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2011年10月

2011年10月28日 (金)

二日酔いの事

酒を飲みすぎると二日酔い(宿酔い)になる。

若い頃は、歯止めが効かないので、飲むたびに二日酔いを経験した。

さすがに晩酌はしなかったので毎晩という訳ではない。週に一回か、十日に一回、友人と酒飲みをすると決まって、(汚くて恐縮だが)吐くまで飲んだ。

学生時代はガレージの二階の安い(安すぎる)部屋に暮らしていた。窓の外は隣家の垣根と数メートル開いていた。そこに窓の上からよく吐いた。(ゴメンナサイ)

それで栄養がよかったのだろう。夏草が二階に届くほど伸びて来たので驚いた・・・。

歳を取るとさすがに飲むたびに二日酔いになるほどは飲まない。第一、そんなに頻繁に二日酔いになっていたら体が持たない。

この歳になると自分で意識的にセーブしなくても、ひとりでにピッチが落ちて、よっぽどじゃないと吐くまでと言う事はない。記憶の内だと年に1回あるかないかだ。(あるだけバカだ、という話もあるが)

大体は日本酒、会津清酒の飲み過ぎによる沈没が多い。

近頃は良い酒を冷やして飲むので口当たりがよくどんどん入る。話が弾んで調子に乗ると時に酔いを追い越して飲んでしまう・・・すると「しまった!」と思った時には酔いがドカンと覆いかぶさって、取り返し付かないー!という事態になってしまうのだ。

つい先日、私ではないが友人のN先生が潰れた。

ゴルフの後で気持ちよさそうにビールをクイクイいっていた。その後に、少し日本酒を、という事になったのだが二階の座敷だったため、面倒くさいからと店の主人が、新しい「会津娘」の一升瓶をそのまま置いて行ってしまった。

それはいかんでしょう!五人いたが、もうみんなすでに出来上がっている。なのに一升瓶が見る見る減っていく。

私は、翌日もゴルフだったのでさすがに自制心が少し働き、水(和らぎ水)を同時にがぶがぶ飲んだので、難を逃れた。

他の三人は大酒豪なので話は別格、なのにN先生はついつい調子に乗ってしまったのね。

一升開けてもなお、次はワインを飲みに行こう!などと言ったりして見事に撃沈した。(らしい)

大したものなのは終始にこやか、千鳥足ながらなぜか堂々と胸を張り歩く。家まで送ったが上機嫌で別れ、その後に沈んだらしいのだ。

「夕方まで吐いてました」「アハハ、私もコンディションは最悪でしたけどね」「ところで私の家に見慣れぬジャケットがあるのですが・・・・」「え?」

と、自分の上着を見ると見慣れぬダンヒルの高級ジャケットに変身してるではないか!

似てるところと言えば色ぐらいなものだ。シングルとダブルだし、生地の感じもまるで違う。第一、私の体のサイズから言って間違えるはずがないのだが、なぜか現にこうしてここにあるのだ。

・・・・秋も深まり、こんな酔っ払いが増える暮れの予定が少しずつ入り始める頃となった。たった今、忘年会第一号を手帳に記したところである。

2011年10月27日 (木)

柿の頃

身不知柿を作っている友人から今年も柿の案内状が届いた。

会津の柿はセシウムなどの放射線物質は一切検出されずに安全であるとの事。室井市長の名前も入った『大丈夫ですよ』のチラシも同封されていた。

私は身不知柿が大好きだ。あの爽やかな甘さ柔らかさ、種のないところなど、昔から馴染んでいて、甘柿よりも初めは渋い身不知柿の方がずっと好きだ。

酔いざめの朝などは特にいい。重い頭を抱えて柿を頬張ると「まったぐ!、身の程知らずに飲むからだ!」と、身不知柿に怒られているような気分になる。

従って、大丈夫!の知らせはとても嬉しい。

一方、中通りのあんぽ柿は基準値以上の放射性物質が出て、今年はあの有名な干し柿も作る事が出来ないと言う。先日テレビのニュースでやっていた。

たわわに実った柿を見上げ「いやー、これほど良い実がなったのは何年振りだ。皮肉なもんだ」と、柿農家の方が嘆いていた。

出荷できないからと言って、実を取らないわけにはいかない。あれだけの実を採るのも大仕事だ。報われないだけに辛い辛い作業だ。心からお見舞い申し上げるしかない。

キノコ類もそうだろう。出荷できないからと言って全く採らなければ来年にも影響するに違いない。今年は人知れず廃棄される松茸が山ほどあるのかもしれない。(ちょっとぐらいなら食べたい)

放射能は全く目に見えず、色も匂いもない。透明なだけにキツネにつままれているような気にさえなる。ダメですよ、と言われても生産者がそれを受け止めるのは容易な事ではないだろう。

手塩に掛けた産物が捨てられる・・・いくら補償をもらったからと言って耐えられるものではない。

でき得るならば、この一年で思い切って放射能を吸いこんで、あとはもうきれいさっぱり無くなってくれるよう、神様!その辺りよろしく御取り計らい願えないものだろうか?

2011年10月26日 (水)

前に進む

昨日の東京は暑かった。夏日、27,8度はあったのではなかろうか?芝の増上寺近くのホテルで行われた「震災復興支援シンポジウム」に出席した。

シンポジウムでは実際に被災した老健施設の看護部長や施設長が実体験を語った。

猛烈な津波に襲われた陸前高田、そして女川、原発から避難したいわき、いずれも生々しい映像を交えて惨状を伝えた。淡々とした語り口だが、実体験だけに心に迫るものがある。

一人の入所者も大津波の犠牲になることなく、震災後の体調の急変もなかったと言う。まさに奇跡だ。

多くの家族、友人、同僚を失った中で、入所者の安全を必死で守ろうとした姿には頭が下がった。いかに職業上の使命とはいえ、人間はかくも強くなれるものかと感動すら覚えた。

あの3・11からの数週間、日本中の人々が災害の恐ろしさに震え、自分の心と向き合わなければならなかった。

「自分は何をなすべきか?」「自分には一体何が出来るか?」「これからどうすればいいのか?」「何が正しく、何がウソなのか?」「今、大切なものは何か?」

無数の問いが列島に溢れ、涙と怒りの中で人々はその答えを探し続けた。そして、あの日から7ケ月の月日が流れた・・・。

『生きるなら前に進むしかない』あるシンポジストのそんな言葉が心の芯に響いた。

それは、がれきの中で見つけた真実だろう。だが実は、地震で崩れてはいない全ての世界にも言える真理なのだ。

人は立ち止まって、風化に晒されながら生きていく事は出来ない。何もせずに生き残る事は出来ない。生きるためには食べて飲み、出すものを出して、前に進む以外に道はないのだ。

残酷な傷口は時間のベールが優しく少しづつ覆い隠していく。あれほどショッキングな出来事さえ時に夢・幻のように思える事がある。

けれども確かな事。会津だって、あなただって、私だって、生きるためには前に進むしか道はない!

2011年10月23日 (日)

天使

会津の山々の紅葉もようやく麓へと下降して来ている。今年は「赤」がダメだと言っていた人がいたが、根拠の程は分らない。

この週末の連休、会津各地では非常に多くのイベントが開催された。そんなに沢山やって集まるだけの人が会津にいるんだろうか?と心配するほど多くのイベント情報があった。

土曜は雨が落ちたが、日曜はまずまず。両日とも寒くはなく、暑いぐらいの気温だった。

どのイベントも『元気と復興』を掲げる。東日本大震災、そして奥会津豪雨の被害からの立ち直りをみんなで願い、元気を送る。

会津の新米、果物、キノコ、どれも大丈夫だが、このところ「地産地消」という言葉はなりを潜めた。いつ何が起こるか分らないドキドキ感が「地物だ!」というアピールを少しトーンダウンさせているのだろう・・・。

食品の安全と言えば今や放射能の事ばかりになってしまったが、本来の残留農薬や衛生管理、表示の正当性、偽装などは大丈夫なのかな?と思ったりもする。

この際、放射能さえなければ大丈夫!という雰囲気が充満している。これに乗じて抜け駆けする悪い奴がいない事を祈りたい。

現代の情報化社会に向けて悪事を企む奴は実に頭がいい。その頭を良いことに使えばもっと楽に儲かると思うのだが、どうも悪い方にばかり頭が向くようだ。

『天使のように大胆に、悪魔のように繊細に・・・』という言葉があるが、良い人は総じて大雑把な事が多い。自分が思いもつかない事は、人も考えないと脳天気に思っている節がある。

お人好しは簡単に騙されてしまうのが現代だ。騙される方も悪いというような風潮さえあるが、騙すほうが悪いいに決まっている。

紅葉からなんでこんな話になったのか分らないが、天使が傷付かず、悪魔がはびこることなく、数多くの天使が元気に羽ばたく会津の秋であって欲しいと願う日曜日である。

2011年10月21日 (金)

大丈夫だ!

「正しく恐れる」とは、放射能に対して良く言われる言葉だ。しかし、これはつくづく難しいと思う。一旦、恐ろしいと思った人の心から恐怖心を消すことは容易ではない。まして元のように戻る事は、その人が生きている間の時間では絶対になく、たとえ微量であっても出てしまった放射能はもう消えない。

各所で放射能に対する講演会が開かれる。内容は総じて会津は安全、危険と感じるレべルではない。水、食料品なども検査体制が整っており出回っているものは安全、要らぬストレスを感じる事の方が健康には良くない、と言うことになる。

そんな講演を聞いた後でも決まって怯える人の質問が出る。

「春以来、一滴も水道の水は飲んでいないが大丈夫か?植木に水をやるのも怖い、植木鉢を屋内に入れても大丈夫か?」と、言うような極端な質問が出る。

たった今、大丈夫と言っても「絶対か?」の問いが返ってくる。気にするレベルではないと言っても「全く健康に影響はないのか?」と聞き返される。

物事に絶対はないのでゼロとは言えない講演者の「心配は無いと思います」という答えでは納得できない、全く耳に入らない、芽生えた思い込みを消す事は出来ないのだ。

先日、会津若松市の放射能低減活動に対する補助事業の説明会が各区長にあった。

冒頭、担当者は会津若松市の放射能レベルの低さ、安全性を説明する。そして、それでもどうしても除染したいと言う町内会や団体には補助金がありますと説明した。

要は、会津では除染活動は必要ないと思われるがどうしても心配でやりたいと言う人を無視する事は出来ない。そのために補助金を出すという話だ。

条件は、作業前と後の放射線量を必ず測定する事。もし大量に土砂を剥いだ場合は、その一時保管場所は町内で定める事。大量の土砂は市では受け取らないと言う事だ。

まるで公園の土砂を剥いで集めて、公園の隅にホットスポットを作るような話だ。

それも雪が降りだす前までにやらなければならない。なんともまぁ拙速で、現実味のない補助制度だ。

不安のある人を無視できないと言うお役所の立場も分るが、こんなやってもやらなくても良いことに大変な労力をかけても仕方がないように思う。

ようやく落ち着いた池の水をごぼごぼにかき回して、要らぬ恐怖心を再び煽ることにもなりかねない。

時間が流れると、今が非常時であるという事を人々も指導者も忘れてしまう。

非常時なのだから「安全は安全、大丈夫は大丈夫」と言い切っていいのだ。たとえそれが「絶対か?」と問われても、「絶対なんか何処にもない、けれども会津は安全だ!」と言って人心を掌握していかない限り、この危機から脱出なんか出来るはずがない。

みんなの意見を聞いて、皆さんの納得がいくように、なんてことばっかりやっていたのでは物事はちっとも進まない。それも時には大事だろうが、今は非常時なのだ!と忘れない事の方がもっともっと大事、みんなでここから抜け出さなくてはいけないのだ。

そのためにはリーダーシップが必要、「俺が大丈夫と言えば、大丈夫だ!」という大きな牽引力・推進力が必要だ、と誰もが思っている。

「なんちゅう野郎だ!」と呆れられるぐらいの、信念に裏付けされた強引さが危機のリーダー(会津のリーダー)には求められている。

2011年10月19日 (水)

バカヤロー!

「逃げなかったバカがいる・・・」と大臣が言ったといって問題になっている。

別にその大臣を擁護しようというわけではないが、話の前後を聞けば、自分の高校時代の友人が、家を守るためか、誰かを助けるためかは分らないが、逃げ遅れて亡くなってしまったという話だ。

仲間同士であいつはバカだ、と話してたのを勢いポロっと言ってしまったという。確かに失言には違いないが、取り立てて報道しなくてはならない事か?と思ってしまう。

公人として口が滑ったのは確かだが、その一部だけを切り取って問題視するのでは報道とは言えないだろう。ちゃんと謝って前後の状況を説明すれば済む話だと思うし、どう見ても政治の根本にかかわるような話ではない。

『障害を持った私の母はバカだから死んだのか!』という被災者の怒りの声を載せるなど、あまりにも短絡的だ。火を付けて喜ぶマッチポンプ的な報道と言われても仕方がない気がする。

野党も野党、「どのような場合であっても亡くなった人をバカというのは人として許されない!」そんなコメントを真面目に話している。

こうなると失礼ながら、どっちが○○か分らないようにも思える。そんなことよりやるべき仕事は山積みでしょう?と思うのはきっと私だけではないと思うのだが・・・。

バカにもいろいろある。♪バカだな、バカだなぁ、だまされちゃって~♪のバカは、それでもそんなあなたが好きですよのバカ、愛してるのバカなのだ。

私だって大好きな友人を急に失くしたら「バカヤロー!」の一言ぐらいはきっと言うだろう・・・。

昨日の会津風雅堂、太鼓集団TAOの会津公演、最高でした。元気出ました!

2011年10月17日 (月)

情けは・・・

「情けは人のためならず」という言葉がある。へたな情けは人のためにならないから、厳しく接する時は厳しく接した方がよい・・・という意味ではない。

人に親切にしておけば、それが巡り巡って必ず自分に良い報いがある、だから人には情けを持って接しなさい、という意味だ。

私はこの言葉を大切に、出来るだけ人には親切に接しようと心掛けてはいる、つもりだ。

しかし、「恩をあだで返す」という言葉もあるように、恩知らずな人は多いし、第一、賭けた情けを情けとも思わない人も世の中には少なくない。

というか、人の心というのは通じ合わない事が多いものだ。

最近こんなエピソードを聞いた。

結婚式を明後日に控えた花嫁が盲腸炎を悪化させて運び込まれてきた。すぐに手術が必要だが腹を開いたら結婚式は無理だ。式を延期するにしても明後日の話し、そんなことはとても出来ない。

そこでドクターたちが知恵を絞り、なんとか内視鏡下での手術にチャレンジすることになったそうな。

それにしても結婚式を控えて相当我慢したのだろう、かなり悪化しているので上手くいく確率は五分五分、危なくなったら開腹する、と言う事で深夜の手術が行われた。

手術は無事成功、花嫁はなんと結婚式に出席できたのである!

まぁなんとも、新聞に載るような感動秘話だと思ったが、意外とそうでもないらしい。

術前の説明で深刻さを伝えるのが足りなかったのか、本人も家族も、医者が手術してうまくいくのが当たり前だ、失敗したら医療事故だ、とでも言わんばかりの態度なのだそうだ。

感動の花嫁が、なんだかがっかりの花嫁になってしまった。

こういう時に、人に良くしておけばいつか自分に戻って来るんだよ、という慰めとしてあの言葉があるのかもしれない。

私にも苦い経験がある。会社が立ち行かなくなって困っている(と私が思っただけなのか?)友達に、新たな仕事を紹介した。彼自身、仕事内容に納得していたし、置かれた立場を考えればとても良い仕事だと思ったのだが、あんな仕事で辛かったと思っていたらしい・・・。

後に感謝どころか不満さえ抱いていた事を知って、とてもがっかりした。あの時も「情けは人のためならず」だ、と言って自分を慰めたが、情けは彼のためにもならなかったようだ。

人の心はすれ違う。すれ違って時に悲しい。

良いと思っていた事が、全く逆だったりすると実にやるせなくなる。・・・そういう時は、忘れてしまうしかない。

日曜は妙に暑かった。今夜あたりから会津は冷え込んでくるらしい。ひと雨ごとに秋が深まっていく。

2011年10月15日 (土)

省エネってないのかな?

ひと雨ごとに会津の秋が深まっていく。

ついこの間まで冷房を使っていたのに、あっと言う間だ。この時期、暖房使用も微妙なところだ。

朝方、冷え込むと10℃以下まで下がる。が、そうでない日もある。少し前までエアコンの暖房を入れていたが、早朝はエアコンではやっぱり時間がかかる。このところは面倒なのでストーブ点火だ。

居間の敷物を夏の茣蓙から、コタツの下敷きに変えただけで大分暖かい。いよいよだが、まだコタツにはしていない。

我が家のコタツもだいぶ長い事使っている。こうした時期なので省エネタイプの最新式にしようかと思い、家電屋さんに出かけた。が、家電店でのコタツの扱いは実にお粗末、どうでもいい電化製品という感じだ。

四角いコタツが数台、大きめのが1台。ボンと置かれているだけで、特に買って欲しいような感じもしない。第一、省エネタイプなんてどこにも書いてなかった。

コタツというのは家電店扱いではなく、ホームセンターやニトリみたいなところの扱いかもしれないが、家電店の冷たい扱いになんだか買い替えの熱も冷めてしまった。

別に壊れているわけでもなし、温まって電気代も同じならこのままで構わない。布のコードが擦り切れてボロボロだけれども、発火したりはしないだろう・・・と思う。

スカイライン、尾瀬は今が紅葉の見頃だと言う。

盆地から見える山々はまだ赤らんではいない。色付くのは朝晩の冷え込みが8度を下回るのが目安だそうだ。

この雨が行って、8度以下の冷え込みが続けば、いよいよ新人ならぬベテランコタツ君のお出ましとなる。

2011年10月13日 (木)

私は良いけれど

年金の話をするようじゃあ、お前もヤキが回ったな・・・と言われても、年金のことは気になる。残念ながら、もう間もなくの話だ。

何年もかけて支給開始年齢を60から65歳に引き上げているのに、それをさらに68とか70歳にまで引き上げようと言うニュースが新聞紙上をにぎわしている。

まぁ、ここまでくればインチキに近いと言われても仕方がない気もする。

豊かな老後を暮らすために年金は必要だ!と言われて払い続けたのに、馬の先につりさげた人参みたいにどんどん先に延ばされ、ろくにもらわない内に具合が悪くなって死んでしまう。それでは一体何のために払って来たのか分らないではないか。

日本人の平均寿命を考えると70歳ぐらいでも妥当だ、と言っていた学者先生がいたが、平均寿命と健康寿命は違うだろう。元気でいられる健康寿命はもっと短いはずだ。折角もらっても医療費のためだけの年金ではあまりにも夢がない。

68~70歳と言えば、ひと昔なら大年寄りでしょう?

65歳までならなんとなくイメージも出来るが、それ以上になっても出ないのではもはや年金とも言えない様な気がするのは私だけだろうか?

団塊の世代以降の平均寿命がこのペースで伸びていくとは限らない。好き勝手な食生活を送ってきた我らの世代などは、もっと早死にするような気もする。

さすれば払い損が続出することになる。それで帳尻を合わせようとしているのかもしれないが、それはないでしょう、だ。

会津藩祖とも言われる名君・保科正之公は90歳以上の年寄りに男女・身分の差を問わず生涯一人扶ちを与える政策を打ち出した。高齢者年金の走りの様なものだ。

当時90歳というのは大変稀だったろうから、実際のところ大した支出ではなかったろうが、全くそうした制度のない時代にこういう事を考える事自体がすごいことなのだ。年寄りは大事にされただろう。

江戸時代に90歳なんだから、現代なら70歳でも・・・という話では全くない。

年金は自身の積み立てと世代間の扶助だ。このままでは若い人の負担が大きすぎると言うのは分るが、かと言ってその若い人が年を取った時にさらにさらに先延ばされるのが見え見えなら、初めからやらない方がいい、と言う人が続出して制度そのものが崩壊してしまうでしょう、と思うのだ。

無い袖は振れない的な議論なら結論は見えている。無いものをどうするか、考えるために政治はあるのだと思う。(もちろん私には分らないけれど・・・)

65歳、この線は絶対に譲れない!と一人怒っている今日この頃である。

一応、私はもらえるから良いのだけれど、でも、やっぱりそうじゃないでしょうと言う話だ。

2011年10月12日 (水)

彼の言葉

原発からわずか3㎞ほどしか離れていない場所から会津若松市に避難している方と話す機会があった。

避難時の模様などは我々の全く知らなかった事、迫真に迫っていた。マスコミにも語られていない壮絶な真実がまだまだ数多くあるようだ。

そんな彼に恐る恐る尋ねてみた。

「汚染された土や残骸を放射能レベルの低い土地に運び出す、などという事は現実問題として考えられるのでしょうか?」

「そんなことは考えられないと思います。我々はもう、帰る事が出来ない事は分っています。中間処理施設にしても、原発のそばの我々の土地に汚染物を集めるしかないんだと思います」と、穏やかな目で微笑んだ。

本当のがん患者でもある彼は、我々はがん患者と同じなのだとも言った。

「がんならがんと宣告してもらって、そこからの生き方を考えなくてはならないのです。日本にだって人々が土地を移って生きて来た歴史は沢山あるのです。もうここには戻れませんよと宣言してもらって、この先どうやって生きていくかを考える時に来ているんだろうと思うんです。そうしなければ我々はどこにも進む事が出来ません」

高レベルに汚染された土地は国の管理下に置き、世界中の英知を集めた処理施設なり、研究機関なりを作って、放射能に対する最先端技術を高めていく。日本のフクシマを放射能の最先端基地にするしかない・・・。

正確な情報開示と告知、それが汚染されてしまった地域の被災者には必要なんだと彼は言うのである。

レベルの低い地域に帰るにしても、帰るなら除染を進めなければならない。いくら除染、除染と言ってはみても、どこかに汚染物質を集めない限り除染は進まないのである。

「もう、誰かが勇気を持って言うべき時だ!仕事や家は失ったけれども、明日を失くしたわけではない。この現実を受け止めて新しい一歩を踏み出さない事には何も始まらない」彼は淋しげに微笑んだ。

起こってしまった事は取り返しがつかない。そして出来る事と出来ない事がある。その中で人は生きていかなくてはならないのだ。そのためにも現実に向き合うしかない、と故郷を追われた彼は強く思っている。

その心の強さに頭が下がった。そして、少しだけ勇気をもらったような気がしたのである。

2011年10月11日 (火)

艶々(つやつや)

会津産コシヒカリの新米をいただいた。前の晩に磨いでザルに入れて置いて(ここまでは家人)、朝起きて少なめの水(言われた通りに)でセットして炊いた。

炊きあがったご飯はピカピカ艶々に光っていた。

出来るだけ白いご飯のおいしさが活きるよう、たらこと昆布漬けとシンプルなおかず。ふっくら、というよりはいつもより米がギュッとしまっている感じがした。(水加減のせいかな?)・・・でも甘く、素晴らしく美味かった。

会津の秋、最高のご馳走だ。

新米も光っているが、私も色艶がいいとよく言われる。

先日、中学時代の同級生とばったり会ったが開口一番、「いやー、おめは美味いものばっか食ってんべ?顔の色艶がいいもの~」と言われた。おそらく褒められているのだろう。

私のヘアスタイルの場合、髪に隠れた部分がほとんどないので顔の色艶というものが一目で分る。

体調の良し悪しが、隠しようがないのである。

風邪などひいて具合が悪くなると、鏡に中にいかにも元気なさそうだなぁ、という自分がいる。全くピカピカ艶々してなくて、パサッとしている。おでこで「悪」を跳ね返すようなテカテカ感が全く感じられないのである。

あの頭のツノみたいなのを「シャーァッ!」と投げた後の、頭に何も乗ってない間抜けなウルトラセブンみたいだ。または、捕まる寸前の落ち武者か・・・?

そんな訳で検診よりも色艶の方が実は当てになる、と思っていたりする。

新米の艶々は新しいからだ。古米になると炊きあがってもあの艶々感は失われてしまう。

しかし、人間はいくら古くなっても艶々でいられる。

それは何も顔色だけではない。例え病んでも心の輝きを失わない人もいる。見た目が艶々ではないけれども、ハートが艶々ピカピカな人は大勢いる。その艶こそが本当は一番大切なのだ。

私も調子に乗ってはいけない。見た目だけの艶々ではいけない。人間、要は中身だ!と、思いつつ艶々の新米をおかわりしたのであった。

2011年10月 9日 (日)

出来るだけ

毎日更新しないのですか?と、不満のコメントが届いた。

そう、この夏から時々歯抜けになっている。理由は特にないのだが、夏に忙しい時期があってその延長上で秋になっても時々さぼっている。

もともと、このブログを始めたきっかけがトレーニング目的というのがあった。脳のトレーニングだ。

なんだか物忘れ症状が増えて来て、どうにも自分の脳の敏感で、機敏な働きというものを感じる事が出来ない。(これは衰えて来てそうなったのか、初めからなのかは難しいところだが)

特に、人前で話す機会(乾杯の発生や中締めなども含む)があると、話し終わった瞬間に、「嗚呼、ああ言えば良かった、あれを言い忘れた!」なんてことばっかりで、少々自己嫌悪に陥ることが多くなった。

終わってからあんなことも、こんなこともと思い浮かぶ。それも皮肉なことに終わった瞬間に次々と思い浮かぶのだ。どうしてピッピッと、その場で頭が働かないのか嫌になる。

加えて、脳とはあまり関係ないかもしれないがゴルフもちっとも上手くならないし、やるほどに点数が増えたりした。

そんなわけで脳の電極のつながりを多少なりとも良くしよう!とトレーニングのつもりで始めたというわけだ。

出来るだけ15分~30分以内で、ババッと書く事を心掛けた。

が、続けている内に当初とは違う想いとか、あんな・こんな気持ちも湧いたり、大地震があったりして、紆余曲折し、今に至っている。

今日で回数は587回、なかなかの数だが当初の目的である脳トレに効果が出たか?問われれば、残念ながら目に見えるようなものはない。

脳トレという点ではあまり効果はないかもしれないが、もちろん無駄ではないとは思っている。それが何故かというのは、内緒だ。

そんなわけで、毎日更新はこの先も厳しいかもしれないが、出来るだけの更新を心掛けるのでお許し願いたい、と言ったところだ。

三連休の会津、すごく良い天気と言われていた割には出だしから小雨模様など、晴れたり暗くなったりおかしな天気が続いている。

2011年10月 6日 (木)

隠し味

昨日は芋煮会があった。

芋煮会とは言っても秋空の下で芋煮を作って楽しむ本格的芋煮会ではない。会津では秋の宴会を称して「芋煮会」という。特に目的があるわけではなく、要は飲むのが目的だ。

お店の方も心得ていて、この時期のお膳には必ずと言って良いほど芋煮が付く。芋煮は野趣あふれる料理だが、料亭の芋煮は上品な味わいだ。なんと言っても里芋の姿がいい。

会津の芋煮は山形県のしょうゆ味と違って、味噌と醤油のブレンド味、肉も牛肉は使わずに豚肉だ。こどもの頃から慣れ親しんでいるので会津の人間にとっては無論こっちの方が美味い。

思うに本格的な野外芋煮会というのは長い事やっていない。河原に大鍋を持ち出し芋煮を作る。あとはバーベキューなんかで大いに楽しむ。どういう訳かこういう場合の料理は男の担当である。

私は細やかな料理は出来ないが、芋煮を作ったり、カレーを作ったり、飯盒で飯を炊いたり、かまどで飯を炊いたりする事は、ひと通り出来る。

端艇部という男だけの船漕ぎ部にいたもので、年中合宿であった。それも農家の一角を借りての合宿、二口のかまどで料理を作らなければならなかった。片方では大釜で飯を炊き、もう片方でおかずにみそ汁を作る。

初めちょろちょろ中ぱっぱ、の難しい火加減も、水加減も、部員全員の飯が掛っているので必死で覚えた。

一、二度、めっこ飯にして、ひっぱたかれた事もあったが、すぐに私の炊くおこげを楽しみにされるほどに上手くなった。

かまどの火加減と炊き上がる米の匂い、絶対に蓋を開けてはならない。五感を研ぎ澄ますあの集中力はすごかった。今、あの集中力があればなんだって出来ちゃうような気がする。

でも、あの集中力くんは残念ながらもうどこかに行ってしまったようだ。

おかずは単調、わずかな肉が入ったカレーの次は野菜炒め、ヒジキと油げの甘辛煮、具だくさんのみそ汁を繰り返し、あとは缶詰めの取り合いだ。そんなメニューで一週間も船をこいでいたのだから大したものだ。

ところで、芋煮というのはどんなに丁寧に台所で作っても、一流の料理人が腕を奮ったとしても、秋晴れの空の下で作る一杯には叶わない。河原で食べた一杯を越える事は出来ない。

隠し味として「会津の自然+新鮮な秋」が入っているからだ。

入っていない方の芋煮会が、今月はもう3,4回ある。

2011年10月 5日 (水)

10月は乗らない

友人から新米が出来たとのメールが届いた。放射線セシウムも検出されませんでしたとのこと、今年は何袋(一袋30キロの玄米)必要か?と聞いて来た。

放射線検査OKで充分に美味い会津のコシヒカリ、けれども今年は他所に贈ってもあまり喜ばれないかもしれない。少々考えものだ。

我が家の米の消費量は少なくなる一方だ。こども達が離れて住むようになってその傾向は年々顕著になる。

二人とも仕事を持っているのだからお弁当を持て行っても良いのだが、弁当作りは家人にとっては大仕事、作ってくれとは言えない。

第一、昼の息抜きに外食や職員食堂に出かけるのは悪くないので、弁当無しには全く不満はないのだ。

もし、一週間交代でお弁当づくりやろうか?なんって言われるとえらいこっちゃになってしまうので弁当の話は棚上げに・・・。

家人は、朝はパンなので晩ご飯の残りがなければ私もパンになる。晩は飲むので、ご飯がなくても構わない。

こうなると米を炊く機会というものは本当に減る。そして、それに慣れて来るとますます減って、今は週に1,2回しかご飯を炊かなくなってしまった。

美味しい会津米さんごめんなさい、と言ったところだ。

そのくせ食べないのか?というとあればいくらでも食べるし、相変わらず大盛り注文のクセは抜けない。

この秋は会津米の名誉回復のため、風評被害払しょくのため、少しせっせとご飯を食べようと密かに心に誓っている。

体重が一向に減らないのに「よーし、食うぞ!」みたいな誓いを立ててどうするんだ?って話だが、会津の元気のためには仕方がない。

今度の三連休には新米を楽しもう!

そして、白いご飯に最高に合う、美味しいものをいろいろと見つくろって楽しみたいと思っている。

会津の風評被害を吹っ飛ばすために、10月はもう体重計には乗らないぞ!と決めた。

抜けるような秋空に妙なヤル気が湧きあがっている、今日この頃なのである。

2011年10月 3日 (月)

冬を感じる

10月の声を聞いた途端一気に涼しいを通り越して寒くなった。北海道からは早くも初雪の便りが届いた。

今度の会津の冬は、大変だろうと思う。仮設住宅に住む人々は雪のない地域で暮らしてきた人々、雪かたしなんて初めての人も多い。

そんな人々が会津の冬を味わう訳だ。

あの仮設住宅で寒さは大丈夫なのだろうか?不慣れな暖房器具を使って様々なトラブルが起こらないだろうか?洗濯物で火事など起こったら大変だ。

交通事故も心配だ。冬タイヤで運転した経験のない人の運転ほど怖いものはない。ツルっと滑って怖い思いをした事のない人は、雪道を甘く見る。事故が頻発するのではないだろうか?

雪道を歩いた事のない人は滑る、歩行転倒⇒骨折という危険も一杯だ。病院は繁盛するかもしれない。

いずれにしても、生まれ育った町、慣れ親しんだ気候と全く違う場所で冬を迎えるのは大変な事だ。一時の旅行とは訳が違う、そこで暮らしをたてていかなくてはならないのだ。

雪ハネやスノーダンプは買わなければならない、普通の靴底では歩けない、吹雪に備える防寒具が要る、などなど。

『会津の冬・暮らし方講座』みたいなものを開いた方がよいのでは?などというのは要らぬ老婆心だろうか?

未体験の冬・・・人ごとながら心配になってくるような朝晩の冷え込みである。(そろそろコタツが恋しい・・・・)

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