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2010年9月

2010年9月30日 (木)

地震だ!

昨日の夕方の地震には驚いた。猪苗代湖南側が震源で震度4と報じられているが、震源地に近いため会津若松市は数字だけでは分からない特別な揺れ方をした。突き上げられるようにどん!ときて、ぐらっぐらと強く、これはただ事ではないという揺れだった。

昼にも小さいのが一度あったようだが、それは移動中で気付かなかった。

会津は災害の少ない土地だが、地震がないわけではない。戦国時代には七層の鶴ヶ城の天守閣が崩れ落ちたし、柳津の虚空蔵さまの前の大石も地震の痕だ。下郷あたりを通る活断層があるらしく、何百年に一度かエネルギーがたまると大暴れするようだ。昨日のもそんな中のひとつだろう。

地震で強烈な記憶があるのは、1964年の新潟地震だ。

ちょうど給食が終わり、食器を片づけようと立った時にぐらぐらぐらと来た。一瞬何が起こったのか分らなかった。担任の女の先生が、机の下に隠れなさい!と叫んだ必死の形相が強烈に残っている。少し経って、校庭に出なさい!と先生の指示があった。みんな一斉に階段を下りて校庭へ向う、その脇で防火用水のドラム缶の水が、がっぽ、がっぽと揺れていたのを思い出す。

宮城県沖地震、中越地震、いずれも大きく揺れたが新潟地震の揺れには及ばない。

それにしても昨日の揺れは怖かった。直下型と言うのだろうか、腰から揺さぶられる感じだ。ぐらぐらと来て、これがもっと続いて、もっと大きく、もっと強くなったらどうしようと思う、あの一瞬が恐怖だ。

地震に遭遇すると「おーっ」と声を上げるぐらいしか出来ない。天変地異の前には人間などまったく為すすべがない。

我が家では小さな飾り皿が一枚割れたが、幸いなことに会津全体に大きな被害はなかったようだ。

しばらく余震が続くと報じられている。あくまでも余震だけにして欲しいと願うばかりだ。

2010年9月29日 (水)

情熱と生身の間

25日に行われた運動会は、私の晴れ男パワーで、ナントカ天気も持ちこたえた。今にも降りそうで降らない、寒かったがその分、トン汁が美味かった。

それにしても中年はよく転ぶ。

第一種目の第一発走、Oくんはスタートの号砲の後、わずか7メートルほどでこけた。それももんどりうって頭から。なんであんな転び方するかなぁ?と不思議なほどの大転倒、顔面、両腕絆創膏だらけとなった。が、くじけることなくその後の競技で大活躍、特別表彰を受けた。

ゴール寸前での転倒も多い。自分の頭ではゴールテープに飛び込んでいるのだが、上がらない足が思いを裏切る。前に手を伸ばしてバタン!とまるでマンガのように見事にこける。

情熱は歳を取らないかもしれない。しかし、生身の身体はもう、あの頃の私ではないのだ。

我々がスポーツでケガをしたりするのはそんな心と身体のズレが原因であることが多い。上手に滑れたスキーも、白熱のラリーも、今の自分ではないのに頭の中は変わらない。

すりむいた位ならまだいいが、骨がポキッと折れたりすると悲惨なことになる。

青春とは身体ではなく心の若さのことだ、とはいうものの、夕日に向かって走り「バカヤロー!」と叫ぶ前に転んでいては、やっぱり絵にならない。

事故防止のためには、情熱と生身の間にある、深い溝を正しく自覚することが大切だと言えよう。

この秋、会津の晴れは二日と続かない。今日は陽射しがあるものの、これも一日だけとか。

そんなお天気を知らせてくれた若松測候所が、今月一杯で無人化されるそうだ。観測機器はオートマチックで正確に作動するだろうが、目視、いわゆる初冠雪であるとか初霜であるとか、人間の目に頼る観測は今後行われなくなるという。測候所からの季節の便りが届かなくなるわけだ。

磐梯山の初冠雪、今年は各人が自分の目で確認するしかない。

2010年9月28日 (火)

男心女心

この秋の不順な天候で、農家は本当に困っているそうだ。稲を刈るにも大型機械がぬjかるんで田に入らない。稲は倒れて始末が悪い、乾燥も大変で品質に影響する。

戦後最高に暑い夏の後ろには、ちょっぴりの猛烈な残暑と足早な秋が控えていた。秋雨前線が停滞し、今日も会津は雨。夜半までは土砂降りだった。

この時期、会津では多くの会社で有給休暇を取る社員が激増する。自らが兼業農家であったり、嫁ぎ先の稲刈りを手伝ったり、実家のじいちゃんばあちゃんの稲刈りを手伝ったりして、一年分の米を手に入れるためだ。

夜の街も一時期、かなりヒマになる。稲刈りが終われば反動で人がどっと繰り出す訳だが、今年はどうも先が読めないらしい。

『女心と秋の空』と言うが女心はそんなに変わりやすいのだろうか?

確かに物事を決めるまではああだこうだ迷うものの、一旦決めたら女の方が振り返ったりしない。強いのは女の方で、女々しいのはいつも男の方だ。映画や小説など、そういう男女が一杯出てくる。

調べてみると『男心と秋の空』と言うのもあるし『男の心と川の瀬は一夜にして変わる』なんて諺もある。要はどちらも正解と言うことで、とかく人の心は移ろいやすいということなんだろう。

どっちつかずの優柔不断は私の専売特許だ。てんびん座だからなおさらだ。しょう油ラーメンにするか味噌ラーメンにするかでも、相当に迷う。注文してからでも「やっぱり・・・」とか言うので「はっきりしな!」と怒られる。

ま、こんな低レベルなことを男心、女心と言うのではないだろうが、とかく人は迷う生き物だ。

高く澄みきった秋空ではなく、どんよりと煙る会津の秋曇りを見ているとなおのこと、さまざまな思いが揺れる・・・。

2010年9月27日 (月)

まんじゅうの天ぷら

B級グルメのB-1グランプリが人気だ。食による地域おこし、グランプリを取るとその経済効果は莫大なものらしい。

会津と言えばソバや喜多方ラーメンかもしれないが、すでにメジャーであまりにもノーマルだ。何があるかと考えてみると、強清水(こわしみず)の峠の茶屋に昔からある天ぷら、これは地元の人は全く当たり前と思っているが、実はかなりユニークだと思う。

まず、イカの天ぷら、あんなの当たり前だと思うかもしれないが、実はスルメを揚げるイカの天ぷらなんて他にはない。最近はソフト一夜干しで柔らかいが、こどもの頃、強清水のイカはもっと固かった。意外と珍しいものなのだ。

それに納豆の天ぷら、これも他にはちょっとない。納豆を天ぷらにするという発想がユニーク、温かくて、納豆臭さが強調されているのが良いか悪いか、納豆の好き嫌いにもよるが、美味しい。

極めつけはなんといってもまんじゅうの天ぷらだ。あんこの入ったまんじゅうを天ぷらにして揚げる。「秘密のケンミンショー」などで取り上げられて、めちゃくちゃ珍しがられている。

そのままいただいたり、塩を少し付けてなどと言う人もいるが、正統派はしょう油ドバッだと思う。コロモについたしょう油と納豆のあんこが絶妙だ。私の非常に狭い範囲の調査であるが、大体50歳以上の人は間違いなくしょう油をかける。

天ぷらなんて普通だ、と思うかもしれないが、地元では普通と思っていても他地域の人からしたら「!」それがB-1グランプリの真髄だ。

会津・強清水の天ぷら、出場してみてはいかがなものだろうか。

「え~、まんじゅうの天ぷら?聞いたことない!」

2010年9月26日 (日)

忘れられないバースデイソング

9月26日は不肖・私が赤ちゃんになって生まれた日である。

もう5,6年前になるだろうか、生涯忘れられないバースデイソングを歌ってもらったことがある。

以前にも書いたが、我々の仲間で行っている「会津ふるさと映画祭」は寅さんシリーズなど山田洋二監督映画のほとんどを撮った撮影監督、会津・湯川村出身の高羽哲夫さんを偲ぶ小さな映画祭だ。

その映画祭にあの吉岡秀隆くんが来てくれたことがある。トークショーのゲストは毎回寅さんゆかりの方々、ほとんど手弁当のギャラで来ていただいている。

吉岡くんはトークは苦手だがお母さん役の倍賞千恵子さんと一緒ならOKということで実現した。人気者だけに映画祭は多くの人を集め大成功、東山温泉で打ち上げをし、翌日、みんなで郡山までお二人をお送りした。

秋晴れの会津路、ミニ観光を楽しみ、大きな会津磐梯山の姿に改めて感心、猪苗代湖半まで降りて秋を満喫した。

郡山駅、ビックアイ裏の路地にクルマを停めて、いよいよお別れ。

私が「いやー、倍賞さん実は今日は私の誕生日なんです。良い記念になりました」と言うと、気さくな倍賞さんは「えー、本当?おめでとうございます!」と言って吉岡君の腕をとって二人でハッピーバースデイを歌いだしたのだ。

路地とはいえ駅前、まばらに人は歩いている。そんな中、倍賞さんはあの澄んだ声で、行き過ぎる人が振り返るほどの声で歌ってくれたのだ。

「~♪ハッピバースデイまさひろさん、ハッピバスデイ、トゥー、ユー!」澄んだ声と恥ずかしそうな吉岡君の太い声が、ビックアイの路地に響き渡った。

とっても嬉しかったなぁー、というプチ自慢話。

来る10月23日、第12回の「会津ふるさと映画祭」が末廣・嘉永蔵で午後から行われる。ゲストには映画「ハーメルン」の撮影に参加する倍賞千恵子さんが駆けつけてくれる。ぜひご来場あれ!

2010年9月25日 (土)

新米に会いたい

もちろんこたつやストーブをまだ出したりはしていないが、エアコンのヒーターは軽く何遍か点けた。10日前の最高気温よりも会津は10度以上低くなっている。

20度を切ると朝晩は寒い。ついこの間までエアコンの効きが悪いだとか、猛暑日だ、熱中症だと言っていたのがウソのようだ。秋の日はつるべ落としと言うが、季節の進み方もまたつるべ落としのようだ。

この連休あたりから会津各地で稲刈りが始まる。黄金色に実った稲が次々と刈り取られていく。

もうすぐ高校の同窓生から電話が入る。今年は米を何袋必要か、という問い合わせだ。彼の田の自慢の新米コシヒカリ30キロ一袋を、何袋か分けてもらう。精米し、各地の知己に秋のあいさつとして届ける。米の美味しさは何よりも喜ばれる。

そのほか、彼の米が我が家の一年間の主食となる。量はめっきり減った。こども達がいた頃には年間4袋ぐらいは必要だったが、半分でも余るようになってしまった。

別にダイエットでご飯の量を減らしているわけではないのだが、家で炊く数が減る。食べてる量は減らないのだが、外食やちょっと買って済ましてしまうことが増えてしまう。

それでも、ご飯は大好きだ。旅行をすると、会津のごはんは本当においしいと改めて分かる。一流と言われるお店でもことご飯については、会津の普通の食堂に遠く及ばないというような経験は何度もある。朝食バイキングなどでは、ご飯の違いが際立ってしまう。

有名な魚沼産のコシヒカリ、有名すぎて生産量と販売量が合っていない、その隙間を埋めるのは会津米だという話も聞いたことがある。

専門家に言わせるとその会津平でも場所によって味が違うのだそうだ。「俺はあそこの米だ」と、結構こだわっている人も多い。がいずれにしてもレベルは高い。

もうすぐ会えます、会津の新米。

2010年9月24日 (金)

お願いいたします!

「雨もまたいい」なんてこと書くからこんなことになるんだ、って怒られそうなぐらい昨日は雨がザーザー降った。会津まつりのメイン行事、歴代藩公行列はついに中止となり観光客を市民をガッカリさせた。(当然、私のゴルフも中止となった。)

なんと行列が中止になるのは、お祭りが始まって以来初めてのことらしい、58年ぶりと報じられていた。すっかりお支度をしたお殿様やお姫様に中止が告げられたのは午前8時半、体育館内でガッカリしているサムライたちの姿がニュースに映っていた。体育館内で先人感謝祭と陣前式だけが行われたらしい。

今朝は何とかその雨もあがっているようだ。早朝には磐梯山の方から明るいほうき雲が南に向って長く長く、茜色に輝いて伸びていた。やー、今日はいい天気だ!と思ったが、今は雲が低く垂れ込めている。

今日は市内全小学校の鼓笛隊パレードが行われる。児童生徒はもちろんだが、追いかけるお父さんお母さんも大忙しだ。

赤白帽に三角のスカーフをして行進する。演奏のレベルはさまざま、本格的なブラスの小学校もあれば、かわいい鼓笛隊の小学校もある。バトンやフラッグの演技も鮮やかなところもあれば、頑張ってね、というところもある。

が、レベルはさて置き、みんな一生懸命でかわいい。緊張して手足が一緒になるのはご愛敬、終わった後の弾ける笑顔が一番いい。

どうか今日は降らないでやって欲しい!

そして、明日はウチの大運動会がある。これまた降ってもらっては大いに困る。ついでに明後日は友人のコンペだ。

どうか今日から三日間、曇天は一向に構わない、多少寒いのも我慢するので、雨はもう落とさないで欲しい。お願いいたします!

2010年9月23日 (木)

雨ニモ負ケズ

会津まつり初日、昨日(9月22日)は、夕方から提灯行列が行われた。時折雨の降る中、こども達がカッパを着てお城に集まって来た。

先の市町村合併で北会津村、河東町も会津若松市になったので、遠くの小学生は貸し切りのバスで集合する。こういう大掛かりな準備だと少々の雨では、簡単に中止というわけにもいかないだろう。関係者の心痛いかばかりかとお察し申し上げる。

ザーッとは来ないパラパラ雨の中、会津磐梯山盆踊りも神明通りで行われた。昼中早々に参加見合わせを決めた企業もあったようだが、ほとんどの企業、グループが予定通り参加。賑やかに盆踊りの輪ができた。

悪天候ではあったものの、なんとか初日をクリアと言うところだ。そして夜、ザーザーの雨が降り続けた。

現在23日早朝、雨は小康状態のようだ。この雨は今日は一体どうなるのか?関係者は天気予報と首っ引きのことだろう。メインイベントの藩公行列、これまでの準備も大変だ。馬や衣装なども当然もう集められ準備万端だ。が、予報は雨・・・この中止か決行かを判断するのは大変なことだ。

おっと、ザーッと雨が降り出しました。リアル中継午前5時!果たして6時には開催の花火が上がるかどうか?気になるところです。

ところで、こちらはゴルフの予定、この雨の中一体どうするのか?まつり関係者には及びもしないが、悩ましいところではある。

ま、いずれにしても中止したからといって「雨ニ勝ッタ負ケタ」の話でもない、その時は「雨ノ顔ヲ立テテヤッタ」ということにしておこう。

2010年9月22日 (水)

芋煮会やっぺ!

そろそろ芋煮会の季節だ。芋煮会はなんといっても野外で大鍋で作るのがいい。

芋煮会と言うと何万人分も一気に作り、大鍋をユンボーでかき回すような絵になる光景がTVで何度も流されるため山形がすっかり有名になっているが、会津だって負けない。

山形の芋煮は牛肉にしょうゆ味らしいが、会津の芋煮は違う。なんといっても芋煮と言うぐらいだから里芋が主役、『俺が牛肉だ!』みたいに主役を食うような下品なことはせずに豚肉を使う。味付けも味噌プラスしょう油の合わせ技だ。

材料を仕入れると、ちゃんと下ごしらえをして大鍋まで貸してくれるような小さな地元スーパーが、以前は沢山あったが残念ながら減ってきているようだ。

芋煮会の場所は、なぜか水辺が好まれる。大川の河原とか、水辺の何とか公園とか、水が流れ空が広くて、いかにも秋らしい場所がいい。

芋煮会と言うのは野外で遊び、芋煮をたらふく食べ、大いに飲む(飲酒運転は厳禁です)事はもちろんだが、秋を愛で、秋を楽しみ、去りゆく秋を惜しむ行事でもあるのだ。だから秋にしか出来ない。

この時期、会津での宴席には、居酒屋であろうと料亭、割烹であろうと必ず芋煮が付く。その芋煮の味で板場の力量が、うかがい知れる。

京都にいた学生の頃、「芋煮会やっぺ!」と言ったら全く通じなかった。おそらく西の方では芋煮会と言うのはないのだろう。芋煮と言う響きは確かに雅ではない。

最近はしゃれてBBQなどと言って若者が集うが、会津では何百年も前からちゃんと和式BBQの芋煮会があったのだ。

日に日に陽が短くなり、冬の足音は気を滅入らせる。その前に芋煮でひと騒ぎだ。

高い高い秋の空、木々はその身を紅く燃やして寂しさに耐えている。やがて河原から芋煮の火が消える頃には、はらはらと紅葉も散って、長い冬がやって来るのだ。

2010年9月21日 (火)

雨もまたいい

明日からいよいよ会津まつりが始まるが、あいにくの天気予報が告げられている。会津まつりのお天気の印象は半々ぐらいかなぁ。

特に中日の藩公行列が雨にたたられると辛い。鎧兜の武将に扮した各氏、お姫様役の高校生など、本当に可哀そうだ。

いやいや、小学校の鼓笛隊だって、提灯行列だって、盆踊りだって、みんな可哀そうなことになる。なんとかパラパラ程度で持ちこたえて欲しいものだ。

イベントにとって雨は厄介ものだ。が、雨降りもそう悪いばかりではない。

2年前の秋、アメリカ・カリフォルニア州からお客様が二人来た。家人と共に一日、磐梯山周辺を案内した。

朝、宿舎に迎えに行くとあいにくの天気、雲が低く垂れ込め雨がしとしとと降っている。折角なのに残念だなぁ、と思ったが二人とも妙に嬉しそうだった。

猪苗代湖、表磐梯、裏磐梯へとクルマを走らせる。紅葉にはまだ早く、深い緑がしっとりと濡れていた。雨で人けのない五色沼、二人は傘もささず帽子をかぶりに盛んに歩きまわる。

「残念ですね、雨で」というと思いもかけない答えが返ってきた。

「いやぁ―、こんなに美しい風景が見られるなんて最高ですよ。雨に濡れた風景がいかにも日本の自然と言う感じがします。実に美しい!」

なるほど西海岸にはないしっとりとした風景、晴れも良いだろうが、彼らにとっては雨ふりもまたそれに負けないくらい良いお天気だったのだ。

あれから雨だからと言って残念なことばかりではない、と思うようになった。雨の日にしか楽しめない、味わえない、風情があると思えば、旅先での雨もそう悪いものでもない。

裏磐梯から達沢の不動滝へ。木々の中を濡れながら滝へと向かった。静かな秋雨の中を真っ白に流れ落ちる滝の姿、確かに今まで見たものとは全く違った表情で、実に素晴らしいものだった。

それは「雨降りにわざわざ滝見に行くバカはいない・・・」という単純な考えでは、決して出会えぬ美しい会津だったのだ。

2010年9月20日 (月)

Aくんの自慢話

友人のAくんは三世代家族だ。今どきなかなか珍しい。父親夫婦、自分たち夫婦、そして長男が2年前に結婚し、昨年男の孫ができた。みんな元気だ。

「位牌持ちができた、といっても今の人には通じないのなぁ・・・」と男孫の誕生を喜んでいる。

息子の嫁が一緒に暮らすと言った時、嫁に来てくれる娘に「あなたはA家に嫁いで本当によかった。絶対に幸せになる。おれが責任持って幸せにしてやっから」と、旦那でもないのに偉そうに、宣言をしたそうだ。よっぽど嬉しかったのだろう。

将来のことなど誰にも見通せはしない。しかし、自分は絶対にこうするんだと、意志を示し、宣言、公言することは悪いことではない。

口ばっかり!と、呆れられる軽さは慎むべきだろうが、ここ一番、気合が入ったなら口に出して言ってみるのも悪くない。

お父さんがせがれの嫁を幸せにすると宣言したら、お姑さんも、うまくいかないなどと言ってはいられないだろう。旦那となる息子も、親父に宣言されたらおちおちしてはいられない。じい様も、ばあ様もかわいい孫嫁を大事にするしかない。

また、その嫁も出来た嫁で、毎朝、いいから、いいから、というのに必ず玄関まで出て来て「お父さんいってらっしゃい!」と手を振るのだそうだ。なんだか聞いていて馬鹿らしくなるような、結局は半ば自慢話なのだが、まぁ、悪い話ではない。

三世代が仲良く力を合わせれば、今、世の中にある問題の多くは自分たちの力で解決できるに違いないだろう。

会津は曇り、時々ぱらぱら。今朝、お盆の大雨で行けなかった、御先祖さまの墓、大窪山の会津藩士の墓所に墓参りに行って来た。人っ子一人いなく、谷は静まり返ってクマが出てきそうな感じだった。それでもまあ、気にかかっていたところに行けると気持ちが晴れる。

2010年9月19日 (日)

千円の効用

土曜日18日、クルマで八王子へ向かった。晴天の三連休初日である。

磐越道を走る。朝霧で会津磐梯山の山頂は見えない。が、山の下の方から晴れて来ており、黄金の田んぼが輝きを増していた。磐越道、上りよりも下り路線にクルマが多い。

東北自動車道に入ると一層、下り路線のクルマが増える。この三連休、東北各地の観光地に向かう人々が多いのだろう。嬉しい好天だ。

宇都宮を過ぎるころには下り路線はクルマで一杯、とろとろ走りになっている。蓮田辺りではSAに入るクルマの渋滞が始まっていた。

土日、祝日の高速割引はすっかり定着している。渋滞も起きるが、人が大勢動くのは良いことだ。人が動けば必ず経済活動が生まれる。人々が国内を活発に動けば経済も動くのだ。

私の周りでもこの高速割引を利用し、何度も旅を楽しんでいる人が多い。千円で長州まで行って来たという猛者もいる。

この割引、一体いつまで続くのだっけ?春先には料金が上がるようなことを言っていた。反面、高速全線を無料にするとも民主党は言っていたっけ。個人的には無料化には反対だ。高速道路は受益者負担でなければ大いに混乱すると思うから。

この春から、一部の高速道路、盲腸路線の様な高速道路で社会実験と称し無料化実験が行われている。おそらくは全線無料化に向けてではなく、無料化をあきらめるため実験なのだろう。

土・日、祝祭日の千円割引、すっかり定着した感がある。無謀な無料化や値上げは止めにして、当面このままの千円に期待をかけてみてはいかがなものかと思うのだが・・・。

千円の効用はなかなか大きい、特に観光地である会津には捨てがたい。ここでの値上げは辛いのではなかろうか?

もうすぐ千円の効用ならぬ、千円の紅葉も楽しめる。

2010年9月18日 (土)

「ハーメルン」

「ハーメルン」とは、映画のタイトルだ。これから撮られる映画、10月に奥会津・昭和村でクランクインする。

全国第3位の高齢化率を誇る(?)昭和村、その村の廃校・喰丸小学校を舞台に撮影される。いずれは取り壊される木造の小学校、それを取り囲む奥会津の美しい風景の中で、およそ一カ月かけて撮影されるという。一部は会津若松市内でも撮影が行われる。

監督・脚本は日本での評価はまだ未知数だが、「美式天然」でトリノ国際映画祭でグランプリを取った坪川拓史さん。まだ三十代の若い監督だ。キャストには倍賞千恵子さんや小松政夫さん、内田春菊さんなどが決まっている。

廃校で暮らす年老いた元校長、彼のもとに自称卒業生という不思議な男が現れる。そして彼は校庭に埋められたタイムカプセルを掘り出すという・・・・。

正直、どんな映画になるのかは分からないが、喪失の時代に警鐘を鳴らしたいと監督は語っている。奥会津を舞台にどんな映画が生まれるのか楽しみだ。

この映画の完成を目指して「ハーメルン応援団」が組織されている。(0241-57-2114・昭和村公民館)なんとかこの映画を成功させようとあらゆる面でサポートし、募金活動も行っている。

奥会津の紅葉が美しい晩秋の頃、ぜひ昭和村に仲間と共に見学に行ってみたいと思っている。そして、微力ながら映画を応援したいと思っている。

詳しくは「ハーメルン」で検索すると応援のHPが出てきます。関心のある方は、応援よろしく。

2010年9月17日 (金)

男は黙って

先日、友人とゴルフのラウンドをした時のこと。

友人のTは仲間内でもゴルフ好きで有名、腕前もなかなかのもので、もう一歩でシングルプレイヤーだ。

その日も調子が良かった。アウトコース前半を折り返して3オーバー、この調子だと優勝間違いなしという好スコアだった。

後半のインに入って天気が怪しくなってきたが、2ホール目あたりからTの調子もおかしくなってきた。ドライバーが左に引っ掛かる、二打目をダフりチョロ、それまでの当たりが影をひそめ、簡単にダボを連発した。

それでも淡々とプレイを進め、結局上がった時には彼としては散々なスコアとなり、優勝戦線からは姿を消していた。

帰りの車の中で交わした会話。

「どうしたんだ?後半ひどかったなぁ」

「いやー、股関節が痛くなってな。ああなるとダメよ、身体が止まって左に引っ掛る、ダフるし、分っていてもうまく打てない。急に気温が下がったから、冷えるとテキメンだな」と、笑っていた。

それにしてもプレイ中は、一言も痛いとは言わないし、グリーン上でもニコニコと最後までプレイを楽しんでいるように見えた。同伴競技者も誰一人気付かなかった。言われてみれば後半、カートの乗り降りがいかにも大変そうだったが、単に疲れたのかなと思っていた。

股関節は彼の持病だ。それと上手に付き合いながらゴルフを生涯の趣味としている。ゴルフを心から愛している、というのが良く分かる。普段の生活はさておき、彼のラウンドマナーは素晴らしい。

同伴競技者に迷惑をかけない、不快な思いをさせない、お互いに最高の状態でプレーが出来るように気遣う。フェアウェイ上では間違いなく紳士だ。

人のことはあまり言えないが、スコアが悪くなるとなんだかんだと言い訳をしたり、明らかに機嫌が悪くなったりするのは、よくあるケースだ。ましてや、足が痛い、肩が痛い、腕が痛いとなれば、ああだこうだと思わず愚痴ってしまうのが普通だろう。

しかし、考えてみれば一緒にプレイをしている人にとっては迷惑な話だ。身体の不調を嘆くのであれば初めっからゴルフをしなければいい話だ。

一旦、フェアウェイに出たならば、最後まで気持ちよくラウンドし、みんなが楽しく終わるように努めるのもゴルフの重要なマナーなのだ。そんな当たり前のことに改めて気付かされた。

ひと言も痛いとは言わず、ひと言も言い訳しなかった友人の姿に『偉いなぁ!』と、いい歳して感心してしまった。

やっぱり男は黙って・・・が、恰好いい。

一昨日、昨日と会津はとんでもなく涼しくなってきました。半袖では肌寒い、そんな空模様です。

2010年9月16日 (木)

倒れている稲

ひと雨ごとに涼しさが増してくる。もう会津に猛暑は戻ってこないだろう。

近頃気になるのは、会津平の田んぼの稲が倒れていることだ。朝歩きで見る近くの田んぼも、クルマで走る郊外の田んぼも多くの稲が倒れている。そして、稲刈りはまだ少し先だ。

月初めの突風を伴ったゲリラ雨の時に倒れた。倒れた稲がどうなるのか知識がないが、まっすぐ立っているより良いはずはないだろう。

素人考えだが、この夏の猛暑で稲もすくすく伸びた。暑さで茎の部分がいつもの年よりも少しだけ長く伸び過ぎたのではないだろうか?実る穂で頭が重くなる。長い稲は重心が高く安定感に欠け倒れてしまう。

長い稲が安定感に欠けているのは、私がよく転ぶのに似ている。昔の柔道の授業でもよく転ばされたし、冬の十日市でもよく滑って転んだ。中高年になって転ぶのは危険がいっぱいなので注意しているが、今も結構けつまづく。

ま、私のことはどうでもいいが、稲が心配だ。せっかくここまで豊年万作が報じられているのに、ぺったりと寝てしまった田んぼを見ると胸が痛む。

一日も早く、無事に稲刈りが終わり、会津に豊穣の秋空が広がることを祈りたい。

2010年9月15日 (水)

人通りの多い街

都会の駅に電車が滑り込むと、大勢の人が吐き出され皆が一斉に街に向って歩き出す。都会では大勢の人々が街を歩いている。

が、地方に行けばいくほど、街を歩く人の数は少なくなっていく。一人に一台のクルマが走り抜けるが、歩いている人はほとんどいない。昼間の神明通りも、中央通りも、行き過ぎるクルマは多いものの歩く人影はまばらだ。

クルマでドア・トゥ・ドア、郊外へお店は移り、銀ブラ的な街歩きの楽しみは、もうすっかり消えている。

そんな会津の街に人通りが増えるのが午前5時から6時の間だ。ウォーキングを楽しむ人、走る人、犬の散歩をする人、自転車で走る人、天気の良い朝には街中も郊外も結構な人が歩いている。そして夕方にももう一度、ピークがくる。

日中はクルマがビュンビュン行きすぎるだけの外周道路。コンビニや外食産業、大型電気店など日本中どこにでもある店舗の看板が立ち並ぶ。

『どこにでもあるどこか・・・』なんだか日本中がおんなじような街になっていく様な気がする。

早朝と夕暮れにだけ、結構な数の人が街を歩き、「ああ、ここは会津だ」と分るのだ。

2010年9月14日 (火)

戦(いくさ)が足りない

戊辰戦争で江戸城が無血開城した時に新政府軍を率いた西郷さんは「これでは戦が足りない」と言ったそうだ。徳川幕府を倒し新政府をうちたてようという回天の業、古い体制を打ち破り新しい価値観を打ち立てるのにはそれ相応の血が流れなければならない、ということを西郷さんは知っていたのだろう。

徳川幕府の責めを会津藩が一身に背負う形で、新政府軍の矛先は会津へと向けられ会津戦争へとなだれ込んでいく。

そして、その西郷さん自身も遂には旧士族の不満を担う形で西南戦争へと進まざるを得なかった。多くの戦を乗り越えて日本の近代化は成ったのだ。

さて、今、日本はどこへ行くのだろう。政権交代を果たして約一年、三人目の総理大臣が今日、出来るかもしれない、出来ないかもしれない。が、いずれにしても政治が混乱の極であることに違いはない。

戦いが終わればノーサイドだという。ラグビーの試合、終了のホイッスルが吹かれたならば敵も味方もないという、いかにもさわやかなスポーツマンシップにあやかった様な云い様だが、政治とスポーツは違う。

「あなたが間違っている!あなたのやり方はおかしい」と罵り合っておいて、決まった瞬間に「全力で応援します」では、偽善的という他ない。

結局、誰がやっても同じだ!という道の先には、この国の沈没した姿しか見えない。

今のご時世、流血や屍を乗り越えるわけにはいかないが、この国が前に進むためにはやはり「まだまだ戦が足りない」のかもしれない・・・。

そういえば小沢さんは西郷さんを敬愛していると言ってたっけ。

2010年9月13日 (月)

会津は狭い

会津地方は千葉県一県よりも面積が広いのだから、地勢的には広い。しかし、ちょっと話すとあの人知ってる、この人も知ってるということになり、みんな知り合い、親戚だらけというようなことになる。

「えー、そうがよ、なんだべ、会津は狭いなー」と言う話は年中聞く。従って、人の悪口などは気安く言ってはいけない。目の前の人の御親戚だったりするからだ。

昨日もある会のメンバーと福島まで行く用事があり、車内で初めてゆっくり話す機会があった。よくよく聞いてみると、同い年で、私の盟友とも幼馴染み、おまけに娘同士が同窓生ということが判明した。会津は実に狭い。

初めての飲み屋のカウンターでも、少し話していると「何だ、みんな知り合いみたいなもんだ」ということになる。

こういうのが「監視されているようで田舎は息が詰まる」という、息苦しさにつながるのだろう。若者は特にそれを嫌う。自分のことを思ってもそうだった。

都市における匿名性と言うのは、人口が30万人を超さないと生まれないという説がある。会津地方の全人口をかき集めても32万程度なのだ。会津若松市は12万人弱。

仕事が終わって、ちょっと内緒でおねえちゃんと一杯!なんてことをしても、会津若松市の規模ではすぐにバレる。決して匿名ではいられないのだ。

これが東京なら二駅も移動すれば、自分がどこの誰だか知られることはないし、周囲の目も全く気にならない。芸能人や政治家でもない限り、誰もが匿名でのびのびしていられる。面積は狭いけれど限りなく広いのだ。

会津は狭い。人との関係が濃密でとても匿名では過ごせない。しかし、歳を取るごとにそんな息苦しさが、時には・・・妙に心地よくなったりするから不思議なものだ。

2010年9月12日 (日)

声にならない声

応援団長の声が出なかったらどうなるだろう?かなり間抜けなものになるに違いない、と思われるだろうが、あにはからんや、見るものを震え上がらせたのだ。

県立会津高等学校創立120周年記念式典の前にその椿事は起きた。

式典前の壇上では、伝統ある応援団の演武が行われていた。その最後に、会津高校の伝統始まって以来、初めての女性応援団長の3年生最後のエールが披露された。

このとき彼女は何らかの理由があったのだろう。完全に声をつぶしてしまっていたのだ。この日のために練習をしすぎたのかもしれない。とにかく可哀想なことに声は完全につぶれいた。それでも彼女はガクランでセンターに立った。

「フレーーーー」まるでガラスを引っ掻いたようにかすれた声を上げた。一瞬会場に「プッツ、、、」というような失笑が漏れたが、それも彼女の全身から絞り出すような、もう息にも近い必死の声が、すぐに吹き消した。

全身全霊の演技とはあのようなことを言うのだろう。全身に力がみなぎりエールを送る手刀は素晴らしい切れ味で空を切る。高々と降りあげ、舞台を踏みしめる足さばき、その見事さはあまたいるOB(おじさん、じいさん)の度肝を抜いた。

「フレーーーー」搾りあげる声にならない最後のエール、しかし、人間の気合はそれを越えている。なるほど、これが初の女性応援団長最後の演技か、と思うと本当に鳥肌が立った。

何事も全身全霊、必死の人間からは教わることが多い。

9・11

9・11にはやはり何かが起こる。

新春以来、続いたブログを遂に昨日アップし忘れてしまった。

敗因はいくつかある。

まず朝から母校会津高等学校の創立120周年記念式典に出たこと。祝賀会で昼酒を飲み、さらに同窓生と二次会に行ったこと。それでも夕方には帰宅したのだが、息子の帰宅が8時ごろになるというので、大江戸温泉へ行きサウナでたっぷり汗を流してまたも飲める状態になったこと。そしてさらに8時過ぎから街へ食事に出かけ、またたっぷりと飲んで食ってしまったこと。最後は睡魔に襲われて撃沈した。

なぜ、そんな遅くから食事に出かけ乾杯をしたのか?

それは9・11が私たち夫婦の結婚記念日であったからだ。

全く特別な日でもない結婚記念日が9年前に世界を変えた日になった。

一般市民を乗せた旅客機がNYのビルに突っ込んだ。あの日から村上ワールド的に言えば月が一つの世界と、月が二つある世界に、世界は分かれてしまったのだ。

まぁ、そんな事を話しながら盛り上がって、目覚めたのが今、9・11にはやはり何かが起きる・・・トホホである。

2010年9月10日 (金)

占い注意報

「私の人生を占ってください」と言う人は初めっから信じやすい人だ。その人の周辺情報を事前に調査し、ポロっと言えばそれだけでコロっと信じてしまう。「ご兄弟が多いですね」「えっ!どうしてそんなことわかるんですか!何も話してないのに。

紹介者がいれば紹介者が簡単なプロフィールを教えてくれる。テレビに出るなら局の事前調査が必ずあるだろう。それらを利用すれば簡単なことだ。でも、信じる人は信じてしまうのだ。

こんな例もある。人はほとんど視力が均等ではない。いきなり「右の方の目がお悪いですね」と言う「え、左の目が悪いのですけど」「あ、失礼、私から見て右の方と言うことです」「エー、でもどうしてそんなことわかるんですか?」と、まったく相手を疑わない人もいる。

占いトークというものがあるそうだ。

人は基本的にないものねだりで、自分は周りが思っているような人間ではないぞ!と心の中ではみんな思っている。見るからに陽気で、ガラガラしてガサツそうな人に「あなたは、周りから明るくなんの悩みもないみたいだって言われるかもしれませんが、実は非常に繊細で、神経が細やかな部分がありますね」と、見た目の逆を言えば不思議と当たっていると納得する。

たとえ繊細でも細やかでなくても、自分にはそういうところがある!と人は思っている(思っていたい)ものなのだ。言われると嬉しくなリ、信じる。

『芯には熱いものを持っている、容易に譲れない想いがある、不器用ではあるが頑なだ』よく意味は分からないが、言われてあまり不愉快には感じない。誰にでも結構、当てはまるような気がする。

悩み事のある人は、水を向ければ自分から話し出すのだという。

「人間関係は難しいですね」(当たり前だし、人間関係の問題を抱えていない人はまずいない)「実は家族のことなんです」「分ります。肉親ゆえの難しさがあります」(当然)「父の病気のことなんですが」「大分ご苦労されたでしょう」(苦労したからこそ占いに頼っている)・・・・こんな風に自らペラペラ話しているのに、何でも言い当てて凄いということになるらしい。

「人生の悩み、不安、苦痛」から逃れたくない人はいない。誰もが救いを求めたい。だが時に、そこには暗く大きな淵が口を開けて待っていたりする。

いわゆる弱みに付け込む商売だ。職業に貴賎はないというが、人を不安に陥れて大枚を巻き上げる商売は賤しい。不安を煽る怪しげな商売は、不況が進めばますます増えるだろう。そして、その入り口で占いが微笑んでいる、というケースが多いのだ。

世の占いがすべてインチキで、役に立たないなどと言うつもりはないが、テレビで堂々と霊能者だとか超能力者だとかを取り上げるのには疑問を抱かざるをえない。大人にはバラエティだと分っても、こどもたちには分らないだろう。

前世や、祟りや、因果応報など、当たり前の事ように話す番組は、ある意味、将来の霊感商法引っ掛かり予備軍を育てている気がしてならない。

・・・会津の朝は肌寒くなった。玄関の朝顔がたった一輪、小さな薄紫の花が震えるように咲いていた。

2010年9月 9日 (木)

土曜日のこと

夏と秋の空気が入れ替わったように、会津の空は真っ青に澄み渡っている。しかし、週末はまた真夏日が戻るらしい。

今週の土曜日に県立会津高等学校創立120周年の式典が行われる。我が母校であり、出席して同窓生と酒を酌み交わすことになっている。

会津高校は会津の名門校といわれる。明治23年に「私立会津中学」として生まれ、翌年には「会津尋常中学校」と改称、32年に会津中学校となり34年に福島県立会津中学校となった。

その創立には白虎隊士から東京帝大の総長となった山川健次郎博士、兄の山川浩陸軍大将などが尽力されたという。

昭和23年に新制の高校「福島県立会津高等学校」となった。一時期は数名の女性も居たと聞くが、私が入学した頃はコテコテの男子校で、そのむさ苦しさは尋常ではなかった。教室はもとより、長屋のように連なる木造の運動部の部室は、絵にも描けないほどの汚さだった。

あまりの臭いに先生方も近寄らず、自動的に治外法権のような感じで、部室内でタバコをプカプカ吸っている生徒も珍しくはなかった。

校風はバンカラ、入学と同時に学帽の後ろを切り、伸び放題の頭に、わざと帽子を汚してかぶって嬉しがっていた。あんな恰好の一体、何が嬉しかったのか、今では謎という他ない。

男子校であった会津高等学校も平成14年に男女共学となり赤いスカートをはいた会津高校生が誕生した。我が後輩ということになるわけだが、女性のいる高校と言うのが今でもちょっとイメージ出来ない。

ともあれ、120年という歴史は重い。それを祝って、百歳に近い大先輩から16歳の紅顔可憐な美少年・美少女が会津風雅堂に一堂に集う。

さて、どんなことを感じ、なにを思うのか?土曜日が楽しみではある。

2010年9月 8日 (水)

セレモニーの変遷

久しぶりに結婚式の招待状をもらった。今流行りの、洋館でのパーティ形式の式のようだ。思えば結婚式も大きく変わった。ほんの数十年前までは、バブリーで派手で豪華なセレモニーだった。

ゴンドラに吊られ、ドライアイスの煙の中、「マイウェイ」を歌いながら新郎新婦が登場!などと言う、今から思えばまるで罰ゲームのように派手な(顔から火が出るような)演出がごく普通に行われていた。

それがやがて仲人を立てなくなり、キムタクのように結婚式を行わないのが不思議ではなくなり、「できちゃった婚」なる言葉もごくごく当たり前に使われるようになった。

バブリーな、何百万円もかけた結婚式は少なくなり、豪華結婚式場も姿を変えた。親族や、身内でのパーティ形式の小ぶりでお洒落な式が増えた。

結婚は家と家の縁組だからしかるべき仲人を立てるもの。結婚式と出産日の勘定が合わないのは恥ずかしいこと。というような古い価値観は、わずか数十年でコロッと変わってしまった。近頃、仲人さんのいる結婚式には出たことがない。

このように風習や文化が変わるのには、相当に長い時間がかかって当たり前だったが、現代においては一瞬だ。

これはおそらくお葬式にも言えるだろう。豪華な祭壇を花で飾り、何百人もの弔問を受け、お返し物を用意し、夕食の使いなどの食事会を盛大にやる。花輪の山、弔電の山、数日の間に相当な金額が動く。

そんな葬祭業も今は我が世の春だが、いずれ団塊の世代が鬼籍に入り出す頃には、あのような形式的な葬儀を望む人は激減するだろう。

ビートルズの曲でもかけて親しい人だけで偲んでくれればそれで良いとか、葬式・戒名一切不要などと言う人も増え、お葬式事情は一変するに違いない。

祝い事であれ、不祝儀であれ、セレモニー自体は必要だろう。しかし、そこに集う人々の思いが伝わらないほどに肥大化して、商業ベースに乗せられたセレモニーはいずれ弾ける、ということなのだろう。

ところで、結婚式を華燭の典と言う。華燭・・・色とりどりの花々を描いた会津絵ろうそくはまさに華燭そのものだ。どんな形でもいい、会津で結婚式をやる時には、式場の一角に伝統の絵ろうそくを灯し、二人の幸せを祈る。そんな郷土愛あふれる演出はいかがなものだろうか。

今度の結婚式、持ち込みしてみようかなぁ。絵ろうそくの持ち込み料を取られたりして・・・。

2010年9月 7日 (火)

怪しい天気

会津もずっと厳しい残暑の晴れの日が続くような予報だったが、はるか南方の台風9号の動きによって、週間予報のお日様マークも次々に雲や傘に変わっている。

昨日のゲリラ雨はすごかった。午後3時頃、天がにわかにかき曇りあっという間に真っ暗、響き渡る雷、突風と共にバケツで水を浴びせるような雨、猛烈だった。ほんの10分ほどだったが、あれが30分、1時間と続けば恐怖だろうし、必ずや災害になる。ゲリラ豪雨とまでは行かずにゲリラ雨で済んだようだ。

しかし郊外では、稲が倒れたところもあるらしい。農作物をここまで丹精込めて育てて来て、台風や大雨で一瞬にダメになってしまうのは辛すぎることだ。

実に113年ぶりという暑い夏、気象庁も異常気象だと認めた夏だ。

ブログを振り返ってみれば、4月には満開の桜の上に、福島で雪がかぶさっていた。田植えのイネが震えあがった寒い寒い春だった。今年は春先から天候がすでに怪しかったのだ。この分でいくと、秋だって、冬だって相当に怪しい。

しかし、天の事は天に任せるしか方法がない。特別なことは要りませんので、ごく普通にお願いします!と祈るほかない。

今朝の会津は黒い雲、明るい雲がまだらに垂れこんでいる。なんだか不気味な空模様だ・・・どうか、会津の秋よ穏やかであれ!

2010年9月 6日 (月)

んめえもの・会津身不知柿

会津の秋の味覚は山ほどあるが、果物と言えば、その王様はなんといっても会津身不知柿(みしらずがき)だろう。まだ少し早い(10月末から11月にかけて収穫)が、大好きなので書いておく。

別名を「西念寺柿」と言う、とモノの本にはあるがそんな呼び方は一度も聞いたことがない。なんでも500年ほど昔、西念寺の和尚さんが中国から苗木を持って帰って来たそうだ。大ぶりの柿で見事に渋い、渋柿だ。

その渋柿が、どうしてあんなに甘くなるのかは分らないが、35度ほどの焼酎をかけて箱詰めして密封しておくと2週間ほどで甘柿に変わるのだ。これを「さわす」という。

柿の木にはものすごく一杯の実がなる。自分の枝が折れてしまうほど、身の程知らずに実をつけるので身不知とも、またあまりの美味しさに我を忘れるので身不知ともいうそうだ。

食べられるのは11月に入ってから。すっかり空気も冷え込んで柿の冷たさがしみる。柿は身体を冷やすといわれる、おいしいからと言って調子に乗って食べすぎると本当に寒くなる。

また、柿は二日酔いに効くとも言われる。二日酔いの朝の冷たい身不知柿、五臓六腑にしみわたり爽やかな甘みで身体も幾分シャンとする。酔い醒めにはまさに最高の逸品だ。

時々、渋さの残った柿に当たったりすることがある。口に中が渋い薄皮を張り付けられたように痺れる。こういう柿はもう少し日光に当てて日を置くと渋みが抜ける。

青木地区の身不知柿は毎年天皇家に献上される。職員が一個一個丁寧に磨きあげる姿が深秋のニュースの定番として報じられる。白布に包まれ丁寧に箱詰めされた柿はまさに秋の宝石のように美しい。

身不知柿の事を書いていると幾分涼しくなったような気がする。しかし、外はまだまだ猛烈な残暑だ。こんな天候で今年は豊作なのだろうか?

2010年9月 5日 (日)

もうすぐ黄金

夏空の下、青々としていた田んぼも、気がつけば黄金色に色づいてきている。「実るほど首を垂れる稲穂かな」とは実にうまいことを言ったものだ。「選挙だけ首を垂れるおバカかな」という時節柄だが、実りの秋はしっかりとそこまで来ている。

会津平をクルマで走るとあの会津の風景を描いた版画で有名な斎藤清画伯の『実りの秋』を思い出す。黄金の波の先には高く澄み切った青空を指すように磐梯山がそびえて立っている。車外気温34度というのがちょっと秋とは思えないだけだ。

先日赤ちゃんの誕生祝いを送った親戚の子から御礼の品が届いた。これがなかなかのアイデア品だ。化粧袋に生まれたこどもの命名が大きく書かれ、『何月何日に生まれた僕とおんなじ重さのお米です』と、あの魚沼産のコシヒカリが入っている。

思わず「新米目前の米どころ会津にはどうなの・・・?」とつぶやいたら、家人に怒られた。

この品は春先に生まれた時に引いたもの。こちらのお祝いが遅れてしまって今になっただけだ。確かになかなか良いアイデア、余計なことを言ってごめんなさいと言う話だ。ありがたく頂くことにする。

さて、今年の会津の米は豊作間違いなし、と言った感じだ。もう2,3週間もすれば稲刈りが始まるだろう。天下に誇る会津の米、まさに黄金の恵み、実に楽しみだ!

2010年9月 4日 (土)

汗が止まらない

暑い夏こそ熱いもの、辛いものを食べて、ドバット汗をかいて・・・なんてことを言うが、それは普通に汗をかく人の話だ。この猛暑残暑の中、熱くて辛い坦々麺や辛味噌ラーメンなんて食べたりしたら、私の場合、大変なことになってしまう。

ドバット汗が出て、当分は止まらない。着ているものも大変、びしょびしょでそう簡単には止まらない。汗っかきという言う言葉があるが、私は超汗っかきだ。それも一度かくと、しばらく止まらないので困る。

ダイエットのため通勤は歩いて!などと言うけれど歩いて行ったら大変なことになる。11月に一度試したが、着いたころには背広まで汗がしみるほどで、Tシャツ、ジャージでなければとても無理と思ったのが11月だから、歩いての通勤は絶対不可と思っている。

冬でもラーメンを食べる際には家人は汗ふきタオルと称し、必ずタオルを持ち歩いてくれる。額にすごい汗が出る。

夏のゴルフは、パットをするときにキャップの先からぼたぼたと汗がたれて落ち、ボールが動きそうになる。終わって帰ればキャップは必ず洗って乾かさねばならない。帽子が一度使えばびしょびしょで使い物にならないのだ。ゴルフ場のビニール袋に帽子を包んで帰って来るのは私ぐらいだ。

デブだから汗をかくんだ、と言われるほどのデブではない。メタボではあるがデブと言われたことはあまりない。

汗のかき方は、人によってすごく差がある。とにかく顔(額)部分の汗がすごく、ボタボタ垂れるので、始末が悪い。(名誉のために言っておくが前髪があった頃からだ)

この残暑、本当に汗が止まらない。この夏は、汗腺がより一層開いてしまったような気がする。冷房の効いた部屋で、こうしてブログをかいているだけで、額にはラッキョの様な汗、家人にも息子にも呆れられている。

会津よ、もう九月だぞ!さわやかに空が吹き抜ける、美しい九月の君の姿を見せてくれ。今、心からそう思う。

2010年9月 3日 (金)

不思議な建物

飯盛山の中腹に「さざえ堂」と呼ばれる不思議な建物がある。

1796年というから今から二百年以上も前に建てられた木造のお堂、お堂といよりは塔と言った方がイメージが近いかもしれない。高さが16.5m、三階建強ぐらいの高いお堂だ。

「さざえ」の名前の通り中がぐりぐりの巻貝を思わせる不思議な構造だ。階段ではない木造のスロープをらせん状に回りながら登っていく。ほぼ一回転半で頂上へ、頂上で下りのスロープにわたり、またぐるぐると下って来るとお堂の裏側に出る。

二重らせん構造になっていて、登りも下りも同じ道は通らない。

その昔はスロープ脇に三十三観音像が祀られ、一体一体お参りしながら登り下ったそうだ。すなわち、このお堂の中を拝みながら進むと三十三観音参りが出来てしまうという仕掛けになっていたわけだ。

その昔、飯盛山には正宗寺というお寺があり、さざえ堂はその境内に建てられ正式には「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)と言うそうだ。今はそのお寺はなく、近くには厳島神社がある。

平成8年には国の重要文化財に指定されたさざえ堂前の道は、私の朝の散歩コースだ。飯盛山の石段ではなく、さざえ堂の方から白虎隊士の墓まで登っていく。

そういえば若い頃、このさざえ堂を使った会津観光ポスターのコピーを書いたことがあったっけ。超うる覚え。

『ぐるぐる登って ぐるぐる下る 不思議回廊さざえ堂   一度通り過ぎた場所へは二度とは戻れない  似ているようでいて どこかが違う道  ぐるぐる登って ぐるぐる下る 不思議回廊さざえ堂  それは二度とは戻れない人生にも似て・・・ 』

こんな感じだったかなぁ。

2010年9月 2日 (木)

続・会津の9月

昨日のつづき、9月22日から24日は「会津まつり」だ。

22日、23日には市内中心部の神明通りで会津磐梯山盆踊りが行われる。以前は十万人の盆踊りと言って、お盆と会津まつりに二回行われた。それこそものすごい人で、踊りの輪は三重にも四重にもなり、見物客も鈴なりで神明通りのアーケードの下は身動きが取れないほどだった。十万人はオーバーでも万単位の人出だったろう。

その盆踊りもお盆には行われなくなり、この会津まつりだけとなってしまった。この二日間は大いに賑わう。様々な企業が揃いの浴衣で参加しているが、勿論フリーも大歓迎、観光客でも誰でも踊りの輪に加わることが出来る。

24日には「日新館童子行列」と「鼓笛隊パレード」が中央通りで行われる。童子行列は昔は日新小学校だけの行列だったが、今は各小学校持ち回りで行っているようだ。その後ろに市内全小学校が参加する鼓笛隊パレードが続く。カメラやビデオを持ったお父さんお母さんが、わが子を追ってダッシュしまくっている姿がなんとも微笑ましく、賑やかだ。

また、24日には飯盛山の白虎隊士の墓前で白虎隊墓前祭が行われている。4月24日、9月24日の二回行われる。この墓前で会津高校剣舞会による剣舞の奉納が行われる。会高剣舞会は年に二度、この墓前でしか舞わない。そのために一年中、練習しているのだ。まさに頑固な正統派、どんな観光イベントに呼ばれても舞うことはない。

私がこどもの頃は、会津まつりの間は休みだったと思う。お彼岸ということもあるが、なんとなく街中に香華が漂うような荘厳な空気をこども心ながらに感じたような気がする。

澄みきった秋空のもと手を合わす人々、会津の9月は先人への感謝を捧げる祈りの月でもある。

2010年9月 1日 (水)

会津の9月

会津の9月は鎮魂の月でもある。9月22日から24日まで行われる会津最大の祭り「会津まつり」は、鎮魂の色合いの濃いお祭りだ。

私のこどもの頃は確か「会津白虎祭り」と言ってたと思うが、いつの間にか「会津秋まつり」という普通の名前になり、近頃はその「秋」がとれて「会津まつり」になったようだ。第一回が昭和28年(1953)というから、テレビ放送と同い年、私とも同い年ということになる。

秋のお彼岸にあたる9月22日に会津藩は新政府軍に降伏した。(新暦だと11月6日にあたる)数多くの犠牲者を出した会津戦争はこの日に終結したわけだが、そこからまた先人たちの長い苦難の日々が始まったのである。

そうした先人たちへの感謝と鎮魂、それが「会津まつり」の原点にある。

22日は前夜祭とも言える提灯行列が行われる。各町内のこどもたちが集まって市内を練り歩く。この提灯行列は、秩父宮妃勢津子殿下のご成婚の際に市をあげて祝った提灯行列に由来するともいわれる。秋風に揺れる提灯の火は、先人の御霊を慰め、祭りを祝う優しい灯だ。

もちろん私も、こどもの頃には参加した。ゆらゆら揺れる提灯をふりまわして何度も燃やしてしまった記憶がある。行列の間に二度も提灯を燃やすと、引率のお兄さんにさすがに一発くらった。昔の大人はどこの子の頭でも平気でひっぱたいた。

23日には祭りのメインイベント「歴代藩公行列」が行われる。鶴ヶ城本丸で会津松平家の現当主を迎え先人感謝の神事がしめやかに行われる。その後出陣式が行われ、行列が市内に繰り出す。会津松平三百年の歴史絵巻が繰り広げられるのだ。

沿道は大勢の観光客や市民であふれる。私がこどもの頃には、羽織はかま姿の正装で、殿様の行列を迎える老人の姿も結構あった。会津において「戦争」というと第二次世界大戦よりも、会津全体が戦場と化した戊辰戦争の方がリアルに思い浮かぶ・・・などと言われていた頃、もう半世紀も昔の事だ。

つづく。

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