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2010年7月

2010年7月31日 (土)

半日観光

お客様を半日観光に案内した。会津若松市の半日観光のモデルとして。

東山温泉宿(8時半)~御廟(会津松平家のお墓がある山、広さと格式に感動のご様子)~お薬園(9時・抹茶の券も合わせて購入。庭園一周して一服)~野口青春通り、七日町通り(車中見学、一部下車)~末廣酒造(10時・社長さんが案内してくれラッキー、利き酒あり)~鶴ヶ城(10時半・天守閣工事中で残念)~飯盛山(11時20分・暑くてエスカレーター使用)~お食事(12時・そばの桐屋)

一部薄曇りだったけど、やはり暑い。夏の観光はできるだけ歩かないようにしたいものだけれども、そうもいきません。

大汗はかきましたが、会津を存分に楽しんでいただけたようです。

ご参考まで。

2010年7月30日 (金)

失われない筋力

一男さんは、私より10歳年上の先輩で友人だ。大きな写真館を経営し、カメラマンであり、若い頃はよく一緒に仕事をした。彼がホーキンス博士と同じ難病を発病してからもう二十年近くになる。

杖をつくようになってからこれまで、進行は比較的穏やかな方だが、現在は気管切開をし、車いすに乗っている。とはいえ、特殊な器具を付けて話もできるし、出来る限りのことは自分でする。もちろん頭脳は委縮しないので、会話も明快だ。

全身の筋肉が次第に萎縮して無くなっていく、やがては寝たきりになり自発呼吸もできなくなり死に至る。緩やかに死へ向かう恐怖を伴う難病だ。だが、一男さんはいつ会っても明るい。こちらが驚くほどよく笑う。

4年前の正月、もう最後になるかもしれないと一男さんに家族の肖像を撮ってもらった。が、今年もまだ撮れた。もちろん助手は家族総出で大変だが、シャッターを切るのは一男さんだ。目と頭は年相応にしか衰えてはいない。

考えたってしょうがない、やれることは何でもやる、が彼の身上だ。プールでの運動、リハビリ、写真館にもどんどん出向く。知り合いの写真は撮るし、お茶飲みの相手もする。多少呼吸は苦しいが、顔を真っ赤にして笑う。

数年前には、プロのコンテストで賞まで取ってリハビリのスタッフを喜ばせた。身体は一男さんがリハビリをしてもらっているが、リハビリスタッフのハートは逆に一男さんにリハビリしてもらっているようだ、と祝意を述べた。

病気の本人が笑顔を失わないということは、想像以上に大変なことに違いない。だが、笑顔が減りつつあるような世相の中でも一男さんは変わらない。人に会えば誰にでもまずは笑顔を向ける。思わずこちらも笑ってしまうようなパワーがある笑顔だ。

確かに一男さんの筋肉は失われつつある。しかし病気も心の筋力までは、奪うことができない。それが決して失われてはいない事がよく分かる。

迫りくる死と向き合いながらも強い。実に強い会津のサムライだ。

時々、ため息ばかりついている自分が恥ずかしくなる事がある。

2010年7月29日 (木)

こんなビアガーデンに行ってみたい

屋上ビアガーデンは夏の風物詩と言われるが、残念ながらここ何年も行ったことがない。というか、会津若松市には無いに等しい。私の知っている限り今では上町の中之島さんだけではないだろうか?

昔は神明通りのデパートの屋上が定番だった。夏になるとなんだか行かなきゃ悪いような気になり、必ず行ったものだ。下手なバンドが入り大いに賑わっていた、大ジョッキを何杯飲めるかなどと、アホなことを競って楽しんだものだ。

今はビール祭りと称し、いろいろなところ(室内会場)で生ビールを飲むイベントをやっているようだが、野外の解放感はない。

昨年夏、京都の上七軒歌舞練場のビアガーデンに行った。上七軒は北野天満宮にほど近い古い花街。祇園はあまりにもポピュラーだが、上七軒も情緒たっぷりで近年人気がうなぎ登りだ。

ビアガーデンは夕方から満席だった。エアコンの効いた室内にも、庭園の屋外にも席が設けられている。飲んでいると浴衣姿の芸子さんが席を回ってあいさつをしてくれる。写真を撮って、鼻の下を伸ばしそれだけで嬉しい。懐に余裕がある方は、お座敷へ、ということにもなるのだろう。

さすが京都だ。こういった演出は憎いくらいに上手い。観光客も、観光客でなくても大いに喜ぶ。

そこでしか出来ないことをやる。そこに行かなければ味わいないことをやるのが観光地として大切だ。会津ならさしずめ・・・・と、考えるとやっぱり、鶴ヶ城本丸かお薬園の庭園だろう。

あそこで生ビールを飲んだら美味しいだろう。本丸なら何か良い出し物を。お薬園なら芸者さんでも回ってくれたら観光客も大いに喜ぶのではなかろうか。

何言ってんだ、会津は会津清酒だ!と叱られそうだが、そう固いことばかりではなく、ビールを飲んだら、どうせ日本酒も飲みたくなるのだからビアガーデンでもいいではないか、とも思うのだが。

鶴ヶ城本丸大ビアガーデン1ケ月間開催!お城をバックに花火でも上がったりしたら、すごく行ってみたい人、多いと思うけどなぁ。

2010年7月28日 (水)

遅れてやって来る

年齢を重ねるとすべてにおいて反応が鈍くなる。これは誰も避けられない、致し方のないことだが、疲れや筋肉痛まで遅れてやって来るとは思いもしなかった。

日曜日に大騒ぎすると翌日筋肉痛、というのは当たり前の話だ。が、月曜、火曜は何でもなかったのに水曜日になって筋肉痛や疲れがどっと出る、などと言う事が起こるわけだ。これは若い頃には信じられないが、ある。

じゃあ、それまでその筋肉はどうして平気でいられるわけ?と聞かれてても不思議としか言いようがない。酷使されたという自覚がなかったんだろうなぁ、とでも言う他ない。しばらく経ってから、なんだこんなにこき使いやがって!と気が付くのだろう。

先日のハチ攻撃、当日は何でもないと思ったが、次の日になって凄いことになった。真っ赤にはれあがりすごい熱、あわてて病院に行った。調子に乗って酒を飲んだのが悪かったのかもしれないが、こういうのも遅れて来るのだ。

反復横とびもきっとすごく遅くなっていることだろう。「しっぺ」なんて叩かれてから手を引っ込め、また手を出す頃に痛くなったりして・・・。

しかし、「仕事」では言い訳が効かない。レスポンスの早さは肝、だから中高年は一層疲れることになるわけだ。

いろいろなものが遅くなる・・・スピードを補うのは経験と智慧と工夫だ!と胸を張って言えるかなぁ。

今年の夏は遅れるどころか梅雨明けと同時に一気に猛暑が来た。それだけに熱中症になる人が続出している。暑さへの順応も時間がかかる、遅くとは言わないまでも、もう少し普通にお願いしたいものだ。

会津は本日も晴天。暑くなりそうというか、もうなってます。比較的湿度が低いのがせめてもの救いというところだろうか。夕方は☂マーク、ゲリラ豪雨はご勘弁願いたい。

2010年7月27日 (火)

冷やし中華と冷やしラーメン

暑いとどうしても麺類に走りがちだ。それも冷たいそうめんやそば、ラーメンも冷やし中華に心が動く。

冷やし中華は日本中どこにでもあると思うが、冷やしラーメンと言うのはあまりないのではないだろうか?(ひょっとして会津だけ?)昔と言うか、私が認知したのは三十数年前の事だが、その頃は喜多方にしかなかったように思う。

喜多方では冷やし中華の事を冷やしラーメンと言うんだ!と思って注文したらあったかいラーメンをそのまま冷たくしたのが出てきて驚いた記憶がある。冷やし中華と冷やしラーメンは全く別物で、良く見ればメニューもちゃんと両方がある。

冷やし中華はすっぱくて、キュウリや錦糸卵やハムなどがのり、平たい皿に出てくる例の奴だが、冷やしラーメンはラーメン丼ぶりにラーメンをそのまま冷たくした格好だ。スープもラーメンの味だし、メンマやチャーシューなどもちゃんとのっている。

そのユニークさには驚いたが、正直、小さなころから慣れ親しんでいないとさほど美味しいとは思わなだろう、という味だった。私はやはり冷やし中華の方がいい。

が、その後、この冷やしラーメンは、若干勢力を拡大、今では会津若松市内でも何箇所か出しているお店もみられるようになった。とはいうものの、冷やし中華の比ではない。

そんなわけで冷やしラーメンを食べることはずーっとなかったのだが、最近、進化した冷やしラーメンに出会った。

T病院近くの、沙羅やというラーメン屋さんのその名も「ひえひえらーめん」。スープが全く違う。ラーメンのスープを冷たくして出す、というレベルよりはかなり工夫を重ねている。しょう油ラーメンよりはずっと薄い色のスープだが味はしっかり、微妙にトロミが加えられているところが絶妙だ。麺も具もまさにひえひえで、なかなか美味い。これはユニークだ。

料理はひらめきと工夫だ。いまひとつだと思ったならどんどん手を加えてみる事が肝心。必ず守らなければならない定めなどはない。「まぁ、こんなものだろう」と納得した段階で進歩は止まる。味の追求は常に貪欲でなくてなならない。

と、それほど大げさな話でもないが「冷やし」と「ひえひえ」似ているようで全く別物、一度ご賞味あれ。

2010年7月26日 (月)

攻撃を受ける

今朝、飯盛山周辺をウォーキングした後、家の周りや庭のクモの巣がひどいので、竹ぼうきで払っていた。夏椿の木の周りツツジの中をバサバサやっていたら右膝に「ジック!」と鋭い痛み、ハチだ。払っても払っても向かってくる。結構根性のあるハチだった。種類は不明、スズメバチほど大型ではない。

痛い。関節周辺がジーンとしびれる。刺された辺りを思いっきり絞り上げて毒を出す。すでに膝の周りは真っ赤っかだ。

これは歩けなくなるかな、と思ったが早めの手当てと冷却が効いて、今は湿布を貼り、大事にはならないで済みそうだ。

ハチには何度か痛い目に遭っている。

結婚前、家人とテニスをしていた時の事。飲みかけのジュースを置いたままパコーン、パコーン。しばらくしてそのジュースを飲んだらなんと中からジュースと一緒にハチが出てきて唇をブスッ!周りは大笑いしていたが、みるみる腫れあがり下唇が大きな辛子明太子のようになり、笑ってられない顔になった。

学生の頃にも奇襲をくらった。春の陽を浴びたスニーカーを履こうと足を突っ込んだらチクッ!一瞬、何事が起きたか分からなかったが、靴の中にハチがいた。足はみるみる腫れて靴も入らない状態、感覚もなくなる始末。この時初めて大学の保健室に行った。

記憶しているだけで5,6回は刺されている。それも変なところを刺されている。ドジと言えばドジだが、お笑いでは済まされない。ハチ毒にはアナフィラキシーショックというのがあって、二度目に刺されると身体がアレルギーショックを起こして、死に至ることもあるらしいのだ。

幸い、これまでは種類違いのハチに刺されたからか、ショックは起きていない。しかし、我が家の庭にいるのは、きっと今朝のと同じ奴だ。もう一度攻撃されたらヤバいかもしれない。

いたずらに竹ぼうきでかき回すのはやめよう。会津はこの一週間も猛暑の予報だが、半ズボンもやめた方がいいかもしれない・・・。

「クマと間違えたんじゃない?」と家人は軽く言うが、ハチに斃れることもある。事態は深刻なのだぞオヌシ!

2010年7月25日 (日)

暑さの質

33度は相当に暑いが、33度という気温だけでは、どんな暑さかは分からない。暑くても湿度は低ければカラッとしていて意外と大丈夫だ。一方、じっとりジメジメだと30度でも耐えられない、具合が悪くなる。

昨日の会津若松市は33.8度快晴。そんな中、ゴルフコンペがあった。朝からすごい日差しで、こりゃあ熱中症でリタイヤもありかと思ったが、結構大丈夫だった。湿度が低かった。

もちろん汗はぼたぼた流れたが、木陰に入ればすーっと涼しい。時折風も吹き、青空に映える磐梯山をきれいだ!と、眺める余裕さえあった。ワンラウンドで2リットル以上の水を飲み、塩をなめたが、まぁまぁ爽快だった。

要は湿度だ。行ってみたいとは思わないが、灼熱の砂漠も湿度がないので意外と大丈夫なのだそうだ。それに比べれば高温多湿の日本の夏の方が数段厳しいらしい。確かに湿度のある暑さは耐えがたいものがある。

友人は、今日も連荘で競技会に臨んでいる。昨日ほどの日差しはないものの今日も外は暑そうだ。そこまでのパワーはとてもなく、エアコンを効かせてゴロゴロしている。

こうして一日中涼しい部屋にいると疲れないと思うが、それが意外とそうでもない。返ってどよーっとして身体がぐったりしてしまうこともあるのだ。

暑いときには汗をかく!エアコンなんかバチッと切って外に出て大汗をかいた方がいいんだ。とはいうものの、とても起き上がる気がしない。

休息の日曜日、昼はそうめんで、さっぱりとお願いします!

2010年7月24日 (土)

お世話になった彼らたち

会津の朝は涼しい。山際の我が家は、小鳥の声に包まれて窓からは少々ひんやりした空気が入って来る。しかし、気温はここからみるみる上がり、盆地の夏はそう優しいものではない。

機嫌を悪くしないでね、と言っていた我が家のエアコン、壊れたわけではないのだが4時間頑張って2,3度しか部屋の温度が下がらない。「ダメだなぁ・・・」と言うと、急にブーッと風が強くなり黒いほこりの様なものを吐き出したりする。

機械やモノに感情があるわけはないのだが、長年付き合うと友達の様な気持になり、思わず話しかけたりすることはよくある。

長い間お世話になれば当然だろう。「頼むぜ」「ありがとうな」「おう、頑張るじゃないか」と、いろいろ話しかける。

私にとって忘れ難いのは、今から三代前のクルマかなぁ。年の暮れに郡山の姉の家で父が倒れ、郡山から動かせない状態になってしまった。暮れの繁忙期、深夜に早朝に何度も病院に通うことになった。

何度も何度も往復した。不安や戸惑い、悲しみや怒り、そんな気持ちがごちゃごちゃになり、クルマの中で何度も吠えた。

そんな思いを受け止めてくれるように、彼は実によく走ってくれた。雪の朝、凍った夜、雨の中も覆面パトカーを上手にかわして疾走した。何度目かの危篤の頃にはクルマと話す様になっていた。イブの前日、父が逝った夜には彼と共に泣きました。

ここまでお世話になったら、お釈迦になるまで付き合います!という人もいるだろうが、残念ながらそこまでではないので、丁重にお礼を述べて彼とは別れた。が、本当にお世話になったと思う。今頃どうしているかなぁ。

94年製のエアコンにもお世話になった。結局、今日入れ替えることになった。振り返えって見ると・・・ちょっと恨めしそうな顔で早朝の今は口を閉じている。

ありがとうございました。

2010年7月23日 (金)

考えるだけでもすごい

長良川の畔にいる。夜になると鵜飼いが行われ毎晩賑わう観光地だ。目の前金華山の頂上には岐阜城が見える。あの城から道三が信長が尾張を見据え、その先に天下を見据えていたのだ。

先週は武田信玄の甲斐にいた。つくづく日本は広い。新幹線や高速道路を使ってもこんなに広いのに、足や馬に頼るしかなかった昔の人がどんな国家感を持っていたのかを考えると、とても不思議な気持ちになる。

尾張だけでもこんなに広いのに、ここから天下を思う気持ちの、いかに大きなことか。例えば会津にしても何十日もかけてやっとたどり着く先の土地のことだ。遠い異国のようにさえ思える。

ここから天下を自分レベルで考え、天下統一を夢見るだけでも天才といえるだろう。考え付くだけでもすごい。

山また山の会津から天下のことを少しでも想像し、夢見た人が果たして一人でもいたのだろうか?私のような凡夫には想像もできない。

今日も猛暑。さて暑さの中を会津へと帰ることにしよう。

2010年7月22日 (木)

灼熱のまち

私、現在灼熱の岐阜におります。ホテルのPCで書き出しましたが、後ろに怖いおじさんがいらいらしながら待っています。(こっちのほうが怖いという説もありますが・・・)

一台しかないのです、いいホテルなのに・・・。なので、早々に失礼いたします。

会津もとてつもなく暑いとメールがありました。皆様お大事に。

2010年7月21日 (水)

悪くなる顔

私見ばかり書いているので改めて断ることもないだろうが、お顔の事なのであくまで私見とお断りする。総理大臣になるとどんどん顔が悪くなっていくのはどうしてなのだろうと思う。麻生さん、鳩山さん、菅さん、日に日に人相が悪くなるように見えてしまうのだ。

支持率が下がり、失望感があるから悪く見えるのかとも思うのだが、それだけでもない。苦虫を噛み潰したような顔ばかり映すメディアの情報操作も多少はあるだろうが、間違いなく、悪くなっているように私には見える。

鳩山さんも最初は人の良いヨーダ(スターウォーズに出てくる)にもみえたのだが、次第に脂ぎって来て、普天間で追い詰められたころには食当たりのヨーダのように見えた。菅さんも初めはニコニコ地蔵のようにも見えたが、最近はまさにイラ菅そのものだ。

トップになったのに、登りつめたのに、きっと少しも思い通りに行かないのだろう。思い通りにいかない気持ちを抱え、ましてやその責が自分一人にあるようにみんなから突き上げられれば、良い顔もしていられないのは当然だろう。

が、国のトップがそんな簡単に顔が変わるようではいただけない気がする。

日本の政治はどうしてこんなにうまくいかないことばかりになってしまったのか、不思議でならない。日本のトップクラスの頭脳が集まって考えているのに何一つうまくいかない。足の引っ張り合い、アラ探し、権力闘争、もういい加減に厭きた。

ちょっとやそっとで人相の悪くならない頼もしい政治家がいい。誰が居るだろうか?

いつも同じで終始一貫、良くは見えないOさん、これ以上は悪くなりません、という逆説的な答えもあるのだろうか?

何代も続けて、政治家の顔がだんだん悪くなっていくの(それも短期間に急速に)を見続けるのは、本当にもう沢山だ。

早朝、4時20分。会津若松・飯盛山麓は、ヒグラシゼミの鳴き声に包まれていました。カナカナカナカナ、澄んだ声が夜明けの涼しい空気を震わせます。10分経過・・・突如蝉の声は消え、小鳥の声が次々と聞こえてくる、もう蝉は鳴かない。ヒグラシの朝は一瞬の事でした。

本日も日本全国猛暑の予報、熱中症にご注意あれ。

2010年7月20日 (火)

継続は・・・

このブログも始まっておよそ半年、駄文を重ねているが、継続しているとネット内ではちゃんと存在が認められてくるものだ。検索エンジンのグーグルでもヤフーでも「会津に会いたい」と入れるとトップにこのブログが引っ掛かる。

どれだけ見ているか、というのとは別だが「会津に会いたい」と言う言葉がネット上で認知されている。最初の頃は全く出なかった。

また、アマゾンなどの書籍販売では『会津に会いたい』という書名が出てくる。が、どこでも品切れになっている。それもそのはず、この本、実は私が30年も前に編集したもので、とっくに廃刊されている。なのになぜか載っている。ネットの情報と言うのはおそろしく執念深い。

「会津を10倍楽しめるアウトドア・ガイドブック・・・」というのがその本の謳い文句だった。が、時代に早すぎたというか、先走ったというか、あまり売れなかった。やがてアウトドアブームが来て、問い合わせが集中した頃には、情報が古くなって再編集が必要だった。

山登りや釣り、サイクリング、キャンプなどの情報を集め、いかにも若い内容だった。ま、今となっては幻の一冊というヤツですな。

そのタイトルを再利用したという訳だ。初めて聞いた人は「アイツに逢いたい」ではないのかと思うが、その辺も駄洒落ブームを多少先取りしている。

継続は力なりとは言うが、いたずらに継続すればいいというものでもない。この駄文の積み重ねが「力」になるとは思えないが(しようと思っているわけでもないが)、もうしばらくは続け、試行錯誤してみよう。

お暇ならお付き合い願いたい。

2010年7月19日 (月)

梅雨明け、海の日

会津地方も梅雨が明けた。朝から夏空が広がっている。

昨日、映画難民は久しぶりにスクリーンで映画を観た。思えば五月に会津唯一の映画館で山田洋二監督の「おとうと」を見て以来だ。新潟まで車を飛ばしたが、連休の混雑で危うく遅れそうになった。「借りぐらしのアリエッティ」ジブリアニメの新作だ。

中高年夫婦が二人でアニメの封切りを見に行くなどと言うのは、ひと昔前ではちょっと考えられないことだ。だが宮崎アニメのヒット以来、大人がアニメを見ることは全く不自然ではなくなった。そういう意味からもジブリの功績は大きい。

宮崎アニメ独特の美しいファンタジーだったが、物語の展開が少々チープだった。無理やり感動と結び付けようとしているようでラストの『君は僕の心臓の一部だ』のセリフは、ちょっと唐突過ぎた。

それにしても新潟はさすがに政令指定都市、何時行っても人が多い。いつも行くのは万代シティだが、若い人が多く、こども連れが多いなぁと、いつも感じる。残念ながら会津若松市の中心部とは逆だ。

アリエッティは人間の家で借りぐらしをしている小人の種族だ。世界中にもう何人生き残っているか分からない絶滅間近の種族だ。かたや人間は65億を超えて膨張している。

都市に溢れかえる人々・・・都市に住むのが人間族で、地方に住むのが小人族、そんな寓話にとれないこともない。

今日は海の日、「海よー、おれの海よ。大きなその愛よ~♪」加山雄三の名曲だ。なんとその加山雄三と歌丸師匠が同い歳だと昨日の「笑点」で言っていた。ちょっと驚く。

2010年7月18日 (日)

夏休み

連休の後、火曜日一日行けば学校は夏休みだそうだ。今年の春の寒さはどうなっているんだ、と言っていたのはついこの間、あっという間に夏休みが来る。

夏休みの友、ラジオ体操、ランニングシャツ、祭りばやし・・・少年・少女時代の夏休みが遠く懐かしい。

私の父は長男だったので、その弟や妹たちのこども、すなわち私のいとこたちは会津を我が田舎(ふるさと)と感じて育ったようだ。夏休みには、我が家に、いとこたちが集まった。二階の和室に蚊帳を張り、多い時には十人ぐらいのこども達が暑い夏をワーワー、言いながら合宿所のようにして過ごした。

時にはバスに揺られ滝沢峠を越えて猪苗代湖に湖水浴へ、お日市に行ったり墓参りに行ったり、磐梯山へも登った。その間にはケンカしたり泣いたり、きっと色々なこともあったのだろうが、思い出は時の流れに磨かれ、絵に描いた様に楽しい風景だけが記憶に残っている。

長い夏休みには、こどもを成長させる力があるように思う。汗にまみれ、様々な「初めて」にトライする夏、多少の無茶や無理も夏だから許される。今振り返れば、昔の大人たちは夏の中へ、まさにこどもを「おっ放し」ていた。おっ放しが大事、おっ放されてこどもは育つ。

と、ここまで書いて気がついたのだが、全くセミが鳴いていない。山際に住んでいるのだがセミの声がしない。朝夕にはヒグラシ、炎天下にアブラゼミ、ミンミンゼミ、今年はまだ聞いていない。多雨のせいなのか、異常気象の影響か、少々不気味だ。

週明けにはセミ君、御登場をお待ちしております。

2010年7月17日 (土)

機嫌をこわすな

晴天、会津は梅雨明けを思わせるような空が広がっている。襲い来る、猛暑、我が家のエアコンは大丈夫だろうか?もうかなり古い。壊れてはいないが、効きが悪い。だましだまし使ってきたが、突然効かなくなったらどうしようかと不安だ。暑さにはすごく弱いから。

電気製品、どこで見切るかはなかなか難しい。地デジのように、もう使えませんと言われれば分かりやすいが、掃除機も冷蔵庫も古くなってもちゃんと動く。間に合うと言えば間に合う。家電オタクではないので、新しいのが欲しくて仕方がないというようなことはないが、古いといえば古い。

不思議なことに、壊れだすと何故か次々と続く事がある。去年の冬は参った。トイレの中でプシュっと変な音がしたらウォシュレットが動かなくなった。次いで氷点下なのにメインのストーブが点かなくなった。しばらくしたらテレビもおかしくなった。いずれも古く修理不能と言われた。(仮に修理ができたとしても買った方が安かったりする)もう少し順々にと思うのだが、続いた。

人生、良いことも悪いことも、なぜか続くことがある。立て続けにいろんなことが起こる。歳周りというのもあるのだろうけど、不思議と山谷が出来るものだ。

ま、そんな大げさな話ではないのだが、なにせ去年はいろいろあったから今年は平穏であって欲しいと願っている。とりあえず、エアコンよ、冷蔵庫よこの暑さの中で機嫌をこわすんじゃないぞ!

東北、南九州の一部を除いて梅雨明けだそうでだ。会津盆地にも本格的な厳しい夏が来た。

2010年7月16日 (金)

100倍は悲しい

会津を離れている。

仲間の父上が亡くなり、代表して通夜・葬儀に参列している。山のような香典を預かり、緊張しながらの現金輸送となった。

ところ変われば、で葬儀のやり方もさまざまだ。昨晩の通夜はきわめてあっさりで驚いた。親族以外は会場に入らず、参列者は焼香してご挨拶をするだけ、あっという間に済んだ。

その後、続くセレモニーに疲れた喪主が、2時間ほど抜け出してきて晩飯かたがた、二人で一杯やった。なかなか当たりの小料理屋で、絶品のオニオコゼと酢だこを味わった。彼は、いろいろと語った。父親が亡くなり、初めて父親の人間関係の広さを知ったこと、家族に見せた顔とは違う一面を垣間見たことなどなど。ひたすら聞き役に回った。

私は母を先に亡くした。もう二十年以上経つが親の死というのは特別だ。母親を亡くしたらどれほど悲しいだろう、と想像していたが実際はその100倍も悲しくて、あまりの悲しさに驚いた。

今日は午後からの告別式だが、昨晩はご家族で一緒に過ごし、今頃はすでに火葬にふしているそうだ。青空なのに悲しいだろう。

梅雨明けを思わせる山梨、武田信玄のふるさと甲府にて。

2010年7月15日 (木)

会津大学

江戸時代、会津藩校日新館は日本三大藩校の一つに数えられた有名校だった。先進教育に取り組み天文台やプールまであったという。教育に熱心な風土は会津の伝統だ。

それなのに会津には四年制大学がずっとなかった。藩政時代二十万石以上の街で四年制大学が創られなかったのは会津だけだったそうだ。それほど戊辰戦争の影響は長く続いたということが言える。会津に最高学府を作るというのは、地域の悲願ともなっていった。

平成5年(1993)ついに会津に四年制大学が開学した。その名も会津大学。福島県立の大学であり、日本初のコンピュータ理工学専門の大学であった。日本のコンピュータ理工学の第一人者・国井利泰氏を学長に迎え、教授の半数以上が外国人、授業も大半が英語で行われ、学内共通語は英語という超ユニークな大学が誕生したのである。

先に楽天やユニクロが社内公用語を英語にするというようなニュースがあったが、17年も前から英語が公用語の大学がすでに会津にあったわけだ。

歴史の街とコンピュータ、なんとなくミスマッチなこの取り合わせが話題となり、全国から優秀なコンピュータサイエンティストの卵たちが集まってきた。また、時代の要請ともピタリと合った。会津大学は初の卒業生を輩出して以来、就職率100%を誇っている。

会津若松市は街をあげて会津大学を歓迎してきた。会津産学懇話会や学術振興財団など、会津の経済界が力を合わせ大学をサポートしている。一方、大学発のベンチャー企業も数多く誕生しており、大学も市に大きく貢献している形だ。

それにしても早いものでもう17年だ。昨晩は恒例となった産学懇話会主催のサマーパーティが行われた。大学の教員、職員、その家族と市民の交流のパーティだ。創立当初から居る教授はもうほとんどいない、数が多かったロシアからの先生たちも数名だけだ。

席上、創立当初、教授とその家族の引越し手伝いをボランティアでやったという思い出話になった。その時のロシアチームのリーダの教授(お名前失念)が、イスラエルで亡くなったという話を聞いて驚き、改めて時の流れを感じた。

日本の景気が、会津の景気が落ち込んでいる昨今、会津大学に寄せられる期待はますます大きい。遺伝子工学など学部の新設を要望する声も聞かれる。

米百俵ではないが、この厳しい時代にこそ教育へ注ぐ力を決して緩めてはいけない。教育が次世代を作る、教育こそが時代に希望の明かりを灯すと言える。頑張れ!頑張れ!会津大学だ。

2010年7月14日 (水)

会津・夜の魅力は?

よく観光は、非常にすそ野の広い産業だという。観光関係の旅館やお土産物屋だけが潤うのではない、その土地の地場産業、農業、サービス業、あらゆる業種にその効果は広く波及し、地域に貢献するという。

人口減少の今、地域が外貨を獲得するには人の交流を起こす観光が手早く、有効な産業だといわれる。国も外国人観光客の増大を図り、日本の観光施策に本腰を入れてきている。

ご承知のように会津は観光地だ。年間500万人の誘致を目論んで頑張っている。このところ徐々に観光客数は増えていると報じられている。しかし、東山温泉や芦ノ牧温泉などの宿泊者数は絶頂期には遠く及ばない。

会津に宿泊する人が減ってきているのは、ひとつには交通の便が良くなったことが挙げられるだろう。高速道路は宿泊型を通過型に変えてしまった。

しかし、そればかりでもないだろう。泊まってみたいという魅力が温泉地にも街にも少ないのも一因だ。泊まってまで観る、知る、体験するだけの魅力がないのだ。全国にはそこに泊まるためだけに多くの人を集めている温泉地や街がある。

『夜の会津を見なければ会津を見たことにはならない』というようなものがあれば、観光はもっと大きく地域を潤すことになるだろう。

それが何か?簡単に分かれば苦労はしない。が、「夜」というものにみんながもっと目を向けて考えれば楽しいアイデアが生まれるかもしれない。

たとえば、喜多方ラーメンは有名になったからそれでいいが、会津若松市は夜の飲んだあとの上がりのラーメン屋さんが凄いとか、人口比でスナックが異常に多いとか、美人が多いとか、夜しかみられない何かをやっているとか・・・。

夜…年波には勝てず、夜がめっぽう弱くなりつつあるが、みんなでもう少し会津の「夜」を真剣に考えてみるのも一興かもしれない。日帰りよりは一泊、二泊の方が観光のもたらすパワーは遥かに大きい。

2010年7月13日 (火)

ヒゲのある素顔

ヒゲを伸ばしてもう30年以上になる。一度だけ、暴力団とは関係のない野球賭博(日本シリーズの優勝を賭けた)で、負けて剃ったことがあるだけだ。

あの時は面白い経験をした。人間には人と相対する時に、二通りあると分かった。その人全体を見ている人と、しっかり目だけを見ている人だ。目だけを見て話す人は、不思議なことにひげを剃っているのにすぐには気付かない。しばらく話してて、急に「あ―、え~!どうしたの?」と、素っ頓狂な声を出す。一方、全体を見てる人は会った瞬間に「あらー!」と驚く。

悲壮な覚悟でひげを剃ったのに気が付かれないと拍子が抜ける。が、瞬時に大声で驚かれるとパンツをはいてないような感じで恥ずかしい。

「ヒゲの手入れは大変でしょう」とよく言われるが、全く逆だ。なかった時は毎朝ヒゲそりが面倒だった。今は生えてない頬の辺りを電気カミソリでジャー、唇にかかるのは小さなハサミでチョキチョキ、剃刀負けも気にすることがなく、至って楽だ。

若い頃には真っ黒だったヒゲも、ほぼ真っ白になってしまった。このまま伸ばせばサンタクロースみたいになりそうだ。

最近知って驚いたが、白いヒゲに憧れている人もいる。「一度でいいから真っ白なひげを伸ばしてみたい」と、お世辞でもなく言う男性が少なからず居る。伸ばせばいいじゃないか、と言うがゴマ塩でとても真っ白にはならないらしい。ま、ロマンスグレーというのもあるわけだから、ヒゲのロマンスグレーがあっても不思議ではない。

このヒゲと後どれぐらい付き合うのだろうか?考えてみればこどもたちもヒゲのない顔を知らない。言ってみれば親の素顔を知らないというわけだ。家人にしても、とっくに忘れているだろう。何せ自分でも分からなくなっている。

もうここまで来ればヒゲ込みで素顔と言うしかない。この素顔のままで死んでいく他はなさそうだ。

つい先ほど、昨日の選挙で当選したみんなの党・小熊慎司くんから電話があった。当選おめでとうと言ったら、すごく喜んでいた。当然だろう、有名な元アナウンサーや経営者を上回っての当選だ。真冬の会津の朝、交差点で辻立ちをして訴え続けてきた若干42歳、ヒゲもなくさわやかだ。

実のところ選挙はあまり好きではない。その時になると急に親しくなるような変な人間関係が煩わしい。とはいえ政治家が頑張ってくれないことには国も地方もにっちもさっちもいかなくなってしまう。会津経済の冷え込みは尋常ではない。かの新人の活躍に、大いなる期待を込めて拍手を贈りたい。

2010年7月12日 (月)

審判の力量

何度かネタにさせてもらったW杯もスペインの優勝で終わった。あの占いタコはドイツの全試合、決勝もピタリと当てた。なんでもタコは色が分かるらしく赤が好きなので赤い国旗の方に行くだけだ、という説もあるらしいが、あの八本足が赤いほうを選ぶだけでもすごい。

選挙も終わった。会津からはみんなの党の比例区で小熊慎司君が見事当選した。久々の参議院議員の誕生である。会津高校の後輩、合唱部、まずは目出度い。

選挙も気になるし、サッカーも気になった。おまけに全米女子ゴルフも気になったし、なんとも忙しい日曜の夜というか朝というか、おかげで眠い。

W杯の審判は最後までもめた。決勝の延長10分、オランダのCKがスペインのGKと判定された。ビデオで見る限り明らかに誤審だ。しかし、ビデオで見ればその前のラフプレーだって完全にレッドカードに見えるし、PKでもおかしくない場面もあった。

結構、審判というのは試合が壊れてしまわないように気を配って帳尻合わせをしているんじゃないかという気がする。単にジャッジしているだけではなくて、見方によっては試合を作っているとも言える。

試合を締まった良いものにするのは審判の力量によるところが大きい。イエローと警告を上手に使い分けながら絶妙にコントロールしているのだ。

さて、国民の審判は衆参のねじれを起こし、民主党政権にブレーキをかけた。微妙なジャッジだが、この判断が生きることを願いたい。

経済大国を自負していた日本は、今やあらゆる分野で後進に追い越され、ランキングを転げ落ちるばかりだ。このままでは次のW杯の頃には、ベスト16どころか出場そのものも危うい位置まで転げ落ちているかもしれない。審判の力量が試されるのはこれからだ。

2010年7月11日 (日)

響け歌声

10日の土曜、会津風雅堂において「会津混声合唱団・定期演奏会」があった。会場は大勢の合唱ファンで埋まった。

この定期演奏会、数えること44回と言うから大変な歴史ある合唱団だ。実力は会津トップクラス、合唱王国福島の雄でもあり、全国レベルの合唱団だ。

4部構成のステージは、門外漢の私でも実に楽しめた。1ステージは早春賦など日本の抒情歌、2ステージはアヴェ・マリアなど荘厳な合唱曲、3ステージはなんと芝居仕立てのアニソンメドレー、最後に混声合唱とピアノのための組曲「夢の意味」でビシッと締めた。

ピアノに江川龍二さん、こんなにピアノの美味い人が会津にいるとは初めて知った。また3ステージの脚本・演出は佐藤雅通さん、豊かな才能の持ち主が居ることを知って嬉しくなった。「巨人の星」や「タイガーマスク」「ゲ・ゲ・ゲの鬼太郎」などアニソンを笑いたっぷりの寸劇を盛り込こんだその構成力は見事、合唱団の歌唱力が確かなだけにドタバタ喜劇に終わらない不思議な魅力があった。

入場料はわずかに1000円、それもいただいた招待券で行ったので少々申し訳ない気がした。あっという間の2時間、興奮冷めやらぬ帰りの一杯も大変美味しゅうございました。

会津混声合唱団を率いる常任指揮者・高橋祐二先生、実は私の高校の同級生。誰からもに親しまれる会津合唱界の中心的存在だ。人の良さが顔に出ている。アニソンのステージでは、ルパン三世の五右衛門を熱演、30年後の五右衛門は見事なアタマになってしまい会場の大爆笑を誘っていた。

あらためて合唱とはいいものだと思った。人の声が集まって作りだす感動はどっしりと肝に響く、魂を揺さぶるものがある。

会津は合唱が盛んで多くの合唱団がある。合唱から生まれる素晴らしい世界がもっともっと広まればいいと思う。響け歌声、会津野に!日本に、世界に、響き渡れ!

2010年7月10日 (土)

触ってはいけない

フィッシング詐欺に遭いそうになった。ネットサーフィンをしながらどこか怪しいサイトのボタンを触ってしまったんだろう。いきなり、もだえる女性の顔が出現!『アダルトサイトのご契約ありがとうございます』という派手なポップアップ画面が現れた。

残り72時間で本契約となります。と書かれていて、左上の時計がどんどん進んでいく。秒単位の数字が目まぐるしく動くのでそれを見るだけでも、すごく焦ってしまう。

『身に覚えのない人はこちらへ。ポップアップ画面を消したい人はこちらへ』とアドレスが書かれているので思わずクリックして反応したくなってしまう。『ご契約の変更はこちらへ。問い合わせはこちらへ』と、ファックス、電話番号まで書いてある。

「お前ら間違っているぞ、おれは関係ない!」と言いたくなるが、身に覚えがないのだから(少しはHなところも見てましたが r(^ω^*))) 絶対に反応してはいけない。反応して問い合わせたりしたら、釣りあげられた魚のように奴らの餌食になる。

72時間たっても結局は何も起こらない。しかし、ポップアップ画面は消えない。放っておけばいいのだが、実にうるさい。×で消しても2分ぐらいするとすぐにまた出てくる。消しても消しても出てくる。なんか実生活にヤクザに入りこまれたような嫌な感じがして気が滅入る。これがいつまで続くのか・・・?

県の消費者生活センターに聞いてみた。当然、一切反応してはいけないとのこと。お困りのポップアップ画面はPCのメーカーのサポートセンターに相談すれば、消してくれるはずだとのことであった。それもまぁ面倒、いつかやろうと思っている内に3週間ぐらいしたらひとりでに出なくなった。嬉しかった。

おそらく敵のサーバーにも容量の限界があるのだろう。日本全国から次から次と引っかかって来るおバカさん、そこから釣りあげられないものをいつまでも構ってはいられない。どんどん溜まって古い方から追い出されることになる、のだと思う。

一切触らず、反応せずだ。

が、分かってはいるものの、カウントダウンの時計をつけたり、下手にやさしく出てこられたりと敵も巧妙、思わず反応したくなるのも人情だ。要はいたずらに怪しいサイトを見てはいけない、変なところを触ってはいけないということです。みなさん気をつけましょう!

昨日は夏のあいさつ回りで会津をぐるりと一周してきた。200キロ越え、会津は実に広い。只見川も伊南川も水は豊か、山々はどこまでも深く、緑がむせかえるようだった。途中、ゲリラ豪雨の端っこを通ったが、総じて快適なドライブ、会津の懐は実に深い、広い。

2010年7月 9日 (金)

乗ってはいけない

どうして鳩山さんは、最低でも県外とか、腹案があるなどと言い張ったのだろう?どうして菅さんは、選挙直前に消費税問題を持ち出したのだろう?

自信があったからに決まっている。自信があったから、口に出して一気に畳み込もうと考えたに違いない。どうしてそんなに自信があったのか?調子に乗ったからだ。

菅さんは副総理だった時のように、のらりくらりと何も言わず、V字回復の波に乗っていれば良かったはずだ。人気という奴に押し上げられて過半数を取ったなら、消費税も次の段階に進めたはずだ。本当に消費税を上げたいのならそうした方が、物事は進んだに違いない。

それなのに堂々と「消費税は公約ととらえてもらって構わない!」みたいなことを言って選挙の争点にした。やっぱり自信があったからだ。V字回復の数字に踊らされて調子に乗ったからだ。

投票日目前のあのトーンダウンぶりはどうだ。鳩山さんの普天間問題と似ている。

とかく人間は調子に乗る。調子に乗って要らないことまで口走ってしまう。しかし、一度口をついた言葉は決して消すことができない。なんであんなことを言ってしまったのだろう、と冷静になって考えても後の祭り、調子に乗った自分を悔いるばかりだ。

私も何度調子に乗ってやらかしたことか数えきれない。『好事魔多し』ということわざがあるくらいだから、基本、人間は調子に乗りやすい動物なのだ。『豚もおだてりゃ木に登る』のだ。

それも昔ならまだ良かったかもしれない。一旦、調子に乗っても、すぐに反省してやり直せば間に合うこともあっただろう。しかし、この情報化社会は、お調子者には容赦がない。そのことを忘れてはいけない。

『沈黙は金』『先に動いた方が負ける』私はこの言葉を大切にしている。根がお調子者で、なかなか守れないからだ。肝に命じるだけでも少しは違うだろう、と思うのだが時々調子に乗って忘れてしまう。

調子に乗る、図に乗る、口車に乗る・・・世の中、乗ってはいけないものがある。

この国の将来、こどもたちの未来を託すのがお調子者では困るのだ。しかし、問題はお調子者しか居ないようにも見えることだ。

どうすりゃいいのよ日曜日…は近い。会津は曇りがちな週末予報です。

2010年7月 8日 (木)

タコにご褒美?

あの占いタコはすごい!ドイツが負けてスペインが勝った。スペインのパスサッカーは素人目にも美しい。やばい!と言ってすぐに蹴り出してしまうような球も、しっかりとパスでつなぐ。ボールコントロールが自由自在だ。これまでのドイツが、ドイツでないように攻撃が出来なくなってしまうから不思議。点数差よりもずっと差がついたように見えた。

そのスペインだって予選リーグで負けて居るんだから、戦いというものは相手によって変わってしまうものなのだ。相性もあるだろうし、スタイルの差というのもあるのだろう。

これでスペイン優勝の声が高まるが、勝負はやってみないと分からない。いずれにしてもオランダと1-0だった日本としては、あのチームは一歩間違えば結構いけたような気がしないでもない。

ドイツの占いだこ、一応決勝戦も占わせるのだろうか?全的中したなら、あのタコもご褒美ものだ。

郡山は連日のゲリラ豪雨、会津も連日の夕立雨。今日は全国的に貴重な晴れ間とか会津の朝も、3時起きの目にはまぶしい陽が降り注いでいます。

2010年7月 7日 (水)

お日市の夏

会津若松市の夏の風物詩と言えばなんといっても「お日市」だろう。各町内の神社やお寺のお祭りを「お日市」という。7月1日の「おんば様」から始まって、9月8日の「舘のお薬師様」までほぼ毎日のペースで、どこかしらでお祭りが行われる。その数45。

こどもの頃のお日市は本当に賑やかだった。大きなお日市には何十、何百という露店が出た。娯楽が少なかったせいもあるだろう、大変な人出があったし、それを目当てのテキヤと言われる人々も数多く集まった。

露店も多彩だった。射幸性をあおるくじ引き系統の店が多く、おもちゃ、お面、綿菓子、生活用品など実にいろいろな店があった。今のように、焼きそばやお好み焼などの食べ物一辺倒ではなかった。

「ほら、やってみな」 あやしいお兄さんがくるくる回す。手渡されたビー球を落とすと、管の中をくねくねと回りながらポトリと1等賞のところに落ちる。 「ほうら、簡単だべ!」と言われて、いざお金を払っていざやってみると、必ずスカのところに落ちる。 「あー、なんだべさっきみたいにスッと落とさないとダメだわい。そんなに指に力入れたらダメだ、もう一回やっか?」 このインチキ臭さが懐かしい。

夕闇が迫ると一斉にアセチレンランプに火が灯る。夏の匂いがした。ほの暗い明かりの中ではきれいに見えたブリキのおもちゃも、家の明かりの下でみると結構傷だらけだったりする。昼用、夜用と裏ですり替えていたのかもしれない。

7月15日「きゅうりの神様」、27日「おすわ様」、8月4日「神明神社」と、炎天下の下、次々と大きなお日市が続き、こども心は大いに躍った。通りを埋め尽くすほどの人出で賑わい、嬉しくて1日に何度も何度も出かけたものだ。

時が流れ、暴力団追放ということでお日市からもこうしたテキヤは一掃された。今では町内会や商店街が主体となって露店を出し、お日市の伝統を守っている。が、規模は大層小さくなった。

「お日市」・・・年齢によって思い起こすその風景も大分違ってきている。

町内によっては存続も大変な昨今だが、なんとか絶やさずに伝えて行って欲しいものだ。古い祭礼では実に4百年の歴史があるという。歴史のある街にしかないかけがえのない財産であることは間違いない。守り続けていけば、またいつの日か脚光の当たる日がきっと来るように思う。なにせ会津ならでは、なのだから「お日市」

2010年7月 6日 (火)

変わらないで欲しいもの

よく雨が降る。ゲリラ豪雨という言葉があるが、そんな雨も地球温暖化の影響なのだろうか?

近頃の土砂降りは、熱帯のスコールのように一気に降る。もともと温帯の日本ではあんな雨はめったに降らない。あんな雨を想定していない温帯仕様の下水管の太さなので、熱帯のような雨が一気に降るとすぐに溢れてしまうのだ、という話を聞いたことがある。

城下町会津若松を流れる水路は、藩政時代の水路が元になっている。そしてそのほとんどが今は暗渠になっている。昔の人の知恵とはたいしたもので、水が一気に流れないように、また水車や生活用水として利用できるように、絶妙に曲げて流れをコントロールしていた。その今も曲がった部分に熱帯のような雨が一気に来ると、これまた溢れ返る。

気候が変わる、ということはこのように物事の大前提から変更しなくてはならないほどの一大事なのだ。

この地方で採れた作物が実らない。植物が育たず、居ないはず動物が居たり、居るはずの動物が居なくなってしまう。

気候が変われば当然、人間の性格にも少なからず影響があるだろう。

『会津の人は頑固だからなし!』とは、愚直なまでの会津人気質を褒めた言葉だ。しんしんと降る雪の中、埃りの少ない冬に黙々と手仕事を続ける職人のイメージが重なる。これが亜熱帯、熱帯ではどうにも似合わない。

『♪磐梯山の動かない 姿にも似たその心・・・』 そう、不動の磐梯山のように、大切なものはあまり変わらないで欲しいと願う。

2010年7月 5日 (月)

和らぎ水

会津清酒を飲むときに、酒と並行して水を少しずつ飲みながらやるといい。深酒も避けられるし、翌日も辛くない。誰が呼んだか「和らぎ水」と言うそうだ。

日本酒のアルコール度数は大体15、16度。ワインと同じくらいだが、そのまま飲むので結構強い酒を飲んでいることになる。

ウィスキーやジン、ウォッカなど蒸留酒は軒並み40度以上でそれ自体は強いが、ほとんどの場合割って飲むので、実際に飲むのは日本酒よりはずっとアルコール度数が低いことになる。ビールは5、6度だし、チューハイも7、8度と言ったところ。15度ほどの日本酒はかなり強い酒ということになる。そこで時々、酔いを和らげる水が良いというわけだ。

これは何にでも言える。芳醇な味わいをそれだけで続けるよりは、時にさらっと切り替えることで、より美味しくいただける。

人間関係の和らぎ水は、さしずめ「笑い」ということになるだろうか。

ジョークや駄洒落も楽しいが、『にもかかわらず笑う』ユーモアの精神は、最も辛い時にこそ、最も厳しい時にこそ発揮されるものだという。

「先生、もう生きているのが嫌になりました。いつになったらお迎えが来てくれるのでしょうか?」 「そうだねぇー、その身体では遠出はとても無理だよ、まずは膝を治してからにしようや」

「(* ̄ー ̄*)」

こんな和らぎ水の精神は、身体にも心にもいい。

2010年7月 4日 (日)

電気のふるさと

会津の「津」とは水辺や湊のある場所を意味するという、琵琶湖の大津や津、焼津、みんな水のある地だ。

神話の時代、この地で出会った四道将軍・父子、その地は豊かな水の国だった。と、言うことを改めて思い知った日曜日。東京電の、猪苗代第二発電所を見学させてもらった。猪苗代湖、周辺に水力発電所が数か所あることは知っていたが、ちゃんと学んだのは初めてだった。

裏磐梯の桧原湖、小野川湖、秋元湖などの湖沼群から猪苗代湖までの標高差が約300メートル、母なる湖・猪苗代湖から会津盆地までの標高差がさらに約300メートル、この標高差を利用して多くの水力発電所がある。

裏磐梯から猪苗代湖までの長瀬川水系に3か所、猪苗代湖から会津盆地の日橋川水系に6か所、飯盛山方面に向かう戸の口堰水系に3か所、さらに郡山へ水を引いた安積疎水水系にも3か所の水力発電所がある。こんなに多いとは思っていなかったし、普段の道路や鉄道から見えるのはほんの数か所だ。

いずれも歴史は古く、大正時代から発電を開始し、東京へと電気を送ってきた。猪苗代第一発電所の設計は東京駅を設計した辰野金吾博士、第二発電所も博士が監修している。第一発電所は新しくなったものの、第二発電所はそのまま往時の面影を今に残し、実に渋い。

総レンガ造りの重厚な建物が深い緑の中にある。標高差を利用し、出来る限り自然の地形を生かした発電所はいかにも会津にふさわしい美しい姿だった。

豊かな水の恵みは計り知れない。大地を潤すまでに、流れ落ちる水は水車を回し電気を生む。クラシカルでエコな電気は水の大きな恵み、水の国・会津は電気のふるさとでもあるのだ。

2010年7月 3日 (土)

んめぇもの お店「トラッテリア・ネモ」

会津には珍しい本格的イタリアンのお店だ。こども達がまだ小さい頃から行っているわけだからもう20年近くにはなるのではなかろうか?街のど真ん中、パティオビルの斜め向かい1階にある。小さな黒板に書かれたメニュー、ワインの瓶やイタリアンな色合いで飾られた店先、思わず引き込まれるような店構えだ。

シェフが「ねもと」という苗字で「ネモ」と聞いたことがあるが、お婿さんになって苗字の方は変わったらしい。無口でシャイだが腕は確かだ。

「会津でこんな美味しいイタリアンを食べられるとは思わなかった!」舌の肥えた客を案内するとよくこんな言葉を聞く。東京でも全く引けを取らないとも。もちろん、ベースとなるパン、チーズ、ワイン、どれも確かなものを揃えている。

単品でいろいろ楽しむのも良いが、あらかじめコースを予約しシェフにお任せしておくと、今日は何が出るかなという楽しみも加わり、わくわくする。

食事の場合もあるし、一杯飲んだ後にぶらりとワインを、というケースもある。そんな時は、チーズやパンをつまみにというのもいいが、イカ墨のリゾットをちびちびとつまみにというのがなかなかいける。もっとも歯が真っ黒になって間抜けな顔になるので、気を使う人とはダメだ。

ホールは奥さんが仕切っているが、夫婦でお店を、という馴れ合い感みたいなのがまったくないのが良い。夫婦ではないのかと思えるくらいだ。オーダーはイタリア語、手際もいい。この奥さん、聞いたことはないが素敵なフルートを吹くらしい。

会津では高級店と言えるお値段だが、その内容からすると決して高くはない。なぜかこのところ大分御無沙汰だ。今夜あたり、たまにはイタリアンでも行ってみようかなぁ。

2010年7月 2日 (金)

情報戦

☂マークなのに昨日も今日も、会津若松には薄日が差している。これって天気予報がハズレという訳ではなく、結構近いところで雨だったり曇ったりの不安定な天気のせいで、会津全体の予報としては総じて当たっているようだ。周りの山にはぐるり低い雲が垂れこめている。昨日も南部では土砂降りだったという。

天気予報は近頃、良く当たるようになったと思う。特に天気予報がビジネスになってからピンポイントの予報は精度が高い。

ゴルフ場でも一緒に回っていると、どこから仕入れるのかやたらと詳しい予報を言う人が居る。「12時ごろから風が東風に変わって強くなります。また1時過ぎには雨が降り出します。午後はちょっとコンディションが厳しくなりますね」・・・って「気象庁かよ!」と突っ込みを入れたくなる。

天気だけでなくいろいろな情報も手に入る。

仲間内では勝手に「伊能忠敬」とあだ名をつけているが、腰にぶら下げた小さな機械でピンまでの距離が、どこからでも何ヤードと正確に分かる。驚いたことに日本中のどこのゴルフ場の何番ホールに立っても自分の距離がピタリと分かるのだ。TV中継でピンまで何ヤードと言えるのはあれがあるからだろう。

仕組みは良く分からないが、すべてのゴルフ場の歩測データが入っているのだそうだ。一人がこれを持っていると「おーい、伊能忠敬、ここからなんぼだ?」とみんなが尋ねる。いちいちボールのところまで行かなくてはならないから忠敬さんも大変だ。ラフからでもどこからでも分かる。もっとも、競技の時には使ってはいけないらしい。

今の世の中、何をするにもいろいろな情報が山ほどあって、集めようと思えば膨大な情報を集めることができる。すべてをヤマ感でやっている人と、データに基づいてやっている人ではおのずと結果は違ってくるだろう。入念な準備というのは情報収集と分析の事でもあるのだ。

しかし、人は分かったからと言って、その通りに出来るとは限らない。「分かっちゃいるけど止められない」という、おバカなことをしてしまうのも人の魅力だ。

膨大な情報を前に「すごい!」と思う心と「うー、面倒くせぇ!」という心がいつも葛藤するのは私だけだろうか?

明日も☂、私は外れても全く怒りはしない。

2010年7月 1日 (木)

チームが大事

昨日、駒野選手は眠れただろうか?PK戦は必ずどちらかに決着が付く。誰かが外すか止められるかして、悲劇を背負う選手が必ず一人生まれる。その選手の扱いでチームの成熟度が計り知れる。

駒野を迎え、慰める日本チームは実に良かった。あんなところで外した選手に文句を言うヤツも居ないだろうが、心の底からいたわり、ねぎらう姿はやはり感動的だ。パラグアイの選手も駒野のもとに歩み寄り、さっぱり分からないスペイン語で必死に慰めたという。120分間、死力を尽くしあった者だけが分かる心情だ。

『我々は、控えの選手もスタッフも全部含めてサッカーがチームスポーツであることを証明したいのです』と、岡田監督は言った。あの言葉が強く心に残る。

外れたPK、届かなかった勝利、皮肉にもそれらが日本が短期間にいかに素晴らしいチームになったかを見せてくれたように思う。選手だけではなく、トレーナー、情報分析、栄養管理・調理、みんなの心がひとつに、チームとしての大きな力となり、予選リーグを突破し、負けはしたけど国民の心を震わせたのだ。

これは仕事も同じだ。これだけ多様化し、科学技術が進んだ現代において、ひとりの人間の出来ることは限られている。チームとなって力を合わせることで初めて本当にいい仕事ができる。チームでなければ良い仕事はできないといってもいい。

気の早いメディアは、4年後のブラジル大会を語り、次期監督候補まで挙げている。4年後に勝つための答えは今大会で、もうすでに出ている。それは、チームスポーツだから良いチームを作らなくては勝てない、ということ。チームのためになることだけを積み重ねていけばいい。

昨日はみんなが眠そうだった。残念だったがそれほどガッカリもしていない風で。

昨日一日、涙雨と言うには降りすぎの雨。今日の会津は梅雨の切れ目か、うすらぼんやりした空から陽が射しています。ところどころに青空が見えては隠れ、隠れては見え・・・。

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