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2011年4月

2011年4月30日 (土)

とりあえず少し混んできました。

鶴ヶ城前が渋滞しているらしい。桜を見に来た車でいっぱいだそうだ。が、他府県ナンバーは少なく県内ナンバーが多いという。それでもいい。

GWに満開の桜が見られるのは珍しいのだから、この時期を逃す手はないと大勢の花見客が急きょ訪れたようだ。なにはともあれ、良い事だ。

昨日、愚息がバスで会津に帰ってきたが渋滞にはまって2時間ほど遅れた。どうやらGWの声を聞いて、ガラ空きの東北各地にいろいろな意味で応援の人々が急きょ押し寄せてきたようだ。

私が先に書いたGWの楽々(ガラガラ)会津観光は、ちょっと難しくなったかもしれない。

混んだら混んだで文句の一つも口を突いてしまうところだが今年は慎もう。こんなにいっぱい人が来てくれて本当に良かったね、と言おう。

人が動けばいろいろなものが動く、モノもお金も、想いも気分も。

どよーんと淀んだ水が濁って腐ってしまうように動かなければ窒息死してしまうお魚だっている。それは避けたい会津である。

東北の酒を飲むことで東北を応援しようと、4月に入って首都圏での日本酒の売れ行きが好調だと報じられている。これまた慶事。

飲めば陽気になって騒ぐし、動き回る、それによってまたいろいろなものが動く。あまりヘロヘロになって動き過ぎるのも危険だが、適当に回るのは結構な事だ。

そうだ。昔のお城の花見はすごい酔っ払いがたくさんいたっけ。酔ってお堀に落ちるのも珍しくなかった。

私も落ちた友人を何人か知っている。そんな愛すべき大虎というのを最近あまり見かけなくなった気がするなぁ・・・。とにかく少し混んできた、会津です。

2011年4月29日 (金)

新幹線が走った

CMの話を書いたら、西の友人が元気の出るCMとして九州新幹線全線開通のCMを教えてくれた。ユーチューブで様々なバージョンの沿線ウェーブのCMが見られる。

走り抜ける新幹線に沿道の人々がひたすら手を振り喜びをあらわす映像。老若男女、大勢の人々が思い思いに新幹線全線開通の喜びを全身で表わす。テンポのいい音楽がまたぴったり、車窓から見える風景は喜びのウェーブだ。

九州新幹線全線開通の喜びCMはわずか3日間しか流されなかったという。なぜなら全線開通の喜びの日は3月12日、その前日に東日本大震災が起こったからだ。

日本国中からテレビコマーシャルが一斉に消えてACの公共広告だけになった。

あの日から50日、震災で大きなダメージを受けた東北新幹線が今日、青森まで全線開通した。被災県の人々の夢と希望を乗せた再開通だ。新幹線が東北と首都圏を力強く結ぶ、そして少しずつ何かが前に進んでいく。

九州新幹線のCMは「九州が一つになる!」というナレーションで結ばれる。

その九州鹿児島から近畿、東海、東京、関東、東北の青森まで新幹線は一本の線路で結ばれている。あの喜びのウェーブを東北の地まで運んで欲しい。そして「日本が一つになる!」(もちろん北海道も延長上)で行きたいものだ。

それにしても人々が喜ぶ姿は実にいい。虹色の九州新幹線に歓声を上げる何万人もの人々、思わずこちらも笑顔になる。そして・・・なんだかウルウルとくる。どうしてなんだろう?

今日は昭和の日、GW突入。会津に向かう道路や鉄路も混雑が見られるようだ。只今、鶴ヶ城本丸内は桜満開、GWに桜が見られるのはすごく珍しいこと。どうぞこの機を逃さずに!

天気も上々、少し肌寒い風は吹くが贅沢は言わない。

2011年4月28日 (木)

さよなライオン

「こんにちワン、ありがとウサギ・・・」「心は見えないけれど心づかいは誰にでも見える・・・」震災以来、何度流された事かAC(公共広告機構)のCM。もうゲップが出ると言う人も多いだろう。

人間の脳というのは複雑に出来ていて、映像や音によって人の心を操作するということが実際に出来る。

広告の禁じ手として有名なサブリミナル効果。1秒30コマの中の1フレームにジュースを飲む画像を入れ込んだ映像を見せる、すると全く違う映像を見ているのにもかかわらずジュースが飲みたくなる。自分では見ていないはずの映像を脳はしっかりと捉えているのだ。

意識と潜在意識の境界の領域に刺激を与えるサブリミナル効果、もちろんACのCMがそんな違法なわけはないが、あそこまで重ねて見せられるとなんかおかしくなるんじゃないかという気にもなる。

サブリミナルとは違うけれど、あのCMが流れると「ああ、まあだ震災モードなんだな」って気分に引き戻されてしまう気がする。

全国で自粛、自粛が問題になっているが、この自粛モードを一掃するためにもあのACの広告をすべて一新して明るい新しいものに変えて欲しいものだ。

3・11以来、ずーっと、ありがとウサギや思いやりばっかり・・・急にあれが流れなくなったら「あれ?なんかムードが変わったね」ってな感じになるのではないだろうか?

ちょっと自粛ムードもゆるみ、それこそ落ち込んだ気分にさよなライオン出来るような気がする。

♪ありがとう、こんにちは~♪何年か経ってあの歌を聞くときっとこの不安定な先行きの見えない春の日の事を思い出すんだろうなぁ。

夜半にかなり強い雨が降った会津。明るい陽は差してきたが抜けるようにすっきりとはいかない。遠くの山々もなにか埃っぽい様な曇り具合だ。連休直前桜満開、会津の街は静かだ。

2011年4月27日 (水)

おわいなはんしょ、会津

「ホーホケキョ!」飯盛山山麓の鶯も良い声で啼くようになった。爽やかな朝の空気を震わせて清らかな声が響き渡っている。

実に良い季節になった。ゴールデンウェークも目前、気温も上がってきた。

このブログ、割といろいろな地域の人々が見てくださっているのでGW前の会津の宣伝でもしてみよう。

今年のGWの会津は超お奨めだ。まず花、この冬がとても厳しかったために桜の開花が遅れた。会津若松市内で今ちょうど満開を迎えたので、これから10日間は各地で充分に楽しめるはずだ。

そして人出、これがまぁ今年は全く期待できないので来た人は充分に楽しめるという事になる。

普段のGWなら人気の大内宿に行くには相当の覚悟が要る。抜け道がないので大渋滞、行って帰って一日がかりだ。それがおそらく今年はスイスイだろう。

マイカーなら大内宿から峠を越えて会津本郷焼の本郷、高田の伊佐須美神社、柳津の福満虚空蔵尊、会津ころり三観音巡りなど、とても連休の一日じゃ周れないコースも充分に行けると思う。

温泉も思う存分楽しめる。どこでもまだ宿に空きがあると言うから、今からでもお望みのままだ。

そうですな、私なら一泊を会津若松市内のビジネスホテル、もう一泊を離れた奥会津の温泉にでもするかなぁ。

会津若松市内観光を楽しんで、夜は市内の居酒屋とか料亭で食事なんてのもおつなもんだ。都会に比べりゃ値段もリーズナブル、街歩きも楽しい。

次の日は周辺の観光を楽しんで鄙びた山間の宿がいい。川の清流でも聞きながら遅い春を愛でるも良しだ。

おそらくこのGWは、普通の年の2倍~3倍は観光できるだろう。喜多方ラーメンやソースかつ丼に行列する事もない。

「おわいなはんしょ」・・・会津弁でいらっしゃいませをこう言う。ぜひこのチャンスを生かして「おわいなはんしょ、会津」だ。

無論、放射能レベルはごくごく低い、原発から100キロ越えの安全地帯だ。

もしこのブログの効果が絶大で急に人々が押し寄せて大渋滞になった時はごめんなさい!夢でもそんな事が起こればみんな嬉しいだろうが、きっと起こらない。

GW中のお天気は、雲マークやお日様マークで傘は見えない。思い切って来てみたら、きっと素晴らしい会津に会える事でしょう!

2011年4月26日 (火)

会津ナンバー

会津ナンバーが始まったのは平成18年の10月10日からだ。ご当地ナンバーということで、観光地会津の名前を全国に売り込むと大いに期待され、積極的に会津ナンバーを導入しようという機運が盛り上がった。

あれから4年半、ここに来て再び福島ナンバーから会津ナンバーに切り替える人が増えているらしい。

首都圏で福島ナンバーのクルマを駐車していたら「帰れ!」といたずら書きされたとか、福島ナンバーの給油を断わられたなどという話が実際に起こっている。福島というだけで「放射能がうつる」といういじめにあった「人」への差別行為も報告されている。

そうした余計なトラブルを避けるために福島ナンバーを会津ナンバーに取り替ええようと言う訳だ。

実はかく言う私も先日、会津ナンバーを取得した口だ。ぎりぎりで会津ナンバーにはならなかった愛車のナンバーを福島の陸運事務所に行って会津ナンバーに取り替えてきた。

会津も福島も同じ県内だが、外から見れば大いに違う。

これはちょっとデリケートな話かもしれない。「お前は福島への愛がないのか!」と言われても困ってしまう。

クルマで出掛けることも多く、要らぬ気遣いやトラブルを、あらかじめ回避できるのであればしておいた方がよいと思った次第だ。会津ナンバーでも同じ目に会うのなら致し方ないだろう。

そんな事を考えて土湯峠を越えた。桜は満開、快晴で本当にのどかな風景が広がっていた。

磐梯山、吾妻小富士、安達太良山、信夫山・・・本当の空があるというこの福島県だけがいつまでも、いつまでも終わることのない震災に震えているのだ。

2011年4月25日 (月)

再びはあり?

統一地方選挙の後半が終わり、またも民主党旗色悪しと報じられている。福島、宮城、岩手では統一地方選挙が延期されたまま、何時になるのかいまだ分からない。

が、時は流れていく。このまま数カ月したら延期された県議会議員、市会議員、首長選挙も行われるだろう。そしておそらくは予定された顔ぶれが立候補するのだろう。

しかし、よくよく考えると福島県の場合は本当にそれでいいのだろうか?と、思ってしまう。

想定外だとか、騙されてきたとか、言い訳はいろいろあるだろうが、知事さん以下、県会議員さん、市町村長さん、市町村議員さん、それぞれに原子力発電を推進してきた(全員ではないけれど)事は事実だ。

「我々だって想定外の津波までは分らなかった」という言い訳が果たして通るのだろうか?

住民の代表として選挙で選ばれた人は、政治を生業として様々な政策をよく見聞きし分り、すべての事を自分を勘定に入れずに判断していかなければならない立場にある。

ところが、そういう人々が寄ってたかって安全のハードルを下げ、判断を誤った事は明らかだ。そんな人々が再び立候補していいのだろうか?と考えるのは私一人だろうか?

何事もなかったかのように「郷土のために働きます!」とうたい文句を掲げ再び立候補するのは厚顔無恥と言われても仕方がないだろう。郷土のために働けなかったから今の惨状がある。

この人類史上に残る大人災が正しく総括される日は果たして来るのだろうか?その日が来なければ故郷を追われた人々は浮かばれまい。その時に果たして胸を張れる政治家が一体何人いるのだろうか・・・・?

「不明を恥じる」という言葉・・・「ならぬものはならぬものです」と、こども達を諭す会津の政治家さんたちはその「恥」を一体どのように受け止めるのだろうか?

2011年4月24日 (日)

想いを映す

滝沢の田んぼの中にぽつりと一本、大きく枝を広げる「石部桜」が今年も咲いた。日曜の朝六、七分咲き、雨上がりの快晴。

このような状況だと早朝から桜の周りはカメラマンで一杯になっている。登る朝日を浴びて刻々と表情を変えていく桜を狙うのだ。

あぜ道にはちょっとした食べ物・飲み物を売るテントの様なものも準備されていて、昼の大混雑を予想させる。

ところが今年は、人影もまばらだ。散歩の夫婦が道を間違えたので「こっちですよー」と声を掛けた。明らかに地元会津の人ではない。ふれあい体育館に避難している人かもしれない。

雨上がりで空気が澄み渡っている。360度、見る角度によって枝ぶりは様々に変化し、どこから見ても一幅の絵のようだ。西に見える博士山、明神ヶ岳の山並み今年は残雪が多い。南には大山塊の飯豊山、残雪どころかまだ真っ白な山容だ。

当たり前の事だが「石部桜」は去年となにも変わらない。何事もなかったように小ぶりの花を枝一杯に咲かせている。

六百数十年、花は変わらず眺める人の世は常ならずだ。合戦があり、天変地異があり、戦争があり、放射能がある・・・。

じっとたたずむその姿は見るものの心を鏡のように映す。決して何も語ることはないけれど人々の心の中を映してみせる。

思わず、物言わぬ桜に語りかけ手を合わせる・・・これが時を越えて生き抜いてきた名木の迫力というものだ。

2011年4月23日 (土)

豪雪の冬があったんだ。

震災のもの凄さで、この冬が豪雪だったことなどどこかに行ってしまった感じだ。大雪で国道49号線に何百台ものクルマが閉じ込められ「会津」の名前が全国ニュースのトップで有名になったのは、ついこの前の事だ。

本日、今シーズン初めて「会津磐梯カントリークラブ」を回った。あいにくの天気だったが、それほど降られずに済んだ。

コースを歩くといたるところで木が無残に折れている。松や杉などの針葉樹の枝が積もった雪の重みに耐えきれず裂けるように折れてる。むき出しの生木が痛々しい。

4月も後半だと言うのにまだ残雪があった。なんだかものすごく遠い日の話のような気がするが、本当にこの冬は厳しかったんだと、改めて思った。

そんなわけでコースはまだまだ整備が行きとどいていない。倒木の枝の間にボールが消えてしまったり、枝につまづいたり、言い訳たっぷりのラウンドになった。

この日に合わせドライバーをリシャフトした。新しいシャフトは三菱レーヨンの「フブキ」真っ白でなかなかカッコいい。

が、練習もせずにいきなりのデビューは少々無理があって散々。同伴のH氏には「飛びがフブキじゃなくて、スコアが吹雪になっちゃったね」と笑われてしまった。

ま、それにしても震災以来初のゴルフ、こうして無事にラウンド出来ることに心から感謝だ。

2011年4月22日 (金)

寅さんの励まし

「私が頑張るのでみなさんは頑張らなくていい。一緒に生きましょう!」と避難の方々に語りかけたのは、映画「男はつらいよ」の寅さんの妹役で有名な倍賞千恵子さんだった。

去る19日、20日の両日、会津若松市の文化センターで寅さん映画の上映会が開かれた。事の発端は、「避難所のテレビで一日中流される震災ニュースがほとほと嫌になった。たまには寅さん映画でも見て大笑いしたい」という避難所からの声だった。

寅さん映画と言えば、撮影監督の高羽哲夫さん(湯川村出身)を顕彰する我々のグループ「会津ふるさと映画祭実行委員会」ということで話が進んだ。

実行委員長・新城猪之吉さん(末廣酒造社長)の奮迅の働きで、松竹も即協力、19日には倍賞さん、20日には佐藤蛾次郎さんが舞台あいさつに訪れ、各避難所を回り被災者を激励するという運びになった。たった2週間の話だ。

19日は冬に逆戻りの様な寒い一日になった。会場には約150名の避難所の人々が集まった。上映作は第1作と第11作、誰もが寅さん映画を観られる嬉しさ、倍賞さんに会える期待でにこやかな表情だった。

ステージに現れた倍賞さんはこんな事を話した。

「実は私、今年70歳なのね(エーッと驚きの声)、あら、言わなきゃよかったかな(笑い)それで6月に北海道でやるコンサートを最後に、もう歌をやめようかなと思ってたの。でもね、この地震があったでしょう。で、みなさんが頑張ってる姿を見てたらそんなこと言ってられないなって思ったの(大拍手)だから、歌はやめないでもう少し頑張ります。私頑張りますから、みなさんはそんなに頑張らなくていい、一緒に生きて生きましょう、ね!(拍手と声援)」

そして、風邪気味を押して会場からのリクエストに応え、『下町の太陽』をアカペラで披露してくれた。

鶴ヶ城の桜はまだ花開かなかったが、文化センターには明るいさくらさんの笑顔と、被災者との交流の花が咲いた。

倍賞さんはその足で各避難所慰問し支援物資を届けてくれた。また移転した楢葉町の役場職員を励まして足早に帰っていった。翌日サントリーホールで行われる震災チャリティコンサートに出演するために。

翌20日には、あの飄々とした佐藤蛾次郎さんが駆けつけてくれた。こどもたちを励ましたいと山ほどのキティちゃんグッズを抱えてやって来た。いかつい顔とキティちゃんとのミスマッチがいかにも「源公」らしい。

被災者のみなさんも久しぶりに寅さん映画を観て、気が晴れたと笑ってくれた。

こんな風にみんなが出来るところで、それぞれのやり方で「がんばれ!」を送っている。

2011年4月21日 (木)

関係なくはない世界

若者がよく口にする「関係ねえよ~」というのがよくよく嫌いな言葉だった。好みやライフスタイルが少し違えば相手をろくに見ようともしない。政治や経済、社会の動きも、自分には直接関係ないと位置付け無関心を装う。

そんな「関係ねえよ~」の世界が3・11以来、一変したように思う。天災&人災に叩きのめされて、誰にとっても明日は「関係ねえよ~」で済む世界ではなくなってしまったのだ。

大災害の中、日本国民全体が明日を考えなくてはならなくなった、ある意味同じ方向を見なくてはならなくなった、この事実については「良い」事なのかもしれない。

ある社会学者は「戦後」に続く大変革期として「震災後」が位置付けられると言っていた。

戦後の焼け野原の中から日本人は復興を目指し一丸となって前に進んだ。ひたすら豊かさを求め、日本列島改造論に煽られ国土開発を目指した。結果、日本は奇跡的な高度経済成長を成し遂げ世界のトップレベルにまでのし上がったのだ。

しかし、その先に待っていたものは決して豊かなだけの社会ではなかった。戦後復興を支えた人々は高齢化の名のもとに取り残され、豊かさを享受したはずの世代は良き隣人を失い孤立無縁化していくという、いびつな社会が育ちつつあった。もはや「豊かさ」の意味さえも曖昧模糊としてしまっていた。

そんな日本を地震・津波が襲い、多くのものをさらっていった。その無残な光景は社会の教科書に載っていた戦後の焼け野原そのものだった。違うのはさらにもう一つの災い、人間のエゴとウソと傲慢さが育てた消せない火が燃えていることだ。

あの戦後と同じように、日本人全員がもはや自分には関係ないとは言えない明日と向き合わなければならなくなった。

だがこの「震災後」は「戦後」とは全く違う復興を目指さなくてはならない。経済的な豊かさだけが豊かさではない、という答えを我々はすでに知っている。同じ轍を踏んではならないだろう。

東北には東北の豊かさがある。東北には東北の生き方があって良い。それは決して大都会の延長線ではなく、山の彼方にある独自の道、みちのくの豊かさだ。

少子高齢化も限界集落も無縁社会も津波が全部さらっていった…そんな新しい東北に、福島県に、会津に、生まれ変われる日が一日も早く来ればいい。

2011年4月20日 (水)

その先にある危機

先日こんな話を聞いた。春の田植えに向けて遅れていた農作業をしていたら、クルマで通りかかった見知らぬご夫婦が「手伝わせくれませんか?」と言って来たという。

聞けば原発の避難区域で自分たちも農業をやっていたのだという。本来であれば今頃農作業に追われていたはずが毎日無為の避難所暮らし、そんな日々に参っているとか。

しばし汗を流し「ありがとうございました。土をいじってなんだか気分が晴れました」と、言って明るい笑顔を見せたのだそうだ。

人間、仕事がない、することが何もないほど辛い事もない。避難場所となっている温泉旅館で毎日風呂につかってテレビを見ていても「楽チンだ!」なんて思う人はいないだろう。人間とは誰かと、社会とつながりを持って、働きながら生きていく、それによって泣きも笑いも喜びも感動もできる生き物だ。

何十万人の人がごく普通の生活を取り戻したいと心の底から願っている。普通に生きる・・・それには衣食住+仕事がどうしても必要になる。

会津地方には7千とも8千人とも言われる人々がすでに入ってきている。もっと増えるだろう。一方で観光業やサービス業は環境が激変し仕事の場が失われている。

仮設住宅も必要だが、一方でなんとしても就労の場を増やす手立てを講じない事には衣食住足りて心が壊れる、ようなことになりかねない。今のその先に危機は必ずやって来る。

会津に移せる工場や産業もあるだろう。この際、土地も水もタダで開放して、農業や林業、建設業などの仕事を少しでも作り出すことが肝要だ。

こういうことは一体だれが考えて、誰がやる仕事いなのだろうか?と素朴な疑問が湧く。

市や町の職員は、どう見ても受け入れ業務でてんてこ舞いだ。今、目の前にある危機を乗り越える事に誰も懸命だ。

常にその先を考える、それが議員さんと呼ばれる政治家の仕事ではないのだろうか?政治家が集まって必死になってその先を考える、会津に仕事場を作ろうとガンガン働きかける、そんな姿はあるのだろうか?

どこかの総理大臣みたいに10も20も会議を作って機能不全と言われるのもガッカリだが、「会津生き残り会議」みたいなのが全くないのも心もとない気がする。私が知らないだけであるのかな?

2011年4月19日 (火)

城下町らしい仄暗さ

節電のために明かりを落とす、やってみるとその仄暗(ほのぐら)く陰影のある夜も良いものだ、味わい深いものがある、という意見が意外と多いそうだ。

真昼間のように明るくしなければ気のすまない都会の夜、一方では光の害という概念もある。夜空の星も見えないほどに明るすぎては、夜を夜らしく過ごすことが出来ないと訴える人もいるのだ。

よくヨーロッパの夜と比べられる。ヨーロッパでは夜の陰影を楽しむという。黄昏ゆく街を楽しみ、本当に暗くなるまで明かりを点けない。地下鉄の駅なども日本と比べると驚くほど暗いという。

確かにヨーロッパ映画など見ても街は仄暗い。初めてのヨーロッパ、ローマの夜に降りてゆく飛行機の窓から見た街の明かりはオレンジ色で実にシックだった。さすがヨーロッパと感動したものだ。

節電というのとは違い、好ましい明かりで街を包みたいという意思が表れているように感じる。商店や会社が好き勝手に明るさだけを競うようなことは受け入れられないのだろう。

城下町会津の夜もシックで良いのだと思う。この震災節電を機に会津若松市内の夜の明るさをデザインし直してみてはどうだろう。

耐える、我慢するだけではなくて、味わい深い夜の姿を創造してみるのだ。ただ消すだけの節電ではその内に元に戻ってしまう。2割、3割いやそれ以上削減してデザインされた明かりならずっと節電のままで行けるはずだ。

ひたすら消すのではなく。陰影を楽しむ、仄暗さの中に会津らしさを演出できたら素晴らしいではないか!簡単ではないけれど・・・・。

2011年4月18日 (月)

区長さん

滝桜で有名な三春町は、桃、梅、桜の三つの春が同時に訪れるから三春という名だ、と聞いたことがある。

三春町に限らず、東北の春は大体似たようなものだ。会津も桃、梅、桜と多少ズレるが追いかけっこするように咲く。

今朝のウォーキングの道沿い、梅の花は満開一歩手前、桜のつぼみは赤みを増していた。日当りのいい、枝先のあわて者が一、二輪、フライング気味に咲きこぼれていた。桃はちょっと私のコースには見当たらなかった。

ウォーキングする人が日ごとに増えてきた。飯盛山下のポケットパークで毎朝おしゃべりしていたおばあちゃん達の姿はまだ見えないが、もう少し朝の気温が上がれば現われるだろう。

石部桜へもそろそろ挨拶に行っておかなくてはいけない。

年年歳歳、花は変わらずに咲く。年年歳歳、人は常ならずだ。

4月も後半になる。例年だとゴールデンウィークを控えて、どことなく心が落ち着かない頃だが今年予定満載の人は少ないだろうと思う。我が家もこども達は帰ってくるけれど特にプランはない。出たとこ勝負のGWだ。

3、4、5の連休は予定を入れずどうにでも対応できるように。前と後ろにあてはないが一応ゴルフ場を予約だけしておいた。

最終の8日はゴルフコンペがあったが、震災で中止となっていた春の町内一斉清掃(川ざらい)が急きょ行われることになったため×。川ざらいに精を出さなくてはいけない。もし休んでゴルフに行ったりしたら大変なことになる。なぜなら今年一年、私が区長さんなのだ。

土砂を入れる麻袋を配ったり、見回りしたりしなくてはならない。形だけでも一生懸命やらないと、それこそ家人との関係に危機が訪れてしまう・・・。

先週の土曜にもちゃんと出席しました区長会総会、長い長い会議を居眠りもせず、少しため息をつきながら乗り切ってまいりました。震災がらみでいろいろと変更や中止、やっぱりやります、とか大変なんだよね~、全く頼りない区長だけれど、一応ちゃんとやります!

2011年4月17日 (日)

極論対正論

石原さんだってまさか本気ですべての自動販売機を無くそうなどとは思っていないだろう。パチンコ屋さんを潰そうなどとは考えてはいないだろう。

しかし、物事を動かそうとする時には、極論を言って見せることも大切だ。

言いたいことを言い放っているように見えるが、伊達や酔狂では言えない。ものすごく多くの人や勢力を敵に回すことになるし、下手をすれば命を狙われかねない。殺されても不思議ではないのだ。

女性大臣が案の定噛みついた。経済の停滞を招く、それによって生活を立てている人がいる、国が一定の産業に関与するのはいかがなものか?

そんなことは誰でもが考え付く当たり前の正論だ。ただし、正論だから正しいとは限らないのが世の中であって、政治なのだ。

この有事に何もかも以前と同じではいられない。すべての産業、国民に何らかの無理や我慢を強いることになるのは致し方ないことだ。

そのシンボリックな標的が自販機とパチンコともいえる。無くなりはしないが、結果的にはきっと相当な削減や節電が行われるだろう。自販機とパチンコには申し訳ないが、それで良いのだと思う。

誰にでも分かりやすい、目に見える我慢だ。日本人がどこまでも「欲望」だけを追い求めてきた暮らしにブレーキをかける象徴的な事案になるなら、消えた自販機もパチンコ台も本望かもしれない。

上に立つ人間は時にとんでもなく無理なことを言わなくてはならないことがある。その半分を実現させるために三味線を弾くことも必要なことがある。

3・11、日本人がこれまでの価値観のままでは生きていけない、という事実を天から突き付けられたのだ。

自由、豊かさ、思いやり・・・そんな耳当たりの良い言葉にカモフラージュされて、どす黒く育ちすぎたものがある。それはブレーキのないクルマの様なもの。そう簡単には止められないものだ。

日曜の会津、晴れているが風は冷たい。昼時のラーメン屋、食堂、ファーストフード店、いずれもクルマで一杯だ。いわきナンバーがとても多い。新しい街の風景だ。

2011年4月16日 (土)

清々しくない飯盛山

昨日の朝、久しぶりに飯盛山の石段をゴミを拾いながら登った。

春の観光シーズンの幕開けでもある今頃には、冬の枯れ葉も掃き清められて清々しい朝の散歩のはずだが、なんだか今年はほったらかしのままという感じだ。

石段の両側の溝には、落ち葉が一杯溜ったままだし、頂上の広場も杉の小枝でぶっ散らかったままだ。

ゴミもマスクやら草履の底やら、訳の分らないものがいっぱい落ちていた。2往復で大きめの買い物袋が一杯になった。まぁ、いい運動。

この大震災で会津を訪れる人はさっぱりだ。飯盛山にも人影がない。だから、掃除もする気にもならないのだろう・・・。

ま、大震災だからと言ってしまえばそれまでだが、なんか少し違うような気もする。

白虎隊士のお墓のある飯盛山は会津の聖地だ。聖地というものは、客が来るから掃除して見てくれを良くするものとは、そもそも性格が違うと思う。

人が来る来ないにかかわらずいつも掃き清めれれ、魂の安らかなることを祈るのが聖地なはずだ。観光客が来ないから掃除しない、というのもなんだかな?という気がする。

こんな時だからこそ普段以上に清く美しく清掃していれば、なんか少しは良い事もあろうというものではなかろうか。

みんな揃って大震災に負けない大清掃でもすれば良いのに、と思う。

人が来なければ、儲からなければほったらかし・・・そんな根性ではどんどんと坂道を下って行ってしまうだけではないのでしょうかね。

2011年4月15日 (金)

自分でやるしかない

あのホテルは何十人解雇した。あそこの店は従業員をすべてやめさせて家族だけでやるらしい。こっち会社は早々と給料を一律何割カットしたそうな・・・。

会津若松市内のそこここでこんな話が飛び交っている。

無理もない。何割減とか言うのなら徐々にという事もあろうが、どんでん返しのようにいきなり観光客ゼロなのだから打つ手も急がなくてはならない。辛いところだ。

今、お客さんが多いのはラーメン屋さんだと言う。避難で人口そのものが増えている事もあるが、避難所暮らしだと、どうしても汁ものが欲しくなるのだそうだ。ファーストフード店も混んでいる。

不動産屋さんも忙しいらしい。市内の売れ残りマンションはことごとく売れたという話も聞く。つられて家電屋さんも大忙しだと言う。

いずれ山・谷はあるが、全体として下降傾向にあるのは否めない。二次、三次、四次、五次と被害が連鎖的に被害が広がっていくようで、誠に嫌な感じだ。

すごくショックだったのは今朝の記事、守られていると思った会津のほうれん草から基準値以上の放射線量が検出されたという。ホントか?と検査結果を疑いたくなる。

先だってまですべての数値がけた違いに低かったのに、いきなり福島や白河より高いと言われても、にわかには信じ難い。

私がJAなら今一度畑で刈り取って、抱いたまま決して手を離さずに持ち込んで即刻再検査を申し出る。そのくらいしないと天栄村の牛肉の件もあり、とても信用できない。安心会津がそんな簡単に揺らいでは困るじゃないか!

ここはひとつ会津平の中で、いろんな場所の野菜を自主検査して欲しいと思う。きっと大丈夫だ。

みんながみんな自分のことは自分で守り、自主的に様々な防衛策や自衛策を講じ、また時には積極的に打って出る!そうしていかないと本当に潰されてしまう。

なにせお上と言えば、この難局に言った言わないでケンカしている始末だ。真偽はどうあれ、部下と言った言わないで揉めてるという事実だけ見てもあまりにも低レベルだ。全く頼りにならないのは明白だ。

身を守るのは自分、まずは自分でやるしかない。

2011年4月14日 (木)

エコなの?それとも

ある蕎麦屋さんで感じたこと。宴会をやって最後に蕎麦屋なのでそばが出た、当たり前。料理もそばもなかなか美味しかった。

ただ、すごく気になったのは箸だ。割り箸を使わずにエコ箸と言うのを使っている。一膳一膳、白い紙に入って清潔感は良し、だがその黒い箸が木製ではなくプラスチックというか合成樹脂なのだ。滑って、そばが食べにくい。

こう言うのってどうなのかなと思う。エコ箸を使う店は増えている。もちろん、それ自体全然悪いことではない。しかし、そばは少し考えた方がいい。まず麺類が食べにくい箸では論外だろう。

やっぱりパキッと、割り箸を割って食べるのがそば、うどん、ラーメンにはぴったりだ。と言うよりも、麺類の場合は割り箸も料理の一部と言えないこともない。

居酒屋のエコ箸には異論はない。が、私は蕎麦屋の割り箸までエコにすることはないと思う派だ。

先の蕎麦屋の箸、十歩譲って割り箸ではないとしてもせめて木製の食べやすい、麺類向きの箸を使うべきだと思う。

箸なんてなんだって一緒、と言うかもしれないが箸によってモノの味も変わるものだ。特に太さ、口当たりは大いに関係がある。

薄手のお猪口とがっしりしたぐい呑みでは、酒の味も違うのと同じだ。

エコは大切、それを進めようとする姿勢は間違ってはいない。けれども自分の提供しているもの、自分の仕事は一体何なのかをしっかり考えてみる事が大切じゃなかろうか?

その中で出来る最良のエコを心掛けていけばいいのだ。折角のそばに食べずらい樹脂の塗り箸・・・どうもエコと言うのとはズレてる気がする。エコなのかケチなのかなんだかよく分らない。

会津は今日も良い天気、15度以上になる見込み。我が家の庭に残った雪も、もう風前のともしびだ。今日の夕方までには消えているかな?

2011年4月13日 (水)

ひそやかにパアーッと

穏やかな春の陽射しが城下町・会津若松市に降り注いでいる。

若松商業高校前の東西の道、あまり大きな通りではないが、東に向いて走ると苔むす石垣越しに鶴ヶ城の天守閣が真正面に見えて眺めのいい通りだ。

この辺りは會津藩校日新館のあったところで、天文台跡の小さな石垣がその名残りを今にとどめている。

春の陽射しをいっぱいに浴びた天守閣を見ると一瞬「ドキッ!」としてしまう。こどもの頃から長い事慣れ親しんだ姿と変わっているからだ。どうも、まだ見慣れていない。

昨年一年かけて、白壁がきれいに塗り直されて、天守閣の瓦が全部葺き替えられた。その瓦がそれまでの黒っぽい鼠色から、赤瓦に変わったので表情が全く違って見える。

「赤じゃない!」という観光客もいるらしいが、赤瓦とはいってももちろん還暦のちゃんちゃんこの様な真っ赤ではない、赤茶色の一般的な瓦の色の事だ。それと白壁とのコントラストは、以前よりも少し優しい表情なったように思う。

真っ白な壁、真新しい赤瓦、春空に映えて誠に美しい。ここに桜が咲いた日には、どれほど見事なことだろう・・・。

桜の大好きな家人の近頃の口癖「ああー、いやだいやだ、早く桜でも咲いてくれないかなぁ・・・」何がいやかも、愚痴りたくなる気持ちもよく分かる。

この陽気じゃ、もう10日ぐらいで咲くだろう。今年は必ず花見に行こう、絶対に行こう。今年は良いよ~、見ものだよ。赤瓦に桜が映えて人影はまばら、桜を満喫、独占できる。

咲いたらすべての二次会は全部お城としよう!一升瓶ぶら下げてパアーッと、パアーッと・・・少しだけ心持ひそやかに、パアーッと行きたいものだ。

2011年4月12日 (火)

縦しんば余震

1ヶ月経った昨日、大きな余震が来た。浜通りではまた犠牲者が出た。平時ならマグニチュード7クラスと言えば大変なのに、そんな地震が余震として何発も来ている。

その間に数えくれないくらい、2とか3とか4の地震が来ている。こう多いと地震酔いではないがなんだかいつでも揺れているような気がする。

今朝の新聞のマンガは笑えた。揺れてる揺れてないでもめて、テレビで地震を確認して「ほうらやっぱり地震だ!」とみんなで納得する奇妙な日常・・・まさにそんな感じだ。

昨夜、久しぶりに老町の居酒屋「ぼろ蔵」にちょっとだけ寄った。熱燗を一本、頂いている時に店の入り口の戸がガタガタと鳴りだした。「キャ、地震だ」とママさんが言う、すると確かにグラグラと来て、ママさんが裏から飛び出して行った。

入口の戸の立て付けが緩いらしい。これがまたいい合図になっている。ちゃんと入り口を軽く揺らして挨拶してから「こんばんわ、地震です!」と言うような塩梅だ。なんだかうまく出来てる。

もう余震続きでママさんはすっかり参っているのだという。怖いからすぐに飛び出す。でも、お客さんは適当に飲んでいる。「ぼろ蔵」という名だが、先の震災でも壁一つ落ちなかったのだから結構丈夫な蔵なのだろう。

ママさんでなくても本当に「もう、嫌!」と言うぐらい、余震が続く。いくら「嫌だ、いい加減にしろ!」と言ってもどうにも勘弁してくれないのか、揺れる。

会津はまだいい、中通り浜通りはもっと揺れている。会津にいてもこんなによっぱら(もう沢山)なのだから、まぁ、本当にお見舞い申し上げる他ない。

海底火山が動いてるとか、日本中の休火山がなんだか活発なのだとか、小松左京の「日本沈没」さながらの状況になってきた。

先の草なぎくんが出た映画では確か会津だけが生き残る。地酒・会津娘の酒蔵でロケをしたんだった。縦(よ)しんば、本当になったりするんじゃないでしょうね、と戯言ばかりが口を突いて出る。

ほら、また来てる!!!!ああ、縦しんば余震。

2011年4月11日 (月)

奇想天外なくらいで普通

昨日、議員のOくんと立ち話をする機会があった。本当に福島県は大変だと言っていた。大手企業も一斉に脱・福島路線をとっている。福島県からの撤退を考えている企業も多く、外食チェーンさえ撤退の姿勢を見せているのだと言う。

がんばろう日本!の中でも実は、福島県だけが抜け落ちているのかもしれない。止まらぬ放射能、先行きの見えない原発で、がんばろうにもがんばれない福島!なのだ。福島県が沈没するのはもはや絵空事ではない。

こういう時に、政治家と呼ばれる人は地域の生き残り策を真剣に議論しているのだろうか?みんなと一緒になって大変だ、大変だと言っているのが仕事ではない。その先を考えるのが政治の仕事だ。

突拍子もない話かもしれないが、福島県の機能は100㎞離れた会津にどんどん移した方がいい。県庁にしても庁舎の多くが地震で使えない。避難区域の拡大によっては福島市、郡山市さえ機能不全に落ちる事も考えられる。県庁移転も大いにありだ。今のうちに機能移転をし、リスク分散を図ることが現実的だと思う。

会津若松市のガラガラな工業団地だって無償提供すれば移りたい会社もあるだろう。土地も水も当面タダでいいではないか。

大丈夫な会津に福島の力を少しでも移す事を考えないと福島県が地図から消えることにもなりかねない。面倒なことは後回しでいい、言い訳してる間に死んでしまったのでは元も子もないのだから。

法律や条例や規則は人を守るためにある。それに縛られて人が死んでしまったのでは本末転倒だろう。第一どんな法律にも空から放射能が降ってくる、なんてことは書いてない。

毎日ニュースを見ているとこのアン・ビリバボーな事態に不感症になってしまうが、現実にSFの様な事が起きてひどいシナリオで進行している・・・これは紛れもない事実だ。

だったら現実世界もSFのように大胆で奇想天外な発想を持って事に当たらなければならないはずだ。

この際、正攻法でばかり物事を考えていては、結局は残酷な現実に置いてきぼりをくらうだけではないだろうか。

2011年4月10日 (日)

美の巨人

小柄なご老人だったが、五十嵐大祐さんが巨人だったことは間違いない。4月の5日、90歳で突然この世に別れを告げられた。

一代で銘菓「会津葵」を興した。昭和28年創業、菓子作りに美と浪漫を求め、スーパーマーケットが広まり世間がアメリカナイズされていく中、味わい深い店舗での対面販売、人と人とがふれあう昔ながらの商売を重んじた。

昭和45年、城下町会津の老舗を集め「會津復古会」を設立、大肝煎(親分)に就任。それまでの物見遊山だけの観光を、まさに町の文化(光り)に触れる観光にシフトさせた人である。

町なかの古いのれんの店を訪ね歩く旅。街並みや土地の美味、情緒を楽しむ旅、今では当たり前のそんな旅を創造したと言っても過言ではない。

この復古商法は全国各地に多大な影響を及ぼした。古いものを壊し近代化に走った商店街の成功例はない。一方、古いものを守り抜いて再生した商店街は全国各地にある。五十嵐大祐さんはその先達だった。

「復古」の精神は昔ながらの街並み保存にも影響を及ぼした。平成7年から8年間、全国町並み保存連盟の会長として活躍、その業績は全国区であり、大変に大きなものがある。

若い頃から民芸運動に参加した五十嵐さんは、超一級の審美眼の人であった。多くを語るより、鶴ヶ城正面にある「会津葵本店」や「シルクロード文明館」など彼の残した店舗を見ればその鋭い美的センスが分かっていただけると思う。

真に美しいものを見極める鋭い眼力、美に対して妥協を許さない姿は時に「頑固一徹」とも映った。

二十代後半、私は五十嵐大祐さんから非常に多くのことを教わった。「西遊館」というお堀端の民家が大祐さんの事務所兼隠れ家だった。父と共に民芸運動をしていたという縁もあり、大いにかわいがってもらった。

天井の低い西遊館の二階の間、ここから眺める鶴ヶ城の景色は別格だった。

四季折々に美しいお城を眺めながら五十嵐さんから多くの事を教わったのだ。話に興が乗ると昼間からビールが出る。ビールを飲みながら民芸について、会津について、シルクロードについて、復古商法について、話題はとどまることを知らなかった。

5時間も6時間も捕まって、ビールをがぶ飲みして、会社から大目玉を食ったことが幾度もあった。あの時間は若い私にとっては、私塾で教授から個人講義を受けているようなもので全くもって貴重であり、興味深く楽しかった。

私は五十嵐大祐氏から薫陶よろしきを得た、と勝手に思っている・・・。あの頃、五十嵐さんとビールを飲みながら多くの教えを乞い、語り合うことがなかったなら、今の私がないのは確かだと思うからだ。私の大好きな会津人だった。

90歳にしても巨人は豪快であった!あの独特な鼻にかかったような声でいつでも大きな声で話した。そしてその日も、いつもの無尽に出掛け大いに飲んで語らい、二次会にまで繰り出し、帰宅後大好きな風呂につかって気持ちよさそうに逝ってしまったのだという。裸で生まれて裸で死んでいく潔さ、まさにお見事な大往生というほかはない。

合掌。

2011年4月 9日 (土)

もっと素晴らしい東北・・・

『従来に戻す「復興」を越えて、前よりももっとすばらしい東北をつくる』と、菅総理大臣が言ったと伝えられる。

もとより政治家は、明日を拓いたり、未来を築いたり、夢を創造したり、と大袈裟な表現が大好きなものだが、それにしても久しぶりに心底呆れた。

故郷を失くし、大切な人を失くし、大きな喪失感と戦っている人々が何十万人といる。瓦礫の山を眺め1ヶ月、なにひとつ希望の糸口の見えない人々が大勢いる。

今だ寝る場所さえままならぬ、そんな人々に向かって一国の代表が今、言う言葉か?言える言葉か?と思う。

前よりももっとすばらしい東北・・・自分たちにとってかけがえのない人々の消えてしまった世界が前よりも素晴らしいはずがないだろうに。

素晴らしくなくてもいいから元に戻して!それが全東北の届かぬ祈りだ。

それに福島だ、国が進めてきた原子力の火を今だ消せないでいるのに明日のことを、復興のことを語れるのか、このおたんこナス!(ぐらい言っても怒られないだろう)

ぬくぬくした部屋の中で考えている人にしか出てこない言葉だ。自らの責任に打ち震え、国難に身命を賭そうとする人からは絶対に出てこない言葉だと思う。

政治家の命は言葉だという。であるならば、あれほど軽々で、人の痛みを思いやれない言葉を平気で発する人は、大失格だと言わざるをえない。

今さら言ってもどうにもならない愚痴だが、千年に一度の大災害、せめてもうちょっとましな人にリーダーであって欲しかった!慙愧。

昨日一日ポカポカ陽気だった会津は朝からしとしと雨。街の中の道路は心なしか混んでいる。いわきナンバーを中心に他府県ナンバーが多い。もちろん観光客のクルマではない。

2011年4月 8日 (金)

歩く震度計

書くことが地震から離れられなくなってしまっている。何を書いても震災につながってしまう。まだ1ヶ月もたたないから当たり前なのかもしれないが、私自身、会津全体が地震の影響下で生きているということだろう。

昨夜、最大の余震が来た。深夜に揺れで目が覚めた。かなり大きい、ゆらゆらと揺れて、ぐらぐらっと強く揺すぶられる、そして長い、あの時と似ている。

「ああ、またこのまま崩れるんじゃないだろうな・・・」と思った。隣りで家人もうっすら悲鳴を上げている・・・・でも、治まった。

「かなり来たな、今のは」「おっきいわ、大分揺れた、長かったねー」と、言いながら暗闇で動かなかった。

これまでなら、すぐに飛び起きて階下に降りてテレビをつけるほどの大きな地震だ。遠くでは、また大きな被害が出ているかもしれない。

しかし、動くのもおっくう、それは眠たいせいだけではない。少しは被害が出ているだろうが会津は震度4ぐらいだ。夜中に飛び出すほどの事はない。なんだか、もうニュースも見たくない。そのまま寝てしまった。

最近では震度3とか2とか、結構ぴたぴた当たるようになった。なんの自慢にもならないが、やっぱり結果は震度4だった。まるで歩く震度計だ。

朝、6時前にまた揺れた。寝ぼけ眼で起きてきた家人が「地震どうだった?」「今のは震度3ぐらいだけど、昨夜のことは言ってないなぁ」とコーヒーを飲みながらマスターズを見ている。美しい緑のコースにアザリアがきれいだ。

当たり前だがマスターズは海の向こうで何事もなく行われている。遼くんはじめ日本人選手はまずまずのスタートを切ったようだ。

マスターズの頃には、私自身のゴルフシーズンも開幕しており、なんとなくワクワクする季節なのだが今年はもう少し先になりそうだ。でも4月の末には行くぞー!

日本選手、誰でもいいから景気づけにビックリするような事をしてくれないかな・・・。がんばろう、日本!

2011年4月 7日 (木)

安心会津

「ほ~ぅほけちょ」鶯が鳴いた。飯盛山の鶯は少し訛っている。きれいに鳴けるようになるまでは練習が必要だ。

会津は観光地だ。飯盛山の白虎隊の墓はその中でも重要な観光スポットだ。観光産業は、非常に裾野の広い産業だと言われている。観光客が来て旅館に泊まったり街に出て食事をしたり買い物したり、商工業から農業まで、山の上から裾野広くお金が流れていくという。

それだけに会津にとって観光は重要な産業なのである。

会津の観光は昨年は低迷した。理由は鶴ヶ城の改修工事だ。天守閣の瓦を全部吹き替えて幕末当時の赤瓦にするという大工事が行われた。工事の足場ですっぽりと囲われ天守閣が見えなかったから、前年より3、4割観光客が減少したと言われている。

今年はその巻き返しの年として大いに期待されている。華やかに春のスタートダッシュを切るわけだったが、東日本大震災が起きてしまった。

当面、観光という気分にはならないだろう。加えてあの放射能騒ぎで、フクシマと言う名のつくものに人々が近づかない、というとんでもない現象が起きている。

新聞によると芦ノ牧温泉、東山温泉のキャンセル率は95%と言う。開店休業に近い数字で凄まじい。

まるで激流を眺めるように、人々は立ち尽くすばかりだ。

でも、なんかやるしかないのではないだろうか?悪あがきでもなんでもいい、立ちつくすばかりでは何も解決はしない。

安心会津キャンペーン!

『安心会津 安全会津 愛して会津、会いたい会津!』『遠く100㎞、距離以上に会津は山々に囲まれた安全郷なのだ!』

こんなステッカーやポスターを山のように作ってそこらじゅうにべたべた貼る。語呂合わせでもオヤジギャグでもなんでもいいから会津は安心だと叫びまくる。そしてあらゆる業種で思い切った格安プランを打ち出す。

首都圏やJRにも被災地救済で格安でポスターをべたべた張ってもらう。全国の姉妹都市、友好都市などあらゆる伝手を使って安心会津を訴えるのだ。

『安心会津』をキーワードにデザインコンペをしても良い。TVコマーシャルも首都圏でガンガン流す。

もう目の前、4月の中旬には新幹線も福島までつながり、会津への交通網は100%回復することになるのだ。

そんな時に立ちつくしていてはいけない。被災地をかんばろうと励ます前に、まず会津自身を励まさなくてはいけない。それこそが本当の復興への道なのだから。

市も予算をつぎ込み、スピードを持って、リーダーシップを発揮してほしい。そうしないと本当に4次被害、5次被害が起きる。

ここで思い切ってお金をつぎ込まなければ、取り返しがつかないことになる。でも予算が・・・などと言ってみても死んでしまってからでは手遅れだ。

真のリーダーシップを発揮するべき時は今、私はそう思う。

2011年4月 6日 (水)

行き場のない怒り

うっすらと汗ばむ、ようやく会津もそんな言葉が使えるような陽気になった。

今日は中学校の入学式が行われているらしい。真新しい制服に身を包んだ新入生、ちゃんとお化粧していつもよりなきれいなお母さん、パリッとスーツを着たお父さんもカメラを抱えて微笑んでいる。

この季節には日本中で見られたそんな光景が、今年は特別に感じられる。

住む家があって、のどが乾いたら水を飲んで、畳の上に寝転がる。のどかで退屈な田舎の風景が広がっているだけのふるさと、そんな当たり前の日常が、どれほど愛おしいことだろう。いかにかけがえのないものだったか、失ってみて初めて知る当たり前の平和。

昨日、原発からは汚染された水が垂れ流された。漁業関係者は猛烈に抗議をする。生活を支える海が汚されるのだから当然だ。

韓国もロシアも抗議をする。一衣帯水、海は国々を隔て、国々とつながっている。その海を放射能で汚すことは絶対に許されない事だ。

しかし、しかし、本音を言うならば、きっとこう言いたいのではないだろうか?

『低汚染の水を放出する以外に道が無いのであれば仕方がない。それで原発を止めてくれるなら泣きもしよう、我慢もしよう。日本中の英知、技術者が集まってなぜいつまでも止められないのか!一刻一秒でも早く止めるためにすべてをつぎ込め!どんな事をしても止めろ、これ以上大災害を広げないで早く止めてくれ!!』

今、この時期に犯人探しをしても仕方がないが、未曾有の原発災害の引き金を引いた人、我欲に囚われ誘発に加担したすべての人は、いかなる立場にあっても万死に値すると思う。これは福島だけでなく人類に対する罪だ、言い訳は聞かない。

私は原発が止まったら、本当にそういう人々には真面目に「切腹」して欲しいと思っている。あの人にも、あの人にも。

何千何万の行き場のない怒りが原発同様、いつまでもくすぶり続けている。これはごまめの歯ぎしりか?

ごまめだって何千万も集まればただの歯ぎしりでは、きっと済まないはずだ。

2011年4月 5日 (火)

笑顔宴会をやろう!

先週の土曜日、会津若松市長・菅家一郎さんの名前で一枚のチラシが新聞に折り込まれてきた。市長からのメッセージだ。

震災以来、もの凄い自粛ムードが広まっている。このままでは市内の商業者が根を上げてしまう。被災地へ思いを寄せることは必要だが、ぜひ従来の消費行動を取り戻してほしい、といった内容だった。

会津若松商工会議所はじめ飲食店組合やホテル旅館業組合などの悲痛な叫びを聞いての、緊急メッセージだ。

歓送迎会、花見、GWと観光地会津が大いに盛り上がるこの時期、その大きな稼ぎ時が消えてなくなってしまいそうなのだ。今や観光地のお客様は限りなくゼロに等しいという。

それも一時期の低迷と言うのならまだしも、いきなり長く真っ暗なトンネルに突入してしまい、先はまったく見えない。

被災者を受け入れる側が倒れたのでは、困った人々を救うことも出来なくなってしまう。そんなドミノ倒しのような悲劇はなんとしても避けなければならない。

華美にならず節度を持って、笑顔と暖かい心溢れる酔っ払いであれ!めちゃ難しそうだが、みんなが想いを共有すれば自然とそんな風になるのではないだろうか?うまい会津の清酒を飲めばきっとそうなる?!

『笑顔宴会』・・・みんなが笑顔で、日ごろのストレスを思いっきり発散して、明日への活力を養う。たとえ泣いても怒っても、最後は笑顔が唯一のルール。歌は出来ればみんなで歌おう、沈みがちな気持ちを励ますために飲んで騒ごう、そんな宴会なら自粛することはない。

こんな時こそまさにユーモアの精神を忘れずに、心を励ます『笑顔宴会』をそろそろ各所で開いていい時期だ。

この冬の寒さで桜は遅れそうだけれど、きっと何事もなかったように美しく咲き乱れるはずだ。あの美しい桜を見ただけで自然に溢れ出す笑顔まで、自粛することなんてない。

2011年4月 4日 (月)

風と散るまで

「風評被害」という言葉が冷たい春の風に舞って飛び交っている。

チェルノブイリ、スリーマイルと並んでフクシマという名前は、世界の原発事故、放射能汚染の地として人類の歴史に刻まれてしまった。

原発から100㎞も離れた会津では、水、食品、土壌などあらゆる検査において全く問題となる数値は出ていない。にもかかわらずフクシマと言うくくりで、一部の野菜に出荷停止の措置が取られている。地元の葉物野菜は店頭にない。

風評ほど厄介なものはない。もともと確たる根拠はないのが風評であって、気分の問題なのだからたちが悪い。

『別に大丈夫だとは思うけれども、何も好んで食べる必要はない!』というそんな程度の思いだが、それが重なれば大きなうねりになってしまう。

口にするものばかりか、物産や観光までも敬遠されている。『大丈夫なのは分っているけれども何もわざわざ行かなくてもいい』と言うことになってしまう。

これは『仏滅なんて信じないけれども、何もわざわざ仏滅に祝い事をしなくても良い』というのと同じだ。本当に怖いとか、危ないと思っているわけではないけれども、とりあえず敬遠しておこう、と言う誰もが抱きがちな心境だから尚のこと厄介だ。

去年の秋に採れた米の返品を迫られたり、箪笥や漆器などの工芸品にまで放射能チェックをしろという要求が出されたりと信じ難いことが起こっている。

もしあなたがお土産だといって「チェルノブイリワイン」とか「チェルノブイリチーズ」なんてのをもらったら口にするだろうか?そんな突拍子もない事を想像してみると、ここフクシマで起こっている事故がどれほど大きなものか、改めて慄然としてしまう。

根拠がないから風評被害だ。そんな風評もいずれは時の流れの中に風と散るのだろう。しかし、「放射能汚染」と言う風評が風に散るまでには一体どれだけの時が流れ、どれだけの風が吹かなくてはならないのだろうか・・・思うと気持ちが暗く沈んでしまう。

晴れ渡る会津、原発からの異物を跳ね返すかのように北西の風が強く吹いている。

2011年4月 3日 (日)

歩き初め

雪が消えて(庭には屋根から落ちてたまった雪がまだ大分残っているけれど)初めて早朝に歩いてみた。6時少し前、まだかなり寒い。氷点下1度くらいだろうか。

飯盛山から西に下る旧滝沢街道沿いの道は、蔵が残り市内の美しい街並みの一つにも数えられている。その蔵が今度の震災でかなり被害を受けていた。ところどころ白壁が落ちて茶色の土が見えている蔵、側面全面にブルーシートをかけた蔵も見られる。蔵は火には強いが、地震にはあまり強くはないようだ。

旧道を西に下って、広く新しい道を飯盛山を目指して東に登り返す。両側の石畳の歩道は大きく波打っている。石のブロックが広く剥がされたところ、大きな段差のところには注意喚起のトラパネルが置かれている。もちろんこれも地震の被害だ。この辺の修復に手がつけられるのはまだまだ先のことだろう。

飯盛山の裏手、さざえ堂の方から登って行く。弁天様や、厳島神社がある。今年初めてなので丁寧に手を合わせた。この辺りにはまだまだ残雪がある。この辺でこれくらいあるのだから会津若松市より200メートル近く高い、会津磐梯カントリークラブのオープンは、まだまだ、という感じがする。

木造の塔・さざえ堂は無傷の様な感じだ。その隣にあったお土産物屋さんがすっかり取り壊されてきれいさっぱりなくなっていたので驚いた。

白虎隊士の墓のある頂上広場に到着、やはり少し息が上がる。もう寒くはなく、ちょっと汗ばむくらいだ。土の広場は雪解け水の流れた跡か、かなり凸凹になっている。これはどうやって平らにするのだろう?

白虎隊士のお墓、その他様々な石碑、石像などみんな無事な様子だ。飯盛山から眺める会津若松市内の朝の風景も去年までとは全く変わったようには見えない。穏やかな朝の風景である。

約30分少々歩いて、庭でゴルフ練習用のバットを30回振り回す。一応これでウォーキングのショートコースは終了だ。去年までと違うのは、右膝が故障したことだ。真冬に転んで氷の上に膝をついた。その時は何でもなかったのだが、結局は半月板が損傷していて、今も正座が出来ない。歩いても違和感がある。完治までにはかなり時間がかかりそうだ。

おかしなものでひざを故障したりすると、今まであれほど馬鹿にしていた「皇◎」とか「***育ちのグルコサミン」なんてのを飲んでみようかな、なんて思ったりする。たとえ医学的根拠がはっきりしていなくても、もしかして効くかもしれないなどと思うからおかしなものだ。

ちょっと不調を抱えただけで何かに頼りたくなる。人間と言うのは実に弱いものだ。だからこそ健康食品や怪しげなお守りやパワーストーンなどがもてはやされて、立派な商売になっているのだ。

気持ちのよりどころになって気が休まればそれでいい、効果の在る無しよりもそちらの方に重点があって『分かっていて騙されたい』という、そんな気持ちを抱くのもまた人間の不思議なところなのかもしれない。

歩き初め、まずは爽やか。我が右膝半月板には早期の完治を望みたい。

2011年4月 2日 (土)

遅れてきた被害

震災から3週間が経った。あれほど被害が少なくて良かった、と言ってきたが今になって大きな被害が発覚した。

昨日、菩提寺のご住職とばったり会った。「ああ、良かった!早くご連絡をと思っていたのですがなんだかバタバタしていて・・・実は竹田家のお墓が、あの地震で大分被害を受けていましてね」と言うではないか。

墓の事など全く思いもよらなかったが、そう言えば被災地では墓石が倒れてぐちゃぐちゃになっていた。耐震構造のお墓と言うのは聞いたことがないから、お墓は地震に弱いのだろう。どれほどひどいことになっているのか、と思って早速行ってみた。

幸い三基あるお墓そのものは倒れてはいなかった。お墓のある台を取り囲む石の柵が無残に崩れ、石灯籠も倒れている。古い墓なので石も風化しているのだろう。いかにももろそうな石が粉々になって散乱していた。

我々の住む家にはほとんど被害が無かったが、お墓は言わばご先祖様の住まい、それが壊れたのだから放ってはおけない。しかし、なんか相当にかかりそうだ。石の値段や石工さんの手間など、全く分らないので想像もつかないが、そう安くない事だけは確かな気がする。

地震直後で興奮していた時ならまだしも、これだけ経ってこんな大被害を突き付けられると、ちょっとショックだ。

会津ではまだ雪が深いので春の彼岸に墓参りをするという習慣がない。だから考えてもみなかった。彼岸獅子には舞ってもらったのだが、墓までは全く気が回らなかったのだ。

実は我が家にはもう一か所墓地がある。市の史跡にも指定されているが大窪山にある会津藩士の墓地の一角に、誠に古い墓群がある。市内の墓があれだけの被害を受けたのだとするとおそらく・・・・あの古い墓地はひょっとすると総崩れの惨状ではあるまいか?

山の北斜面の谷間なので残雪に覆われていたのなら大丈夫だろう・・・。いずれにしてもその内に点検に行ってみなくてはならない。こちらもなんだか恐ろしいような気がする。

良かった!と胸をなでおろしていたが、大地震の爪痕は我が家にとっては意外に深いものなのかもしれない。

2011年4月 1日 (金)

小さな我慢

本日無事におよそ90名の新入職員を迎える事が出来た。この震災により、入社式が執り行われない企業、新入社員を受け入れる事が出来なくなってしまった企業、それどころか企業そのものが無くなってしまった企業さえある。

それを思えば誠に目出度い、と言えるだろう。トップからは新しい東北、新しい日本を築いていく力になっていかなければならない、との訓示があった。

会津の空は入社式にふさわしい晴天、本当に春らしい天気だ。気温も上がっている。

新入の辞令交付式を終えた後、市内のGSを経営する会社3社を回った。地震発生時に病院の業務をストップさせないため病院車両への優先給油を要請し、快く引き受けていただいたことへの御礼だ。

おかげさまで、訪問看護、訪問介護もストップさせずに済んだ。ガソリンの無い中、一度もストップさせずに済んだのは当法人の組織だけだったようだ。心から感謝申し上げたい。

中通り、浜通りはまだガソリンが行き渡っていないらしい。ガソリン不足の際は、消費者も殺気立っており大変だったそうだ。会津では多少の言い争い程度で済んだが、中通りでは暴力沙汰まで発生したらしい。

普段の暮らしの中ではガソリンをめぐって争いが起こることなど無い。それが一旦手に入らないとなると金額では測れないほどの価値を持ってしまう。ガソリンがなければ不安で不安で仕方がなく、手に入れるためには何でもする様な事になってしまう。

おそらく多くの人はそこまで深刻ではなかったはずなのだ。歩いたり自転車に乗ったり、何かを我慢したりすれば間に合うことは多かったはずだ。しかし、とにかく満タンでないと気が済まなくなる、半分でも充分なのに・・・。

一人2000円、というと13リットル程度だが、入れると溢れるクルマも続出したらしい。メーターが一目盛りでも下がると並ばないと気が済まない。まさにこれが買いだめの人間心理と言うやつだ。

すべてにおいて「無い」と言うことに「耐える」、耐えるというほど大げさではなくても「慣れる」ことはこれから必要になるだろう。

無けりゃ買うじゃなく、無けりゃ我慢するのに「慣れる」事だ。それも欲しがりません勝つまでは・・・などという悲壮な我慢ではない、ほんの少しの我慢だ。

小さな力が合わされば大きな力になる、のと同じで小さな我慢が集まれば「間に合う」という力になるのだ。

縮こまりすぎるのもいけないが、小さな我慢は、やはり必要だ!

磐梯山、飯豊連峰がまるで何事もなかったかのように真っ白に美しく輝いている。春だ、会津。

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