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2011年9月

2011年9月30日 (金)

ブレーキのない自転車

ブレーキのない自転車が東京都内を走り回っている。あんまり危ないので、スケープゴートとしてお笑い芸人が捕まってお灸をすえられた。

競輪の自転車で公道を走っているのと同じこと。ペダルを逆回しして止める。高校時代にそういう自転車に一度だけ乗った事があったが、ビックリして転んだ記憶がある。

急には止まれない自転車で、すごいスピードで走りまわっているのだから危険極まりない。自分だけならいいが、巻き込まれた方はエライ迷惑な話だ。

ロードレースで走るような自転車は全く違う(ママチャリとは)。

何十万円もする自転車に一度乗らせてもらった事があるが、我が家の周りの飯盛山の坂など、坂とは感じないほどスイスイと走った。

そのオーナーは、勤めの前にひとっ走り背あぶり山頂まで登って来ると言うのだから驚きだ。

が、その自転車にはちゃんとブレーキが付いていた。

突拍子もなく飛躍するが、科学と言うのはちょうどブレーキのない自転車の様なものだと思う。基本的には止まらないし、何処までも進みたがる。

時折、これは行き過ぎか?とペダルを少し逆回しして減速する事はあっても、止まってしまえば倒れるので、またも漕ぎながら前に進んでいく。

ぐいぐいと科学の進歩は風を切る。

人間が制御不能であっても、地球そのものを破壊しながらでも、神の領域に入り込んででも、前に進んでいく。

人間の英知がすべてを解決しながら、どこまでも科学が進歩していくとは思えないけれども、ブレーキのない自転車だ。

秋雨前線が南下してくる。まだ会津には暖かい空気の名残りが漂っているが、前線が通り過ぎれば寒気が降りて来るという。

週末、(と言うか10月のはじめ)会津の秋は一気に深まりそうだ。

2011年9月28日 (水)

9月のひとこま

「違う場所に見つかるのは良くあることですよ」と、ドクターは言った。

検診のバリウムによる胃の透視でひっかかり、再検査で胃カメラを飲んだらバリウムとは違う場所に胃がんが見つかる。そんな事は珍しくないそうだ。

私の姉はそんな感じで、大変早期に、偶然と言ってもいいような塩梅で胃がんが見つかった。

ステージ1A、開腹オペによる胃の切除となります。

普段は陽気な姉も、切腹の様な手術には少々気が滅入ったらしく電話口の声は元気がなかった。

会津には優秀な病院があり、なかなかいい医者も大勢いる。相談したら腹腔鏡下の適応でしょう、と言う。

そこで大きな開腹手術はやめて、会津で出来るだけ侵襲の少ない腹腔鏡下の手術をしてもらうことにした。

入院から2週間、腹部に何ヶ所かの穴と4センチほどの小さな傷を残して、姉は元気に退院、郡山の自宅に帰って行った。

胃は半分ほどになったらしいが、傷の小ささからか、そんな自覚も薄い様子だ。

内視鏡を使って胃を取ってしまう医学の進歩も凄まじいが、麻酔の技術も日進月歩だ。硬膜外麻酔と言う術後お腹のあたりだけ除痛するという手品のような麻酔がある。確かに傷はあるのだが、痛くもなんともない。その内に傷が治ってしまう。

リハビリ療法士も術前から呼吸法の指導などに入り、終わったらすぐに立て立て、と復帰を促す。看護師や栄養士などみんなで寄ってたかって患者を元気にしてしまう。まさにこれぞチーム医療だ。

この9月のお彼岸まわり、会津まつりの陰でそんな出来事がありました。

すべて順調に、無事に終わって転移の可能性も極めて低いとのこと。

まずは目出度し目出度し・・・と言ったところで私も誕生日を迎え、アラ還から本還へまた一歩近づいた、そんな9月のひとこまでありました。

2011年9月26日 (月)

まよってもらわんなんね!

間もなく一斉に稲刈りが始まる。今頃の会津平は、こうべを垂れて実った稲穂がまるで黄金の絨毯を敷き詰めたようだ。

秋晴れの青空には箒で掃いたような白い雲、稲の実はぷっくらと膨らんで稲刈りを待っている。

今年はどの農家もきっと祈るような気持ちでコンバインを動かすことだろう。

会津平の米から放射性物質は検出されていないが、二本松の米からは出てしまった。

遠い福島をひとまとめに見てしまう人々からは『今年の米はいりません!』という、注文停止が相次いで舞い込んでいるという。

都会の息子や娘からも会津米はいらないと言って来た、なんてトホホな話も聞く。

黄金の絨毯が敷き詰められたような美しい風景を見ていると、日本に起こった大惨事もなんとなく忘れてしまいがちになる。が、いつもの年と同じ風景ではあってもあの日を境に何かが違うのである。

それが本当に何なのか?この先一体どれほどの辛苦を味合わされるのか?その正体は誰にもまだ正確には分ってはいない。

長く消えない汚染、風評被害の風評が固定化してしまう事、その先が本当に怖い。

かろうじて会津なのである。かろうじて会津地方が福島県の中では放射線レベルもけた違いに低く、地震の被害もほとんどない。(奥会津地方が水害では痛めつけられてしまったけれど)

『この会津から元気を!』が、このところ様々なイベント、集会で叫ばれる合言葉になっている。

しかし、掛け声だけで実現は出来ない。エネルギー産業、医療、商工業、観光など傷付いた多くの分野で、地域がどんどん動くような仕組み作り、仕掛けが肝要だ。

会津弁では弁償してもらう事を「まよってもらう」という。

国や東京電力には目の前の賠償金だけではなく、様々な産業基盤をこの会津に築いてもらう事で、ここから福島を元気に戻してもらわなくてはならない。それも長~い期間にわたって(半減期の何倍にも渡って)根付くような方策でだ。

政治家の方々には、目の前だけではなく、ぜひとも大局感を持って考えて欲しいと願う。

うつくしま福島、福の国・福島・・・なんとしても「まよってもらわんなんね!」だべした?

2011年9月25日 (日)

声は魂を震わせる

人の声、全力の歌声は心に響く。

「ワンヴォイス・ライブ」会津に生まれたゴスペルグループのコンサートが始まって今年で11回目となるそうだ。

会津マスクワイア、会津こどもマスクワイア、会津ジュビリーマスクワイア、ブラスユニットのフリーダム・ブラスセインツ、いずれも若松栄町教会を中心として活躍するグループ、音楽を日々の暮らしに響かせている。

発表会などというレベルではない。本格的な心に響くコンサートだ。毎年この時期に開かれる。イベントの多い時期なので、これまでに三分の一程度は観れてるかなぁ?すごく楽しいので出来るだけ出かけるようにしている。

年ごとにスタッフも増え、歌声にも厚みが増す。70歳代から5,6歳まで誰もが全力で歌う。上手に歌う、きれいに歌う、というよりはまさに全力で歌うという表現がピッタリだ。

マスクワイアの魅力は、神と共に歌う合唱団の一人一人が、歌い続けるほどに高揚し、陶酔し、自分でも思いもよらない様なリズム、歌声を刻んでいくトリップ感だ。

フィナーレ。全員出演で舞台からこぼれおちそうな歌声、会館を震わせ、観る者の魂を震わせる。

『希望を持って歩きだそう、誰も一人じゃない。隣りの人と手をつなごう・・・』観客の方も年齢層は幅広い、客席からも大勢のこども達の歌声が聞こえてくる。

今年も大いに楽しませてもらった。

8時半、風雅堂を出るとちょうど鶴ヶ城に花火が上がった。日本酒の祭りのイベント「鶴ヶ城大宴会」のフィナーレと重なった。

素敵なおまけをもらった様で嬉しい、お城にあがる花火、こんなに間近に花火の轟音を聞いたのも久しぶりの事だ。

あっちもこっちも、会津まつりの期間中、会津はとても賑やかだ。

大いに集い、感動の嵐を!

秋の祭りの間、会津に集った人々の祈りが、すべてすべて夜空にとどいてくれればどんなに素敵なことだろう!

2011年9月23日 (金)

今年は出来ました。

台風の通りすぎた会津、会津最大のまつり「会津まつり」が始まった。

残念ながら22日夕方からからの提灯行列は雨模様のため中止となったが、盆踊りは行われた。暗くなってからは雨も止み結構な人出で神明通り界隈は大いに賑わった。

23日には最大のイベント「藩公行列」が行われた。室井新市長は、保科公を目指せ!という私のブログを読んだのか、名君と呼ばれた保科正之公役で馬に乗った。

ま、ちょっと畏れ多いという感じがしないでもないが「心意気や良し」と言ったところだろう。メガネをはずしたちょんまげ姿は、バカ殿に見えない事もなかったが・・・。

今年ならではの参加は、避難してきている大熊中学校の生徒たちが演じる白虎隊だ。沿道からは盛んな拍手が巻き起こっていた。

今年の特別ゲストは、元アリスの堀内孝雄氏、TVドラマ「白虎隊」の主題歌「愛しき日々」を歌ったことから会津との縁は深い。

気さくな人柄をあらわすように、台車の上に座り沿道の声援にメガホンで応えていた。

快晴とまでは行かないが、まずまずの天気。少々の肌寒さは時代衣装を着込んだ参加者にとっては、むしろありがたかったことだろう。

「ドーン、ド、ドドーン!」3時過ぎには行列が無事に鶴ヶ城帰城たことを知らせる花火が市内に響き渡った。

昨年は荒天のため、この藩公行列が始まって以来57年間で初めての中止となった。そして3・11を越えた今年はなんとか無事に行われた。

行列を見つめる人々の胸には様々な思いが去来した事だろう・・・・。

なにはともあれ、会津まつりで街内が盛り上がって、賑わっているのは慶事である。

夕空晴れて秋風吹く、実りの会津笑顔が満つ。

2011年9月22日 (木)

渚にて

先日、宇宙の渚の美しく貴重な映像をNHKでやっていた。オーロラや雷などを宇宙の側から初めてハイビジョンで見る素晴らしい映像だった。

地球と宇宙の交わる成層圏、そこを宇宙の渚と名付けていた。なかなか良いネーミングだ。

海と陸との交わる辺り・・・そんなどちらともつかない微妙な部分が、何事にもある。

TV界を席巻していた、かのお笑いタレント、セーフかな?アウトかな?の波打ち際を肩で風切りながら歩いていたがザブン!と波に飲み込まれて消えて行った。

人気者の突然の引退に一体どうなるのか?と業界に戦慄が走ったが、結局はどうにもならず、まるで何事もなかったように海は静かである。

あんな奴いない方がすっきりして良かった、と言う声の方が実のところは多かったようだ。

AKB48のジャンケン大会も、お遊びと悪趣味、お笑いとお下劣の波打ち際だろう。ジャンケンで新曲を歌えるかどうかを決める。ある意味、本人の将来を賭けてのジャンケンポン!乙女たちが目の色を変える姿を、生中継で楽しむ・・・私にはどうにも下品に思えてならない。

本気になる目の色を「オーラがある!」と褒め称える。ものは言いようだ。現金や名誉を目の当たりにして露わになる人間の本性を弄び、楽しんでいるようにしか見えない。

CD(投票券)を買わせて行う総選挙とかいうイベントも、ニュービジネスと言えば聞こえがいいが、オタクと言われる人たちをAKBと言う餌で釣り上げているだけだろう。中にはCDを買いすぎて身を持ち崩す輩もいるに違いない。

宇宙の渚は美しいが、金儲けの渚はどう見ても美しいとは言い難い。

渚では様々な事が起こる。そしてやがて消えていく。海の藻屑となるか?陸に上がって進化を遂げるのか?その先は誰にも分らないけれど、渚にたたずむ芸能人達はなぜか悲しい感じがする。

台風は昨夜の7時頃に会津をかすめて通った。

土砂降りの雨の中、わっぱ飯を食べながら酒を飲んでいた。宴席終了の頃には「さぁ、もう一軒!」とでも言うかのように、風も止み、雨も小止みになっていた。

2011年9月21日 (水)

丸重(まるしげ)のラーメン

生まれ育った七日町、常光寺の入り口に丸重という食堂があった。入口脇にはタバコの売場があり、当時の典型的な食堂の姿だった。

私はその丸重のラーメンをもの心付いた時から食べて育った。だからこの世に丸重のラーメンよりうまいラーメンがあるとは思わなかった。

半世紀近く前の会津の街なかは、今よりもずっと賑やかだったように思う。各町内ごとに商店街があり、肉屋、魚屋、八百屋などが並び、ある程度の暮らしが町内で完結していたのだ。

食堂もしかり、その町内の食堂の味が生まれ育った町の味だった。

恐らくはいま食べたなら化学調味料たっぷりのラーメンなのだろう。しかし、その味に慣れ親しんでいたし、それはそれで美味しかった。

風邪などひいて寝込むと治りがけにはラーメンが食べたいと甘えた。一杯のラーメンは、ご馳走だったのだ。

当時の食堂はいろいろな機能をはたしていたようだ。食事だけでなく、喫茶店の様に人が集まってお茶を飲んだり、夕方からは居酒屋の様に酒を飲む大人たちがたむろしていた。

夜、タバコを買いに使いに出されると、店の中では酔っ払いたちが大声で騒いでいた。

家のすぐ向いには造り酒屋があり、その店先でもっきりを飲ませていたので七日町には、なおさら多くの酔っぱらっいがいたのかもしれない。

昔の大人たちはこどもに気軽に声をかけた。「おぅ、坊主どごさいぐだ?」と、可愛がってかまうのだろうけれど、こどもにしてみれば赤い顔、大きな声、酒臭い息、泳いだ目、ただただ怖いだけだった。

今はそんなに気軽に人さまのこどもに声をかけたりしてはいけない。ましてや手を出して触ったり、抱き上げたりしたら変質者と間違われてしまう。

誰もが他人様との距離感を大切に、少し離れて生きている。

とうの昔に消えたあの丸重のラーメン、記憶の中だけに残るその味は今よりもずっとずっと人と人の距離が近かった、そんな昭和の味だった。

2011年9月20日 (火)

人はどこに住む?

雨と共に一気に秋が来た。

そしてまた台風、今度は名古屋を中心とした地方が大雨に襲われている。日本列島いたるところが自然の猛威に襲われ、2011年は本当にみんな目玉を白黒だ。

自分のところだけに限って言うと申し訳ないような気がするが、会津若松市は本当に自然災害の少ない街だ。

昔からお城のある街は自然災害が少ないと言われる。いにしえ人の智慧と経験が安定した土地に城を築かせて来たのだろう。

アラ還の私の記憶の中でも大きな災害はあまり記憶にない。何度かの豪雪、豪雨、遠く新潟地震、そしてこのたびの3・11、いずれも「壊滅的な被害」とまでは言えないだろう。ありがたい限りだ。

自然災害はいかに科学が進んでも避ける事は出来ない。この一年は、本当に人間の無力さを改めて思い知らされているような気がする。

出来るだけ安全な、水が出ても生き残れる場所に居を定め、夏の暑さ冬の寒さをやり過ごす。そして自然の恩恵にあずかりながら生きていく。そんな大昔からの基本に立ち返ることが大切なんだと改めて思う。

首都圏でも内陸部の地価が上がり、湾岸部の下落率は大きくなってきているという。安全な場所、安心して住める土地、それを求めて原始時代から人々は彷徨った。

「一体我々はどこに住めばいいのか?」そんな古代人にも似た心の葛藤を抱える現代人が今、日本中に数多くいることだろう。

それぞれの桃源郷に辿りつける日の一日も早からん事を、心から祈りたいものだ。

2011年9月18日 (日)

灼熱の運動会

台風と秋雨前線の影響で、日本列島は列島とは逆の弓なりに天気が悪い。南と北が悪く、関東を中心に真ん中辺りが良い天気で残暑というより、猛暑が続いている。

会津も天気の良い方に入っていて、秋とは思えない暑さが続く。北の秋雨前線が南下してくれば一気に空気が入れ替わり秋になるはずだが、今日は34度にもなる猛暑だった。

そんな中、職場の大運動会が行われた。昨年、一昨年と寒さに震えた運動会だったが、今年は熱中症要注意の猛暑、強い日差しは真夏の太陽だ。

ずっと雨が降っていないためグラウンドも硬い、硬いから滑る。滑ってすってんコロリと擦り剝き者続出、汗と笑い声と砂ぼこりの運動会となった。

磐梯山にかかる雲はまるで夏の雲。そんな中、闖入者が二人。

一人は闖入者と言っては失礼な室井照平新市長、10時ごろにアポなし訪問、みんなを激励しチョコパフェやたこ焼きなど楽しんで盛り上げてくれた。

もう一人は竜巻君。昼ごろに突如乱入、いきなりトン汁テントをまきあげるとグラウンドの真ん中まで進み、「私が竜巻です!」というように見事なぐるぐるスピンを見せた。あんなに見事に砂ぼこりをまきあげる竜巻はめったに見られない。高さは10メートルぐらいだったかなぁ・・・。

しばし、中央にとどまり本部テントを目指し動き出した。みんなで「ワーワー、キャーキャー」言いながらテントを支えた、その声に驚いたのか竜巻君はヒューッと消えてしまった。大事に至らず一安心。

気温が高いと身体もよく動く.。競技にも熱が入るのか、少々残念ながら例年になく負傷者が多かった。でも大いに盛り上がったので、痛い目に遭った諸君には悪いが、良しとしよう。(一日も早い回復を祈ります)

心配された天候の急変もなく、30分押しで無事に全競技終了。最後の職場対抗リレーは最高潮の盛り上がり、表彰式も大いに盛り上がった。

走って笑って力の限り、仲間の絆を確認し合ってまた新たなる戦いへ!いよいよ運動会よりも、もっともっと大きな挑戦が我々を待っている。

明日からまた頑張ろうね皆の衆、明日はゆっくりお休みし、日焼けしたお肌の手入れと、身体の傷を癒して欲しい!

2011年9月16日 (金)

オジサン達、無尽で酒飲みばっかりしてる場合じゃないんじゃないの?

風とロックin鶴ヶ城は最高だった!(後半しか見れなかったけど・・・)

怒髪天、ピアノジャック、斎藤和義くん、サンボマスター。夕暮れの鶴ヶ城に少し赤い月が登って来た。「こんなことしている場合か?って言われるけかもしれないけれど、こんなに楽しい夜があっても良いんじゃないかと思う」とプロデューサーの箭内道彦くんは言った。

演奏している方も聴いている方も、なんとなく、ゆるく優しく平和な雰囲気が漂う。

斎藤和義くんはやっぱりいい!「歩いて帰ろう」「ずっと好きだった」で大いに盛り上がり、反原発ソングに歌詞を変えた「ずっとウソだった」を歌った。

若かりし頃、プロテストソングというのが盛んに歌われたが、そんな時代の純粋さを思い出させてくれる。口の中がちょっと酸っぱくなった。そして「歌うたいのバラッド」最高でした。

サンボマスターの山口くんは北会津の出身だ。今夜は「いくぜ―!」ではなく「みんな、いぐべー!」と会津弁で盛り上げる。

♪I LOVE YOUふくしま I NEED YOUふくしま~♪と歌いながら山口くんは涙で声が詰まった。「みんな力貸してくれー」と叫びながら彼は泣いていた。見ているオジサンもこれにはぐっときた。

ラストは名曲「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」

♪悲しみで花が咲くものか! 新しい日々をつなぐのは新しい君と僕なのさ 君と僕が夢を叫ぶ、世界はそれを愛と呼ぶんだぜ!♪シャウトするために生まれて来たようないい声だ。会場の心を一つに鷲づかみにした。

ただちょっと寂しかったのは復興イベントなのに、観客の中にはオジサン達の姿が少なかった事、いわゆる街の名士、経済人や実力者とか呼ばれる各界のお歴々の姿が全く見えなかった事だ。

『大人たちは分ってくれない』・・・あの時代とちっとも変わらないのかな?と思うとちょっと残念な気持ちがした。

「こんなに良い音楽を届けてくれてるのに、無尽ばっかり行ってる場合じゃねえぞ!」なんてね・・・。

最後のアンコールには室井新市長もステージに上がり、時間超過の共犯者にされていた。これまた盛り上がって最後は、I LOVE YOUふくしま の大合唱となった。

なかなかに良い夜だった。

帰りに室井市長とばったり「良かったよ!」と握手。城前の南京まで歩き、焼きそば、野菜炒め、ギョーザ、生ビールで疲れを癒し、「やー、それにしても斎藤和義は良かった!」と言いながらも歩いては帰らずに、タクシーで帰ったのであった。

2011年9月15日 (木)

どこかに封じ込めなくては

私の友人が近畿圏に小旅行に行った。行く先々で『福島』を強く意識させられたそうだ。

「私たちは会津で原発からは100㎞以上も離れているので大丈夫なんです」と言っても「福島でしょう・・・・?」と心配げな、同情を寄せるような、表情になるのだそうだ。

福島ナンバーで親戚の家を訪ねた別の知人も、クルマをとめて置くだけで近所の人が「福島から来ておられるのですか?」と心配そうに聞くのだと言う。「会津だから大丈夫ですよ」と言っても福島はひとつ、会津がどこで郡山がどこで原発がどこにあるなどと言う事は、ほとんどの人が分らない。

と言う事は、福島県土を除染し、浄化する(実質的にもイメージ的も)には相当に思い切った事をやらないとダメだ、と言う事だろう。

県土全部をチェルノブイリにしてしまってはならない。「福島原発」という地域(どこからどこまでかは難しいけれど)の中に放射能を封じ込めない限り福島の再生は無いように思える。

このまま各地で除染を進めどんどん仮置き場を作っていく。それでは県内の至る所にホットスポットを作っているようなものだ。

会津にしたって同じ事、いろいろな場所に除染した放射能を集めて置いて「安全です!」と、言ってみても空しいばかりだろう。

大量の放射能が撒かれてしまった事実はもう取り返しがつかない。であるならこのリスクをいかに最小限にするか、それが今最も大事なリスクマネジメントなはずだ。

当事者である県にそれを考える能力がないのなら福島県は未来永劫漂流するばかりになってしまう。

いくら大好きだって、愛していたって、放射能を取り除かなければこども達は帰って来ない。帰って来られない。

いくらI LOVE YOUでも I NEED YOUでも同じことだ。

2011年9月14日 (水)

風とロック

福島の復興を願い『風とロックsuper野馬追い』というライブイベントが今日から始まる。今日の奥会津只見会場を皮切りに6日間連続6会場に数多くのアーティストが終結する。

明日は鶴ヶ城本丸で会津若松公演が行われる。

まぁ、今時のロックと言ってもそれほど分らない私でもちょっとは分るすごいメンバーだ。「怒髪天」「斎藤和義」「サンボ・マスター」などなど。

「怒髪天」は息子のフジロックの録画で初めて見て、こいつらおじさんハートをくすぐるなかなか凄いバンドだな、と知った。

「斎藤和義」は「おうちへ帰ろう」でCDを買った事がある。

「サンボ・マスター」は何と言ってもヴォーカル&ギターの山口くんが会津出身、高校の後輩だ。とはいっても詳しくはないけど・・・・。

でも行きますよー!福島の復興のために若い連中が汗をかこうと言うのだから、応援方々、大いに楽しみたいと思います。

ここはひとつ、中高年も老年もロックだから、知らないバンドだからと腰を引かずに、お祭り気分でお城に押しかけるべきではなかろうか?これでは3500円、安い。

どうやら天気もよさそうだし本丸でのロックコンサートは、城をバックになかなかいけるんじゃないかと思う。

酒を買いこんでお花見気分で行ったら取り上げられたりするんだろうか?でもいいや、買って行こう!

♪I LOVE YOU ふくしま、I NEED YOU ふくしま、ふくしまが好き~♪ってやつです。

みんなであの福島を取り戻そう!と、素直に手をつなげる心が大切なのだ。

2011年9月13日 (火)

満月

十五夜と言うのは満月のことだとばっかり思っていたが、そうではないのだと恥ずかしながら初めて知った。

昨夜は六年ぶりの満月と言う事になるのだそうだ。会津でも見事な満月を見る事が出来た。

7時ごろ鶴ヶ城に向ってクルマを走らせる。赤瓦になった白亜の天守閣の右上方に煌々と満月、まさに絵になる眺めであった。

帰宅後一杯やって9時、少し外に出て月見と洒落こんだ。夜空に光る月、あんまりまぶしくて真丸に見えないぐらいだ。脇に秋の雲がすうーっと伸びる、白い翼のようにも見える。

思えばこんなにゆっくり月を見たのは何年ぶりの事だろう?

何を語るでも何を訴えるでもなくただ夜空に煌々とある月、観る者の心を写す。

なんとなく手を合わせて拝む。日本人はこうして自然のすべてに手を合わせて来た。今月今夜のこの見事な満月に日本中でどれほど多くの人々が手を合わせて祈っている事だろう。その祈りが一日も早く叶えばいい。

無心に手を合わせていると月の光にすーっと包まれる様な感覚を覚えた。月からの光の筋が伸びてその光の中をすーっと登っていくかぐや姫、そんな感じの浮遊感を覚えて慌てて眼を開いた。

むーん、月が私を包んだ!

きっと何か良い事が起こるぞと確信(なんでも良い方にしか考えない)とりあえず・・・ロト6でも買うか、とか宝くじとか、そんなことばかり浮かぶ。

もしも願いが叶うなら・・・どうして東北の復興や原発の終息や福島の再生、そういう事を真っ先に考えずに、自分のことばっかり夢想してしまうのか?愚か者よ。

「うふふ、情けないおっさんね」と月が笑った。

ところで月って女性だと思うのですが、どうなんでしょう?月の光に抱かれて・・・あれがおっさんだったらちょっと困る。

2011年9月11日 (日)

ここからの絆

「福島原発は進行中なので、原発の話は議論しない事にしましょう」

前・菅総理大臣が招集した震災復興会議の冒頭に議長がこう言ったのだそうだ。まったくもって信じられない話だが、福島県をさて置き、地震、津波からの復興ビジョンを策定しようとしたのだという。

この事を講演の中で聞かせてくれたのは復興会議のメンバーの一人だった福島県立博物館の館長・赤坂憲雄さんだ。

当然ながら福島を代表して参加した赤坂さん、玄侑宗久さんらは猛烈な抗議をし、復興会議の議題に原発事故も含まれて、長時間にわたる議論の上、復興の提言が示された。

何よりもまず原発事故の終息に全精力を傾ける事、福島県を自然エネルギー特区として、また放射線に関するあらゆる医療・治療の英知を結集する医療特区として位置付ける事が書かれた。

野田総理の「福島の復興なくして、日本の復興なし」の言葉はここにつながってくる。

赤坂さんが講演を行ったのは会津高等学校同窓会総会でのこと。80代がら20代までのOB・OGが耳を傾けた。

赤坂さんは福島から決して逃げるべきではないと語り、情報を公開し、徹底した除染を進め、福島をチェルノブイリにしてはならない、福島県人が流浪の民となってはならないとも語った。

そして、その福島復興の先頭をこの会津が努めるべきであるとも。

故郷を離れなければならない人々の無念さは察するに余りある。そしてその想いは日を追うごとに強まるばかりだ。

一体どこに向って立ち上がれば良いのか?何をどうすればいいのかさえ分からないまま時間だけが過ぎていく。

故郷に戻れない若者の中には、町や村をあきらめて代替え地を望む声さえ出ている。ダメならダメと言ってくれ!と言うのが本音だろう。

日に日に秋めいて陽が短くなってくる。

やがて冷たい風が吹き、白いものさえ混じるようになるとただそれだけで心細い。今までは夏の暑さに保護膜を一枚かぶせられていたような感じだが、北風の中でふと我に返った、その時が恐ろしい。

あの日から半年、本当に「絆」の力が必要なのは、実はこれからだ。

2011年9月 9日 (金)

ラーメンの流儀

秋めいてくると昼はラーメンにでもするか、と思うようになってくる。

真夏のラーメンは全くダメ派だ。真夏でも熱いラーメンを、それも辛味噌とか坦々麺とか超辛いのをガーッとくって、ドバット汗をかくのが好き!という人もいるが、とてもそんな気にはなれないし、そんなことしたら全部着替えないと職場復帰できない。

真夏は冷やし中華か、せいぜいつけ麺だ。

冷やし中華もゴマだれというのが好きなのだが、会津ではどうも見つからない。以前、ボナリゴルフ倶楽部にあって、すごく美味しかったのだが近頃行ってない。ゴマの風味と絶妙の酸っぱさ、あれが夏に合う。

つけ麺は多少辛くても大丈夫だ。つけ麺の麺を熱いままに、とリクエストする人もいる。私はやっぱりさっと洗った方がいい、熱いままだと食べている内にもこもこ、くっ付いてしまう。

今日は30度を超える予想で、熱中症も警戒日なのだが、高い空を見ると辛麺はちょっと…だが、熱いラーメンは大丈夫という気になる。秋だ。

ワンタン麺が結構好きだ。しょうゆ味が一般的だが、よく行く近くのラーメン屋では塩、味噌のワンタン麺もある。塩を食べたが、ワンタンはしょうゆじゃないと合わない気がした。

凝った店だと、コショウも黒コショウと、白コショウ両方置いてある。しょうゆ味には白コショウが合うように思う。味噌ラーメンには七味をかけて、塩ラーメンにはラー油をかけたりする。

ネギラーメンは黒コショウをかけてラー油をひと回し。タンメン系も同様。

酢をたっぷりかける人、まるで手首の運動の様に山盛りコショウをかける人。ま、ご自由なのだが人それぞれに流儀があるのがラーメンの楽しみ方だ。

今までで一番驚いたのは、ゴルフ場でラーメンを頼んだ同伴プレーヤーが一口食べて「熱いな!」と言ったと思ったら、氷の入ったコップの水をガバッと掛けた。いや、これには驚いた。

いくら熱いからって、味というものがあるでしょう?と思った。なんだか、それまでの彼の評価が一気に下がった様な気がする。

いずれ、細かい事には無頓着な人であってもなくっても同じように食欲の秋は来る・・・なんだか口に唾液がたまって来た。

今日はなにラーメンにしようかなぁ・・・?一応、「大盛り」だけは決まっている。

2011年9月 7日 (水)

食べてくれる生物

爽やかな秋晴れの会津です。朝方は涼しいを通り越して寒いくらい。

家の周りにクモが沢山、巣を作っている。今朝、竹ぼうきで家の周りを払う作業、思いっきり伸びを続けていたら胸筋を攣った。心臓病の発作かと間違われるように、胸を押さえて倒れ込んだ。こんなところを攣るなんて、痛かった&情けない。

湿度が低く、真っ青な空の中ほどには雲ひとつない。周りの峰々に、のんびりした雲が引っ掛かっている。

真っ青だった田んぼに急速に黄色が混ざり始めている。緑から黄金色に・・・もう間もなくだ。

今年はキノコが心配らしい。中通りで採れたキノコからは高濃度のセシウムが検出され、出荷も、食べるのも禁じられている。

会津の秋、キノコ狩りを楽しみにしている人は多い。楽しみというか命を懸けているぐらい打ち込んでいる人も少なくない。

主人がキノコ採りの名人で、いろいろなキノコを料理に出してくれる店もある。そんな人たちにとって、今年のキノコは大いに心配だ。

キノコが土中のセシウムを一気に吸い上げて、我が身を呈して超高濃度になって浄化してくれたりしたら、それはそれで嬉しい。

みんなでどんどんキノコを採って(もちろん食べないで)集めて放射性物質を凝縮させる。キノコが山々を一気にきれいにしてくれる。どうせなら、そんなSFの様な事が起こらないかなと思う。

セシウムをバンバン吸収し、福島県土を見る見るきれいにしてくれる「セシウム茸」なんて新種が現れたりしないだろうか・・・。

その菌を原発の近くにばらまくとニョキニョキとキノコが生え、どんどんきれいになってセシュウム茸だらけになる。そのセシウム茸からレアメタルが採れたりして・・・キノコ様様でみんなが故郷に帰れるようになる、これが本当の土壌(ドジョウ)の清事だ、なんてね。

放射能を食ってくれる、そんな新しい生物が出て来ると良いな~と夢想する今日この頃・・・。そんな空しいため息を吸いこんでくれるような美しい秋の空だ。

2011年9月 5日 (月)

いただけないカルテ

「神様のカルテ」という映画を見た。話題の映画なので真っ先にという訳ではなく、たまたま時間がちょうどよかった。

最近は日本映画も頑張ってどんどん撮っている。そんな中の一本、ベストセラーの映画化だ。

嵐の桜井翔くんと宮崎あおいさんが夫婦の心温まる映画・・・だが、映画なんだからもう少し丁寧に撮ったらどうなの?と思うところ満載だった。

とにかくお金をかけていない感じ、場面はみんな寄った絵ばっかりで、出来るだけ周りが映り込まない、テレビのホームドラマの様なものだ。

何と言っても、ドラマの一番の盛り上がり、末期がんの患者に生まれ育った日本アルプス穂高の山並みを病院の屋上から見せるシーン、天気がイマイチで山が見えていない。

見えない山に向って手を合わせる感動の場面、それはないだろう!と思った。

かの黒澤明は、天守閣の夕暮れ、夕焼け待ちに何週間もかけたと言う。今やそんな事は出来ない代わりに合成やCGの技術の進歩がめざましい。せめて青空にそびえる穂高の美しい山々ぐらいは合成でもいいので見せて欲しかった。

一番の見せ場でめちゃくちゃに手を抜かれた様で、お金を払った方はがっかりだ。

スケジュールの調整も効かず、アイドルでそれほど忙しいならやっぱり映画はやめた方がいい。映画にはテレビにはない丁寧さと美しさと根性が必要だ。

舞台は松本市、だが街なかの雰囲気も全く出ていない。同じ道と同じ店ばかり、一気に短時間で撮ったのが丸分りだ。

下ごしらえにも仕込みにも全く手をかけていない懐石料理を食べさせられた感じ、美味いわけがない。

日本映画は徐々に人気を回復しつつある。こういう時だからこそ映画らしい映画で、興業成績を上げて映画のファンを増やして欲しいものだ。あういうレベルの映画で興業成績NO1、とか言われると悲しくなる。

松本であんなものなら、会津若松市を舞台にしたらもっともっと良い映画がとれる気がする。忙しい病院だって一杯あるし、エキストラだってみんなもっと一生懸命にやるんじゃなかろうか?(エキストラに罪はありません)

火曜サスペンスの低予算テレビドラマとは違うんだ。

映画なんだからせめてもう少し丁寧にとらないと、神様のカルテに『余命わずか・・・』と書かれてしまいますぞ。

2011年9月 4日 (日)

責任持てない!

ものがよく失くなる。失くなると言うか、失くす。

さっきまであったのが忽然と失くなる神隠しのような経験は特に珍しくない。

冷静に振り返る。あの時こうしてああして、そうだあの時台所に行ってコーヒーカップを取った時に手に持っていた○○をカップと入れ替えに置いて来たのではないか・・・?まさか~!

どうしてそんな事をするのか全く心当たりはないのだが、食器棚の中に実際に失くして慌てた携帯があったりする。誠に不思議だ!

失くなるもののほとんどは誰かのせいや落としたのではなく、自分で失くして見つける事が出来ないと言うやつだ。

それも無意識にやったのならまだ分るが、計画的に仕舞ったまま出てこなくなるものもある。ちゃんと仕舞ってどこだったか分らなくなると言うやつだ。

また、洗面所でティッシュで鼻をかんでくず入れにポイと捨てたはずが、実は蓋の開いた洗濯機の中に投げ入れてしまったりする事もある。

もちろんわざとではない。が、そのまま洗濯してしまい、洗濯物がティッシュのカスまみれになり大変な目に遭う。

服のポケットにティッシュを入れたまま洗ってしまった、という可能性もあるが、くず入れと洗濯機を間違えた可能性の方がはるかに高い。

従って家人は最近、洗濯機の蓋をこまめに閉めて、私が近づく時には絶対に開いたままにしない様にしている。口に出しては言わないが完全に疑われている。そして、それは多分、当たっている。

ものを失くさないようにするためには、出来るだけものを持たなくして整理する。シンプルにするのが一番いいが、それが難しい。

『整理整頓』という言葉は、こどもの頃からどこか遠い国の呪文の様だ。

本当に無意識だと何をするか分らない。冷蔵庫に老眼鏡を入れたり、ゴルフバックに日焼け止めのチューブの代わりにワサビが入っていたりする。

世の中、自分でやったこととはいえ、責任が持てない事は結構あるものだ。怖ろしい。

きっと皆さんはそんな経験は微塵もないのだろう・・・。

またも大雨が心配された会津、比較的影響が少なく台風は通り過ぎた。

2011年9月 3日 (土)

手から出るもの

ハンドパワーという言葉がある。手から何か「気」や「念力」の様なものが出て、良い結果を引き起こす。

ま、ミスターマリックみたいにものを動かしたり、超常現象を起こすのはマジックじゃない限り出来ないが、手に何らかのパワーがある事は誰もがなんとなく信じてる。

お母さんの手に触られただけでこどもの痛みは和らぐし、腹が痛けりゃ誰だって手でさする、まさに手当ては治療の基本であって、確かに効く。

ありもしない念力ではなくて、「触る」のがハンドパワーだ。

先日、NHKの『ためしてガッテン!』という番組で、タッチケアというのをやっていた。その名の通り触るケアだ。認知症で暴力的になり、イライラしている患者さんがタッチケアで劇的に改善したと言うのをやっていた。

嫌がる時は触らない(当たり前だ)、触る時は秒速5センチで優しくさする。それだけ。その速さが一番気持ちがいいのだそうだ。ゴシゴシこすっても、触りっぱなしでもいけない、秒速5センチ。

それってハンドパワーなのか?秒速5センチで優しく触ってあげる事の出来るハートのパワーなのか?どちらかは難しいところだが、優しい気持ちを込めれば棘棘の心にも変化が起きることは確かだろう。

要するに向き合い方が変われば、相手も変わると言う事の典型例だ。

マンガみたいに念力を送ってみてもハンドパワーはちっとも出ない。競馬新聞の上に手をかざして「絶対に取ってやる!」とか、宝くじに手かざしの念力をいくら送ってもさっぱりだ。

ハンドパワーは人間相手じゃないと通じないが、「あなたはだんだん私を好きになる・・・!」なんて邪念と下心にまみれたのもダメだ。ましてや、いきなり触ったら警察に通報される。

「怒ったり、嫌な顔ばっかりしていないで優しくしてみよう」という自分側の変化こそが相手を動かすということなのだろう。

大空に手をかざし「台風よ鎮まれ、雨よやめ!」と言ってみる。今のところ会津は、薄日が差して、雨も風もひどくない。

この通り、私のハンドパワーもまんざらではないのだが誰も気にも留めてはいない。

2011年9月 1日 (木)

九月

先般、会津坂下町の早場米からは放射線セシュウムは検出されなかった。ほっとひと安心だ。このまま、本番の会津米にも全く異常がない事を心から祈りたい。

9月、会津は実りの季節を迎える。一番いい季節、私にとってはメモリアルな月でもあり大好きな月だ。

夏の暑さから解放されるのが何よりも嬉しい・・・あの9・11は結婚記念日だし、26日は誕生日だ。

会津まつりもあるし(別に出るわけじゃないですが)、お彼岸もあり、職場の大運動会もある。なんとなく気分的にもそわそわする。

高い青空を、白い雲がさっと掃くと旬の味覚が続々と登場する。

英語では九月から月のスペルの最後にerが付く。よくこのerの付く間が牡蠣の美味しい季節とされる。夏牡蠣から冬場の牡蠣に移る。

牡蠣は美味しいが私の場合、基本生は食べない事にしている。当たりかけた事があって少し敬遠、カキフライが一番好きだ。

柿の方は何と言っても身不知柿だ。酔い醒めの朝の冷たい身不知柿は最高だ。

Sptember=九月には「初老」という意味合いもあるのだそうだ。十月が「中老」、十一月が「大老」と進んで、Decemberの十二月で人生の終わりという事か?

そこから行くと、初老、中老もなかなか悪くない。美味しいものが沢山ある。こちらが健康なら人生の終盤戦を大いに楽しめる。

さすが大老の十一月ともなると新そばぐらいで雪もちらつき始めて少し淋しいかな?

九月の話をしておいてなんだが、九月が「初老」と言われると私はまだお盆前のAugustで!と言いたくなる。やっぱりお盆は少し過ぎてるか・・・?

いずれにせよ、皆様に良い九月が訪れますよう祈ります。

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