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2011年5月

2011年5月31日 (火)

コバルトの空

新緑の五月も行く。会津は素晴らしい五月晴れだ。新緑に囲まれて改装なった鶴ヶ城天守閣の白壁がまぶしく輝いている。赤茶色の瓦が五月の日差しに一段と映えている。

この素晴らしい季節、例年だと学生服やジャージ姿の小中学生が街中を大勢闊歩している。タクシー観光や、徒歩で元気に歩く姿、そこここのセブンイレブンの店先では買い食いしている姿が多く見かけられたものだ。

なにも会津まで来てコンビニのおにぎりやカップ麺はないだろうと思うが、彼らにとってはそれなりの理由があったのだろう。

そんな光景も今年は見られない。皆無、と言って良いぐらい修学旅行生の姿がない。

修学旅行に来る時には、地元の病院にあらかじめ万一の事故の際にはお世話になります、と救急対応の要請書が来る。毎年沢山の学校の書類にハンコを捺していたが、そう言えば今年は全く捺した記憶がない。

これも風評被害ではあるが、中通りなどの放射能レベルを考えると、何もわざわざ福島県を選ばなくても良い、という親心は分らないでもない。

このところ、浜通りや中通りから会津に転校してくるこどもが増えているそうだ。放射能レベルがぐんと低いからだ。

おじいちゃんやおばあちゃんの縁故を頼ったり、お父さんを単身赴任に残し、お母さんとこどもだけが転居して入学するケースなども増えているという。

国は年間1ミリシーベルトと言う安全値を、緊急事態だからと言って20ミリシーベルトにまで引き上げている。それでも安全だ、とは言われても我が子を案ずる親心、これは充分に理解できる。

まして今頃になってやっぱり1ミリが望ましいなどと、まさに玉虫色の見解を出されても途方に暮れるばかりだろう。もし可愛いい孫でもいれば私だって途方に暮れるだろう。

「一体何が本当で、どうしたらいいんだ?」

この美しいコバルトの空にいくら問いかけてみても答えは返ってこない。

2011年5月30日 (月)

想われ人

「わしの思われ人になってくだされ」と秀吉が言って、とうとう茶々を口説き落とした。結果は史実、経過はドラマ、作家の想像力と製作クルー、役者総動員の創造力だ。

思われ人、なんて日本語あったのだろうかと思った。想われ人、こっちの方が雰囲気かな。想い人、想われ人・・・要は恋人になってくれ、という事なのだろうけれど造語でしょうか?

ちょんまげつけて「恋人になってくれ」では合わないし、「俺の女になれ」ではラブロマンスにならない。「想われ人になってくだされ」と言うのはなかなかの台詞だ。

秀吉と言う人は恋多き男であった事は確かだろう。茶々の場合は加えて信長の姪という血筋の良さもあり、秀吉の権威好きとも見事に合致している。

秀吉のこうした女性好き、権威好きは会津の歴史にも影を落としている。秀吉の命を受けて会津入りしたエリート大名・蒲生氏郷公は38歳という若さで急死している。氏郷公の妻は信長の次女・冬姫であった。その冬姫欲しさに秀吉の側近が毒殺したのではないかと言う説もあるほどだ。

暗殺説は否定されていると言うが、その後、秀吉が冬姫に食指を動かしたであろうことは想像に難くない。

歴史は夜作られるとも言う。正確にはいかなる経過を辿ったのかは分からないが、茶々が秀吉のこどもを産んだことは事実だ。歴史は男女の想いで大きく揺れ動いていく。

ドラマの主人公の江もやがては徳川秀忠の妻となり、三代将軍家光の母となる。しかし、あまりの嫉妬深さから秀忠の側室を許さず、たった一人のご落胤は匿われながら育つことと相成った。

その人こそが会津藩の藩祖ともなる名君・保科正之公なのだから実に興味深い。

改めて言うまでもないが、会津はNHK大河ドラマ級の歴史の宝庫である。

ここ会津でも想い人、想われ人が入り乱れて、歴史絵巻は描かれてきたのだろう。想われ人と会津で会いたい!

2011年5月29日 (日)

生憎なんかじゃない

台風の余波か、一日中雨だ。こんな雨の中のラウンドは大変だろうなぁ、と本日の月例競技会(ゴルフ)に出た友人を思いやる、が腹の底で{ざまぁみろ}感が漂う・・・人間が極めてスモールだ。

磐梯熱海温泉は郡山市の奥座敷、会津若松市からはクルマで40分ほどだ。そこのホテルで会議があり出席、短い御挨拶もしなくてはならない。従って、今日の月例には出られないというわけ、来月もダメだ。

朝からの雨、こういうのを『生憎(あいにく)のお天気』というのだろうが、生憎どころか会議には素晴らしいお天気だった。

ホテルのコンベンションは一面のガラス張り、様々な木々が緑のカーテンを作り、雨に洗われたその緑は「おーっ!」と息を飲むほどに美しかった。

貧弱なボキャブラリーでは『真緑(まみどり)』でも言う以外に言葉が見つからないが、本当に目に染み入るような、心洗われるような緑だった。

中国から帰化した女性に聞いたことがある。里帰りに中国に戻る時、機窓から中国の風景を見ると懐かしさがこみあげてきた。ところが、いつからか日本に戻ってくるとホッとするようになったのだという。

それは日本の美しい緑の風景のせいだと彼女は言った。日本の緑はいつも潤っていて清潔で、まさにキレイキレイなのだと言った。いつからか彼女は福島空港に降り立つたびに『帰って来た』と、感じるようになったのだという。

普段は特に気にもかけない緑の風景も、改めて眺めるとまさに心奪われる美しさだ。御蔭で会議は居眠りをすることもなく、長時間の割には早く終わったように感じた。

しかし、この緑の雨の中を、人智の及ばない放射能という異物が音もなく降り続けていることは今だ信じられない事実、まさに痛恨の極みというやつだ。

生憎なんかではない、とっておきの、極めつけの五月の雨。

こんなにも美しい風景を日本は何としても守り通さなくてはならない。取り戻さなくてはならない。

2011年5月28日 (土)

笑えばいいってもんでもない

菅さんの満面の笑顔、それだけ見ればなかなか立派な良い笑顔だと思う。しかし、まぁ、鼻について仕方がない。

サミットの席上、外国の要人と会った時、思いっきり笑う。なにもそこまで笑わなくてもいいんじゃないか?と強い違和感を覚える。

どうも、外国人に媚び、語学力や能力のなさや不安を満面の笑顔でごまかしているようにしか見えない。

数万人の国民を失い、数十万人の国民が故郷を追われ、人類史上例を見ない自然災害、原発事故を同時に抱えた一国の指導者が、三ヶ月もたっていない今、儀礼もあるだろうが、あそこまで笑わなければならないものだろうか?

日本人とはそういう人種ではないように思う。感情表現が下手で不器用だが、心根には素直な思いを抱き、真摯に応対をする。この国難の時、厳しい表情になるのも当たり前だろう。武骨で構わない。

各国首脳がそんな日本人指導者にまず持って深い哀悼の意を表し、お見舞いを述べる。トップのあいさつはそんな風に始まって当然だと思うが、菅さんの白い歯、弾ける笑顔、悲しみも憂慮もみじんもない破顔、あれには大きな違和感を感じる。

この週末に流れたサミットのニュース、どう見たって笑いすぎでしょう。泣いてる国民を背に日本の将来を語る人にはとても見えない。

満面の笑みをたたえ、人を不快にするというのもなかなかの技だ。「何笑ってんだ!そんなに笑ってる場合か!」と、言いたくもなる。

政治家としての信条や能力、指導力、統率力・・・多くの人がいろんなことを言うので本当のところ正確には分からない。

しかし今、幾万の悲しみと行き場のない怒りを背負ってこの国を立て直そうという気概は、あの満面の笑みからはとても伝わっては来ない。

人間、笑えばいいってもんでもないってことだ。

会津は曇天、まだ雨は降りだしていない。このままこの程度で今日一日が過ぎてくれればうれしい。

2011年5月27日 (金)

節電に思う

無駄な電気(エネルギー)を省くのが省エネ、今盛んに言われている節電は必要な電気をも最小限に、もしくは我慢してまで電気を節約しようというものだ。

地球にやさしく・・・などと悠長な事を言っている場合ではなく、そうしないと間に合わなくなる、という瀬戸際に立たされての節電なのだ。

だからやるやらないではなく、やらなければならないのだ。そこがこれまでと違う。どうしてこうなったかは、改めて言うまでもないだろう。

「電気代は完全に半分になります!」Mustの節電、そう言われれば心も動く。もう20年になんなんとする我が家の冷蔵庫、時々冷蔵室の底に汚染水ではないだろうが不明な水がたまっていたりして、そろそろ限界かと思っていた。

そんな矢先に電気代半分と聞いて、決心した。

先の日曜に新しい冷蔵庫がやってきた。台所にぴったりとおさまっている。(測って買ったのだから当たり前だが)内部もLEDのライトでいかにも省エネタイプ、これで我が家の節電は相当に進んだものと思われる。

家庭で一番電気を食うといわれるエアコンもエコポイントにつられて、すでに省エネタイプに変えてある。

備えは万全、と言いたいところだが「問題はあんただ!」と言われた。

戸は開けっ放し、電気は付けっ放し、こういう奴を会津では『げす(尻)抜け』という。ま、典型的なのが私ということらしい。

温座トイレの蓋を閉めるだけでも電気代は相当違うんだから、と言われて出来る限りの注意は払ったつもりだが、ひと冬に10回ぐらいしか閉められない。

飲んで帰って風呂に入って、1階の電気をすべて消して休んだはずなのに朝起きるとあっちもこっちも点けっ放し、などという事はあまり珍しくない。

もちろんわざとではないのだが、努力はなかなか報われないものなのだ。

とは言え今年はそんなことばっかり言っても居られないので、素直に心を入れ替えようと努めている。点けた電気はすぐに消す、開けた戸はすぐに閉める、水も止める。暑さ寒さも少しは我慢する!

で、気合が入りすぎると点けた電気を用を足す前に消してみたりして・・・パチパチパチパチ、返って無駄だったりする

まぁ、己が情けなくなるが、今年は節電に努める気持ちを失ってはならないだろう。

『ガンバレ、げす抜け節電マン!』と言ったところだ。

会津は週末、雨に向う予報、遠く南方には台風も来ているという。

2011年5月26日 (木)

送られる場合

人さまの事を悪く言うと、あんまり気分がよくない。

褒める方がこっちもずっと気分がいい。不味いラーメンの話よりは、美味しいラーメンの自慢話の方がずっと気持がいい。

そんなわけで昨日のブログを書いたあとは気分が沈んだ。やっぱり、藪をかき分けるようにしてでも良いところ、宝石の原石の様な可能性のあるところを探し当てて、会津をスリスリするのが良いようだ。

さて、昨日A先生の「お別れの会」が開かれた。お人柄を表す様にとても良い会だった。奥様のピアノの教え子が、素晴らしいピアノ演奏を捧げた。

夕刻の食事会では、やはり教え子のみなさんが「アメージンググレース」を歌い、ジェントルマンだったA先生へ捧げた。これもまた心に、天に沁みた。

昨今、葬儀はセレモニー化し、葬祭業は成長産業だ。高齢化が進み亡くなる人が増えるのは確実なのだから益々成長していくようにも思えるが、恐らくそんな一本調子にはいかないだろう。

我々が結婚適齢期だった30年ほど前の結婚式はすごかった。出来るだけ華やかに豪華に、結婚する二人はまるでスターの様にドライアイスの煙の中からキンキラキンの衣装で現れたりした。

それがわずか数十年で様変わり、結婚式そのものをしないことなど当たり前になっている。栄枯盛衰、お葬式ビジネスだってきっとそうなっていく。

もちろん、お葬式をしないという事にはならないだろうが、今般の様なセレモニー的な色合いは、どんどん薄れていくのだろうと思う。

心のこもったひと時、本当に悼む人だけで送って欲しい。そんな事を願うなら自分の時はどうして欲しいと考えてみるのも悪くはない。

昨日のような素敵な会を経験すると「お好きにどうぞ」というのも考えものだ。故人の遺志というものが一番尊重されるのだから、一筆書いておくのも良いだろう。

とはいえ、まだまだリアリティを感じないのできっと何も書かないだろうけど・・・。

2011年5月25日 (水)

産品の責任

会津若松市の市民ホールである會津風雅堂は、先の大地震でステージの設備に損傷を受けて使えなくなった。現在、修理中で6月の15日は無事に治るのだそうだ。

そういう訳で、昨晩の演劇鑑賞会の舞台「オスカー」は会場を喜多方プラザに移して行われた。喜多方プラザのホールは多目的というよりは音楽ホールとしての評価が高く、これまでにも地方ではなかなか聞けないクラシックやジャズなどの名演奏が行われてきている。

喜多方まではクルマで30~40分。西陽を受けた雄国連峰を右手にクルマを走らせた。田植えもあらかた終わって水面に風の跡が見えている。

いつの間にか雄国の山々も青々として美しい、田んぼの畦も緑色に輝いている。

喜多方と言えば喜多方ラーメンだ。開演前に腹ごしらえをしようと有名な坂内食堂に行ったら残念、もう閉まっていた。

ま、どこでも喜多方ラーメンだろうと道路沿いの旗の立ったとある食堂に入った。オーソドックスなしょう油ラーメンを注文する。

誰も居ない割には時間のかかったラーメン、これがまぁ、驚くほどに不味かった。というか味がない。くすんで濁ったスープだが何でダシをとったのか全く分らないほどに、ダシの味がしない。麺も微妙にゆで過ぎ。

よくもまぁ!と驚くほどに不味いのだ。スーパーで売ってるつゆで作ってもよっぽどまし。どうやったら、こんな不味く作れるのか?と言いたくなるほどだ。本当にここまでのは珍しい。

作っている人はちゃんと白衣を着て帽子もかぶって、なんだか誠実そうな中高年だ。きっと彼は自分で自分のラーメンを食べた事がないとしか思えない。

もし食べたのならば、まさかあのラーメンでお金をいただこうとはしないだろう。

毎日、同じような事を繰り返していても、少しずつのズレが積み重なって、とんでもなくズレてしまう事がある。おそらくそんな感じなのじゃないかと思う。

毎日毎日、チェックを欠かさないこと。これで良いのか?と自分自身に問いかけること。その大切さを置き忘れた一杯のラーメン・・・それを天下の喜多方ラーメンです!と出された観光客は一体どれほど失望することだろう。

そら恐ろしくなるほどの一杯、ちょっと悲しかった。

その土地の産品・名品となったからには、みんなでのチェックも必要な事だと思った。個性や特徴はそれぞれで構わない。が、最低限の味や品質レベルについては産品・名品としての責任もあろうというものだ・・・。

ちなみに「オスカー」、芝居の方はなかなか楽しく面白かった。

2011年5月24日 (火)

ため息の出るような・・・

こどものケンカで一番多いのが、言った言わないのケンカだ。

「おめはこう言ったべー」「俺はそんなごど言ってねー」「ウソだ、言った」「いいや、言ってね」

どっちも証明できないから最後はもうめちゃくちゃに腹が立って「やがましー、おめがごちゃごちゃ言ってっから悪りぃんだ!」「うるせ、人の話ろくに聞きもしねで、この野郎」「うるせ、うるせ、このチビ!」「なにおー、おまえの母ーちゃん出ベソ!!」もう、はちゃめちゃ。

髪の毛引っ張って、つかみ合いになってどっちも泣きだしてしまう。

こういう恥ずべき行為をしないように、会津の士族のこども達の間には「什の掟」という有名な戒めがあった。

『嘘をついてはなりませぬ、弱い者をいじめてはなりませぬ、卑怯なふるまいをしてはなりませぬ・・・ならぬことはならぬものです』

言った言わないのケンカほど、武士として恥ずべき醜態はない。どちらかが嘘をつき、どちらかが(もしくは両方が)お天道様に恥ずべき行為を堂々と正統化しているからだ。

こんなこどものケンカ以下の言い合いを連日、トップニュースとして見せられる国民からは、もはやため息しか出てこない。

海水注入なんて知らなかった、お前が言ったから海水注入止めたんだ、いや止めろなんって言ってない・・・・笑い事じゃないがこれがホントの水掛け論でございます。

お後がどうもよろしくない様で・・・・・・・・(あ~あ、情けない)

2011年5月23日 (月)

良顔は良薬

もう十年以上前、父がいた頃の事。

深夜に目覚めてトイレに行ったら、階下の父が寝ている部屋から明かりもれていた。どうしたんだろう?と思って覗いてみると。喪服に着替えネクタイもちゃんとしめた父がステッキを抱え正面を見据えてベッドの上にきちんと座っていた。

背中がジーンと凍りつくような思いがした。痴呆症、深夜徘徊、ボケ老人・・・そんな言葉が頭を駆け巡った。

「な、なにしてるの?」「ああ、遅かったな。早く空港に行かないと乗り遅れる。A先生(故人)も待ってっぺ。行がんなんね」「・・・・・????」

私の友人のS医師はこんな事を言っていた。

『ボケたことを怒っても何もならない。頭ごなしに否定しないで、一旦受け止めてやれば、それほど混乱しなくて済む』その話しを思い出した。

「・・・それはそうだけど、空港行くのは今日じゃないよ。まだA先生からも連絡ないし。今日じゃないから大丈夫、朝になったらちゃんと確認しておくから安心して休ませ」「そうだっけが?うっかりしたな、今日だと思ったわい」と言って、父はいたって素直にパジャマに着替えて、スースーと寝息を立てた。

こんなビックリするような事もあったが、父は最後まで認知症という診断は受けずに済んだ。時に少しこんがらがったが、父の場合は頭の中の糸がすぐにほぐれたようだ。

先日、NHKで認知症の老人も怒りや嫌われるという感情は最後まで分っていて、そんな対応が症状をより悪化させるという話題をやっていた。それで思い出したのだ。

年老いた親を怒ってしまう気持ちは良く分かる。実際、私も何度も父をがっ飛ばしてしまった。こちら側も感情のコントロールが効かなくなるのだ。

小さな頃あんなに頼もしくしっかりていて頼り切っていた父母が、何も出来なくなってしまう。そんな現実を受け止められない自分がいる。大きな声で叱れば、元に戻るように思う、反省して治るように思えてしまうのだ。

それが返って進行を早めてしまう・・・皮肉な事だ。自分の親がボケた。面倒を見てやらないともう何もできないと認めるのは、子どもにとっても辛いことだ。

が、いずれにしても眉を吊り上げた怒りの顔では何一つ解決しないという事だ。

笑顔は笑顔を呼び起こす様に、笑顔には力がある。怒りや憎しみや悲しみは、伝播しながらも決して物事を解決に向かわせることはない。どんどん沈んでいくばかりだ。

怒った顔、臭い顔、不愉快な顔、様々な糸はこんがらかるばかり、そんな顔は負のパワーしか持っていない。

笑った顔、明るい顔、瞳輝かす顔・・・良顔は良薬でもある。

昨日、寒冷前線の通った会津、今朝はひんやりとしてエアコン暖房をつけるくらいの朝だ。

2011年5月22日 (日)

・・・そうすれば時に微笑むこともある。

ゴルフコンペで優勝した。

これまでも小さな草コンペで優勝したことはあるが、45名も出てノータッチプレイのちゃんとしたコンペで優勝したのは初めてだ。

もちろんテレビでやっているようなトーナメント競技と違ってダブルぺリアという、うまい具合にハンデを付ける方法があってそれで競う、決して一番うまい人(スコアの良い人)が、勝つというわけではない。

ハンデホールというのを言うのを抽選し、そのホールによってハンデキャップが付いていくという実によく出来た方法なのだ。これを考えた人は天才的だ。

「何だクジか!」と言われればそれはそうなのだが、頑張ったプレイをすれば、すごく上手な人も、それなりの人にも十分にチャンスがある、だからゴルフコンペというのが成立し、全国各地で盛り上がっているのだ。

「所詮運じゃねえか!」と言われれば元も子もない気にもなるが、それでも優勝は優勝なのだ。運も実力の内という言葉もある。

で、すごく調子が良かったのか?と聞かれると、まぁ、これがまさに運としか言いようがないからお恥ずかしい。

トリプルボギー(+3)が4つもあり、ダブルパー(+4)なんてのまであり、それらが全部見事にハンデホールにハマった。

バーディー(-1)なんてのもあり、パー(±0)もいくつかあり、こっちはことごとく外れた。(外れたからいいのだ)

ちなみにハンデホールの抽選は、我がボスがひいたので感謝しなくてはいけない。

特に変わった準備などしなかったが、唯一前の日に汚れたクラブを拭いた。道具を大切にするイチローに習ったわけではないが、ずっと放ったらかしだったので掃除した。

当日、会津磐梯カントリークラブのコンディションは下の上。朝方は穏やかな曇天だったが途中寒冷前線が通過し一時雨風が強まった。後半はカッパを着て雨の中のスタート、しかし、それも3ホールほどで小雨模様に落ち着いた。雨にも風にも負けていない。

優勝してみて分かったことは、たとえ山あり谷ありのスコアでも、ハマればラッキーという事。ようは1ホール、1ホール腐らず、調子に乗らず、目の前のホールを一生懸命プレイするということだ、

また1日中プレイして100回近くクラブを振り回すわけだから、中にはこのくらいどうでもいい、と手抜きすることも人間ならままある。しかし、最後の結果を見ればその1打で順位が5つも6つも変わってしまうということだ。

登りつめて初めてわかる(エヘン!)

ひとつずつコツコツと目の前のことに全力を尽くす、そうすれば気まぐれな神様は時にあなたに微笑みかけてくれるかもしれないという事だ・・・そう簡単に微笑んではくれないかもしれないが、ハッピーに至る道はそれしかいないという事なのだ。

ま、そんなわけでみなさん、明日からまたお仕事がんばりましょう!(エラそうな優勝者の弁)

2011年5月21日 (土)

穴よふさがれ

先日、あるホテルのフロアマネジャーが事務所に挨拶に来ていた。

偶然通りがかったので「あら、久しぶり今日は何?営業?」と聞いたら「実は退職しましたのでご挨拶に・・・」「あらー、クビになっちゃったの?」「ええ、まぁ(苦笑い)」

文字にするとひどい事聞くなぁ、と思われるかもしれませんが馴染みの温かさと笑顔を添えた軽口です。

「大変だねぇ、給料の高い方からクビ切られる感じかね?」「そうなんでしょうねぇ・・・」「ま、頑張ってとしか言えないけど、またどこかに行った時は声掛けてよ。あなたにはいろいろお世話になったからね、応援するから。健康に気をつけて元気でね」

まだ、50歳そこそこだろうか、家族構成は分らないがいずれにせよ辛いところだろう。

こんな感じのやり取りが今、会津の各地で起こっている。

風評被害による観光客の激減はサービス業を中心に大嵐となって街を襲っている。来るものが来ない、まして見通しが経たないとなると、リストラの嵐は半端じゃないスピードで吹き荒れる。

ここはひとつじっと耐えて・・・というレベルとは違うようだ。進めば進むほどド壺にはまる。『見切り千両』という言葉が幅を利かす事態だ。

徹底した地元指向のお店と観光客志向のお店では、これまた驚くほど表情が違う。

先日行った居酒屋は地元に人気の店、6時にはもうカウンターから小上がりから座敷から満席で、飲んでいる間にもジャンジャン電話が入り何組も断わっていた。

こういう偏りを少しでも平準化できればと思うが、そううまくはいかない。

「あんまり大きな声では言えないんだけど、うちの店、震災後の方がずっと忙しいのよね・・・」と言っていたママさんも居た。

世の中はまさにまだら模様だ。そういう凸凹もあって世の中はうまくいっているわけだが、今回は凹の方があまりにも極端に過ぎる。

風評被害とは言うけれど、原発の影響がゼロというわけではないだけに頭の痛い、難しい話しである。

ゼロではないものの人体に影響あるレベルでは全くない。とにかく会津は大丈夫なのだから、なんとか凹の大穴が少しでもふさがっていく事を祈りたい。

2011年5月20日 (金)

考える人

「変わる」という話をした。二年目の職員の研修でミニ講義。この震災を受けて日本は変わる、我々の仕事のあり方も変わるという話をした。

ではどう変わるのかというと、まだ明確な答えはない。

豊かさの意味、価値観そのものを問い直さなければならない。では、どうなるのか?

日本人全体で考え、解を導き出していく以外にない。

原発を止める、止めないは、政治が決める事ではなく国民が決める事だ。これまでの豊かさとは違った豊かさを求めたい、多少は不便であっても構わない、大量消費イコール幸せとは思わない・・・それもこれも時間をかけて国民が決めていく事だ。

会津はどう変わる?

今こそチャンスだ。県庁を持ってきたらい良い、エネルギーの開発拠点にすれば良い、工場立地を進めれば良い、などなど、これを決めるのも会津の人間だ。

結果、何も残らず消えゆくのならば会津の人間がその程度のレベルだったという事だ。

だから一人ひとりが、考える人にならなくてはならない。ロダンの彫刻のようにうつむいて身動きできないほどに悩まないまでも、何もかも風のように流してしまう「どうせ・・・」「別に・・・」人間であってはいけないという事だ。

「変わる」

間違いなく私たちのあり方、あらなければならない方向は変わっていく。答えは今すぐには見つけられないけれど、みんなで考えていこう。答えは吹きすぎる風の中にあるはずだ。

2011年5月19日 (木)

ちゃんとした一級

オフをとって、青森県の夏泊半島「夏泊ゴルフリンクス」に来ている。新幹線の新青森駅からクルマで1時間ほど。夏泊半島をめぐるホタテラインという海べりの道を走る。小さな漁港が続き、空は晴れて海は澄んで美しい。

「本当にこんなところにゴルフ場があるの?」と言いたくなるような半島の突端辺りに、突然ゴルフ場へ看板が現れる。夏泊だ。

ここ数年、友人のKくんから何度もお誘いを受けていたが叶わなかった。今年こそはと思っていたがあの大地震だ。一時は止めようかと思ったが、こんな時こそ!と思い切ってやって来た。

コースはプロのトーナメントも行われる名門コース。津軽海峡を見降ろすリンクスコースだ。木造のクラブハウス、隣接のロッジ、一歩足を踏み入れると外国を思わせるような景色が広がる。

会津から5時間強、会津で最も忙しい社長の一人であるKくんは、このゴルフリゾートに魅せられて度々訪れているという。

到着後早速、ワインを飲みながら昼食をいただく。これがびっくりするほど美味しい。専門は中華というシェフが腕をふるう。ゴルフ場のつまみと軽く見てはいけない。二日間の間にほとんどの一品メニューはいただいたが(カロリー摂りすぎ)どれもこれも素晴らしかった。

「味」、そしてサービスを提供してくれる「人」がまたいい。青森訛りと笑顔の絶妙なブレンド、何とも心和む。

ゴルフは無謀にも初日はバックティから挑戦して手痛い洗礼を受けた(ワインも手伝い)が、これもまた楽しい。

そんな心の痛手(でもないが・・・)は、スペシャルなディナーが十二分に癒してくれた。実にまぁ、よく食べ、よく飲んだ。

ロッジの夜は深い静けさに包まれ、夜空には星がまたたく。遠くに潮騒が聞こえるようだ。

野鳥の歌声の響き渡る朝、朝日の中でもうスプリンクラー回っている。コースをぶらぶらと歩いた。実にすがすがしい。朝がゆの朝食がまた泣かせます。

二日目の今日はレギュラーティーからのプレイで前日よりは良かったものの、コースはやっぱり難しい。もっとも名門に優しいコースはないのだから当然といえば当然、容易に歯が立たないから、また挑戦したくなろうというものだ。

丸二日間、ゴルフと食事とお酒と、友人と腹の底からのバカ笑いの時を過ごし、気分はすっかりリフレッシュできた。

Kくんがこの夏泊に魅せられる理由が分かった気がした。夏泊にはリゾートに必要なものが詰まっている。

素晴らしい景色と整備の行きとどいたコース、そして現実世界からちょっと隔絶された様な居心地の良さがある。

それを支えるのはなんといっても「人」だ。受付、キャディさん、ウェイトレスさんなど、誰もが親身なのに出しゃばらず穏やかな心配りを感じることができる。サービスの基本が「人」であることの見本の様なものだ。

そしてやっぱりなんといっても「味」だ。食べ物飲み物なんでも美味しい、というのが旅では一番、美味しさは最上のもてなしだ。

夏泊、あんな辺鄙な場所にゴルフリゾートがあり、人気を集めている。これは、裏を返せば会津でも一級のものを提供できれば十分に成り立つという事でもある。

人、味、サービス、景観・・・やっぱり最上を求め続ける努力がどんな分野の仕事においても大切なんだろうと思う。

会津の場合、最近どうもすべてにおいて標準化し、そこそこレベルのものが増えて来ているように思えてならない。

特に震災後、この程度で、このくらいで、という気分が広がっているような気がする。会津はそれではやっぱりいけないはずなのだ。会津は会津であり続けなくてはならないのだから・・・。

大切なのは『ちゃんとした一級を目指す事』・・・楽しい二日間の中で見つけたテーマはそんなところでしょうか?

Kくん大変お世話になりました、心からありがとう。また行きましょう!

2011年5月18日 (水)

稽古堂の音楽祭

會津風雅堂は会津若松市の市民会館だ。コンサートや演劇、講演会などさまざまな催しを行う市民ホールの名前だ。

その古めかしい名前を訪れたアーティストが茶かす事もよくある。能楽堂の様な、蔵の様な場所でやらされるのかと思った・・・などと。

その風雅堂も東日本大震災の被害を受けた。ステージの心臓部ともいえるフレームがずれてしまった。幸い致命的な損傷ではなく、ナントカ修理可能で6月中旬には使えるようになるそうだ。

この手の大ホール、福島県内では各地で壊滅的な被害を受けている。いわきや郡山などの大ホールは当面復旧が望めないという。

この風雅堂の被害を受けて「第12回・荒城の月市民音楽祭」も予定の5月8日には出来なくなった。もっとも地震直後に、この状態では・・・と、実行委員会では中止を決めていた。

しかし、少し時間をおいて人々の心も少しは前を向こうか、という機運が高まったこと。また、浜通りからの避難の人々を励ましたいとの思いから、やっぱり音楽を届けようという事になったのである。

風雅堂は使えないので新しく町なかに出来た公民館施設の会津稽古堂のホールを使って、一度は中止を決めた「荒城の月市民音楽祭」が復活することになった。

ホールに合わせて規模を少し縮小し、今週の土曜日5月21日14時から行われることになった。

出演は5組、合唱あり筝曲あり独唱あり、とバラエティに富み、今年は「みんなで歌いましょう」のコーナーも設けた。

毎年音楽祭の最後には「荒城の月」を会場全員で合唱するのだが、今年は音楽祭の真ん中で「ふるさと」「おぼろ月夜」の歌唱指導が行われる。

大きな声で日本の抒情歌を歌い、少しでも元気と明るさを取り戻したいとの思いだ。

かく言う私はなぜか副実行委員長などになっている。毎年、ろくなお手伝いもできないのだが、進行の骨組みとなる台本だけは書いている。

今日、明日と出かけるので、昨日エイヤーと、やっつけ仕事で送った。みなさんよろしくね。

会津稽古堂の会場はおよそ250名程度、土曜の昼下がり、どうぞみなさん会津稽古堂にお越し願いたい。

音楽を楽しみ、一緒に歌って、ひと時何もかも忘れていただければ幸いです。入場無料です!

2011年5月17日 (火)

なんでも分る科学者たち

科学者というのは、データに基づいて自説を曲げず、科学的根拠のある事実だけを主張するというイメージが強い。

SF小説や漫画の中には時折、悪魔に魂を売り渡したような科学者が出てきて世界征服を企んだりするが、なんとなく現実には居ないような気がしている。

科学者の言う事は信用できる。科学者は嘘つかない。最後は科学者を頼るしかない。そんな風に誰もが思っている節がある。

ところが原発問題となるといろいろな科学者が出てきていろんな事を言う。一体何が本当で、何が嘘なのかまるで分らない。

「放射能は身体に良い!」なんて言う人もいる。確かにラドン温泉なんてのもあるけど、温泉やラジウム玉子とは訳が違うんじゃないかと、科学者じゃなくても考える。

最近やっと分かってきたのは科学者にも分らない事がいっぱいあるという事だ。また時にはお馬鹿な科学者も居るという事。権力に媚びたり、自らの威厳にこだわったりするケツの穴の小さな科学者も一杯いるという事だ。

そして、大勢の科学者が寄ってたかって科学的根拠もあいまいなままに安全だ、安全だとお題目絵を唱え続けてきたという事。すなわち科学者にもいろいろいあったという事で、あんまり頼りにならないという事だ。

何となく悲しい。

鉄腕アトムにはお茶の水博士がついてたし、ゴジラと戦ったのは山根博士や隻眼の芹沢博士だった。

訳の分らない怪獣が出てくると決まって天才科学者が出てきてやっつける方法を考えてくれるというのが通り相場で、こんなに好き勝手にいろんな事を言って国民を惑わすようなことはしないものだ。

でもこれが現実なのだから、悲しい。

会津の生んだ野口英世博士は、光学顕微鏡では捉えられないウィルスと戦い敗れた。そして最期に「僕には分らない・・・」と、言ったと伝えられる。

僕には分らない・・・そんな謙虚さを多くの科学者が持ち続けたのなら、こんな出口の見えない事態にはならなかったのではないだろうか?

2011年5月16日 (月)

悲しいのは苗くんだけじゃない。

会津の田んぼも耕され、そこここに水が入った。例年よりは遅いが田植えが始まっている。

乾いた土色の田に水が入るとみるみる真っ黒になっていく。地味豊かな田んぼの色だ。

いち早く植えられた田んぼの苗は小さく、水の中で風に震えている。今年の苗はことのほか頼りなさそうに見える。「一体この先どうなるの?」と不安でいっぱいに見える。

陽を浴びて空を見ながら大きくなって、実りの秋を迎える頃には世の中一体どうなっているのだろう・・・「頑張って育って稲になって、本当に実りの秋には僕たちを大歓迎し、美味しい美味しいと食べてくれるの?」と問いかけているようだ。

直線で300㎞以上も離れた神奈川県の足柄茶からも基準値を超える放射能が検出されてビックリ仰天だ。

検査を依頼したお茶の生産組合も、「外国がうるさいので気やすめにやってみっか?」みたいな感じだったに違いない。出るはず無いのが出て、いきなりのアッパーカットだ。

『メルトダウンって、実は数字を解析して見たら地震から14時間ぐらいで起こっちゃってたみたいなんですよね~』

『あの絶対に壊れないって言われてた原子炉って、津波で電源が失われる前に、すでに地震でちょっと壊れたみたいなんですよねー。』

『原子炉は正常に停止している。ただ、津波で電源が失われて冷却に失敗しただけだ・・・と、思ったんだけどなぁ。やっぱ、そうじゃないみたいだよねー』

ま、言い方は違っても結局こんな感じだ。時間が過ぎれば超インチキな後出しジャンケンみたいに、ポロポロ、ポロポロ、なんぼでも出て来る真っ黒なうんこ。

これじゃぁあの小さな苗くんだって人間を疑って当たり前でしょう。

2ヵ月半経って振り出しに戻る!みたいな話が平然と。じゃあ半年後はどうなるの?って聞いても何も信じられなくって当然だ。

足柄茶の放射能だって本当はどっから来たのか分らない・・・浜岡の方がずっと近いんだから、あっちから漏れてたって不思議ないような気もする。

そんなあり得ない事があるから原子力なんだ!なんだかそんな気もしてきた。

まぁいい。とにかく苗くん、僕はウソはつかないようにするよ。この秋、どんな事があっても実った君たちを僕は食べるよ。万一出荷停止になったとしてもヤミ米で絶対に食ってやる。約束する。

だから、そんなに頼りなさそうに震えないでくれたまえ、こっちまで悲しくなってしまう。

2011年5月15日 (日)

ハイ!と手をあげよう

本日の福島民報紙の日曜論壇、県立博物館長の赤坂氏が、福島を自然エネルギーの拠点に、という慧眼を示されていた。原発で傷ついた福島こそが自然エネルギーの新たな時代を拓く中心になることがふさわしいと・・・。

まさしくその通りだと思う。そして、水力、風力、地熱、太陽光、バイオマスなどの自然エネルギーの中心になりうるのは、福島県の中でも「会津」という事になるだろう。

すでに水力発電の基地である。風力は布引山などがあるがまだまだ開発の余地は膨大、地熱は温泉天国・火山地帯でもある。国立公園の法律を見直せば可能性は無限大だ。

太陽光は雪が降る分多少不利かもしれないがそこは科学の力で乗り越えたい。バイオマスは広大な山間部を有する会津には最適だ。そのほか少しの落差でも発電できるという小規模水力発電など可能性はまだまだある。

そしてそれら先端技術の受け入れ先、研究機関としてコンピュータ理工学部を有する会津大学もある。

東北の再生、日本の再生は実はここ会津から始まるのかもしれない・・・と思うと何か勇気がわいてくるではないか?

これは決して夢物語ではない。福島県・会津をエネルギー特区にして日本の叡智とお金と精神性、人材を惜しみなく投じるのだ。そして日本再生の確かなエネルギーを会津が力強く発電していく。

自信を持っていい、これだけのものを兼ね備えた土地はそうはない。会津こそが選ばれた土地、約束の地だったという事が、後世の歴史で証明される事になるだろう・・・。

だから、だから、目先の事だけにとらわれないでもっともっと「その先」を見つめて、ハイ!と手をあげて欲しい。

元に戻ることだけを夢見るのではなく、「その先」の新たなる世界を考える。それこそが今、指導者のやるべきことでしょう。

2011年5月14日 (土)

こだまでしょうか?

「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう、「馬鹿」っていうと「馬鹿」っていう・・・

金子みすずさんの詩がACのコマーシャルに使われている。

「こだまでしょうか?いいえ、誰でも。」

こだまのように人の想いは返って来る。「嫌い」といえば相手も「嫌い」という。

片想いの相手に「好き」といえば「好き」と言ってくれるほど簡単ではないけれど、自分が「好き」と言えない相手に「好き」と言ってもらえることはない。

「馬鹿」って言われたくなければ、まず最初に自分が「馬鹿」と言わないこと。相手の心を変えようと思うなら自分が変わる以外に方法はない、という事だ。

「こだまでしょうか?いいえ、誰でも。」

誰でも分かっているけど誰でもそう・・・そんな人間の愚かな愛おしさを詩人の瞳は見つめている。

自分が変わらない限り相手の心が変わることはない。こちらが硬くなれば相手も硬くなる。憎しみの火は相手にも移る。

悲しみの連鎖、憎しみの連鎖、それをどこかで断ち切るには、相手の変化を強要するのではなく、自分が変わらなければならないという事だ。

「もう一杯」というと「もう一杯という」、「もう一軒!」というと「もう一軒!」という。

「こだまでしょうか?いいえ、飲みすぎ・・・」

会津清酒はうますぎる。日本酒の酔いはビールやウィスキーと違って低重心、ついつい過ぎてしまう。

「今日はほどほどに」というと「今日はぐいぐいと」という。

こだまではない、あの人はおバカです。

2011年5月13日 (金)

凹む

受ける話をしようとして、何の拍子か肝が抜け落ちてしまったりする。当然、面白くもなんともない。受けない。すごく凹む。

何度かしているのにその一番肝心なところを急に間違える、そんな事がある。この部分は何度もしているので大丈夫だということで、その前後を工夫して臨んで、どっこい大丈夫なはずのところが大丈夫じゃない!

イチローは準備が一番大事だと言っている。バカと言われるくらい毎日同じように地味な準備運動を繰り返す。今日はこのぐらいで、ここは大丈夫、などと決して手を抜いたりはしない。常に入念に備えるのだ。

天才でさえ準備を怠らないのに、凡夫がろくな準備もせずに臨んでもうまくいくはずがないのは道理だ。一事が万事、こんなものだ。

だから凡夫なのだ!と開き直る。ちゃんと出来ればイチローになっちまうと・・・大丈夫、いくら頑張っても、ならない。

ま、口から出た話なんって風に流れてしまうもの、書いたものとは違うし誰も覚えちゃいない、と盛んに慰めてくれた人もいた。

ありがたいが、どうも凹んだ気持ちは低反発枕のように、戻るまでに時間がかかる。

・・・それにしても分らないのは燃料棒だ。

3月の原発事故発生当時、確か燃料棒がむき出しになると大変なことになる!と言っていた。自分の熱で溶け出して、再臨界が起こる危険性があると、いろんな学者先生が言っていたはずだ。

それが昨日あっさりと「1号機の燃料棒はむき出しになっていて溶けて落ちちゃってるみたいなんだよねー」なんて割と平気な顔で言っている。

おいおい、これは逃げまどうような事態ではないのかい?一体どうなっているんだ原発?何もかもが信じられない気持になって来る。

これに比べりゃ、私のおしゃべりミスなんて確かに屁にもならない事ではある。

しかし、はっきりしない会津のお天気のせいか、燃料棒のせいなのか、どうにも気分が凹む。

2011年5月12日 (木)

無い方がいいもの

会津には爽やかな五月晴れの空が広がっている。

台風一号のおかげで西の方は大雨に見舞われたという。降りしきる雨、濁流となった川の映像が朝のテレビにあった。

それにしてもつくづく自然というのは容赦のないものだと思う。もともと容赦も手加減も超越したのが自然であって、まさに自然にふるまうばかりで人智は及ばない。

そんな自然に、情け容赦がないと嘆くのは人間の身勝手。自然はあるがまま、気ままに流れているだけなのだ。

自然の中に住まわせてもらいながら、時には睦み合い、時には格闘して生きるのが、人間のせいぜいなのだ。

だから、やっぱり自らの手に負えないもの、自然界に存在しないものを、いたずら小僧がおもちゃを見つけたかのように嬉しそうにふりまわしてはいけないということだ。

もし原子力がなかったら・・・というところで人間の議論はいつも堂々巡りをする。

それは産業が衰退したり、暮らしが不便になったり、お金がなくなったりする事を「悪&嫌」と見るからだ。一旦登った坂道を下る事が出来ないのが人間というものだ、と決めつけているからだ。

しかし、あってはならないものがあってはいけない。ならぬものはならぬ、と超極端に単純化して考えれば原子力に頼らない世界に向わなければならない、という答えに辿り着かざるを得ないように思える。

五月の風が吹きわたっている。東の強い風だ。あの発電所の方から吹いてくる。何を運ぼうが、なにを乗せようが風は一向に構わず強く吹いている。

自然はいつも自然なままだ。大雪も大雨も、巨大台風も大地震も大津波でさえ自然なままの出来ごとのひとつにすぎない。

大昔にはひとつにくっついていた陸地が分れてこの地球の上を動いて五大陸が出来た事を人間は知っているのだから、そんな上に第一だ、第二だと自らの手に負えないものを作ってはいけない事は、考えてみれば自明の理ではないのだろうか。

少なくてもこの日本の自然には合わない。

もの凄く大変な事だけれど、例え時間がかかっても、やっぱり無い様にして行った方がよろしいんじゃないでしょうか、とこの頃考えるようになった次第である。

2011年5月11日 (水)

図書館が消える・・・

よく、村の古老が亡くなるとひとつの図書館が消えると同じだといわれる。豊かな経験と身体に沁みついた技術、脳の中に詰まった無数の記憶と知識、まさに図書館の様なものだ。

友人のA氏のご尊父が90歳で亡くなられた。長く大学教授をつとめられ道教研究の権威であった。亡くなる直前まで意識の清明を保たれ、眠るように旅立たれたという。

昨日、お悔やみを申し上げ、仕事場であった書斎を拝見させてもらった。会津の景観賞も受賞している古いお宅だ。

その蔵座敷の二階にある書斎は静かな本の海。専門の書物が所狭しと置かれていた。圧巻は何千冊にものぼる経本、そのいたるところに膨大な数の附箋が貼られているのだ。

まったくもって阿呆のたわごとだが、これだけの書物、一ページずつ開いていくだけでも数ヶ月はゆうにかかろう。

それを読み砕き理解し考察し哲学していく時間、考えただけで気の遠くなる思いがする。

それだけの知識の詰まった頭脳が亡くなるということ、これは本当に大変なことだ。もしコンピュータのハードディスクのように取って置けるのであれば、脳を保存したくもなるが、それを改めて起動させる術はない。

残念ながら人の死亡率は100%だ。しかし、人間が動物と違うところは死んでも決して無にはならないところだ。

名犬ラッシーや名犬リンチンチンがいくら優秀であってもその犬に学ぼうという犬はいない。しかし、人間はその人の残した知識や仕事に学び、その道を辿る人が必ずや現れる。

人間の凄いところは、再起動は出来ないもののその人の残した膨大な知的遺産が必ずや次世代の糧となって受け継がれていく事だ。(物的遺産は消えて行くばかりだけれど)

私にはどの一冊を開いてみてもチンプンカンプンであるが、必ずやこれを糧とする学究の徒が現れるに違いない。

それを思えば図書館が消える、ではなくてしばし重い扉が閉じられた・・・という感じなのかもしれない。   合掌

2011年5月 9日 (月)

会津疎開

飯盛の山々も新緑となった。小さな葉が見る見る開いてくる。多彩な萌黄色の中に桃色の花木が散りばめられて、山にはひとつとして同じ緑がない。日本の里山はこの季節がもっとも美しいと思う。

朝歩くと空気も枯れ山だった頃とは確実に違う。植物は光合成によって二酸化炭素を吸いこみ酸素を吐き出してくれる。新緑の山の空気は爽やかで鮮度が全く違うように思う。思いっきり吸いこめば、思いっきりおいしい。

この季節に外に出られないというのは大変な事だ。それも遊び盛りのこどもたちが外で遊べないというのは相当に深刻な事態だ。

会津ではないが、中通りの学校ではそうした厳しいケースが出ている。それも年間20ミリシーベルトと被ばく量を甘甘に見積もっての上だ。

体育館や講堂、廊下で元気よく遊んでいるこども達の映像を見ると、我慢できるのかな?と思ってしまうが、とてもそんなに長く我慢できはずがない。

外に出られない、外で遊べない幼稚園や学校の状況は、一日一日こども達の心に見えないダメージを与え続けているに違いない。それが積もり積もって爆発する日が来たら恐ろしい。

こどもを外で遊ばせられない状況に疎開をするケースも出てきている。やり過ぎかとも思えるが、まんざらそうとも言えない。

外で遊べないことと、転校による環境の変化、天秤ばかりがどちらに傾くかは人によって違うし、どちらが正解かも人によって違うはずだ。

関西や九州など遥か遠くまでは疎開出来ないが、会津なら何とか家族も離れずに済むと考える人も少なくはないだろう。

夏に向ってこども達の我慢も限界を迎え、会津に疎開しようとする人がどんどん増えるのではないだろうか?

浜通りの被災地からだけでなく、中通りからの学童疎開も会津へ向う・・・そういう事をしっかりと想定しておかないと又も想定外の事態が起こることになりかねない。

2011年5月 8日 (日)

壮年こども

「男の人達っていつまでもこどもみたいで、楽しそうでいいですね・・・・」

同級生(同窓生)でゴルフを楽しんでいるとキャディさんに、こんなことを言われたことが何回かある。

バカ話して、遠慮も容赦もないプレーをワイワイ言いながらしている(ゴルフのマナーという点では多少問題ありだとは思うが、他の組にご迷惑はおかけいたしません)からだ。

そんな風に楽しくラウンドしていると確かに歳も、いろいろなしがらみなどもパァーッとひと時忘れてしまっている。

「女性は違うのかね?」「女性はこうはいかないです。相手と比べるし、嫉妬心が強いから・・・」

要はそれぞれの立場もあるだろうが、同級生だけになればバカだチョンだと言い合いながらバカ騒ぎができるようなことが、女性同士の集まりの場合は難しいと言いたいのだろう。

確かにそういうところはあるのかもしれない。

でも、小・中学校の同級生とではなかなか難しい。私の場合はやはり高校時代の友人が一番垣根が取り払われてしまうように思う。

『高校三年生』という歌があるように、もっとも多感な三年間を過ごした同級生(同窓生)というのは特別なのだろう。

高校時代の同級生に限って今でも、歳がいもなく飲めば口角泡を飛ばして議論したりするし、時々大喧嘩も起こる。それだけこどもみたいになってしまうという事だろう。

ま、そんな中でもいろいろあってみんながみんな、というわけにいかないのは仕方がないが、いずれ得難い大切な財産ではある!

会津高等学校24回卒、花のニッパチと言われた28年組、今や花の壮年だ。それこそ花屋の店先で咲く花はそれぞれだが、各人世界に一つだけの花というやつだ。

が、そろそろ水の吸い上げも悪くなってきてへばり気味、あっちが痛いこっちが痛いと辛うじて咲いている。さて、いつまで元気に咲き続けられることやら・・・がんばろうではないか、我が同級生諸君!

2011年5月 7日 (土)

スポーツして悪いの?

ゴルフというのは大体、一組4人でキャディさんが一人ついてラウンドする、というのが基本形だ。(もちろん3人でも2人でも、キャディさんなしでも周れる)

コンペなどに出ると、申し込んだ人が主催者側によって4人一組に組み合わせが行われる。全く存じ上げない方や、顔は知っているもののゴルフをするのは初めて、というような人と一緒になれる。ゴルフを通して知り合いになるわけだ。それはそれで楽しい。

仕事上のお付き合いや同僚などと、さらに親しくなるためにゴルフをすることもある。止まった小さなボールを打っていく単純なスポーツだけに、その人の思わぬ一面も垣間見れる。本性が分かるという人もいる、それもまた楽しい。

1ラウンドする場合、半分(9ホール、およそ2時間)が終わった時点でクラブハウスに戻り食事をする。その際に飲める人は酒を飲んだりもする。一緒に食事をし、一杯飲むのだからなおのこと親しくなれる。

このスタイルゆえにゴルフがスポーツではなくてお遊びという感がどうしても強く、国会議員さんが海外でゴルフをしただけで不謹慎のそしりを免れない事態が起こったりするのだ。

しかし、海外ではこんなプレイスタイルは無く18ホール通してプレイし、スポーツ感たっぷりだ。日本でも沖縄や北海道は18ホール通しで周るのが普通なようだ。

そんなわけでゴルフの場合、スタート前に生ビール、昼にまた一杯、風呂に入って表彰式では大宴会などというパターンは珍しくない。おまけにチョコレートなど、プレイに賭けを絡ませれば違う意味の楽しみも増す。

こうした一連の楽しみ方をして、ゴルフは大人の「お遊び」であるという性格を強く持つ。

かくしてやっぱり「この緊急時に国会議員がゴルフなど不謹慎な!」という事になってしまう。

スポーツであるならば、この時期に議員さんがテニスや野球をしてもあんな大騒ぎにはならないだろう。

もっともゴルフのこうした一面を批判する気などは毛頭ない。生ビールにチョコレートも大いに楽しむ口だ。

ただ時々、クラブ競技会などに出てナントカ選手!などと呼ばれると妙に嬉しくなって気合も入る。そんな純粋にスポーツ、スポーツした面の楽しみ方もまたいい。

要はいろんな面があるけれども、ゴルフは楽しいという事だ。

本日は会津磐梯カントリークラブにて高校同級生とのゴルフ、一番気の置けないワイワイがやがやの楽しいお遊び感覚満点のゴルフだ。クルマも相乗り、朝から生を一杯やっつけてしまった。寝起きのビール、これほどオフを感じられるものもない。

2011年5月 6日 (金)

ものの降る時代

今年はいろいろなものが空から降ってくる。

この冬には記録的な大雪となった。どんどん雪が降ってきて各地で大勢の人々が生活を雪で閉ざされた。

そして昨年夏の記録的猛暑は、この春の杉花粉の量をこれまた記録的に増大させた。会津でも2月末辺りから飛び降り始め、多くの花粉症患者を悩ましたばかりでなく、新たな花粉症の発病も誘発した。

家人もこの春、始めて花粉症の症状を呈し、しばし花粉症の薬を飲んだおかげであまりひどくならずに済んでいる。

そして、3月のあの大震災後、まったくもって大迷惑で厄介な放射能が降り注いだ。この事はもう、言いたくも書きたくもないくらいだ。

そしてこのところ、4月後半から5月にかけて空がうっすらと埃っぽく煙る黄砂が例年よりもずっと多く見られるように思う。

これまた厄介で不愉快だ。中国本土から飛んでくるが、ただの砂漠の砂だけではなく中国内陸部に漂っている工場からの有害物質を乗せて降ってくるから困る。

どれもこれも自然現象の為すがまま、あらがう術もない。風向きや強さによって飛散の度合いも方角も様々、人力ではコントロールすることが出来ない。

もともと空気中には様々なものが漂っている。人間はそんなにクリーンな中で生きているわけではない。様々な異物をはじき返す免疫力が備わっているからへこたれないでいられるのだ。

空から降ってくるものが多い。こうなったら雹や雨あられどころか、鉄の玉まで降らないとは言い切れない。(この世に絶対なんか無い事は原発で証明された)

身体的にも、精神的にも免疫力を高める暮らしをしていかないとこれからの厳しい日々を乗り越える事は到底出来ないだろう。

どうすればいいのかはよく分らないが、ひとつだけ絶対に有効なものがある。それは「笑い」だ。笑いが身体的免疫力をアップさせることは証明されているし、精神的にも良いに決まっていると思う。笑うノイローゼやうつ病患者はいない。

まずは笑って暮らすこと。易しくはないがそれを心掛ける事が、よくものの降る時代には大切である!という事だ。

2011年5月 5日 (木)

今年のお花まつり

毎年、5月4日に東山院内御廟において会津松平家のお花まつりが行なわれる。

これは神道の松平家のご法事の様なもので、御廟にある拝殿から歴代藩主の墓が建ち並ぶ山腹に向かい祝詞を捧げ、祈りを捧げる松平家の重要な神事である。

市内の中高年経済人の有志が奉賛会を組織し、その運営をお手伝いする。私もその一員だが、ゴールデンウィーク中という事もあり、出席率は決して良くない。

昨日も神事には出られないので罪滅ぼしに早朝からの作業に出むいた。山の拝殿を清め、山の花々で飾る。この作業、会長以下みんな一生懸命なのだが野郎ばっかりの集まりというのがなんとも繊細さにかける。

拝殿を履くほうきは一体何年使っているの?というぐらいにチビて、竹の棒の様、チリトリも割れて、なんと雑巾が一枚、布巾も何もない始末だ。そんな中での神事の準備、懸命ではあるが男組の荒仕事、若干適当、お許しあれだ。

それでも1時間ほどすると拝殿は山の花々で飾られ、沢の水も引かれ、清らかな空気が漂い出す。山桜、山吹、椿???などなど、なにせ今年の花を竹筒に生けたのは小生、表向き適当流だ。

一服の頃にくだんの被災芸者Mちゃんが、オニギリと手作りの玉子焼きなどを届けてくれる。これが目当てで毎年、休まずに来る会員もいるくらいだ。

朝から芸者の手作り飯、まずかろうはずがない。

かくして、今年も松平家お花まつりは好天の中、無事に行われた・・・と、思う。二礼二拍手一礼。

2011年5月 4日 (水)

被災芸者

会津東山温泉一番人気のMちゃんは、あの日3月11日、磐越西線に乗って郡山市内へ買い物に行ったそうだ。

地震に遭遇、あまりの揺れに思わず地べたを摑んだ。これはただ事ならずとすぐに駅に向かったが駅は大混乱で、交通機関は勿論まったく動かず、携帯もつながらずパニックに陥った。溢れるかえる人々、断片的に入る情報はただならぬ事態を告げていた。

その晩は駅前の避難所となったビックアイに逃げ込み毛布と水が与えられて不安な一夜を過ごした。

Mちゃんが、こんな話をしてくれたのは5月3日の晩、「十四代を囲む会」の席上だった。十四代とは会津松平家十四代当主松平保久(もりひさ)様の事、我らが殿のお国入りの際に有志が集まって年に数回開かれる。Mちゃんはその会の準会員的なアイドルだ。(無論であるが殿のお手つきなどと言うことはない。)

会員の近況報告の中にMちゃんのスピーチも加わる。そのMちゃん、翌日は親戚宅に身を寄せたが、そこも断水、停電で悲惨な状況。公園での水の配給に並び、辛い被災地生活を体験する事になってしまった。

やがて国道49線が通り、会津から迎えが来たのは3日後の事だったという。

彼女は言葉を選びながらも大変に貴重で、良い経験をした気がすると言った。

携帯が無ければなにもできない事、当たり前にある水や電気のありがたさ、自分達の暮らしが多くの人々に支えられていることなどなど。

あんなに真面目で素直で真摯な芸者衆のお話しを聞いたことは初めてだった。誰もがちょっとジーンときた。大向こうから「よっ!被災芸者!」の声が掛かったが、おひねりは飛ばなかった。

彼女は会津に戻ってから、自分に出来る事を積極的にしようとボランティアにも参加したという。

東山温泉NO1の会津芸者の心意気、なんだかちょっと嬉しい話だ。

2011年5月 3日 (火)

AIDU

PCにAIZUと打ちこんで変換すると合図と出てくる。AIDUと打ちこまないと会津は出ない。要は「あいづ」であって「あいず」ではないからだ。

しかし、ローマ字表記する場合は「AIDU」では「あいどぅ」みたいになってしまうので「AIZU」と書く。

会津の「津」は水の多いところ、水辺、湊などを示しているという。従って会津は水が豊かな水の国である。

猪苗代湖をはじめ数多くの湖沼、川の流れが豊富な雪解け水を運び幾筋も流れる。川は氾濫を繰り返して地味豊かな土地をつくった。

従ってこの土地でとれる米、野菜、果実どれをとっても一級品のうまさだ。放射能も関係ない。(一部ほうれん草が引っかかったらしいが、すぐに解除になるだろう。)

神話の時代、この水の国のほとりで将軍父子が戦いの旅路の途中に偶然にも再会したことから「会津」の名が生まれたと伝えられる。だから「あいず」ではなく「あいづ」なのだ。

この水の国、出会いの地で、数多くの新たな出会いが生まれている。原発事故による避難で数多くの浜の人と山の人が出会う事になった。

会って合う・・・「信じ合う、助け合う、つなぎ合う、見つめ合う、愛し合う」でなければならない。「ぶつかり合う、いがみ合う、殴り合う・・・」なんてことにならないように、同じ福島県人として「がんばっぺ!」の精神で行くしかない。

会津は美しい水の国、心優しい出会いの地だ。

2011年5月 2日 (月)

慰めの先

5月の声を聞いたのに会津には肌寒い風が吹いている。

高校時代の同窓生に現・北海道道議員がいる。先の選挙で四選を果たしこの連休に帰郷しているという。震災の影響、避難の現状などを視察し、今日には会津若松市長と会うという。

北海道に出来ることは何か?やがては北海道に避難してくる人も出るであろう事を視野に入れて見てまわっているのだそうだ。

福島原発による避難が、一時的な避難というレベルではなく本格的移住という段階にある事を政治家として見抜いているのかもしれない。

それにしても自分には何の落ち度もないのに故郷を離れなければならないというのは、一体どれほど辛いことなのだろう?どこに気持ちのやり場を持っていき、どう気持ちを整理していけばいいのだろう?

お見舞いは言えるが、到底、辛い想いまでは届きはしない。

最近、避難所になっている旅館などでは昼から酒を飲んだり、もめ事が多発しているらしい、などと云う噂が冷たい風に乗って聞こえてくる。

充分ありえることだろう。不安に押しつぶされおかしくもなるだろう。酒でも飲まなければ時間もエネルギーも持て余してしまうに違いない。我が身に置き換えてみても充分理解できる話だ。

物事には限界があることを思えば、このままではいろいろなものが持たなくなっていくはずだ。

もはや政治の目としては、慰安や慰問の時を越えたその先、共存協働の未来を見つめていかなければならない時なのだろう。

2011年5月 1日 (日)

自分の仕事で生きていきたい

日曜朝の報道番組で会津観光の問題が取り上げられ、観光客や修学旅行がまったく来なくなってどうしようもない現状が紹介されていた。

原因がこれまで誰も経験のしたことのない原発事故や放射能、風評被害では正直なところ打つ手がないというのが本音だろう。

ある経営者は、観光ではもう全く商売にならないので介護や福祉など新たなビジネスに業態変更しても生き残りを考えて行くべきと言っていた。

またモノ作りの職人さんは、全く手の打ちようのない現状に涙を浮かべた。

「商売」を「ビジネス」という言葉に置き換えると新たな可能性が生まれるような気はする。ニュービジネス、ビジネスチャンス、マネジメント・・・。

Aというビジネスで100万円稼いだ人がBに進出し1000万円に売り上げを伸ばす。さらにどんどんと業務を拡張し成長し利益を上げる。そういうのをビジネス拡大の成功例と言うのだろう。

確かに業態を変えていろいろなビジネス展開も考えられるだろうが、現場の人間一人ひとりにとっては自分の仕事というものはひとつ。

コツコツと一つの仕事をやり続ける人の集合体が大きなビジネスを支えているのだ。

業態を変えるには、人が入れ替わる(あるいはそれまでの仕事を変えなければならない)事にもなる。生きていくためとはいえ容易な話ではない。

今、海を失った漁師さんは海に戻る日だけを望んでいる。土を耕せない農家の人々は農業に戻れる日だけを夢見ている。

料理人は料理人として、職人は職人として生きたい。モノをつくって喜ばれてきた人はそれを続けて観光に生きていきたい。

誰もが自分の仕事で生きていきたい、自分の仕事で普通の生活に戻りたいのだ。

・・・本当に大変なことです。

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