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2010年8月

2010年8月31日 (火)

ふり上げた拳

ふり上げてしまった拳を下ろすのは難しい。なぜなら、ふり上げるときに「このヤロー、テメエなんかダメだ―!」と相手の許せない点を叫んでる。一度、口をついた悪態は消せやしない。

コバト幼稚園のK君とO君は、お互いに胸ぐらをつかみ合い、拳をふり上げて今にも殴りかからんばかりだ。一発ポカン!と行く勇気もなかなか出なくて、涙目でにらみ合っている。

コバト園長先生はK君がいいと言ってみたり、やっぱりO君の方が正しいと言ってみたりしてオロオロしている。

周りの園児も「ヤレー」と言ったり「やめろと言ったり」大騒ぎだ。

みんなこんなことをするためにこの園に来たわけじゃないだろう。一人ひとりの個性と才能を十分に発揮し伸ばし、力を合わせてこの幼稚園を素晴らしい園にしようと入園してきたはずなのに・・・。

一度ふり上げてしまった拳、たとえここでおろして仲直りをしてみせても、そんなのウソだってもうみんな分かっている。またいつかけんかするための、仲直りのようなものだって。

だって、K君もO君もあんなに幼稚園のためって言いながら、結局は自分のことを一番に考えているんだ。

ひとつだけ分ったことがある。

人のやっていることを批判するのは簡単だ。自分がやってみればどれだけ大変なことか初めて分かる。でもでも、やらなきゃいけないのに、K君もO君もコバト園長も、結局はまだ何一つ、してはいないってことだ。

ふり上げた拳・・・見つめる先生たちも、お父さんお母さんも、地域の人々も、なんだかバカらしくてとっても悲しくなる。泣きたくなる。

8月最後の日、戦後一番暑い夏は終わる気配を見せぬまま9月を迎える。会津は快晴、猛暑です。

2010年8月30日 (月)

会津っ子を増やそう

こどもは授かりものというがまさしくその通りだ。知り合いの若い夫婦は子作りに努力しているがなかなか夢が叶わない。ぜひ叶って欲しいと願っている。

不妊治療も進んでおり、昔に比べれば信じられないくらいの確率で赤ちゃんを授かることが出来るようになった。しかし、それでも残念ながら授かれない場合もある。

その先には、卵子提供とか、代理母などという方法もある。それを認めるかどうかは生死観、世界観の問題で人それぞれ意見の分かれるところだ。実子にとらわれず養子縁組という考え方もある。

いずれにしてもこどもは宝物だ。幕末に外国人が日本の印象を記した中に、日本人ほどこどもを大切にする民族は居ないと記されている。男も女も子守りをかって出て、共同体の中でこどもは最も大切な位置にいた。こどもを慈しみ育てる姿に外国人は打たれたのだ。

誰もが昔はこどもだったこと、こどもたちが大人になって次世代を担うのだ、ということを考えれば、これは至極当然の事だ。

少子高齢化が問題だと言われ出した頃には、少子化が問題になるのはまだまだ先の事だろうと高をくくっていたが、今ではこれは大変なことになる!と誰もが思っている。

恥ずかしい数字だが会津の中・高生の妊娠中絶率は他地域よりも高いという。人口が減っているのに残念、残酷な話だ。未婚率、晩婚率も高い、これでは人口増などとても望めない。

縁結びの神様、子安の神様にはどんどん頑張って大活躍をしてもらいたいものだ。特に会津のような地方においては、格別のご配慮をお願いしたい!

いやいや神頼みを言っている場合ではない、もはや少子化は地方政治の最大の課題と言ってもいい。教育、医療、福祉、あらゆるもの総動員で産めよ増やせよ政策に取り組まなければ、本当に大変なことになる。もう先が見えて暗い未来が計算できる、それなのに坐して見過ごすわけにはいかないはずだ。

私にはもう何も出来ないが気はもめる。会津っ子を増やそう!

2010年8月29日 (日)

紙があってよかった

先日、全国紙各紙に製紙メーカー共同のメッセージ広告が載った。「紙があってよかった、紙が人の思いを伝える」そんなイメージとして野口英世の母・シカさんの手紙が紹介されていた。

母が異国の息子を思い、一度でいいから帰ってその顔を見せてくれと訴える有名な母から子への手紙だ。あまり字の書けなかったシカさんが一生懸命に綴った手紙は、誠にたどたどしいが見る人の心を打つ。

「・・・かえってきてくだされ、かえってきてくだされ、かえってきてくだされ、かえってきてくだされ、いっしょうのたのみでありまする」この手紙に心を打たれ、野口英世は米国で成功を収めてから初めて、そしてたった一度だけ、会津の地に帰って来る。母に会うために。

野口英世と母の愛の物語、感動の映画「遠き落日」。実は私もちょっとだけエキストラで出ている。日本を発つ前に酒場で英世が酔いつぶれるシーンそのバックの酔客、確かにぼんやり映ってはいるがボケボケで全然分からない。

あの撮影の時、エキストラはみんなドーランを塗ってもらったり、つけひげなんかしてもらい、明治の酒場の雰囲気を出そうとその気にさせてもらってたのに、私のひげ面だけはそのままでいいです、と冷たく言われたのを恨めしく覚えている。

その映画「遠き落日」が白壁映画祭で上映される。末広酒造の酒蔵の白壁をスクリーンにして野外上映するという催しだ。昔、町内会で行われた映画会は大体そんなものだったので懐かしい。ボケボケの若い日の自分を見に行ってみようかな。(9月5日19時より、入場無料)

全く関係なく、水を差すようで申しわけないが「紙があってよかった」と言われると、まずなんといっても昔の便所の紙を一番に思い出してしまうのは、私だけだろうか?

2010年8月28日 (土)

愛は地球を救う

8月の最終土・日に行われる24時間テレビ「愛は地球を救う」、もうすっかり夏の風物詩として定着した感がある。今年で33回目という。

確か第一回目だと思ったが、印象的な場面があった。特別なシーンではない。番組が始まって一夜が明け、様々な芸能人が応援に駆け付けた。その中に加山雄三さんがいた。刑事役の撮影中とかで肩から拳銃を下げてニコニコとやって来た。『愛は地球を救うか、良いねぇ、愛は地球を救う、これだよ』と、おもちゃの拳銃を振り回しながら太陽のように明るく言った。

30年前、大の大人が口にするにはちょっと面映ゆいようなキャッチフレーズだったが、彼が言うと全く何の嫌味もなく「愛は地球を救う」という言葉がすんなりと入って来た。

誰もが徹夜明けの眠い目をこすっている中を、若大将のさわやかなメッセージが一陣の風のように吹き抜けた・・・ように私には見えたのだ。

本当の大人の男と言うのはああいう風にならなきゃいけない。

大袈裟だが『男はタフでなければ生きていられない、優しくなければ生きている資格がない』そんなハードボイルドな科白をさらりと言ってのける、フィリップス・マーロウの姿と加山雄三さんがちょっとダブった。

あれから33年か・・・『愛は地球を救う、やっぱりこれだよなぁ』そんな風にさらりと言えるいい大人になれただろうか?

24時間テレビ、なんとなく見てしまう。涙を流し、ちょっと感動し、声援を送る。黄色いTシャツのボランティアをみると応援したくなる。そんな夏の終わりの定番だ。

24時間テレビが終わると本当に秋・・・のはずなのだが来週も、9月になっても会津の天気予報にはお日さまと33度越えの数字が並んでいる。

残暑お見舞い申し上げます!

2010年8月27日 (金)

「先生」雑感

O先生、H先生、K先生・・・先生同士がお互いに丁寧な敬語を使いながら、机の下で足を蹴っぽり合っている。

誰もが一家言を持った政治家同士、「さん」がどこから「先生」に変わるのだろうか?

「先生」と呼ぶのは、心から尊敬に値するか、媚を売っているか、おちょくっているか、のいずれかだ。(惰性というのもあるかもしれない)いずれにしても聞けば勿論、尊敬していると答えるのだろう。そうは思えないけれど。

『お前がやるなら応援すると言っていただいた』とへりくだるO先生、H先生は二人きりになるとお前呼ばわりするのだろうか?聞いてみたいものだ。

数合わせを「大義」と言えば聞こえはいいが、『俺を引っ張っておいてふざけんな、と凄まれて怖いから・・・』とH先生の顔には書いてあるようにも見える。

抱きつき心中、政界引退発言からわずか数カ月、ゾンビやキョンシ―でもこんなに早く復活は出来ない。それも「先生」として堂々とカメラの前に立っている。確かに化け物だ。

諸事、呆れるが、ここまで来たらもう、とことんやってパックリ割れて、あっちも割れてガラガラポンして欲しい、というのも大方の声ではなかろうか。

「先生、先生、先生」その言葉の軽さが、日本丸を混沌の海に押し出していく。当面、当分、日本丸の航海は、相当に厳しい。

昨日の会津は15時過ぎに突然の猛烈雷雨、夜もかなりの雨、これで一気に涼しくなると思ったら、今日は朝から蒸し蒸しピーカンでまたも34度予報。

先生!残暑というにはあまりにも厳しい暑さです。

2010年8月26日 (木)

上戸と下戸だと

私の父親は8人兄弟だが、戦争を越えて生きていたのは6人。その内、4人は下戸で2人は上戸でザルなみだ(一人はだった)。父は下戸の方で、お猪口一杯で真っ赤になった。母親は結構飲めたようだ。その息子の私は飲めるが、姉は弱い。

で、家人は上戸、なので娘、息子もよく飲む。一家四人が飲めるのは悪いことではないと思うが、猛暑時の消費ペースはかなりのものだ。普段は飲まないという息子は、ここぞとばかり壊れた自販機の前で飲んでいるように空き缶を山にする。

酒を飲む人と、飲まない人との生涯費用はどれほど違うのか?とつまらないことを考える。

ならして一日500円として365日で182500円。二十歳から元気に40年間飲んだとして730万円だ。とてもこんなものでは済まないように思うが、これでもすごい。

先日、初めて息子と二人で居酒屋に行った。BSの人気番組「酒場放浪記」でも紹介された「盃爛処」(はいらんしょ=会津弁でお入りくださいの意)だ。

なかなか渋い古びた居酒屋だが、つまみも酒も上等だ。特に会津清酒を中心に日本酒がずらりと揃っている。生ビールを飲んだ後に1合ずつ、あれこれ味わう。甘いだのすっきりだの濃厚だのと言いつつ、トンビなどをつまみに五つぐらいやったかな。

こういう楽しみは下戸同士では出来ない。出来たからと言ってどうってことでもないが、酔っぱらいはそれだけで楽しい。

これからも度々こんなペースでやっていると生涯費用は、ますます跳ね上がるに違いない。

ま、どうせ飲むんだから本当にどうでもいい話なのだが、家族4人が上戸と下戸とでは、相当に違うということだ。

軽く退職金分ぐらいは違いますよね、お父さん!

2010年8月25日 (水)

んめぇもの・ラーメン「よどや」

学鳳高校校庭の南側にある。細い道なので分りにくいが人気は着実に上がっているようで昼時は多少待つこともある。

2,3年前にお店を開店した時からきっぱりと店内禁煙をうたっているのがいい。決して広くない店内、隣でプカプカされたらたまらない。

ラーメンはさっぱり系だ。これぞラーメンという味。とがったクセがなく、まさにちょうどいい味という表現がぴったりだ。決して病み付きになる味ではないが、しばらくすると妙に食べたくなる。

一杯480円という値段も嬉しい。メンマラーメンやのりラーメンも同じ値段というのが、ちょっと変わっていると言えば変わっている。

細麺の選択も出来るが、これはかなり細い。お好み次第という奴だろう。

この時期、冷やし中華の季節だが、冷やし中華もいける。味はもとより、麺がめちゃくちゃ冷たい。この冷たさは美味しさだ。ここまで麺の冷たい冷やし中華は他所ではちょっとお目にかかれない。

注文を聞いていると、のりラーメンのファンが多いようだ。ギョーザも美味しく、3個、5個と選べるのが、なかなか細やかな心遣いだ。

こうして思い出しながら書いているとまた妙に食べたくなる。正統派ストレート・ラーメン「よどや」だ。

2010年8月24日 (火)

夏の終わり

こんなに暑いのにやはり季節は進んでいるようだ。昼は33~5度ぐらいでも朝晩はひと頃より4、5度は涼しい。虫の鳴き声も大きくなったし、ススキも穂を出し始めている。

暑い、暑いと文句ばっかり言っていたのに何となく寂しいのはどうしてだろう?特に夕暮れ時、大きく西に傾いた夕陽が会津野を染めると、それだけでいい歳してメランコリーな気持ちになる。

そんな時ふと思うのだが、今よく言われる草食系男子というのは夏の終わりにどんな気持を抱くのだろうか?

若い日の夏なんて頭の中の8、9割は異性の事ばかり考えていた。決して私が特別なわけではない。同級生と話してもみんなそうだ。ひと夏の思い出と言ったら恋の事だし、恋なしに夏が燃え上がるはずもない。(とは言いつつ実際は彼女がいる奴なんてほんの一握りだったけど)

それでも突然の夕立みたいに降ってくる恋を夢見てた。自分が突然、小説や映画の主人公に変わるようなことが、全く有り得ない!とは思ってはいなかった。そういう意味では男女ともに、誰もが冷めてはいなかったように思う。

ジャンケンで負けた奴がドキドキしながら女の子に声をかける。意中の彼女に偶然会ったように、待ち伏せしたり、追跡したり。今なら、犯罪でしょ?と言われかねないが、ストーカーなんかとは全然違う明るさでときめいていた。

100%肉食系だったお父さんたちには、草食系男子の心はとても理解できないだろう。

「僕は別に興味ありません」と言われても「なんでだよ、若いのに勿体ない!」なんて見当外れの答えしか返せない。

昔、親子の断絶という言葉が流行ったが、断絶していたのは人生観や社会観だ。俗に言う草食と肉食では「性」という人間の根源のところで、断絶というよりも相互理解不能と言った方が正しいのかもしれない。

夏の終わり・・・さまよえる平成の大草原で草をはむ若者たちは一体何を思うのだろうか?

2010年8月23日 (月)

んめえもの・お店 「バー保志」

「バー保志」というとカクテル通の人なら東京銀座のお店でしょう?と言うかもしれない。銀座六丁目にある「バー保志」は、銀座のバーの中でも人気のお店だ。オーナーの保志雄一さんは、日本でも有名なバーテンダーの一人だ。

銀座の名店「バー東京」「リトル・スミス」などのチーフバーテンダーをつとめた保志さんが、04年に開店したのが「バー保志」現在では銀座周辺に3店舗があるという。

そしてその4店舗目がこの春、会津にオープンした「バー保志」なのだ。

保志さんは01年、インターナショナル・バーテンダー・コンペティション・ジャパンカップで優勝し、世界一の称号を持ったすごいバーテンダーなのだが、実は会津若松市の出身。地元には知己も親戚も多い。そうした縁でふるさとにも出店の運びとなったようだ。

凄腕のバーテンダーなのだが人当たりはいたってソフト、抜けない会津訛りとキリリとした白のバーコートのバランスが絶妙な雰囲気を醸し出す。常ににこやかな彼の人柄が多くの人々を惹きつけているようだ。なんとなく、人の良い会津弁の植木等さんのような感じがする。

お店は、お城にほど近い鶴ヶ城会館の一角、「レストラン・ラシーヌ」のウェイティングバーとしてある。12、3席ほどの小さなスペース、東京から生え抜きのバーテンダーが来て腕をふるっている。そして、運が良ければ保志さんに会えることもある。

保志さんが世界一になった時のオリジナルカクテルが「さくらさくら」。ジンをベースにした淡い桜の色合いを漂わすカクテルだ。鶴ヶ城址を望みながら飲むにはまさにぴったりの一杯と言えるだろう。

会津で味わえる銀座の一流バーの味、こんなお店も会津にはあるのです。

2010年8月22日 (日)

夢の話

「必殺技は何ですか?」その男はバランスボールにまたがって笑いながらそう訊いた。

「必殺技ってなんだよ、空手チョップとかそういうの?そんなのあるわけないだろう」

「いやいや、そういう殺すぞ!ってやつじゃなくてもいい。これだけは誰にも負けない自信あり、ってやつですよ。相手にグゥの音も言わせないぐらいの必殺技ですよ、ここ一番の必殺技!」

「だれにも負けないか・・・難しいね」

「あれー、ないの?そんなエラそうな顔しててなかったりしてね、必殺技!」

「いや、そういういうわけでもないけど・・・得意技じゃ駄目か?」

「得意技とかいうと、駄洒落がすごいとか、サイダーを一気飲みできます。みたいなこと言うんでしょう。そんな、成るほど程度のじゃなくて、必殺ですよ、これぞ必殺」

「意味がわかんねえな。必ず仕留めるか、必殺ねぇ」

「分からない人ですねぇ。必殺技は何ですか?と聞かれてパッと答えられるものがないわけ?だから最近、全然精彩ないんですよね。『俺の必殺技は愛だ!』みたいなおバカな答えで構わない。必殺技と尋ねられて、バシッと答えられるそんな男じゃなけりゃね、つまらないでしょう、嗚呼、本当に・・・・」男はバランスボールの上でニャリと嫌味に笑うと姿を消した。

汗びっしょりになって目覚めた真夜中、会津の空には月齢12日のいびつな月が煌煌とあった。すべての屋根を等しく濡らすように月の光が降っている。

必殺技かぁ・・・夢の中の男の質問が頭から消えずに、眠れなくなった。「必殺技は何ですか?」

2010年8月21日 (土)

神明通りでクマを飼う

今朝の新聞に、今年2月に閉店した神明通りの会津中合デパートの建物と跡地が一括売却されるというニュースが載っていた。

まちなかの要地だ。地元と協議会などを設けて話し合いも行われてきたようだが、ここにきて突然売却を発表、ビジネスを優先せざるを得ない状況に追い込まれてるということなのだろう。

どうなるのかは全く分からないが、できれば人の集う場所になって欲しいものだ。その昔、あの辺りに商工会議所があったように記憶している。その商工会議所が戻って来るのもいいかもしれない。会議も多いし、イベントも多い。

集客力のある商業施設などもいいが、駐車場を求めて大型店の多くが郊外に出ていった流れを見てもそれは簡単ではないだろう。

20年以上前になるが、市民会館の跡地をどうするか、という話し合いに呼ばれたことがあった。あのころはまだ中心市街地の空洞化もそれほど深刻ではなかった。

様々な夢が語られたが、私は若者が住んでみたいようなお洒落な市営住宅を建て、まちなかに若者を呼び込んではどうかと提案した。あの一等地に市営住宅?と、一笑に付されたが、今思ってもあまりピント外れではなかったように思う。

とにかく人を呼び込めるものができて欲しい。せっかく生涯学習センターの「会津稽古堂」がすぐそばに出来るのだから相乗効果が大いに期待できる施設がいい。

昔、信じられないだろうがあの辺にクマがいた。神明通りでクマが飼われていたのである。確か磐梯五郎と言ったっけ。誰かが磐梯山麓で拾ってきたのを神明通りで檻に入れて飼っていた。大きくなりすぎて、いつの間にかいなくなったが、実にのどかな時代だった。

そう、神明通りでクマを飼うような、大らかで大胆でユニークなモノができて街に賑わいが戻ればれればいい!と心から願うばかりです。

2010年8月20日 (金)

消えた老人

百歳以上のお年寄りの行方が分からないというニュースには驚いた。全国至るところで発生しており、その数にも驚いた。核家族化、社会の無関心など背景は様々だが、このニュースに隠れているもう一つの大きな問題は、不思議なお役人体質だ。

もし生きていれば最高齢、そんな人に会えない、確認出来ない異常さを、お役人はみんな分かっていたはずだ。分らないはずはない。それなのに書類を送るなど、手順通りの事をやってそれ以上踏み込むことはしない。前任者が解決できないことに自分から踏み込むバカはいないのだ。

お役人にとってはどんな仕事をしたかではなく、どれだけ問題を起こさなかったかが重要なのだろう。今、高齢者所在不明の問題にぶち当たった担当職員はわが身の不幸を嘆いているに違いない。そして、この春に担当課から異動した人たちは胸をなでおろしていることだろう。

完全な前例主義、前例を踏襲して問題を起こさず、露見せずに過ぎれば、やがてまた別の課へ異動になる。結局は何もしないことが一番安全な出世街道といえる。

幼児虐待などの事件でも同じように、決められた手順は踏んでやるべきことはやっていたと弁明を繰り返す。結果として救えたかどうかではなく、決められたことをやっていたかどうかが一番重要なのだ、とでも言うように。

百人を超える所在不明の老人たちは、今の日本社会の病巣の深さをあぶり出した。そしてまた、この国の停滞を招いている不思議なお役人体質をもあぶり出しているように思える。

幸いなことに会津には所在不明の百歳以上のご老人は居ないらしい・・・。

2010年8月19日 (木)

晴れ男ではある

人間一人の力で晴れたり、降ったりお天気を動かせるはずもないが、何かするごとに総じて晴れに当たる人、雨に当たる人、いわゆる晴れ男、雨男は(もちろん女もありだが)確かにいる。

私はかなりの晴れ男だと自負している。旅行などで雨に当たった記憶はめったにないし、悪天候で予定変更などということもあまり記憶にない。山から下ってきて車に乗り込んだ途端に土砂降りの雨とか、雨のすき間にゴルフが出来たなんて経験も間々ある。

一方、まぁよく雨に当たる、という人も確かにいる。例年のイベントもその人が会長の年だけ雨で中止になったり、花見や芋煮会もみんな雨の中、来ないで欲しいとまで言われるような超雨男もいる。

別にパワーを出しているわけでもなんでもなく、単なるめぐり合わせという奴なのだが偏りというのは確かに生まれるものだ。

くじ運、勝負運、金運、仕事運、男運、女運、同じように「運」なるものは相当に偏っている。否、偏るからこそ運なのだ。誰にでも平等では運でなくなってしまう。

それぞれに偏っていて組み合わせもさまざま。すべてにおいて強運という人もたまには居るかもしれないが、総じて運の組み合わせはバラバラだ。くじ運は悪いが女運は良いというように。

高名なH氏は採用面接の時に「あなたはこれまで運が良かったと思うか?」と必ず尋ねたそうだ。運が悪いと答えた人は採らなかったと聞いたことがある。

運というのは悪いと嘆けば嘆くほど、悪い方に偏るものかもしれない。要は『笑う門には福来たる』という奴だ。

人生、良い事ばかりなどという人はいないのだ。困難を乗り越え「それでもまぁ、俺は運がいい方だ」と答えるだけの前向きさが大切!ということなのだろう。

一応、晴れ男ではある。だが、くじ運は全くダメ、ティッシュ以外当たったためしがない。で、その他は?

それは・・・「今はまだ人生を語らず」ってやつだろう。それほど年老いてもいない。お楽しみはまだまだ、これからだ!と、夏バテ&カラ元気の日々だ。

さて、会津の朝晩はめっきり涼しくなってきたようだ。今朝はさわやかな涼風が吹いていた。季語で言うところの「新涼」というヤツだろうか。

2010年8月18日 (水)

そこまで来ています

寝苦しい夜が続く。昨夜も夜中に大汗をかいて目が覚めた。暑い、暑いと窓もカーテンも大きく開けたら「チリチリチリ、チリリリン」と虫の音が聞こえてきた。虫の大合唱というほど大きくはなく、さて、そろそろ練習開始です、ぐらいの申し訳なそうな鳴き声だが、確かに秋の虫の音だ。

先日、高速からみた田んぼは、穂にしっかり実が入った感じだった。まだ色付くとまではいかないものの稲はアタマが重そうになっていた。

いわきの海の家も今週一杯で終わりだという。会津のこどもたちの夏休みも今週で終わる。

お盆過ぎになって「夏休みの友」と格闘するのが常だった。規則正しく計画的にやるはずだったのが、いつの間にか夏友は友達ではなくなってしまう。気が付いた時には手付かずのページが山ほど残っていた。

夏友はまだしも、絵日記のまとめ描きというのは、実に無理があったなぁ・・・。

残り数日、追い立てられないと出来ない。思えばあまり変わっていない。三つ子の魂百までというが本当だ。こどもの頃はだらしなかったが、大人になってとても几帳面になった、という人には会った事がない。

会津の空に名残りの入道雲、もくもく。

どれだけやり残したことがあっても、どれだけ宿題が残っていたとしても、秋はもう、確実にそこまで来ています。

2010年8月17日 (火)

分り合えないこともある

こどもの頃はそうめんが嫌いだった。そばも嫌いで、年越しはうどんを食べていた。こどもの頃食べられなかったけれど、今では大好き、というものが結構ある。

第一、塩辛とかからすみのような珍味系の味をこどもに分れという方が無理だ。「おえー、信じられない気持ち悪さだ」という味が、絶品!にまで変わるのだからすごい。

こどもは初めての味は、大体、嫌い、苦手、と反応するものらしい。基本、甘味、塩味、旨味に反応し、苦味や辛味、酸味などは毒物から身を守る動物の本能で拒否するのだそうだ。

しかし、かと言って甘くて旨い物だけを食べさせると、味覚が発達しないですごい偏食、ジャンクフード大好き人間になってしまう危険がある。いろいろなものを薄味で、素材の美味しさで味あわせるのが良いらしい。

が、そうやっても好き嫌いは出来る。好きなものは美味しいだけだが、嫌いには二通りある。味や食感が大嫌いというヤツと、心情的に嫌いという奴だ。

私にとってのトマトの味は終始一貫、味が大嫌いの代表だ。一方、家人は馬年なので馬肉は食べない、これは心情的という奴だ。会津は馬肉の産地で、馬刺しなどすごく美味しいが、それとこれとは別なのだ。

この心情的、というやつをあんまり主張したり、逆に批判したりすると厄介な問題になってしまう。食べたくないというものに対しては、「それはそれで」と相手を尊重し、分り合おうとしない方が良策かもしれない。

鯨が良い例、人間には埋められない溝が出来る、ということを捕鯨のニュースを見るたびに感じてしまう。

「捕って食いましょう」と「友人を守ろう」という考え方では、いくら話し合っても分り合えるはずも、歩み寄れるはずもないではないか。

「話せば分る」は時に幻想だ。全く理解は出来ないが、違う人間なのだからお互いを尊重し合う。これならなんとか出来ないことはないかもしれない。

2010年8月16日 (月)

山高ければ

16日まででお盆休みも終わる企業が多い。今年はETC割引が14,15の土日だけとあって大渋滞が予想されたがそれほどでもなかったらしい。昨日、少し出かけたが、磐越道は上下ともに混んでいた。

終わるといえば、自動車のエコカー補助金も今月いっぱいでほぼ終わるらしい。減税はしばらく続くがそれも来春までとか。家電のエコポイントも年内で終了だ。

その先には、みんなが急いで買った反動で、百万台規模で自動車が売れなくなるという予測もある。国内で自動車がそれだけ売れなくなったら大変なことだ。お盆に来年のことを言うと鬼さんに笑われるだろうが、来年は想像もつかないぐらいに景気が冷え込むかもしれない。

山高ければ谷深しという。無理すればその反動は無理した分だけ大きい。失望感も大きい。

タダになったり、現金(手当)が出たり、減税になったり、裏付けのないバラマキは、その先が怖いだけだ。口を開けば無駄を省くとは言うものの、批判するのは簡単だったが、いざ自分がやって見ればそう簡単ではなさそうだ。

「まだまだ日本は大丈夫!」そんな真夏の夜の夢から、そろそろみんなが醒めなければならない時期にとっくにさしかかっているのかもしれない。

ろくに何もせず、ごろ寝しながらそんなことを思ったお盆休みでした。

会津は蒸し暑いうす曇り、我が家も帰省が始まりました。

2010年8月15日 (日)

8月15日

8月15日がやってきた。

会津のお盆は、台風4号の通過から天気がおかしくなってしまった。昨日14日は朝から強い雨、止んで回復かと思ったらまた雨、また止んで照ったと思ったらまた雨だ。今朝も朝からかなりたっぷりした雨が降っている。

この時期になると戦争特集や、戦争ドラマが数多く放映される。今年一番の注目を集めたのは昨晩オンエアの倉本聰脚本の「歸国」(きこく)だろう。眠い目をこすって見た。

富良野塾の舞台として評価の高い演劇(観ていませんけど)をテレビドラマ化したもの。戦後65年の東京に英霊たちが一夜だけ帰還する。

長淵剛さんが素晴らしかった。全身全霊をかけて、という言葉がまさにぴったりの熱演。南の海に沈んだ将校を見事に演じた。・・・全体は少々期待外れでした。

今夜は鶴ヶ城のサブグラウンドで盆踊りが行われる。お盆に、先人の霊を慰め感謝するという、盆踊り本来の意味を復活しよう、という有志による初の試みだ。

雨よ上がれ!8月15日の鶴ヶ城址に正調・会津磐梯山を響きわたらせ、踊りの輪を広げて欲しい。

2010年8月14日 (土)

んめぇもの・ラーメン「いさみ」

一度は書かなければいけない会津ラーメンの「古典」といってもいい店だ。古くからのファンが多く、特にこの時期、帰省したら必ず食べるという人も少なくない。忘れ難いふるさとのラーメンと言ってもいいかもしれない。先日亡くなった俳優の佐藤慶さんも帰省した際には必ず訪れたと聞く。

歴史は半世紀は優に越えるだろう。古くは市民会館前、もっと古くは公会堂前という市内のど真ん中にある。現在、公民館や図書館などの機能を併せ持つ生涯学習センター「会津稽古堂」が建築中で来年には完成する予定なので、ゆくゆくは稽古堂前ということになる。

細い路地を入ると店の入り口でラーメンを実際に手で打っているのを見ることができる。100%手打ちラーメン、茹であがった麺はぶっ太いところもあれば、ヘロヘロと極細のところもある。その不揃いなところがファンにはたまらない。典型的なしょうゆラーメンにぼし系、少し黒めのスープだが、見た目ほどしょっぱくはない。

チャーシュー、メンマ、ナルト、どれも懐かしく全体でクラシックなムードを醸し出す一杯だ。観光客、修学旅行生なども数多く訪れる。

私はラーメンに手作りのワンタンがたっぷりと入るワンタン麺派だ。

いさみで嬉しいのは一年中冷やし中華をやっていることだ。具はチャーシュー、メンマ、錦糸たまご、キュウリ(このキュウリが生ではなく軽く塩もみしてあるところがいい)、そして真っ赤な紅ショウガ。これまた冷やし中華のクラシック。酸っぱくて甘いたれがいい。

甘み、というのは戦後砂糖不足の昔から御馳走だ。従って古くからの名物には総じて甘いものが多い。いさみの冷やし中華の甘さもそんな流れを汲んでいるのだろう。

とにかく一年中というのがいい、前夜多少飲みすぎた日曜、吹雪の中で食べる冷やし中華は絶品だ。

久しく行ってないのでお腹が鳴る・・・、お盆中はきっと混むだろうなぁ。

2010年8月13日 (金)

お盆点描

すれ違う車に他県ナンバーが目立ってきた。飯盛山の観光客用の駐車場には、一夜を明かしたワンボックスカーが何台か停まっている。中にはキャンピングカーも見える。ご近所にも普段は見慣れない他県ナンバーが停まっている。

お盆。会津若松市内の人口も何割か増えているようだ。ウチも昨日から二人増えた。街中もなんとなく活気がある。毎日がこんな風なら良いのになと思う。

昨日の台風通過で一気に涼しい朝となった。が、まだ暑さは続くらしい。

早朝の散歩者が増えた(観光客&カップル)。朝晩の通勤もクルマが空いてスースーだ。

まちを歩く人に半ズボンのおじさんが増える。暑さの割にはラーメン屋が混む。若者が目立つ。居酒屋が混む。お線香が売れる。

8月13日、なんとはなしに心が弾む。普段見られない人の顔、話し声、笑顔は心に元気をくれる。

お母さんが元気で機嫌がいい。料理の数が増える。体重も増える。

会津ではお盆が過ぎると朝晩がめっきり涼しくなるといわれている。寝苦しい夜には閉口するものの、それはそれで何となく寂しい。

あ、どこからか会津磐梯山のお囃子が響いている・・・・。

2010年8月12日 (木)

自分には起こらない

オートバイが何台も追い抜いてゆく。会津からは遠く離れた他県ナンバーだ。荷物を積んで、夏のツーリングを楽しんでいるのだろう。はずむように駆け抜けていく。

私も17の夏に友人と二人、奈良、京都までツーリングをしたことがあった。大学生ではなく高校生だから、今思えばよくまぁ、親も行かせてくれたものだ。

寝袋を積んで泊まるあてもない旅だ。日本海側を行こうとしていたが台風が接近していたので日光、軽井沢、木曽と日本の真ん中を通るルートへ、出発の朝に変更するといういい加減さだ。河原で寝たり、ドライブインの二階に泊めてもらったりの旅だった。

バイクだけが頼りだが、バイクの点検なんてしない。キックしてエンジン音を聞いて、異常なし!で走る。走行前点検など全くしないから、オイル切れを起こしたり、プラグがかぶってエンジンがかからなくなったりもした。起こってから多少は慌てるものの、起こる前に備えるなんて気持ちは、思えばみじんもなかった。

泊まるあてなどなくても、ポケットの中にわずかなお金しかなくても「何とかなる」という妙な自信のようなものに溢れ、「どうにもならなかったらどうしよう?」というところへ思いは全くいかない。

こどもだったと言えばそれまでだが、その無鉄砲さこそが「若さ」そのものなんだと思う。どんなことが起こってもそれを乗り越えるだけの体力と、まったく裏付けのない自信に溢れていた。

無茶、無理、無鉄砲、自分のやっていることがそんな事とは思わない。自分に悪いことが起こるとは想像もできない。目の前には膨大な時間と可能性が広がっていた。

若者を見て「危なっかしいなぁ」と思うのは当然の事だ。何度も失敗し、倒れ傷つき、立ち直るだけの時間が彼らにはまだたくさん残されている。危なっかしくていい、そうでなければおかしいのだ。

歳をとるということは、一枚一枚薄皮を剥ぐように、ゆっくりと夢から醒めることなのかもしれない。

何一つ裏付けがないのに自信に満ち溢れた笑顔・・・あんな気持ちが降ってくることはもう絶対にない。

2010年8月11日 (水)

あの人が走ってた

朝、鶴ヶ城前の道路を黒い短パン、黒ランニングにサングラスで駆けているランナーを見た。あの人だ!間違いない。会津が生んだマラソンランナー佐藤敦史選手、その人だ。

お盆で帰省中なのだろうか?割と小柄で顔がデカい。大きく上下するストライド走法ではなく、滑るように駆け抜けていく。

佐藤選手と言えば2008年のオリンピック、09年の世界陸上が記憶に新しい。08年8月の北京オリンピックでは調整に失敗、途中棄権かと思われるほど遅れたが完走、完走76名中最下位と言う成績に終わった。鶴ヶ城本丸ではパブリックビューイングで大勢が応援したが、ほとんどテレビに映らないままで終わってしまった。

しかし、最後のゴールシーンは世界中に発信された。一人遅れてゴールを切った佐藤選手は、倒れこむことなくコースに観客に深々と一礼した、その礼儀正しい姿が感動を呼んだ。

続く09年8月世界陸上ベルリン大会。佐藤選手はこの大会にリベンジを期した。そして日本人選手最高の6位入賞を果たしたのである。そして、ゴールした佐藤選手はガッツポーズを繰り返しながらも、北京と同じようにコースに観客に深々と一礼を忘れなかった。

6位入賞というところがいかにも会津人らしい気がする。もちろん立派な成績だが、なんとなく微妙な順位ではある。

この佐藤選手、一時期、微笑み走法を取り入れて話題になったことがある。2002年の国際千葉駅伝、微笑みながら走った佐藤選手は「苦しい辛いだけではなく、走ることは楽しんだということを伝えたい」というようなことを言って話題になった。

その後、この微笑み走法はコーチによって封印されたが世界陸上の後半、佐藤選手の顔には自然に微笑みが浮かんでいたように思う。ゴールした時は満面の笑みだった。

辛い時にこそ微笑む、さまざまな場面で大事なことだ。

佐藤選手、いつの日かあの微笑み走法で、入賞ではなく首に大きなメダルを下げたところを見せてくれ!頑張れ!佐藤敦史!!

それにしても暑い、蒸す、本日の会津、日中のランニングは危険ではないでしょうか?

2010年8月10日 (火)

早朝に会った人

今朝、飯盛山で思わぬ人と出会った。白髪のおじいちゃんがまだ一歳にもならない赤ちゃんを抱っこ紐で胸に抱いて参道をふぅふぅいって登って来た。赤ちゃんは元気そうな男の子だった。

小学校長をつとめたH先生だ。私が教わったわけではなく、彼の息子さんのM君と縁があった。今から30年近く前、M君が6年生の夏、一緒にアメリカへ行った事がある。カリフォルニアのおけいさんのお墓参りの旅だった。M君は、おけいの墓に近いG小学校と東山小学校が姉妹校になっている関係で参加した。会津っ子代表の利発で明るい、元気な少年だった。

小学校での歓迎会、たった一人で立派にリコーダーを演奏して、あいさつしたM君を今も忘れない。『アメリカと日本は太平洋で隔てられ、いろいろなもので隔てられています。でも僕らの頭の上の青い空にはどこにも国境などありません。僕たちはいつもおんなじ空を見上げているのです』

そのM君が大学生になり、お父さんと同じ教員の道を目指していた夏、新潟の海で亡くなったと聞いて驚いた。ウィンドサーフィンで遭難したのだ。なかなか見つからなかったが、お盆のお中日に突然、青い海に浮かび上がったという。

H先生の心痛いかばかりか、親交のあった亡父も大いに心配した。一時は再起が危ぶまれるほどの落ち込みようだったと聞いた。

あれからまた十何年か経ったことになる。時間は最良の薬であるという。最良と言うか唯一と言ってもいい。時間だけが深い心の傷を癒すことができるのだ。

「H先生じゃないですか?あらー、お孫さんですか」「イヤー、久しぶり。そうなの、2週間ばかり来てるんだ。会津にこんな良いところがあるのに見せてやらないとね・・・」と、H先生は嬉しそうだった。

抱かれたお孫さんはおそらくM君の妹さんか弟さんのお子さんなのだろう。詳しいことは聞けなかった。「おはよ・・・」と白くぷっくらした腕をふってあやすとなんとニコニコと笑った。

私があやして笑うこどもは非常に珍しい。それだけでも親近感を覚えた。はっきり覚えてはいないが、どことなくM君の面影があるような気もした・・・。

ただそれだけ。

いつものように白虎隊士の墓に手を合わせ「どうも」と言って別れた。石段を降りながら夏空にM君の事を少し想った。

もうすぐ、お盆がやって来る。

2010年8月 9日 (月)

夏ゴルフ雑感

「まぁ、この暑い中ご苦労なこった。炎天下で大汗かいて、おまけにお金まで払ってなぁ」と、Oさんはクラブを振りながら楽しそうに笑っている。

テレビでは熱中症への注意を呼び掛けているのに、炎天下でゴルフをするというのも気が引けるような気がしないでもない。

それにしてもゴルフ場の中高年はみんな元気だ。(もっとも元気じゃなければ来ないわけだが)暑さに強い人の集団だ。昼も辛メンなど平気で食べてまた大汗をかいたりする。信じられないタフさだ。

当方は帽子に半ズボン、ひんやりする下着、首にまくだけで冷たいバンドをまいて、凍った飲み物、水筒を持ち完全装備。もちろんカートに乗り、出来るだけ歩かない。省エネショットを心掛けるが、スコアは全然省エネにならない。

2,3リットルもの汗を流し、ラウンド終了は一番暑い3時頃。これから薄暮のハーフプレイに出るという知り合いカップルとすれ違った。(思いがけない組み合わせ)

スコアはさておき猛暑の中を無事に乗り切ったという一応の達成感がある。シャワー、水浴び、ビール、と暑さの苦行に反比例して「たまらない度」がアップする。

夏場の会津のゴルフ場には早朝プレイをしているところも少なくない。明るくなったら自分たちでバックを積んで勝手にスタート。もちろんスルーで、8時すぎには上がってきてしまう。グリーンがたっぷり朝露を含んで重いのを気にしなければ涼しいし、格安だ。

夏場に怖いのは夕立と雷だ。各ゴルフ場がレーダーで雷雲を監視しているが、突発的にやってくるので怖い。サイレンが鳴り渡ったら絶対中止、避難小屋に入るしかない。カートに乗らない歩きの時に一度車で助けに来てもらったことがある。

会津の夏景色は雄大だ。すべてが光っている。木々の緑、真っ青な空、湧きあがる白雲、磐梯山、猪苗代湖、生命力に満ち溢れている。もっとも、それらを眺めるだけの精神的、体力的余裕があればの話だが・・・。

「いつまでこんな風にまわれるかなぁ?」とはよく友人と話す言葉だ。60歳前あたりから、元気の個人差は、ものすごく大きい。

昨日のコンペ最高齢はなんと喜寿、矍鑠たるショット、お洒落でスコアも上々だ。ドラコンのダブル獲得は67歳のベテランだった。40~50代でも全然かなわないすごい飛距離だ。あんな風に元気に歳を取れたらとは誰もが願う事、何とかあやかりたいものだ。

風呂からあがる頃にはヒグラシの声が降り、夕方の涼しい風が吹き始めている。

『赤々と西陽に染まりし最終ホール 祈るが如くパットを沈める』

2010年8月 8日 (日)

お墓参り

お墓参りの季節だ。私の住んでる飯盛山の近くは、昔は滝沢村と言った。この辺は習慣も違うのだろう、5日ごろから墓参りの家族連れが訪れる。我が家の前を登ると墓地がある。その上が白虎隊士自刃の地だ。

早朝、夕方と結構な人がクルマでやってきては墓参りに登って行く。お盆と言えば13日から16日が一般的だと思うのだが、こんなに早くお迎えしていつまでいらっしゃるのだろう?長居のご先祖様なのか?

我が家は、8月13日夕刻に墓参りに行く。市内の菩提寺に行って墓参りをし、御本堂から提灯に火をいただいて家の仏壇に灯す。後は親族集まってささやかな宴だ。16日にはお帰りになる。

14日の朝にもう一ヶ所、墓参りに行かなければならない。市の東にある大窪山墓地。小田山の裏手に当たるV字谷の両側には古い墓石が点在している。ふもとから頂上までおびただしい数の墓がある。ここは旧会津藩士の墓所だった場所、市の文化財として史跡に指定されている。我が家の古い御先祖様もこの地に眠っているのだ。

年に一度、家族でお参りする。墓参りといっても、まずは草むしりと掃除、装備も万全に大汗をかく墓参りだ。墓所は谷の下から三分の一ほどのところにある。崩れた墓石も合わせ10基ほどある。一説によれば上に行くほど武士の位が高いそうで、一番上には有名な家老・田中玄宰の大きな墓がある。上まで登るのは大変、そこそこの位置でまぁ良かった。

この墓地一帯は20年ほど前に史跡指定がされ市により一定の整備がなされているが、それまでは本当にひどい藪だった。お盆前にはきれいに刈り払いが行われ、下から上まで点在する墓石が見渡せ見事だ。木漏れ日の中ひっそりと佇む墓石の群れはまさに聖域の感強し、霊感がなくてもパワーを感じるような気がする。

というわけで毎年二回の墓参りをするお盆がもうすぐやって来る。

中島みゆきの歌で「お盆とお正月、日本人は年に二度心をリセットし優しくなれる・・・」みたいな歌があったっけ。

遠方の家族や親族、友人が顔をそろえる。心弾む季節である。この時期に、家族の顔を眺めながら、自分の越し方を振り返り、心をリセットするのは悪くない。が、なんだか飲んでいる内にあっという間に終わってしまうのが常だ。

2010年8月 7日 (土)

ひどいことになっている気が・・・

『神輿は軽くてバカがいい』という言葉がある。アタマは人気があってどうにでもなるおバカの方が御し易いということだろう。それにしてもだ、議員活動をやったこともない人がいきなりスポーツ議員連盟の会長になるというのはどういう感じなのだろう?

調理師免許取りたての人が調理師会の会長になる感じ?プロテストには合格したけど一度もトーナメントに出たことない人がゴルフの選手会長になるみたいな感じ?柔道部に入ったばかりの人が部長に抜擢される感じなのでしょうか?

人気があれば誰でもできるのが「政治」、というくらいに日本の政治は軽いものになってしまった。社会がどんどん悪い方に向いて行くのを、もはや誰も止められない感じがする。

『とはいってもやっぱり日本人は勤勉で優秀だ』と、思う心はどこかにある。『日本人の道徳心の高さ、安心で善良な社会は素晴らしい』と思いたい。が、百歳以上の所在不明者の多さには驚かされ、そんな思いもぶち壊された感がある。

先日、聞きたくもない話を聞いた。彼は50歳で失職中、探せど全く職はなく、苦労して辿りついたのが勧誘の仕事。最初の二カ月、週に一人でも成約させれば給料が出る。それが一人も取れなくなったところでクビなのだという。聞けば結構有名な会社だが、とてもまっとうとは思えない。しかし、これが現実、こんなところまで会津の景気は来ているのだ、と改めて思い、気が滅入ってしまった。

「暑い、暑い、思うにまかせない、気に入らない」口をひらけば愚痴ばかり。しかし、この今に感謝せねばバチが当たる。

そう、なんだかんだ言ったって会津は不屈の都市なのだ。ちょっとやそっとじゃ参らない。ここは力を合わせて明るく元気にまいりましょう。いや、行くしかない。

ヤワラちゃん、みんなは聞いたこともないよそ行きの言葉であなたがしゃべることを期待しているわけじゃない、出来ればあいつらを一本背負いで投げ飛ばし、締めあげてくれることを期待しているのです。

2010年8月 6日 (金)

天を映す鏡

会津の山奥のこどもが初めて猪苗代湖を見て叫んだ「うわー、でっかい海だ!」 それを聞いた爺さま「なーに言ってんだ、海はもっとずんない、この10倍ぐらいあんだぞ」

山に囲まれた湖・猪苗代湖は日本で4番目に大きな湖だ。103.3㎢、湖面の高さが標高514m、この高さから郡山へ、会津盆地へと水が流れ落ちる。大きな恵みをもたらす巨大な水がめだ。猪苗代湖の水によって安積野も会津野も潤い、発展してきたのである。

こう暑いと猪苗代湖で泳ぎたくなる。今はレジャーも多様化しているが、こどもの頃は湖水浴はなんといっても夏のメインイベントだった。学校やこども会でバスを仕立てて、一日がかりで遊んだ。49号線のバイパスができるまでは、くねくねの滝沢峠をバスが登った。すれ違いにも一苦労、よくクルマが谷底に落ちた。

苦労して辿りつく湖は美しく一日中、夢中で遊んだ。崎川浜(さっかはま)からは向かいに磐梯山が見える。テントを張ったり、バンガローに泊まったりした思いでも多くある。夏はとにかく猪苗代湖だった。飯ごうでの飯炊きも、男の料理もぜんぶ猪苗代湖で覚えた。

猪苗代湖の北部に、上流の火山地帯から強酸性の水が流れ込む長瀬川という川がある。川底の石は錆びついたように真っ赤だ。この水のおかげで猪苗代湖全体が酸性湖となり、魚は少ないものの水はきれいで透明度が高く、水質日本一に輝いたことが何度もある。

ところが近年、この酸性度が低まったこと、都市化による生活雑排水の流入、人々のモラルの低下などにより、猪苗代湖が汚れている。今年の検査では大腸菌群が増え、なんとランク外になってしまった。

ここ何年も泳いではいない。かといって無関心はいけないだろう。猪苗代湖の水質を何とか取り戻そうという運動の輪が広がりつつある。小さなことからコツコツと、出来ることから参加して行こう。

天を映す鏡、天鏡湖ともいう。

夏空に白い雲、青々とした磐梯山に澄みきった猪苗代湖・・・これぞ会津の夏と言う定番の風景、ゴミや大腸菌はとても似合わない。

2010年8月 5日 (木)

鼻から侵入

先日、久しぶりに内視鏡検査を受けた。どうも時々食べ物が突っかかるような気がしてサザンの桑田さんと同じ病気だったらどうしよう、と心配になった。

胃カメラはどんどん進歩する。十何年か前に初めて飲んだ時には本当に苦しかった。オェオェと涙、鼻水まみれになりまさに難行苦行だった。

それがだんだん細くなり、今では鼻から入れる細さにまでなった。人にもよるが、口からよりはかなり楽だ。胃カメラを飲む、と言っていたが鼻からはなんと言えばいいのか?でも喉のところまで来ると「ゴックンとしてください」と言われるから、やっぱり飲むでいいのかな。

鼻の穴にピッピッと鼻血止め、続いてドロリと麻酔、しばらくしたらすぐに開始だ。横になって左鼻から侵入、イテテ、というと何か薬を塗ってくれる。ゴックンで食道に侵入、あとはどんどん胃の中へと進んでいく。

モニターを見ながら、話しながら、バチバチと写真を撮っていく。「あー・・」と、ドクターが言うとちょっとドキッとするが、「はいはい、大丈夫ですよー」と進む。「ちょっと膨らましますからゲップを我慢してください」と言われるが全然我慢できない。

腹の中を管が動き回っているのが分かる。まー、器用なものだ。回したり、ひっくり返したり、実に手際がいい。あっという間とはいかないが、10分程度で終了だ。

はい、終わりました、とすぐに画面の前で説明。ま、多少の難はあるものの大きな問題はないというところか。突っかかるのはあんまり早く、いっぺんに口に入れるから、食道もそれなりに歳をとっているということだ。バカみたいに頬張るのはもうやめよう。

科学の進歩はすごい。カプセル状のカメラを飲みこんで、胃から腸まで行って体中を撮影してお尻から出てくるのもある。まさに昔のSF映画「ミクロの決死圏」みたいなやつだ。内視鏡は上からも下からも入れたことがあるが、このカプセルの経験はまだない。

科学の恩恵を受けて、いろいろな機械を使って少しでも早く見つける、これが大事なのだろう。みなさんも検診はしっかり受けましょう。

本日も会津は猛烈な暑さ、暑さも今日、明日がピークらしい。空が真っ青に輝いている。冷房の部屋から見つめる夏空はきれいだが、一歩外に出ると暴力的な暑さだ。

2010年8月 4日 (水)

自然治癒力

ハチに刺されものすごいことになっていた足が、元通りに戻った。見事なくらいに赤く腫れ、冗談で1回100円で見せてあげる、ぐらいだったのがきれいさっぱり治った。人間の体の治癒力と言うのは凄いものだ。

『医療は自然治癒の人為的誘導である』(野一色泰晴氏)という言葉がある。また、かの杉田玄白さんも『医事は自然に如かず』と言っている。

薬を用いる、手術をする、移植をするなど医学の進歩は目覚ましいが、やるだけやったら後は人間の治癒力にお任せするしかないのが医療だとおっしゃる。身体の自然治癒力に勝る医事はないということになるわけだ。

やはり治すのは、最後は自分なのだ。だからへこたれてはいけない。へこたれると自然治癒力も落ちる。

病気で苦しんでおられる方には、ハチに刺されたぐらいでエラそうに!と、叱られるかもしれないが、どうかへこたれずに頑張っていただきたい。

死亡率は100%だ。死なない人間は誰ひとりとしていない。至る道は様々だが誰もが彼岸へ渡らなければならない。さればこちら側にいる限りは頑張る他ない。

会津は今日も猛暑日一歩手前の予報で暑い!このところ身近でご不幸が相次いでいる、この暑さは弱っている方々にはとても厳しいようだ。もちろん弱っていない人にも優しくはない。

暴飲暴食を慎んで、睡眠しっかり、運動しっかり(自分に言っているのです)連日の二日酔いなどで無駄な自然治癒力使わぬようにして、盆地の夏を元気に乗り切りたい。

2010年8月 3日 (火)

会津を描く

会津に住む人なら、横田新(よこたあらた)さんと言う人の名を知らなくとも、横田新さんの描いた絵を見たことがないという人はいないのではないだろうか?

「えびや」さんや「田季野」さんなど、会津復古会のお店のはし袋やカレンダー、包装紙など様々なものに描かれた素朴な味わいの、あの絵だ。さらに、お菓子の太郎庵の天神様の絵と言えばピンとくる方も多いだろう。

「へたうま」の元祖とでも言ったらいいのだろうか、さらさらと書きなぐったような線、添えられた言葉も温かく、会津の人々の暮らしを描き出している。一見、こどもが描いたようにも見えるがどうしてどうして、緻密に計算された構成力は達人の技だ。

線が生きている。自分にも描けそうだと思わせるが、とてもあんないきいきとした線は引けない。いつまでも消えない童心と卓越した才能の為せる技、ほのぼのとした世界が広がる。

その横田新さんが亡くなられた。85歳、書き残した絵は1万点を超えるという。

川俣町に生まれられたが新聞記者を経て会津に移り住み40年、会津の風土と人をこよなく愛した。1971年に企画キャップを設立、まさにキャップとして会津の魅力を独特の視点で掘り起こし、会津観光の振興にも大きな足跡を残された。

若い頃、何度か話しを聞き、様々なご教授を受けた。若気の至りで「?」をぶつけたこともあったが、今にして思えば横田さんの洞察、審美眼に改めて敬服するほかはない。汗顔の至りと言う奴だ。

さる7月31日、「横田新を偲ぶ会」が行われた。その時配られたパンフレットの一文を転載させていただく。

『多くの人に愛され続ける横田新の文字と絵。 それにしても 登場人物はなぜいつも笑っているのか・・・。 「笑うしかねえべぇ、結局、笑うしかねえんだ」 ゴルフの素振りの格好をしながら、哲学者のように答えてくれた。』      合掌

2010年8月 2日 (月)

お盆に盆踊り

会津の盆踊りと言えば「会津磐梯山」だ。テレビもない昔には最大級の娯楽で、とても派手に行われていたらしい。唄もリズムもテンポアップした俗に言う「かんしょ踊り」という踊り方で、まるでクラブ(ディスコ)のように自由度が高く身体をゆさぶり、若者たちが派手に踊り明かしたそうだ。

各町内ごとにやぐらが建ち、踊りの輪が幾重にも広がった。最大の東山温泉盆踊りは、会津中の人が集まったのではないかと思うほどの賑わいを見せた。夜通し踊り明かし、この日ばかりは自由恋愛もOKで、恋の花が咲きまくったという。まるで会津がリオのカーニバル状態だったわけだ。

戦後、あまりの風紀の乱れに一般の人が参加出来なくなるような事態にまで陥り、「正調・会津磐梯山」で健康的に踊りを楽しもうという運動がおこり、現在の磐梯山盆踊りになった。私がこどもの頃の30年代、40年代はものすごい賑わいを見せたものだ。

残念ながら、その盆踊りも年々規模が小さくなっている。各町内にやぐらが建つことはほとんどなくなってしまった。お盆の期間中に神明通りで行っていた十万人の大盆踊りも今は9月の会津まつりの時に行われるだけになってしまった。(お盆中は東山温泉で盆踊り大会が行われている)

あれほど賑やかに行われた盆踊りがお盆に行われないのは誠に残念!ということで今年から有志が立ち上がり8月15日にお城のサブトラックで「第一回・市民会津磐梯山盆踊り」が行われることになった。

『先人を供養し、ご先祖様に感謝するという本来の盆踊りの意義を見つめなおしたい』とは主催する会津磐梯山盆踊り保存会のみなさんの願いだ。

やはり盆踊りはお盆だ、というかお盆は盆踊りだ!ぜひ行ってみられたら良いのではなかろうか。もちろん誰でも自由に参加できる。浴衣は大歓迎だそうだ。

2010年8月 1日 (日)

枝豆が食いたい!

酒の肴に豆をよく食べる。春先からは九州辺りのそら豆。会津では昔は流通の問題もあったのだろう、そら豆を食べる習慣はなかった。初めて食べた時は「なんだかウ○コくさい」と思ったものだ。それが慣れてくると病み付きになる。

ひそかに会津で一番そら豆を食う男は、は私だ!と思っている。

夏場になったら当然、枝豆。必需品で毎日だ。時々、朝7時ごろにピンポーンと、どこからかおばあさんが枝豆と夏野菜を売りに来る。枝豆を買うと何かおまけをくれたりする。

あのおばあさんはどこの人なのだろう?おじいさんが軽自動車で送って来る。近頃は売り歩いている感じではなくウチだけに届けにきてくれているみたいだ。もちろん美味しい。

「まんまーじゃ」というJAの直売所がある。そこの枝豆はちゃんと袋に生産者の名前が付いている。会津花子・・・みたいにちゃんとフルネームで生産者が記されている。最近これは美味いという人(女性)の名前を見つけた。休みなどには探して買うようにしている。とにかく会津の枝豆は美味い。

そら豆も枝豆も、豆自体のうまさはもちろんだが、味の大きなポイントが塩だ。いろいろな塩を試す。これもまた楽しい。

近年、喜多方・熱塩加納村の新しい特産品として「山塩」が販売された。熱塩の温泉はすごく塩っぱい、そこから美味しいミネラルたっぷりの塩が採れるという。この塩もなかなかいい。

あー、枝豆が食いたい!真夏の日曜の夕餉と言うのに今夜は枝豆がない!どういうこと?

なんのことはない、家人が出かけてるというそれだけの話だ。それだけ好きなら自分で茹でろ、という話だが、今日は昼に祝賀会があり昼酒を飲んでしまった。クルマも使わずに食材調達は面倒。

仕方がないので近くのセブンイレブンと仲良くしているというわけだ。さすがにセブンイレブンで枝豆を買ったりはしない。

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