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2011年7月

2011年7月30日 (土)

どっから見てもしなやかじゃない

この大雨で奥会津地方には大きな被害が出ている。

あの大河・只見川が溢れると言うのだから大変な事だし、あの大きな流れが溢れるくらいになれば見ただけで恐ろしかろう・・・。被害が少しでも小さく済む事を祈りたい。

まもなく7月も終わり、お盆の8月だ。

今年のお盆はどういう事になるのか、想像もつかない。震災以来故郷に帰っていない、または帰れなかった人々で溢れるのだろうか?はたまた、福島県から退避の人々で閑散とするのだろうか?

8月には避難所も大方閉じられる。避難所から仮設住宅や借り上げ住宅へ。避難生活から新しい暮らしへとスウィッチしなくてはならない。そうなればこれまでとは全く違った人やモノの流れが出来るだろう。

いろいろな事が、どうなるのかは分らないけれど変わっていく事は確かだ。

「頑なで頑固」は会津人の得意技だが、この困難の時には凝り固まった考え方だけではあまり良くないかもしれない。

「柔軟でしなやかに」と言う考え方が時には必要。柔軟体操は苦手中の苦手だが、せめて頭だけは少し柔らかくすることが大切だろうと思う。

一番いけないのは誰かの様に「柔軟でしなやかに」と「適当に思いつくまま」を混同してしま事だ。

芯がなければ真も信もない、それでは何事も解決できないし、前には進まない。

堅くて柔らかく・・・加減が難しいところ、会津人の苦手分野だと言って良いかもしれない。

2011年7月29日 (金)

土砂降りの雨の中で

すごい雨だ。梅雨の終わりに見られる様な強い雨、各地で集中豪雨の被害も出始めている。

連日、熱中症予防を呼びかける暑い日が続いていたが、のろのろ台風6号が来た辺りから天気がおかしくなった。

秋のように涼しい日が続き、雨が続いている。

世界各地からも異常気象のニュースがどんどん届いている。北米の猛暑、韓国の大雨、アフリカの大干ばつ・・・・今さらだが地球全体がおかしなことになっている。

この地球温暖化を食い止める最大のエネルギーが原子力だ。二酸化炭素をほとんど排出することなく、再利用も可能な夢のようなエネルギーだ。

ただし、但し書きが付いている。

まだ人間が100%コントロールできてない。原子力によって生まれる放射性物質の最終処分が出来ない。と言う、ものすごく重要な但し書きだが、その恩恵があまりに大きいので、誰もが目をつぶった。

最終処理は未来の科学の進歩に託す、と言ういい加減な話だ。

原発の事故で『それじゃダメじゃん!』と言う事に多くの人が気付いた。

未来の科学の進歩に託してこのまま続けるよりも、水や太陽や風から無限のエネルギーを生み出すであろう未来の科学の進歩の方に託して止める方向へ・・・その方が賢明だと言う事だ。

「日本沈没」で名高い小松左京さんが亡くなった。面白くてむさぼるように読んだのを覚えている。彼のSF小説の多くは人類の進歩のその先の危機を描く。人間の傲慢と思い上がりの先にあるしっぺ返しに、警鐘を鳴らした。

二度映画化された「日本沈没」。二作目ではここ会津が大きな役割を果たしている。会津だけが沈まずに残り、会津から再生が始まるのだ。

土砂降りの雨、黒く低い空、まるでこの世の終わりに向うような天気だ。

会津から生まれる日本の夜明けはまだまだ当分来そうにも無い、そんな気にさせられる暗い朝だ。

2011年7月28日 (木)

どんずまりから

水道の水は無事に出た。順調。

昨晩、市民手づくり舞台の会議が開かれた。

会津若松市では平成24年9月に第6回の市民手づくり舞台が行われることになっている。その実行委員の末席に名を連ねている。

第4回の市民手づくり舞台は私の脚本で行われた。『ザ・ゴールデン・デイズ~大山捨松の生涯~』と言う舞台、自分で言うのもなんだが大変に好評であった。エヘン!

その後、第5回が行われ、しばし間をおいて第6回が行われることになった。私も実行委員に呼ばれたが、難航している。

委員会では演劇だけにこだわらず歌や踊り、郷土芸能なども取り入れた総合芸術の様なものが出来ないだろうか?と、案は様々出ていたが一向にまとまらなかった。

昨年夏、私は会津混声合唱団の演奏会を観る機会があった。そのステージで中盤に芝居仕立てのアニメソング特集コーナーがあった。

これがまあ、実によく出来ていた。構成も良し、小芝居も良し、テンポも良し、歌も良し、一歩間違うと観る方が恥ずかしくなってしまう素人芝居を見事にまとめ上げていた。

この作・構成・演出に佐藤雅道さんと言う大沼高校の先生の名前があった。

わずか30分ほどのステージだが私は溢れる才能と、確かな実力を強く感じた。そこで、その佐藤先生に脚本を一任する案を主張したのである。(多少強引に過ぎたが・・・)

一度もお会いした事はなかったが、作品を見ればその才能は充分に分る。

その実力は案の定であった。佐藤先生率いる大沼高校演劇部は、今年の東北大会を制し、全国高校生演劇大会という夢の舞台へ、佐藤先生作のオリジナル脚本で出場を果たしたのである。

8月初旬に香川県で開かれる全国大会、ここでベスト4に入れば、まさに会津演劇界の快挙と言って良い。

その佐藤先生が多忙の中、市民の手づくり舞台の脚本を引きうけてくれた。

昨晩、その第一校として作品のプロットが示された。これまでの手づくり舞台にはない全く新しい芝居の大枠が披露された。

私は何度も佐藤先生を推したものの、なんとご本人とは昨晩が初対面であった。

今、会津でこれだけの舞台をオリジナル作品で創り上げらる才は、佐藤先生以外にないだろうと確信で来る内容だった。(詳しくは言えないが会津の閉塞感をぶち破るような明るく元気な現代劇だ)

これで手づくり舞台の第6回公演は大きく前に踏み出すことが出来た。一時のどんずまり状態から大きく動き出した事になる。

来年の公演まで、あまり頼りにはならないが出来る限りのお手伝いをしていきたいと思っている。

2011年7月27日 (水)

尊い水

夜の10時頃、歯磨きをした時に水の出が悪い事に気付いた。トイレも流すと上からジャーッと出てこない。変だなぁ、と思って寝た。

朝に起きて、洗面所の蛇口をひねるとどうも出が悪い。台所などいつもの半分ぐらいしか出ない。その内に、だんだん出が悪くなってウォシュレットも使えなくなってしまった。台所の水もいよいよ細く、とうとう止まってしまったのだ。

朝早いが慌てて水道局に電話を入れてみる。

するとどうやらウチだけではない様だ。会津若松市内の飯盛一帯で断水しているらしい。どこかで漏水しているのが原因のようだが調査中とのこと。もうすでに町内には給水車が来ているとの事だ。

ウチだけのトラブルではない事に一応ホッとしたが、水が止まると本当に困る。

被災地の事を思えばこの程度で大騒ぎしていられないが、水が出なくなるという事は恐怖感も伴う。

風呂に入れない、顔を洗えないなどと言うのは先の話だが、なんと言っても食事が作れない、トイレが流せない。食べ物の出入りが困難になる。

これが何週間も何カ月も続いた(まだ続いてる)のだから、被災された方々は本当にお辛い事と同情する。

電気・水道・ガス・・・このライフラインが寸断されると、人間はたちまち危機に立たされてしまう。

これを絶対に止めずに上手に付き合っていかなくてはならない。それも限りある中でだ。

それがここから先の日本人の、新たな運命(さだめ)になった。これまでとは違うモノサシで生きていかなくてはならなくなったのだ、あの日以来。

数十分後、ジャアーといつもの勢いで水は出た。まったくもって有難い。

これが一時的なのか、根本解決かは分らないが、朝の時間は慌ただしい。また再び止まらない事を祈りつつ、とりあえず家を出た。

2011年7月25日 (月)

HAYABUSA

會津稽古堂という古めかしい名前の施設は、町なかにオープンしたばかりの中央公民館+図書館の機能を合わせ持った真新しい複合施設だ。

多目的ホールには200人ほどが入る。会議やコンサート、お芝居など様々な使い方が可能だ。

先日の日曜、そのホールで「HAYABUSA」という映画の上映会が開かれた。

あの小惑星イトカワへの冒険の旅を終えて帰還した宇宙探査機「はやぶさ」のドキュメンタリー映画、全編CGで作られた45分ほどの小編だ。

出てくるのは探査機はやぶさと宇宙、全てCGだがこれが実によく出来ていて分かり易い。宇宙の中をひたすら進み、幾多の困難に出会うはやぶさ君に思わず感情移入してしまう。

はやぶさが他の探査衛星と決定的に違うのは、イトカワという小惑星まで飛んで行ってデータを収集するだけでなく、それを持って地球まで帰還することを使命としている点だ。

飛んで行って役目を終えたなら宇宙の藻屑となってしまう探査衛星とはそこが徹底的に違う。

行って帰ってくる、それも小惑星イトカワに一旦着陸して岩石を採集して戻ってこようというのだ。それを支えるのは日本の高い技術力に他ならない。

そして、そのチームの中で小惑星イトカワの形や地形、三次元映像を解析し、このミッションを助けたのが我が会津大学の研究チームというのだからこれまたすごい。

言ってみればここ会津で、宇宙のはやぶさ君を導いていたのだ。

残念ながら人の入りはいまひとつだったが、夏休みのこども達には最高の映画だった。(またどこかでやったらぜひ見て欲しい)

このはやぶさ帰還の物語を観ると、日本という国の技術力の高さに改めて感心させられる。そして、ちょっと勇気がわいてくる。

現在、はやぶさをテーマにした映画が、各社で作られ同時に3本が進行中だという。その完成も楽しみだ。

渡辺謙さんや西田敏行さんなど主役はそれぞれ、はやぶさを支えた人間ドラマをどう描くか?どうせなら全部見比べてみたいと思っている。

2011年7月23日 (土)

抗う心

毎年決まったように夏風邪をひく。

寝苦しくなってきて睡眠不足が続く、暑いので何かと理屈をつけて動かないから運動不足になる。そんな中、飲み会が続いたりすると急にのどが痛くなったりして、熱を出す。

一旦、風邪をひくとなかなか抜けない、寝込むほどではないが本調子に戻るまでかなり時間がかかる。歳のせいだろう。

思えばここ3週間ほどウォーキングもさぼっているし、ろくな運動もしていない。

秋の様な涼しさなので風邪気味を押してゴルフに行ってみた。涼しく快晴無風、最高のコンディションだったが、ひどかった。身体がバラバラ、下半身ふらふら、運動不足を実感した。

で、思い知ったというか自覚した事だ。歳をとって筋力をつけるのは骨だが、筋力低下はあっという間だという事だ。

意識して動かないと全く動かない事になってしまう。若い頃と違って普段の生活での運動量は極めて低いから思っているよりも筋力が低下する。アタマは同じでも身体は正直だ。

よくお年寄りは一週間寝込んだだけで歩けなくなってしまう、などという事を聞く。まさかそこまでではないにしても油断してると思いのほか筋力は落ちてしまうというわけだ。

そこで中高年には「抗う心」が必要だという事だ。

暑いだるい、くたびれた。そんな時こそ動く、意識的に運動をして汗をかく。だるいから動きたくない、では敵の術中にはまってしまう。全てにおいて逆を行くくらいの「なにくそ!」精神を奮い立たせることが必要だという事だ。

「抗う心」・・・これは肉体的な衰えだけではなく、何事においても大切かもしてない。

物事は放っておけばすべてが易きに流れる。どんなにうまくいっているように見えても、自然に任せれば易きに流れて徐々に劣化して行くものなのだ。

自分を騙して低レベルで満足するのではなく、常に高みを目指す若い心が必要だ。

『そのくらいで良いべした。そのくらいにしておかせ、無理しらんな・・・・』

悪魔は何時も優しく囁きかける、そうした甘い囁きに対する「抗う心」を失っていくことが本当の意味での「老化」なのかもしれない。それはもう少し先でいい。

会津はこのところ秋の様な涼しさが続いている。

2011年7月22日 (金)

ひっそりの夏

とある観光施設に行って来た。昼下がり、駐車場には一台のクルマも無く人影も全くない。

確か昨日から夏休みのはずだ。それなのにガラーンとしてお土産売り場も閉じられている。

一瞬、何が起こったのか?と思った。

しばし呆然として、そうだ!これが風評被害による会津の観光地の現実なのだ。と、思い到った。

ひどいとは聞いてはいたが、実際に昼間に現場を見る機会はなかった。目の当たりにするとその深刻さに言葉を失う。

いつも賑わっていた施設、売店にはラムネが冷え、冷蔵庫には一杯の商品が並んでいた。その冷蔵庫も無くなり、売り場にはよしずが被せられて開店休業状態を表している。

オーナーとは長年の友人、お中元を届け、夏のごあいさつをしに伺った。あいにく急用で出かけたという。かえってホッとしたような、そんな気分を味わった。

ここがこんな状態なのだから、観光地は会津中どこに行ってもひっそりとしているのだろう。

歩いて数分のところには仮設住宅が建ち、人が入り始めていた。

気付けば今年の夏はまだ蝉の声が響いてこない。これっておかしくはないのだろうか?

ここ二、三日急に秋のように涼しく、朝晩は寒いぐらいだ・・・なんだか不思議な夏が過ぎていく。

2011年7月21日 (木)

古いものには意味がある

納涼会のシーズンだ。夏の風物詩と言えばビアガーデンだが、会津には屋上ビアガーデンは一つしかない。中之島のビアガーデン、それも昔ほどの人気はない。

昔と言って、2,30年前だがデパートの屋上ビアガーデンは大人気だった。生バンドなども入り、大勢の納涼客で賑わった。生ビールに枝豆、焼き鳥、赤提灯にハワイアン、そんなお決まりの屋上ビアガーデンにひと夏に何度も通った。

夏になったらビアガーデンに行くのが務めの様だった。暮れなずむ街、盆地を渡る風は生ぬるくても、汗を流しながら夏は良いなぁ・・・と、思ったものだ。

夏はやはり野外がいい。

屋上ではないが、料亭の日本庭園での納涼会もある。これは毎年一度は行く。庭を眺めながらのバーベキュー、なかなか風情があっていいものだ。

会津の料亭も大分減った。家老屋敷跡とも言われた梅屋敷の池などは見事だったが、今は駐車場になっている。料亭の池が減った分、集中豪雨の時には一気に水が出る、という話もある。

なんでもそうだが古い物の存在はそれなりに意味がある。街角の大木、古い庭、社の杜、一見暮らしとは関係なさそうだが、すべてが見事に調和を保っていたのだ。

古いものが無くなりコンクリートになるとどこかが変わってしまう。それが何かはすぐには気付かないが着実に何かが違う・・・。

そして「ああ、そうだったのか!」と気付いた頃にはもう取り返しのつかない事になっているる。古い街にはそんなことが多い。

街なかに広い駐車場を見るともう少し古いものを大切にしても良い、と改めて思う。

日本庭園での納涼会、本夕であるが夏風邪で極めて体調不良である。飲み過ぎないように控え目に過ごしたいと思っている。

2011年7月20日 (水)

達成しました。

昨日のニュースや今朝の番組など、なでしこジャパンは可愛そうなくらいに引っ張りだこだった。次から次と続く番組出演、コメントも何を言ったか分らなくなりそうだ。睡眠時間も数時間とか、さすが体力がある。

昨日、私の見たところでは、首相官邸を訪問した際の映像を流している番組は無かった。これは実に良かった。あの爽やかな、なでしこたちと一緒の菅総理のニタニタ顔はとても見たくない。

事業仕訳で話題になったR議員がツイッターで「なでしこおめでとう!」とつぶやいたら、非難轟々で炎上してしまったという。

「文化・スポーツ予算を仕分けしておいて2位ではダメですか?と言うあんたに言って欲しくない!」といった厳しい内容、なでしこ達の環境を思えば、気持ちはよく分る。

国民栄誉賞とか大臣表彰とかぶち上げて、なでしこジャパンンの快挙を自分たちの人気取りに利用するのが見え見えだ、と多くの人が思っている。(少なくても私は思っている)

口先だけの、言葉も行動も薄っぺらな政治にきっとみんなが愛想を尽かしているのだ。

ステップ1は達成した!と言っても誰も信用していない。

だって、出来てない事もあるし故障続きであんなに不安定なのに、どうして達成なのか意味が分らない。

おまけにステップ2の項目を勝手に書き換えてしまって、信用しろ、と言ってもそれは無理だ。

「嘘をついてはなりませぬ」とは会津の什の掟にもあるように、こども達に教える基本中の基本だ。

なのに嘘ではない様にして嘘をつく人が偉いと言われる、こんな大人の世界を見てこども達は一体どう思う事だろう・・・。

達成したと思ったら予期せぬ事が起こって事態が悪化してしまった。しかし、一度達成した事には違いない!と、胸を張るのだろうか?

達成=目指していた事を成し遂げる事。まさになでしこジャパンのためにある言葉だ。

言い訳先行で、嘘がまかり通るの政治のためにある言葉ではないように思う。

2011年7月19日 (火)

何も知らされていない

中通りのわらも、会津のわらも、宮城のわらも放射能に汚染されていてすごいレベルだった。

米軍が80キロ圏内から待避せよと自国民に呼びかけたのはこう言う事だったのだ。あの水素爆発が起きた事がどれほどすごい事で、どれほどの危険がばらまかれたのか、正確に知らされていないのは日本国民だけなのかもしれない。

いま思い出すととても不思議だ。

あの爆発のあった日、骨組みだけになった原発の映像を見て、NHKのアナウンサーと解説者が「一見、外壁が吹き飛ばされたようにも見えますが、どうしたのでしょう?」などと、話していた。大爆発した。大変なことになったとは言わなかった。

もちろん、最近になってよく流される大爆発の映像などは流れなかった。突然骨組みだけになった1号機が写されて、一体何が起きたのだろう?という報道だった。

仮に水素爆発が起きたとしても原子炉は大丈夫!と言うような感じさえあった。

結局は、誰か(どこか)がものすごく重要な事を隠し続け、その危険は少しずつ少しずつ小出しにされている。

今回のわらの問題を見ても、あの日にとんでもない事が起きてしまったのだ、と言う事実は出来るだけ小さく伝えられ、隠されている事が分る。

本当の事を言えば大パニックが起こってしまうからとか、そんなに多くの人間が避難することは不可能だとか、そう言う事を理由にして「隠ぺい」が「情報管理」にすり替えられている。

地震や津波の傷跡は隠しようもない。厳然たる事実としてそこにある。その事実を受け止めることからしか、人々の立ちあがる力は生まれてはこない。

しかし、この原発事故だけは一体何が起こったのか?今だ明らかにされる事がない。

農家にとって次々と起こる放射能汚染の実態は、実は風評ではなく事実でした、と言われているようなものだ。

わらを取った田にはもうすでに今年の苗が植えられている。その収穫した米から・・・。

どこまでもこんな悪夢が続くのを知っていて、真実を小出しにしているモノがいるのなら、その罪は限りなく重い。

2011年7月18日 (月)

美しい女性たち

夜中に起きたらあんまり明るいのでもう朝の4時過ぎで、こりぁ寝過した!と思った。慌ててトイレに行って窓の外を見たら煌々とした月が街を照らしていた。

月の光は街中の屋根を濡らす様に照らしている。その光景は涼しそうに見えるけれど実際は暑く寝苦しい。

なんだ明るいけどまだ2時じゃないか、と思ってひと寝したらW杯女子サッカーの決勝戦に20分位、出遅れてしまった。

それにしても良い試合だった。

正直なところ負けたと思った。ああ言う展開だと、負けたと応援もあきらめちゃうんだよなぁ・・・そこが、弱いところ、並みなところだ。

あんな所から澤さん、どうやって入れたんですか?いくらスローで見ても分らない。前に突っ込みながら120度ぐらい後ろにズボッて入れるなんて、あんたの足はどうなってる訳?どこに当たってどうやって入ったか、詳しい解説を待ちたい。

それにしてもPK戦の前に円陣を組んで、みんなが笑ってるってのが良かった。あれは勝つような気がした確かに。監督の力でしょうな。

W杯、金メダル!誰も本当になるとは思わなかった事を成し遂げた娘たちに栄光あれだ!!

いつも思うのだが、澤さんと、アースマラソンを完走した寛平ちゃんって似てる。かなりそっくりだ。あの手の顔って、大袈裟に泣いたりしないし、辛くても、苦しくっても痛くてもあんまりそうは見えない。すごい事をする顔って共通点があるのかも。

その笑顔は実に魅力的で、美しく輝いている。

ちょっと強引だが会津の女傑、山本八重さんは写真を見る限り一般的な「美人」ではない。しかし、実際の彼女はものすごく魅力的で美しい人だったのだろうと思う。

なでしこジャパンの誰もが輝いて美しいように・・・。

2011年7月15日 (金)

カッコいいから

カッコいいから言ったんでしょ?そうとしか思えない。

今、「脱原発!」というと何となくカッコいいように思える。あの廃墟と化した福島第一原子力発電所の映像、いまだ収束のメドが立たない事故、ここで「脱原発」を唱える人こそが正義の味方みたいだ。

でもすでに電力供給の三分の一を依存してしまっている原子力発電をやめるというのはそうそう簡単なことでも、一朝一夕に出来ることでもない。「脱原発」よりは「卒原発」の方が現実感がある。

国の経済や人々の暮らし、安全保障にまでかかわる電力の問題を何の根拠も見通しもなしに、最高責任者が「脱原発!」といきなり言う。政府の周りの人々さえ戸惑ってしまう。

カッコいいから言ってみた。おまけに「脱原発」宣言の正義の味方に国民が喝采するだろうという様な夢まで見たのだろう。

国の根幹にかかわる重要な問題に花火をあげておいてすぐに「菅の個人的な考えですけどね(ポリポリ)・・・」と平然としているあの人。どこから見ても普通じゃない。

どこから見ても普通じゃなかったあのM大臣が、結局は心の病が原因だったと報じられているように、どこから見ても普通じゃない総理大臣も、もう壊れているのではないのだろうか?

なんだかんだいって、この国の政治をこんな風にまでしてしまったのは誰だ?といえば選んだ国民なのだから仕方がないと言えば仕方がない。

何でもかんでも思いつきで言う人。辞めると言った人が辞める先の事までどんどん決めるこの暴走列車を誰も止められない。なんでこんなことになるのか本当に良く分からない。

菅さんそのものが冷却装置の効かない大事故なのかもしれない。

猛暑の続く会津。寒さは人をしょんぼりさせるけれど、暑さは人をイライラさせ暴力的にする・・・猛暑には誠によろしくない最低の政治状況が続く。

一日も早く「脱菅!」を願う。

2011年7月13日 (水)

クールビズは難しい

節電の影響でクビ元に、冷却のスカーフをまいている人をよく見かける。

毎朝すれ違う、メタボなサラリーマン氏は今朝、クビ元に堂々と青い布をまいていた。ネクタイもしないでYシャツに青いチーフというスタイル、なんだかチロル少年合唱団みたいで妙だが、本人は暑さしのぎなのだから全く違和感を覚えないのだろう。

目的遂行のためには格好など構っていない人と、やっぱり変なのは変でしょう、と気にする人といる。歳を取るとどうも実用本位に走る傾向が強い。

だからオヤジはクールビズが苦手なのだ。一体、どこまでクールにして良いかの判断が難しい。

単にスーツのネクタイを外しただけではガバリと胸元がい開いてだらしない感じがするけれど、それ以外に思いつかない。クールビズだからネクタイを外したのに「変だ」と言われれば立つ瀬がないと言うものだ。

「クールビズっていう決まった格好があるんだろう?」と天下の小沢一郎さんが言っていた。彼は良く分からないからネクタイを外さないのだ。

昔、Yシャツでなく開襟シャツと言うのがあったが最近はあまり見かけない。あれなら誰にでも分るクールビズって気がする。

ボタンダウンでもない普通のYシャツでは、どうも胸元が開き過ぎてどうしてもだらしなさが残る。あれならいっそのことポロシャツの方がいいようにも思える。

今年はスーパークールビズとか言われている。オヤジはどこまでどうしていいのか、ますます分からなくなる。

スーパーとはいえ、まさかランニングにステテコってわけにはいかない。Tシャツ、ポロシャツだってどんなのがいいのか、線を引けない。

結局はやっぱりネクタイを外しただけの姿に戻らざるを得ない。

そこでシャツをちょっとお洒落なクールビズスタイルに買いかえれば、今度は財布がクールになってしまう・・・。

会津は今日も猛暑日になりそうな勢い。喜多方の気温がこのところ全国一、二を記録している。

2011年7月12日 (火)

暑中お見舞い申し上げます。

7月11日、会津地方も梅雨明けが発表されました。

喜多方市で37.4度、会津若松市で36.5度など夏の入り口とは思えない暑さが記録されています。

この夏はどこに行っても節電節電で、暑気払い会場まで暑気が払えないような温度設定です。

熱中症に強い身体になるには、運動と牛乳とヨーグルトがいいとかいう話。牛乳で腹下してたら夏バテに追い打ちをかけるようなことにもなりかねませんが、大丈夫な方は牛乳でこの夏を乗り切るのもよろしいかと・・・。

もちろん会津の牛乳は安全です。

会津盆地を囲む山々には連日、巨大な入道雲がモクモクと湧き、午後には雷雨模様が続いています。暑いけれども不安定、どこか世相を映しているような気象です。

これから先、一体どのような夏になる事やら想像もできませんが、大変ながらもなんとか落ち着いた、穏やかとまでは行かなくても多少は笑いが出るような、そんな夏であれば幸いかと願っています。

皆さまも御身ご大切に!

きっと記憶にも歴史にも残るであろう2011年の夏を元気にお過ごしくださいませ。

スーちゃんはもう天国に行ってしまいましたが、あの頃は良かったとの想いを込めて、暑中お見舞い申し上げます。

2011年7月11日 (月)

残念でなくて、幸せ

北側にある台所のドアを、網戸付きのお洒落なスライド式のガラスドアにしたので一気に風通しが良くなった。明るくもなった。

節電対策も兼ねた修繕だ。ドアのパッキンが痩せてしまってスカスカなってしまった。築20年を越えるとあっちにもこっちにも痛みが見える。

北側に風が抜けると結構涼しい。昨日の暑い日曜日もエアコンをちょっとつけただけで凌いだ。ガラス扉になったので明るく、電気を付ける時間も短くなった。

節電を心がけると、良い事をしているような気分になってなんとなく自慢したくなる。まだまだ大甘のレベルだが心掛けるだけでも少しは違うはずだ。

会津若松市は全体に東から西へ傾斜している。歩いたり自転車に乗ると結構な傾斜だ。

この傾斜を利用して、小さな水力発電装置を数多く設置すれば防犯灯ぐらいは賄えるのではないだろうか?とか、あれだけ多くの人がウォーキングやジョギングをしているのだからあのエネルギーを電気に変えられないだろうか?とか、打ち放しのボールで発電できないだろうか?とか、いろんなことを考えてしまう。

テレビや新聞の電気予報を見るとこの猛暑にもかかわらず連日80%台のレベル、まだ電力には余裕があるレベルの様だ。

つくづく日本人は真面目な民族だと思う。みんなで節電となれば、35度を越える暑さでも結構耐え忍んで危険ゾーンには程遠い。

これが一旦調子こくと、電気をアホほど使い、きらびやかでバブリーなものに憧れて、無駄遣いは美徳だ!とまで踊ってしまうのだから、世の勢いとは恐ろしいものだ。

街が暗いとか陰気臭い、と感じるのは少しの間の事だ。人はどんな環境にもすぐに慣れてしまう。暑い寒いにもすぐにある程度の耐性が付くだろう。

経済や社会の在り方が元の様に戻る事はきっともうないだろう。

人は様々なものに耐性を獲得しなければならない。そして、まったく新しい価値観のもとに新しい喜び、幸せを見出していかなくてはならない。

元に戻れないことが残念なのではなくて、新しい世界に漕ぎ出さなくてはならない事が幸せなのだ、と思わなくてはならないのだろう。

動物のように何万年もかかる進化を待たなくても、自ら変わり、新しい世界を獲得できる、それこそが人間なのだから・・・。

2011年7月10日 (日)

サウナの中で

「結局、自分以外は全部他人なんだ・・・」と、哲学的な言葉を聞いたのはサウナの中だ。

サウナが好きで時間が取れれば週一では行きたい。大江戸温泉の低温サウナが多い。会津若松市周辺の市町村にはそれぞれ日帰りの温泉施設がありいろんなサウナもついている。が、遠いので他所にはあまり行かない。

サウナに入っていると周辺に住む常連さんが多く来る。みなさん知り合いなのでサウナの中で結構大声で世間話をしている。こちらは聞かないふりをして汗をかいている。

街の噂や仕事の話し、身の上相談みたいなものまで結構いろいろな事を、知らない人が居るのも気にせずにペラペラと話す。これが世間の動向を知るにはなかなか興味深いのだ。

たとえば、あそこのパチンコ屋にはどこの避難の人が多いとか、避難民から金取るのかとパチンコ屋に抗議した奴がいるとか、サテライト競輪にも人が増えているとか、そんな事だ。

さっき大声で話していたのは(別に大声でもないのだろうけど声の大きい人が多い)どうやら嫁舅がらみの話らしい。息子が嫁に引っ張られて親を顧みない、そんなことのようだ。

「親子だって所詮は他人だ。我が家庭を作ったら、我が嫁、こめらの方が可愛いに決まっているわい。いくら親だ、どうだの言ってもそういうもんだ。んだがら金を全部渡してしまっては絶対にダメだ!」なるほど、言葉は荒いが含蓄がある。

人も動物だ。親元を離れそれぞれに自分の家庭(種の保存)を築く。すべての生き物がそうであるように自分にとって家族が一番になるのは自然の摂理だ。

そんな中で人間として良好な親子関係を保っていくには、お互いに、思いやりや愛情と言うきれい事だけではなく、知恵も要ると言う事らしい。

「いやー、明日は我が身か?勉強になんなー」と相槌を打つお仲間、サウナの中で話すような内容かは疑問だが、勉強にはなる。

サウナに入って水風呂につかり「あー気持ちいい!」と唸ってしまう平和な日曜の夕暮れ・・・人生、「我以外皆師なり」の精神で聞いてみると結構ためになる世間話も耳に出来るものだ。

2011年7月 9日 (土)

赤鼻の土曜日

今年最高気温の炎熱下でゴルフをした。こぼれおちる汗、がぶ飲みのスポーツドリンク、体中の水分が入れ替わるほど水分を摂る。

真っ青な夏空、すっくとそびえる会津磐梯山、遠くきらめく猪苗代湖を眺める余裕もない。なぜこんな思いまでしてゴルフをするのか?やらない人から見たらバカじゃなかろうか?というぐらいの灼熱だ。

私はゴルフ、家人はお出かけで家の中の電気は全く使わないから節電といえば節電状態だが、別に節電のためにフェアウェイにいるわけではない。

どんなに日焼け止めを塗っても汗をすごくかくので取れてしまう。

終われば顔がひりひりして、鼻の頭が真っ赤になる。「赤鼻のトナカイだ」というと「どう見ても飲兵衛オヤジにしか見えない」と言われた。

不思議なことにあんな暑い中でもまずまずのスコアで回れた。ラッキーセブン賞も貰ってラッキーだった。それよりも何よりもラウンド終了後の水浴びシャワーが最高だった。

一休みして、夜は楽しみにしていた「会津混声合唱団定期演奏会」に出かけた。

今年も素晴らしい演奏会だった。コンサート中に猛烈な雷雨だったらしいが、風雅堂の中にいては全く分からない。帰りは水たまりで駐車場まで遠回りしないと行けなくなっていたからかなりの集中豪雨だったようだ。

4部構成の素晴らしいステージ、特に芝居仕立てのアニメソングメドレーの第3部は力が入る。合唱団の定期演奏会のイメージを打ち破った力演・怪演だ。

この合唱団の常任指揮者のT先生は、我が会津高校の同級生だ。これだけレベルの高い合唱団を率いて、実に楽しそう。団員達も心から楽しんでいるのがよく分かる。音楽を趣味に出来る人が本当に羨ましい。(音痴なので音楽に対するコンプレックスが強いのです)

この定期演奏会は毎年この時期のお楽しみとなった。会津の誇りといっても良い素晴らしい合唱団だ。

関東はもう梅雨が明けたらしい。会津の梅雨明けも近いだろう。

真っ赤なお鼻で、暑く、熱い一日を大いに楽しんだ土曜日であった。

2011年7月 8日 (金)

伸び放題の庭に

生来の無精なので、庭の手入れなどした事がない。草むしりにも精を出さない。

ゴルフの素振りが出来る程度のスペースの草を引っこ抜いたり、邪魔な枝を枝切り鋏で切ったりするのがせいぜいだ。

あんまりひどいと、会津若松市のシルバー人材センターの格安の草むしり&剪定をお願いする。

真夏の暑い中、私よりずっと年上の方々が大汗を流すのを見てるいのもなんだか気が引けるので作業の日は出来るだけ出掛けて見ないようにしている。

プロの庭師さんではないので、ひたすらむしって切るだけだ。何時だったか、端っこに植えた芝ザクラやスズランなども根こそぎきれいにされてしまった。

家を建て、木を植えて20年にになるが、ちゃんとした庭師の手入れは一度も頼んだ事がない。

ナナカマドの木も、夏椿の木も、サクランボもモミジもツツジも、みんな伸び放題だ。

そこで今年は、友人に紹介してもらった「○○造園」なる、ちゃんとした造園業の方に一度手入れと言うか、剪定をしてもらおうと思い、お願いすることにした。

昨夕、ちょっと来て、下草をガンガン刈って、3人掛かりでバサバサバサと小1時間ほど下準備をしていった。もう、それだけでとてつもなく明るくなった。

「それでは明日来てやりますので・・・」と言う事だった。さて今日一日でどれほど我が家の庭が変貌を遂げる事か、大いに楽しみなところである。

とはいってもタカが知れているのは間違いない。

元が元だけに小堀遠州の庭のようになるはずもないが、そこは馬子にも衣装だ。ダメなりもに爽やかに、小ざっぱりとしてくれると嬉しいところである。

2011年7月 7日 (木)

天の川

今日は七夕だ。午後から曇り、雨は落ちてこないがどうも天の川は見えそうもない。

天の川といえば思い出すのは荻野の漕艇場、阿賀川の畔で見た天の川だ。

会津高校には端艇部というクラブがあった。ボート部だ。そのボート部の部員だった。会津若松市内では船は漕げない。磐越西線に乗っておよそ1時間、新潟県境に近い荻野の漕艇場に通った。

水曜の午後、そして土・日と泊りがけで漕ぐ。ハードなバンカラ気質の強い部活だった。

夏の合宿は1週間も続く。男子校なので女っ気も全くなし、いい加減嫌になる。夜ともなると艇庫前の桟橋で、今で言う「恋ばな」みたいなたわいもない話に花が咲いた。

そんな時、先輩に言われて初めて天の川を見た。もちろん初めてってことはなかったろうが、「これが天の川なのだ!」と、意識して眺めたのは初めての事だった。

その天の川はものすごく美しかった。天候の状態が最高だったのだろうと思う。澄み切った夜空にまさに川の様に星が漂い、満天の星が瞬いていた。どうしてこんな美しい星空を今まで知らなかったのだろう?と思った。

ポカンと口を開いたまま眺める空のそこここで、いくつも星が流れた。「あっ!まただ」「ほら、あっちにも!」ひょっとするとナントカ流星群の時だったのかもしれない。

桟橋に部員たちが寝転んで夜空を眺める。時がたつのも忘れていつまでもいつまでも眺めていた天の川、その後の人生であれより美しい天の川を見たことはない。

街から、家から何日も離れて、勉強して食って寝て船漕いでの日々、苦しくって帰りたくって辛かったあの時・・・きっとそんなスパイスがハートにものすごく効いていたんだろう。

真っ黒に日に焼けて、尻の皮がむけたむさくるしい高校生たちの目が光って滲んで見えたのは星が映っていたからだけではない。上級生も下級生もみんな、なぜかちょっぴり涙ぐんでいた。

遠い遠い日の夏だ。

あらまぁ!とうとうシトシトと雨が落ちてきた。

今夜、乙姫様と彦星の逢瀬は見えないけれど、きっと逢ってはいるのだろう・・・。

2011年7月 6日 (水)

鯉の甘煮

会津東山温泉の旅館、ホテルのほとんどに現在、大熊町などから非難されてきた人々が滞在している。それも仮設住宅の出来るまでと言うからもうすぐだ。

移らなければならない人たちも、お客の途絶えてしまう宿の側にとっても大変な事だ。

建物全体が文化財に指定されている老舗旅館「向瀧」さんは、避難の方々を受け入れずに頑張っているが、やはり風評被害で大変だと言う。

ま、そんなわけで東山温泉の温泉情緒を100%満喫してもらいたいお客様には、向瀧さんに泊まってもらう事が多い。

向瀧さんは、会津旅館の伝統をものすごく大切にしている。

建物やお風呂、部屋、庭などのハードはもちろんだが、お膳にもひときわ気を配ってくれるので、安心して会津を満喫してもらえる。

ご馳走と言えば「ハイ、お刺身&お肉!」といった決まり切ったお膳ではない。

昔からの会津のお膳には付き物だった鯉がちゃんと出る。堂々とした大きさの鯉の甘煮、鯉のあらい(刺身)、山国会津のご馳走と言えばなんといっても鯉だったのだ。

ひと昔前までは東山に行けばどこの旅館でも鯉の甘煮が出たものだが、いまはとんと見なくなった。なんと言っても手間暇がかかる料理だ。

こどもの頃、毎年夏に東京渋谷に住むお金持ちのオジサンが会津にやってきた。どういう縁戚なのか良く分らないぐらい遠かったのだが、可愛がられた。

その渋谷のお屋敷では庭一杯に錦鯉を飼っていて、金の鯉などが泳いでいて驚いたものだった。

鯉をこよなく愛した不思議なオジサンは、会津に来ると東山に何泊かし、毎日美味い美味いと、鯉を食べた。

甘煮、あらい、鯉こく(みそ汁)など、鯉の大好きな人がガツガツと鯉を食べるのがなんだか可笑しかった。

向瀧さんの鯉は、その当時と全く同じ味に思える。

お膳の甘煮を土産に持って帰りたいと申し出ると真空パックするので明日の朝の受け取りになると言われる。それほど添加物など一切使わずに丁寧に、素朴に作られているという事だろう。

ぶっ太い胴の輪切りを煮た鯉の甘煮、まわりの身の甘さ、歯ごたえ、真ん中のはらわたのほろ苦さがなんとも言えない。

昔は本当にどこでも味わえたが、今ではめったに味わえない貴重な会津の味になってしまった。

2011年7月 5日 (火)

迅速な対応

「分ったか!」と命令口調で知事を怒鳴り付け、オフレコにしないと承知しないぞとマスコミを恫喝した大臣があっと言う間に辞めてしまった。

これって深読みすると、菅さんをやめさせるために自分が捨石になって打った大芝居なの?とも思えるぐらいだ。

まるで辞めるためにテレビカメラの前で暴言を吐いたとしか思えないぐらいの迅速な対応だ。

人さまの心の中はどうなっているかは分らない。分らないが、そんな訳はないだろう。やっぱり昨日書いたように質なのだ、と思う。

それにしてもまぁ・・・と被災地の空の下では大勢の人が呆れかえっていることだろう。国難ともいえるこれほどの事態が起こっているのに、時間が経てば経つほど、本気度も焦点も怪しくなってくる。

まるで政治家がみんなで寄ってたかってふざけているみたいだ。東日本大震災も原発事故も、次から次に起きる茶番で現実味を失っているようにさえ感じてしまう・・・。

あの大震災を堕落した世に天罰が下った!とうそぶいた人がいた。

しかし、その天罰さえも丸めこもうとしている人がいる様で、なんだかそら恐ろしささえ感じてしまう。

昨夕の雷雨は天が怒った様な土砂降りだった。

我が町内にも山から土砂が道路に流れ込んだと苦情があった。(大したことはないが砂利で道が走りにくくなった)

順番の単年度区長なので役目がら早速、市に問い合わせると会津若松市の対応は迅速だった。すぐに職員がやってきてスコップ&竹ぼうきで道路を清掃、ひと汗かいて帰って行った。

予算の動かないお役所仕事は、かくも即行即決で出来るものなのだ。

これが一旦予算が絡むと、動く前に判子の山が必要になる。そうなると茶番劇の様な事が沢山起きることになるのだろう・・・。

2011年7月 4日 (月)

質の悪い話

人には「質」(たち)というものがあり、それはその人の本質だから治るものではない。

「ちゃんとしろ、ああしろ、こうしろ、わかったか!」公衆の面前で被災地の知事に上から目線で言葉を浴びせる大臣、ああいうのが質がもろに出ている場面だと思う。

資産家の息子で地方のナントカ様と呼ばれる様な家で育った超おぼっちゃま、人に頭など下げたこともないし、選挙の時にぺこぺこするだけで本当は民衆を見下している傲慢な質、「この世には敵と味方と使用人しかいない」と思っている例の人々の仲間だ。

目白御殿に住み選挙の時だけ庶民的になるM子さん、月々1500万のお小遣いで「国民のお暮らし」に思いをはせるというH山さん、言葉遣いなどは多少違っても、どこかとてもよく似ているように私には見える。

百歩譲って、あの大津波の映像や瓦礫の山が一瞬でも頭をかすめたなら、たとえ冗談でも「俺は九州だから何県に何市があるか分からねえんだ」なんて、災害復興の最高責任者が口に出来るものだろうか?

私にはとてもそうは思えない(これはあくまで個人の感想です)

あのベストセラー「天地明察」が映画になる。会津の殿様保科正之公が重要な役目を果たす物語の映画化はこれまた慶事だ。主役の春海にV6の岡田君、正之公は松本幸四郎さんだ。

ああいうお話を読むと、つくづく世の中を動かしているのは数学の力なのだと思い知る。神代の昔から数字を動かし国を動かしてきたのは、実は優秀な和算学者であり、算用方とか呼ばれるような数学者集団(理数系集団)だったのだと言うのがよく分かる。

お殿様だけでは何もできない。優秀な数学者集団を抱えた保科正之公の様な、民の心を知る文治政治家が本当に世の中を動かせるのだという事がよく分かる。

チームドラゴンだか何だか知らないが、あんな傲慢な人のもとに優秀なチームがつくられることはまずないだろう。

それなのに、ああいう人に国難を託さなければならないこの国は、本当に不幸の坂道を下っているのかもしれない、と思うと悲しくなる。

2011年7月 3日 (日)

つんつるてんな思い出

会津の夏の風物詩はなんといっても「お日市」だ。町内ごとの縁日、お祭りだ。

7月1日の御姥様(おんばさま)に始まり、9月の舘のお薬師様まで、ほとんど毎日会津若松市内のどこかでお日市が開かれる。

今ではテキヤさんの店などが少なくなり、ほとんどが町内会の実行委員会主催の様なこじんまりとしたお祭りになっているが、私が子どものころはお日市は夏の一大イベント、中でもキュウリの神様やお諏訪様、神明神社など大きなお祭りはものすごい人出だった。

露店が連なり、街は人で溢れた。アセチレンガスのにおい、金魚すくい、色鮮やかなお面の店、おもちゃやクジ引き、怪しげな露店も数多くあった。

あの頃のお日市の思い出は、とても華やかで賑やかで、もの凄く大規模だった。

ところが大人になってそのお日市の現場である神社やお寺に行ってみるとその小ささ、狭さに驚くことがある。

あれだけすごい人が集まった神社の境内がこんなに小さかったのか?あのお寺の境内・・・映画会をやったり盆踊りを踊ったあの広場はこんなにも小さかったのかと信じられない気持になる。

自分がこどもで小さかったから・・・それはそうだが、それだけではないように思う。

昔は大きな建物、仰ぎ見るような建造物、大規模なものが世の中に少なかった。

田舎だった会津の中で、大きな建造物や庭やイベント会場など、今の世に比べれば実は結構タカが知れていたのだと思う。

今はすべてが大きくなった。第一、家の中の生活スペースからして違う。戦後最先端と言われた文化住宅の狭い事には驚く。

家も店も街中のすべてが当時に比べれば大きく広くなっているのだ。クルマだって大きい。一人ひとりの専有面積がずっと広くなっている。だからあの頃の思い出のスペースは、今見ると驚くほどに狭い。加えて自分もずっと大きくなってしまった。

そういうわけで昔の思い出の場所は、今行ってみると、少しつんつるてんに小さいのだと思う。

2011年7月 2日 (土)

風が迷子にならないように

私の散歩コース、飯盛山の山腹に茶道の供養塚がある。花塚、水塚、茶筅塚が並んで建っている。ひとつひとつ立派な石の塚だ。

日本人は何でも供養し感謝をささげる。針塚や櫛塚、筆塚など仕事や稽古事の道具にまで神が宿り心があるものと、ごくごく自然に思っている。

こんな風に色々なものに塚まで建てて祈る民族というのは他にも居るのだろうか?

森羅万象全てのものに神宿る国、それが日本だ。

遺体というものに対する思いも事の他深い。髪の毛一本、爪のひと欠けでも亡くなった人を偲ぶよすがにする。東日本大震災の遺体探しは今も続いている。

その点、欧米は割り切っている。ニュージーランドの大地震の時も崩れたビルの大捜索が行われたが、必死の捜索もある一定の期間で打ち切り、後はがれきの除去に移る。もう生存の可能性はないとなれば、肉体は魂の入れ物でしかない、骨の一本、歯の一本まで探そうというそれほどのこだわりは見られない。

もちろん、良いとか悪いとかの話しではない。

この暑さの中、たとえ御遺体があったとしてもどうにもならないだろうとも思うが、もし自分がその立場に立たされたなら・・・やはり愛する人の遺体を探し続けるだろう。

千の風になって魂は大空を吹き渡っているのだ、とは思っても、なんとか肉体を確認し供養したいと願うのが日本人なのだ。それができなければ魂が時々大空で迷子になってしまう様な気がしてしまう。

あの歌の原詩はネイティブアメリカンの詩だという。心に沁みるいい詩だが、死との向きあい方、死の受け止め方はやはり民族によって微妙に異なる。

茶をたてる水、いっ時の花、茶筅にまで祈りを捧げるのだもの。

愛する人の、それがたとえ身体の一部でも、どれだけ時間が経ったとしても、抱きしめたいにちがいない・・・日本人なら誰にで理解できる心情だ。

飯盛山は会津観光の風評被害という風を浴びて、天気の良い週末だというのにとても静かだ、鳥の声だけが響き渡っている。

2011年7月 1日 (金)

続くでしょうか?

継続は力なりと言うが、物事を続けるのは本当に難しいものだ。

はじめは熱を持って始まったとしても、その熱も何時かは冷める。当初の熱い想いを次世代に受け継いでいくのは容易なことではない。

いろいろな会が生まれては、消えていく。

大きなくくりで歴史が好きとか、音楽が好き、鉄道が好き、と言ったような愛好会的なものは、好みが一緒、大好きな気持ちの継続で結構息が長い。

しかし、何かの拍子に始めたイベントや会などは大体10年もやると息切れしてくる。

具体的な名前は控えるが、過去の経験からもそういう例は少なくない。

マンネリや障害を乗り越えて継続する事、それ自体がまさに力である。そして継続することによって、新たな力も生まれるのだ。

始めたものをいかに継続させるか?未来永劫につなげていくか?徳川幕府を作った徳川家康はその事をめちゃくちゃに考え抜いた人物だと言えるだろう。

継続を考え抜いた天才だ。地方大名の力を削ぎ、人質をとり、幕府の威信を絶対のものにするためにあらゆる方策を講じた。子孫繁栄を考え抜いて、自らは日光東照宮から睨みをきかせたのだ。

会津藩もその家康の力に操られた一人と言えるだろう。

しかし、それにしたって三百年弱だ。時を越えて続くと言う事は大変な事だ。

なんだか話が大きくなってしまったが、今日、私が参加している会の事務局長さんが高齢を理由に辞意を表したら、俺も俺も、と連鎖反応でいきなり会の存続そのものが風前のともしびになってしまった。

一旦は持ち帰り休議と言う事になったが、どうなるのだろうか?

・・・・ともあれ一つの事を続けると言うのは難しい。

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