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2011年2月

2011年2月28日 (月)

かいじん21めんそう?

もしも、『あれやったの実は私なんです。見つからずにこういうことも出来るってことです。私がもし、お宅の会社を標的にしたら怖いことになるのは分りますよね・・・・』なんて電話がかかってきたら、その会社のリスクマネジメントの担当者は震え上がってしまうだろう。

大学受験の試験会場から(?)瞬時にネット上に問題を流出させたあの事件のことだ。

どうも単純に試験問題の答えを聞いただけとは思えない。こんなことまで出来るんだぞ!ということを全国に知らしめているような気がしてならない。

掲示板だって基本は実名登録しているのだから、ストレートにやったら自分がすぐに捕まることは目に見えている。捜査の手が自分には絶対届かない自信があってやっているような気がする。ハンドルネームも逆から読んだら「行くぜCIA」と余裕すら感じさせる。

もちろんどうやったかは想像も出来ないが、ネットに詳しい評論家のナントカさん程度の解説ではどうにも説明がつかないような気がしてならない。

もの凄い鍵破りを公衆の面前で見せつける。そして狙われたら困る会社と裏取引をする。誰も傷付けない完全犯罪・・・・マンガの見過ぎか?

「天使のように大胆に、悪魔のように繊細に」という言葉があるが、悪はいつも繊細で慎重でずる賢い。

それだけの頭があるのならどんな仕事でも出来るだろうに、と言ってみても悪は悪としてはびこりたいものなのだ。そして、お気楽な天使の頭をかち割りたいと、いつも狙っている。正義の味方よりも一枚も二枚も上手だったりするものなのだ。

あれほど大胆な事を4大学で、一人ではどうも出来そうもない。あのグリコ森永事件の悪の集団『かいじん21めんそう』が、帰って来たのではないだろうなぁ・・・何かとても不気味で奇怪な事件だ。

今朝の会津は気温急降下、ちらちらと白いものも舞っている。今日で二月がお終いだからって、まぁ、そんな簡単に春になるものではないということだ。

2011年2月27日 (日)

ここの後

クリント・イーストウッド監督の新作「ヒアアフター」を観た。ここの後、「来世」と訳せばいいのだろうか。

望まぬ霊能力を持った男、バリ島の大津波で臨死体験をした女性キャスター、一卵性双生児で兄を失った男の子、米、仏、英と、全く違う国に住む三人が運命の糸に導かれるように巡り会う。

不思議な映画だ。大津波、交通事故、爆破テロと迫力の映像がちりばめられているが、映画はあくまで静かに静かに進む。クリント・イーストウッド好みの音楽も効いている。

冒頭の大津波の映像はすごい。さすがスピルバーグが製作総指揮をしただけのことはある。津波に押し流される女性を追うが、一体どうやって撮ったの?と感心してしまう。息をのむ。

静かにあっという間の2時間9分、クリントはどうしてこうも映画作りが上手いのか?とは言え非常に難しいテーマ、マット・デイモンもなんだかミスキャスト、自己採点☆3.7と言うところだろうか。

映画は新潟で観た。磐越道を走って2時間弱、土・日割引で千円だ。

この磐越道が、高速道路無料化実験の路線に組み込まれるという。それも郡山、会津、新潟から、ずっと先の関西の米原辺りまでタダで行けるというから驚く。

そんなことになったら、まだ一部1車線の磐越道にトラックが溢れてしまうのではないだろうか?とても怖くて走りにくくなる。千円ぐらいでちょうどいいのに。

現金を配ったり、タダにしたりするのは政治としては「禁じ手」だと思う。

結果は歴史が証明することになるのだろうが、こども手当の様に民に現金を配るという愚かな政策で、日本の明日が良くなるとはとても思えない。

昔から言うではないか『タダより怖いものはない』と。

この国の、この故郷の「ヒアアフター」がガタガタになって行くのを誰も見たくはないのに…何かがおかしい。

2011年2月26日 (土)

土産土法

会津娘の「雪がすみの郷」を一本買ったら、「どうぞ!」と言って立派な本を1冊くれた。オールカラーの大判の本、パンフレットと言うには立派すぎる。定価2000円と言われてもちっとも不思議じゃない装丁だ。「いいんですか?もらって」と思わず確認した。

本の中身は会津娘の酒造りを一年間にわたってプロのカメラマンが追い続けた写真集だ。四代目・高橋庄作さんが純米以外の酒造りをすべてやめて、純米造りだけに取り組んできた会津娘の一年間の記録だ。

会津盆地の南東部、門田の地にある会津娘は米作りから酒造りを始める。

春の訪れ、田に水が入り、酒蔵周辺の田んぼで田植えが始まる。大勢のファンと共に行う賑やかな田植え、田の草取りには農薬を使わずに鯉が放たれる。暑い暑い会津の夏、真っ青な空と風が吹き抜ける田んぼ、やがて実りの秋が訪れ豊かな収穫の時、そして会津平野が白く染まるころに酒蔵では仕込み始まる。

そんな一年を、美しい写真で記録している。「土産土法」・・・会津娘の掲げる酒造りの理念だ。その土地でとれたものをその土地の人と知恵で、その一杯が会津娘になる。

今から15年以上も前になるだろうか?若い五代目・亘さんと夏の新宿でアンケート調査をしたことがある。

低迷を続ける日本酒、会津の地酒の販路拡大のためにどんな酒造りをしていけばいいのか?酒造組合の人々と共に考え、お手伝いをしていた頃だ。

当時は本当に清酒が売れなかった。特に弱小蔵の会津娘などは、正直、相当に辛かった時期だろう。そんな中でも、亘さんは瞳を輝かせ、純米作りに打ち込んでいたのだ。

信じる道をコツコツと、長く地味な努力が報われていくのを見るのは気持ちのいいものだ。

こんな立派な写真集、それも無料配布だ。あの頃の会津娘からはとても考えられない事だと思った。パラパラと頁をめくるうちになんだか嬉しくなって、私のことを覚えているかどうかも分からない亘さんに手紙を書いた。

今年もうまい『雪がすみの郷』の杯をかかげて・・・・。

2011年2月25日 (金)

こどもは欲しくない?

昨日、考えさせられる記事があった。英国の大学が、欧米、アジアなど主要18ヶ国の1万人の男女に対して行った意識調査によると、男女がこどもを求める度合いがもっとも低いのが日本だったというのだ。

「充実した人生にこどもは必要」との答えも最下位で、よその国に比べてこどもを持つという欲求の低さが際立っているという。

「こどもが欲しい」はアメリカ、デンマーク、トルコの順に高く、「こどもを持つことは社会的価値がある」との回答にはインド、中国などが高いポイントを示しているとあった。

いずれ日本人があんまりこどもを欲しがらなくなっている、のはどうやら明らかなようだ。

幕末、欧米人の目には、日本人ほど、こどもを大切にする民族は珍しいと映った。親兄弟ばかりでなく地域全体がこどもを大切にする。男女を問わず赤ん坊を抱いて育てる、そんな姿を驚きの目で書き記している。

こどもは宝、慈しみ大切に育てるもの・・・そんな日本人がこどもは要らないと言い出しているのだから、考えてみれば大変な事だ。民族の危機と言っても大袈裟ではないだろう。

『そんなことはない、私はこどもが大好きだ!』などと我々の世代が言ってみても詮無いこと。結婚し、こどもを産み育てようという年代の男女が欲しくないと言っているのだ。

結婚は面倒くさい、ましてや子作り・子育てなど超面倒くさい・・・そんな人間で溢れたら、この国は、この先一体どうなってしまうのだろうか?

今、こども手当てで国会は大いにもめている。

なんとかして、こどもを育てやすく、男女ともに働きやすい環境づくりに努めれば少子化に歯止めがかかるだろう、との想いがこうした政策のベースにあるわけだ。

が、しかし、本当はそれよりずっと前の、もっと根本的なところからこの国は崩れてきているのかもしれない、と思うとなんだかゾッとする記事であった。

雨水を過ぎて会津も暦通りの暖かな日が続いている。一気に雪解けが進んだ!と言いたいところだが、今年の雪は田んぼにも山にも、我が家の庭にも、まだまだてんこ盛りで、在る。

2011年2月24日 (木)

さようならの事

昨日快晴の中、仙台までドライブした。すっかり春を思わせる陽光の中、従兄弟の連れ合いが旅立っていったのだ。

血液のがんで5年に渡る闘病の果て、従兄弟一人を残しての死はさぞや無念だったろうと思うと、涙がこぼれた。

人は親を選べないように、自分の死に方も選ぶことは出来ない。NZの地震で亡くなった方のように、数秒前まで希望に満ちあふれていた人生が一瞬に幕を下ろしてしまう事さえある。

過日の事、『どうやって終わるかが私の大きな課題なんだ。』と当年とって78歳の御大・A先生は仰っていた。4歳になる愛犬と、どっちが長生きするか勝負なんだ!と笑っておられた。

課題、とはいっても自分ではなかなか答えを見つけることが出来ない超難問だ。

『いやー、毎朝散歩するとな、その犬が見事なウンコをするんだよ。そのモリモリとした見事なウンコを見ると羨ましいなぁ、と思うんだわい。』と、食事の席もお構いなしにA先生はのたまう。

飲んで食って出す、その当たり前のありがたさに感謝する心を忘れてはならないと・・・。

葬儀を終え斎場へ、そしてまた葬儀会場へ。お骨となった仏様を囲んで、こちら側の人々は念仏を唱え、祈り、悲しみながらも飲んで食って・・・それが生きているということだ。

「気を落とすな、なんてことは出来るわけないけど、とにかく体に気をつけて元気でね」と従兄弟と握手をして別れた。

晴れてポンポンの仙台からまた雪の会津へ、2時間と少し。東北自動車道をぶっ飛ばした。

西の空には陽が沈んでいく、紫と赤の入り混じった雲が美しくたなびいていた。西方浄土への旅立ちも穏やかな様子、さようならだ。

会津に入った頃にはすっかり陽も落ち、またも腹が減って来た。さぁ、風呂でも入って、飲んで食ってそして・・・生きている内は生きていかなければならない。

2011年2月23日 (水)

顔面詐称

国政は、先行きどうなるのかさっぱり分からないくらい低レベルで混乱している。が、統一地方選挙は間違いなく行われる。

ここ会津では県会議員、市会議員そして会津若松市長選挙がある。もう、それぞれに選挙モードに入っていて、いろいろなところから郵便物などが舞い込む。

名刺やパンフレットやポスターなど様々な選挙用の印刷物が使われて、我々が目にするわけだが、その中で時々、エーッ?!と思うモノがある。

写真と本人(現物)との相違だ。あまりに若かったり、スマートだったり、髪の毛の量が違っていたり、一体、これ何時撮ったの?と言う写真を堂々と使っているケースがある。おまけに最近ではコンピュータを使って、どうにでも修正できるからコワい。

選挙で学歴を詐称したりしたら一発でアウトだが、あまりやりすぎだと顔面詐称には当たらないのだろうか?と思う。

特に女性候補の場合など顔写真の効果は絶大ではなかろうか?

おかめがチェ・ジウになってたら浮動票はすぐに動いてしまう。本物を見ないで投票する人など山ほどいる。

『選挙を顔で選ぶこと自体が愚かしい!』と立派な事をおっしゃる方がいるかもしれないが、それは中卒より東大卒を選ぶという学歴信奉主義と本質は何ら変わらない。だから学歴詐称は罪なのだ。だったら、顔面詐称だって問題ではないのだろうか?

夜の街のPR看板につられて行ってみると「え~っ、あれがこの人??」とビックリ!詐欺に近いほどの修正は日常茶飯事だ。プリクラだって瞬時に目の大きさを変えられる時代なのだ。

それだけ人は見かけに弱い。特に男は女性の美形に弱い。

いくらイメージが大事だからと言って、本人の面影すら残さない程の修正というのは問題ではないだろうか?せめて撮影は1年以内のもの+コンピュータによる過度な修正を禁ず、ぐらいにしないとやりたい放題だ。

おかめがチェ・ジウでひょっとこがヨン様じゃあ、やっぱりふざけるな!でしょう。

先日渡された名刺、知っている方なのに誰だか分らなかった。それは思わず、1票を投じたくなるほど、お美しかった。

2011年2月22日 (火)

メリハリ天国

まさに「光の春」と言う感じの天気が続く。会津平に日差しが降り注いでいるが、まだ風は南からではなく春の陽気ほどの暖かさはない。が、着実に雪解けは進む。

天気が良い日の朝は放射冷却でかなり冷える。今朝も氷点下5,6度だったが、もう体の方も慣れてきてへっちゃらだ。

陽もすっかり長くなった。夕方6時でもまだ明かるさが残る。陽足はどんどんと伸びていく。

二月も後半、こんな天気が続くともう冬も終わりだなぁ、と思う・・・が、必ず数回は痛い目に会う。

今年の雪はなかなかの量だ。この調子ではゴルフ場も3月中にはちょっとオープンできないだろう。裏磐梯では5月のGWでも充分スキーが楽しめるはずだ。山菜も遅れるのかなぁ?

でもま、これが当たり前の会津の冬の姿なのだ。夏は夏らしく、冬は冬らしくあるのが一番、こうしたくっきりした四季があるから会津の暮らしはメリハリがあって良いというものだ。

雪が全く降らない冬や、寒さの夏は恐ろしく、とても気持ちが悪い。

人は愚かしいのでちょっと厳しいと「寒い!暑い!」と文句ばっかり言う。が、冬は寒いから冬で、夏は暑いから夏なのであって、それがやはりいい。

この間、他所から会津に住みついた方が『30分クルマを走らせればスキーもゴルフも湖水遊びも、山遊びも出来る、まぁこんな良いところはないな』と、しみじみ語っていた。

手前味噌に過ぎるかもしれないが、会津は活動的で遊び好きな人にとっては、ある意味、メリハリの利いた天国であることは間違いない。

2011年2月21日 (月)

もうちょっと上手に発したい言霊

人前で話す時に、どうして終わってしまってから、ああすればよかった、こうすればよかったと後悔が付きまとうのだろう。ちょっとした挨拶でも、こんなことを言えば良かった、あれを言い忘れたとか、まぁ、とにかく多い。

老化現象なのか、もともと頭が悪いのか?後者+前者=どうにもならん・・・と、言うやつかもしれない。

とにかくライブに弱いのだ。後で考えると結構気の利いた台詞も思いつくのだが、実際にその場では頭が全然回らなくなってしまう。なんであんなこと忘れるの?なんであんなことが抜けおちるの?と言うことばかりだ。挨拶だけでなく議論も同じ、ライブに弱い。

大事な時は原稿を書いておけばいいのだが、不思議な事に原稿を読んで話が出来ないときている。

書いてあるのを読むとなんだか返って上がってきて、メロメロになってしまう。これが困った。書いてあるのを上手に読めれば一番楽なのだが、出来ない。

一応、原稿を持っていても、不思議な事に上がって飛んで5割か6割程度しか話せない。台詞のように丸暗記するという手もあるが、とてもできないし、それで一旦詰まったら目も当てられないことになる。

友人のIさんは、どんなに大きな会合でも長い挨拶でも、一切原稿を見ない。自分の書いた挨拶を頭から尻尾まで一字一句間違えずに覚えていて、滔々と話す。あそこまで行けば一つの立派な芸と言える。

すごい記憶力で、一度行ったお店の女の子やコンパニオンの名前はおろか、生年月日、血液型までスラスラと言うので、二度目に会った時に『えー、Iさん、すごーい!ナンデー?』ってな盛り上がりになる。

記憶型でなく、話しながら全く上がらずに、深く考えながら話せる人がいる。どんどん話が膨らみ、ぐいぐい聞き手の心を掴んでいく。落ち着いていると言うのを通り越して、聞いている方が緊張するぐらいの話上手がいる。誠に羨ましい。

言霊と言われるように、言葉は魔力を持っている。発せられた言葉が相手のハートを捕まえて、話し手の人となりを心の中に形作ってしまう。

要するに比較的うまく行った時と、メロメロだった時、私と言う人間が「ああ、この人はこんな人なんだ・・・」と思われる「こんな人」に違いが生じているわけだ。おまけに一度口を突いて出た言葉はどんな事をしても消せないから、おそろしい。

まもなく春、またなんとなく人前で話す機会の多くなる季節だ。何度やってもうまくいかないが、少しは何とかしたいと思う今日この頃の、会津は大変良い天気である。

2011年2月20日 (日)

2月20日

2月20日は長嶋茂雄さんの誕生日だ。あのはつらつとしたミスターが倒れた時は驚いたが、現在も必死のリハビリでスポ根を発揮、野球だけではなく、機能回復に励む多くの人の希望の星にもなっている。

なんで長嶋さんの誕生日を忘れないかと言うと、私の娘の誕生日と同じだからだ。

20数年前に娘が生まれた時の事は、当たり前だが今でもはっきりと覚えている。

友人のWくんの結婚披露宴が2月20日だった。出産予定日はとうに過ぎていたのだが、全然産気づかない妻に送られてその日の朝、後ろ髪をひかれる思いで東京へ向った。(当時はまだ前髪もあった)

品川プリンスホテル、夕方からの式だった。懐かしい友人が集い賑やかな同窓会の雰囲気、友人代表の祝辞を頼まれていた。

披露宴の始まる直前、心配なので電話を入れてみた。すると急に産気づいて病院に行ったというではないか、なんとまぁ間の悪い・・・心配の内に華やかな披露宴が始まった。

友人は当時、芸能プロダクションに勤務していたため、主賓にあのジュリー!の沢田研二氏もいた。そんな前での友人代表祝辞、用意していた原稿を途中まで読んだが気がのらなく、もうどうでもいいやと思いアドリブにした。

『実は今、式の始まる前に妻が急に産気づきまして、私にとって初めての子どもでして、まぁ祝辞どころじゃないって気持ちでして・・・今日、生まれたらこの二人の結婚記念日を死ぬまで忘れないことになっちゃうでしょう・・・』みたいな事を話したら大拍手が巻き起こった。

大いに受けたのに気を良くし、友人たちと二次会三次会へ。途中、連絡を入れたがまだ産まれそうもないとのことだった。

その後は六本木、赤坂辺りで大いに盛り上がってしまった。「出産祝いだ―!」とか言って乾杯の嵐、気が付いた時にはホテルの部屋に朝日が差し込んでいた。

ヤバいっ!と思って慌てて電話、「なんだべー、連絡よごさねでぇ、無事に元気な女の子が生まれましたよ」と電話口の伯母さんは少々、あきれた口調。ごもっとも、でも携帯電話なんてない時代の話ですから・・・。

電光石火の早業で会津へと戻った。とは言ってもどんなに頑張っても電車の時間が早まるわけではなし、着いたのは日曜の遅い午後だった。

妻はよほど苦しかったのだろう顔中シーツですりむいたような赤い顔をして苦笑いをしていた。「いやー、すまなかったね」といいながら、娘にご対面。

どれほど可愛いものか、と期待に胸ふくらませて見たが、こちらも真っ赤でくちゃっと小さいだけだった。

そんなこんなで娘の生まれた日を忘れられないわけだが、あの日からもう随分時が流れた。娘よ!母があなたを生んだ歳に、もうそろそろ届くんじゃないのかね・・・・?

この一年、君に大きな幸が訪れる事を祈っている。

2011年2月19日 (土)

私の好きな監督

昨夜、日本アカデミー賞があって「悪人」が演技部門の賞を独占した。作品賞は「告白」、評判の高い作品だが、気持ち悪い怖いというので、見なくてもいいかなと思って見てない。

「悪人」の演技陣は納得の受賞、私としては特に助演男優賞の柄本明さんがすごく良かった。

映画は好きだが、会津に映画館が1館になってしまって、やはりかなり見る回数は減った。夫婦割りだと2000円だから、実にいい楽しみなのに、誠に残念だ。

日本映画で一番好きな監督はやはり黒澤明監督、全作品を見ている。ベタだが「天国と地獄」「七人の侍」「赤ひげ」「用心棒」などあれほど映画的で、面白くて、ぐいぐい引き込まれる映画を撮る監督はいないと思う。

エンドロールが出た時に「まだ終わらないで!」と言うような気持にさせられる監督はそうはいない。もう十三回忌、新しい映画を見ることは出来ない。

今も現役で世界最高峰はなんといってもクリント・イーストウッド監督だと思う。「ダーティ・ハリー」や「夕陽のガンマン」で役者として活躍してた頃は、ダイコンだと思ったし、あんまり好きな役者ではなかった。

が、監督としてはすごい。特に歳をとってからがすごくいい。

「ミスティック・リバー」(2003)は衝撃的だった。派手なカメラワークやCGなど全くない、静かな映画なのに圧倒的パワーを感じさせた。なんという才能だと驚き、古い作品も遡って見た。

ここ10年はまさに円熟期といえるだろう。「ミリオンダラー・ベイビー」(2004)「硫黄島からの手紙」(2006)「グラン・トリノ」(2008)「チェンジリング」(2008)「インビクタス」(2009)もう80歳だってのにすごいペースで撮って、外れがない。

老いて衰えないどころか益々いい。ここはちょっと黒澤監督と違うところかもしれない。音楽も手掛け「グラン・トリノ」では渋すぎる歌まで聞かせた。

最新作「ヒアアフター」が本日公開だが、もちろん会津では見られない。

なんとか早い時期に見たいと思っている。

嗚呼、良い映画館で、面白い映画をゲップの出るほど見たくなった・・・。(映画砂漠の会津より)

2011年2月18日 (金)

三日坊主の決意

先日、久しぶりに東京に行った(先だっての雪の降る前)。雪のない道を歩くのは久しぶりだった。もちろんスタスタ歩ける。なんだかそれが嬉しくて、電車に乗らずに1時間ほど歩いた。気持ちが良かった。

会津の雪道を歩いていると、妙に腰が引け、微妙に滑る。長靴などではとてもスタスタ歩けない。雪道通勤している人も変なところに力が入って、運動になったとしても、きっと爽快ではないだろう。

雪かたし以外はろくな運動もしていないので、当然のことながら運動不足に陥る。肩こりテープを張ったりマッサージをしても根本的な改善ではないのであまり意味はない。ちゃんと運動をして、ストレッチして、汗をかいて、身体をケアするのが一番いい。

分ってはいるのだが、寒かったり雪だったりするとなかなか出来ない。ゴロゴロしか出来ない。

昨日、何もしてないのに、肩の筋肉が詰まったようになって激痛が走った。足もちょっと動くとなんだか吊りそう。腰も重~い。いやー、これはいかんな、と強く思えてきた。

これまでと同じように過ごしてきたのに、これまでにはない疲れや衰えを感じる、それが歳と言うものだ。それを乗り越えるためには、従来しなかった何らかの努力をプラスして行かなくてはならないのだろう、おそらく。

そこで、来週から週に二回、ストレッチなどの指導を受けて運動をすることにした。(まだ申し込んではいないけど)一応、決心した。

運動はやってみると気持ち良くて病み付きになる、と言うがそこまで行くのが骨なのだ。

大分前だが、スイミングスクールで頑張って逆三角形になる事を決意して、1回行って辞めた経験がある。ので、決して大きなことは言えない(言う気もないが)。

こうして書いていることが、ささやかな自分への枷であり、戒めなのである。

三日坊主の可能性は限りなく高いが、せめて雪の消えるまで、何とか頑張りたいと思う次第である。

2011年2月17日 (木)

しゃべっちゃぐねぇ!

「しゃべっちゃぐねぇ!」会津弁で、ストレートにいえば「話したくない!」だが、ニュアンス的には「呆れかえって口もききたくない、開いた口がふさがらない」と言う感じだ。

『総理大臣経験者が国会議員を続けるべきではない』と、カッコよく言った人が半年も経たない内に前言を翻し『まだまだやります』などと、少し高揚して言っていたりするのを見ると「しゃべっちゃぐねぇ!」と言いたくなる、そういう感じだ。

おまけに『沖縄の基地は最低でも県外に移します』と、言っていたのに『学ぶほどに沖縄の抑止力が必要だということが分ったので沖縄に残します』と言われたら、輪をかけて「しゃべっちゃぐねぇ!」って気持ちになる。

そのまたおまけに『抑止力が必要だと言ったのは、方便だったんだよねぇ・・・』と言われた日には「しゃべっちゃぐねぇ!」を通り越して「顔も見だぐね!」と、吐き捨てたくなる。

『国民のお暮らしをお守りするのが私の仕事』とバカ丁寧なもの言い。月に1500万円のお小遣いをもらっている人に『お暮らしをお守り・・・』などと妙にへりくだった言い方をされると虫唾が走るし、どっから聞いても小馬鹿にしたようにしか聞こえない。そんなことも、きっとあの人は分らない、感じないのだろう。

大相撲の八百長もひどいが、政権を取るためには僕たち政治家はどんな八百長でもするんだよねぇ・・・みたいなことを、堂々と新聞に話すのだから空いた口がふさがらない。

これら虚言や妄言が病であるのならば致し方なかろう、我慢もしよう。しかしながら、まともな政治家の言葉として、メディアを賑わしているのであれば腹の虫はおさまらない。

「にさなの、どっかさ行っつまぇ!」(あんたなんかどこかに消えてくれ)と、悪態もつきたくなるというものだ。

玉虫色の首をくっくっと突き出しながら歩く、公園の鳩にまでなんだかむかっ腹が立ってしまう今日この頃である。

2011年2月16日 (水)

感謝は幸せ

チャーミングな女性・Tさんはカナダ・バンクーバーの出身、会津には英語教師としてやってきた。そんなTさんは喜多方の教室で今のご主人にハートを射抜かれてしまった。

以来、20年湯川村に暮らし、一男一女の母として、妻として、嫁として、英語教師として「くたびれっちまった~」などと会津弁も交えながらパワフルに生きている。そのTさんの話を聞くチャンスがあった。

彼女は毎日「幸せ」を感じる、と瞳を輝かせる。

朝のシャワーで溢れるお湯を使う、たっぷり、いつでも何も気にせずにこんなにきれいな水を使える「幸せ」、今日は何を食べようか迷える「幸せ」、星空の湯川村を女性一人で安心して散歩できる「幸せ」、ばあちゃんと雪の中からネギを見つける「幸せ」、そんな沢山の幸せに暮らしは満ちているという。

日本で暮らして自分は「感謝」が出来る人間になった、「感謝」という気持ちの分る人間になったのだそうだ。「感謝」は「幸せ」です!と、力強く言い切る。

世界に目をやれば苦しんでいる人々は沢山いる。会津の暮らしのように自由で、自分が何をするかを選ぶことのできる生活はまさに「感謝」であり「幸せ」そのものだという。

モノだけでなくいろいろなものを選ぶ事の出来る暮らし、選べることはとても「幸せ」な事だと彼女は気付いたのだそうだ。

現在の活発な姿からは想像もつかないが、彼女は実はとてもシャイな少女だったという。シャイな少女が1年間だけアドベンチャーをしてみようと自分を奮い立たせて、極東の城下町・会津若松に辿りついた。

そして、そこには運命の赤い糸で結ばれた永遠の伴侶が待って居たのである。

暮らしの中でもそんな小さな「冒険心」を忘れないようにした方がいい、と最後に言った。ちょっとした「冒険心」が新しい「幸せ」を運んできてくれるかもしれない、と弾けるように笑った。

Thank you Troy!

2011年2月15日 (火)

大川荘の思ひ出

会津芦ノ牧温泉は会津若松市内中心部から車で30分ほどのところにある。大川が大きく弧を描いた絶景の川沿いに開けた温泉郷だ。

その特等席にあるのが「大川荘」だ。創業は昭和29年(1954)と言うから私とほぼ同い年、故・鈴木武一氏が、お湯が溢れ返るほど豊富な芦ノ牧に温泉旅館を建てた事に始まる。

非常にユニークな社長さんで、芦ノ牧温泉宣伝のためにはなんでもやった。宴会芸の土俵入りが十八番、会津まつりでは金太郎に扮し本物の小熊を連れて歩いた。さらに参議院の全国区にも観光省を作ると言って出馬、『力道山か、大川荘か!』のお手製コピーで全国に大川荘を売り歩いた。

その甲斐あって、大川荘の隆盛と共に芦ノ牧温泉郷も大きく発展した。

若い頃に縁あって何度かお会いし、お話を聞いたことがある。超ワンマンと言うか、田中角栄さん並みの迫力ですぐに怒る、そして、すぐに笑う。会った人を瞬時に虜にしてしまう魅力に溢れていた。

その武一さんが不慮の事故で亡くなられ、長男・喬さんの時代になり、大川荘もバブルの絶頂期を登りつめていく。美しい奥様と共に旅館をどんどん大きくされ、平成元年(1988)に現在の主館・宵待亭が完成した。

玄関前の滝の水がそのまま吹き抜けのロビーに流れ込むという斬新な造り、流れる水の浮き舞台では三味線が演奏され、客を迎え入れる。超高級旅館としてまさに一世を風靡したのである。

残念ながらバブルの崩壊と共に経済状況も一変、大川荘も時代の波にのまれていった。かの鈴木喬さんも若くして鬼籍に入られ、経営者は移り変わったものの、今も宵待亭は健在である。

昨日、その大川荘で会合があった。少し早く着いたので本当に久しぶりにロビーでお茶をいただいた。その昔、ここで何度も打ち合わせをしたのを思い出す。

訪れる度に目を奪われたのはその景観の素晴らしさだ。眼下には大川の清流、目の前には切り立った山が迫る。全く人を寄せ付けない自然の山、その渓谷美は一年を通して見事!という他はない。

春の若緑、盛夏の深緑、紅葉の秋、そして雪の冬・・・ロビーからの眺めはまさに一幅の絵だ。

この景観は、どんなにお金を積んでも作ることは出来ない。そしてその景観を見事に取り込んだ宵待亭のデザインには今も、故・鈴木喬さんの想いが脈々と生き続けているのを感じた。

会津芦ノ牧温泉・大川荘、三味の音の響き渡るロビーで、あの人懐っこい喬さんの笑顔を久しぶりに思い出していた。

2011年2月14日 (月)

マイ・ファニー・バレンタイン

朝来たらデスクの上はリボンのついた包み紙でいっぱいだった。

メールを開くとヤフーのグリーティングカードが沢山届いている。どれもこれもバレンタインのカードだ。

家に帰れば、次々と宅急便が届くはずだ。郵便受けも一杯になっている。

一年に一度、この2月14日と言うのが一番煩わしく厄介な日だ。あんまりニコニコしていると焼き餅を焼いてブスくれる娘がいる。

チョコレートを受け取るだけでいいのならそれも我慢しようが、どこかの商魂たくましい業界に乗せられてホワイトデーなるお返しまで考えなくてはならない。

食事組には馴染みのイタ飯屋を3月14日から1週間は予約しておかなくてはならないだろう。他には、お菓子や気のきいた小物・・・・まぁ、物入りな事だ。

おっとそうだ、あいつとあいつと、あいつにはちょっと気張らないとな。なにせこれからの事もある。ゴルフセットでも買ってあげようか・・・でも会津の店じゃすぐにばれるから駄目だな。

Zzzz 昼休みにウトウトしていたら、心臓に悪い夢を見た。

よだれの垂れたネクタイにはハート型の染みがひとつ。

「夢か・・・」ホッとして目覚めれば、ささやかな義理チョコが二つ、三つ。

嗚呼、ドッキン、ドッキンはしないが、健全なバレンタインデーの風景が広がっている。冬型も多少緩んだようで今日の会津は、寒いけれど比較的穏やかである。

2011年2月13日 (日)

いろいろ覚えてて、いろいろ忘れる。

覚えてないの?信じられない・・・何もアルツハイマーとかいう深刻な問題ではない。人生のすべてを覚えていることなどできない。当然忘れてしまうことが多い。問題は何を覚えていて、何を忘れるかだ。

家族のメモリアルな出来事や、仕事上のエポック、時代を象徴する出来事など、忘れてしまうとちょっと気まずい思いをする事柄を案外忘れたりする。で、どうでもいいようなことを覚えている。

旅先での名所はろくに覚えていないくせに、小さな店構えや、婆さんの顔までもはっきり覚えていたりする。特別なエピソードがあったわけでもないのになぜか覚えてる。

『新婚旅行で一番覚えていることは?』なんて、いきなり聞かれたら焦ったりしないだろうか?

変なこと言わないように・・・間違ったことは言わないように・・・えーっと、、、ところでどこへ行ったんだっけ?なんて聞いた日には、何かが崩れ落ちる。

要するに人と言うものは覚えていなくても良いようなことを不思議と覚えていたり、覚えておいた方がいい(覚えていなくてはならない)事を、忘れてしまうこともある、ということを言いたいわけだ。

そうすると、大丈夫なの?と心配されるが、まぁ大丈夫だ。

覚えているのなら、大事なことだけを覚えて、つまらないことはどんどん忘れるようにすればいい、その方が記憶タンクの効率もいいに違いない。

だが、そんな風に器用にコントロールは出来ない(私は)。玉石混交で脳に刻まれている。ひょっとすると玉石混交だからこそ脳に記憶と言う形で残っているのかもしれない。

その玉石が入り混じっているからこそ、時として石と一緒に玉の部分も記憶のかなたに消えてしまったりするのかもしれないのだ。

それはそれでありがちなこと、仕方のないことだ。記憶と言うものが玉だけになったり、ましてや石だけになってしまったのでは、なんだか味気のない人間になってしまうのではなかろうか・・・。

だからちょっとぐらい忘れてしまっても仕方がないのだよ、と我が身を慰める今日この頃である。

会津にはまたも寒波、一体いつになったら春めいた知らせが届くのだろう?嫌なことは、忘れろ忘れろと言うけれど・・・忘れようとするほどに刻まれたりするものだ。

2011年2月12日 (土)

私の好きな言葉

『鳳(おおとり)は群れず』なんて格好良い。『ならぬものはならぬものです』ってのは時々スピーチのネタにする。でも、本当に好きな言葉、しっくり来るのは『わかっちゃいるけどやめられない』だ。

クレージーキャッツ・植木等さんの名セリフ、サラリーマン無責任時代を代表する名言だ。

♪ちょっと一杯のつもりで飲んで いつの間にやらはしご酒 気がつきゃホームのベンチでゴロ寝 これじゃ身体にいいわけないよ 分かっちゃいるけどやめられない・・・♪と続く、名曲「スーダラ節」の一節。だ。

植木等さんは、笑いながら歌えるという天才シンガーでもある。完全に笑いながら、音程も音色も外さずに歌える稀有の人。ラジオから流れる歌声にへらへら笑顔が重なって見える。歌声だけでつられて笑ってしまう。

『分かっているけどやめられない』には、人間の悲しさ、愚かさ、可笑しさ、明るさ、そんなものをすべて包みこんだ優しさがある。

こどもの頃の本邦初公開のエピソード。

会津の夏、大川の河原で足の指の間をブッつり切って、縫うほどのけがをしたことがある。学校に入る前だ。住み込みで働いていた「テルオくん」に連れられて夏の大川に行った。河原には白い瀬戸の破片がところどころにあるから「気をつけろよ!」とちゃんと言われていた。

ひとしきり遊んで日なたぼっこをしていると河原の端に真っ白な瀬戸のかけらが光っていた。「あれだ、危ないのは!」と思いながらもいたずらしてみたくなった。そぉーと近づいて足で突いてみたのだ。そしたら不安定な石の上にあった破片が、ザクッときた。血が噴き出した。

可哀想なのは「テルオくん」だった。手拭いで足を縛って、私を自転車の後ろに乗せて全速力で病院へ向かった。相当に焦っていた。

いけない、あぶない、と言う事をやってしまって、案の定痛い目に会う。いやー、悪いことしたなぁ、怒られるなぁ・・・と、反省つつ、なんとなくこんなことをしてしまう自分に初めて気づいて、新鮮な驚きの様なものがあった。

『分かっちゃいるけどやめられない』の精神はあの時から自分の中に巣食っているような気がする。

何度、分かっちゃいるけどやめられないことをしてため息をついたことか?いや、別に後ろ向きなだけではない。選択に迷った時に踏み出す勢いをつけてもくれる。結構勇気づけられる言葉でもあったりもする。

植木等さんのあの笑い声で「バカだなぁ~」と言われながらも、どことなく憎めない奴。100%完全で、立派な人間なんていやしないんだ・・・そう思うと自分にも他人にも甘く、優しくなれる。そんな緩さが、私には合っているような気がするのだ。

遠い遠い日、晴れ渡った大川の河原で切った足の指の股、あの日から一体何度『分かっちゃいるけどやめられない』というような愚行を繰り返してきたことか・・・おそらく、これからも山ほどするんだろうと思う。きっと、人生とはそうしたものだ。

2011年2月11日 (金)

絵ろうそくを灯そう

今日の(2月11日)の夕刻から「第12回 会津絵ろうそく祭り~ゆきほたる~」が本丸や御薬園を中心に行われる。

会津の美しい雪景色の中に、会津絵ろうそくを灯し、その風情を愛でようと言うイベントだ。12年前に転勤族だったNTTのある所長さんの提案で始まったと言われる。

灯される「絵ろうそく」は会津の歴史ある伝統工芸品だ。会津の特産品である会津塗り、その漆を採る漆の実の木蝋で作られる。

手作りで根気よく蝋を塗り重ね、徐々に太らせてろうそくになる。乳白色の胴体には様々な花模様が描かれ、灯されるとうっすらと花模様が浮かぶ。

火力が強く、その明りは一般的な西洋ろうそくとは違って和風な感じがする。よく、時代劇などに出てくる、ぼうぼうと言った感じで燃えている強く明るい灯だ。完全に手作りなので値段もけっこうする。

この絵ろうそく、会津の名産品、おみやげ品として必ず観光パンフレットに紹介されるが、地元の人でこの絵ろうそくを使ったことのある人は・・・ほとんどいないだろう。ウチにも一本もない。

現代生活にろうそくを使う習慣がないと言われればそれまでだが、せっかくの会津の名産品なのだから、年に一度ぐらい絵ろうそくを灯す風習など、あっても良さそうなものだが、ない。

しいて言えば、この会津絵ろうそく祭りが新しい風習と言っていい。

華燭の典という言葉がある。花の様なろうそくを灯し祝う、結婚式の事だ。華燭・・・まさに花柄の会津の絵ろうそくそのものと言っていい。

これからは会津で結婚式を挙げる際には、立派な絵ろうそくを一本、式の間中、会場に灯してはどうだろうか?これが華燭の典ですよ、と言えば遠来の人は「へーぇっ!」と感心するだろうし、会津色が出て悪くない。

結婚式だけに限らず、なにか祝いの時にはともかく絵ろうそくを一本灯す。そんなことが会津の当たり前になったら面白い。

第一、名産だ、特産だ、と言いながら地元の人が使った事も見たこともないのでは、先が見えている。用の美・・・使ってこそ初めて美しさが分かるものだ。

祝いの席には会津絵ろうそくを灯そう!運動をひっそりと展開しようかな・・・・とりあえず一度、仏壇にでも灯してみるか。

2011年2月10日 (木)

重き荷を背負って

20代半ばまでは自分は絶対に太らないと思っていた。幼・小・中・高と痩せていた。それもガリガリに近い。大学時代も太らなかった、身長は高いが女物のGパンでも入った。

食欲は旺盛で、覚えた酒もガブガブ級に飲む。年中腹をすかせていたし、バイト先も飯の良いところは続いた。でも、体重は全く増えなかった。

母の病弱もあり、長男だという漠とした思いもあり、会津に戻って勤め出したら、あっと言う間に体重が増えた。夏までに5㎏、正月までにさらに5㎏、それで「痩せ」から、まぁ「細身」レベルになった。スーツなんかもY体と言うので少しゆったり気味に着れた。

実家に戻りあっと言う間に体重が増えて分ったことは、大学時代と言うのは、ガツ食いはしていても相当に不規則だったということ。

思えば一日3食をしっかりなどということは、まずあり得ない。食ったり食わなかったりの連続だったということだ。

それが朝飯二杯、昼のドカ弁、夜は酒付きで満腹まで、という生活を繰り返せば、あっと言う間に体重が増えるのも無理はない。とは言え、まだ「肥満」とは程遠かった。

やがて結婚をしたら、さらに増えた。幸せ太りとは思わないが、太ったことは間違いない。あっと言う間に「中肉中背」となり、さらに「肉付きが良い」というところまで来た。

それが今から二十数年前のこと。それから1年間500gのペースで肉が付いてきた勘定になる。それも着実にだ。

ガツンと一気に太ることはなく、上がったり下がったりしながらも結局は年間500g、律義に増やし続けてきた。いつからか健診では見事に「肥満」と言われるようになってしまった。あの日の細身の男は、常に25㎏もの重き荷を背負って長き坂道を行くが如し、という訳だ。

この状態に及んでも、周りの人からはデブとか太っているとかは言われない。「恰幅が良い」「迫力がある」などと言われて本人は結構喜んでいる。(考えてみれば面と向かって言う人はいない・・・)

家族は遠慮なく責めるので「小太りの方が長生きするんだぞ!」と反論すると「小太りじゃない、大デブだ!」と言われる。

で、職員に「俺ってデブかなぁ?」と聞くと「デブではないでしょう。ちょっと恰幅がいいって感じじゃないですか・・・」と言ってくれるのだ。

どっちが本当か?本人はよく知っているのだが、気付かないふりをして今も晩飯のことを考えている。

2011年2月 9日 (水)

んめぇもの・お店「居酒屋 鳥益」

会津で最も居酒屋らしい居酒屋と言える。

古くは上町にあったと記憶しているが、お八角神社の西側に移ってからもう二十年以上になるだろう。

カウンター周りの雰囲気が実に良い。酒の名を彫り込んだ木彫りの額があちこちにかかり、お奨めの品の短冊が賑やかに下がる。『氷見の寒ブリ入荷!・・・』短冊も品書きも達筆な墨文字が踊る。それだけで、この店は美味いな、って感じがする。

カウンター内には大女将と女将、その他、忙しく立ち働く姿は女性ばかり。男性は調理場にいるのだろうが姿が見えないからか、店内のムードはいつも柔らかい。

背中の冷蔵庫には会津清酒を中心に宮城、山形などの銘酒がズラリと並ぶ。見るだけでも楽しく、旨そうだ。その左手には「鳥益」の名が示すように自慢の焼き鳥の焼き台があり、備長炭が赤くいい色で熾きている。

焼き鳥、ドジョウや鰻、鍋料理、馬刺しやレバー刺し、お奨めの魚等々メニューは実に豊富。生はサッポロ、日本酒は基本・名倉山。女将さんもなかなかの美人で吟醸レベルだ。

居酒屋なので焼き鳥などでグイグイいくのももちろんいいが、熱燗で軽くつまんで、うな丼にみそ汁などという夜のお食事コースでの利用も悪くはない。

とにかく会津では私の中ではキングオブ級・居酒屋(何軒かありますが・・・)雰囲気、メニュー、カウンター構えの味わいと、あの人気番組『吉田類の酒場放浪記』でロケするには最高の店だと思う。

カウンターの反対側には小上がりが三つほど、二階では大小の宴会も出来るので店としては大きい。

実は年に何度か行く内のほとんどは二階での宴会なのだ。が、やっぱり時々はカウンターのあの感じのいい灯りの下でじっくりと飲りたいと思う、今日この頃。

2011年2月 8日 (火)

鳴神

中村勘三郎さんはやっぱり病気だそうだ。それも厄介な耳の難病で耳鳴り、難聴に悩まされているらしい。将来の人間国宝を突如襲った病、まったくもってお気の毒と言うほかない。

歌舞伎だけにとどまらず、映画、芝居とチャレンジ精神に富み、すごくいい味出していた名役者。最近では鶴瓶さんの「ディア・ドクター」での医師役が印象に残る。『あの先生は大したもんだ・・・』と、ほんの二言三言の台詞だったが、ものすごい存在感だった。

耳鳴りが止まらなくなったら、さぞ辛いだろうと思う。

実は私のすぐそばでもWさんが耳鳴りで悩まされている。いつも明るく、スタスタと歩き、前向き発言のWさんが、暗い顔を見せるようになったのは、昨年の秋口からだ。

突然の耳鳴りが彼を襲い、夜もろくに眠れなくなった。様々な手を尽くし、良かろう、ということは何でもやったが、今も耳鳴りは止まない。

なんとか仕事には復帰しているものの、「あとは慣れるしかないですから・・・」と、本来の元気はまだ戻らない。

原因が分らない病気が一番厄介だ。分らないから治療法も探せないし、止めようもない。原因を突きとめることがいかに大事で難しい事か!

原因があって結果がある。しかし、その原因は深く深く隠れていて、結果だけが大暴れする。そんな状況がもっとも苦しい・・・。

歌舞伎十八番に『鳴神』というのがある。竜神を閉じ込め干ばつを起こした鳴神上人を絶世の美女が籠絡する。そんな美女が勘三郎さんにもWさんにも現れてくれないものかと、心から祈りたい。

会津の空は青く晴れ渡り、真っ白な磐梯山が見事だ。明るい陽射しを浴びた磐梯山は「ま一応、冬は折り返点を過ぎましたね」と言って笑っているようだ。

2011年2月 7日 (月)

まずは結婚!

このまま、結婚しない若者が増えたらどうなるんだ!という危機感を私は持っているわけだが、同じように考えている人は大勢いる。

出生率(女性一人当たりの平均出産人数)は日本は1.3だという。普通に考えて2なければ人口は減って行くわけだから、どんどん減る数字だ。

ところが、聞いた話だと20代で結婚して10年間以上離婚していない女性の出生率は2を越えているのだという。確かに近頃、子沢山の夫婦も結構見かける。

問題は「晩婚」=結婚しても一人ぐらいしか産めない。「離婚」=こどもが少ない。「未婚」=基本、こどもが出来ない。なのだ。

ごく普通に結婚し、ごく普通の結婚生活を送れば、人口減少にも歯止めがかかると数字が言っている。

こういう話をすると「何を持って普通と言うんですか!結婚しないことが普通じゃなくて、異常だとでもいうのですか!」と、ヒステリックに怒る方がいらっしゃるが、そういう方は大体結婚しておられない。

会津若松市、私の周りの未婚率はおそろしいほどだ。40代50代の未婚者(一回も結婚していない)は一昔前ならかなり珍しかったが、申し訳ないがごろごろしている。これはどう考えても普通ではないだろう。

彼ら彼女らの老後は一体誰が見るのか?多くは社会全体で引き受けなくてはならないだろう。

「そんなの結婚して子供がいようが、独身だろうが条件は同じだ!」と言い張る人がいるが、本当にそうだろうか?

先日、どうにかして『婚活センター』みたいなものができないだろうか?と、独身者を多く抱える組織の長に真剣に相談された・・・やっぱりみんな危機感を持っているのだ。

ジャニーズも韓流スターもいいが、出来るなら若者に影響力のあるそういう人々に結婚の価値観を動かして欲しい。芸術、文化、芸能など、若者の心に響くあらゆる方面の力を総動員して今の世の価値観を動かさないことには、孤族は増えていくばかりだろう。

私は、人口問題、未婚解消に真剣に取り組む人に会津若松市の首長になって欲しいと節に思っている。

2011年2月 6日 (日)

時間差攻撃

もう二週間以上も前に雪道で転んだ膝が、今頃になって痛くなって来た。雪かたしをすると足を踏ん張る、ぐいぐいと押していたら、だんだん痛くなってきて、今朝は正座できないくらいに痛い。

こんなに遅れたやって来たのでは元の原因がなんだったのか分からなくなってしまう。時間差ありすぎでしょう。と言う話だ。

若い頃には急激な運動をすると翌日は筋肉痛で痛かった。それが、三日遅れ、四日遅れのアンコ椿の恋便りのようにやって来る。

前にも一度書いたが、その間この筋肉とか腱とか骨とか言うやつは、どうなっているのだろうという素朴な疑問がわく。まさか、転ぶとは思わないので気付きませんでした、という訳でもないだろうに・・・。

一方、歳を取ると涙もろくなると言うが、こちらの方のレスポンスは極めて速くなるようだ。TVの『初めてのおつかい』とか、ちびっ子が一生懸命歩いているだけでうるっと来るから、あんまり見ないようにしている。

私の叔父さんなどは本当にすぐに泣くようになって、あんまりすぐ泣くので、その内なんで泣いたのか自分でも分らなくなるほどだ。これまた情けない。

打ち込みそうに見せかけて実は打たない、敵のガードを交わす時間差攻撃。それもタイミング良く外せる力があってこそ成立するものなのだ。

一人時間差ならぬ、勝手に遅れてる自動時間差では、攻撃にも、話にもならない。

打てば響く!目から鼻に抜ける!一を聞いて十を知る!こう言う諺には年齢制限が付記されなければならないと、近頃思っている。

本日、家の周りでは排雪のためのブルの音が響いている。多少の緩みを利用しての雪の運び出しだ。気温が上がると道路がザケる、という状態になる。裏道は凸凹がひどく、サファリラリーならぬ会津ラリー状態だ。

2011年2月 5日 (土)

墨絵の世界へ

耕地整理の整った田んぼは、機械が入りやすいように大きく真四角で1枚300坪だと聞いた。もっと大きいのもあるのだろうけれど、一応、四角に区切られている。

穏やかな日本画の風景の様な瀬戸内の海辺から一気に会津へ戻る。新潟上空、ぶ厚い雲を一気に降下して、突然眼下に広がった景色は白黒だ。

優しい岩絵の具の総天然色から、墨絵の中へ飛行機は降りて行く。

田んぼは一枚一枚四角いはずだが雪が深いせいなのだろう。区切りは全く見えなくて家のあるところ以外は見事に真っ白だ。どこへ着陸してもOKですよ、と言うぐらいの広々とした雪原が広がっている。

無事着陸。新潟空港から車で1時間半強。三日ぶりに戻った会津の街は、出発前と全く同じ感じだった。劇的に雪が溶けたり、増えたりもしていない。当たり前だが、なんだかガッカリするような・・・。

不在の間に、一人の友人が市長選挙への出馬を断念し、もう一人の友人が心ひとつに会津再生!と、市民の大きな期待と責任を背負って立つという。

これで民主党系対自民党系のガチンコ勝負、または旧会津若松市内対合併後会津若松市(河東町)の戦いともなる。

でき得れば、色つきで明るい総天然色の未来図を描ける方に、大勝して欲しい。

2011年2月 4日 (金)

一番早いのは・・・

秋の宮島ではなくて、安芸の宮島だ。そこに居る。

冬なのに春の様。瀬戸内の海は穏やか、ナイトクルーズと称して夜の海を進み、あの宮島の大鳥居の下を船でくぐる、雪に閉ざされた会津からすれば『ふざけんじゃないわよ!』(どうして女言葉なのかわからないが)と、いった光景だ。

日本列島、北は大雪、真ん中は乾燥と八百長、南は噴火と鳥インフル、本当に様々だ。災いは一日も早く晴れて、この瀬戸の海のように穏やかに戻って欲しいものだ。

広島→会津、どのルートが一番早いか?実は新幹線で逆に博多に向かい福岡空港から新潟に戻るのが、運賃を省みなければ一番早い。

今日は新大阪→伊丹→新潟ルートで帰ります。待っててね(どなたかわかりませんが・・・)

2011年2月 3日 (木)

鬼が出た!

『福は―内、鬼はー外、鬼の目玉ぶっ潰せ!』と、朝っぱらから豆まきをした。今日は節分、毎年夕方帰ってから豆をまくのだが、午後から出張なので朝まいた。鬼もいきなりで驚いたことだろう。

暦の上では今日で冬は終わりだという、本当にそんな気分にさせられるような穏やかな陽射しが会津平に降り注いでいる。

相撲界にまた鬼が出た。八百長という言葉そのものが相撲の世界から生まれたと言われるように、物事の根は深い。

歌舞伎も相撲も日本の誇る伝統文化だ。長い長い歴史の中で培われ、生き残り、栄えてきた。陽の当たる舞台のある反面、月の裏側のようにダークサイドな部分も合わせ持っている。

そんなことをうっすらと知りながら、公然の秘密と感じながらも目をつむり、飯のタネにしてきた多くの関係者、マスコミ、その他も、そんなに立派な事は言えないのではなかろうか。

まるで節分の鬼の首でも取った様に大騒ぎ、何もかも暴こうとする姿勢には、ちょっと待って、と言いたくなる。

本当にこのまま、日本の国技である相撲界が目茶目茶になって消滅してしまってもそれで良いの?と聞いてみたい。

相撲は格闘技でもスポーツでもない。時に神事であり、娯楽であり、見世物であり、時に国技と誇れる真剣勝負の世界でもある、複雑系なのだ。

八百長、野球賭博、暴力事件、そんなものが良いわけはない。が、『ごっつあんです!』で来た世界がオセロのコマをひっくり返すようにいきなり真っ白に成れないことは、みんなうっすらと知っている。歴史を遡ったら大変なことになることも。

文科省も、警察や政府やマスコミや有識者のみなさんも、怒るのはいいが、日本の宝である相撲をどうやって守るかをきっちり考えながら、とっちめて欲しいと願う。

そして何もかもすべてを白日の下に晒すことはない。まわしがペロンと外れたら負けるように、国民だってそんなところまで見なくたっていいのだ、と私は思うけど・・・。

世界無二の素晴らしい日本の伝統文化を、ボロ雑巾のように取り扱うのは、あまりに自虐的に過ぎるのではないだろうか。

一相撲ファンとしては、おめえら何やってんだ!と怒りつつも、やっぱり頑張れ大相撲!と言いたい。

2011年2月 2日 (水)

生更木のはじめ

寒い二月を「着更着」(きさらぎ)と書けば重ね着する寒さの感じが出る。だが、予報では二月に入って、長く続いた寒さもようやく少し緩んでくるらしい。

「生更木」できさらぎと言う書き方もあるそうだ。こちらは寒さの中でも植物はしっかりと芽吹きの準備をして生き返るという感じ、前向きな明るさがあって良い。

会津は久しぶりの雲ひとつない快晴だ。雪が目に痛いほどまぶしい。朝方の車外気温は-5℃だったが、昼前には大分緩んでいる。この天気で各地で除雪も進むことだろう。

すでに除雪費用2億数千万円を使い切ったと先に報じられた。補正予算でまた何億円かを上乗せするということだが、こうした雪との格闘も春になれば跡形もない。3億円で保育所が一つ出来るというが、残念ながら雪は何も残さない。

そんな話を昨夜、肴にしていたら「とはいえ、何億円かのお金が使われたのは事実。雪は消えるが経済に与える影響はそれなりにある!」と言った人がいた。確かに。

流れる雪解け水にお金を捨てたわけではない。でも、これだけ重機が唸りを上げてもなにひとつ形には残らない。使う労力は途方もなく大きく、雪との闘いは、やはりちょっと空しさが残る。

幼稚園の入園試験で、雪が解けると何になりますか?と言う問いがあったそうだ。水になると答えるのは雪のない地方のこども、雪国のこどもたちは『春になる!』と答えたという。厳しい冬に耐えた分だけ、とびきりの春を願いたいものだ。

会津は今日より明日、明日より明後日と、暖かいそうだ。春はまだ遠いけれど・・・。

2011年2月 1日 (火)

真冬の帰り道

雪の夜はどこかに寄り道したくなるということは何度か書いた。これは私の友人の話、友人と言うか先輩のお話し。

ある会合があって、懇親会があった。いろんな人と言葉を交わし、いい具合にほろ酔い気分、さて帰ろう、と外に出るとしんしんと雪が降っていた。街中の音が吸いこまれるように静かな城下町・会津の雪夜だった。

家まで歩いて帰ろうと三之町辺りをむずると(曲がると)、ぽぉーっと見慣れぬ赤ちょうちんがあった。あれ?こんなところに新しい店ができたんだ・・・雪の中に灯る暖かそうな明かりにまるで引き込まれるように、寄り道をした。

小じんまりとした落ち着いた店、優しい笑顔の女将さんが迎えてくれた。熱燗一本のはずが女将との話も弾み、一本が二本、二本が三本と徳利が並ぶ・・・割烹着に和服、ちょいと屈んだ時の女将さんの腰付きが妙に艶っぽいじゃありませんか。

「ごちそうさん!」なにかを断ち切るようにして店を出た。いやー、少々飲み過ぎた。しかし、キンキンと冷える夜気が頬に心地良い。

やがて家が近づいたころ、街灯の下にきらりと光るものを見つけた。オッ、100円玉ラッキー!と思って見たらなんと500円玉だった。こりゃあ、いいや!と掴もうとするがツルツルで指に当たらない。なんとそれは氷の下で光っているのだ。

辺りはもう寝静まって誰もいない。こうなったらこれでしょう、とばかりに女性には絶対に出来ない方法で500円玉の取り出しにかかった。

寒さで縮こまったいち物を引っ張り出し、ジャッーッとやらかしたのだ。寄り道しただけに出るわ出るわ、ジャージャーとこれまた快感、よくぞ男子に生まれけり!という感激。みるみる氷は溶けて500円玉がチャリンと輝いた・・・とその時、ハッ!と我に返った。

見事に寝しょんべんをしていたそうである。

T先輩、盗作申し訳ございません。

わたしゃぁ、きっとその赤ちょうちんには『小料理 雪女』と書かれていたんじゃないかって、思うんですがねぇ・・・・。だって、あの辺には店らしきものはありませんぜ。

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