茶目っ気のあるところも見せられた。みんなを笑わせ、その場を和やかな雰囲気にする事が大好きだったように思われる。

一見、いかにも殿様然とした立派な風貌とのギャップが、多くの人の心を虜にしたのではないかと思う。保定様をそのまま「ほてい様」と呼んだニックネームもなんとなくお人柄を感じさせる。(もちろんご本人を目の前にそんな事は誰も言わないが・・・)

保定様は、「会津」と「皇室」との橋渡し役となる事をもっとも大切な役目とされ歩んでこられた。(昭和天皇の弟君に嫁がれた秩父宮妃勢津子殿下とはいとこ同士にあたられる)

一度は朝敵の汚名を着せられた会津の汚名をそそぐという大事を、その一生涯を通じ、人々の輪と穏やかな笑顔の中でなされた、と言って過言ではないように思う。

昭和天皇の御大葬の際には祭官に任じられた事を、一生涯の名誉であると喜ばれたという。

雨の御廟はすでに木々も色づいていた。美しく静謐な霊気漂う中、山頂近い松平家の墓所に十四代の手によってその御遺骨が収められた。

愛し続けた会津の地に「尽和霊神」となられて静かに帰還されたのである。

2011年11月 5日 (土)

拝啓ユーミン様

拝啓ユーミン様

今日はあなたの初めての会津公演ですね。あなたが會津風雅堂の様な小さなホールでツアーのコンサートをやるのは珍しいこと、きっとこれも東日本大震災の影響でしょう。

会津公演のニュースを初めて聞いた時は我が耳を疑いましたが、すぐにネットで調べてぴあの先行予約に申し込み、チケットをゲットする事が出来ました。

先回、あなたを見たのは仙台のグランディ21という大きなホールでした。あのホールは今回の震災で遺体収容所になったそうです。あなたのショーをやったホールに数えきれないほどのご遺体が並ぶなんて・・・本当に世の中何が起こるか分らないものです。

私が初めてあなたを見たのは京都会館でした。全くの新人の小娘がキャラメルママというバンドと共に出てきて、下手くそな、それでいてどこか新しくてカッコイイ歌を聞かせてくれました。グリーンのジャンプスーツ、細身で背の高いあなたは、指にはさめばポキッと折れそうでした。

当時のキャラメルママは細野晴臣さんや、坂本龍一さんも居たのかな?とにかく凄いメンバーで、荒井由美は日本の新しい音楽界のシンデレラなんだ!と言う事を彼らの音が教えてくれていました。

それからは洋楽に浸りながらもユーミンだけは良く聞いた。

聞いたというか、若い学生たちの周りにユーミンの歌がごく普通に溢れていた。学食やパチンコ屋、雀荘でも聞いたしクルマの中は決まってユーミン、8トラの弁当箱みたいなカセットをガシャッと差しこんで飛行機雲を眺めてた。

脳天気な若者は中央フリーウェイを走り、スラバヤ通りや香港ナイトに心打たれ、スノー&サーフな青臭い時代を駆け抜けた。

やがて・・・年甲斐もなく、なんて言われるようになった近頃は、同い歳の貴女のパワフルなステージに勇気や元気をもらったりするようになったという訳だ。

あの震災後、民放でやったピュアな音楽番組に出た貴女は初めから涙をこらえられずにいた。被災者と同じようにまだ震災のショックの中にいた。

涙ながらに歌った春よ、来い!本当に佳い人なんだなぁ、と思った。

貴女は私を知らないけれど、私はあなたを良く知っています。そんなあなたがこの街、会津に来てくれるなんて、実に嬉しい。

地震は憎いけれど・・・そのお陰でこんな素敵な事も起こるわけだ。

時間は決して戻せないけれど、こんな風に小さな良い事を少しづつ積み上げながら、前に進んで行くしかない。

ユーミンの歌に心ときめかせ、誰もが明日を夢を見ていた。そんな平和な、上り調子の日本に、あの日に帰りたい。

2011年11月 4日 (金)

気が付けば

ふと、これまでの記事数を見たら600と記されていた。なんと600回も駄文を書き連ねたことになる。ちりも積もれば・・・何にもならないが、なかなかの数だ。

そもそも、このブログを書こうと思ったのは、トレーニングの意味合いが強かった。

頭の回転速度が明らかに鈍くなっているという自覚症状を感じたからだ。

もの忘れが頻発すること。何よりも乾杯や辞令交付などちょっとした挨拶をした時に、終わった瞬間に「あ、ああ言えば良かった!あれを言い忘れた!しまった抜けた!」などという事ばかりなのに嫌気がさした事が大きい。

皮肉なことに「あ、失敗した」と思ったとたんに良いフレーズが湯水のごとくに湧いたりするのだ。頭がその場で回転せずに、凄くテンポが遅れて回り出すと言うこのもどかしさ・・・。

加えてゴルフなんかもやるたびになんだか点数が増えて来る。ボーリングじゃないんだから!と言われる始末だ。どこか衰えによる欠陥があるのだろうと思った。

少しでもそんな頭の回転を良くするためにブログでも書いて修行するか!というのが始まりだった。

従ってできるだけ早く書く。寝床や散歩の時に浮かんだ事を、15分か30分程度で一気に書く。浮かばなくても唸らない。「今日はあったかい」とか「秋になった」とか書き出してしまってどんどん続ける。話が広がらず続かなければあきらめて消去、夜中でも早朝でも仕切り直す。修行だから・・・。

そんな感じで続けてきたが、トレーニング効果の薄い事はなんとなくすぐに分った。もっと根本的なところに問題があるようだ、と早々と気付いてしまった。

実はもう一つの実験的な試み(エラそうに)もあった。会津の事だけ書き続けたら、会津に魅力を感じる人が増えて、ほんの少しでも会津が活性化するのではないか、というような壮大な夢想だ。

しかし、誰もが会津に会いたくなるような事ばかり書くと言うのはなかなか難しく、ここ数年のあまりにもひどい政治状況や異常気象、そしてあの東日本大震災と放射能で、会津のPRばっかり書く事は出来なくなってしまった。

結局ブログ本来の、思いつくままその日の日記状態になり600回を数えたという訳だ。

この先は全くのノープランだ。連続記録はこの夏に途切れさせたので気は楽、修行の使命感のようなものはとうに無くなった。

何人か決まってのぞいてくださる方も居るようだ。遠く離れて少しは会津の匂いを感じてくれる方も居るようだ。そうした手ごたえは嬉しいし、励みにもなる。

ま、気負わず気楽に・・・今日が601回目という訳である。

2011年11月 2日 (水)

今こそ地産地消

「美味しそうなパンがあったから買って来た」「あら?ごはん食べるんじゃなかったの?」「なんだっけ・・・?」

もう忘れている。そうであった。先晩、テレビのニュースを見ていたく心を痛めたのだった。

福島県産の米、放射性物質は全く検出されずに安全宣言が出されたにもかかわらず、風評被害に遭っている。東北の新米、新潟の新米が並ぶ中に福島の名前はない。心の中で「フクシマ」に変換されてしまい、敬遠されているのだそうだ。

福島の米の卸問屋の倉庫にはうず高く積まれた新米の袋があった。それでもそこの社長さんは、借金をして新米を買い付けている。福島の米を守るために農家に作付けを薦めたからだ。安全な米が出来れば買う、と約束したからだ。

そのニュースを見て「こういう時こそ地産地消だ!!」と、私は酒の酔いも手伝い、いきり立ったのだった。

「パンなんか食ってる場合じゃねぇ、朝はパン!が聞いて呆れる。200万県民みんなでご飯を食べて福島の米、会津の米の消費を増やすべきだ!」と、息巻いた。

「でも、私はパンでいい」と、家人は冷めていた。

「そういう根性がダメなんだ!」「だってちゃんと新米を買っていろんなところに送ったし、会津の米を食べてますけど」「だけどもっと食うんだよ」「勝手に食えば?」というようなやり取りがあったのに・・・すっかり忘れて息巻いた本人が美味そうだとパンを買ってきてしまった!

なんとトホホな話だが、やっぱり今こそ地産地消は大事だ。毎日とは言わないまでも二度に一度でもお米の朝ごはんをみんなで食べれば、あの山積みされた米の一パレット分ぐらいはペロリと無くなるだろう。

まずは地元、福島・会津の米を食べる。ナントカ産の美味しいお米はこの際置いといて、福島産で十二分に美味い。福島を「フクシマ」にしないためにバクバク食べることだ。

パンやラーメンをやめろ!などと過激な事は言わない。二度がダメなら三度、いや四度に一回でも良い。福島の米にシフトしよう。

『今こそ気合を入れた地産地消が大事な時だ!』

・・・すぐに忘れてパン買って来た人に言われたくない・・・と言われてます。

2011年11月 1日 (火)

良い時もあれば・・・

昨日、南会津下郷の山間部を走ったが、紅葉はパッとしていなかった。しっかり始まったという感じもなく、ただうすぼんやりと色付いている感じだ。

裏磐梯は見頃という案内が出ているのだから、下郷辺りも、もう少しきれいでもいいような気がするがいまいちだ。

気温が下がらない、下がらないと言うかメリハリの利いた秋の気候になかなかならない。

朝晩は放射冷却で厳しく冷え込み、朝霧の中、陽射しが徐々に出て昼間は抜けるような秋空が広がる。最低気温が8℃を下回るのが紅葉の目安だと言う。そんな典型的な秋の天気が続かない。

寒暖の差が大きければ大きいほど、色も鮮やかになる。ボーッとぬるま湯の中に入った様な秋では、目に鮮やかな紅葉は見られないと言う事なのだろう。

作家・司馬遼太郎氏は会津の紅葉を、壮絶な戊辰の歴史と重ね合わせ「雄大で悲しいまでに美しい」と評されたという。

冬を前に燃え上がる山々は、我が身を焼いてまでその想いを告げようとする美女を思わせる。厳しい会津の冬を思えば憂いを秘めた美しさとも言えるだろう・・・。

今年はまだ、その息をのむほど美しい紅葉に出会えていない。

朝の散歩道、桜の並木も大分色付いて、はらはらと散り始めている。真っ赤というのではなく鮮やかな濃い橙色、一葉一葉、絶妙な色合だ。

立ち止まって手に取ると思わず見とれる美しさだ。全山の紅葉も良いが、一枚の落ち葉の中にも紅葉の宇宙はある。

いまいち・・・などというと大自然に怒られてしまうかもしれない。ま、良い時もあれば、悪い時もある、それが自然の流れというものなのだ。

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