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2011年6月

2011年6月30日 (木)

時間の鉢巻き

「JIN」というテレビドラマが人気だった。幕末に現代の医師がタイムスリップし、坂本龍馬や勝海舟などと絡む奇想天外なSFドラマだ。

なかなか面白く、録画までして楽しんだ。

でも最後はなんだかチンプンカンプンだった。シンプルに時代をタイムスリップするのではなく、何層にもなったパラレルワールドなどが出てきて、少しずつ微妙に違う歴史が流れる世界が登場する。龍馬の船中八策が船中九策になるような世界。同時に同じ人物が出てきて交錯したりする。

お堅い頭では、さっぱりわけが分らなくなってしまった。

ま、続編とか映画化とか、いろんな思惑もあって余計に複雑な終わり方になっているのだろう。

昔、私も「不思議の国の会津」というお芝居を書いた事がある。鶴ヶ城本丸でやった音と光のページェントと言う野外劇だ。現代の女性が林道ツーリングの途中に谷底に落下してタイムスリップする話し。

タイムスリップした先はもちろん幕末で女性は山中を彷徨する白虎隊士たちと遭遇する。だが自刃する隊士たちを止めて歴史を変える事はもちろんできない。

山腹から眺める城下、火と煙に包まれた鶴ヶ城。落涙する白虎隊士に思わず少女は叫んでしまう。

「お城はまだ燃えてはいない。あのお城に会津の人たちはこれから籠城するの。お城はまだ落ちてはいない!」

白虎隊士たちは驚くが、もうすでに戦いの形勢が決した事は充分に悟っていた。自らの為す事はもう終わったと言う。彼らはここで潔く自刃することで歴史の中に生きる道を選ぶ。

「JIN」には遠く及ばないが、なかなかの力作(自画自賛)。2年後、ローターアクトの若者たちが文化センターで再演した。

歴史に「もし」はない。歴史に「たら、れば」も決してない。しかし、あの時、あの一瞬のすれ違いが無かったら・・・などと夢見てしまう事は誰にだってある。

決して後戻りしない時間の帯をねじり鉢巻きみたいに絡めて遊んでみたくなる・・・多くの作家がトライしたくなる時空のおもちゃ箱だ。

2011年6月29日 (水)

思い出の中だけに

会津の伝統野菜と言うのがある。会津丸茄子や荒久田・くきたち、立川・ごぼうなど14品目が指定されていて、くきたちやごぼうなど、なかなかいい味の野菜だ。

そんな中に真渡の瓜と言うのがある。真渡は旧・会津若松市郊外の集落の名前で大川沿いの氾濫地で採れる瓜は絶品と言われていた。

私がこどもの頃は、井戸で冷やされた夏の大ご馳走だった。小さな米俵の様な形の日本瓜で甘く美味しかった・・・と、遠い日の記憶に完璧に刻まれていたのだが、そのままにしておけば良かった。

果実の品種改良と言うのはものすごく進んでいる。糖度何度とか、甘さの保証までするぐらい改良が進んでいて今の果実はとにかく甘い。

この甘さ、昔の品種とは全然比べ物にならない、と言う事が伝統野菜を食べて分った。

不味いとか、悪いとか言う気はさらさらないが、現代の甘いものに慣れきった舌には、昔は甘かったあの果実が、今となってはちっとも甘くは感じないのだ。

確か頂いたのは去年の夏。

「懐かしいなぁ・・・この素朴な甘さ、瑞々しさがたまらないんだ」と言って齧り付いたが、全く堪らなくなかった。「あれー?こんな味だっけ?」と頭の中が?マークで一杯になってしまった。

こう言う事は食べ物に限らず、よくあるものだ。

遠井あの日の思い出の中に生きる美しいもの、甘酸っぱい体験は、ほじくり返したいけれど、ほじくり返さない方がいい事が多かったりするものだ。

「え~、あれがあの人?」「え~、ここがあの時の場所」「え~、こんなにちっちゃかった?」などなど。やっぱり見なきゃよかったと後悔するという経験は誰にでもあるのではないだろうか?

あの甘く美味しい真渡の瓜、遠い夏の日の思い出の中だけに置いておけばよかった。

2011年6月28日 (火)

詰まらない詰め将棋

どこまで行ってもつまらない詰将棋をしているような案件がある。

こう指せば、あっちに指す、こう言えば、ああ言う、とどこまで行っても噛み合わない。

なぜか?ひとつは目指しているところが違うからだ。ま、それは仕方がない事として、物事は互いの歩み寄りと妥協が必要で、その話し合いの中に着地点が見つかるものなのだが、それがあまりにズレ過ぎていている。

噛み合わないならそれはそれであきらめようもあるが、たがいに良いところを見せたいから時に噛み合ったようなポーズを取るので益々ややこしい。

要はどちらも自分の陣地に相手を引きこんでしまいたいのだ。

そう言うのは実は交渉事ではなく、意地の張り合い、騙し合いに近い。自分の陣地でない限り気が済まないのでは、実際には話し合いの余地もあまりない事になる。

こう言う時に登場するのがネゴシエーションとかメディエーションと言う技術だ。交渉術、対話促進術と言っても良い。

本を読むと様々なテクニックが解説されているが、なんと言っても最終的な決め手は忍耐力だ。いかに辛抱強く話を聞くか?いかに忍耐強く閉じた部分をノックできるか?最後は参りました!と言うぐらいの粘り強さで結果を導き出す。

絶対に途中で「あー面倒くせぇ」なんて投げ出さない。それが技術の壺だが、そんな粘りは到底ない。

ではどうすればいいのだろう・・・?

ま、その都度その都度、ウソをつかない、ゴマかさないで対処する。後は、適当なところで切り上げるしかない。何時までもどこまでも・・・・は凡夫には根気も元気もヤル気も続かない。

ま、一度忘れて酒でも飲んで、パァーっとやる。それでまた仕切り直し。

冒頭に言ったように、どこまで行っても詰まらない詰め将棋だ。

仕方がない。でも人の時間には限界があるのだから、きっとなんとかなる、落ち着くところには落ち着くさ、と長ーい目で見るしかないですな、とりあえず。

将棋には千日手なんてのもあるが、現実社会に千日手なんてのは無いだろう・・・。きっとどこかで積みになる。

会津は梅雨まっただ中、朝から強い雨、弱くなったり止みかけたりして、また強い雨の一日だ。気分まで梅雨の今日この頃。

2011年6月27日 (月)

寝苦しいのは

今日はそれほど気温は高くないが、蒸し暑い。

会津の夏は盆地なので暑い、冬寒く、夏暑いという最悪のパターン。雪の多さを除けば京都とよく似ていると言われる。

学生時代京都に住んだので両方知っている。確かに似てはいるが、やっぱり京都の方が夏は暑く、会津の方が冬は寒い。当たり前と言えば当たり前だ。

暑さには極めて弱い方だ。弱いというか、すごい汗っかきなのだ。涼しいはずの5月に、ゴルフをすると帽子が汗でびっしょり。一人だけ別次元のゴルフを展開する。(もちろんスコアの話しではない)

昨日の遼くんなんか見ていても、帽子が汗でびっしょりなんてことはない。そんなプロの選手もあまり見ない。もし暑さに強いというのが上手さの条件だとしたら、私の場合は話にならないことになる、実に可哀想なぐらいだ。

このぐらいでもすぐにエアコンを除湿にしてかけたい方だが、除湿は冷房より電気を食う!と言われて今年は除湿禁止になった。ホントなのだろうか?

今日は25度ぐらいなのでじっとりとして汗がこぼれおちるほどではないが、ご飯を食べるとものすごく暑くなる。食熱だ。それも辛い坦々麺なんか食べたらすごい事になってしまうので、夏はよっぽどじゃないと辛いもの系は食べない。

日本の夏もこの湿気がなければ過ごしやすいのだが、湿気がなければ日本の夏じゃないとも言えるだろう。キンチョールも行き場を失くして困ってしまう。

暑くてじとーっと汗が流れると、なぜかこどもの頃過ごした家の二階の古い日本間を思い出す。

どんよりと明るい空、そよとも吹かない風、畳から立ち登るような熱気、あんな部屋でサウナのように汗をかきながら平気で昼寝をしていた夏の日があった。

まさに寝るのは体力、夏の夜が寝苦しいのは半分は歳のせいでもあるのだ。

2011年6月26日 (日)

雨の週末

この週末はイベント事がいろいろとあった。

土曜にはサッカーJビレッジの総料理長を務めた西芳照さんの講演会を聞いた。日本サッカーに帯同し食事の面から支え共に戦った話は楽しかった。

夕方には會津風雅堂で「川中美幸さんのコンサート」に招かれた。

家人が旅行中だったので会津大学の大学院生、スリランカから来たTくんを誘ってみた。コンピュータによる音楽を研究している彼は日本の演歌のコンサートは初めてだという。ジャズやロックが好きだと言うので、どうかな?とは思ったが大いに楽しんだようだ。

川中美幸さんはデビュー35周年という。長い間第一線でやって来た人の力量はさすがに凄いものがある。歌で泣かせ、語りで笑わせ、会場を大いに沸かせた。

遅い晩飯はT君と鴬宿亭で堪能した。相変わらずいろいろと変わった味を楽しませてくれてうれしい。地鶏レバーの南蛮漬け(?)あれは秀逸。

少々飲みすぎて日曜も雨。

「第24回生と死を考える会・会津」のセミナーに参加。今テレビなどでも引っ張りだこの放射線科医師・中川恵一先生の講演「がんのひみつ」だ。雨もひどく、高校総体のため駐車場がも全く見つからない中、大勢の方々が集まってくれた。

役目なので一応ご挨拶。講演はじっくり90分をとり、かなり充実した名講義(?)になった。おりしも福島県の放射能問題があり、放射線についてのお話も織り込んでいただき、みなさんとても興味深かったようだ。

一言で言って今の放射線レベルで人体に対する深刻な影響は心配ない。浴びないに越したことはないが、それによってのリスクというものは証明されていない。100ミリシーベルトを越えると発がん率が0.5%上昇するが、喫煙による発がんの危険性の比ではないそうだ。

夜は東山温泉の「向滝」で懇親会を開いた。これまた和やかな楽しい会となった。

向滝は日本旅館の伝統を守る名旅館、きっと中川先生も御満足!は間違いないが明朝は5時起きで一番列車、自慢の朝飯も取らずにお帰りとの事、少々残念。

が、夕膳には会津名物鯉の甘煮もついてみなさん大満足でした。帰りにはいつも和服姿のきれいな女将さんが見送ってくれる。

H社長も顔を出してくれた。「今回は予算がなくて無理言ってごめんね」と、お礼を言って、雨の中を帰宅した。

家人旅行中のためひっそり。家はひっそりながらも何かと忙しい週末だったわけである。

2011年6月25日 (土)

流れるままに

どんなに心を尽くしても分りあえない人がいる。悲しい事だ。

一度向いてしまった悪い方向のベクトルは絶対に元に戻らない。映画やテレビのドラマなら、すれ違いも何時か分り合えたりするが、現実社会では一度すれ違った心が元に戻る事はあまりない。

NHK大河ドラマ「江」で佳境を迎える秀吉と利休の確執。蜜月だった二人の間に一度入った亀裂は、決して修復することなくどんどん広がっていく。互いに力を持つ者同士であればなおの事だろう・・・。

利休は秀吉に切腹を命じられて腹を切る。その利休の息子・少庵を会津にかくまったのが蒲生氏郷公だ。利休七哲と言われた氏郷公も秀吉の振る舞いはほとほと腹に据えかねていたのだろう。

この少庵が生き残ったことで表千家、裏千家、武者小路千家の三千家が今に伝わる事になるのだから、秀吉を敵に回してもかくまった氏郷公の腹の据わった行いはすごい。

人間、歳を取るほどにもめ事は避けたくなるものだ。分りあえない人と一々やり合ったりするのも心が重い。

が、間違っている事は間違っていると言わなくてはならないだろう。

保身とか自己満足とかではなく、何が正しいか?一番守らなくてはならないもの何か?そうした定規に照らし合わせれば答えは見えてくるのではないだろうか?それに沿った答えを受け入れればいい。

自分のやってきたこと、思いが間違っていなければ着地点はひとりでに決まるはずだ。こういう時は策を弄さず、流れに任せるのが一番いい。

2011年6月24日 (金)

サンキュー・産休

明日からOさんが産休に入る。

なかなかこどもが授からずに不妊治療に取り組んで、ようやく出来た第一子だ。元気な子が生まれるよう祈ってます。

芸能人も不妊治療に取り組みます宣言などをするように、近頃、不妊に悩む人は多いらしい。

ウチはすぐには授からなかったが、1年半ぐらいで授かった。第二子は不妊みたいな感じで7年後に突然授かった。ずっとアパート住まいだったが、家を建てて引っ越したらすぐに授かったのだ。環境の変化、木造りの家に住みかえたのがよかったのかもしれない。

年の離れた一姫二太郎だ。

できちゃった婚などというと、いともたやすく出来ちゃう感じがするが、実は望まないところに授かり、望むところに授からなかったり、とかくこの世なままならないものだ。

でも、できちゃった婚よりは授かり婚と言うとなんか格調が高い感じがする。

「コウノトリのご機嫌に任せて・・・」と皇太子殿下はにこやかにほほ笑んでおられたが、なんとしてもお子様を授からなければならない立場の人の不妊治療はお辛かったに違いない。雅子妃も大変だったことだろう。

ともあれ明日から産休のOさんは成功して良かった。これまでサンキュー、明日から産休と言うやつだ。

会津盆地の夏は蒸し暑い。厳しい節電の夏だが負けずに子育て、頑張ってほしい!余計な御世話だが待望の赤ちゃんには、節子、原子、つなみ、なんて時勢を反映した名前は付けないで欲しい・・・。

2011年6月23日 (木)

自転車に乗って

今朝の会津はいかにも梅雨らしい雨降り。しとしととびしょびしょの中間ぐらいの雨だ。

雨が降ると市内各所で道路が渋滞する。その主な原因はこどもの送り迎えのクルマが増えるためだ。雨が降ると中・高生のこども達、特に郊外の高校生などは親がクルマで送り迎えをするのが普通なようだ。

現在は、避難の方たちを会わせると1万人近く人口が増えいているので、クルマの渋滞も長くなっている気がする。

私は会津高等学校に3年間、自転車で通った。市内の七日町からだから20分~30分ぐらいだろうか。

我々が高校生の頃は、雨が降ったから、雪が降ったからと言って親が送り迎えするような事は考えられなかった。もっともクルマの無い家が多かった。

そんな時は歩いて神明通りまで行きバスに乗ると言う方法しかなかったが、バスに酔うのでバスが大嫌いだったからそんな事をした事がない。

3年間、よっぽどひどい雪の時は歩いたのかもしれないが(歩いた記憶がない)、平気で自転車で通い続けた。

雪道でタクシーのどてっ腹にぶつかったり、転んだりした事は何度もあった。びしょ濡れになったり、泥んこになっても結構平気だった。

まさに雨の日も雪の日も、挫けることなく自転車通学をやり通したのである。みんながそうだったのであれが当たり前、たとえお坊ちゃまでもクルマでの送り迎えなどは考えられなかったのだ。

第一、昔の親はいつも忙しかったように思う。大人たちは朝から晩まで働いていた感じがする。ゆっくり眠りたいとか、休みたいとか、そんな言葉をよく聞いた。

何をするにも身体を使い手を使い足を使った(使わなければならなかった)。きっと一日の運動量は現代の比ではなかったのではないだろうか?

そんな親に「学校まで送ってくれ!」なんて言ったらはっ飛ばされたに違いない。

ま、自転車を買ってもらえただけで御の字、友人と自転車で結構どこまでも行ったものだ。暑かったり寒かったり・・・平気だったんだろうなぁ、十代の僕は。

2011年6月22日 (水)

もしはないけど、もし

暑い!会津は昨日から30度を越えている。

それでも、エアコンは最低限にし扇風機を多用している事業所が多い。ま、暑いとは言ってもまだまだ序の口、この夏の本格的な暑さをどの程度の電力消費で乗り越えられるものか?想像もつかない。

日本の原子力発電所は、このまま1基も再稼働させなければ、反原発、反原発などと叫ばなくても来年の春には自動的に全基が稼働停止となるそうだ。そんな事態に果たして耐えられるものなのか、さっぱり分らない。

みんなで我慢して、今みたいなペースで乗り越えられるものだとしたらそれに越した事はないと思うが、そんなうまくはいかないのだろう。

きっと理想を取るか?現実を取るか?みたいな厳しい選択を迫られるのだろう。

しかし、国民に本当の現実が知らされているかどうかは分らない。

40年前、福島第一原子力発電所が華々しく稼働した時、必死で反対の旗を振った人たちも居たはずだ。しかし、彼らは非現実的な夢想家として葬り去られた。

もしあの時に原発を捨て、日本の全知全能をかけてエネルギー開発に臨んだら40年後の今、どれほどの技術が生まれていたのだろう?歴史に『もし』はないが、『もし』と言ってみたくもなる。

風力発電はあまりにも効率が悪い。地熱は設備投資がかかり過ぎて安定していない。太陽光は未完成だ。その他、多くの自然エネルギーが・・・夢のエネルギーとして、夢の世界に閉じ込められたのは、結局は原子力を推進するためだったのかもしれない。

なんだかんだ言っても結局は原子力しかない。プロメテウスの第二の火、それが人類の未来を照らす原子力なのだ!と大きな声に導かれて「原子力ありき」の道を進んできた。

しかし、40年間もの研究期間があって、全知全能をつぎ込んだなら今頃、水からエネルギーが作れたかもしれない・・・。

まさに言ってみても詮無い事だが、振り返ってみる気持ちは大切だ。

夏の暑さにも、冬の寒さにも負けない丈夫な身体を持ち、何時もしっかりと未来を見つめ考える、そういう者に誰もがならなくてはならない時なのだ。

2011年6月21日 (火)

風雅堂復活

會津風雅堂は会津若松市の市民ホールだ。能楽堂みたいな名前だが、一般公募で選ばれた。このホールで公演する多くのアーティストが、風雅堂の名前に一体どんなどころでやらされるのかと思った、とステージで語る。

その風雅堂が東日本大震災の揺れで壊れた。客席は無事だったがステージの大きなフレームが歪んでしまったそうだ。幸いなことに致命傷ではなく、修理が効いた。6月の中旬には一般の使用が再開されたのである。

会津にある大きなホールは、この会津風雅堂と喜多方市にある喜多方プラザだ。その両方がほぼ無事だった事になる。

県内を見渡すと被害は深刻だ。郡山の文化センター、福島市の市民会館や多くのホールがいまだ閉館中で開館の見込みがない。いわきのアリオスは今だ避難所になっている。

県内の大きなホールのほとんどが使えなくなっていて、会津の2館が健在と言う事になる。

そこで催し物の、一部は会場を会津に移し行われるようだ。中通り、浜通りの人には申し訳ない気がするが、普段は見られないイベントが会津で見られて嬉しい。

ホールの會津風雅堂ばかりでなく、鶴ヶ城本丸や猪苗代などの野外でもこの夏、復興支援イベントが企画されていて、多くのアーティストが会津にやってくるらしい。これまた楽しみだ。

昨夜は、地震被害で延期になった会津演劇鑑賞会の代替公演が會津風雅堂で行われた。

震災後ホールには初めて入ったが、見た限りどこも大丈夫、変わりはない。ちゃんと復活していた。

慣れ親しんだ会場での芝居、いつも上演中は消えるはずのデジタル時計の電気が付いたままだったのはご愛敬かな・・・?

2011年6月20日 (月)

ナンバーワン選び

もう相当昔の事なので時効かと思うが、大学時代にナイトクラブでバイトをした事がある。ホールのウェイターと言うヤツだ。

当時、全国各地の盛り場に有名なナイトクラブがあり、大勢のホステスさんが絢を競い、ステージには生バンドが入りフロアにはダンスの華が咲いた。石原裕次郎や小林旭という日活スターを彷彿とさせる世界がまだ残っていた頃だ。

豪華ならせん階段の壁にはホステスさんの顔写真が並ぶ。ナンバーワンホステスは一番目につく位置にベルサイユ宮殿を思わせるようなキンキラ金の額に入れられて鎮座していた。

この写真が毎月の売り上げで入れ替わる。ナンバーワンが月毎に替えられるのだ。その争いが激しい。

中でも毎月トップを争う二人は決まっていて確か・・・円(まどか)さん、勇(いさみ)さんという名前だったと思う。

月末ともなると、2階、3階に陣取り、あちらがレミーを1本入れた、となるとこちらの客も負けじとナポレオンを入れる。常連たちが自分のご贔屓をナンバーワンにしようと競い合うのだ。

なんとまぁすごい世界もあるもんだと思った。友人と自販機のビールを一気飲みしてひとっ走りしたら酔いが回る、なんて言ってた貧乏学生からは考えられない世界だった。

しかし、今思えばあのホステスさんのナンバーワン争い、何かに実によく似てる・・・そう、AKB48の総選挙だ。

可愛らしく清純さを売りにした嫌みのない元気なアイドルグループだが、総選挙に賭けるファンの想いはもの凄いものがある。

総選挙と言うくらいだから誰にでも選挙権があるのかと思っていたがそうではないらしい。投票できる券を買うために何百万円もCDにお金をつぎ込んだなんて話がある。投票するためにはCDを買わなくてはならないのだ。

CDを何百枚も買って投票券だけを得て、肝心の音楽は捨てられる。

自分の大好きなアイドルをセンターに立たせたいがためにありったけを突っ込んで悔いはない。あんたそれでいいの?と思うがファンはまさに命がけなのだ。

音楽セールスを音楽の質ではなく、仕掛けとして操るニュービジネス、商売としてあまり上品な感じはしない。

それでもAKB48は日本の芸能界を席巻し、社会現象にまでなっており仕掛け人は業界では神のように崇められるのだ。

周囲は触らぬ神にたたりなし、とばかりにみんなでヨイショに励む。

もちろん不正でも、ならぬ事でもないし、可愛らしい彼女たちに罪はない。

が、『会いたかった、イエス!』とまで持ち上げる気にはとてもなれない。

今日も会津は晴れ。気温は31度にまでなると言う。「節電」と言う二文字が重くのしかかる夏は近い。

2011年6月19日 (日)

笑いの門

友人のTくんは、いつ会ってもニコニコ笑っている。笑い顔が顔に沁みついているというか、普段の顔がニコニコ顔なのだ。

まあ中高年といわれるここまで来ると色々なことがある。仕事の事、家庭の事、健康の事・・・人前で悩んだり、落ち込んだりの姿は見せないように虚栄を張るが、「なんだかアイツ、近頃元気ないな・・・」というような時は誰にだってあるものだ。が、Tくんの元気のない姿だけはとんと見た事がない。

結構大変だろうにとか、ガクッときても仕方ないよな、というような時も彼はみんなが集まると一番元気だ。中心でニコニコ笑って場を盛り上げる。

学園ドラマを見ると、どんなクラスにもそういうようなひょうきんな役回りの生徒が居る。自分の学生時代を思い出しても確かに居た。しかし、それを中高年の今まで元気でやり続けるというのは、ひとつの才能だろう。

『笑う門には福が来る(笑門来福)』という諺がある。

これは確かだと思う。人間、笑っていないければ福を招くことはない。泣きっ面には蜂だ。

笑っていれば幸せが来る、というよりも幸せは笑う門からしか入って来ない、という解釈の方が得心がいく。

糖尿病で時に痛風に痛めつけられ、この震災後も容易なことばかりではないはずだ。しかし、彼は何時でも元気に笑っている。周りを暗くさせたり、黙らせたりは決してしない。宴席も主役になって盛り上げる。

人に運気がというものがあるとするのなら、運命の風はきっと笑いの門を通り抜けたがるるに違いない。

神様の心は、いずれ気ままで思う通りにはならないが笑いの門を開けておけば良い方に転ぶ確率が高い、というのは確かな様に思う。

本日で高速道路休日1000円の割引が終了する。物理的な距離は変わらないが、会津がいろんな場所から少し遠ざかってしまった様な気がして、とても残念だ。

これが笑いの門を閉じた様な事にならなけりゃいいな、と思ったりもする。

2011年6月18日 (土)

ゴルフ場の社長

会津高等学校時代の同級生が、あるゴルフ場の社長に就任した。オーナー社長ではないが、社長は社長、慶事だ。

同級生がゴルフ場の社長などというのはあまり味わえることではない。

もっとも、中通りの最近話題のホットスポットの近くなのでそう頻繁には行けないかもしれない。

それでも我々の年代になればもう関係ねぇ、と明日、元悪ガキ仲間で押しかけて、就任コンペを開いてやることにした。喜んでいるか、迷惑がっているかは良く分からない。

「わー、社長のお友達って・・・・・」などと陰口を叩かれないようにみんなで紳士的に努めたいと思っている。

「わー、社長のお友達ってみんな紳士的だけどゴルフ下手!」それじゃダメじゃん!とも言われないようにプレイにも全力を尽くしたいと思ってはいる。

しかし、今夜の前夜祭(祝賀会)の盛り上がり次第でどうなるかは分からない。二日酔いでスタートホールで打ち揃って青ざめているかもしれない。

ま、ともかく嬉しくてみんなわくわくしているという事だ。

2011年6月17日 (金)

お父さんの祈り

あの日から百日が経った。

犬のお父さんは夜空の星を眺めて日本の復興を祈っている。あっ、流れ星が流れた!

流れ星に祈った願いは叶うのか?

「絶対に叶う!」と言う話を聞いた事がある。

流れ星は突然夜空にすーっと尾を引いて流れる。その突然の一瞬に迷うことなく願いを託せるのならその願いは必ず叶うと言うのだ。

これだけは何としても成就させる!と岩をも通す勢いで祈り続ける、強く強く想いを抱き続ける事が出来るのであれば、大概の事は成就すると言う。

寝ても覚めてもその事だけを考える。その事だけを強く思い続けられる・・・そんな強い想いでなければ、一瞬の流れ星に「アッ!流れ星だ。え―と、え~と何だっけ何だっけ?早く早く」みたいな事になってしまうに違いない。

アッと思った瞬間に瞬時に祈れる強い想い、それだけの想いであれば願いは必ず叶うはずだと言う。

成るほどな話しだ。

犬のお父さんだって祈る。日本の復興、東北の再生、福島の終息、会津の安寧・・・果たして人間の総理大臣は流れ星に祈ることができるだろうか?

2011年6月16日 (木)

覚悟の程

千年以上の歴史を誇る相馬野馬追のメインイベント、甲冑競馬と神旗争奪戦が今年は中止となったそうだ。戦後の混乱期も中止することなく行われてきた祭り、相馬の男たちの心意気が駆け抜ける勇壮な野馬追も、福島原発から30キロ圏内と言う現実には勝てなかった。

震災、人災で中止になるなどいったい誰が想像しただろうか?

毎年、会津まつりにMy・馬で参加していたH先生も南相馬野(小高)のご出身。実家のご家族は会津に避難し、馬たちは分散して那須あたりにいるらしい。この状況にはさぞや心を痛めていることだろう。お見舞い申し上げます。

梅雨の雨は一向に降らないが、放射能の雨は止まない。

止まない雨、消せない火、明けない夜はないと言うが明けない夜が入っていたパンドラの箱を開けてしまったのではないでしょうね・・・・本当の事は誰も言わない。本当のところは誰にも分らないと言った方が正しいのかもしれない。

会津は変わらない・・・ように見えるが確実に変わっている。

各所に800戸を越える仮設住宅が完成しつつある。さらに多くのアパートなどに人が移り住んでいる。一万人近い人が避難所暮らしから望まぬ新生活を始めなければならないのだ。

「観光も大事、風評被害も大変、だけど目の前の避難されて人たちの暮らしと仕事はもっと切実だ」と言う声が聞こえてくる。

来る8月7日には延期されていた会津若松市長選挙、市議会議員選挙が行われると言う。この難局に手を上げる人がいるのかしらん?と思っていたが心配することなくちゃんと大勢居るらしい。

「市議会なの、なんだが就活みでなもんだ。会社つぶした人とが、職を無くした人ばっか出る、我が事ちゃんと出来ねぇ人が市の舵取りなの出来んだべか?」

「こんな大変な時に市長出来るほど能力のある人なんか、本当にいんだべか?」と言った声はよく聞こえてくるし、実は私もそんな気がする。

もちろん立派な人材も沢山いるだろう。しかし、この止まない雨の降る中、生半可な覚悟でやれるものではないと思うのだ。

「そんな事言ってたら、誰も居なくなっちまうべした」・・・それもそうだと思えるのがこれまた悲しい。

とりあえず「出でよ!平成の保科正之公!!」と叫んでみる。

嗚呼、なんか空しい。

2011年6月15日 (水)

落ちて戻った

穏やかないい天気が続いている。今年の会津は梅雨入りしないのだろうか?梅雨に入らないのに明けちゃったりして。

近くにドトールコーヒーがある。このドトール、クリニックの中にあるのに2年近く前まで分煙にして店の奥ではタバコが吸えた。

しかし、場所が場所だけに全面禁煙が当然と言えば当然、時折苦情も来ていた。でも、あんまりバッサリも出来ないので経営者と何度か協議した。

彼は理詰めの人で何週間かにわたり喫煙者の数を丁寧に数え、その売り上げも細かく調べた。そうすると明らかにタバコを吸う目的で来ていると思われる客が毎日3割強も居て、もし禁煙に踏み切ったら売り上げは激減、経営が立ち行かなくなると、二の足、三の足を踏むのだった。

「でも禁煙したら客が減る、とだけ考えるのは間違っていますよ。タバコの煙があるから入らない人だって居ます。禁煙したらどれくらい増えるかは分らないけれど、案外増えると思うんですよね・・・」

と辛抱強く説き伏せ、一昨年の秋に全面禁煙に踏み切った。案の定売り上げは急降下、3割4割と減って、経営者は青ざめた。

ところが数カ月もすると数字は底を打ち、上向きに転じたのだ。少しづつ坂を登り始めて1年もすると禁煙前の数字に戻ってしまった。客数は若干届かないものの客単価が上がり数字は伸びた。コーヒーだけでなくケーキやパンのセットメニューが増えたのだ。

そしてこの初夏には、客数も増えて売り上げも禁煙前よりも大きく伸びる結果となった。

これはなかなかに興味深い事例だ。

場所がクリニック内という特殊事情があるかもしれないが、タバコの煙のない空間を求める人は決して少なくないということだ。

昔のように、タバコ吸いの隣りで煙を我慢する、と言う人はもうあまりいないようだ。嫌なら行かない、という選択をする人が多いという事だろう。

これから推測するに、今どんなに流行っているお店であっても、禁煙か完全な分煙に無関心なお店は早晩、行き詰る事が予想できる。

居酒屋とか酒場などであっても吸って当たり前、タバコの吸えない酒の席などは無い!と決めつけているが、案外そうではないかもしれない。禁煙・嫌煙のパワーは予想以上に強まっているようだ。

発がんリスクだけを言えば、タバコのリスクは放射能の比ではない。それを思えば、タバコの煙が充満したお店にこどもを連れていくなど、狂気の沙汰とも言えよう。

将来に禍根を残さないためには、放射能だけではなくタバコもこども達からは遠ざけるべき。禁煙スポットの一層の拡充は必要な事だ。

2011年6月14日 (火)

神様の深慮

旧姓・山本八重子、新島八重子は八重子ではなく八重です、と言われた。

昔の人は子を付けたり付けなかったり、気軽にしていたようで、手紙に自筆で新島八重子とも書いている。

私の母も「孝」と言う名だったが自分も周りも孝子と呼んでいたので、こどもの私も、ずっと母の名は孝子だと思っていた。

昨日の山本八重子のNHK大河ドラマのニュース、本名だと八重子でなくて八重になるのかもしれない。が、間違っています!と言うほどの大問題でもない。

その新島八重さんは晩年、看護婦として経験を活かし日本赤十字社の創設にもかかわったという。それは当然、大山捨松との縁にもつながる。同じ会津出身の二人の女性が赤十字社の創設に力を注いだはずだ。

私が書いた市民手づくり舞台の脚本『ザ・ゴールデンデイズ~大山捨松の生涯~』の中では、籠城中の鶴ヶ城で八重と捨松を会わせた。

砲弾の止んだ月の夜に眠れない二人が言葉を交わす。少女・咲子(捨松)は八重に「どうして天皇家をお守りし、徳川家に忠誠をつくしてきた会津が逆賊と呼ばれるようになってしまったのですか?」と尋ねる。

年上の八重は笑いながら、なんと答えたっけなぁ?

「私にも分りません。でも日本が変わらなければならない今、侍の時代が終わろうとしてる時に、会津の様な役目もきっと必要だったのかもしれませんね」みたいな事だったような・・・。

そう言えば維新もそうだが、今こそ日本が変わらなければならない大変な時だ。

その時に必要なもの、逆に不要なもの、邪魔なもの、障害となるもの、それは一体何なのだろう?

真実は後世の歴史が証明する事になるのだろうが、この馬鹿らしいほどの呆れた政治状況が、とても必要なものだとは思えない。

それとも一旦ダメになって、灰塵の中から再生するためにはやっぱり菅さんのような奸物も必要なのだろうか・・・?

神様の深慮はどうにも分らない。

2011年6月13日 (月)

その名は八重子

来年のNHK大河ドラマは「平清盛」だがその翌年、2013年の大河ドラマがほぼ決まっていたものと急きょ入れ替えになったらしい。

震災復興のプロジェクトに関連し、福島県を応援しようと福島県を舞台に、それも歴史と言えば会津の人物が主人公になると言うのだ。

その主人公は「山本八重子」という女性だ。会津藩砲術指南の家に生まれた山本八重子は女丈夫、戊辰戦争の籠城の際にはゲーベル銃を担ぎ城に入った。

戊辰戦争を開城まで戦った八重子はその後、京都で新島襄と結婚し同志社大学を創設する。こうした八重子の波乱の人生の陰には兄・山本覚馬という傑出した人物がいた。その兄・覚馬を主人公にしても充分に波乱万丈の物語が出来るに違いない。

戊辰戦争を挟んで激動の時を生き抜いた女性・山本八重子、その主人公の活躍ぶりを福島復興のエールに重ねようと言うわけだ。

これは風評被害でさんざんな目に遭っている会津観光にとっては大変な慶事だろう。今から様々な準備を開始しなくてはいけない。

まずは地元での山本八重子についての勉強会やシンポジウムを沢山開く。地元の人がろくに知らないのでは話にならない。

そしてその足跡や、史跡、資料などの洗い出し、整理&ブラッシュアップが必要!山本八重子というブランドを今から丁寧に、丁寧に磨きあげていく事が大切だ。

そして震災復興に寄せる様々な人々の想いを、このドラマを通して最大限に醸成していかなくてはならない。

それにはこの大河ドラマをぜひとも一大ブームにするぞ!という地元の熱い思い入れが何よりも大切だろう。

「八重子」この名が会津を救うかもしれない。主役は誰がいいだろうか?月並みなキャスティングじゃつまらない。元気で強くて大きくて魅力的、女性の新しい美の基準を作りだすようなそんなスターが誕生して欲しいものだ。

とりあえず夢は限りなく広がる・・・そんなNHK大河ドラマのニュースでした。

2011年6月12日 (日)

さよなら1000円

あまり報じられていないが、今度の土日(18日、19日)で高速道路の土日1000円の割引は終了するそうだ。

高速道路無料化などという旗を掲げていたはずだが、こちらの方はなし崩し的に旗を降ろすようだ。

タダにしたり、現金を配ったりする政策がまともなはずはないのだからあっちの方も早く旗を降ろして、『日本復興』に向かう体制を整えて欲しいものだ。

しかし、この割引終了はなかなか痛い。割と頻繁に新潟へ行き、映画を楽しんだり買い物をしたりしてきたが、まともに取られるとなると高速往復で5000円以上かかってしまう。これでは、ちょっと二の足を踏んでしまう。

新潟よりは近いが郡山にしても、福島にしても同じことだ。

年間を通せば遠くのゴルフ場までの高速料金もバカにならない。

会津で全て済ませられればいいのだが、映画館も一館だけ、デパートと言われる店もなくなった。ちょっと気を使う贈り物や封切りの楽しみは難しい。

私の場合、着るものが国産のXLでも微妙に小さいだけにどうにも苦労してしまう。

ネットや通販という手もあるが、ショッピングの楽しみはやっぱり見て手にとって比べて迷って、というのがあってこそだ。

土日は日本国中どこまで行っても1000円、というのに最初は驚いたがこの政策はなかなか良かったんじゃないかと思う。

知り合いには島根や出雲まで1000円で行ったという猛者もいた。私の場合はせいぜい東京ぐらいまでだが、それでも1000円は良かった。

たとえ1000円でもタダとは違う、お金を払うなら乗らないという人は乗らない、という受益者負担の原則が守られているところがよかったと思う。

来週は最後の1000円で友人と若干遠出のゴルフに行こうかと思っている。

2011年6月11日 (土)

丘の上の馬鹿

「現実を見ろ!」「もっと現実的な意見を言え」「現実を無視してそんなこと言ってみても空論だ」

そんな言葉に人々の声は沈黙させられてしまう。しかし、現実とはなんだ?本当にそんなことが現実なのか?

そんなことを気付かせるように村上春樹氏のスピーチは続いた。「我々日本人はノーと言い続けるべきだった・・・」自らの深い反省を込めて。

原子力発電の現実、それは村上氏の言うように「効率」以外の何物でもない。

ほんの一握りのウランから莫大なエネルギーが生まれる。二酸化炭素も出さず環境も汚さず、クリーンなエネルギーの未来はバラ色だったはずだ。大いなる「効率」と「便宜」をもたらしてくれる。

こんなに素晴らしいものを否定する人間は現実から目をそらす夢想家でしかない・・・。

浜通りの小学生は遠足で原子力発電所に行く。原発の仕組みを学び、原発の下敷きをもらう。そして絶対の安全神話を刷り込まれる。非現実的な夢想家を生まないように。

ビートルズの名曲『フール・オン・ザ・ヒル』・・・丘の上の馬鹿は、ガリレオの事だといわれる。『沈んでいく夕日を眺める丘の上の馬鹿。彼の頭の中には、世界がぐるぐる回っているのが映っている』

僕らの目に見えている現実、それをみんなで疑わなければこんなに痛い目に遭ったとしても、結局は同じ道を繰り返す以外に我々には道はない!と叫び続ける現実主義者の大きな声にまた負けてしまうだろう。

非現実的な夢想家こそが真の現実を見つめている・・・そうでなければ故郷を失った人々の悲しみが癒えることはないのではないか?

会津の夢想家でありたいと願う男より。

2011年6月10日 (金)

信じたらバカになる。

人を一旦信じたらとことん信じると言う事は、大切な事だ。しっかりと付き合って、この人は信頼できると思ったのならとことん信頼する。もし、裏切られたり騙されたのだとしたら、悪いのは相手ではなくて自分だ、と言うぐらいの覚悟も時には必要だ。

人は人に頼られ、信じられる事で強くなる。期待を裏切らないように頑張ってもくれる。

「走れメロス」は友情と信頼の物語だ。一瞬だが友を疑ってしまう人間の弱さも描いている。

信頼の心を揺さぶるもの、それは情報だ。現代社会は多くの情報が飛び交っている。あまりに多くの情報が時に人を疑心暗鬼に陥れる。自分で情報を操っているつもりでも操られているだけかもしれない。正しい情報だけを選りすぐるのは易しい事ではない。

もたらされる情報毎に右に左にコロコロ動く人がいる。それはどうも頭のいい人に多い傾向がある。

情報に敏感に反応し、頭を働かせ先回りしてクルクルと態度を変えてしまう。

一旦これと決めてもなかなかバカになる事が出来ないのだ。信頼し、信用して任せたのなら下手に情報収集などせずに貝になっていた方がいい時だってある。時にはバカになる事も大切だ。

信じたのなら任せる。

他に有効な手があるのなら迷っても良いだろうが、無いのならまかせる以外にない。変に揺らぐことが、往々にして物事を複雑にさせてしまうものだ。

・・・信じて結果を待ちたい案件が一つある。ぜひ、うまく行ってくれる事を心から祈っている。

今日の会津は良い天気、天気予報の週末の傘マークもいつの間にか消えてている。沖縄は梅雨明けしたと言うのに会津はまだ梅雨入りもしていない。

日本列島は縦に長い。

2011年6月 9日 (木)

見分けのつかない美人

「少女時代」も「KARA」も知ってはいるが、誰が誰だか全く分らない。この人とこの人が違う人かさえ見分けがつかない。みんなスタイルがよくて美人さんだ。しかし、特徴がない、などと言うとファンに袋叩きにあうかもしれないが違いがよく分らない。

どっちが「KARA」でどっちが「少女時代」かは、人数で分るが、顔だけではさっぱり分らない。確かに美人、なかなかステキ、でも覚えられない、と言うのはどういう事なんだろう?

単におっさんでもうろくしてきた、と言うのもあるかもしれないが、おっさんは結構、美人は覚えるものだ。

女の顔は一目見たら忘れないと自慢している同輩もいる。しかし、そういう奴に聞いてもKポップのスターはなかなか覚えられないと言う。

これが美人です!と言うサンプルみたいな感じだ。目が大きくて鼻筋が通って、エラが張ったり下膨れだったりしていなくて、みんなシュッとした細い顔、肌もロウのようにツルツルだ。ただ、どの顔も韓国の人には見えない。コミック誌から飛び出してきたみたいだ。

韓国では整形は隠すようなものではないらしいので、堂々と少し、いじっているのだろう。勿論、美人にするわけだから方向的には似てしまう事になる。

もっと大勢見て、沢山比べると違いも特徴も分って来るのだろうけれど、そんな暇もない。テレビを見る度に家人と「分かんねぇ、分かんねぇ」と言っている。

録画した少女時代の番組を朝の静けさの中でじっくりと見た。が、今、目をつぶって見ても一人も思い浮かべる事が出来ない。あの足だけがくねくねと踊っている。9人も居るのになんとも情けないが、あっちにとっても情けない話しだ。

美人なのに覚えられない顔・・・「すいません、おっさん相手にしてるわけじゃないので別にいいんですけど」と言われればそれまでだが、なんだかつまらない。

やっぱり顔はいろいろな方がいい。美人に越した事はないだろうが、見分けもつかないほど均一的ではその人の性格や個性さえも希薄なような気がして、好きにもならないんじゃないかと思ったりする。

「だから別にいいんですけど・・・」と言われるに決まっているのだが、やっぱりつまらない。

会津美人と言うのはどういう感じだろう・・・・?少なくても少女時代よりはちゃんと見分けがつくように思うのだが。

2011年6月 8日 (水)

切り替えと芝生

「いくら考えて悩んだところでどうなるもんでもない。なるようにしかならない、考えんのヤーメタ!」と言って、スパッと頭を切り替えられる人は精神的に強靭だ。決して心の病になどなったりしないだろう。

確かに考えたところでどうにもならない事は山ほどある。ぐじぐじ考えてみても事態が変わるわけではない。が、そうは言っても、どうしよう、どうしよう、ああすればよかった、こうすればよかったと悩み苦しんでしまうのが普通だ。

ところがテレビのチャンネルを切り変えるみたいに、それぞれの物事にちゃんと対処できる人もいる。

職業柄もあるのだろうが、弁護士さんやお医者さんなどは切り替えが早い。もっとも引きずっていたのでは仕事にならないのだろう。

例え嫌な思いをしたり悩み事があっても、それだけ一つだけで溢れてしまう事はないようだ。それはそれ、これはこれという割り切りがすごい。職業上の訓練なのかもしれない。

仕事上でも一杯問題案件を抱え、私生活もボロボロ状態、でも結構元気に日々の業務をこなしている・・・。

「そういうのは私には出来ない芸当だ」と言う話題になったら「え~、そうですか?」と、思ってもいない展開になった。

なんでも、物事を引きずったり、くよくよ思い悩むようには全く見えないと言う。第一、悩み事なんてあるんですか?とまで言われた。

「何言ってんだよ、いつも悩みで一杯だよ!」と言ったが、全然説得力ない感じだった。

よく『隣りの芝生』と言う。お隣りさんの芝生はいつも青々とよく見える。自分のところよりも人様の方がよく見えてしまう・・・これは誰にでもありがちなことだ。先の弁護士さんやお医者さんだって本当は切り替えなんて出来てないのかもしれない。

中には見ただけで大丈夫ですか?と言いたくなる様な人もいる事はいるが、やっぱり人は見かけで心の中まで分りはしないのだ。

昔、先輩にこんな事を教えられた。

『所詮、人の事はよく見えるもんさ。いいクルマに乗っていい女乗せて、羨ましいと思うだろう・・・でも本当は会社が倒産して二人で海に行って死のうとしているところかもしれないんだ。人の事なんってわかりはしない、一番バカらしいのはそんな人の事を羨ましがって自分が不幸になる事、人と比べて自分を測る事だ』

なかなかいい事を言ったもんだ。

微妙に話がずれたが、何時までも引きずらないである程度の切り替えは大事だということ(難しいけれど・・・)。そして、他人の芝生を羨ましがるような事はつまらないという事だ。

本日の会津は快晴、紫外線たっぷり、放射線たっぷり(こういうのを趣味の悪いジョークという)のお天気だ。

2011年6月 7日 (火)

なんとなくサマータイム

日本でも欧米に習いサマータイム制を導入しようという動きはこれまでに何度かあったらしいが、定着はしていない。

この震災の電力不足を受けてサマータイムも噂に上ったが、結局はみんなで一斉にと言う事はならない。ならないけれど、産業界では大手企業を中心にどんどんサマータイムを導入しているようだ。特に都会で。

会津では本格的に導入したという企業の話はまだ聞こえてはこない。

国がやる、なんてちんたらした事を待っていられないという形だ。別に一斉に時計の針を進めなくたって、自分らで勝手に就業時間を早めてどんどんやろうと言う事だ。

時間がそのままだからアフター5がアフター4になって、かえって仕事が早く終わるみたいでお得感があるみたいだ。

制度として足並み揃えるのを待つより、良いと思う事はどんどん取り入れて試す、それでダメなら修正しまた試す、それがビジネスのPDCAサイクルと言うものだ。

もっとも私なんか、明るくなると起きてるわけだから一人でなんとなくサマータイムみたいなものだ。夜明けの静けさの中でコーヒーを飲んで、本を読んだり、撮り置きの映画を見たり書き物をしたり、結構ひと仕事できるものだ。

先日、6時前に飯盛街道を歩いていたらクルマが止まって、同級生のAくんが降りてきた。

「おはようっす。ウォーキングかよ?」「そっちは?」「いま、事務所でひと仕事して戻って来たとこ、これからそこの畑で少しジャガイモの世話してくんだ」と、朝から元気がいい。

この時間でひと仕事して来たというのだからまさに御同輩、彼も明るくなったら起きる口だろう。

正確には起きてしまう・・・だ。

眠られるのなら6時ごろまではぐっすり寝ていたい。その方がコンディションも良い。だが、夜明けに目が覚めるとなぜかその後、眠れなくなってしまう。ニワトリみたいだ。

サマータイムだからその分時間がずれて夜は9時を過ぎると舟をこぎ出す。遅くても11時、それ以降はもう未知の世界になってしまった。

結局は帳尻が合っている訳だが、どうしても、ぐっすり感には欠ける。

同じ時間に休んでも朝まで一度も起きずにスヤスヤと眠る家人を見ていると、なんとなく焦るし、羨ましいし、小憎らしかったりする。

今朝なんか4時前だ。さすがに薄暗い。なんとなくサマータイムも度が過ぎると身体に毒なのだが・・・。

2011年6月 6日 (月)

水の国よ永遠に

「梅雨寒」(つゆざむ)と言う言葉があるが、会津の場合は梅雨入り前、会津平の田んぼに一斉に水が入った頃に、寒い日が続くと言われている。

背あぶり山の頂上あたりから眺めると会津盆地は広々と、豊かな田んぼだらけなのがよく分かる。

田植えが終わったばかりの頃は、田んぼの水が光って見えて、街全体が湖の上に浮かんでいるようにも見える。あれだけ広大な面積に水が入るのだから気温にも影響して当たり前だろう。

年寄りは「田んぼに水が入っと必ずこたつ点けたり、半纏出してくるような日がある」という。

不思議なのは田んぼに水が入った途端に始まるカエルの大合唱だ。土の中で眠ってたのが一斉に起きるのだろうが、おぼろ月夜の下、それはまぁ見事に一斉に鳴く。

今年はカエルの声が寒そうに聞こえるほど低温が続いた。そしてまだ梅雨入りはしてない。今週も比較的天気が安定しているようで、梅雨入りはもう少し先のようだ。

会津の野に山々に雨が降る。

降った雨が木々を洗い小川となって沢を下り集まっては、また離れて流れていく。沁み込んだり、湧き出したりを繰り返して水は循環を続けているのだ。

無数の川、湖沼群、湿地や池塘、会津は水の国とも言われるほど水が豊かな土地だ。どんなに日照りが続いても水に困った話などは聞いた記憶がない。

水は物言うことなく黙々とひたすらに、会津野を流れ行く。

「この水の国が汚されない事を心から祈りたい!」そんな言葉が思わず口を突いて出た・・・爽やかな青空である。

2011年6月 5日 (日)

恐怖は人それぞれ

郡山に来ている。郡山の放射線量は、1.6マイクロシーベルト/h程度で会津の10倍ほどだ。だが、郡山の人が言っていたが自宅周辺では3.3とかあってもっと高いらしい。

校庭の土を削ったり、部活動を屋内でやったり、事態は我々が思う以上に深刻だ。

会津で暮らしている場合、放射線量は全く気にしていない(私の場合は)。0.16程度だし、気にしたとしてもどうにもならないし、出来ないからだ。

しかし、会津でも熱心に校庭の土の入れ替えを主張したり、体育など、こどもを学校の授業通りやらせないというお母さんもいるらしい。

事が誰にも正確なところは分からない放射能だけに一概に神経質だ、では決めつけられない。そういうお考えですか、と見守るしかないだろう。

昨日の面接では2歳のこどもを抱えたお母さんが被災地から来ていた。まだ避難区域ではないけれども、とてもこどもと暮らせる環境ではないと判断、家族と離れてこどもと二人だけで、会津に来たという。

相当な覚悟だ。放射能の捉え方は人によって様々、数値だけで一概には言えない。たとえ低い値でも、その人の恐怖感と比例しているわけではない。どんなに低くても怖い人にとってはものすごく恐ろしいのだ。

我々の年齢になると総じて鷹揚で、どうせ今さら・・・という感じが強いがやはりこども達は深刻で、そこに母性・父性の愛情が降り注がれるとその値は千差万別、とても器械では測ることはできない。

絶対に出てはいけない、絶対に漏らしてはいけない、と言われた放射能が山ほど出てしまった。

言葉は悪いが『もし放射能が大量に漏れたら?』の実験が、机上論でなく実際に行われている様なものなのだ。

世界各国はこのデータを自国に活かそうと必死になって情報を収集し分析している。日本のやり方を鵜の目鷹の目で見つめているのだ。

もし、本当の事を一番知らされずに右往左往しているのが当の日本人で、我が福島県民だとしたらものすごく悲しい。そして強い憤りを感じる。

2011年6月 4日 (土)

何番のウンコ?

今朝、歩いていて犬のウンコを踏んだ。

小型犬の小さなものだったが、小さいからと言って気分が悪い事に変わりはない。

私がこどもの頃はよく犬のウンコを踏んだ。昔は犬も放し飼いだったし、ペットの糞の後始末などと言う意識もなかったのだろう。

よくウンコを踏んだ友達をからかっていじめたものだ。「やー、ウンコふんだ、きったねぇ!」人の事を笑っていると必ず自分も近々踏むことになる。

しかし、この歳して歩道の真ん中でウンコを踏むとまったくばつが悪い。しらばくれると言う訳にもいかないので、わー、と言いながら靴をこすりつけていいると、通りがかりの人が変な顔をして見る。非常にムカつく。

こういう場合、その飼い主はどんな事を考えていたか?

1、愛犬がウンコをしたのを気付かなかった。2、面倒くさいので気付かないふりをした。3、誰かに踏ませてやろうとそのままにした。

1番ならまだ許せるが、2番のマナーの悪い飼い主が結構多くて困る。こういう人は草むらとか道の隅っこだと平気で始末しようとしない。我が家の周辺にも時々見られる。

面倒臭いのなら犬を飼わないのが一番だ!と言ってやりたい。

で、3番になると異常だ。こんな風に何事においても社会に対して攻撃的になる人がいるものだ。人を困らせて喜んでいるのだから質が悪い。

自販機にいたずらしたり、公園のものを壊したり、一体何のためにそんなことするの?と思うが、当人は嬉しいのだから困る。反社会的な一般ピープル、これが案外多い。

今朝のウンコは一体何番のウンコだったのだろう?

気分の悪い事に違いはないがせめて1番であって欲しい。あれが3番で、どこかでほくそ笑んでいる奴がいるのかと思うとなんとも気持ちが悪い。一日が暗い気分になってしまうではないか。

『会津には3番みたいな人はいないんですよ。ちょっとマナーの悪い人は居ますが話せば分ってくれる、そんな街です。みんな純朴ですからね・・・・』と、言えるような3番のいない(少ない)街が良い。

会津は、ぜひともそうであって欲しい。

2011年6月 3日 (金)

梅雨前の

寒かった会津がようやく本来の六月に戻った。

低空飛行だった気温も上昇傾向、クールビズでもおかしくない。昨日までは六月だと言うのに半袖では鳥肌が立って居られないほどだった。

台風1号が早かったり、梅雨寒が続いたり、気候は相変わらず定まらない感じだが、地震以来、異常気象なる言葉はどこかに行ってしまった感がある。

何が異常なのか分らなくなってしまったような気がする。もう多少の事では驚かない。

会津の梅雨入りはまだ。今日は梅雨入り前の貴重な晴れ間、初夏の日差しが会津平にさんさんと降り注いでいる。

2011年6月 2日 (木)

流行語大賞

会津は肌寒い六月だ。

人の気持ちをおもんぱかる、忖度(そんたく)する、そうした心配りを日本人は大切にする。口に出してまで言わなくても相手の気持ちを思いやる・・・。

だからと言ってはっきりと意味(時期)の分からない『一定のメド』などという曖昧模糊とした言葉で、この国の先行きを決めてしまって良いのだろうかという気持ちでお昼のテレビ中継を見ていた。

出来レースの様に前首相さんや、賛成に回ると言っていた代表格の議員が次々に発言し、ここはひとつにまとまろうという事を、持って回った分かりにくい言葉で滔々と述べる。

あの時に議長が違う人を指したらどうなるの?と思う。ちゃんとハトさんの次はあの人、いくら前列で手をあげても指さない、という事は出来レースだという事だ。

結局、『一定のメド』とは何時なんだ?という事も明らかにされないまま、内閣不信任案は否決されてしまった。

否決されてしまってから、その『一定のメド』が、何時ってわけではなくて当面辞めないってことだと言い出したり、今月中だこのウソツキ!と言ったり、本人も大体一月くらいかなぁ~と、とぼけている。

茶番劇以下の政治ショーを国民は連日見せられている。

ま、今はっきり分かることは今年の流行語大賞には『一定のメド』が入るだろうということぐらいだ。

あ、それと今この国を動かしている政治家のみなさんの一定のメドならぬケツメド(尻の穴)が相当に小さいということぐらいだ。

六月とは思えない寒さだ。朝晩にはエアコンのヒーターを付けた。冷房は節電なのですぐに点けるのを憚られる様な気がするが、暖房はあまり抵抗がない。

それじゃダメなんだが、不思議と暑いのは我慢しても寒いのはしょうがねぇ、という気になるもんだ。

どこからどこまで我慢するのか?こちらもちゃんと『一定のメド』を付けて置かないといけない。

2011年6月 1日 (水)

二分ですよ。

村八分と言う嫌な言葉がある。村から仲間外れににする事だ。が、八分と言うのだから残りの二分は例外と言う事になる。それは死んだ時と火事の時だと聞いた事がある。

どんなに仲間外れにして仲違いをしていても、死んだ時と火事の時だけは別、その時は一時、喧嘩は無しで手を貸し力を合わせるしかない、ってことだ。

今の日本はまさにその二分の状況だと言ってい良い。有史以来最大の大地震と大津波に襲われ大勢の人々が死んだ。そして消せない原子力の火事が続いている。

それなのに政治家たちはみんなで力を合わせようともしない。いがみ合いの拳を下ろそうともせずに、自分たちのことばっかり考えて勢力争いを続けている。村八分にも劣る見苦しい大醜態だ。

『頑張ろう日本!』というのなら、せめて衆議院議員の任期の切れるまで、一旦、党の旗は降ろし、自分の意見ばっかり言うのはやめて、全員参加の救国内閣で日本を立て直しましょう、と普通なら考えるのではないだろうか・・・?

菅さんがダメならば、みんなで一旦担げる人を決めてチャッチャとやる。文句は後回しでともかく必死でやる。

それぐらいの話し合いや調整が出来なければ政治家なんて勤まるはずがないんだから「私、恥ずかしいです」と言って自分から辞めて欲しい。

この東北の空には二万もの霊が瓦礫の山と化した故郷を悲しんで漂っている。

本当にいい加減にしないと罰が当たる!と思う。申し訳ないが、あの人とあの人とあの人には当てて欲しいと祈りたい気さえする。

どんなに嫌な人とだって、死んだ時と火事の時ぐらい手を貸し合えるだろう。今がまさにその二分の状況だ、そんな意識もないのだとしたら、この国はあまりにも深刻だ。

今朝の会津は冷たい風が吹いた。山背の様な冷たい風の中を6月はやって来た。

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