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2010年11月

2010年11月30日 (火)

棘が突き刺さる

『泣いて馬謖(ばしょく)を斬る』という言葉がある。中国の故事により、諸葛亮が名将と言われた馬謖を軍規を守らなかった罪で、泣きながら斬るという故事だ。

日本では「どんな優秀な人であっても私怨私情で規則を曲げて特別扱いしてはならない」というような場合によく使われる。まさに「ならぬことはならぬ」だ。

ごくごく当たり前のことに思えるが、現実はどっこいそう簡単ではない。

事実は小説よりも奇なり、というが世の中のことは決して書物に書かれたお手本通りには起こらない。千差万別、それぞれに理由も背景も異にして、よくもまぁ・・・と思うぐらいに難しい順列組み合わせで起こって来る。

杓子定規に、規則を当てはめれば良い、と簡単にはいかないのだ。そこには人の感情や想いが複雑に入り混じる。

それを排除し、まさに馬謖を斬る、最後の決断をくださなければならないトップはいつの世も孤独だ。トップの厳しさを感じるのはこんな判断を下さなくてはならない時だろう。(幸い、私はトップではなくて良かった)

会津藩のお殿様・容保公も幕末にあって相当に厳しい判断を何度も下さなくてはいけなかったに違いない。藩論真っ二つの中でも、決断を下さなくてはならなかったのだから結構ハードだったろうと思う。無論、下した決断を翻すことは許されない。それがサムライの世界だ。

決断しないで先送り、前言を平気で翻し、どっちにでも取れる玉虫色の結論、そんな勇気と腹のないトップを抱いた組織も、また国家も不幸だ。いくらチャンネルをひねってみても、サムライは不在なようだ。

11月も終わる。ここは一番、殿様ほどハードではないにしてもやはり結論を下さなくてはならない時だ。

馬謖ほど優秀とは言い難いかもしれない・・・でも、やっぱり人のこれからを左右する決断は心にチックと棘が突き刺さる。

2010年11月29日 (月)

優しい時よ降り積もれ

会津若松市立第一中学校、中学1年の時にMくんと知り合った。隣りのクラスだったのになぜかとても気が合った。登下校も同じ方向で一緒のことが多かった。やがてクラスのWくんが加わり三人がいつも一緒にいるような仲間になった。

本当にいつも3人は一緒にいて、ものすごく多くのことを話した。親も認める仲良しでMくんの家や私の家にもよく泊まったリした。休みの日も片時も離れないような状態で、あらゆることをひたすら話し続けた。

Mくんは一番チビだったが、早熟だった。ボーイズライフや平凡パンチも読んでいたし、ビートルズも知っていた。私が一番デカかったが、一番こどもだった。Wくんはお兄さんがいたためかすこし大人びていた。

女の子のこと、音楽のこと、詩のこと、哲学のこと、映画のこと、文学のこと、女の子のこと・・・話し続けた。

私の自我というものは、MくんとWくんと話し続けることによってあの頃に形成されてきたのではなかろうかと思う。あの頃の三人組がいなければ、私は今、こういう人間になったかどうか自信がない。

そんなMくんもWくんも今は都に住み、あまり音信もない。時折、思い出したように会ったりするがここ数年は全く音沙汰がなかった。

Mくんには私の息子と同じ年の一人息子がいた。

一昨日、全く別な方から聞いたのだがその息子さんが昨年春に不慮の事故で亡くなったのだという。まったくもって驚いた。

娘の就職の際に東京のアパート探しで世話になり、久しぶりにMくん家族とメシを食ったのはもう5、6年前のことだ。あの時、(顔は思い出せないが)息子さんも確かに居た。

心が痛い。こどもを先に亡くすなどということは想像しただけでも辛過ぎる。沈痛の葬儀を済ませ、一年間は納骨する気持ちにもなれずに暮らしたそうだ。この春にようやく息子さんは会津の菩提寺に帰って来たという。

かわいそうに…としか言葉がない。今さらお悔やみを言ってみても辛い記憶が蘇るだけだ。何も言わない。

ただただ、時間という癒しの薬がMくんと奥さんの上に優しく降り注いでくれるよう祈るばかりだ。

合掌。

2010年11月28日 (日)

めおとコース

「鴬宿亭」は女将さんが料理人という変わった店だ。もともとは料理の得意なカリスマ主婦、趣味が嵩じてプロになった。様々な創作料理は秀逸、天才的、は褒めすぎかもしれないが、いくたびに味わったことのない美味しいものを楽しませてくれる。

鬼瓦の様な顔をした亭主が、まるで女将さんの様にカウンターに立ち、配膳に気を配り、客の相手をする。そしておかみさんの作った料理を、本当にうれしそうに「うまいがら、うまいがら」と褒める。手前みその典型だが嫌味ではない。亭主が担当するのは生ビールとそば打ちだ。

毎朝、亭主自らそばを打つ、このそばがまたうまい。ただし、鳥そばやおろしそばなど、美味しい調理はすべて女将さんだ。

この店には夫婦でよく食事に行く(飲みに行く)。最近では特段打ち合わせしたわけではないが「めおとコース」で出してくれるようになった。

「めおとコース」とは勝手に名前をつけているのだが、最初のお通しはそれぞれに出るが、後は一品ずつ、これを二人で適当に分け合って食べる。

お行儀が悪いと怒られるかもしれないが、夫婦二人、それぞれに料理が出るのは中年ともなると結構量があってハードなのだ。半分が実にちょうど良い。

次々と一品ずつ、いろんなものを沢山食べられた方が嬉しい。ペロリといったものは「もう一つ!」と追加すればそれでいいのが「めおとコース」というわけだ。

お造り、カキの田楽、自家製塩から、粕汁、会津地鶏のねぎ焼き、おろしそば、などひとつ、を分け合って食べる。

これは、さすがに夫婦か恋人同士でもないと難しいが、いろいろなものがたくさん食べられて実に合理的、値段もリーズナブル。特に人が食べてるのを見るとすぐに食べたくなるような優柔不断なてんびん座にとっては、いろいろ食べられて最適だ。

こんな風に、一人前のコースを二人で抵抗なく食べられるように出すのも良いのではないかと思う。見栄えは悪いかもしれないが、カウンターなら分らない。

高齢化社会(まだ、でもないが)向きな料理の楽しみ方、美味しいものはおかわりすればいいだけのことだ。

会津スタイル「めおとコース」、美味しいものを少しずつ何品も・・・こんな料理の楽しみ方があっても悪くない。

2010年11月27日 (土)

リンゴ

リンゴの木のオーナーと言うのに、ここ20年ぐらいなっている。今は会津若松市と合併した河東町にある「興農園」という果樹園のリンゴの木を丸ごと一本収穫させてもらうのだ。

リンゴはフジ、会津磐梯山の見下ろす高台で、11月中旬にもなると真っ赤に色づく。休みの日に出かけて行って自分たちでもぎ取る。木の世話などすべてお任せだが、収穫だけは自分たちでする。

リンゴは実をあらかじめ数えてあって、収穫後に清算し代金を支払うという仕組みだ。こども達が小さな頃は秋の一大行事だった。弟夫婦やその友人など大勢のこどもを連れてキャーキャー言いながら真っ赤なリンゴをもいで、写真を撮りまくった。

農園主が芋煮を振る舞ってくれる。その芋煮が楽しみ。みんなでごちそうになり、その後は、ばあちゃんを連れて強清水のそばなどを食べに行ったものだ。

あの頃の木は大きくなりすぎて、その後何度か木を変えてもらったが、今も続けている。

夫婦二人となった今は、収穫も結構大変だ。大きな木を一本、ともなると大汗をかくので出来るだけ良い実の小ぶりな木をお願いしている。

それでも収穫をすると我が家のサンルームは一時期リンゴで溢れる。それを子供に送ったり、知人、友人に配りまくる。自分たちで、もいできた今年のリンゴ!と言って人にあげて喜んでくれるのを見て、喜んでいるわけだ。

本日は秋の最後を思わせるような、これ以上ないほどの日本晴れ、まさにリンゴもぎ日和。

私は今年最後の磐梯カントリーのラウンドを同級生と楽しみ、終了後リンゴ園で合流の段取りだった。が、晴天のためか、ゴルフ場が混んで上りが少し遅れた。家人は少々ムカつきながらも一人ですべてをもぎ切った。ご苦労様!

今年はやはり夏の猛暑の影響か、実が小さく少なかった。人に配るにはちょっと見た目貧弱、しかし味は濃縮されて濃いように思う。美味しい。

秋晴れの夕暮れ、我が家にぷぅ~んとリンゴの香りが満ちている。

2010年11月26日 (金)

走ってみる、走れない。

走ってみた。ちっとも走れない。1時間は平気で歩けるが、とても10分間も走れない。歩くのと走るのではエライ違いだ。

足が痛い。足の筋肉にかかる負荷が全く違う。大体この体重では負荷がかかりすぎる。まさにフカ(大きなサメ)を一匹背負って走っているようなものだ。つくづくマラソンランナーはすごい。

知人は最初は500メートルも走れなかったが、少しずつ距離を伸ばして今では10㎞はいけるようになったという。時間はかかっても鍛えれば走れるようになるのだから、他人事ながら人間の身体は大したものだ、よく出来ている。

走るとすぐに暑くなる。それだけ運動量が違うのだろう。すぐに息が上がる。が、ひっくり返してみればこの苦しさが運動の充実感につながるのだろう、ランニング人口はものすごく増えている。

ところどころ走ってみる。まぁ、今のところはせいぜい300mを2回と言ったところ、あとは歩きだ。ランニングに挑戦したいというような構えた気持ちは全くないが、走り出すと今日は電信柱もう2本先まで、という感じには確かになる。

おそらく、走りにとりつかれる人は、日々自分が伸びていくことに夢中になるのだろう。少しは分かるような気がする。

もうすぐ雪道になる会津の冬に向ってこれから「走りましょう!」もないものだ。

来年の春になったら少ーしずつ伸ばしてみて、せめて10分間位は連続走行できるようになってみたいと考えている。いや、目標は高く、15分・・・20分間にしておこう!

2010年11月25日 (木)

がんのこと

最近、知人(親しい人から知っている程度まで)にがんになる人が多い。肺がん、肝臓がん、胃がん、60代の人たちばかりだ。

がんが日本人の死亡原因のトップになって久しいが、食生活の変化か、このところ益々増えているような感がある。

がん、治るものもあれば治らないのもある。医学の進歩で相当に治療法も進んでいるが、場所にもよるし、手遅れはやはり難しい。

検診が必要ということになるが、ある人は健康にとても気を使っており、毎年大都会の病院で検診をしてきたが見つかった時にはステージ4と進んでいた。運のようなものもあるのだろう。もっとも、早期発見で取りきったという人もいるのでやはり、検診は大事だ。

医者にどんな病気で死にたいかと尋ねれば、圧倒的にがんという答えが多いそうだ。なぜならがんの場合、治療法はもとより、どのように進み、どのように最期を迎えるかが分るからだそうだ。死への処し方が自分なりにコントロールできるということだろう。

確かに脳卒中などで植物状態になったり、不随で長期に苦しむよりはいい。かといってバタッといくのもあっけなさ過ぎる。余命が分れば残りの時間の過ごし方も変わる。

いずれにせよ人間の死亡率は100%だ。何人も死から逃れることは出来ない。それを考えればがんもそれほど悪くはないということか・・・。

父もがん、母もがんだ。やっぱり私にも来るのかもしれないがどうかお手柔らかにして欲しいものだ。幸い友人に良い医者が多い、医学の進歩もめざましい、できるなら最高の軟着陸を望みたい。(それも相当に先の話であって欲しが・・・)

会津はいかにも11月らしい、どっちつかずの天気です。朝晩、寒むっ!

2010年11月24日 (水)

太いのがお好き?

今日の昼の新そば会のそばは太かった。会津美里町高田の新そばだった。しっかりとした太め、山都そば系よりはかなり太い。檜枝岐の黒い裁ちそばよりは若干細いかもしれない。

そばの太さはそれこそ打つ人のこだわりと好みだ。人それぞれに体(口内・のど)の構造が違うのだから太めが好きという人もいれば細めが好きという人もいる。私はどちらかというと細め派だ。しかし、極細は苦手。

つるりと一口でのど越しを楽しむという江戸っ子のような粋な食べ方は出来ないので、どうしても噛んでしまう。するとやはり太いともぐもぐとなる。ズルズルとすするのだが、もぐもぐとなると止まる感じがする。故に細めが合っている。ま、でも、いずれうまいものはうまい。

ヤマドリの温かいつゆ、大根汁の高遠、普通のたれの三種類が出た。高遠は食べるほどに大根の辛さが増してくるように感じた。そばの成分と相まって辛さが増すというようなことってあるのだろうか?どんどん辛くなる(と、感じた)。

温かいつゆにはやはりちょっと太い感じがした。たれは太い細い好き好きだ。歯ごたえもある。

そばは消化が良いといわれるが、お腹パンパンに食べればそうは簡単に消化も進まない。ざるで2枚半もいただいてしまった。もう4時間ぐらい経つがさっぱり腹がこなれない。

添えられた豆腐の味噌漬け、天ぷら、黒豆、そばのにこごりの様な・・・も美味しかった。

大変ご馳走様でした。会津美里町高田「花扇」さん。

2010年11月23日 (火)

テレビを見ていたの?

なにか映画を思わせるような大変な事件が起こった。北朝鮮が韓国に砲弾を撃ち込んだのだ。「戦争?」と思わず身も凍るような出来事だ。

まさに「超」の付く緊急事態、国家の在り方が試される有事だ。

我が国の指導者、菅総理大臣は全く自信のなさそうな顔で「報道によると・・・公邸で報道を見ていた・・・官邸に移って対応を・・・」みたいな事を話した。そして、あまりに当たり前な「情報の徹底収集、不測の事態に備える」を繰り返した。

おいおい、総理大臣がテレビ見て情報取ってるのかよ、と愕然とした。国の最高機関だ。報道の10倍も100倍もの機密情報が集積し、分析されていて当然だと思っていたが違うのかもしれない。

ゴジラが上陸しても、宇宙大戦争が始まっても、日本沈没が起こっても、総理大臣、内閣、自衛隊、警察が力を合わせてこの国を守っていたのは、それこそ映画の中だけの絵空事なのかと思うとゾッとする。

内外に揺さぶられてガタガタしているのか?ガタガタしているから揺さぶられるのか?本当にこんなままじゃ自分たちの命も危ない、と多くの国民が思い始めた気がする晩秋の大事件だ!

「戦争」は究極の政治課題だ。「戦争」に対し明確な意思を示し、対応できなければ国家そのものが無いのと同じだ。いくらクリーンでも国民の生命・財産を守れないのなら政治に何の意味もない。

突然の風に、雪?と思ったらカラマツの落ち葉が細かく舞っていた。磐梯の秋は一層深まり、本当の雪がもうすぐ舞いそうです。会津は寒い勤労感謝の日です。

2010年11月22日 (月)

大はしゃぎのご法事

父の十三回忌、母の二十三回忌法要をやった。本当に早いものだ。母が死んだ時は悲しかったなぁ、本当にあの日から人生観が変わった様な気がする。

父が死んだ時は、母の時ほど悲しくはないだろうと思ったが、やっぱり涙が止まらなかった。早いものでもう12年もたった。

秋晴れの中、父の兄弟などごく近い親戚が菩提寺に集まった。読経の中、父と母の遺影が微笑みかける。あなた方の加護のもとにあったあのぬくぬくとした日々が懐かしい。

十三回忌、もうここまでくれば一区切りだろう。この先こうしてみんなが集まることはきっと難しい。

『私たちは大きな命の中のほんの一時を生きている、父も母もそして私も大きな命の中にいる・・・』そんなご住職の説教に心打たれ、会食会場へ。

今回は、父の夕食の使いを行った思い出深い割烹を選んだ。座敷から見える日本庭園は紅葉で美しい。

20名ほどの親戚縁者、今回はもてなしのためにちょっとした趣向を凝らした。東山芸者衆を呼んでお座敷を盛り上げてもらったのだ。もちろんちゃんと唄も踊りも披露できる選抜メンバーでお願いした。

『法事の席に芸者など不謹慎な、と今さらご住職に怒られても困るのですが・・・』と前置きし、見事な踊りを披露していただいた。みんなにも、ご住職にも喜んで頂いた。

会津の芸者衆は今や東北でも貴重な無形文化財と言って良い。普段、女性陣などがその芸者衆に会う機会などまずない、この機会に知ってもらうのも楽しかろう、との想いで思い切って呼んでみた。

これが大いに受けた。年寄り、従兄弟などはもちろん、女性陣にも大好評、座が大いに盛り上がった。盛大な拍手、大騒ぎの記念撮影、芸者衆にとってもまた嬉しいお座敷となったようだ。

家族、親族で芸者を上げて大はしゃぎをする、こういうのもまんざら悪いものではないと思った。みんなの喜ぶ顔を見て父も母も嬉しくないはずがない。

誰もが心の底から笑って、泣いて、楽しんだ宴も終わった。陽も傾き風も出てきたようだ。池にはらはらと紅葉が舞い落ちる。

明日からはまた、みんな一人ひとり、大きな命の中の一人を生きていく。

2010年11月21日 (日)

秋晴れと牛乳屋

つい先日、南会津の田島町に行く機会があった。晩秋の素晴らしい天気だった。

午前10時過ぎ、霧の会津若松市を出発、芦ノ牧温泉を通過する頃には霧も一気に晴れ、秋空に紅葉の山々が姿を現す。今年の紅葉は色もいまいち、枯れたような赤茶色の木々が多いものの、これだけに日差しに映えるとやっぱり見事、思わず「ほーぉっ!」とため息が漏れる。

ところどころに黄色、またところどころに点を打った様に真っ赤な木が鮮やかに輝いている。

今年の寒かった春、夏の記録的な猛暑、そんな気候がずっとつながって織り成すこの秋の錦絵巻だ。考えてみれば同じ紅葉を見ることは二度と出来ない、そう思えば「いまいち」などと軽率な言葉を吐いてはいけないと反省・・・。

昼に用事を済ませ、途中、思わぬ人との再会もあって情報収集など収穫多く、秋晴れの中、帰路へ。反対向きの山々、稜線もまた美しい。

遠く那須の山だろうか一山だけ頂上に白い雪をいただき、秋晴れの先に冬の訪れを感じさせている。

遅い昼食。芦ノ牧温泉駅のある上三寄には、有名なラーメン屋さんが多い。「ばんげや食堂」「うえんで」「牛乳屋食堂」いずれも人気店で昼時は行列だ。ちょっと時間がずれたのでゆっくりと味わう出来た。

その日のピックアップは「牛乳屋食堂」。もともとは牛乳屋さんだったというところからつけられたユニークな名前、ボリューム、味も相まって人気店となった。なんでも東京にも進出しているらしい。

正統派しょう油ラーメンとミニソースかつ丼のセットが人気だ。ちぢれ麺にさっぱりスープ、ソースかつ丼のソースは甘めで、これがクセになるという人も多い。空腹という最高のソースもあって、すごく美味しかった。もちろん満腹。

かくして14時からの会議にぎりぎりで滑り込みセーフ。ポカポカ秋晴れ+満腹の会議は睡魔との闘いと相成った。

2010年11月20日 (土)

ステージと法事

正月でもないのに家族が揃っている。日曜の法事のためもあるのだが、もうひとつ、「あいづ現代舞踊団50周年記念公演」で今日、娘が会津風雅堂で客演として踊るのだ。

ステージと法事、うまく予定が合って今回の出演が実現した。

娘は3歳の時から「あいづ現代舞踊団」でモダンバレエを習い始めた。以来何年になるかは個人情報なので正確には言えないが、20年はゆうに超える。

好きなこととはいえ大したものだと感心する。

私の場合、20年以上も続けているものなど何もない。強いて挙げるなら、クルマの運転と酒飲みぐらいだ。

踊りの好きな女の子でも、こどもの頃にバレエを習い始めて大体は中学ぐらいで卒業、というケースが多い。娘も中学の時に一度だけバレエをやめると言い出した。「ああ、そうか」でもよかったのだが、あんなに楽しそうにやってたんだから続けてみたら、と勧めた。

それからはずっと続け、大学の時も自分で先生を見つけてきたし、社会人になってもバレエだけはやめない。

ひとつのことを長く続けることはなんらかの自信になる。その自信は財産だ。ふにゃふにゃしていて何事もスローペースな娘だが、どこか一本芯が通ったところがあるように感じるのは、まんざら親バカだけでもないように思う。バレエの育んでくれた「何か」だろう。

こどもの頃からステージに立っているせいか、度胸が据わっていて人前でも上がらない。

「今日のカーテンコールの時、ブラボー!って叫んでよ。地元に応援団いないんだから、私だけ声が掛らなかったらいやじゃない、絶対声掛けてよ!」

と、エライことを頼まれてしまった。気持ちは分るがこっちは上がり症だ。緊張のあまり「ふらほ~」なんて声がひっくり返ってしまったらどうしよう・・・。

思わぬ重荷を背負い込んでしまった土曜の朝である。会津は本日も深い霧、昼前には晴れるだろう。

2010年11月19日 (金)

明後日(あさって)の花火

何かを隠そうとする時、とんでもない明後日の方で花火を上げればみんなの目がそっちへ向く。それが大騒ぎになればなるほど、隠しおうせる。

このところの国会の騒ぎを見ているとどうもそんなことを勘繰りたくなる。一国の法務大臣が、いくら地元で気が緩んだからと言って会期中に「答弁は二つでOK」みたいなアホなことを失言するだろうか?

赤い官房長官と揶揄される人が、共産党でも言わないような失言を本当にするのだろうか?

あまりにすごい失言過ぎて「案外わざとじゃない?」と思えてしまう。国会の議論は見事にそっちに向いてしまった。

国民は、『あんなに明白なビデオがあったのに公表して堂々と中国を非難しなかったのはなぜ?』とか『どうして中国やロシアにそんなに卑屈にならないといけないの?』とか『あれだけ自信たっぷりだった議員定数の削減が全く進まないのはなぜ?』とかいう素朴な疑問を解き明かして欲しいけれど、今や罷免、罷免で大騒ぎだ。領土問題までもどこかに行ってしまう。

ひょっとしたら、なにかとんでもないことをあの人たちは隠そうとしているのではないだろうか・・・?

マスコミにはぜひそこら辺りを頑張って欲しいのだけれど、なぜかみんな一斉に右向け右だ。本当に大事なことは何なのか、誰か伝えてよ!明後日の花火はどうでもいい。

会津は霧の朝、この霧が晴れれば快晴の予報。いまいちと言われた会津の紅葉もこの週末と勤労感謝の日辺りまで。

秋晴れの空に我が家のモミジも目に痛いほど真っ赤に色付いた。

2010年11月18日 (木)

百年の歴史、会津のワイン

午前零時、ボジョレ―が解禁された。この時期、「ボジョレ―を飲む会」があって(確か明日だ)ボジョレ―をいただく機会はあるのだが、正直、あんまり良く分からない。

若々しく爽やかで乙女のような味わい、「う~ん、若いね」なんて言ってはみるが、なんのこっちゃ?だ。でもまぁ、お祭りのようなものだから結構盛り上がる。

ワインと言えば、会津には「北会津ワイン」と言う逸品がある。

作っている「大竹ぶどう園」は、東北で一番古いぶどう園といわれ、明治26年からぶどう栽培を始め、明治33年からワインづくりに取り組んでいる。ゆうに百年以上の歴史を誇る、県内唯一の名門ワイナリーなのだ。

日本一小さいとも言われる1.3haのぶどう園で採れる有機栽培のぶどうを使って赤、白、ロゼのワインを作る。収穫から仕込み、瓶詰、出荷までのすべてを一農園で行うというのは珍しいと言う。

「北会津ワイン」・・・ラベルは、個性的な画風で会津を描き続けた横田新さんのイラストだ。白、ロゼには明治の貴婦人が、赤には異国の酒をもたらしたバテレンさんが描かれている。

ワインは寝かせて、味ののった2、3年をめどに出荷されているという。「う~ん、若いね」という感じではないが、飲み口はさわやかだ。小売りで1本1200円程度、充分に値段に見合った味だ。

ボジョレ―も良いが、会津に来たなら、会津の秋なら、会津生まれの会津育ち「北会津ワイン」というのも悪くない。

2010年11月17日 (水)

ピリ辛な秋

秋の空が高く吹き抜けている。目にしみるような冷たい青だ。雲ひとつない空、このまぶしい空を見つめる人々の心はそれぞれに違う。

陽射しの中でも暗く沈んだ心、浮き浮きと弾む心、迷路の中を迷い歩く心、何もない穏やかな心、当たり前だが、人の数だけ想いは様々だ。

「なんであんなことしたんだろう・・・」いくら後悔しても時計の針は一秒も戻らない。

「あの時はよくよく考えたんだけど、なんでこんなことに?」どこでボタンをかけ違ってしまったのかいくら考えても分らない。

押し寄せる不安、見えなくなってしまった明日。ため息だけが青空に吸い込まれていく。

秋は憂愁の季節、思えば心悩ませるいろんなことが秋に起こった。

それもこれも乗り越えて今年の秋、またいろいろなことが起きる。

厭き厭きだ、と言えば、秋秋だ、と答える。

そう、私が厭きたり、嫌気がさしてしまうわけにはいかない。だって、頼られてるんだもん、と思うことにする。

枯れ葉よ~♪♪ 私だって辛いこともあるんですよ・・・会津の秋。

とりあえず、ピリ辛チャーシューワンタン麺を食って元気出すべ!

2010年11月16日 (火)

今年一回目の新そば会

昨晩は今年初めての新そば会があった。これはちょっと変わったそば会で、東京電力OBのそば打ち名人が打ったそばを、東京電力さんで味わう。電力さんと若松Rクラブメンバーとの地域交流も兼ねたそば会だ。

煮物、天ぷら、ビールで少々のどを潤し、食前酒代わりの日本酒で胃を和ます。いよいよ茹でがけの新そばの登場だ。まずはざるそばで、ズルズルといく。香り高く実にうまい!たれが少々甘めで好みはあるが、私にはOK。4、5人にひとつ大きなザルが運ばれたが、あっと言う間に第一陣はなくなった。

酒もまた良いのが揃っている「天明のうすにごり」「写楽の純米」「奈良萬の冷やおろし」・・・あと何があったかな?とにかく、いい会津清酒が7、8本は揃っていた。なんといってもそばには清酒でしょう。ビールではちょっと合わない。酒が進む、進む。

次に運ばれたのが、鴨とねぎの温かなつゆ、これがまたいい味出してる。そこに冷たい第二弾のそばをつけて食べるのだが、熱くも冷たくもなく、そばにうまく味がのって絶品だ。どんどん行く。つゆだけでも酒が進む、つゆも酒もお代わりしてしまった。

箸休めの漬物、これがまた猪苗代の方面の素朴な漬物。パリパリと歯ごたえの良い大根、赤カブ、白菜など、いい味出してる。

ツルツル、パリパリ、ガブリ、ゴックン、なかなか忙しい。うまい。

第三弾目の大ざる、少しスピードは緩んだものの、これも完食だ。普通のざるに直せば何枚ぐらい食べたか・・・3、4枚は軽いだろう。もう、大満足だ。

新そば会は8時前にはピタリと終わった。満腹の三三七拍子でお開き。

さて、我が家は東へ上り坂、盛り場へは南へ平行移動・・・何名かで平行移動した。

新そば入りの酔いは何となくボルテージが高い。バカ話に大いに盛り上がって秋の夜は更けていったのであった。

こんなにおいしい新そば会が、あと二回は予定されている。

2010年11月15日 (月)

オイルヒーターの温かさ

なんだかんだ言ってもこのところの雨と気温で、紅葉はそれなりにきれいになった。我が家のドウダンツツジも、玄関前の紅葉も散り始めてはいるものの、真っ赤に美しい。

朝歩く飯盛山も赤や黄色、参道には黄色い葉が降り注いでいる。旧道沿いの桜、バイパス沿いの花みずきも赤が急に濃くなった。例年を100とすれば60点ほどの紅葉だろうが、終盤はそれなりに鮮やかだ。

冬支度もすっかり進んだ。こたつ、ストーブは当たり前、あとは寝室にオイルヒーターを出せば使用暖房器具はすべてだ。(高気密住宅と言う進んだ機能の家ではありませんので)

5年ほど前からか、オイルヒーターとい言うものの快適さを知った。会津のような雪国ではオイルヒーターで居間や応接間の暖房と言うのはちょっと無理だが、寝室にはぴったりだ。

空気が汚れないし、風も出ない。乾燥もしない。ほわーっと温かく、布団をかけていても暑すぎたりしない。春先のような眠りやすい部屋になる。スウェーデン製の非常にアナログ式なタイマーで、寝る頃から起きるまでを18度前後ぐらいに保つ、これは快適。

温かすぎても快適とは限らない。寒くない温度で調節可能と言うのが一番良い気がする。

いつだったか、札幌の雪まつりのこと。つれられて行ったススキノのクラブ、お姉ちゃんはもろ肌脱いだドレスで美しいが、こっちは雪まつりに備えた冬型の重装備、夏のような部屋で厚手のセーターは脱げてもモモヒキまでは脱げない、汗まみれの灼熱地獄のような夜を思い出す。

温かさ寒さもほどほどに・・・今夜から冷え込むそうだ。そろそろオイルヒーターを出そうかな。

2010年11月14日 (日)

アドリアという空気

鶴ヶ城の正面入り口、北出丸側に北出丸カフェ「アドリア」という洋館風の館が建った。現在は仮オープン中でコーヒー、紅茶などの軽い飲み物だけで食事は出来ない。来春には本格的にオープンするという。

ここまで凝った建物は都会でもまず見られないだろう。A土建のK社長さんが直々にプロデュースし、想いのたけを込めた。細部にまで社長の熱い想いとセンスが息づいている。

まさに、大旦那の粋、道楽の限りを尽くした・・・といったら失礼にあたるだろうか?多分当たらない。

白い壁と緑色の御影石、そのコントラストが落ち着いた外観にしている。内部はすべて木と漆喰の壁、2メートル40もある大きな扉を開くと木の香がぷぅーんと薫る。

その昔、この地には桜の馬場と言う馬の鍛錬場があったという歴史に因み、床材は桜の銘木だ。その他、全体に高級木材をぜいたくに使っている。高い天井には美しい木組みの職人技が光り、空間を仕切る10メートルもあろう巨大な檜の一枚板が圧巻だ。

家具は多くをイタリアから輸入した一級品。木のテーブル、木の椅子、すべての調度品がデザイン性が高くお洒落。照明はすべて間接照明で落ち着いた空間を作り出している。

場所によって漆喰の壁も微妙に色合いが違う。とにかく社長の想いが細部にまで行き渡っている。家具に合わせて腰板の高さも75センチという高さ、座った時の落ち着き感が違う。窓の大きさ、見上げる天井までの高さ、すべてが計算されていて心憎いばかりだ。

うす曇りの会津の秋、家人と共にコーヒーを楽しんだ。紅葉の木々の向こうにお堀、苔むした石垣が見える、さらにその向こうには天守閣(今は工事中だけど)と・・・なかなかの絶景だ。外のテラスで飲むのもまたいい。

静かな店内には音楽が流れ、壁全体から熱が伝わる冷暖房と言う不思議な温度感、暖かくも寒くもない居心地良く落ち着いた空気を醸し出している。今まで味わったことのないようなアドリアの空気だ。

この先、この建物がどんなふうに木の味わいを深め、育って、地域の人々にどんなふうに愛され溶け込んでいくのか、とても楽しみだ。

お城に、新名所がひとつ増えた。

2010年11月13日 (土)

蔵元に直接モノ申す

酒の話ばかりで恐縮。

「いやー、今年の冷やおろしうまい、正月まで持つかな?」と、栄川(エイセン)酒造の社長のUちゃんにメールを打った。「封を切らなきゃ冷蔵庫で十分、むしろ味が乗って旨味が増すかもしれませんよ」との返事。

考えてみたらこういう事って贅沢かもしれないと思った。

今、会津若松管内の蔵元は12、そのほとんどの蔵の社長さんを知ってるし、半分ぐらいは携帯でメールしたりできる仲だ。今年の酒はどうだこうだと、直接生産者である蔵元に感想が言えるのだから悪くない。

もっとも、いまいちの場合はなにも言わないが、おいしい場合は「うまい!」と言うように心がけている。褒められれば誰だって悪い気はしないし、もっと調子に乗って良い酒造りに励むだろう。褒めて悪い事は何もない。

時には、とっておきを無心したりする事もある。

小さい街だからと言ってしまえばそれまでだが、料理屋で「あ、これは誰のところ、これは頑張ってる彼のところ・・・」と蔵元の顔が浮かぶというのは、会津暮らしの贅沢の一つかもしれない。

来週は父と母の法事をやる。遠くから酒好きな親戚も来る、この秋はどこの酒でもてなそうか、そんなことを考えるのもまた楽しい贅沢だ。

2010年11月12日 (金)

次々とお誘い舞い込む

そろそろ忘年会のお誘いが舞い込んでくる。休日の前から埋まっていく。会津若松市内での忘年会は、4~5千円の会費と言うのが相場だろうか。高いので8千円、1万円が上限だ。ところによっては、さらに一升瓶を一本ぶら下げていく。

今年の会場はどこか?それぞれの幹事さんが工夫を凝らす。まだ行ったことのないお店が会場だとなんとなく楽しみだ。

近頃は飲み放題というのが多い。2時間飲み放題は居酒屋の定番となった。ビールは発泡酒、焼酎は甲類のケースが多い。最近の流行りでハイボールも台頭している。

日本酒がちょっと残念なケースがある。会津清酒を使ってくれるならいいが、どこのか分らないような、おいしくない日本酒はいただけない。

その店の店主が酒好きというのは結構重要だ。酒の飲めない人は酔っぱらえば同じじゃないか、ぐらいに思っている節がある。確かに酔いが進めば分からなくなって、一理はあるのだが、飲兵衛とはそういうものではない。

会津弁で言うところの「いやしこ」=欲しがり、食べ物に執着する、とでもいおうか、少しでもうまいものを欲しがるし、講釈を垂れたりして飲むのが楽しいのだ。

時に飲み放題で、当店の酒は「辰泉」です、とか「鶴の江」だったり、磐梯町の「磐梯山」です、なんて渋い蔵の酒を使っていると嬉しくなる。

飲み放題なので高望みをするわけではないが、飲兵衛の心の琴線を少しくすぐるちょっとした心遣いにふれると、その後も贔屓にしてしまうのが人情だ。

料理は各店工夫を凝らしているが、やはり鍋が多いかなぁ。必ず付くのは刺身、ただし原価が高いのだろう、ひどいのはひどい。苦し紛れに付けているようなお粗末な刺身なら、なくてもかまわないと思うのだが、どうもそうはいかないらしい。

酒が進んで席を立ち、注ぎに回り出すと料理もそっちのけになる。完食と言うのはなかなかない。勿体ないなぁ、と思うが、勿体ないを何回もくり返す。

二次会、三次会へと流れれば、忘年会数×2or3・・・とすごい数だ。それに×ことの数千円になると思うと、酒を飲まずしてまず頭が痛くなる。

それでも、それでもなのだ。

宴席ならではの貴重なコミュニケーション、得るもの、役立つものは多いのだ、と言い聞かせ自分を奮い立たせている今日この頃・・・ま、そんな大そうな話でもないか。

2010年11月11日 (木)

LOVE&LIKE

朝日新聞の天声人語に面白いことが書いてあった。LOVEは異質なものを求める、LIKEは同質なものを求める心の作用だという。好きな者だけが集まり、みんなから外れないようにしようとすれば同調圧力が高まり、異質なものははじき出される。集団的ないじめもそんな中から生まれるのかもしれないと・・・。

なるほど、自分の周りに好きな人だけを置き、意見の異なるものは嫌い排除する。そんな人は確かにいる。嫌いなのものはルール違反を犯してまでも排除したくなる、自己中、我が儘の極みだ。

不思議なもので嫌いになればなるほど、ますます嫌いなものや人が増える。そして、どんどん孤立していく。

LOVE=異質なものを「求める」とまではいかなくても、許容し認めようとする心は広がりを持っている。人を認める人は人からも認められる(必ずではないにしても)、そんな人はあまり寂しくはないだろう。

人間だもの、好き嫌いは仕方がない。しかし、いくら好きでも、いくら嫌いでもどうにもならないこともある、ということを分らない人はやはり嫌われるのだ。

思い通りにならないことがつまらないのでじゃなくて、何でもかんでも思い通りにしようとする己がつまらない人間なのだ、ということだろう。

一方、LOVEの名を借りた優柔不断、偽善、自己正当化・・・と言う辺りも、また気をつけた方が良い。

ひと雨ごとに冬が忍び寄って来るような気がする。会津の朝晩はもう、コートなしでは歩けなくなってきた。

2010年11月10日 (水)

秋の酒

「冷やおろし」は秋ならではの日本酒だ。大体、晩秋の11月までが飲みごろ。酒どころ会津では各蔵から自慢の冷やおろしが出る。

冬に仕込んだ酒がひと夏を越えて熟味、旨味を増す、その酒に火入れをせずに瓶詰めして出すのが冷やおろしだ。外気温が低くなり冷やのままの状態で出せるようになることからこの名で呼ばれるという。

秋の酒なので「秋上がり」とか「秋晴れ」などと呼ばれることもあるというが、会津ではあまり聞かない。

生酒と同じように冷蔵して流通する。肴は旬のキノコ、秋野菜などがいい。

この時期、外気温が急激に下がると熱燗も恋しくなるが、ちょっと暖房の入った部屋で味わう冷やおろしはまた格別だ。

今年の冷やおろし、どこの蔵がうまいか?飲み比べも楽しみではあるが、数もあるのであまり調子に乗ると翌日に響く。

冷やおろし、吊るし、うすにごり、にごり、など秋から春に向けて季節限定の会津清酒は数多い。その時だけの会津清酒を楽しむことが出来るのだ。

もうすぐ始まるボジョレ―、ワインはせいぜいそのくらいだ。

四季と共に生きる会津の酒(日本の酒)は、さすがに味わいも楽しみ方も奥が深い。

そして、かなりうまい。

追:昨晩飲んだ栄川(エイセン)の冷やおろし、秀逸でした。

2010年11月 9日 (火)

新米を送ろう

会津の米はおいしい。特に新米、いくらでも食べては困るのだが、いくらでも食べられる。つやつや光って色つやも香りも最高だ。

新米は水分が多く炊く時の水加減が微妙だ。少し水を減らさないとべたっとなってしまう。

大人気となった魚沼産コシヒカリ、昔は、出荷量と流通量が全く合わない事態が生じていた。流通量が断然多い、その不足分を埋めたのが会津米だったと言う。

コンプライアンスが厳しい今ではそんな産地偽装のようなことはないだろうが、会津米は独自ブランドでも決して魚沼産にひけはとらない。

同じコシヒカリでも米は生き物だ。会津盆地のどこで採れたかによって味が微妙に違うのだそうだ。同じ一等米でも,、特にうまい&うまいがあるのだ。

高田のあの辺、湯川村のあの辺り、北会津のあそこら辺、と米を扱う人は本当にうまい米の採れるところを知っている。

作っている農家も、自分が持っている田んぼのどこで採れたのが一番うまいか知っていて、自家消費米は、当然一番うまい田んぼのを食べているらしい。

こっちはそんなに細かいことまでは分らないので、農家の友人から「自分の家で食べてるのと同じ田んぼの米をくれ」と言って分けてもらっている。

特別うまいと言われる地域ではないけれど、充分にうまい。

精米機も街中のいろいろなところにある。100円で10㎏が精米できる。玄米で保存して、なくなったら精米にいく。この時期は多めに精米し、遠くの親戚や知り合い、こどもたちにも送る。会津米を送って喜ばれない事はない。

そうだ!先日行った沖縄のあの人にも送ってあげようか・・・沖縄の米は確かにいまいちだからなぁ。

2010年11月 8日 (月)

和は尊い

ロッテの優勝を「下剋上」と書いている新聞もあった。リーグ3位からの勝ちあがりでの日本シリーズ制覇を戦国時代の戦いに例えている。

下のものが上のものを倒す、その力の源を西村・ロッテは「和」だという。全員が一丸となって持てるものをすべて、またはそれ以上の力を発揮できる原動力が「和」だという。ロッテの場合は選手だけでなく観客もまた「和」の精神で、一丸となって応援する。応援の団結の良さに敵も圧倒されるという。

『和をもって尊しとなす』聖徳太子の憲法十七条の冒頭にある。「和」の心は日本人の根本精神と言って良い。

だが、この「和」、カドの立つことを恐れる、なぁなぁ精神のことではない。互いに心を尽くし、思いを尽くし、納得した中から生まれる協調の精神でなくてはならない。形だけのまとまりや利害だけで結ばれたものは、表面的には仲良く見えても、もろく危うい。

あまりいただけない、会津人気質の一つに「他人の足を引っ張る」というやつがある。「出る杭は打たれる」という似た言葉もあるように、こういうことは会津人に限らず、どこにでもあるものかもしれない。

目立つ人、飛び出す人、走る人、そういう人をなんとなく疎ましく思う心の根本にあるのは「妬(ねた)み」だ。なんとなく気に入らない、むかつく、目障りだ。それは自分にないものを持った人への「妬み」。

「妬み、嫉(そね)み」、それは「和」を乱す厄介な人間の業だ。そこから解放されないと組織も、実は自分自身も決してハッピーにはなれないものなのだ。

そこから解放されたところに真の「和」が生まれる。

みんな、あんつぁま(兄様=理屈の分る大人)になって、いたずらに他人の足を引っ張らない会津人でなければならない。「和」の心の会津でなければならない・・・と、思います。

ロッテ、お見事!

2010年11月 7日 (日)

墓石を建てろ!

ツームストーン(墓石)と呼ばれる町はアメリカ・アリゾナ州にある。西部劇の時代、銀が発見され繁栄を極めた。開拓者やならず者、多くのガンマンがこの町を目指した。周りにはアパッチ族もいて、そこは生きてるだけで命懸けの町「見つけた石がお前の墓石になる!」と皮肉をこめて言われたところからこの名がついたという。かの名高い「OK牧場の決闘」の舞台でもある。

ツームストーンは銀が掘りつくされると急速に衰退し、時代から取り残された。その古い街並みが今も西部開拓時代の面影を残す、と現在では有名な観光地になっている。会津でいえばちょうど大内宿の様なものだ。

その「墓石」の名を冠したゴルフ競技がある。そのゴルフ場のクラブメンバーが集まって楽しむ一風変わった競技だ。

それぞれが自分のクラブハンデ+72(パー)を持ち打数として、どこまで進めるかを競うのだ。(たとえばハンデ10の人は10+72=82)

18ホールを終わっても打数が残っていれば、またさらに1番からあるだけ前に進む。1ヤードでも前に進んだ人が勝ちと言うゲーム。自分の持ち打数が尽きた所に墓石替わりの小旗を建てて、逝く。

調子が悪ければ17番、18番で力が尽きるというわけだ。上手な人も、それ相応の人も同じように競い合える、シーズン最後のクラブ競技だ。

なぜこんなにツームストーンなる競技を詳しく説明するか?その訳はなんと!2010年度チャンピオンに本日、この私が輝いたからだ。自慢以外の何物でもない。エヘン!

私の同伴競技者は3人ともドクターだったが、16番頃から青息吐息でひん死の状況、医者がこれでは困ったものだが17番、18番で斃れ、3人とも墓石を建てた。

私も引っ張られて一気に崩れかかったが、必死でこらえ1番ホール3打目まで進み勝利を手にしたのである。これぞまさに「死なんの技」であった。

会津は快晴。いまいちと言われる紅葉もそれなりに美しく色付いた。会津のゴルフシーズンも間もなく終わる・・・。

2010年11月 6日 (土)

罪深いこと

沖縄にいる。

時折、ゴオォーっとジェット機の爆音が響く。慣れない私は音が響き渡るごとに肩をすくめ驚いて空を見上げる。だが、沖縄の人々は少しも動じない。ゴーオオォ、と戦闘機が空を引き裂いても、全く気にせず空を見上げることもしない。

これが日常なのだから当たり前だ。

ある病院を見学した。病院の中でも時折爆音は響く。耳をつんざくとまでは行かなくても結構な音、だが誰も気にする様子もない。

基地の在り方に多くの人が悩み苦しみ、少しでも改善しようともがいている。そこに、本当は何の当てもないのに「あなたたちを救います。基地は県外に移しましょう」と、平和を夢見るだけの一羽の鳩が無責任な夢をばらまいた。思えば本当に罪深いことだ。

その後のハチャメチャな言動・行動、驚くばかりの前言翻しを見ても、もはやとても正常とは思えない。

精神的な正常を疑われるような人が一国の総理大臣となり、それを許したのだから我々も罪深いと言わざるを得ない。

会津は震える朝、沖縄では肌寒い23度だ。

嗚呼なんということ、間違えて着替えにヒートテックのシャツを持って来てしまった。沖縄の秋にヒートテックは暑い、汗がにじむ・・・・。

2010年11月 5日 (金)

おらが空港なのだけど

新潟空港から沖縄へ飛ぶ。以前、福島空港に沖縄便があった当時はとても便利だった。9時台に向かい、16時台の戻り、時間もたっぷり使えた。

新潟は11時15分に発、14時20分に着。これでは翌日お昼からの会議に間に合わないので前日入りするしかない。帰りの便は13時台とまた早い。これだと途中でお先に失礼、しなくてはならない。不便だ。

福島空港は沖縄便も福岡便もなくなり、札幌もあまり便利ではない。こうなるとますます利用されなくなってしまうのではないだろうか。もっとも、便利な便があったのに結局は廃止されたのだから、もともと使う人の絶対量に問題があったということだ。

地方空港はどこもアップアップだ。景気後退を理由にするが、いずれ作りすぎた、やりすぎたというのが根本だろう。

会津から福島空港へ。マイカーを置きっぱなしにするなら無料だし、あれほど便利な空港もない。が、公共交通機関しか使えない人にとっては不便に過ぎる。直行のリムジンバスがひんぱんに走っていなければ、とても、おらが空港とは呼べないだろう。

以前、友人から福島空港サポーターに登録してくれと依頼された事がある。確かに空港があるに越したことはない。しかし、維持管理だけでも多くの税金が投入される。便の関係でほとんど乗らなくなってしまった現状を見ると、素直に応援しますよ!とは、なかなか気持ちが動かないのだ。ゴメン。

2010年11月 4日 (木)

形あるもの

老眼鏡が壊れた。毎日、首からぶら下げていたのでかなりの酷使だった。何度かレンズが取れたりしたが、修理して使ってきた。が、ツルが折れた。寿命だ。

市内の時計・メガネ店が閉店廃業セール、最後の9割引きで売っていた中で見つけた高級品。2万円ほどのフレームが2千円だった。もう一回そういうのがないか、と期待するのは不謹慎というものだ。

『形あるものは必ず壊れるのじゃ』こどものころ読んだ絵本で一休さんは、和尚さんからそんな言葉を引き出してから、実は甕が割れましたと謝った。一休さんのとんちよりも、形あるもの必ず壊れる、の真理の方が心に強く残っている。

この世に不変なものなどない。特に人の心は移ろいやすいもの、人気などは全く持ってはかないものだ。

2年前、熱狂の中で誕生したオバマ政権も中間選挙では惨憺たる結果になっている。山高ければ谷深し、左へ振れた振り子は必ず右に揺れ戻る。保守が息を吹き返し、ティーパーティなる強硬保守派が不気味だ。

日本への風当たりもますます強くなるに違いない。批判ばかりしていた時の姿勢は鮮明だったのに、いざ自分でやりなさいとなると、何事にも態度をはっきりさせない菅政権のやり方では到底通用しないだろう。

八方ふさがり、先送りでうやむやにしたい沖縄・普天間基地の問題も、米側もきっと強硬にならざるを得ない。どうするのだろう・・・?

その沖縄に今日から3日間、出かけてくる。残念ながらお遊びではない、が、会議の合間に少しは沖縄の風を感じることは出来るだろう。

昨日の会津はまるで冬。氷雨の様な磐梯カントリーでゴルフ、震えた。終わる頃になって雲も切れ日差しが出た。姿を現した磐梯山はかなり下の、スキー場の辺りまでうっすらと雪をかぶっていた。まさに会津は冬隣りだ。

2010年11月 3日 (水)

凝らない人?

「塩川辺りまで行けるのかな?と思って行ってみたら結構これが行けるんだわ。それで北会津とか坂下辺りまで行ってみるとこれも行ける・・・」

と知人のDr.Hは言う。自転車で行ってみたら、という話だ。それもママチャリで。

「で、なんか自転車が古くてギコギコおかしくなったんで、仕方ないから新しいのを買ったよ。高級、3万円も出して。そしたら3段変速とか付いているじゃないの。あれって楽でね。また行ってみると結構いけるわけよ。磐梯町とか、喜多方とか、下郷とか、結構、行けるわけ」

またしてもママチャリ購入、どんどん走って、彼はこの春から秋で自然に10キロ以上痩せた。ママチャリで走る。それもせめてポロシャツとか短パンとか、軽装で走ればいいものを、ごくごく普通に、ワイシャツに上着、靴もズボンもまったく通勤時そのままの格好で、走行距離だけがますますエスカレートしていく。

「西会津はOK、三島まで行ったけど往復6時間ぐらいかかったかなぁ。この前は裏磐梯まで行った。下りはかなりスピードが出るね、やっぱり」

この辺まで行くと、おっさんどこまで行くんだ!って感じです。それも途中の道の駅辺りで野菜とか買って、前カゴはハンドルが取られて危ないからと荷台にくくりつけて帰ってくるそうだ。裏磐梯は白菜積んで7時間かかった、と言っていた。

水とか食糧とか持たないの?と聞くと、そんなの道端のどこにでもあると言う。確かにそりゃあ、そうだ。

ヘルメットとかサイクリングのウェアとか、本格的な自転車とか欲しくなるでしょう?

「とんでもないそんなことするなら走らないほうが良い。プロじゃないんだから。ただ走ればいいの、地図を見てできるだけ裏道を通る。上りはつらいと、こう、くねくねってしてね。国道とかはやっぱ斜めに走るわけにいかないからね、困るね」

晩秋の会津路をママチャリおっさんがひた走っている。

「そろそろ、冬はダメだね。来年の夏場には、只見までは行けると思うんだけどね。計算上だと12時間ぐらいで行って帰って来られる。夏の朝5時に出れば、明るいうちに帰って来られると思うんだ・・・」

きっと来年、彼はワイシャツ1枚で何も持たず只見町まで行くことでしょう。別に罰ゲームをしているわけでもないのに、ごくごく普通のママチャリで。

こういうのを自転車に凝っているというのか、別に凝ってはいないというのか・・・良く分からない。

好きなものは缶詰、あらゆる物事に全く頓着しない人である。

これ実話です。そして彼は東大卒です。

2010年11月 2日 (火)

時雨の午後

春と秋、夏服、冬服の衣替えをする。私は一年中、半袖の綿シャツなのでずっと同じだったが、近頃はシャツも変えなくてはならない。

夏はなんとかドライとかクールなんとか言う涼しい下着、冬はヒートなんとかとかホットなんとかいう暖かい下着。面倒くさい話だが、これまではなかった下着チェンジが当たり前になりつつある。

こういう風になると季節の変わり目にヒートなんとかとか、クールなんとかとか数枚は買わなければならないような気になって来る。そこを上手に突いて、ほんの少し機能アップしたような、去年までとは比べ物にならないと勘違いをするようなCMを打つので、ますますその気になる。

夏は涼しく、冬は暖かく、高機能になったことで確実に新たな市場が作り出されたわけだ。ただし、「暖」とか「涼」とかもう少し一目でわかるようにして欲しい。微妙な風合いのものはどっちがどっちか分らなくなってしまう。何せ表示が小さくて見えない。夏に堂々とヒートテックを着て玉の汗なんてのはいただけない。

快適さ、便利さを人はどこまでも追い求める。追い求めて新たな市場が出来る、市場が出来るからどんどん高機能に進歩する。これでもか、ってくらい快適で便利にならないと気が済まない。

一部では便利になりすぎて、一体何が便利なのかさえも良く分からないものさえある。テレビで、一体何を売りたいのか分らないCMに出くわすと、おのれの時代遅れをつくづく感じる。

身不知柿が実り、木枯らしの吹きだす会津の晩秋、押し入れから綿入れ、いわば昔のヒートテック半纏をひっぱり出して、ひと冬を乗り切る。それはそれで結構大丈夫だったんだけどなぁ・・・。

本日、上から下まで新しいヒートテックで額にうっすら汗している自分に微妙な違和感を感じてる時雨の午後です。

2010年11月 1日 (月)

お泊まりも悪くない

西向くサムライ、十一月は今年最後の小の月、秋盛りの神無月と華やかな師走に挟まれてどことなく印象の薄い月だ。霜の落ちる頃で霜月、と言うその名にも特段のストーリーは感じられない。

月始めと月末の温度差は、十一月が一年のうちで一番大きい、と今朝のラジオで言っていた。今日あたりは合い物または夏物のスーツで間に合っても、月の終わりには冬物じゃないと寒い、という月だ。

会津の観光も十一月の祝日・勤労感謝の日を挟んだあたりが最後のピークとなる。飯盛山など観光地ではこの後、冬期間休業という店もある。昔はそれが当たり前だったが、近年は通年営業も増えてきた。冬は冬で会津を訪れる人も少なくない。冬には冬なりの魅力があるからだ。

この時期、東山温泉や芦ノ牧温泉の忘・新年会プランのチラシが新聞の折り込みに入って来る。観光客から地元の需要開拓へ、と切り替わるのだ。

確かに昔は温泉での忘・新年会が多かった。年末年始に五泊、六泊などと言う人は決して珍しくなかった。が、めっきり減った。

だが、厳しくなった飲酒運転や事故のリスクなどを考えれば、温泉一泊の忘・新年会も捨てがたいと改めて思う。第一、浴衣でのんびりするもたまにはいい。もう少し工夫を凝らせば需要回復も見込めるのではないだろうか?

先日、泊まった温泉宿でハーフバイキングというお膳があった。先付けとメインの刺身、鍋物だけが付いていて、あとはバイキングでお好きにいくらでもどうぞ、という形。

バイキングにはスパゲティやカレー、ピザまであったりと、高級品ばかりでもない。あんな形も若者を温泉宿に引き戻すのには良いアイデアなのかもしれない。若い人にとっては好きなものを好きなだけ食べられるというのは魅力だろう。

去年の手帳をひっくり返してみると忘年会がなんと14回もあった。が、温泉泊まりは一度もない。

せめて東山に一回、芦ノ牧に一回ぐらい、温泉につかるのもいい。地域経済のためにも、たまのお泊まりも悪くないはずだ。

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