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2011年1月

2011年1月31日 (月)

もろ肌は脱がないで

寒い日が続く、日本海側は災害とも言えるような大雪に見舞われている。あれに比べれば会津若松市内の雪など大したことはないのに、大変だぁ、と感じるのだから、一体どれほどのご苦労か・・・心からお見舞い申し上げます。

この寒さの中、テレビをつけると突拍子もない恰好の女性が沢山出ていくる。真冬なのに真夏のような、半袖、ノースリーブ、足をニョキニョキ、もろ肌脱いで大笑いしている。

それもタレントならまだ分るが、局のアナウンサーや司会者がそんな恰好をしていると、馬鹿なじゃないの?と思ってしまう。

日本のような四季の国は、季節に合わせた服装を楽しめる。その季節に合わせるのがたしなみであり、粋と言うものだ。

雪に閉じ込められた地域の最大の楽しみはテレビだろう。その視聴者側の状況・心境に対して、あまりにも想像力に欠けた恰好はどうにも違和感を覚える。日々の雪かきに疲れ切った人々にどう映るかぐらい、想像してみてもいい。

訃報を花柄のドレスで伝える人はいないだろう。災害現場にミニスカートやハイヒールでチャラチャラ出かけたり、悲惨なニュースをセクシードレスで読んだりしたら批難轟々なはずだ。

そのもう少し延長上・・・いくらバラエティ番組だからって寒波大雪が伝えられる中、もろ肌脱いで大騒ぎなどしなくてもいい。当たり前の冬のファッションで楽しませてくれればいいのだ。スタジオが暑い、とかいうのとは別問題だ。

タレントの勝俣州和さんは半ズボンがトレードマークだが、先日見たらちゃんと長ズボンを履いていた。突っ込まれたら、寒いからね、とかわしていた。おそらくはそういうところまで気が回る人なのだろう。

大寒の頃にもろ肌は脱がなくていい。痩せた貧弱な腕を見ると一層寒そうなだけだ。

どんなに寒くても裸が許されるのは、力士と石ちゃんだけなのだ。

2011年1月30日 (日)

褒められたこと

『褒めて育てる』という言葉がある。怒られ鍛えられるのも大事だが、褒められる事は大きく背中を押してくれる。あの時褒められた事で今の自分がある、と言うのはよく聞く話だ。

別に褒めたわけでもないのだが、聞いた方はすごく褒められたように感じることもある。

私には父方のいとこが大勢いて小さな頃から割と仲がいい。その中で一番年長のいとこは残念ながらもう鬼籍に入ってしまった。私より9歳か8歳上だった。同じ会津にいて年長の兄の様な存在だった。

その彼とのエピソード。

私が中学の3年の時、なぜか家に来ていた彼に父は言った。

「こいつはちっとも勉強もしないでダメなんだ。ちょっと家庭教師でもやって教えてくれ。会津高校にも入れるかどうか・・・」

そしたらいとこは、私のノートか何かをパラパラと見てこんなことを言ったである。

「んー、おじちゃん、大丈夫だよ。こいつの字は下手だけどモノを沢山書いている字だ。頭のいい奴の字だから、心配いらない」

おそらく、なんの根拠もなかっただろうし、父を安心させようと思いつきで軽く言ったに違いない。だが、言われた私は、なるほど!と、ものすごく納得し、舞い上がってしまった。

本を読んだり、時に詩の様なものをかいたり、サインの練習をしたり(誰でも経験があると思うが)そんなことばっかりしていた受験生は、大した努力もしていないのに全く根拠のない自信を持ってしまったのである。

私の字はモノを書いている奴の字、頭のいい奴の字なのだ、きっと大丈夫だと。

そして・・・そのことを、なんと、今もこうして明確に覚えているのだから、あの褒め言葉(?)は、その後の人生に少なからず影響を及ぼし続けてきたに違いないのだ。

いとこは残念なんがら若くしてこの世を去った。それも脳幹出血を起こし突然に。彼は遠い日に、私に向かってそんなことを言ったことは露ほども覚えてもいなかったに違いない。が、おそらく、私を励ましたり元気づけようとする、兄の様な優しい気持ちがベースにあったことは間違いない。

何気なく口にした一言が誰かの人生に大きな力を与える、そんなことは確かにある。

2011年1月29日 (土)

風が吹けば世界が滅ぶ?

風が吹けば桶屋が儲かる、と言う諺がある。一見関係のないようなことが思わぬ結果を引き起こす、物事は様々な因果関係でつながっていて、一陣の風が、結局はネズミがガリガリと桶をかじるような事態を引き起こすというたとえだ。

フェイスブックというお友達を増やそう、みたいなソフトを開発した人は、まさかそれで革命が起こるとは夢にも思わなかっただろう。

北アフリカのチュニジアという国が独裁政権であって、その政権が民衆の蜂起でアッと言う間にひっくり返ったというニュース、それの引き金がフェイスブックだと聞いて、へえー、としか言葉が出てこなかった。

それが今度はエジプトだという。エジプトはイスラム社会と自由主義社会のつなぎ役のような重要な国のはずだ。その政権がいきなり倒れてしまったらどうなるのだろう。世界の地図が塗り変わる可能性さえあるのではないだろうか?

世界中の政治評論家や経済評論家、軍事評論家が寄ってたかっても、ジャスミン革命と言われる北アフリカの政変から、こんな世界的な危機が起こるとは全く予想できなかったに違いない。それもSNSという人と人をつなぐインターネットの世界を引き金にして起こるとは・・・。

地球上には様々な人、もの、文化、自然、がモザイクのように絶妙なバランスで配置されている。そのモザイク模様が人の付いていける速さで変化している内は何とかなる。

しかし、あまりにも急激に変化すればハルマゲドン、人類滅亡などと言う話も決してSF物語とはいえない。

今回の出来事で人類の終末時計は一体何分進んだのだろう?儲かった桶屋は居るのだろうか?

国を越え、人種を越え、法律を、宗教を超えてつながってしまうインターネット。実はインターネットそのものが人類が開けてはいけないパンドラの箱だったのかもしれない。

もう、開けちゃいましたけれど・・・。

週末寒波の予報の中、今のところ土曜の会津は穏やかだ。ただし、朝は氷点下7、8度、南会津ではかるく-10℃以下までは冷えた。

2011年1月28日 (金)

酔っ払いと雪道2

先に酔っぱらってツルツルの雪道を歩くのは危険極まりない、と書いたが、酔っぱらって雪道を歩いてはいけないわけではない。

むしろ酔っ払って寒い寒い夜の街を徘徊するのは、あな可笑し、だ。

キュッキュッと雪が鳴くような寒さの中を歩くと無性に飲みに行きたくなる。(その気持ちが全く理解できないと家人は言うけれど、きっと女性には分るまい)

コートの襟を立て、パウダーのように細かな雪の落ちる街を彷徨う。街灯の光の中で雪が舞い踊っている。街は白い雪の夜、ネオンも、赤ちょうちんもみんな暖かそうに輝いている。

凍てつく空気の中で気分はだんだん、健さんチックになって来る。一度も入ったことのない場末の赤ちょうちん、そんな店の暖簾を無性にくぐりたくなるのだ。

ちあきなおみさんに似た(倍賞千恵子さんでもいい)女将がいて「あら、いらっしゃい、一人?」なんて聞く。「ああ、寒いね。一本つけてくれ」なんて言いながらコートを脱ぐ。他には客もいない、八代亜紀の「舟歌」がかかっている。

・・・ま、そんなことにはならないのだが、まっすぐ家に帰りたくなくなるのは私だけだろうか?

一杯飲んだ雪の街(吹雪はいけない)、一刻も早く家に帰りたくなる人と、もう一軒行きたくなる人の割合は?何の役にも立たないが聞いてみたい。

冬の城下町・会津若松。鐘つき堂址の石垣が街のど真ん中に残る。周囲はどっちを向いてもみんな飲み屋さんだ。

粉雪に誘われて右に行くも良し、左に行くのもまた一興。素敵な雪女に会えるかもしれない。化かされるかもしれない。

酔っ払いと雪道はいろいろな意味で危険が一杯なわけだ・・・だけど、なんだか素直には帰りたくない、、、帰れない。

2011年1月27日 (木)

365

このブログ、今日で365回目となる。丸一年間書き続けたことになる。

駄文を一体どのぐらい書き続けられるものだろうと思って始めたわけだが、一応、書くことは書けた。

一年間も書き続けたら何かが大きく変わるのではないだろうか、と思ったりしたが特に大きな変化はない。気の抜けるほどにない。

会津の事を書き続けて、会津の良さを伝えられたら・・・などと、明確ではないにしても漠然とした目当てのようなものを立てたが、それは難しかった。

会津のことだけ書くというのではネタも、熱も続かなかった。

結局はブログの名の通り、日々あったことやつぶやき、ぼやきみたいなものが続く事になった。

この一年間は、思えば激動だったかもしれない。寒い春、W杯、戦後最高の猛暑、民主党政権のゴタゴタ、大雪などなど。かなりいろいろなことがあった一年ではなかっただろうか。

それだけにネタ探しの点では大いに助かった。

写真を一枚も使わないと最初から決めたのは、写真まで入れたのではとても続かないし、写真のウェイトの方が大きくなったり、写真に助けられたりしたのではつまらないと思ったからだ。

ひとつだけ守ったのは、すべての日の文章に「会津」の文字がどんな形であれ一回は入っているということだけだ。

書き始めて100回目ぐらいで検索エンジンに乗るようになった。200回ぐらい続けるとグーグルでもヤフーでもタイトル「会津に会いたい」と入れるとトップに出るようになった。そうなると、ごくたまにだが通りすがりと言う人も現れた。

本日までの累計アクセス数13583。多いのか少ないのか、どのような数字なのかは判断出来ない。

あっと言う間の一年だった気がする。

今のところ特に大きな感慨はない。

2011年1月26日 (水)

酔っ払いと雪道

転ぶと急にテンションが下がる。先週の土曜の夜、久しぶりに転んだ。二次会の夜の街、シャッターの降りた一角の除雪の行き届いていない細い道、ツルツル凸凹でこれは危ないな、と充分に用心していてスッテンと転んだ。

用心していたので片膝をついた位だったが、「ワーォッ!」と叫ぶと「たまげる=魂消る」ではないが、元気も抜けるような気がする。「もう一軒いくぞー!」の勢いが半減、カウンターに座ったらなんだかしょぼんとしてしまった。

昨晩、同じ場所を「禁煙挫折王」の誉れ高いSくんと歩いた。私は危ないので車道を堂々と歩くことにした。「ボクはスキー部だったからね、大丈夫なんですよー、ワォッーツ!」と、Sくんは解説付きで転んだ。

大笑いしてごまかしたが、ちょっと自慢が入っていただけにSくんもかなりテンションが下がった。本当は痛かったのだろう。

大寒の候、の会津。飲み歩く際は転倒には充分注意しなくてはならない。みんなが危ないな、と注意して歩く道は出来れば通らない方が正解だ。多少、ブー、ブーとクラクションを鳴らされても車道を歩いた方がまだ安全だ。

というのは、みんなが恐る恐る歩くと結局は靴底で氷を磨いているようなもので、ツルツルが輪をかけてツルツルになってしまうのだ。氷となった凸凹道はどんなに注意しても、私やSくんのように転んでしまう。

雪道の転倒骨折は多い。骨折ぐらいならまだいいが頭を打って脳挫傷なんてことになったら、それこそ命にもかかわる。

ポケット手、は禁物。ちゃんと手袋をして、転倒に備えて多少手を開き気味に、ちょうどヒゲダンス的な感じで歩くのが一番安全なのだ。

カッコ悪いから黙っているが、土曜に転んだ右膝が実はまだ痛い。湿布で治れば良いのだが・・・。

酔っ払いのみなさん、雪道歩行には充分にご注意あれ!素面でもまたしかり。

2011年1月25日 (火)

隠れた経済資源

「単身赴任」・・・したことのない人間にとっては何となく憧れる言葉だ。一人で自由気ままに過ごせて、いちいちどこに行くかなど言い訳しなくていい。そして時には・・・などと妄想も膨らむ。

このところ仕事の関係で、数人の単身赴任のオジサン達と話す機会が多い。時には一杯付き合ったりすることもある。

が、聞いてみるとなかなか大変だ。なんと言っても飯だ。朝昼は適当に食べるが、問題は夜だ。いい年して自炊もするにはするが、おっくうで仕方がないらしい。当たり前だ。私には無理だ。

おまけに酒好きともなれば、どうしても一杯行くか!ということになってしまう。晩飯代わりに居酒屋を渡り歩く、酒場放浪記だ。会津に来て1年ぐらいなのに、こと居酒屋に関しては地元民よりはるかに詳しかったりする。

この経費を食費とみるか、遊興費と見るかは難しいところだ。毎晩280円の牛丼一杯で過ごせばひと月1万円以内で済むが、3、4千円の居酒屋で、たとえ梯子なしで済ませても10万円ぐらいはかかってしまう。

そんなに飲み食いしたら何のために働いているのか分らなくなってしまいそうだが、かと言ってこれだけ豊かな世の中で、赤ちょうちんの縄暖簾をくぐるな、というのも酷な話だ。

当番を決めてオジサンたちの部屋を渡り歩いたら?と言ってみるが、それもきっとすぐに厭きるだろうし、外だから和む場も、ちっとも和まなくなるに違いない。

結局、改善策などはなく、せいぜい飲み歩いてもらうのが一番良いという話しになった。

外貨を落としてで会津に貢献していることになる。もっと羽目をはずして、ヘロヘロになれば片やホクホクになる人も居ようというもの、大きな地域貢献だ。

街には会津美人も多い。人が心に思うことは何人も止められないし、自分のことを棚に上げて思うだけならタダだしご自由!どんどん入れ込んでもらっていい。

こうして考えてみれば単身赴任者は会津の隠れた経済資源とも言えよう。

会津の人は単身赴任者に感謝をしなければならない、もっともっと温かく接して、財布のひもを緩めてもらわなくてはならないということである。

2011年1月24日 (月)

黒いMくん

京都の友人Mくんは、いつも黒ずくめだ。お洒落でいつも良質な服を着ているのだが黒しか着ない。頭の先から足元までみんな黒だ。

大分前に酔っぱらって「歳をとっていつもいつもそんな地味な服ばっかり着てるから、ますます老けて見えるんだ。辛気臭いし、貧乏くさい、たまには派手なの着ろ!」と言ったことがあった。(その時は半分本気で半分は酒の勢いだった、申し訳ない)

以来、Mくんはそのことをかなり気にしていたらしい。一昨年、久しぶりに京都で飲んだ時にMくんはこんなことを言った。

「いや、君が黒ばっかり着るんじゃないというから、この夏は爽やかに清潔感を出して白いシャツを着るようにしたんだが、これが痛く評判が悪いんだよ。仕事先でも、飲みに行っても誰も褒めてくれない。第一、飲み屋のお姉ちゃんが、素敵ね、とも言わないんだからよっぽどだろう。僕らしくないってみんな言うんだ」

確かに、目の前でビアジョッキを傾けるMくんは、高級そうな白いシャツを着ていたがあまり似合わない。ひとつ外した胸のボタンがセクシーなのか、だらしないなのかよく分らない。

黒で見慣れたMくんが白でいると上着を忘れたようにしか見えない。清潔感と貧相は実は紙一重なんだ、ということに気付かされた思いがした。

でも言った手前「そうかなぁ・・・」とごまかしていたが、結局、酔っぱらったら「やっぱり似合わねえなぁ」と、また好き勝手なことを言ってしまった。

昨年暮れ、Mくんと久しぶりに会津で飲んだ。Mくんはまた見事に上から下まで黒ずくめに戻っていた。ムカつくことに、髪の毛まで染めてもいないのに真っ黒なのだ。

黒を着たMくんは何となく落ち着いて見える。そして、我々はもう、老けて見えるのではなくて実際に老けているのだからそれでいいのだ!というところに話も落ち着いたのであった。

2011年1月23日 (日)

肘に穴があかないぐらい

息子は、よく姉や家人に「同じ服ばっかり着て、気に入るとそればっかりなんだから・・・」と言われている。ファッションに無関心なわけでもないだろうが、今時の若者らしく日々七変化ではない。

私は黙って聞いている。実は自分にも心当たりがあるからだ。小学生の頃、気に入った服があるとそればっかり着ていて、同じようなことを言われたことがある。

もっともモノの溢れた時代ではないので、みんなそうだったと言われればそれまでだが、気に入ったものばっかり着て学校に行った。

緑色のVネックセーター、グレーのジップアップのカーディガン、毎日着ているからすぐに肘に穴が空いてしまった。それが悲しかったのでセーター類ばかりよく覚えているのだ。

母は、お洒落だと言って皮の肘当てを付けてくれたりしたが、子ども心にはロバ君のつぎ当てみたいで恥ずかしくて嫌だった。あのころの毛糸は弱かったのか、好きな服はみんなすぐに肘に穴が開いた気がする。

・・・『いくら栄養があるからって嫌いなものを無理してまで食べることはありません』

これも昔だが、聞いたことがある。病的な偏食でない限り、嫌いなものを無理に食べても却ってストレス!好きなものを食べていれば充分、と聞いて以来、嫌いなものは食べないし、こども達にも身体に良いから食べろ、とも言わない。

好きなものを食べて、好きな服を着て、好きなことだけをする・・・世の中そんなお気楽に行かないことは重々分かってはいる。が、あんまり嫌いな事をしないことも大事だと思う。

晩年、とまではいかないが、もうすでに人生の半分を折り返したことは確実だ。これから先は出来るだけ好きな方を歩かないと後悔にもつながるだろう。

人生訓にはよく『道が二つに分かれていたらより困難な方を選べ!』などと書かれているが、正しくはたとえ困難でも好きな方を選べ!だろう。若くない時の苦労は買ってまではしなくてもいい。

ただし、好きなことばっかりしているとお気に入りのセーターみたいに肘に穴があいたりするから気を付けなくてはならない、ということだ。

サウナで聞いた話し。三島、金山など奥会津地方は土曜から更に1メートルほど降ってすごいことになっているらしい。ビニールハウスも一杯つぶれているらしい。こりゃ大変、嫌いでも雪かたしだけはしなくてはならない。

まさに寒中お見舞い申し上げます、だ。

2011年1月22日 (土)

真夏日のこと

明け方、びっしょりの汗で目が覚めた。あわててクーラーを入れた。リモコンの室内温度表示がもう29度にもなっている。

昨夜は長めに3時間ほどで切れるようにクーラーをつけて寝たが、結局、熱帯夜だったようだ。

クーラーは涼しいが、あんまり当たるとなんだかぐったりしてしまう。そもそもクーラーの位置が悪いんだよなぁ、私のベッドの真上にあって、風がもろに当たりすぎるんだ。でも、無かったらもうすでに死んで居るかもしれない。

一体これで何日、真夏日が続いているのだろう。今日だって真夏日は間違いない。TVでは最高気温は38度とか言っている。

昨日は久しぶりに会津で唯一のビヤガーデンにみんなで行った。あれだけ暑いとビールは確かにうまい、うまいが、飲んでも飲んでも屋外のビアガーデンでは暑くてたまらず、早々にクーラーのある店に河岸を変えた。

昨今はクールビズが浸透してきて、ノーネクタイでなんの抵抗もなくなったが、こう暑いとTシャツ、短パンぐらいじゃないととてもやりきれない。シャツの襟が暑苦しい。

冷やし中華、ソーメン、ひえひえ麺、そんなのを昼飯にローテーションで食べている。

こう暑いとゴルフに行く気にもならない。第一、危険だ。じりじり照りつけているフェアウェイ上は40度をゆうに越えるだろう。

・・・・わずか、6か月前は本当にこんな感じだったんだよなぁ。今じゃ、雪に埋もれてゴルフクラブを握る気にもならない。あんまり続く寒さにむかついたので暑い日の事を書いてみた。

日本の四季(会津の四季)はあまりにも色鮮やかに移りゆく。こんなはっきりとした季節の変化の中で、私はいろいろなことを想い、考え、悩み、喜び、笑い、生きている。

2011年1月21日 (金)

餡は会津を救う

先日酒場で餡子屋のSくんと会った。久しぶりに会ったが、相変わらずおデブで陽気な酔っ払いぶりだった。

餡子はどうだ?と聞くと、まぁまぁだという。餡子屋さんというのは餡子を専門に作っていてお菓子屋さんなどに卸している。まんじゅうなどの餡を自家製で作っているところは実は少なく、餡子屋に自店の味になるように注文を付けて納入してもらっている。

また、スパーなどで餡子そのものを販売している。お正月のあんこ餅やおしるこを作ったりする時に使う、こし餡とかつぶ餡だ。

餡子というのはいろいろなお菓子に使われている。餡子なくしてお菓子の世界を語ることは出来ないだろう。餡のうまさは、お菓子の上手さそのものと言っても良い。

餡子を使った名産品、土産物も数限りなくあるから、地域の菓子のレベルを餡子が握っている、と言っても大袈裟ではない。

Sくんがまだ若い時に「餡子は重要だ。餡子によって地域おこしも出来る、餡は会津を救うんだ!」と半分酔っぱらって活を入れたのを彼は覚えていて、私のことを今も「あんちゃ、あんちゃ」と呼ぶ。(餡ちゃではなく兄ちゃの意味だ)

確かに酔っぱらっては居たが適当な事を言ったわけではない。

ナントカまんじゅう、ナントカようかん、ナントカ餅、和菓子、洋菓子も餡は重要な決め手だ。

ものの中身を「あんこ」というように、餡子がないとものにならない。餡子がバカうまだと評判にもなるだろう、人気も出るだろう。とにかく日本人は餡子が大好きだから餡の力は大きい。

「よーし、俺のおごりだ、一杯飲って頑張れ!」と釣りを置いて店を出た。出てから勘定より釣りの方が多かったのでちょっと後悔した。(せこい!)

翌日、駅前のスーパーの棚にSくんの餡子を見つけて早速買って、ハーゲンダッツのアイスクリームにつけて食べた。和洋折衷だが見事に美味い。

やっぱり餡子の可能性は無限大だ。餡が会津を救う日が本当に来るかもしれない。

2011年1月20日 (木)

古典に学ぶ

NHKでは冬将軍と春ちゃんが出たり入ったりして天気予報を伝えていたが、このところ春ちゃんはずっとどこかに行ったままで、冬将軍が一人、ますますデカイ顔をしている。

今日も会津は雪がちらつき、週間予報もずっと雪マークだ。こんな雪の中で「会津絵ろうそく祭り」が行われたらさぞやきれいだろうと思う。今年は2月の11日、12日だ。

ひねくれたことを言うようだが、案外その頃になったら暖かくなってイマイチだったりして・・・。お天気というのは時に本当に皮肉なものだ。

会津若松市も以前は2月に雪まつりをやっていたのだが、温暖化の影響で雨が降ったり、雪がさっぱりだったりが何度も続き、とうとうギブアップしてやめてしまった経緯がある。

その点、今年の冬は古典的な会津の冬だ。例年は気温のアップダウンが激しいが、今年は違う。低値安定、これが我々がこどもの頃に過ごした「会津の冬」の姿なのだ。

もう温暖化になって久しいので「本来の・・・」という言い方が当たってるかどうかは分らないが、これが昔の姿であることは間違いない。

気温がほとんど上がらず、毎日少しづつ新雪がかぶさる。徐々に徐々に雪が増えていく。

温暖化の冬だと3、4日も寒いと、ポーンと気温が上がって春ちゃんが数日顔を見せる。その時に一気に雪が溶けて、また少し降る。それを繰り返すのだが今年はそれがない。冬将軍一人旅だ。

会津のこども達よ、ぜひともこの冬を記憶にとどめて欲しい。

お父さんやお母さんはこの寒さの中、雪の中を大いにこども達を連れまわして欲しい。スキーでもそり遊びでも、雪まつりのイベントでも、雪見列車でもなんでもかまわない。

真っ白な雪が積もり、お城のお堀が凍りつき、街中の道路が一日中真っ白に凍っている。磐梯山の白さ、猪苗代のしぶき氷、山のような雪かたし、降り積もった新雪に飛び込む楽しさ、氷柱の重さetc.

そんな古典的な会津の冬を心に焼き付けることは大事な気がする。温暖化の、うすらとぼけたような会津の冬ばかりを過ごすのとは、どこかが違うのではないだろうか。

こども達よ、この古典的な会津の冬を味わって、楽しんで、全身で感じるがいい!

そしてやがて来る春を愛しいと思う人になって欲しい。

2011年1月19日 (水)

魂のついてこられる速さで

スポーツ選手がインタビューを受ける時は、必ずスポンサーの名前が一杯入ったコマーシャルボードの前に立つ。企業の宣伝になるからだ。

何時だったか信州の方で山の遭難事故があった時に、助け出された人が泣きながらインタビューを受けていた。その後ろに収容された病院の名前の入ったコマーシャルボードが立てられていて驚いたことがある。

遭難事故にかこつけて病院の宣伝をするなんて、なんとさもしく、下品なんだ!と私は感じたのだが、「あれは大したもんだ、ニュースで全国に流れるんだから頭がいい。考えた人はすごい!」と感心している人がいたので、さらに驚いた。

ことほど左様に、人の感じ方というの様々である。何が正しく正解か、などと安易には言えない。

ところで、会津若松市の市長選挙、昨日、話題のS氏が健康上の理由から出馬断念と報じられた。すると、待ってましたとばかりに態度を明らかにしていなかった人たちのヤル気が伝えられる。

これってどうなんだろうと感じるのは私だけだろうか?

選挙は勝たなければ意味がないのはよく分かるけれども、勝つから出るのではなくて、会津若松のためにこうしたいから出る、というのがまずは基本だろう。だとするなら、後出しジャンケンのようにコロコロ変わるのは、あまり恰好のいいものではない。

もちろん正論はあるだろう。物事にはどうにでも理屈が付けられることは、毎日の政治ニュースを見ていても良く分かる。

しかし、真に矜持たりうるか?だ。そういうこだわりを持つ方が、いくら頑固とは言われてもまっとうに思える。

「サムライシティ」の商標を取ったと喜ぶよりも、本当に「サムライシティ」足りうるかを考えることの方が先だということ。会津若松市はそういう街であって欲しいと願っている。

そんな志の高い人に、ぜひ会津若松市をリードして欲しいと祈る。

最近読んだ記事に、こんな一節があった。

『いくら時代の動きが早いからと言って、そんなに早く走ったらあなたの魂が、あなたについてこられなくなる』

スピードが必要だからと言って、魂を置き忘れてまで、いろいろな物事に対処してみても仕方がないということだ。

2011年1月18日 (火)

自分で言ったらお終いよ!

自分が歳だ、と思ったのは何時のことか?

いろいろご意見はあると思うが、私が最初に自分もいい大人なんだと感じたのは、相撲取りがみんな自分より年下になっていると気付いた時だ。

お相撲さんはみんな立派なおじさんだと、こどもは達は思っている。その延長でお相撲さんが自分より年下という感じはあまりしない。白鵬のあの堂々とした落ち着きぶり、若干25歳とは、とても思えない。

魁皇なんかおじさんの星みたいに言われているがまだまだ38歳だ。あの、一生懸命な取り組みを見ていると、なんだか同級生ぐらいの仲間意識を持ってしまうのだが、魁皇だって、それはないよ、と怒るだろう。

ついで、芸能人やスポーツ選手がどんどん年下になって行く。シニアの選手が年下だったりする。役者の老け役だって意外に若い。水戸黄門に出てくる悪代官が年下になったら、かなりのものだ。

極めつけは、サザエさんのお父さん、磯野波平氏(54歳)を追い越した時だ。これでもう、絶対に「若い」とは言えないな、と観念的には納得した。

いわゆるアラ還という世代だ。確かにもう歳には違いない。

が、だからといって年寄りか?と訊かれると、それは違う!と私も含め友人たちもきっと言うだろう。まだ、年寄りとまでは言えないと自分では思っている。

一体、どこからが年寄りなのだろうか?

個体差があるので人それぞれだろうが、ひとつの基準としては、自分で自分のことを年寄りです、となんの抵抗もなく言ったその時から、その人は年寄りになるのではないだろうか?

年寄り!とからかわれる友人は多くいるが、自分から素直に年寄ですという友人はまだ居ない(と思う)。自分で言っちゃぁ、お終いよ!の世界なのだ。

「おじさんだけど年寄りではない!」と、まだみんな思っているに違いない。これをいつまでキープできるかが問題なのだ。なんとか、あと10年は頑張りたいと思うが・・・。

きっと魁皇は、もうすぐ違う意味の「年寄り」になるのだろうなぁ。

会津は今日もあまり緩まず、低温続きで街なかの雪もさっぱり消えない。

2011年1月17日 (月)

んめぇもの・お店「さかい」

本当に久しぶりの「んめぇもの」、新しいお店を昨年暮れに見つけた。

新しいと言っても、全くの新店ではなくて移転新築と言えばいいのだろうか。会津若松市役所の東側に「懐石・さかい」という店があった。個室で高級な感じではあったが、なんだか洞穴のような黒い部屋で、どうも苦手で一度行ったきりで敬遠していた。

その「さかい」が市内の繁華街から少しだけ離れた博労町にぽつんと再オープンした。

小綺麗なのれんが掛った落ち着いた店構え、通るたびに気になっていたので暮れに、大事なお客様と行ってみることにした。

隠れ家的なお店、というのはよく使われる言葉だが、この「さかい」はまさにそんな雰囲気だ。通りに面していて便利なのだが周りに飲食店はない。周囲は普通の住宅地だ。

店は2階建て、四部屋ほどあるそうだが、各部屋にはトイレも付いており客と客はほとんど顔を合わせることがない。そんな作りも隠れ家的だが、内装は以前とは違って明るく天井も高い、好印象。二階では20名ほどの宴会も出来るという。

入ったのは入口の東側の部屋。10畳ほどの部屋に大きなテーブル、足が下せる掘りごたつタイプだ。足元にはほんのりヒーターが入っていて暖かい。窓からは雪をかぶった中庭が見える。

女性の給仕も丁寧、料理は一品ずつだ。手の込んだ料理が続いたが、もっとも印象に残ったはアンコウ鍋。一人ひとりにたっぷりの深手の鍋が来た。肝をすり下ろした濃厚なスープに具材はそれほど多くなく、鍋というよりアンコウスープ的な鍋、日本酒にジャストミート、左党にはたまらない。忘れ難い味だ。

雪降る山国・会津でもこんなにおいしいアンコウが食べられるのか、と一同4人、一滴も残さずに頂いた。

店のつくり、味、共に納得の「さかい」。これならばこれからも季節に合わせた旬の料理が堪能できるに違いない。

とりあえず、次は春!春よ来い、早く来いだ。

2011年1月16日 (日)

大当たりの風景

雲が割れて陽が差して来た。みるみる真っ青な青空が広がる。山々の木々に真っ白な雪が降り積もっている。

透明感のある青、まぶしいほど真っ白な雪と木々の黒、絶妙のコントラスト、どこを切り取っても一幅の絵だ。

見渡す山々からふわーっ、ふわーっと白い煙が立ち上る。煙のように見えるのは風によって木から振り落とされた粉雪が煙のように舞っているのだ。珍しい光景だ。粉雪が降り、厳しく冷え込んだ上に、晴れて風がないと見ることのできない美しさだ。

雪はどこまでも白い。圧倒的な白、真っ白な雪が描き出す風景は、貧困な語彙では「美しい」としか言いようがない。

センター試験の両日、会津は厳しい寒さの中だ。

センター試験の頃はいつも冷え込むように思う。娘を会津大学に送りに行った時も、息子を迎えに行った時も道路はテカテカに凍っていた。そうじゃない年もあったのだろうが、自分に関係した年の記憶がすべてのように思えてしまう。

幸いなことに今年のセンター試験は厳しい冷え込みだったものの大混乱にはならなかったようだ。

昼前に一時、青空が覗いた空もすぐにまた雪雲に覆われた。細かくパウダーの様な雪が舞っている。

お城の前で雪の中を歩く観光客の姿を見た。雪の中ではしゃぎまわっていた。

これだけ見事に美しい会津の冬は地元に暮らしていてもめったに見られるものではない。寒くて冷たいけれど、この風景、間違いなく大当たりと言っていいだろう。

2011年1月15日 (土)

火に祈ること

燃えさかる火はいい。見ているだけで心が落ち着く、そしてすごく暖かい。昨日の夜の6時に会津若松市滝沢地区の「歳の神」は点火された。

わずか2、30人の静かな歳の神だ。実は我が家とは区が違うのだが毎年訪れ、お札、風車、起き上がり小法師などを燃やしてもらっているのだ。

気温がどんどん下がって、粉雪の中で火は燃え上がった。

時折、やぐらのように組んだ青竹が、パパーンと爆ぜる。この地区の区長さんは同級生のAくん、歳の神を取り仕切っていた。知己をいいことに図々しくお神酒までご馳走になり。スルメまで頂いた。

燃え盛る火が、囲む人々の顔を浮き上がらせている。誰もが皆、にこにことオレンジ色に染まっている。

煙を見つけて周りから縁起物を持った人が次々とやって来る。クルマで来ては、火に紙袋を投げ込んで早々に帰って行く人もいる。

地区の人たちは手に手に餅やスルメを焼く道具を持っている。棒の先に網を吊るした簡単なもの、みんな手作りだ。この火で焼いた餅やスルメを食べると一年間健康に暮らせるという。

「ほら、その火がボウボウのところでなくて、藁が熾きになった辺りでゆっくり焼くといいんだがら・・・火のとこだど燻って臭ぐなっちまうから・・・」と、御姑さんが若嫁に優しく教えている。

昔は、男たちは決まって歳の神の火でタバコをつけて吸ったものだ。タバコをブカブカ吸って一年間健康に過ごせる、と言ってもおかしくない時代だった。『今日も元気だタバコがうまい!』なんてコマーシャルの文句もあったっけ。

今は見渡してみても、タバコを吸っている人はあまりいない。

それにしても火の暖かさは格別だ。遠赤外線で気持ちがいい。茶碗の冷や酒がキンと冷えて、これまたうまい!火を見ているだけで30分位はあっと言う間に経ってしまう。(お代わり一回あり)

無病息災、家内安全、商売繁盛、交通安全・・・あんまり欲張ると効き目も薄れる。

ま、大きなことは望まないのでせめて普通に過ぎて欲しい・・・庶民の願いもそんな風にささやかにならざるを得ないような、第二次菅改造内閣の顔ぶれがこの日、発表された。

2011年1月14日 (金)

A級の夢

今、流行りのB級グルメの話し。

B級グルメで町おこしという取り組みが全国各地で盛んだ。誰もが気軽に食べられる値段のB級グルメ、全国のグランプリともなるとその反響たるや凄まじいものがある。

「甲府の鳥モツ煮」「八戸のせんべい汁」「佐世保バーガー」「厚木のシロコロホルモン」など全国区に躍り出た名物も数多い。5、6百円の名物を何万円もの交通費をかけて食べに行く世の中だから、地域に与える経済効果もあなどれない。全国各地で、二番煎じ、三番煎じを狙っている。

会津のB級グルメと言えば「喜多方ラーメン」が上げられるが、これはもうすでに全国区なので例外としていいだろう。次を狙っているのが「ソースかつ丼」だ。中之島の「煮込みソースかつ丼」を中心にソースかつ丼の会なるものを作ってPRに努めている。

先日、1月10日の十日市の折に、野口英世青春広場で「会津B級グルメ対決・冬の陣」というイベントが行われた。会津地方の各地から、我こそはB級グルメと名乗りを上げた新しい逸品が集った。

昼前には私も行ってはみたが大変な人出、どのテントも大行列で食べるのをあきらめた。B級グルメの人気はもの凄い。

出店していたのは「会津カレー焼きそば」(若松市)、「ばんげ旨カレー(馬肉)」(坂下町)、「西会津味噌ラーメン」(西会津町)、「只見マトンケバブ」(只見町)、「塩川鳥モツ」(塩川町)、「美里ホルモン」(美里町)、「喜多方ラーメン」(喜多方市)と言ったところ。

中でも最近売り出し中で、勢いがあったのが「カレー焼きそば」だ。50歳までぐらいの人ならだれもが高校時代に一度は行ったことがある「トミーフード」の名物メニューの復刻版だ。

先晩、十日市では食べられなかったので、「会津カレー焼きそば」の会の会長さんのお店、「寿楽」という居酒屋に寄って食してきた。

ゆでめんで作る素朴なソース焼きそばにカレーをかけたその味、私の年代だとトミーフードというよりも「印度カレー」という店を思い出す味だった。絶品!とまではいかないが、なかなか旨いし、ユニークだ。

こうした新規参入のB級グルメは、発展途上と言って良い。日々、創意工夫を重ねて、試行錯誤を繰り返し、一番おいしいところに辿りつく。そしていざ勝負!というわけだ。

面白いから、ユニークだから、だけでは勝ち残ることは出来ない。最後は記憶に残る味の力がものを言う。

B級グルメで目指すまちおこし、描く夢はそう、ぜひともA級で頑張って欲しい!

2011年1月13日 (木)

たまげんでねぇ!

こんなに寒い日が続いているのに、15日から17日にかけてもっと凄い寒波が来ると気象庁が注意を呼び掛けている。凄いことにならないといいのだが・・・。

こういう時、元気なオジサンは「なぁに、雪国会津だもの、たまげでられっかま!」(驚いてられるか!)と、言い放つ。

『なんだ、これしきのことでビビってるんじゃねぇぞ』と、半分自分に気合を入れる意味も込めて「たまげでられっか!」「たまげでんな!」を連発する。

スポーツの試合の時も「たまげでんなよ」、スキーの急斜面ででビビっている時も「たまげでんでねぇで」、麻雀で勝負する時も「たまげでられっかま」、一気飲みだ!なんて時も「たまげねで、行けー」と気合を入れる。

たまげる、は「魂消る」と辞書にある。単に驚くだけじゃなくて肝を潰され、魂が消えてしまうのだ。これはちょっとやそっとでは立ち直れない衝撃だ。

男子たるもの、些細なことで魂まで消し去られてはいけない。容易なことでは肝を潰さぬ胆力を日ごろから養わなければならない。そんな会津武士の歴史と伝統を受けて、会津のオジサン達は「たまげでんでねぇーぞ!」を連発するのだ・・・と言えば大袈裟に過ぎるか。

「たまげでんでねぇぞ!」と言いながら、実は一番たまげてるのが自分だったりするのはよくある話し。そんな時「別に私はたまげてませんけど・・・」などと言えばカドが立つ、こういう場合はにっこり笑って「はい」と答えるのが礼儀というものだ。

「たまげでんでねーぞ!」とは言われても、一晩で1メートル以上もの雪が積もればやっぱりたまげる。わずかひと月の間に2度目のたまげるは、ご勘弁願いたいものだ。

本日の会津は真冬日、快晴。会津のスキー場はどこも雪がキュッキュッと鳴る最高のコンディションと思われる。

2011年1月12日 (水)

あっちのをこっちに、こっちのをあっちへ

会津東山温泉と中心市街地を結ぶ道路、高瀬東山線が、奴郎が前で飯盛山方面から鶴ヶ城へと向かう道路と交差している。

東山温泉から市内へ向かう東山線の道路の除雪は完ぺきである。片道2車線の両側の雪もスッパリと運び去られている。武家屋敷前の広い道路はセスナ機でも着陸できそうなくらいきれいだ。

一方、飯盛山からの道路の方は除雪が全然なってない。交差点付近の2車線部分も1車線分は雪の山で完全にふさがれたままだ。道路脇の雪も全く運び出されてはいない。

スパッときれいに除雪された道路と雪だらけの道路が交差している。せめて交通の妨げになる交差点の周りぐらいいずれの道路も雪をきれいに片づけてくれたらどうなんだ?と思うが、雪のある道と無い道が不自然に交わっている。

なぜこんなことが起こるのか?一方は県道で、一方は市道、道路管理の管轄が違うからだ。

管轄外のところは絶対にやらないという徹底ぶりだ。道路を走る市民は、市民税も県税も払っているのだけれど、一旦、県に付いた予算を市の部分で使ってはいけないというわけだろう。

こういうことは山ほどある。昨日の新年会で県会議員のHさんが話したが、鶴ヶ城の整備に○億円、完成後の広報に○千万円、と予算が付く。その整備費が入札で数千万円が浮いたので、広報予算に回し会津観光をどんどんアピールしようじゃないか、と思ってもそれはダメなのだそうだ。これはこれ、あれはあれなのだ。

そういうところを効率的に是正して行くのが議員の仕事だとHさんは言っていた。その通りだと思う。

法律のことはよく分からないが、こうした矛盾をなくすために地方分権とか地方に権限を!と政治家のみなさんが一生懸命訴えているわけだ。けれど、なかなか進んでいないというのは、よく分る。

家庭に置き換えれば、食費を切り詰めて、みんなでディズニーランドへ行こうなんてことが出来ないわけだ。食費は食費、遊興費は遊興費としてしか使うことが許されない。まして予算を余したら次からその分削られるので、食いたくないものまで食わなければならなかったりする。

やっぱりこの辺は何とかして欲しいものだ。ギンギンに冷えてツルツル道路の交差点、見通しの悪い危険な雪ぐらい、あっちの道路でもこっちの道路でも取り除くぐらいの融通性が無くては、ホントに事故っちゃうでしょう!と不安になる。

会津には冬将軍が居座っている。時折、激しく雪が降り積もる。

新聞には今年度の除雪費用を早くも使い切ったと報じられている。まだあんなに道路を塞ぐ雪が残っているというのにだ・・・。

あっちのをこっちに、こっちのをあっちへ、そんなやりくりが柔軟に出来なければ市民の暮らしは守れないのではなかろうか?と思う訳だが、どうなんでしょう?

2011年1月11日 (火)

歳の神戦争

今日は鏡開き、お供え餅や〆縄、輪〆を外して、正月もお終いだ。

我が家は居間にお供え餅、神棚に小さなお供え餅、玄関には大ぶりの〆縄を飾り、水道、トイレなどの水回り各所に輪〆を飾る。どうして水場なのか分からないが昔からの風習だ。

さらにクルマの中にも輪〆を置く。フロントグリルに派手なお飾りをつけてるクルマもあるが、あれは一度もやったことがない。

外の水まき用の蛇口にも輪〆をつけるので全部で12個ぐらいになる。それと昨日、十日市で買って取り替えた去年の風車と起き上がり小法師をまとめて「歳の神」で燃やすのだ。

「歳の神」は正月の飾りや縁起物を燃やし、無病息災を祈る会津の伝統行事で、昔は各町内ごとに行われたが、今では市内の数か所で行われているだけだ。(郡部ではまだ盛んに行われているようだが)

我が家としては、飯盛山下の広場で滝沢地区として行っているので大いに助かっている。

私がこどもの頃には、「歳の神」の藁山を作る藁や段ボールなどを集めて回るのがこども達の仕事だった。リヤカーを引いてこども達がぞろぞろと町内を巡る。

それぞれの町内に縄張りがあって、他の町内に入って集めてはならないという不文律があった。しかし、我々は三・四丁目こども会だが、五・六丁目にはこども会がなくてその先は大町、こんな風にいわば歳の神の空白地帯が存在したりする。

そういった場所の商店などは、周辺のこども会で取り合いになる。あそこが先に行ったとか、あっちが抜け駆けしたとか、ケンカ沙汰になったりする。まるでヤクザの縄張り争いのようなものだった。

遠い記憶だが、段ボールを持って雪の中を逃げ回ったりしたのを覚えている。まるで『仁義なき戦い~歳の神戦争~』だ。

逃げ回るチビは必死だったが、大きな子にとっては案外、冬場のリクリエーションのようなものだったのかもしれない。

およそ一週間ほどかかって集められた藁や段ボールなどを青年団がうず高く積んで立派な歳の神を作る。てっぺんには一番大きな風車やだるまが乗せられた。

その立派な歳の神に、火がつけられるのは一月十四日(ところによっては十五日)の夜のことだ。

2011年1月10日 (月)

真冬日の十日市

一月十日は会津若松市の初市、十日市だ。十日市の日は必ず天候が荒れると言われる。お天気のことだから必ずという事はないが、かなりの確率で寒く、雪が降る。小春日和の様な十日市と言うのはほとんど記憶にない。

会津若松市の中心部、神明通り、大町通りを中心に何百もの露店が立ち並び、各商店は思い思いの大売り出しを繰り広げる。この日ばかりは、会津にもこんなに沢山の人が居たんだ、と驚くほど人が出る。

モノにあふれていなかった昔は、この初市で漆器や金物、まな板などの暮らしの道具や食料品を多く買い求めたものだ。各地から様々な露店商が集まり、会津では見られないような珍しい店も数多くあった。

今は大分様変わりして、食べ物(たこ焼き、焼きそば、クレープなどなど)の屋台が多くなった。が、だからと言って人出が減ることはない。それは、会津に暮らす人々は、十日市に出かけなくてはならないからだ。初市で縁起物を買い求めなくてはならない。

クルクルと無事に一年元気で働けるように風車を、そして子孫繁栄を願い家族の数よりも一つだけ多く起き上がり小法師を買い求める。そして素朴な味の市飴を買って、市神様に一年無事に過ごせるように祈るのだ。

先日、福島FMの女性アナウンサーが縁起物の風車を「ふうしゃ」と読んでいたが、オランダじゃないんだから風車(ふうしゃ)は買えない。かざぐるまだ。

会津人は、この十日市の人混みを見ないと、どうも本当に新年を迎えたような気分にならない。十日市で年が改まって初めて出会う人も多く、通りのいたるところでは新年のあいさつが繰り返される。

人が大勢歩くので凍った道が磨かれて一層ツルツル、テカテカになる。寒風が吹き付け顔や耳が痛い。時折、雪が激しく降りかかる。それが十日市の典型的な風景だ。

今年は午前中は陽も差したものの今年一番の冷え込みで、真冬日の厳しさに変わりはない。寒風も吹きつけ日陰に入れば凍える。

「あ、どうも、あ、どうも・・・」と大勢の人とあいさつを交わしたが、半分ぐらいは「誰だっけ?」と言う感じだ(まだボケてはいないと思うのだが、誠に申し訳ない)。

まぁ、こんなんで無事に一年過ごせるのか多少不安にもなるが、神明神社に念入りにお参りを済ませ、神棚には新しい風車と起き上がり小法師を供えた。

みなさんにも無事な一年が訪れますように!

2011年1月 9日 (日)

僕、育メン?

「本当に動かなくなったよね、なにもしなくなった」と、家人に面と向かって言われたのはTVのダイエット番組を見ていた時のことだ。

基礎代謝が良い人と言うのは、結局はこまめに動き、動くことを厭わないから基本運動量が多くて代謝がいいのだ、という話になった時だ。

我が家はずっと二人とも仕事を持っている。朝晩の家事、ごみ出し、洗濯、掃除と家人は今も忙しく立ち働いてくれている。

掃除や洗濯、出来ることは手伝ってきたつもりだったが、確かに気がつけばこの頃はめったにやらなくなった。昔は作ったカレーやパスタも久しく作っていない。

日々ゴロゴロしていて、動くのはウォーキングやゴルフぐらい。雑巾がけダイエットなど偉そうに言ってはみたが2週間も続かなかった・・・身長差はあるもののへたすりゃ体重は家人の倍だ。確かにこれは、動いている差と言うほかなかろう。

買い物を頼まれた時も「どうせ作るのは私なんだから、何が食べたいか考えて自分で買ってきて!」と言われた。

この身体、小さくはならないけれど、なんとなく小さくなってしまう。

『ある日突然、何にもしない主人を見ていて、一生この人の面倒をみるのかと思うと何もかもが嫌になったんです』・・・熟年離婚に踏み切った主婦はこんなコメントを残しています。グサッ!

私の尊敬するH氏は、超多忙の中でも時間があれば6人家族の食事を作る。休みの日などは晩ご飯を作る。それも本格的、鯛飯やボルシチなど平気で作ってしまう。料理好きなので全く苦にならないという。エライ!

今、流行りの「育メン」と言うのは子育て、家事に積極的に参加するメンズで、別にイケメンかどうかが問われているわけではない。

世の中全体的に、「何もしないでゴロゴロしているだけの男ではいけませんよ!」と言っているわけだ。

これまで自分は全くそうではなくて、こどもも風呂に入れて来たし、料理もできる(飯盒でも飯が炊けます)、掃除だって、洗濯だって・・・と思ってきたのだが、ここに来て全くそうじゃなくなっているんですよ、ということを改めて言われたわけだ。

これから先もいろいろと面倒を見てもらわないことには、どうにもならないことを考えると、なかなかに重い言葉である。

8日、9日といったん寒気がゆるむと言われた会津だが、それほど緩んだという感じはしない。今朝もかなり冷え込んでいる。

そんな中、また家のことはなんにもせずにゴルフに出かけていく私だ。どうか、何もかも嫌になってしまったりしないでね・・と、ちょっぴり心が痛む。

2011年1月 8日 (土)

我が青春の映画館

会津東宝が会津で唯一の映画館になってしまった。あまり行く機会がないが、見逃していた話題の映画「悪人」がかかっていたので久しぶりに行ってみた。

場末の懐かしい映画館と言う雰囲気が色濃く残る。

この映画館でゴジラやモスラ、キングギドラなどの怪獣映画に夢中になったし、中学時代には若大将シリーズに心ときめかせた。いわば私の、我が青春の映画館でもある。

50歳以上の夫婦割はやっていない。レイトショーで最終回が1000円だが、最終回に行くと上の階のスナックのカラオケが聞こえてきたりする。

映画館の外で雪かたしをするスコップの音が響いている。もちろん暖房は入ってはいるものの温度が低く、今日の冷え込みではかなり寒かった。

幕や椅子、トイレなどすべてが昭和の趣きを色濃く残しているが、実際そこで現代の映画を1800円を払って見るとなると、少々厳しいものがある。

たった一館になってしまい、かける映画も封切りとは関係なく自由気ままな感じだ。従って予告編はなく、「No more 映画泥棒!」の警告CMの後、すぐに本篇が始まった。

観客は意外に多く2~30人ほど居た。後ろのおばちゃんがカチャカチャカチャカチャお菓子の袋の音を立てている。外からは雪かたしの音がザックザックと響いてくる・・・。もう映画始まってますよー。

「悪人」、丁寧にしっかり撮られた映画だった。でも、暗かったなぁ。妻夫木聡さんも深津絵里さんもなかなか良かった。柄本明さんがすごくよかった。でも気分がドーンと落ち込んだ。寒い映画館で観るには少々重すぎた感じだ。

東宝さんもどうせなら、徹底して昭和の映画館の雰囲気にリニューアルし、昔の名画座よろしく昭和の名画をガンガンやったらどうだろうか?

若大将二本立てや昭和任侠二本立て、黒澤作品などもいいだろう。

間もなくすぐそばに出来る公民館&図書館の「会津稽古堂」との相乗効果を狙えば案外面白いかもしれない。

このままでは、悲しいけれど我が青春の映画館の灯が消えてしまう日も、そう遠くはない気がする・・・。

2011年1月 7日 (金)

冬に慣れる

会津はぐんと冷え込んでいる。朝の気温は氷点下5~6度ぐらいか、道路もツルツル、慎重運転のクルマが続く。

冷え込んだ朝の景色は美しい。木々の枝一本一本が真っ白に凍りついて微細画のようだ。(近視の人には白く見えるだけかもしれないけれど)時に陽が射したりするとまぶしいほどに輝く。

こんな風にして何度か雪や極寒を繰り返し、次第に冬に慣れて来る。

冬のはじめは、少しの雪でものろのろ運転になるが、その内にみんな慣れてきて雪道でもビューッと飛ばしたりする。同じような吹雪の朝でも渋滞が明らかに短くなる。

当初はすぐに通行止めになった高速道路もちょっとやそっとじゃ止まらなくなる。除雪の人、管理の人、運転する人、乗ってる人、みんなに冬に向き合う覚悟が出来て、多少のことではへこたれなくなるのだ。

身体も慣れる。冬のはじめは寒くて仕方なかったのが、その内に大丈夫になる。12月の5℃と3月の5℃では感じ方が全く違うのだ。寒さに慣れた身体には10℃もあればポカポカ陽気だ。

ただし、この季節に順応するという力は歳と共に衰えていく。だから年寄りには寒さが冬の間中こたえ、こどもは風の子で、あっと言う間に慣れるのだ。

年寄りは寒くて出来るだけ動かないから廊下にも出ない。これを廊下減少という、とケーシー高峰さんなら言うだろう。

北風の中、冬に慣れた頃には、もう冬がよっぱら(たくさん)になり、土や緑が恋しくなって来る・・・が、そんな日は、まだまだずっと先の事だ。

2011年1月 6日 (木)

二人の食卓

昨晩からまた、二人の食卓に戻った。家族は四人、先にお姉ちゃんが帰って三人になり、そして二人に。お正月の残り物でも結構豪勢だが、静かなもんだ。

その昔、初めて二人の食卓になった時はどんな感じだったろう・・・。みそ汁の作り方が母と違っていて変な感じがしたことは覚えている。

母は味噌を網のようなもので濾して入れていた。家人は代々仕込んでもらっている麹たっぷりな実家の味噌を、そのまま入れた。白い麹が浮いているのに初めは違和感を覚えたっけ。

以来、味噌はずっと、ばあちゃんから分けてもらっている。そして、その味が我が家の味になっている。今さら変えられない。

その二人の食卓に2年ほどして一人増え、忘れた頃の7年ほどしてさらに一人増えて四人家族になった。

もう母親よりも、家人の料理を食べている期間の方がずっと長いことになる。私にとっては妻の手料理、こども達にとってはおふくろの味というわけだ。

おふくろの味・・・会津の郷土料理で言えば、ニシンの山椒漬けや棒たら、こづゆ、さらには山菜やキノコ料理などだろうが、私の母親は東京人だったので、そうした味はあまり記憶にない。ま、いくつかあるが、ここでは秘密ということにしておこう。

家庭の食卓と言うのは、自然に座る位置が決まるものだ。ここは誰、ここに誰と言うように。

久しぶりにみんなが戻って来ると私の席は不動だが、それ以外は以前の定位置へと動く。そして、こども達が帰ってしまうと家人はまた、こども達の居たサイドに居場所を戻す。

そっち側の方がテレビもよく見え、顔もよく見えるのだが、『なんとなく淋しい・・・』と、お互いに思っている。

2011年1月 5日 (水)

とても静かだったお正月の話

正月早々、お葬式に参列した。

人の生き死には時を選ばない。年末年始も数多くの命が生まれ、いくつかの命が終焉を迎える。出来るなら誰もが、松の内に亡くなりたくはないだろうが、思うようにはいかない。

私の父は12月23日に亡くなった。お葬式は多くの友人に手伝ってもらった。24日にお通夜、25日に告別式、と葬儀社にいわれたが、さすがに24日のクリスマスイブは避けて1日ずつ後送りしてもらった。

イブの晩、我が家のこども達(小さかった)は義弟の家のクリスマスパーティにまぜてもらってお泊り。私たち夫婦が父と共に過ごした。とても静かな、悲しいイブだった。が、あの静かでゆったりしたひと夜が今も心に強く残っている。

明けてお通夜、そして告別式、夕食の使いと一連の儀式は慌ただしく嵐のように過ぎて、嘘のように穏やかな年越しを迎えた。大晦日の午後、最後の支払いを済ませて、料亭の主人が雪の中を帰って行く。

あとは誰もやっては来ない。そして、おめでとうのあいさつもない静かな静かなお正月が訪れた。

母の時も、父の時もそうだが、親を送る時と言うのはなんだか夢の中にいるような、自分が自分でないようなふわふわした虚無感の中で、あっという間に時間が過ぎていく。

昨日の喪主、ご尊父を送るNくんもそんな感じで、何かが抜け落ちたかのように見えた。彼にとってもきっと忘れられないお正月になったことだろう。

十日市、歳の神・・・そんなすぐには無理かもしれないが、一日も早くいつもの元気さを取り戻して欲しいと祈る。

雪、雪、雪の予報の中、会津は晴れている。先日の大雪、あまりにやりすぎたと天も少しは反省しているのか、予報に反して雪は降って来ない。

2011年1月 4日 (火)

毎年1月4日の11時から「新年市民交歓会」というのが開かれる。市長さん、議員さん以下、まちのお歴々が集まりおめでとう!と新年を祝い、会津若松市の発展を期して万歳三唱などをするのだ。

立席のホールには5、6百人の人がすし詰め状態。どわっと集まり、30分ほどですぐに引ける。次の新年会へと三々五々、街へ散って行く。

昔は、仕事始めの四日と言えば顔合わせと飲み会と相場が決まっていたが、今では昼から飲む人もそうはいない。松の内とはいえ昼から酔っ払いではひんしゅくを買ったりする。

会津若松市の商工会議所の新年会は市民交歓が終わったすぐ後、12時から開かれる。市の経済人が料亭に集い正月の顔合わせをし景気向上を祈り、芸者も上げて盛大に祝う。

こちらも昔は、宴がお開きになった後も、多くの社長さん方が贔屓の芸者衆に後座敷(追加)を付けて、寿司屋や小料理屋をひきまわし、街に正月気分を振りまいたものだ。

が、近頃は芸者を引き連れて歩く社長さんなど、とんと居ないと聞く。

みんなが酒が弱くなったわけでも、急に楽しいことが嫌いになったわけでもない。玉代を経費ではなかなか認めてくれない、やっぱり景気が今ひとつなのだ。

正月四日、仕事始めは女子職員もきもので着飾り、どことなく華やいで、フワフワしたような雰囲気で過ぎてゆく・・・そんな浮かれ気分が満ちている方が、街として健全な気がする。

世の中は、効率化とかムダの削減ばかりで出来ているわけではない。時に無駄遣いや、おバカなことや、分っちゃいるけどやめられない様なことも織り交ざって、世の中という布は綺麗で魅力的な模様を描いているのだ。

♪たての糸は真面目、横の糸はおバカ~、織り成す布はいつかあなたを暖めうるかもしれない~♪というのがなんとなく一理ある気がする。

2011年1月 3日 (月)

機械に心はあるか?

機械に心があるわけはないのだが、あるような気がすることがある。

年末、30日の朝、台所にあるボイラーのスイッチを点けたら点かなくなった。家中の水回りをボイラーが担当している。それが点かなければお湯も出ないし、お風呂にも入れない。年の瀬にこの雪の中でお湯なしは、冗談じゃない!と、焦った。

すぐに家を建ててくれた工務店の友人に電話、朝の8時過ぎにはボイラーを取り付けた事業所のO君が来てくれた。が、もう30日だ。メーカーのサービスも終わっているし、ハードな故障は直せないと、O君は泣きそうな顔でやって来た。

全く反応しないスイッチ、これは厄介だという感じでボイラーの点検へ。まずは凍結防止のヒーターなど通電していることを確認し、メイン電源を一旦抜いて差し込んでみる。いわゆる再起動と言うやつだ。

すると、あら不思議や不思議、ボイラーが音を立てて反応し出した。ポンプが動き出し、水が回り出したようなゴーッという音がする。

試しに台所のスイッチを押してみると、なんと点くではないか!しばらくすると燃え出し、お湯も出てきた。こんな簡単なことで直っていいの?と、思うが実際正常に動き出したのだからどうしようもない。

「ウソでしょー」と言いながら、正常に作動し出したボイラーへ、なんのこっちゃ!と言いながら、O君は帰って行った。申し訳ないのでお酒をお礼に渡した。

それから大晦日、元旦、二日とボイラーは正常に動いて、我が家の年越しは無事に楽しく過ぎて行ったのだ。

ところが三日の朝、またボイラーがおかしくなってしまった。ご機嫌ななめ、また点かない。例の再起動をしてみるとスイッチは入るが、風呂の追い炊きができない。エラーナンバー33とエラー表にもない不思議なナンバーが出ている。

ナントカお湯は出るものの、風呂が沸かせない状態、風呂に入れなくなってしまったのだ。

さて、この現実をなんと見るか?

我が家のボイラーと言う機械を、年末年始を必死で耐えなんとか無事に年越しを支えてくれた偉い奴と見るか、やっぱりただの根性無しと見るか?

機械に心はない。でもボイラー君はやっぱり年越しだけは必死で頑張ってくれたんだなぁと、私には思えてしまう。とは言え、明日治らなければ「このヤロー!」と思うわけだが・・・。

正月の三日、クルマで2時間、ゴルフを楽しんだいわきは無風快晴で暖かい。一方会津は雪の中でスキー場大賑わいという別世界だ。これが冬の福島県のごく当たり前の姿なのある。

2011年1月 2日 (日)

元気でな!

中島みゆきの何という歌か忘れたが、日本人はお盆とお正月の二度、ふるさとへ帰り優しさを取り戻す・・・・見たいな歌詞の歌があったっけ。

都会の暮らしが優しくなくて、人間関係が冷ややかである様な決めつけはいささか失礼かとも思うが、故郷へ戻り、親兄弟や親戚、旧友に会い、ふるさとの風景に抱かれて「また頑張ろう!」と気持ちがリセットされるのは事実だろう。

動物は皆、鳥や獣も人間も、巣立ちをしなくてはならない。生まれ育った家を出て自分の人生を切り拓き、伴侶を見つけ新しい家族を築く。そうした生命のリレーをするために生きていると言ってもいい。

動物たちはそのリレー、生命のバトンを渡すために本能に突き動かされて生きている。山を越え野を越え、時には人間界にまで餌を求めて出て来て撃ち殺されたりもする。それもこれも生きるためであり、生命のバトンを次に渡すためだ。

生を受けたものは命のバトンを渡す、これが基本だ。(叶わぬ方には申し訳ないけれど)そんな基本なんかどうでもいい!と言い出せば世の中は崩れ始める。

老老介護、孤独死、無縁社会、波が陸地をえぐるように、少しずつ少しずつ日本が崩れ始めているように思えてならない。

「姥捨て山」は貧困の生む悲劇だが、老母を背負い涙にくれる息子がいる分だけ、あの残酷な話も無縁社会よりはまだ血が通っているといえよう。

話が少々大げさになった。

ふるさと会津で飲んで食って笑って寝て、ちょっとは太った娘に息子よ。また都会に戻り色々あるだろうが、人との良い出会いを経て、良き人生を過ごして欲しいと父母はいつもいつも願っているという事だ。

どんなに愛しくてもこどもの人生を生きることは出来ない。生命のバトンは君たちが君たちの手で渡していくほかないんだ・・・。親は見守り、祈る以外に術がない。

元気でな!父は三日とろろを食べて初打ちゴルフに行ってきまーす。

2011年1月 1日 (土)

六地蔵ひと筋

新年明けましておめでとうございます。

会津の初詣は様々だが、高田の伊佐須美神社、柳津の福満虚空蔵尊、坂下の心清水八幡宮などがメジャーで人気のスポットだ。多少の交通渋滞も覚悟しなくてはならない。

我が家は長女が生まれてからずっと門田一の堰の六地蔵尊にお参りすることにしている。一の堰の六地蔵はこどもの守り神として昔から信仰を集めてきた。私がこどもの頃には市内の小学校の遠足で必ず一度は訪れたものだ。

六地蔵の門前には二軒の茶屋があり、この茶屋の名物が会津の郷土料理「棒たら」だった。

「棒たら」とは石のように硬いたらの乾物を流れる清水で時間をかけて戻し、やわらかく甘辛に煮る、身はほくほくと驚くほどに柔らかく美味しい。

しかし、時の流れに茶屋も店を閉じ、一の堰の名物だったことも忘れ去られたようだ。

以前はお参りの後に棒たらを食べ、草もちを土産に買ったが今はない。だが、我が家は六地蔵のお参りを続けている。会津の初詣としては超マイナーで訪れる人は多くない。いつもゆっくりお参りすることができる。

吹雪の年、大雪の年、ポンポンで雪のない年、雨の年、もう30年になろうとしている。六地蔵ひと筋、御蔭様で一家揃って健康には恵まれた。感謝だ。

初詣を済ませ、叔父の家に寄り、ばあちゃんの家に顔を出す。正月なので昼からお屠蘇をいただくことになる。ほんのちょっとが毎年同じようにいっぱいになり、ほろ酔い気分で元旦は過ぎてゆく。

今年もまた同じようなことを繰り返せる幸せを味わう・・・。

会津は荒れるとの予報に反し穏やかな元旦、道路の雪もだいぶ消えて、良い元旦となりました。

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