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2011年8月

2011年8月29日 (月)

ルール

フライングの事を書いたらあのボルトがフライングで失格になってしまった。

2度目のスタートがやたら慌てたスタートに感じられただけに、なんとなく後味の悪いレースになってしまったが、ルールだから仕方がない。

ルールとして決めたはよいが、ものすごく有名な人や大物がそれに引っ掛かるとなんとか救済策はないか?などとあたふたする事はよくある。いろいろな場面でちょっと待って、という話はあるものだ。

こんな事を言うと怒られるが、政治や経済の世界ではルールがあるのにグレーゾーンが若干、広いように思われる。

拡大解釈、解釈の相違、言ってる事とやってる事が違っていても堂々と答弁したりするから、きっとルール違反ではないのだろう。

誰が見ても分るようにやってもらえばいいのだが、ていねいに説明し、ちゃんと答えていると言う割には何を言っているのかさっぱり分からなかったりする。

さて、新しい民主党代表の野田さん、自分はドジョウで赤いおべべの金魚にはなれないと演説していた。ドジョウはドジョウらしく、なかなかいいじゃないですか。

その気持ちを失わずに、一つ一つ誠実にやっていただけたらそれでいいのです。ルールはルール、ダメなものはたとえ大者でも、実力者でもダメと言ってもらえれば、きっと国民も納得するはずです。

ま、気合入りすぎてフライングはしないようにお願いします。

会津は残暑。

2011年8月28日 (日)

鳩に豆鉄砲

菅さんはまるで最後っ屁の様に核汚染物質の中間貯蔵施設は福島県内に作るしかない、と言い出した。それを受けた知事さんはあまりに唐突じゃないですか!とまた怒りだした。

菅さんのやり方にも呆れるが、鳩が豆鉄砲食らったように怒ってばかりいる県のトップにも呆れてしまう。

県内に最終処分場を作らない、という国の言葉を信じてこれからの対策を何も考えてこなかったというのが露呈した形だ。

最終処分場など日本のどこにもない、そんな遠い先の事をうんぬん言う前に、まずはこの汚れてしまった福島県をどうやって掃除して再生させるか?その事を鼻血が出るほど考え抜くのが危機下の政治家の役目だ。それもスピードを持って。

必死で県民の未来・再生を考えて行かなくてならない。そのためには掃除をするためにゴミ捨て場をどうするかは、一番最初の問題だろう。

その施設、中間貯蔵でも最終処分でも、途中置き場でも言葉は何でもいい。とにかくどっかに集めないことには何も始まらない。

とりあえず県内にお願いするしかない、という菅さんの言葉は残念ながら現実性がある。それを受けて、我々福島の考えはこうだ、と議論をするならまだいい。

「突然すぎる!」と怒ってばかりるような時はもうとっくに過ぎたのではないだろうか。あれから半年も経って、ステップ2に向かっているのだ。

日本の叡智を集めた中間貯蔵施設を作り、なんとか県民の理解を得る。

貯蔵施設の建設や、除染方法の開発、処理を迅速に進めることに大きな予算を付けて公共工事をどんどん生みだす。そのお金を復興の力としてまわしていくしかない。

残念ながら福島県も、会津も汚染されてしまったのだ。東電が悪い、国が悪い、と言う話とは別に今をどうするかだ。

この先の未来に向かって県民を鼓舞し、必死で引っ張って行くのがリーダー、国の言う事を待っているだけでは沈没してしまう。

テレビを見れば国のお先も誠に暗い。トップが代われば決めたこともひっくり返す、悪いことも良い事に、あったこともなかったことになりそう・・・いずれ当分の間はめちゃくちゃだ。

福島はこうする!という事をしっかり決める。そこに向かって全自治体、県民が歩調を合わせ前に進めるしかない。

一歩進んで二歩下がったのでは、否、一歩も進まずどんどん下がるばかりでは、どうにもならない。

2011年8月27日 (土)

みんなに公平か?

テグで行われている世界陸上、幕開けの日本の女子マラソンは残念だった。残念だったというか、ケニア勢がすごすぎて、勝てる気がしないというのが正直な感想かな。でも、ママさんランナーの赤羽さん頑張りました、拍手!

トラックでもさまざまな競技が始まり、予選が行われた。ビール片手に家人と応援、そんな中で、驚いたことがこの大会から採用されたフライング一発失格だ。

「えー、厳しすぎねぇ?普通2回でアウトでしょ、やっぱ」「この前までは2回目にやった人が失格だった、あれも変だった」

なるほどフライングの失格も少しずつ変わっている。

昔は同じ人が2回したら失格、というルールだった。しかし、これだと何度もリスタートすることになる。極端な話、一人一人全員がフライングして8回、9回なんてこともありうる。そんなことしている内に選手はコンディションがおかしくなるだろう。

そこで1回フライングがあった場合、2回目に犯した人は誰であっても失格というルールに変わったのだろう。しかし、これも、1回目が自分じゃないのに失格になるというのは、なんだか不公平な感じがする。

第一、二回目に誰かが消える可能性があるなら一回目を意識的にやる人だって出てくるだろう。

結局、なんだかんだ言ってもフライングしたら一発失格、というのが一番公平でスポーツマンシップにのっとっているのかもしれない。

こういうのが議論の道筋が見える結論というのだろう。こうなってこうなって、こうだから仕方ないな、と納得がいく。

どんな有名選手もフライングは一発失格、出遅れたら記録は出ない。その厳しいスタートに全神経を集中するアスリートの目は美しい。

日本各地で豪雨が報じられる中、会津は久々に強い日差しの土曜日、洗濯ものがよく乾く。

2011年8月25日 (木)

お掃除するにしても

新聞を見ると放射能の除染が盛んに報じられている。少しでも放射能を取り除き安心に暮らしたい、誰もが思う事だ。

そういう記事を見る度に素朴な疑問がわく。取り除いた土や植物など汚染されたもの、洗い流して高濃度になった汚泥などは、一体どうするのだろう?という事だ。

慙愧に堪えないが、福島県は、この会津は、汚染されてしまった。それを掃除しなくてはならない。絶対にしなくてはならないが、掃除するにはまずゴミ捨て場をどうするかだ。

それぞれの自治体でしかるべき場所に埋める、などというやり方では各地にホットスポットを作るようなもので、福島県全体ががきれいになる日は絶対に来ない。

この際、どこか一ヶ所を犠牲にして、しっかりしたゴミ捨て場を作らなくてはならないのは、こどもでも分る理屈だろう。

放射線濃度の高い場所から、放射線濃度の低い場所に放射能のゴミを運ぶことは常識的に考えられない。

いくら尾瀬が東電の土地だからと言って、尾瀬ケ原を閉鎖して尾瀬に汚染物質を全部運んで埋めてしまおう、とは誰も考えないだろう。

人は住んでないし、建物はないし、この際、国立公園を返上し、これから1万年ぐらい封鎖してしまえば出来ない事もなさそうだが、そうは考えまい。

やはり常識的に考えれば、高濃度に汚染されてしまった地域の中の出来るだけ人の住まいのない場所に大規模な処分施設を作らざるを得まい、そう考えるしかない気がするけれど、他に妙案はあるのだろうか?

あるなら早く教えて欲しい。

県知事はそんな選択は絶対にあり得ないと言うが、福島県全体を再生させるためにはいち早くゴミ捨て場を作って、本気で除染に取りかかるしか道はないのだ。

時が後戻りしない以上、前に進めるしかない。

そのゴミ捨て場の話をせずに、ただ怒っているだけでは何も解決しないし、前には進まない。被災地のがれきだって同じ事だ。

日本にはすごい土木技術と科学技術、勇気ある人々がいる。結集すればきっとすごい処分場が出来るはずだ。いつまでも怒っているより本気でその話をして欲しいと思う。

いつかは誰かが勇気を持って現実を見つめ、厳しい決断をしなくてはならない。それこそが政治家の役目ではないのだろうか?

2011年8月24日 (水)

くじでもいい

「私が代表になったら、あなたの資格停止を解除するから応援して!」と、普通こんな事を言ったら選挙違反になるだろうし、なんだあの野郎!と票をガクンと減らしてしまうだろう。

しかし、代表選挙で一般国民が投票するわけではないので関係ないらしい。いくら国民がガッカリしても議員の票さえ集まれば勝てるし、選挙なのだから勝たなければ意味がないという考え方がまかり通る。

結局、どこまで行ってもOさんがキーマン、いくら国民が呆れかえってもOさんが鍵、偉いのだ。強いのだ。呆れてしまう。

国難だと言うのに時間ばかりが浪費されて行く。こうなったらいっそOさんでもいいんじゃないか、一旦諸問題は棚上げしても、まとめられる人が国を動かさないと本当に沈んじゃうよ、と思えてしまう。

円高、株安、放射能、何も待ってくれないのに政治だけがバックしている。こういう気持ちを「失望」というのだろう。

いっその事くじでもいい。当たった人の言う事を全員が聞かなくてはならない、恨みっこなしで合理的かもしれない。

一国の総理をくじなどと、不謹慎な!と言われるかもしれないがここ数年のゴタゴタよりはくじ引きの方がよっぽどましな気がする。ちゃんと恨みっこなしで、決めを守るならその方がいい。

涼しかった会津はじりじりと蒸し暑くなり、不快指数が上がってきた。

朝からテレビは引退、引退と大騒ぎなので、てっきり菅さんかと思ったらタレントだった。マスメディアに君臨してきたテレビも落日を迎えている。いち早く逃げ出した方が正解なのかもしれない。

ニュース画面の中ではみんなが好き勝手をしている。見つめる国民だけがもうどこにも避難する場所がない。

2011年8月23日 (火)

何処へ行くのでしょう。

お盆を過ぎると朝晩はめっきり涼しくなる、というのは会津でよく言われる言葉だ。大体そうなのだが、今年は極端に涼しくなってしまった。

今日あたりからまた気温が上がってくると言うが、もう、猛暑の夏には戻らないのではないだろうか?

近頃、テレビがあまり見られなくなってきているのだと言う。どんどん多チャンネル化して来て、何を見ていいか分らないし、あんまりおもしろい番組もない。

連日、お笑いタレント勢揃いのバラエティ番組が大騒ぎを繰り返しているが、さすがに厭きてきた。(見てたのかって話ですが、パラパラと見てました)

なんだかどんどん見られなくなってきているから、どんどん騒ぐと言う感じがしないでもない。

テレビの視聴率というやつがものすごく大事なものの様に語られるが、これまでは600だかなんかの決められたモニターの家の数字で決められていたのだそうだ。一億を600で測る、適当と言えば適当だが、それが大切な物差しだった。

地デジになると双方向が可能だ。という事はきっと、テレビ局側からは正確な視聴率を知る方法があるのだろうと思う。

その正確な数字を見て、結構テレビ局側も焦っているのではないかと推測する今日この頃だ。

テレビは強い、と思っていたのに今の若者はどんどんテレビを見なくなっている。テレビに出ている人は有名人だと思っているが、その人誰?なんて現象が平気で起こりつつあるのだ。

ある意味、お茶の間を支配してきたテレビ、その呪縛が、いとも簡単に解けていきそうなそんな流れを何となく感じます。

若者は本を読まなくなった。お酒も飲まなくなった。クルマにも関心がなくなった。異性にも淡泊、そしてテレビも見なくなっている。

一体どこに向おうとしているのか、私にはよく分らないけど・・・近頃のテレビは確かに面白くない。

2011年8月22日 (月)

震える人

真夏の南風と北からの秋風ではこんなにも違うのか!と驚くほどガクッと気温が下がった。20度前後の東京、この涼しさだったから24時間テレビの徳光さんもきっと無事に走れたのだろう。35度の炎天下だったらドクターストップがかかっていたかもしれない。

今年はおかしな夏で、7月の末と今回と二度もがらりと空気が入れ替わった。前日までエアコンガンガンだったのが、布団を引っ張り出すほどの涼しさに一変、夏の恰好では寒いぐらいだ。会津だからという事ではなく、東京も同じだ。

こういう変化に、敏感に対応する人とそうでない人がいる。涼しいからとすぐに長袖やカーディガンを引っ張り出して着る人と、涼しいからとは言っても、まだ夏なんだからと半袖で震えている人だ。

朝の中継で街の風景を見てると面白い。長袖にカーディガンを羽織った女性の隣りをタンクトップに半ズボンの男性が通り抜ける。彼は体感温度ではなく、季節感に合わせているわけだが、いくらなんでも寒いだろう。

身体ですぐに反応する人と頭(気持ち)で反応する人。臨機応変な人と少し不器用な人・・・なんとなく分る。

8月後半、残暑の季節とはいえまだ夏だ。

涼しいからと言ってすぐに半袖や半ズボンを手放したくない、という気持ちが心の奥底にある。暑い暑い!と文句ばっかり言っていたくせに、夏が終わってしまうのがなんとなく淋しいのだ。

だから変なやせ我慢をしたりもする。

一般的に女性の方が変わり身は早いように思うのだが、どうだろう?(単に冷え症の人が多いだけかもしれない。現実主義なのかもしれない)

朝は涼しいからと言って昼になればまた暑くなる!と決めつけてタンクトップで震えている人・・・そんな人はきっと悪い人間ではない様な気がする。

2011年8月19日 (金)

あいさつの流儀

朝、ウォーキングをしていると知らない人同士でも「おはようございます!」と言ってすれ違う。山に行くとみんな「コンニチワ!」というのと似ている。

ところが、たまに休みなど遅い時間に歩くとあいさつする人はめったにいない。大体、7時頃が目安で7時を過ぎると知らない人にはあいさつをしなくなるようだ。昼間歩いていてすれ違ってもあいさつしないのと同じことだ。

早朝は、運動している人同士という特別な仲間意識が働くのだろう。朝っぱらシンドロームというやつだ。(そんなのありません)

一方、いつどこでも誰かれなしにあいさつすると言うおかしな人もいる。あいさつして自分を売り込みたいと言う意識が働いている選挙を意識した政治家などがそれだ。

先日、大殿の葬儀会場に次の国政を目指す○○さんが現れた。

「いやーどうも、どうも」、と言いながらあいさつしてまわり一人一人に手を出して握手を求める。お葬式の会場で握手などしたくないのだが、あんつぁまなので、一応はした。

ところが驚いたことに十四代の前に進み出ると、沈痛な面持ちで落涙するのかと思いきや、十四代にまで握手の手を差し出したのだ。

これには少々呆れた。大体、握手というのは目下の者が目上の人に自分から求めてはいけないものだ。男性が女性に手を出すのもNGだ。

ふた昔前なら『無礼者!』と御手打ちにされてもおかしくない。ましてや父君を失くされた送葬の席である。

さすがに十四代もあんつぁまなので、そっと触れて立ち去った。

もうすでに選挙活動が身に沁み込んでいるのだろう。誰にでも手を差し出す。特に会津の有権者ともなれば『はい、一票ゲットー!』の勢いで満面の微笑みまで添える。お葬式の場であるのにだ。

人間は愚かだ。どこかで勘違いをしてしまう生き物である。自分は一介の素浪人でありながら、本物の殿様に手を差し出すその奇異な姿に気がつかなくなってしまう。

私自身、あいさつの流儀を人様に語れるほどちゃんとした男ではないが、葬式で笑いながら握手をして回るような鈍感な人にはなりたくないものだと思った。

ちなみに帰路の車中、その話題になったがすべからく同意見であった。

2011年8月18日 (木)

大殿逝く

会津松平家十三代当主・松平保定(もりさだ)さまが旅立たれた。

8月9日没、85歳のご生涯だった。生前から深く会津に想いを寄せられ、秩父宮節子妃殿下の縁につながる会津の殿様として宮家とのパイプ役を見事に努められた。

17日に告別式が東京で行われ、会津松平家奉賛会のメンバーと共に参列させていただいた。

ご遺影は昭和天皇の大葬の際に神官をつとめた御姿。天皇 皇后両陛下からの御下賜の品が供えられ真っ白な菊に包まれた祭壇、厳かな雰囲気の中、神道の作法に則り式は進められた。

徳川宗家や、多くの御親戚が座る室内は別世界、我々は外に控える。

やがて玉串を奉奠させていただきお別れをする。

そして最後のサプライズ、十四代・保久(もりひさ)様の配慮により、出棺の際、会津の奉賛会のメンバーが棺を担がせていただくことになったのである。まさに『さらば、大殿!』である。

遺影を持つ十五代・親保(ちかもり)さまは中学校1年生、十四代が私と同じ歳だから遅いお子様、奥様も一回り以上お若く美しい。(別に羨ましがっているわけではない)

こんな様子を描くと、何と時代錯誤な!と思われるかともいるかもしれないが、歴史を大切にし、今に伝わる会津松平家を様々な形で尊び、お助けして行く事は悪くない事だと思っている。

NHKのエグゼクティブプロデューサーをつとめる十四代は実に気さくな人物だ。会津入りの際などは有志が集まり楽しい宴を持つ。

時にはジャズを聴きながらハイボールを飲んで語り明かしたりもする。「殿!」「苦しゅうない、苦しゅうない」などのおふざけは半分洒落だが、敬う気持ちに嘘はない。

保科正之公から面々と伝わる四百年の歴史の上に今、この出会いがあると言う不思議な縁、感動的ともいえる偶然なのだ。

大殿も50日が過ぎれば院内の御廟・松平家の墓に納骨されることになる。その時には、会津の人々に御別れを言っていただけるよう、何らかの機会を設けなければならないだろう。

その際にはたとえゴルフとぶつかってもキャンセルして、ちゃんとお手伝いしなくてはならない・・・。

2011年8月16日 (火)

治る夢

ちょっと熱を出して寝込んだだけでも健康のありがたみを思い知る。毎日普通にしていられるのがどれほどありがたいことか。

こどもの頃はしょっちゅう学校を休んだ。お化け扁桃腺と言われる扁桃腺持ちで、結局は手術はしなかったのだが、年に4,5回は熱を出して休んでいた。

天井板の節目が人の顔や、動物に見える。じっと眺めながら物語を作り、眠っては熱にうなされた。

こどもの頃は決まった夢を良く見た。低学年までオネショをしたが、する時の夢は決まっていた。遊び場だったお墓で友達と遊びまわっている。高いところが苦手で、大きなお墓の脇からぴょんと飛び下りた友達の跡を付いて行けなくなる。

「大丈夫だあ、飛び下りてみ」と、友達が呼ぶ。怖いが思い切ってエイ!と飛び降りると地面がどんどん下がってどこまでも落ちていく。「ああ~」と叫んで縮こまって・・・急に気持ちが良くなると必ずアウトだ!

病気が治り、熱が下がる時も同じ夢を見た。何かをして世界中を追いかけられるのだ。追いかけられて追いかけられて、逃げ回って最後は捕まる、その寸前に目が覚める。

全身びっしょりの汗、「ああ~夢だった良かった!」と、気が付くとウソの様に熱が下がって、さっぱりとしていた。

今朝の家人がちょうどそんな塩梅だった。ぐっすり眠れたと言って起きて来た顔で治ったのが分った。

一体どんな夢を見たかは知らないが、8度台の高熱が6度少しに下がっていた。

あんなに高い熱が続いたのは珍しい、ひょっとして真夏のインフルエンザだったのかも?だったら次は私ってことですか???

健康はありがたい。

2011年8月15日 (月)

秋の飛行機雲

友人からメールが来た。『會津風雅堂にユーミンが来るんだって、行きます?』

こんな大物が会津に来るので驚いたのだろう。一緒にチケットを申し込んであげようか?と気を効かせてくれたのだ。ありがとう。

実は私も驚いた。2、3週間前のFMで「會津風雅堂」という名前を聞いて、え?会津に来るの?とびっくりして、ネットで探してすぐに申し込んでいた。

ユーミンレベルの東北ツアーは大体が仙台公演、県内だとせいぜい郡山だ。

震災の影響でいまだ多くのホールが使用できない。以前ユーミンの公演を観た仙台の会場は長く遺体安置所になっていたと聞いた。郡山文化センターも壊れて来年までは復旧できないらしい。

そんなわけで思わぬ大物アーティストの公演が会津に流れて来ているのだ。

ユーミンが風雅堂レベルの小さな小屋でやるのは珍しいのではないのだろうか?ばかデカいホールでもあっという間にソールドアウトだ。

大掛かりなステージ、さまざまな仕掛け、それらをどんなふうに見せてくれるのか楽しみだ。ほぼ同年代、パワフルな彼女のステージは大いに勇気を与えてくれるだろう。

ま、そんなわけで今年の秋は、お楽しみが多い。演劇、落語にクラシック、太鼓公演やゴスペルなど多彩。大いに刺激を受けて、かつ、会場に募金箱があったらちゃんと募金をしようと思っている。

ちなみに、ぴあで申し込んだ私のチケットは8月上旬に当たりの通知が来て、13列目の端っこ。友人は新聞を見て電話をかけまくり5列目の端っこをゲットしたそうだ。負けた。

2011年8月14日 (日)

歩く人

山のお墓は無事だった。

家人の体調を案じ、かつ子どもたちもいないので一人で淋しく大窪山へ。暑いので7時前に出かけた。静まり返る墓地、『熊出没注意!』の看板がある。注意しろと言われても、「あー」とか「うー」とか声でも出すしかない。

地震の被害が心配されたご先祖様のお墓群は無事だった。ちゃんとした古い墓が5つほど、小さな石だけになっているのが5つほど。この姿はこどものころから変わらない。ただ40センチほどの古い石が前倒しになっていたので起こして拭いた。

チャチャチャと草むしりのまねごとをして、墓を水で洗い、お神酒をかけて、お供えをして花を上げお線香をたく。それだけでも一人だと結構大変だ。

ぶんぶん攻撃の薮蚊を追い払いながらお参り、静かに手を合わせる。

家族の無事はもとより、今年はちょっと念を入れて会津の無事、日本の安寧を祈る。

さあ帰ろうとすると、山の下の方から突然ザッザッという音、熊じゃないだろうなと思って見たら、黒いウォーキングオジサン出現、どう見てもお墓参りの人ではない。トレーニングウェアで山をどんどん登って行く。

何もこんなところを歩かなくても良さそうなもんだが、何らかの訳があるのだろう。あっという間に登って行ってしまった。

この墓地の頂上には会津藩の名家老と謳われる田中玄宰の墓がある。そこから、そのまま東(小田山方面)に下れば慶山の寺群、松平家御廟から東山温泉の方まで歩いていける。

彼はウォーキングと歴史探訪を同時に楽しんでいるのかもしれない。

およそ1時間・・・まだ涼しい早朝なのに大汗をかいた。お墓参りもひと苦労のお盆である。

2011年8月13日 (土)

イレギュラー

いよいよお盆モード、まちなかは混みだした。

会津若松市内の場合、信号が1回で抜けられないと渋滞、2、3回待ちになれば大渋滞という感じだ。そこから行けば中渋滞といったところか。

飯盛山の周辺も賑わっている。あまり評判のよろしくない駐車場への呼び込みおじさんも姿を見せて頑張っているが、例年に比べればクルマはやっぱり少ない。

十三日の夕方に菩提寺で墓参りをする。東日本大震災でお墓の周囲や石灯篭が崩れるという被害を受けたが、お盆前までには修理も終わって元の姿に戻った、めでたしめでたし。

墓参りを済ませ、本堂でお参りをして提灯に火を持ちかえり、家の仏壇に灯す。そして線香をあげてお迎えする。その後、姉の家族や叔父さんたちと賑やかに会食をする。これが例年のお決まりだ。

だが今年はちょっとイレギュラーだ。放射能のせいではないのだが用事が重なって参加者が少ない。我が家のこども達もいない。加えて家人が夏風邪をひいて少々調子が悪いと来ている。

明けて明日の朝もお墓参りがある。大窪山という旧会津藩士の墓所にも古い古いお墓がある。そちらへは、全くもってずぼらな話だが、年に一度お盆にしか伺わない。山なので結構大変なのだ。

あの地震の後も一度様子を見に行かなければならない、ならない、と思いつつ今日になってしまった。結局明朝、確かめることになる。

もし地震で崩れていたらどうしようかと思うが、その時はいつもより余計に線香をたき、お神酒を召し上がっていただきお詫びをして、からそれから考えるしかない。

どうも残念なお盆になりつつある。しかし、ひぐらしも賑やかに鳴きはじめた。そろそお墓参りに行かなくてはならない。

どうもいまひとつ気分が出ない感じだが、ま、拝んで一杯入れば調子よくなっちゃうかな・・・・?

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀ーーー仏。

2011年8月11日 (木)

年を経て

昨晩は家族納涼会があって、家人と出掛けた。

奥さんや、こども、孫などを連れて来る人もいれば、単身参加ももちろんいる。

K会長さんは、奥様、娘さんがシャイなためという理由で一人で出席。別に嫌われているわけでも仲が悪いわけでもない、と前置きしながら「本人がいると恥ずかしくて言えませんが私は家内を心から愛しています!」と言って会場を沸かせた。

それを受けて各人の自己紹介、家族紹介ではいろんな「愛してる」が飛び交った。

「愛している事は間違いないのですが愛されているかどうかが問題です」

「愛されはいるのですが、単身赴任25年目となり本日も一人での参加です」

「今は二人暮らしなのでお互いウソだけは付かないようにしようと言ってます。ウソをついたら罰金1000円なので、愛してると言うと1000円払わなければいけません?!」

などといろいろと混ぜっ返し、会場は笑いに溢れた。

「家も20年ほど過ぎると電化製品などあらゆるものが経年劣化で壊れていきますが、愛情だけは劣化せずに時間が経つほどにどんどん良くなると言う事で・・・・」

「それは初めが壊れてたから治ったんでないの?」(笑い)

そう言う見方もあるが、確かに心は努力次第で経年劣化を防ぐ事が出来る。

有名な詩にも、歳を重ねる事が老いではなく、精神が老いた時が青春の終わりだ、と言うようなのがあったっけ。

愛情、友情は歳を重ねるごとに良い味を出して深まり、強まっていくのがいい。年ごとに疲れて擦り減っていくのではモノと同じだ。

いつかは経年劣化を起こすのだろうが、その前に肉体の方に限界が来て死んでしまう、というのが理想形と言えるのかもしれない。

そんな風にうまくいくかどうかは心掛け次第という事だが・・・・努力は必要だ。

会津は猛烈な暑さ、「いやこっちの方がすごい、こっちが負けちゃいない」という声があっちこっちから聞こえてきそうだが、みなさま身体大切に。

猛暑お見舞い申し上げます!

2011年8月 9日 (火)

人生で一番悲しい夏

暑い日が続く。

浜通りの人と話すと、会津の暑いのには驚いたという声を良く聞く。会津は山で、浜通りは海、山が涼しく海が暑いと思いがちだが、逆だ。

浜通りの夏は涼しい。会津が34、5度でも、27、8度ぐらいだったりする。浜風は爽やかで涼しい。会津は確かに高い山に登れば涼しいかもしれないが、平場は猛暑だ。

浜通りから避難して来ている人々は、この暑さに一様に参っているようだ。しかし、夏で参っている人が会津の冬を味わったら一体何と言うのか?心配になる。

住めば都とは言うものの、人間生まれ育った土地に身体が一番馴染んでいる事は間違いない。

夏涼しくて、冬場はポンポンの晴天が続く浜と会津とはあまりにも違う。その違いを否が応でも受け止めなければならない立場に立たされてしまった人々がいるのだ。

我々はこの盆地の暑さを当たり前に受け入れている。

もうすぐお盆、墓参りをすまして、ひと時賑わったふるさとが静かになる頃にはもう朝晩に秋風が立つ。そして秋・・・更に冬には当たり前だが雪が積もる。そんな会津の気候が肌に沁み込んでいる。

そして、全く沁み込んでいない人々が故郷を追われているのだ。

先日、町内会のお祭りに避難されてきた家族が参加してくれた。原発のある大熊町から三度避難先を移り、今は我が町内にいると言う。

娘が中学三年生で進学問題を抱え、この先どうして良いかわからない。「どうせもう帰る事は出来ないからね・・・」と言った。そして、「会津は暑いですねー!」と笑いながら生ビールを飲んだ。

我々にとっては当たり前の夏も、彼にとってはきっと人生で一番悲しく腹立たしい夏なのだろう。

2011年8月 8日 (月)

新・保科正之公

会津若松市に12年ぶりに新しい市長が誕生した。室井照平氏55歳と若い市長、20年来の知り合いだ。

テニスで国体にも出ているスポーツマンでガタイも良い。JC出身で若い経済人とのパイプも太く、顔も広いし大きい。

今回は市内を二分した市長選挙となったが、今暁ノーサイドの笛は鳴ったのだ。

そもそもこの選挙が延期されたように、震災の影響はまだまだ大きくて深い。全市民が一丸となって立ち向かっていかなければ、市が潰れてしまうことだってありうる。

それだけに新市長に寄せられる期待は大きい。

危機のリーダーとしては名君・保科正之公が有名だ。二十万人もが焼け死んだと言われる有名な振袖火事から江戸の町を再興した。

会津のお殿様でありながら、日本の危機をリードしたのである。

その保科正之公を再評価する動きが高まっている。再評価と言うよりは、再発見といったほうがいいかもしれない。保科公の業績は維新以降、新政府の手によって歴史の表舞台には出てこなかったからだ。

将軍家光の異母兄弟、と立場的には地味だが業績は限りなく大きい。戦国以来の武断政治から文治政治へと完全に社会を切り替え、長く平和の続いた江戸時代の礎を築いた人だ。

小説や歴史書からしか知る事は出来ないが、家臣のみならず、諸大名からの信頼が相当に厚かった事が伺える。それゆえにしっかりした「政治」を行う事が出来たのだろう。

その根底に流れるのは無私無欲、自我にとらわれることなく国(幕府)や民の事を一心に思ったその純粋な姿勢だ。

「あの人の言う事なら信頼して大丈夫、あの人の言う事なら聞こう」と、思わせる魅力が備わっていたのだろう・・・。

少々大袈裟だが、私は室井新市長に平成の保科正之公となって「会津中興の祖」と言われるような業績を残してくれる事を期待している。

彼はいつも陽気で会えば冗談ばっかり言っているようなところがあるが、これは冗談抜きで心から思っている事だ。

2011年8月 6日 (土)

魅せられて

日帰りの東京出張、東京にしては涼しいのだろうが、ムシムシして暑かった。

新幹線でピューッ!日本の新幹線は安心だ。スペインでヨーロッパの新幹線TGVに乗ったが、トイレのドアは壊れていたし、折り返し運転でいちいち車内清掃などしない。シートも車内も汚れていた。

清潔で、正確で、安心なのはやっぱり日本だ。いくらなんでも土に埋めたりはしない。

あの、何を言われても映像が残っていても、やってない!と言い切る面の皮の厚さ、信じられない。しかし、考えてみれば近頃の日本の政治家も中国化しているのかもしれない。私は立派だ!ぐらいの事を自分から平気で言う。

『恥を知る』と言うのが日本の古くからの美風、日本の精神文化の在り方だ。天に恥じないかどうかを律するのは他人ではなく自分なのだ。自分で律せず、周りに簡単に乗せられる、そんな人が多い。

ま、いい。

その安心な新幹線のおかげで会津からの出張も時間がたっぷりとれる。昼に大事な人と会い、用事を無事済ませ、時間が少し空いた。

帰りの電車まで新国立美術館に寄って「ワシントン・ナショナル・ギャラリー」展を観ることにする。

印象派のコレクションが多い。印象派のマネ、モネ、ルノワール、ドガ、そしてポスト印象派と呼ばれるセザンヌ、ゴーギャン、スーラ、ゴッホ。まぁ、当たり前だがみんな絵が上手い。

美術館も省エネ、少し温度が高かった。パタパタと扇子であおぎながら最高級の芸術品に触れる・・・その扇子がパタリと止まったのがゴッホの前だった。

青みを帯びたゴッホの自画像、そして全体が緑色を帯びた白いバラの絵「ROSE」、いやー、一瞬絵に引き込まれ暑さも何処にいるのかさえも忘れてしまった。

久しぶりの芸術の引力、ゴッホはこれまでにも結構見ているがこんな事は初めてだ。

糸杉も跳ね橋もひまわりも夜空も、みんなゴッホだが、あの「ROSE」にはなぜかこれまで体験したことが無いほどに魅せられた。

何でもそうだが受け取る側の変化で印象や衝撃は大きく変わる。やはり震災以来、自分の中で何かが変わっているのかもしれない。

ひとつ油絵でも描いてみっかな?わだば、歳とったゴッホになる!・・・なんねけど、いいかもしれない。

2011年8月 4日 (木)

誰でも受かるの?

当たり前だが朝から選挙カーは元気だ。念仏のようなあいさつでは票も減らすだろうから、あっちでもこっちでも声を張り上げ、ちぎれんばかりに手を振って、顔が壊れそうなぐらいに笑いを投げかける。

全く知らない人なら無視も出来るが、こんなに小さなまちだ。知っている人も少なくないので対応が難しい。

手を振って応えたりすると、マイク越しにものすごく大きな声で「ありがとうございます!力をいただきました!」などと叫ばれて、周りから、ああ、この人はあの人を応援してるんだ、と言う目で見られる。

こどもの頃、選挙と言うと大人が急に愛想良くなるのが不思議だった。選挙カー同士がすれ違うと「○○候補の健闘をお祈りいたします」とエールを贈り合うのがなんだか面白かった。

必死で戦っているのに「○○落ちろ!バカ野郎、お前の母さん出ベソ!!」なんて事は言わないんだ、と感心した。が、その反面ウソっぽいなぁ・・・とも思った。

会津若松市の市議会は議員報酬の見直しなど議会改革に先進的な取り組みをしていると伝えられている。

しかし、一番は議員の定数削減ではないだろうか?それが出来ない。自分たちで定数を減らすと言うのはよほど難しいらしく、どこの町村でも上手くいかない。

今回の選挙みたいに30の定員に対して32名しか出ないような選挙が果たして住民の審判を受けているのかどうか疑問だ。

そりゃあ、誰でも出るのは自由。でも、ちょっと身内がまとまれば受かってしまうような定数は問題ではなかろうか?

定数削減が出来ないならせめて、有権者の何%とか、最低得票数を決めて到達できない人はカットして定数割れを起こしてはどうなのだろうか?せめて2千票ぐらいなければ民意を反映してるとは言えないように思う。

あの人も、この人もあんな人も?!結局当選してしまうのかと思うと少々がっかりする。

人口12万強、12人とは言わないが20人もいればどう考えても充分だと思う。

費用も減って議員の質も上がり、しっかりした議論が出来る。いいことばっかりの様に思うが、そう簡単にはいかせない何かがあるわけだ。

市議会議員、市長選挙の投票日は7日の日曜日です。棄権せずに投票に行きましょう!(自分に言っているのです)

2011年8月 2日 (火)

ビール

家人の秘密をばらす。

彼女は酒が飲める、それも弱い方ではない。が、ビールしか飲まない。河豚を食っても寿司を食っても、ひれ酒なんか飲まないし、日本酒なんか見向きもしない。ビール一筋だ。

スペインでワインに舌鼓を打っても、上海ガニを紹興酒で楽しんでも、彼女はビールしか飲まない。

じりじり燃える夏も、凍てつく冬も冷えたビールだ。

よくまぁ、あんなにビールばっかり飲んでもビール腹にならないものだと思うが、ちっとも太らずビール腹はこっちが引き受けている。

結婚前はワインや水割りなども飲んだと記憶しているが、今は飲まない。何が彼女をそうさせたのかは分らない。

反動と言う訳ではないが私は何でも好む。

ウィスキーや焼酎、日本酒はもちろんマッコリでもなんでも。冷凍室にはウォッカが凍る一歩手前で冷えている。強いて言えばビールだけというのはむしろ苦手な方だ。

家族四人、好みは娘が私に似て、息子が母親に似ている。

全員が飲むので、盆や正月に会津に帰ってくるとすごいペースで空き缶がたまる。月曜日の朝、ゴミを出す時に見られると恥ずかしいくらいだ。

ま、夏が暑くてビールが美味いのは至極結構な事だ。酔って楽しく、酒が進むのは健康な印、これまた結構、いつまでもこうありたいものである。

ただ、今年のお盆は二人とも帰省しないので、その結構が味わえないので少し淋しい・・・。

「冷酒も良いよ~、美味いから飲んでみ!このワインいける、どう?」などと、近頃はもう言わなくなった。

私がいろんな酒を飲み散らかすのを、ひたすらビールを傾けながら家人は笑って見ているだけである。

2011年8月 1日 (月)

トップ選び

今回の震災で比較的被害の少なかった奥会津地方、それにつながる新潟県の魚沼郡や三条市などで大変に大きな被害が出た。平成23年7月新潟・福島豪雨だ。

只見や金山町では橋が流され、土石流が村を襲った。

あれだけの災害を与えてまだその手を緩めようとはしない、なんとも天は不条理だ。また、多くの人々が家を失い、田畑を失った。

只見線はズタズタに寸断された。もう復旧しないのではないか?と言う声さえ出ている。これを機に赤字路線をバスに乗り換えて・・・と言う、淋しい憶測さえ乱れ飛ぶ。

今年の魚沼のコシヒカリは全滅かもしれない。会津でも多くの田が水をかぶり、宮城の大穀倉地帯は大津波でやられている。そして中通り、浜通りは放射能だ。本当に米が足りなくなるような事態が起こらないとも限らない。

昨日会った酒造会社の社長さんは、西会津、金山の契約農家の田んぼが全部だめになったと嘆いていた。酒造米にも事欠く事態が出たら大変な事だ。

市内ではこんな大災害の中、市長選ならびに市議会議員選挙が幕を開けた。

それにしても政治家と言うものは強心臓だ。今に至っても菅総理大臣は自分はちゃんと対応して迅速にやってきたと言い張る。

三期務めた菅家市長は、市民の立場に立った市政を良くやったと自ら総括し、後継まで指名した。

膨大な赤字を膨らませ、衰退を食い止められなかったのは同じなのに。

何をやっても「これでも私はちゃんとやった!」と胸を張られると「じゃあ、結局誰がやっても同じだわ」と合いの手を入れるしかないような気持になる。

トップを選ぶ事は実はものすごく重要な事なのに全く気分が高揚しない、盛り上がらないのはなぜか?

もはや誰にもよく分からない。

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