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2010年10月

2010年10月31日 (日)

パクチーとトマト

食いしん坊なので好き嫌いはあまりない。珍味やゲテモノ系もある程度は大丈夫だ(不気味なものを好んで食べようとは思わないが)。信条として肉やクジラは食べない、などとということもない。

それでもどうしてもだめなのが二つある。一つは香草のパクチー、タイ料理などに使われる草だ。総じて、香草系は苦手だがパクチーは全然ダメ、あの舌がしびれるような強烈なにおいがすべての味を台無しにしてしまう(ように思う)のに、なぜあれを美味しいというのかさっぱり分からない。強烈過ぎてほんの少し入っていても「オエー!」という感じだ。

東南アジア生活の長かった従兄弟は「慣れると病み付きになって、三つ葉のように味噌汁にも、ぱらっと入れると美味しいよ」と言っていたが、私は決して慣れないと思う。

もう一つは非常にポピュラーで、これがないと世界の料理の多くが成立しないだろうと思うトマトだ。トマトがダメじゃ、フランス料理もイタリア料理も全然ダメじゃないか!と思われるがケチャップやピューレ、加熱したものはOK、生とジュースが絶対にダメなのだ。しかし、トマトの場合はパクチーと違って好きな人の気持ちは分かる気がする。

食べ物の好みは親の影響が大きいといわれるが、私のトマト嫌いは母親かもしれない。母はトマトが大嫌いだった。父や姉、家人は食べるが、私のこどもたちも嫌いだ。これも親(私)の影響か遺伝だろう。

あの味、におい、とてもダメだ。「最近のトマトは昔と全然違ってフルーツみたいだから・・・」と言われるが、全くチャレンジする気にならない。

家人が好きなので普段は食べてもらえば良いが、一人の時は「冷やし中華トマト抜きで」と注文しなくてはならない。よけて食べればよさそうなものだが、においがするし、真ん中のどろっとした緑っぽいところが流れ出たりするので危険だ。

パクチーは一般的ではないので困らないが、トマト嫌いは結構不便だ。ポピュラーでいたるところに使われている。

時々、キュウリが嫌いという人に会う、これもまた結構どこにでも使われている。「冷やし中華キュウリ抜きで」というのはトマト抜きよりも難しいかもしれない。キュウリをよけて食べている人を見ると何となく親近感を覚える。なぜだか悪い人じゃないな、などと思ってしまう。

ま、この歳になって思うことは、トマトのように主要な食材が食べられないからと言って人間の成長には全く影響がないという事だ。嫌いなものをわざわざ食べる努力は要らない。

何のことはない話で十月が終わる。会津はどんより日曜日、台風は避けて影響はなかったようだ。

2010年10月30日 (土)

就職と結婚、一緒にするな!という話ですが・・・。

昨日は一日、面接を行っていた。社会に羽ばたこうとする若者が、自らの進路を探そうと苦悩する姿はそれだけで心打たれるものがある。

就職氷河期と言われるが厳しさは実感できる。20社、30社、エントリーだけも含めれば60、70社は受けたというような人もざらだ。

公務員、金融、流通、マスコミなど必死の就活でも内定が出ない、進路が見つからない彼らに、なぜこの仕事を選んだのか?と聞くのも少々酷な気もする。なんでもいいからまずは仕事が欲しいというのが本音だろう。

おそらくはすごく片寄りがある。何社からも内定をもらえる人もいれば、いくらやってももらえない人もいる。

面接官も人の子、そんなに印象が変わるわけではない。好人物は同じように映るだろう。「発掘・発見」の気持ちはあるものの、キラリ光る原石を見つけ出すことは容易ではない。

「縁」や「運」と言うのもあるのだろう。誰もがきっと、ピタリとはまれば輝ける世界がどこかに、確かにあるはずなのだ。だが、そこへなかなか辿り着けない。

男女の世界にも似ている気がする。この世に赤い糸で結ばれた人が居るはずなのだが、巡り合うことが出来ない。そんな男女が増えている。

『会津地域に貢献したい。生まれ育った会津の地に恩返しがしたい』そんな取ってつけたような言葉はあまり心に響かない。むしろ本音をぶつけて、私はこんな奴ですが、頑張るのでよろしく。と言った方が若者らしく正直で良いと思う。

『浮気はしません。良い夫になります』と言ってみても、その人の人柄に好感が持てなければ手を握り合えないのと同じことだ。

なんとしても就職したい!なんとしても結婚したい!そんな気持ちの強い方が、貪欲な方がきっといい。

言葉は立派だが気持ちが響かない。別に・・・とか、どうせ・・・とかが透けて見えては上手くいくものもうまくいかないだろう。

『好きでたまらん!』という感情むき出しの方がきっとうまくいく、と思った。

2010年10月29日 (金)

小さな憧れ

こどもの頃から名前(苗字ではなく)の方で呼ばれる人を羨ましいと思っていた。学校生活では名前で呼ばれたり、苗字で呼ばれたり、あだ名だったり愛称だったり、呼ばれ方はいろいろだが、私の場合、ほとんど苗字で呼ばれた。だから名前で呼ばれる人がなんとなく羨ましかったのだ。

「たかし」とか「ひろし」とか3文字の場合は名前で呼ばれ易い。逆に長いのも「こういちろう」とか「しんたろう」とかも名前で呼ばれることが多い。私のように4文字は少ない。「中井正広くん」が「中井くん」とは呼ばれるが「まさひろくん」とは呼ばれないように。

名前で呼ばれると非常に距離感が近いというか、愛されているというか、なんとなくそんな印象が強い。逆に苗字は、今一歩よそよそしいように受け止めていた。だから名前で呼ばれることに憧れたのだ。

「さかもとー!」という人は恨んだり斬りかかったりするかもしれないが、「りょうまー!」と言う人は酒を酌み交わしたり、抱き合ったりする・・・そんな感じだ。

「けん」とか「じゅん」とか名前でしか呼ばれないような2文字の名前は、もっと良いと思っていたのだろう。だからこどもたちの名前はどちらも2文字だ。

中高年になって最近、「まさひろさん」と名前で呼ばれることが多くなった。これは何となく嬉しい。近くに同じ苗字の偉い人がいるのも一因だが、親しみがあっていいな、と思う。

「いのき」と言うとあの人が思い浮かぶように、「ぶんた」と言うとあの人が思い浮かぶように、「まさひろ」と言われると私が思い浮かぶような関係性を自分の周りで築きたいと思うのだ。

だから、それが何なのだ?と聞かれると困るのだが、私の小さな憧れの話である。

会津の朝は一面のうろこ雲、青空が薄く覗いて、陽射しもうっすら。明日からまた崩れ週末は台風の影響を受けるかもしれないとか。十月も最後の週末、あんまり荒れないで欲しいものだ。

2010年10月28日 (木)

会津観光の帳尻

今年の会津観光は、落ち込んでいるらしい。原因ははっきりしている。鶴ヶ城の天守閣が瓦葺き替え工事のため、すっぽりと覆われ見えないからだ。やはり会津に来てお城が見られないのは残念なのだろう、会津若松市内を素通りする観光バスさえあるそうだ。

先日、観光公社の方にお聞きところでは、鶴ヶ城の入込数は10月で昨年比約40%も落ちているのそうだ。観光のトップシーズンだから大きな数字だ。周辺の施設や商店、旅館、ホテルなどにも影響は及んでいるだろう。お城が見られなければ会津の観光も画龍点睛を欠くとといったところだ。

観光客ばかりでなく、市民にとっても毎日見ているものが見えないのは淋しい。三角の覆いですっぽりとで覆われた姿ばかり見ていると天守閣が恋しく、毎日の通勤通学もどこか味気ない。

城を見て暮らし、城を見て育つ。そんな日々の積み重ねの中で「会津」が刷り込まれていくのだろう。やがて、都会の酒場で会津の悪口など耳にすると、なぜかムカッと来たりする。

今年は城の桜もすねているのか、きれいに赤くならず枯れたようになって葉を落とし始めている。これまた淋しい。

黒瓦から赤瓦へ、変身してきれいになってお目見えするのは来年の春になるというから、まだ少し先だ。

新しくなったなら、ぜひ今年の落ち込んだ分を大きく取り戻して、会津観光の帳尻を合わせて欲しいものだと願う。

2010年10月27日 (水)

普通の冬がいい

突然季節が進んだ。北国からは雪の便り、磐梯山の山頂も・・・・ひよっとして初冠雪したのかもしれないが今はまだ雲の中で見えない。若松測候所が無人化されたので初冠雪の発表は行われないから、今年からは自分で見るしかない。

テレビでも言っていたが、ついこの間まで猛暑、猛暑だったのに突然の雪、今年は秋の美しい紅葉も全く目にしていない気がする。

こんな風に木枯らし1号が吹き、時雨模様になると「今年の冬はどうなんだべ?」という話題がしきりだ。カメムシが多いから雪が多いだろうとか、カマキリの卵が高い場所にあるので雪が深いだろうとか、民間気象予報も盛んに語られる。

我が家の周辺に限って言えば、今年はカメムシはすごく少ないように思う。どこから入り込むのか、とんでもないところにカメムシはいる。トイレや風呂場、居間の天井にも、もぞもぞと居る。多い年は家の中から何十匹も追い出すが、今年はほとんど居ない。

カメムシをつぶしたら大変なことになる。猛烈に臭い。そこで葉書などの厚紙にそおっと乗せて、外に追い出さなければならない。晴れた日には洗濯物についていたりして要注意、秋はカメムシとの戦いに結構忙しいのだ。

カマキリも見ない。多い年には庭のあちこちにカマキリが鎌をもたげているが、今年は本当に見ない。どこに行ったのだろう。クモだけが異常に巣を張り巡らしているように思える。

これらを総合してみると今年の冬はどういうことになるのだろうか?まったくもってわからない。科学的な気象庁の長期予報と言うのも、あんまり当たるようには思えない。

適度な寒さで、適度な雪が降るのが一番なのだ。暖冬でまったく雪もなく、というのもそれはそれであまり気持ちの良いものではない。会津らしい、適度な冬が人々の心にも、地域経済にも、自然や農業にも一番いいのだと思う。

カメムシよ、カマキリよ、君らにはそんな力はないかもしれないが、出来ることならごく普通の冬にして欲しい。決して君たちをつぶしたりはしないから。

2010年10月26日 (火)

結婚式に出るの巻

当たり前のことだが、お葬式よりは結婚式の方がずっといい。日曜、久しぶりに結婚式に出席した。今流行りのチャペルがあって、パティオがあって、コース料理を楽しめるようなお洒落な結婚式場だった。新郎新婦、二人とも会津の勤務で会津に住まうのに、会場は新郎の地元郡山市だった。

定刻になるとチャペルへと導かれる。クリスチャンではないのだが、讃美歌を歌い聖書の言葉に耳を傾ける。牧師さんの朗々とした声が高い天井に響く。花嫁の入場、白いベールの下の美しい表情、どことなく我が娘に似ているような・・・それだけでうるうると来てしまった。

有名な「コリント人への手紙」の一節を牧師さんが読み上げる。

『愛は寛容であり 愛は忍耐強い 愛はねたまず 自慢せず 高慢にならない ・・・ 愛はすべてを信じ すべてを望み すべてに耐える』

思い出すなぁ30年前、私たちもこの一節を読んだ。そして、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時もお互いを伴侶として愛を誓うか?と問われ「ハイ」と答えた。

もちろん、若い二人も実に嬉しそうににこやかに「ハイ」と答えている。

式が終わり、パティオでもう一度若い二人を迎える。みんなで写真に収まり、花びらのシャワーで祝福、そしていよいよパーティ会場へ。

主賓として祝辞を頼まれた。ドキドキしてあがる。あがっていないように見えるかもしれないが、あがり症だ。

新郎側の主賓なので新郎を褒めて、この結婚でさらに大きくなることを期待する、と祝意を表し、一編の詩を読んだ。山形県酒田の詩人・吉野弘さんの『祝婚歌』・・・やったことないことをやったからまたあがった。声が震えたが、何とか読み終えることが出来た。

その後はもう、気が緩んで飲みっ放し。新郎のお父上秘蔵の酒という「黒龍」をたっぷりと、ビールもワインもたっぷり注がれた。

結婚の宴はどこか華やいでいる。歓声を上げる友人たち、親戚の間には温かい笑い声が響いている。二人が祝福されてこの日を迎えたことがよく分かる。

式も終わりに近づいた頃、年配の女性が突然私に近づいてきてこう言った。「とっても素敵なスピーチでしたよ、感激しました」

なんとまぁ、嬉しいではないか。褒められた。

華やいだ宴も終わり、一同を乗せたバスは夜の高速を一路会津へ。乗ったと思ったらバタンキュー、揺り起こされた時には日曜の夜のちょっと寂しげな会津の灯がまたたいていた。

結婚式は良い。

2010年10月25日 (月)

復帰

日曜の朝、ゴロゴロしていたら少し寒かった。月曜から雨、その雨が抜けると一気に冷え込むとの予報だ。

「今日の内に出しておいた方がいいんじゃないか?」「早くない・・・・?」

そんな会話を経て、昼過ぎには遂にコタツが我が家の居間に復帰を果たした。わずか5カ月足らず復帰、あの異常なまでの暑い夏を思えば夢のようだ。

コタツにもぐっていると、どうにも落ち着く。「そのままいつ寝てしまってもかまわないんだよ・・・」と語りかけてくれるような大きな包容力がたまらない。

家人は掃除が大変、片付かない、汚れるなどと言ってあまり好まないような事を言うが、一番の原因は、いつも私が寝っ転がったまま動かなくなり、目ざわり&邪魔!だと言うのは分ってはいる。

『分っちゃいるけどやめられない』と言うのはけだし名言。私の大好きな言葉でもある。いつも正論ばかり言って、自信たっぷりにふるまう人を見るとどうも引いてしまう。

正しいことだけが偉いわけではない。正論は時に人を傷つけもする。

「あほやなぁ」「あかんたれやなぁ・・・」と言われるぐらいちょっとダメな、弱さを持った人の方がずっと魅力的に見える。コタツはそんなぐうたら男のシンボルなのだ。

立派じゃないけど優しい人、聖人君子ではないけど温かい人が好きだ。

コタツで言えば中と弱の中間あたり・・・目盛りがちょうど「2」ぐらいで、時にでくの坊と呼ばれ、でもちょっとは褒められ、苦にもされず・・・そういうものに私はなりたい。

会津は今夜から冷え込む。最低気温が10度をぐんと下回り、週の半ばには霜が降りるかもしれないそうな。また、ゴロゴロとしたコタツの日々が始まる。

2010年10月24日 (日)

元気な60歳

空が高い会津の秋晴れの下、嘉永蔵でふるさと映画祭が開かれた。好天のためか人出が少し伸びなかったもののゲストに倍賞千恵子さん、映画「ハーメルン」の監督坪川拓史さんを迎えて大いに盛り上がったという。(残念ながら今年はお手伝いができなかった)

夜の打ち上げから参加した。久しぶりにお元気で、お美しい倍賞さんに会えた。この映画祭が始まって以来、応援してくださった松竹のOさんも駆けつけた。Oさんはこの10月で60歳になり定年を迎えるのだという。倍賞さんのリードでみんなでハッピーバースデイを歌い、寅さん愛用の雪駄を贈った。

近頃、え?この人が定年退職なの?と驚くことが多い。まだまだ若く、先のことと思っていた人が気がつけば定年に達する。着実に日々は過ぎ、人は歳をとるのだ。

今の60歳はまだまだバリバリだ。Oさんも「ドライバーで300ヤードは飛ばす」と豪語するし、酒もがぶがぶ飲む。中年として多少はくたびれているにしても、引退というイメージからはほど遠い。

倍賞さんはもう少し上(年齢は秘密)だろうが、いつもとても穏やかだ。仕事は選んで自分のしたい仕事だけをする。ギャラがどうこうではない。今度の映画「ハーメルン」も手弁当だと聞く。女性のがん患者を励まそうというボランティア活動にも積極的に取り組んでいる。

60歳から先は、あんな風に自由に肩肘張らずに、少しは「お返し」という言葉を心に置きながら楽しくやれればいいなぁ、と思う。

Oさんも「来年は山田監督の50周年だから手伝うしかねぇだろう」と嬉しそうに笑っていた。

元気な60歳・・・残念ながら私もそんなには遠くない。

2010年10月23日 (土)

それ以上は罰です。

ゴルフをしない人には分からない話で恐縮。先日、雑誌のおまけのルール早見表をパラパラと見ていたらこんなのがあった。

「6インチプレースOKで20センチボールを動かした場合は?=2打罰→そのままプレーを続行する」へーえ、知らなかった。

ゴルフはもともとあるがまま、ホールアウトするまでボールには一切触ってはいけないのだが、普通のコンペなどではローカルルールとして、6インチプレースOKがむしろ一般的だ。フェアウェイのディボットなどに運悪く球が転がり込んだら、6インチ=15.24㎝動かしても良いですよ、という救済措置だ。

これをやるとボールのライ(おかれた状態)は気にならない、沈んだボールも浮かせて打てる。常に良い状態で打てることになる。

しかし、この6インチの行為に対してペナルティが課されると言うとこれは問題だ。それも15.24㎝はいいが20㎝はダメなんだから厳しい。6インチ以上は絶対にダメなのだ。

私の経験からいえば、6インチプレースで動かしたほとんどの場合がこのペナルティに抵触するといっていい。人によっては10インチも60センチも平気で動かす人がいる。たとえ木の根元に行っても、「6インチだから大丈夫だぁ~」なんて言葉は当たり前だ。

もし厳密に毎回2打罰のルールを適用すればゴルフにならないかもしれない。私は上手ですという人でも6インチプレースに慣れっこの人は、厳密にやれば結局20打罰ぐらい食らうのではなかろうか?

動かしてよいという救済ルールに、ペナルティが付いているのだから結局のところ動かしてはいけない、と理解した方がいい。または、動かすといっても元の所に置き直すということだと理解しなければいけない。

あーぁ、と林の中や藪の中に飛び込んだボールを、6インチOKだからといって打てるところまで出していいというインチキルールではないのだ。

明確に2打罰がつくと知った以上、6インチプレースは今後、無視した方がいいと思う。

やはりゴルフはあるがままでノータッチでやろうと改めて決意している。だって、私の様な優柔不断な人間は、6インチがOKなら「ま、良いか」って障害物の後ろで30センチぐらい打てるところまで動かしてしまう誘惑には勝てない。

もともと日本にしかない救済ルールだ。定規でも持ち歩かない限りこのルールを厳格に守るのは無理だ。

『ならぬことはならぬものです』会津に伝わる什の掟に従うのであれば、6インチプレースはやらないという選択肢以外にないのだと思う、今朝の秋。

2010年10月22日 (金)

裸の王様

昨日のニュース、検察トップの検事総長が謝罪会見を行っていた。会見の最後に深々と頭を下げた、が、すぐに上げた。あんまり頭を下げたくないようにも見えた。

それに先立ち大臣室に呼ばれて厳重注意を受けた映像、注意を受けた後に互いに頭を下げたが大臣よりも先に検事総長が頭を上げている。怒られてる方が、怒ってる方より先に頭上げちゃダメでしょう。

近頃では謝罪会見のやり方などリスクマネジメントに関する様々なノウハウ本が出回っている。その手の勉強会も多い。そんな中では謝罪で頭を下げる場合は、まずは深々と5秒間は下げることと必ずある。

今や常識に近いが、おそらく検事総長さんにこうした方がいいですよとか、もっとこんなことに気をつけてという人もいないのだろう。何せものすごく偉いのだ。誰もそんな偉い人を指導など出来ない。

考えてみれば、今回の検察の大失態は、ものすごく偉くて、決して間違わない人たちが集まって起こした事件だ。

自分の判断が一番であり、絶対に正しいと思っている人の集まりで、おまけにみんな頭が良くて組織全体が長期に渡って私は偉い!とのぼせあがってきたのだ。

偉くなりすぎて「あら、間違ったわ」とか「いやー、そんなこともあったのか!ごめんごめん」なんて簡単には言えやしない。朝令暮改なんてとんでもないことなのだ。

正しいのは自分なのだから証拠の方が間違っている、証拠だって正しい私に合わせるのが当然だ、ぐらいの錯覚に陥るのだろう。

会津弁(?)で言うところの「サクく、ものが言えない」状態、気安く、遠慮なく進言などは出来やしない状態だったに違いない。

「クロだ!」と言うのに「そうがまぁ~?クロに思いたい気持ちはわかるけど、やっぱシロじゃね?」とは誰も言えないのだ。

「失われた信頼を一日も早く回復することが私の責務!」と言うのに「ここはやっぱり、責任とって辞めたら?」とは言えないのだろう。

立派な方なのだろう。賢くて正義感に溢れていらっしゃるのはよーく分かる。

悪い人間だ、などとはこれっぽっちも思わない。ただ、あの短い映像を見ただけで周りは一切モノ申せない裸の王様なのも、なんだかよく分かる。

会津の週末は嬉しい秋晴れ予報、日曜はすごく久しぶりに結婚式の御呼ばれだ。

2010年10月21日 (木)

会津鉄道とばす駅長

今年の紅葉は良くないらしい。昨日、会津鉄道の社長さんと話したが、全くダメだそうだ。まだ青々としており、紅葉せずにそのまま枯れて散ってしまう木が多い。車窓からの自慢の眺めも、今年はあまり期待できない。

会津若松市から会津田島、会津高原駅までの会津鉄道。このレールはさらに鬼怒川、浅草へと続き、東京まで格安でいける路線だ。ただし時間はかかる。料金は三分の一、時間は倍という感じだ。

旧国鉄の赤字廃止路線であり、県と沿線の市町村が第三セクターの会津鉄道を立ち上げ昭和62年から営業を開始している。南会津の中心地・会津田島へは野岩鉄道、東武鉄道が相互乗り入れしており、直接東京と結ばれている。

会津鉄道は芦ノ牧温泉、若郷湖、湯の上温泉、塔のへつりなど景勝地・観光地を走る57.4㎞、観光路線であり、重要な生活路線だ。

その生活路線の役目、通勤、通学の部分がやはり先細りの傾向なのだそうだ。観光路線としてはイベント列車を走らせたり、様々なイベントを行い乗客を確保しているものの、ベースとなる定期券の乗客は減る一方だという。鉄道からクルマへ、やはりあらがえない世の流れと言うところだろうか。

そんな会津鉄道に力強い応援団がいる。芦の牧温泉駅に住み着いている一匹の猫だ。となりのトトロの猫バスに似ていたところから、ばすと呼ばれていたこの猫は、数年前に名誉駅長にまつり立てられて人気を集めている。西の和歌山県のたま駅長に続く、東の名物駅長だ。

推定年齢は13歳、人間にすれば70歳ぐらいだそうだ。人気は上々で様々なグッズまで作られ、昨年はばすの歌がCD化されている。

駅長就任以来、ちゃんと定期検診も受けて健康管理にも努めているそうだ。餌も全国のファンから高級キャットフードが贈られるようになり、野良だった頃の生活とは一変したという。

このばす駅長を一目見ようと大勢の人々が芦ノ牧温泉駅を訪れる。しかし、その大半が会津鉄道ではなく、クルマでやって来ると言うところが切ないところだ。頭をなでられ写真を取られるばす駅長も少々複雑な思いではなかろうか・・・。

2010年10月20日 (水)

熊を思う

三匹の熊の親子の登場で西会津町もすっかり有名になってしまった。あの親子は射殺されなかったからラッキーと言うところだろう。

日本全国で熊が出没して話題になっている。我が家も山裾で、100メートルも東の山に入れば「熊出没注意」の看板がある。まんざら人ごとでもないのだ。

秋になると会津中の熊が大戸岳に集まって会議を開く、と言う話を聞いたことがある。それほど会津の山々は尾根でつながっているということだろう。もしこの秋、熊が集まって会議を開いているとすれば最重要議題は『ドングリの減少とならの木の立ち枯れ』だろう。

テレビでやっていたが日本全国、今年の猛暑でドングリが少ない。そして何よりももっと深刻なのは、広葉樹林の核ともいえるならの木を枯らしてしまうムシの被害が深刻なことなのだそうだ。このままだとならの木がどんどん枯れ、たとえ天候に恵まれてもドングリの慢性的な減少が続いてしまうことになる。

熊たちにとっては死活問題だ。生きるためには新たな餌の供給源を求めるしかない。それが人里であるなら熊はそこへ向かうしかないのだ。

熊はいくら会議を開いても解決策はない。人間がこの問題に立ち向かうしかないのだ。

生物多様性が今大きな話題になっているが、結局のところ、熊であれサルであれ、何かの生き物が困ることは周り回って人間が困ることになる。

温暖化も自然破壊も原因は人間だが、解決は出来ないまでもなんとか折り合いをつけられるのもまた、人間だけなのだ。

熊出没を単にワイドショー的に面白がるだけではなく、少しは真摯に熊たちのことに思いを致さなければならないところまで、確かに来ている。

2010年10月19日 (火)

峰冶とクマ

朝夕に犬の散歩をしている人は多い。町内でも犬を飼っている家は結構ある。昔のように放し飼いの犬はいないので、近頃の犬は大分お行儀がよくなったように思える。

こどもの頃はよく、犬のウンコを踏んだ。学校帰りに遊んでいて犬のウンコを踏むなんて日常茶飯事だった。それほど、道端にウンコがたくさん落ちていたのだろう。「あー、ウンコ踏んだ、ウンコ踏んだ!」などと囃されて泣きべそをかいている子がよく居た。

放し飼いの犬も多かった。ほとんど毎日通った貸本屋までの道に一匹、たちの悪いのがいて、「ウー、ガオー」と吠えて追っかけてきた。それがトラウマなのか今でも犬はあまり得意ではない。

犬の好きな人なら犬がどういう気持ちで吠えているのか分るのだろうが、「ワン、ワン!」と大きな声で吠えられると、嬉しいのか、怒っているのか、分らないから少々ビビる。

朝の散歩では10匹ほどの犬とすれ違う。大きなラブラドールもいれば、小さいだけでどこが可愛いのか分からないようなのもいる。

飼い主も様々で、犬に引っ張られ散歩させられているような人から、絶対に脇を離れない行儀の良い犬を従え堂々とした人もいる。ま、いずれにしても早朝に散歩させているのだから可愛いのだろう。

飯盛山の石段の登り口には白虎隊士だった酒井峰冶と愛犬クマの銅像がある。

戊辰戦争、新政府軍の会津総攻撃の折、白虎隊士だった峰冶は、自刃した隊士たちと散りじりになってしまった。一人山中をさまよっている峰冶の前になんと愛犬クマが現れたのである。その時の喜びの姿を銅像にしたものだ。

峰冶にすり寄る愛犬クマ、そのクマに大いに勇気づけられ峰冶は鶴ヶ城へと向かい籠城して会津戦争を戦ったのであった。

その感動のシーンを立派な銅像にまでして後世に伝えようとするのだから愛犬家の思いとはなかなか大変なものだと感じ入る。

苦手なのでおそらく将来も犬を飼うことはないだろうが、人と犬との絆は長く、深いものだ。

2010年10月18日 (月)

新そばの頃

10月10日頃を皮切りに11月の最終週まで、ほとんどの週末、会津地方のどこかの市町村で新そば祭りが開催されている。新そばを思う存分にふるまってくれる、ほとんどが食べ放題なので、そば好きにはたまらない秋の催しだ。毎週、新そば祭りを渡り歩き味比べをするという猛者もいる。

学生時代、京都や東京の蕎麦屋でそばの味を覚えた。ガキの頃には食わなかったがそばというものは美味しいものだなぁ、と思うようになっていた。

その頃は、やっぱり都会の洒落た蕎麦屋のそばが上等で、美味いのだ、と信じ込んでいた。しかし、会津に戻り初めて山都のそばを食べた時、本当に驚いた。これが本物のそばなのか!あの都会のバカ高いそば一体なんだったのだ!?と目から鱗だった。

しかし、当時はよく、そばはうまいがたれがひどい、「桃屋のつゆ」でも持っていけばいい、などと言う悪口を聞いた。が、近頃はどこに行っても甘口・辛口の好みはあるものの、総じていけるようになった。昔のような、しょう油を薄めただけのような素朴すぎるたれにはもう出会うことはなくなった。

そばは極上で、たれも美味しくなったのだから会津のそばはすごくうまいということなのである。

そばは以前よりかなり多く食べられるようになったと思う。蕎麦屋の数も増えた。わざわざ新そば祭りを訪れなくても、普段の会合が今月は「新そばを味わう会」に変更、と言うことも間々ある。

スナックや寿司屋でも「新そばあります」などと言うポスターを見かけることもある。主人の趣味が高じて自慢のそばを食べさせてくれたりするのだ。

毎年11月の末、乗り合いを仕立てて山都町・宮古地区へそばを食べに行く。山都町のそばの原点・宮古は地区全体で保健所の許可を得て、一般家庭の座敷でそばが味わえるのだ。

クルマで約2時間、飯豊山のふもとの行き止まりの山深い集落だ。この地区のそば粉は絶品の一語だ。水そばに始まり、ざる、そばがき、団子など、もう食べれませんと言うほどもてなしてくれるのだ。

食べ放題、飲み放題で数千円、都会で食べたら目玉が飛び出ることだろう。

この頃にはもうストーブに火が入り、外は雪がちらついたりする。

2010年10月17日 (日)

境界線

会津の朝晩は15度近辺、日中は20度を少し上回る。いわゆる快適で過ごしやすい温度だ。

今頃の気温は人それぞれによって感じ方がすごく違う。暑いと感じる人もいれば寒いと感じる人もいる。

私の場合は暑がりなので、人が長袖が欲しいというぐらいで半袖でちょうどよく、肌寒いというぐらいが涼しくて気持ちがいい。

この時期のゴルフ時の服装は極端だ。長袖のポロに薄手のセーターをしっかり着こんでいる人もいれば、夏と変わらない半袖一枚派もいる。

やはり総じておデブは暑がりだ。秋でもタオルを手放さないし、半袖でもあまり鳥肌は立たない。(おデブの鳥肌って見たことがない気がする)スマートな人はセーターでも少しも暑そうにはみえない。

そこから行くと私の場合、おデブなんだ、と思われがちだがきわどいところだ。おデブと体格がいい、の境界線上、食欲の秋で片足をおデブ圏に踏み込みそうな(踏み込んでいる)位置まで来ていると言っていい。

特に先の旅行以来、休肝日の機会にも恵まれずまた3㎏程度増えている。きわどい境界線上だ。

ちょうど今頃、20度前後の会津の秋はそれぞれに調節自由でとても過ごしやすい。この爽快さで調子に乗って、おデブの境界線にまで踏み込まないように、くれぐれも注意しなくてはならないと、思っている今日この頃である。

2010年10月16日 (土)

松茸と会津清酒

今年は松茸が豊作らしい。昨晩のお膳では、土瓶蒸しと生を七輪であぶって食べる料理が出た。会津の地物だという。いくら取られるかビビってしまう豪勢さだが、馴染みの店なのでさほどでもない。

生ビールで始まって、明日も仕事なので残らないように焼酎にしようか、ということになったが、松茸の香りをかぐとやっぱり日本酒でしょう、ということになり、「風が吹く」(美里町高田・萬代芳のセカンドブランド)の純米吟醸生酒を開けた。

片口に二つ、たっぷりと入れて、亭主は一升瓶をそのまま置いていってしまった。(二階の部屋だったので)

「そんなに飲まないよー」と言っていたが、結局、あまり焼酎は減らず、一升瓶がペロッと空いた。(ま、5人ですのでそんなに驚くほどの量ではありません)

やっぱり日本料理には日本酒、そのうまい会津清酒はセカンドブランド流行りだ。

セカンドブランドなんて言葉が正しいかどうか知らないが、本来の「ナントカ山」「ナントカ川」といった古典的代表ブランドとは全く違う名前で、近頃、多くの蔵がなかなかいい酒を出している。

草分け的で有名なのは泉川の「飛露喜」(ひろき)、同じ坂下の曙は「天明」という名で売り出している。南会津の人気の地酒・花泉も「一ロ万」(ひとろまん)「七ロ万」「十ロ万」(とろまん)などを節限定で出している。先の「風が吹く」もユニークな名だ。

いずれもよく見ないと本来のブランド名が分らない、元のブランド名が書いてないのもある。そして、結構売れている。

市場が小さくなってしまった地酒の売り出し方(巻き返し方)としては実に面白い。いずれも当主の代が変わり、若手になったところが多く、それもまた頼もしい材料だ。

ま、いずれ理屈抜きに会津の酒は最近どんどん良くなっており、うまい。

日本酒は焼酎、ビールに押されて苦戦だと言うが、結局はこんな風に良いところだけが生き残るのだ。世界的に見てもこれほど優れた酒(飲み物)が、廃れるはずはないのだから。

たっぷりと和らぎ水も飲んだが、松茸で少々調子に乗ってしまったようだ・・・今朝は軽く頭が重い。

2010年10月15日 (金)

神無月

もう十月も半ばだと言うのに、会津盆地はいい陽気だ。寒くないどころか暑いくらいだ。最高気温が25度に届きそうな日(届く日)が続く。25度を超えると夏日と言うんですよね、確か。十月にそれっておかしくないですか?と言われればそうなのだが、こんな天気が普通のような気さえしてくる今日この頃の、温暖化。

嫁の来てがないまま不惑を迎えたUくんは、昨晩、ある人の紹介で軽~い、お見合いのようなことをするんだと落ち着かなかった。それはいいこと、あきらめない努力が大切だ、とエールを送った。

一夜明けた今朝、結果を聞くのが気の毒なようでまともに顔を見れなかったが、いたって明るい表情、どうやら「即、アウト!」は免れたようだ。

「ま、とりあえず何度か会ってみようということにはなりましたよ」と、嬉しそうにおでこを光らせている。

過去にもこんな調子で、でたらめな携帯番号を教えられたり、いくらかけても留守電になってしまったりなどと言うことがあったと聞く。が、本人が至って前向きなので詳しい詮索は一切止めておくことにした。

あとは「縁」のもの、神様にお願いするしかないな、頑張れよ、と告げた。

言ってから余計なことに気が付いたが、十月は神無月ともいう。なんでも日本中の縁結び神様が出雲に集まっているのだとか、その段で行くと会津にお住まいの人情深い縁結びの神様も出張中ではないのか、Uくん!

気にするなかれ、そこは神様、たとえ出雲にいようとも会津のことはちゃんと分っていらっしゃる。私が言いたいのは過剰な期待を抱かぬ方が賢明、ということだ。

チリの33人だって、クリスマスまでかかると言われたのに昨日出られたんだからもの凄く嬉しかったろう。これが逆だったら命が持たないぐらいショックは大きい。

だから、そんなにおでこを光らせて笑うんじゃない。期待はほどほどに、ほどほどに。

一応、神無月なんだからね。

2010年10月14日 (木)

ノーベル賞的驚き

昨晩、NHKのクローズアップ現代という番組を見た。ノーベル化学賞を受賞された鈴木章さん、根岸栄一さんのお二人が出ていた。

共にアメリカで学ばれ、ノーベル賞受賞者のブラウン博士の薫陶を受けたという。アメリカから根岸さんは次のようなことを話した。

化学の研究で大切なことは三つ、ひとつは発見、新しい分野に挑むディスカバリーの精神、そして二つ目はそれを普遍的に論理化する努力、そして最後にエターナル・オプティミズムだという。化学の世界に失敗や挫折はつきもの、それを乗り越える永遠の楽観主義とでも訳せばいいのだろうか。

永遠の楽観主義・・・なるほど!と思ったがすごく驚いたのはそのあとの根岸さんの言葉だ。彼は「永遠の楽観主義・・・不屈の精神と言い換えてもいいかもしれません・・・」とつぶやいた。

不屈の精神によって戊辰の戦火から会津は復興した。日本は戦後の焼け跡から不屈の精神で復興を成し遂げた・・・と言うように使われる不屈=どのような困難にもくじけないさまであり、その精神の根底をなすものとは?

正直、私は全く違うように考えていた。

時にそれは激しい闘争心であったり、負けてたまるかのド根性であったり、そのもっと深いところにある生々しい感情を言うなら、悔しさ、憎しみ、怒り、悲しみ、恨み・・・。カッコ良く言い換えれば、矜持であったり誇り、本懐とでも言えようか・・・。

そんな気持ちが様々に混ざり合い、不撓不屈の精神を生むものだと考えていた。

不屈の精神=永遠の楽観主義、という式は私の概念の中には全くなかったのである。

成るほど、擦り切れるくらいに奥歯をかみしめ必死の形相で頑張るにしても、ものには限界と言うものがあるだろう。

「どうにかなるさ、なんとかなるよ」「くよくよしたって道は拓けない、明るくいこう」「なんくるないさー」と、笑顔で明日を迎えられるならば、ちょっとやそっとでは折れもくじけもしないだろう。

・・・・・そうなのかぁ。。。。。

今頃気づいてどうすんだ!と、笑われるかもしれないが私にとってはまさにノーベル賞的驚きであった。

確かに、根岸さんも鈴木さんも笑顔が実によく似合う。間違いなく、ノーベル賞級のエターナル・オプティミズムの持ち主なのであろう。

明日を切り拓くのは明るさだ、ということだ。

2010年10月13日 (水)

会津のかおり

久しぶりに5時に起きて歩く。曇り空だが空は明るい、寒くも暑くもない。ほんの少し会津を離れていた。こうして早朝の飯盛山を歩くと、どことなく会津のかおりがする・・・と、言いたいところだが特になんのかおりもしない。

会津を代表するかおりって何だろう?ふるさとの音百選と言うのはあるが、かおりってあるのか?と思って調べてみたら、あった。

環境省選定のかおり百選、福島県では三春のデコ屋敷のニカワのかおりと、須賀川牡丹園の牡丹の枯れ木で行われる牡丹焚火という行事のかおりが選ばれていた。

残念ながら会津はリストアップされてはいなかった。

冬の酒蔵にぷーんと漂う酒のかおり、塗り師の蔵の漆のかおり、歳の神の藁が燃えるかおり&スルメの焦げるかおり、田楽味噌の焦げるかおりも会津らしい・・・。

かおり(匂い)の記憶と言うのは確かにある。晩年父が暮らした家には独特の匂いがした。今も元気に暮らす義母の部屋もほんのり糠の混じったような独特の匂いがする。

雅な香りではないが、決して嫌な香りではない。

加齢臭などと言う言葉もあるが、人生を重ねるとまさに「人生臭」とでもいうようなその人独自のかおりが醸成されてくるような気がする。

香水などとは全く違う分野の、決して人工的には合成することの出来ない重みのあるかおり、その人ならではの勲章のかおりと言ってもいいかもしれない。

人生いろいろ、かおり(匂い)もいろいろ・・・それは、肉親の記憶に深く刻み込まれているかけがえのない思い出だ。

2010年10月12日 (火)

ほんの少し

奥会津も山深いが、紀州熊野も本当に山深いところだ。それも雪深い森とは一味違う森の深さだ。山犬やイノシシが駆け巡る、もののけ姫の森を思い起こさせる。

熊野古道。森に分け入り苔むした石畳の道を人々は蟻のように熊野を目指した。そこは仏教と神道が入り混じる祈りの世界。自然と宗教が織りなす大曼荼羅が拡がっている。

熊野三山、そして伊勢神宮、この旅は(せこいが・・・)お賽銭がまぁ大変だ。どの神社も拝むところが一杯ある。小銭をポケットにしのばせる、いちいち財布を出していたら面倒だし、お札を入れていたら破産するかもしれない。

・・・人々は祈る。山に海に川に、深く深く祈る。それを受け止める森のもののけたちはただ見つめるばかりだ。

人間は智慧を手にしたのと同時に、あまたの悩みという苦を手にしてしまった・・・。

なぜ?どうして?何のために?答えのない問いが人間だけを包む。

何百年、何千年、人々は祈り続ける。

「悩み」の量よりも「智慧」の量が少しでも上回るように、祈る。

ほんの少しでも上回っていれば人生は素敵だ。悩みに押しつぶされないように神仏・自然から人々は力を借りるのだ。

誰も皆、悩みは尽きない。しかし、ほんの少しでも智慧が上回っていればそれでいいのだと思う。

二礼二拍手一礼。旅は終わった。

2010年10月11日 (月)

かなり凄い奇遇

勝浦の夜明けは明るかった。曇り空をところどころ青空が破いている。宿の周りの景色がようやくわかった。片や湾に向い背中に熊野灘が広がっている。なるほどこういう塩梅か、と納得する。

私の父は兵隊暮らしが長かった。なので旅行に行くと必ず足元の明るい内に宿に入らねばならぬ、とやかましかった。自分の置かれた場所が確認できないと不安なのだろう。どこに行っても東西南北を常に気にしていた。異常に土地勘が鋭く、一度通った道は決して間違えなかった。

遺伝かもしれないが私も結構土地勘はいい方だ。大体その方向に向かう。ただし私の場合は適当に行ってそうなるだけで、土地勘と言うよりはむしろヤマ勘と言った方がいいかもしれない。

熊野である。大雨一転大晴天、それも暑い。10月なんだからなにもここまで暑くなくってもと思う。熊野古道、那智の滝、那智大社と登りばっかり、階段は飯盛山の3倍ほどもあろうか、修行僧のように汗にまみれる。

大汗をかいて那智大社に到着、汗も凄いが人も凄い。そんな中、先の方から見慣れた顔の男性が登って来た。一瞬まさか!と思ったがなんと私の従兄のTちゃんだった。

姉と同い年で会津の生まれの秀才、H社に就職後はアメリカ勤務が長く、数年前に日本に帰って来た。今は熊谷に住んでいる。広島出張の帰りに奥さんと大阪で待ち合わせ、熊野に来たのだという。「それにしてもまぁ、こんなところで!」とお互い大いに驚いた。

いくら久しぶりでもその場で酒盛り、と言う訳にもいかない。しばし歓談し、証拠写真を撮って、分れた。

確かにもの凄い奇遇ではある。嬉しい驚きではあったが『熊野三山の御利益がコレです!』と言われたのではちと悲しい。

これは、御利益のおまけということで!と改めて手を合わせ、熊野路の旅を進めたのであった。

2010年10月10日 (日)

晴れ男どうした!

会津を立った朝は曇り。熊野は実に遠い。磐越西線で郡山、郡山から新幹線で東京へ。さらに東海道新幹線で名古屋、名古屋からバスに乗り換え国道42号線を通り、車中およそ5時間もかかる。

ところが日本一雨の多い三重県は猛烈な雨だった。国道42号線は降水量が基準値を越えて通行止めとなってしまった。晴れ男の私を乗せたバスは、どうすんの?と土砂降りの雨の中、亀山辺りで立ち往生してしまった。

ベテランのバスガイドと運転手、うら若い添乗員が鳩首会談、なんとしてもこの日の宿泊地・勝浦温泉には辿り着かなくてはならない。ここでバスを捨てて、鉄道というのも一手、しかし、この日の鉄道、鈴鹿サーキットのF1レースを明日に控えた臨時便に加えすでに雨で混乱中、国道沿いの鉄路もいつ通行止めになるかは分からない。

そこで出した結論が何と紀伊半島一周の案。亀山から奈良を通り大阪へ、堺、岸和田を通り和歌山県を南下、半島を横切り勝浦を目指そうというのだ。

「・・・ということで、お宿への到着は9時頃になる予定です!」と、かわいらしいAKB48の様な声で添乗嬢は言うが、あんた、今はまだ1時ですよ。9時ってこれから8時間ですか?これはエライことになりました。

名古屋に引き返してホテルに泊まればいいものを・・・とは思いながらもツアー旅行の一員、我々だけバスを降りるというわけにはいかない。覚悟を決めるしかなさそうだ。

すでに孫もいるというベテランのバスガイドさんは、さすがにこの難局で実力を発揮した。奈良、堺、岸和田とガイドしまくり、喋りまくり、時に冗談を交え、歴史の博学ぶりも発揮し、時の経つのを忘れさせはしないまでも、相当に短く感じさせてくれた。

日も暮れて、ようやく分け入る熊野の山は深い、と思われる・・・何せもう真っ暗なので周りは何も見えないない。が、峠のカーブ、勾配はきつい。雨は紀伊半島から東に抜けかかっている。抜ける雨雲を、大阪方面から追いかけるようにして熊野へと入った。

徐々に雨も上がり、なんと8時前には無事、南紀・勝浦へと辿り着いたのである。9時と言われたのが8時前に着けば、それだけでかなり嬉しい。

ま、今日はとりあえず移動日である。3、4時間のトラブルはあったものの無事に着いたことは着いた。これも晴れ男のパワーの一端かもしれないと負け惜しみ。その晩は、深夜3時頃に着いたバスもあったという。宿泊の約2割はキャンセルになったらしい。

冷めた御膳でもちゃんといただけて、お風呂にも入れた。まずは良しとしようではないか。どうせ本番の明日からは晴れるはずだ。

会津を発って16時間、なんと熊野の地の遠いことよ!晴れ男疲れた。

2010年10月 9日 (土)

お伊勢参り

日本人に生まれたのなら一生に一度は参拝したいといわれるのが伊勢神宮だ。この伊勢信仰の歴史は古く、江戸時代には盛んに行われたようだ。

江戸からおよそ15日間をかけて伊勢へと向かう。ここ会津からも多くの人があこがれの伊勢へ向かっている。当時の庶民の記録によれば、片道でゆうに1ヶ月を越え、なんだかんだで3ヶ月はかかる大旅行だったようだ。

もちろん、そのほとんどは自分の足で歩かなければならない。途中、健康を害すればまさに命懸けの旅でもあった。

それでも一生に一度は!と、多くの人が夢を見、伊勢神宮を目指した。伊勢に限らず、人々の憧れであった日本格地の信仰の旅、その普及はいわば内需振興策、各地の経済を潤し、文化交流を盛んにした。交流人口の増加を狙うETC割引みたいなものだ。

伊勢講という習慣は今も会津各地に残る。村の青年団が伊勢講と称し、旅費を積み立て伊勢神宮を目指す。もっとも現代では伊勢までわずか半日、参拝を済ませて大阪空港からそのまま海外へ向かったりする楽しい旅行に変貌しているようだ。

伊勢講兄弟という言葉もある。同じ伊勢講で旅した仲間は生涯の義兄弟になる。

さて、連休だ。天気はいまいちの予報の中、世界遺産の熊野古道、那智の滝から伊勢神宮を巡る旅に出かけることにする。

私はもうすでに一生に一度の参拝は済ませたが、家人は初めて。またこれも初めての経験だが東京駅集合のパックツアーというものに参加してみることにした。

さてどんな旅になることやら、しばし、会津を離れ伊勢路へと向かう。

2010年10月 8日 (金)

開腹しないから回復が早い

昨日ある講演会で、腹腔鏡による手術のお話を聞いた。以前、王監督が胃のがんを開腹せずに手術したと報じられたあれだ。

それにしても科学技術、医学の進歩はめざましい。おなかを膨らませ何箇所か開けた穴から腹腔鏡を差し込み、胆のう炎や虫垂炎、胃がんの手術までしてしまう、それもおなかの中を映し出すモニターは、すでにハイビジョンになっているそうだ。地デジの準備がまだの患者さんでも、お腹の中はハイビジョンで映し出されてしまうのだ。

胆のうを取ったり、胃を切り取って縫い合わせたり、なんとなく分る気はするが、あんな細い管の先っちょでそんな高等な技がスムースに行われるのは、針の糸も結べない不器用者には、にわかには信じがたい。

身体に優しい手術とおっしゃっていたが、切って腹を開けないわけだからまさしくその通りだろう。傷もほとんどないし痛くない、出血も少ないし臓器の癒着などの心配もないわけだ。

極めつけの技は、おへそから三本入れて胆のうを取ったりするらしい。おへそは治ってしまえばまたおへそになる。ほぼ無傷で腹の中から悪い部分を摘出できるのだからすごい。

私の息子も高校生の時に気胸になって肺がつぶれた。昔なら背中から袈裟懸けに切る大手術をしなければならなかったが、内視鏡でちょちょいのちょい、1泊して次の日には退院した。驚いた。

嬉しかったのは、この腹腔鏡の胃がんの手術、福島県内では会津にあるT綜合病院で行われていて、他地域ではまだほとんど行われていないそうだ。

こうした最先端医療が中通りや浜通りよりも、山深い会津の地が進んでいるというのはちょっと誇らしい。

安心して胃がんになっちゃいけないが、なんとなく安心できる。

2010年10月 7日 (木)

秋の夜長

驚くほど日が短くなった。月に一度、開業のドクターを中心に休診の水曜の午後にゴルフを楽しむ会がある。4月から始まり10月が納会だ。

5月、6月、7月までは本当に日が長い。7時過ぎても明るいので楽々ワンラウンド出来る。夏至を過ぎると徐々に陽が短くなり、気が付けば5時半にはもう暗く、6時には真っ暗になる。

昨日、その最終戦が会津磐梯カントリークラブで行われた。13時20分スタート、もちろんスルーで回るが上がりは17時半を過ぎ、最後の組は秋のつるべ落とし、暗闇の中でパットをした。まぁ、それでもやるからゴルフ好きは大したものだ。

日暮れと同時に夜明けもどんどん遅くなる。当たり前だがお日様の出ている時間がどんどん短くなり、4~5時間はゆうに違うだろう。戸外で仕事をする人の一日は大いに違ったものになる。

電気もなかった昔は、日の長さがなにより大切だった。明るくなったら起きて働く、暗くなったら食べて寝る。暗い夜は、ものすごく長かったことだろう。じっと目を凝らすと闇の中には様々なもののけや妖怪が見えた。

さて、秋の夜長、何をして過ごそうか?読書、音楽鑑賞、DVD、俳句、川柳、お勉強・・・時間はたっぷりある。いろいろなことが出来るはずなのだ。

しかし、おおむね日本酒の鑑評会やワインの品評会などで過ぎてしまうことが多い。すると、長いはずの秋の夜が不思議なことに、あっと言う間に過ぎてしまうのである。

2010年10月 6日 (水)

見るから 愛でるへ

若い頃、山々の紅葉を見て「美しいものだなぁ」とは思ったが、それだけだった。さくらの花、新緑の頃、きれいだなぁ、とただ眺めるだけだった。

いつの頃からだろう?その美しさに見とれながらなんとなく自然に自分の思いを投影するようになったのは・・・。それは「見る」から「愛でる」への変化と言ってもいい。

『満開の桜や 色づく山の紅葉を

この先いったい何度 見ることになるだろう

ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ

ひとりひとり 愛する人のために 生きてゆきたいよ』 (竹内まりや・人生の扉より)

ふるさとへの思いも似ている。若い時にはふるさとなど、正直、ジジ臭くてどうでもよかった。映画や小説で描かれる望郷の念、というような思いも分った様な分からないようなものだった。

それが歳を重ねると誰もが同じように、ふるさとを思うようになる。

会津というこの土地が愛おしく、自然や人、文化など何もかもが、多少の難はあったとしても丸抱えで受け入れてしまいたい気持ちになる。

ただ美しいと見ていた風景を「愛でる」ようになっている自分に気付く。そして同時に「歳だなぁ」とも思ってしまう・・・。

かの司馬遼太郎さんが「悲しいまでに雄大」と讃えた会津の紅葉、もう数週間もすれば始まる。

2010年10月 5日 (火)

キノコの王国

今年のキノコは夏の暑さで全般的に遅いらしい。先日、馴染みの料理屋で「いいところに来た。今日はすごくいい天然のマイタケが入ったよ」と会津地鶏と炒めるという一風変わった料理で食べさせてくれた。

マイタケと言ってもスパーで売っている、ナントカマイタケとは全く別な食品と言っていい。肉厚で絶妙な歯ごたえ、地鶏に負けないというか相乗効果のあるいい香りがする。

これだけ山に囲まれているのに「キノコ狩り」と言うのは数えるほどしかやったことがない。指導者なくしてはどれが毒キノコでどれがOKか、さっぱり分らない。なのでもっぱら頂いたりして食べるのが専門だ。

なめこ、マイタケ、シメジ、・・・キノコの多くは栽培できるが天然と栽培ものの差がこれほどある食材も珍しいのではないだろうか?同じ名前の別もの・・・ぐらいに天然のキノコはワイルドで美味しい。

地物の松茸にはすごい値段が付くが、残念ながら私には松茸の美味しさがよく分らない。一番美味いのはそのまま焼いて生醤油で、と言うが、TVのレポーターほどの感動はない。私は腕のいい料理人の作った土瓶蒸しが一番好きだなぁ。

いずれこれから、少し遅れたキノコがどんどん出てくることだろう。キノコ好きの店主がいる店では、ツイていれば思わぬご相伴に預かることもできる。採って来たものは他人に自慢したくなるのが人情、その際には「美味しい、美味しい」と絶賛するのが一番の褒め言葉であり、礼儀だ。

天高く、人知れぬ山奥も秋の恵みに溢れている。秋、会津はキノコの王国でもあるのだ。

2010年10月 4日 (月)

漆の芸術祭

会津の地場産業の一つに会津塗がある。その歴史は古く、有名な津軽塗や輪島塗よりも早くから盛んになり、江戸時代の初期には全国にその名を知られるほどの産業になっていたという。

もともと会津に漆器はあったが、産業として根付かせたのは戦国大名・蒲生氏郷公だ。鶴ヶ城を築き、現在の会津につながる産業・文化の基礎を築いたと言われる名君だ。

以来、会津塗は会津を支える重要な産業として栄えてきた。しかし、第二次世界大戦後、生活様式の変化などにより、漆器そのものが日本人の生活の中で使われなくなっていった。いくら頑張っても漆器産業全体の縮小はいかんともしがたく、会津塗は昭和30年代をピークに苦難を余儀なくされることになった。

木地師、塗り師、蒔絵師、問屋、卸の大店など、会津塗にかかわる人々はここ数十年で激減した。が、もちろん会津塗そのものが消えたわけはない、それはむしろ時代の淘汰と言えたのかもしれない。現在は全体の規模は小さくなったものの、技術的にも、創造性においても非常に高いレベルで地場産業として生きている、と言えるだろう。

そんな会津塗の今、生き生きとした息吹が感じられる催しが、会津各地を舞台にロングランで行われている。「会津・漆の芸術祭」がそれだ。10月2日から11月23日まで、会津若松市、喜多方市、三島町、昭和村を舞台に漆の可能性を探る様々なイベントが繰り広げられている。

街中の各所におかれた展示品、音楽や舞踊など他芸術とのコラボレーションイベント、シンポジウムなど、県立博物館の主導で期間中、多彩な企画が組まれている。(詳細は、漆の芸術祭HPにて)

漆は人類が手にした最高の塗料だといわれる。防腐、防湿、防水、防錆など、ものすごく優れた性質を持ち、人類の進歩にも大きく貢献してきた。一方で工芸・美術の世界を広げ、芸術の世界も開いてきたのである。

私には深い造詣などないが、漆のあのてろてろ感は誠に美しいと思う。金蒔絵のような華麗な装飾を施した職人技も見ごたえがあるが、花塗りと呼ばれる塗りだけの美しさにも強く心ひかれる。

この秋はそんな漆の魅力を再確認するためにも、のんびりと街なかに出かけてみたいと考えている。

2010年10月 3日 (日)

つるマラ?

夏から秋へと季節の入れ替えは完全に終わっている。今日は、我が家の居間も敷物を変えた。夏の茣蓙から暖かいものへ、さすがにコタツまでは出していないが冬構え一歩手前というところだ。

敷物を変えただけで暖かさが全く違う。もう、ゴロ寝も茣蓙では肌寒いが、ふっくらした敷物だとまだ暑いくらいだ。すだれや茣蓙など昔の人は季節を上手に暮す道具を様々に工夫したものだ。

10月に入り、最初の週末、市内では実に様々な行事が行われている。おまけに天候不順なために遅れた稲刈りもこの好天を受けて大忙し、農業機械の音も響き渡り、会津盆地全体が忙しそうだ。

「今日はうちの息子、つるマラ」「ウチもつるマラ」と、若いお母さんたちが話してる。

なんのこっちゃ!と驚いたが、鶴ヶ城マラソンのことだった。

今年でもう22回になる。鶴ヶ城周辺をこども達が中心に走る秋の恒例行事だ。1㎞から10㎞まで距離別も多く、親子ペアなど31種目もある。市民ランナーのレースデビューには格好の大会が、「つるマラ」なのだ。

心配された雨も降らず秋晴れとなった日曜日。つるマラも爆走、稲刈りもラストスパート、その他市内での数々の秋のイベントも賑やかに行われている。会津は穏やかに秋の盛りを迎えているようだ。

2010年10月 2日 (土)

解はどこにある?

昨日昼頃に、会津若松市一の繁華街と言われる神明通りを歩いた。アーケードの下にズラリと背広姿の人が並んでいる。一体何事か?と思ったら、赤い羽根募金運動の開始日で、菅家市長さん以下、様々な団体の長がズラリと並び一斉に募金を呼び掛けていたのだ。

これはまずい!と思って迂回を試みたが、市長さんに見つかり握手まで求められてしまった。当然、知らんぷりするわけにもいかず募金をさせていただいた。

それにしてもさびしい光景だった。良い天気の繁華街、募金を呼び掛ける人々が両側に数十人、みなさんニコニコしているが、肝心の通行人がいないのだ。一人でも通ろうものなら、寄ってたかってという感じ、とても逃げ通せるものではない。

私が高校生の頃(40年ほど前のことになるが)は、神明通りの端から端までは人波で見渡すことが出来なかった。それが、今では端から端まで人っ子一人いないという時間帯もかなりある。昔の栄光を知っているだけに、寂しさはひとしおだ。

その神明通りでも、行く末が注目されるのが旧中合デパートの建物だ。中合側は経済情勢の悪化から手放すことを表明、先日、入札が行われた。

第一の交渉権を獲得したのは、まちづくり会社の「まちづくり会津」だと報じられた。金額やその後の利用法など全く不明だが、どこぞの開発会社になるよりは良かった、ということだろう。なにせ「まちづくり会津」だ。

古いビルを取り壊し、新しい建物を建てるには大きなお金がかかる。大変な事業で成就までの道は相当に険しいだろう。しかし、神明通りは再生の芽を持っている。

通りのすぐ東側には、来春「会津稽古堂」が竣工する。これは図書館や公民館機能を合わせ持つ複合の公共施設だ。こうした重要な公共施設を街中に戻すという方向へ、会津若松市はすでに舵を切っているのだ。市役所もまちなかを動かない。

こうした公共施設との相乗効果を狙える策を立てられれば、中合の跡地は大きく活き、神明通りの再生もありうるはずなのだ。だたし、答えは簡単ではない。

会津の人々の英知を結集しなければ「成功」に結び付く答えを見つけることは出来ない超難問といえよう。しかしこの難問、解けるのではないかと私は期待しているのだ。

2010年10月 1日 (金)

成功を祈る

10月1日、今日からいろいろなことが変わるが、愛煙家にとっては頭の痛い日のようだ。タバコがひと箱110円~140円、値上がりするらしい。安い昼飯代ぐらいになる。過去最高の上げ幅、相当な買い貯めもあったと報じられている。

私の友人ではM・SくんとH・Sくんがこれを機に、今日から禁煙すると各種会合の席でも声高々に宣言している。本当に出来るか見ものだ。

タバコをやめて30年になる。それまでは結構吸っていたが、元来、あまり好きな方ではなかった。初めて吸った時も脂汗が出て気持ち悪くなったし、飲み会で吸いすぎた朝などはげーげー、のぜってひどかった。

ので、止めるのにそれほど苦労した記憶はない。でも辛い人は本当に辛いみたいだ。折角、健康保険が効くのだから舘ひろしさんみたいにお医者さんの助けを借りることも考えた方がいい。ニコチンの中毒性はアルコールの何倍も強いというから、パッチなど有効な手助けはあった方がいい。

ヘビースモーカーでゴルフの時もブカブカ吸っていた友人のYくんは半年前に突如やめると言いだして、スッパリやめた。全然辛くもなんともないといっていた。

個人差もあるのだろうが、要はやめようと思い至るまでの動機がいかに強いかが成否のカギなのだと思う。Yくんはきっと健康に対して強く思うところあり、固い決意が生まれたのだろう。

その段から言えば、前述のM・S、H・S両君、動機は非常に弱そうだ。どっちに賭ける?と言われたら、誠に申し訳ないが間違いなく失敗する方に賭けます。でも、成功は祈っています。

衣替えの会津の朝は晴れ。快晴とまではいかないが頭の上に高ーく青い、空が少しだけ顔を見せている。

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