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2010年6月

2010年6月30日 (水)

夏バテ防止法

私たちは発汗作用によって暑さに対処している。汗をかき、その汗が気化する熱で体を冷まし、温度調節をしている。その汗が、いくらかいてもベトベトで蒸発しないと気持ちが悪い。蒸し暑いという状態だ。人間は高温多湿の状態には元来、弱いように出来ているのだ。

温度と湿度による不快度を不快指数と言う。特殊な計算式があるが、数式は見ただけで不快になる。温度27度、湿度55%で不快指数が75、この75を超えると1割の人が不快に感じ、85ではほぼ全員が不快、それ以上では耐えられない!ということになるそうだ。

日本の梅雨はこの耐えられない!状態が続く。会津もこのところひどく蒸し暑い。不快指数は、当たり前だが除湿しただけで全然快適さが違う。同じ温度でもカラッとしていると不快指数がぐんと下がるのだ。

今年の会津は梅雨らしい天気が続いている。今日も1日びしゃびしゃびしゃ、と降り続く雨。街はうっすらと煙って、全体がミストサウナの中に居るような感じだ。

私は暑さには極めて弱い。大汗かきで、汗をかきだすと止まらない。特に頭から「どうしたの?」というくらい玉の汗が流れ落ちる。大汗で寝苦しい日々、これからしばらくは本当に辛い季節だ。

今年は夏バテ予防に、毎朝野菜ジュースに黒酢を入れて飲んでいる。が、効果はまだ感じられない。

実は自分にとって最も有効な夏バテ防止法は、すでに知っているのだ。これは過去の経験から間違いなく効く。だが実践が極めて難しい方法なのだ。

それは「禁酒」です。3、4日もすれば確実に身体はシャンとする。夏バテ感も消える。しかし、夏バテがなくなって元気になればなるほどまた飲みたくなる、という極めて矛盾した循環に陥ってしまうのだ。

一旦飲めば盛り上がって、その時だけは元気モリモリだが、またもどよーんとしたバテバテの朝を迎えることになる。二日酔いも合わされば、かなりのものだ。

ひと夏禁酒!実践したら確実に爽快な夏が過ごせることだろう。しかし、出来もしないことを考えても意味がないので、いろいろと他のモノに頼っているというわけなのだ。とりあえず今年は黒酢だ。

2010年6月29日 (火)

会津芸者さん考

昨日のお座敷には芸者衆が入った。ホントかウソか、東山芸者衆の若い方から8人を揃えたという。下は20歳から8番目で51歳の若手(?)まで、あでやかな着物姿はやはり日本庭園のお座敷によく似合う。

会津若松市には東山温泉とは別に街場の芸者衆も居る。が、今はもう本当に少なく、実質1人になってしまった。その葉子姉さんも顔をそろえた。(お歳は聞かないことに)

芸者衆は会津の貴重な文化財と言っていい。というのも、東北で芸者衆が居るのは、もはや東山温泉だけなのだ。芸者さんだからもちろん芸事に励み、ちゃんと唄も踊りも三味線もOK、季節ごとに、目出度さごとに舞いを披露してくれるし、お座敷遊びも教えてくれる。そうしたお座敷文化の担い手が、風前の灯火に近い状態なのだ。

昭和30年代、只見川の電源開発が盛んな頃には、東山温泉には2百名を超える芸者衆が居たという。夜毎大いに盛り上がり、小原庄助さんのような旦那衆がどんちゃん騒ぎを繰り返していた。その芸者衆も今はもう、20名ほどになってしまった。

商工会議所を中心にこの貴重な芸者衆を残そうと、守る会みたいなのが組織されている。昼のお座敷や女性だけの食事会などにも芸者さんが来て踊ってくれるような割烹プランもある。あの手この手を尽くして何とか存続を図っている。

衰退にはいろいろな要素が絡み合っている。時代が変わり芸者衆にお金を使うという気風が失われたのも一つ、景気が悪いのも一つ、芸事に魅力を感じない人が増えたことも一つだろうし、魅力的な芸者さん(スター)が出ないのも一つだろう。

この絡んだ糸をほどいて、「芸者さん」というきれいな織物をいきいきと伝えていくのは簡単なことではない。だけれども、正月や祝いの宴など、芸者衆の踊りを観れないのはやはり寂しいものだ。

生き残れるか?会津の芸者衆!はなはだ微力ではありますが時々は、応援したいと思います。

2010年6月28日 (月)

もう崩れないで

昨夜は土砂降りの雨だった。奥会津の金山町には大雨警報が出ている。これ以上の災害が起こらないことを祈りたい。

金山町と昭和村を結ぶ国道400号線は1カ月以上前に土砂崩れが起きて今だ通行止めのままだ。ひどい崩れ方で二次災害の危険があり、復旧のめどが立っていない。

昭和村は有名な豪雪地帯、昔は陸の孤島などと言われたが、400号線が通り通年の安全な交通が確保された。その国道が通れないのだから大変だ。今のところは迂回道もあるが雪が降れば通行不可にもなるだろう。そうなったら本当に大変だ。

奥会津は本当に山深い、鉄道、道路が並んで走る只見川沿いまで急峻な山が迫っている。大河・只見川の悠々とした流れと山々が織りなす景色は四季ごとに素晴らしい。

絶景のドライブは多くのトンネル、スノーシェッドをくぐり抜けて進む、この便利さも今では当たり前のように思えるが、こうして一旦、崩れるといかに大変な難工事だったのかが、良く分かる。

奥会津、南会津、そのほとんどが山だ。その雄大な手つかずの大自然は、会津の大きな財産でもある。まだまだ未知の可能性を秘めた奥会津、その生命道路の一日も早い復旧を願いたい。

雨もそこそこに・・・どうかもう崩れないでください!

2010年6月27日 (日)

買わなきゃ損、損?

「ウソみたいー」「信じられないわ」「本当にこれだけ?」「夢のようだわ」・・・早朝のテレビは驚きの言葉、感動の言葉で溢れている。テレビショッピングのお時間だ。深夜もまた、テレビショッピング花盛りになるらしいが、深夜は見たことがない。

なんといってもやせる、若返る、健康になる、が最大のテーマだ。飲むだけで十数キロ減、一日数分でウェスト十数センチ減、引き締まったボディ、こんなに楽しくやせられる、とても信じられない驚きの効果!が次から次と出てくる。

飲むだけでやせたら「毒」じゃないかと思うが、とんでもない、らしい。様々な健康器具はあのぶら下がり健康器が、多くの家庭で物干しと化したと同じ運命をたどるのではないだろうか。第一、毎日そんなに運動を続けられるなら、器具などなくったってちゃんと引き締まっている。

物販も絶妙だ。「エー、うそー」「わー、すごい」という観客の驚きの声がかぶさり、購買意欲をあおる。1個かと思っていたら、あれもこれもとおまけがついて買わなきゃ悪いような気にさせられる。「あんたがフライパン買ってどうするのよ!」言われりゃ、全くもってその通りなのだが、鍋やフライパンでも買いたくなるから不思議だ。

人間の心理を読んだ相当な研究、仕掛けがあるのだろう。一説によると、あのジャパネットナントカの社長さんの「声」そのものがすごいのだそうだ。あの少しなまった独特の声が、買わなきゃ!という気にさせるらしい。まさに魔法の声だ。

またやってるな、と思いながらも、結構見てしまう。そして実は時々申し込んでしまう。

やせて、若返って、健康に!まさに人間の永遠のテーマであり、突かれると非常に弱い、弱点です。

先日の梅雨の晴れ間、西陽に照らされた磐梯山を見て、その青々とした緑の姿に驚きました。山頂まできれいに若緑、夏の会津磐梯山の姿となりました。本日会津は雨模様。

2010年6月26日 (土)

カレー雑感

カレーライスの嫌いな人はめったにいないと思う。私も大好きだ。人それぞれ、おふくろの味噌汁と同じようにおふくろのカレーというのも忘れられない味ではなかろうか?

やっぱり一晩経った次の日のカレーが美味かった。保温の炊飯器なんかなかったから、冷たいご飯に温め直した熱々のカレーをかける、あれがまた美味いんだ。妙に忘れられない。

本当に時たまだが、男の料理でカレーを作る。カレー粉から作るほどには凝らないが、時間はかかる。もっともカレー粉や香辛料を使っても今の市販のカレールーより美味しくは出来ないと思う(私には)

玉ねぎを弱火で気長に炒め甘みを引き出す、肉は蜂蜜を絡めて炒め、じゃがいもは別鍋で煮て後で足す。ルーはなぜか2種類のブレンド(その方が美味しいような気がする)、隠し味に使うのはケチャップ、ヨーグルト、醤油、麺つゆ。インスタントコーヒーというのも聞いたことがあるが、使ったことはない。

結構、時間をかけて飲みながら作る。が、やはり、どうしたってカレーは次の日の方が断然美味い。きっと寝かせる、というのが調理上の必須条件なのだろう。

会津にはインド人の作っている本格的なカレーの店が数軒ある。ずばり「インド食」という名前だった。先日、家人と食べに行ったがこれはなかなかのものだった。もちろん本格的な香辛料から作るカレー、カレーだけで1000円近くする。ナンかバターライスを別に頼んで食べる。高級カレーだ。

一方、昔懐かしい小麦粉カレーというのも捨てがたい。昔のスキー場で、昼に必ず食べたあの味だ。学校給食の高級版というやつ。私の行く職員食堂では、味噌汁、サラダがついて300円だ。すごく美味いわけではないのだけれど、なぜか時々無性に食べたくなる。

お隣の郡山市では、緑のカレーでまちおこし、という話題を先日やっていた。札幌のスープカレー、神戸カレー、横須賀カレーなど、カレーを話題にする街も結構ある。さしずめ会津なら「スキー場で食べた懐かしのカレー」か。決して高級な作りではなく、カレー粉と小麦粉で作ったチープさが逆に受けるかもしれない。

ところで日本人で初めてカレーを食べた人は会津の人だという説がある。白虎隊の一員で後に東京帝大の総長にまでなったあの山川健次郎氏だ。戊辰戦争の後、健次郎氏はアメリカに大学に留学する。その渡航の際、船上で初めて食べたカレーの記録が、日本人がカレーを食した記録の最古だと聞いた。美味しくない、と書かれているらしい。

以来140年、日本のカレー、会津のカレー、私のカレーは美味い。

2010年6月25日 (金)

回転を制する

会津は梅雨の晴れ間が続く。まずは日本の予選リーグ突破、おめでとうございます。良い試合だった。あんなに勝つとは正直思っていなかった。日本は強いんだ!

早寝早起きを試みたが、少々計算違いが生じた。気が高ぶるとそう簡単には寝付けないし寝たと思ったらすぐに目が覚めた。結局、あんまり寝たようでもなく寝不足で頭が重い。が、気分は悪くない。

本田選手の無回転FKと遠藤選手のカーブFK、足で打ってるのに自由自在だ。あれを見ると球技というのは球の回転だというのがよくわかる。ウィンブルドンにしてもヤンキースタジアムにしても、いかに球に自在な回転を与えるかで相手を翻弄出来る。回転を制する者が勝つ、といっていい。

手で打ってもまっすぐ飛ばない私のボールには、かけようともしていない回転がかかっているからひん曲がるわけだ。ならば、逆回転をかける、無回転にする、はたまた出来もしないことを考えて泥沼にはまる、球技の行き着く先は様々だ。

日本の快進撃、次は29日、そこでも万一勝ってしまったらその次と、サッカー狂乱の上を参院選挙が上滑りするような恰好になる。気が付いたら「ハイ、こんなの出ましたけど!」みたいな事になってしまうかもしれない。おそらく選挙を急いだ方はそういう雪崩れ込みが嬉しいのだろうし、攻撃する側はのれんに腕押し状態で、なんだかなー、ということになるだろう。

それも困ったものだが、次のパラグアイ戦も勝って欲しいに決まっている。

「二番じゃだめなんですか?」ってそんな高望みはしませんが、ここまで来たら本当にベスト4なんていう凄いことにならないかなー、と期待してしまう。

ま、サッカーは期待を裏切っても罪はないが、政治はそういう訳にはいきません。

2010年6月24日 (木)

夜か?朝か?

日本vsデンマーク戦、午前3時30分キックオフ、実に難しい時間だ。早めに飯食って寝て起きるか、盛り上がりそのまま気合いで起きているか?と、悩んでいるふりをしているが、私の場合、起きていられるはずがない。

最近は10時ごろ寝て4時過ぎに起きる。朝型と言えば聞こえがいいが、老人型だ。朝っぱらからDVDを観たり、本を読んだり、歩いたりもする。

夜と朝の使い方は、人それぞれだ。私の同級生でも、学生時代そのままに2時3時まで、本を読んだり音楽を聴いたりしている夜型人間もいるにはいる。が、聞けばやはり私同様、多くは朝型になるようだ。仕方ない。

「気合いです。絶対寝ないで応援しますよ!」とTVのインタビューに答えているのは、きっと夜型人間だ。「気合い入れて寝て、がばっと起きて応援します!」と、朝型人間なら言う。活動時間を延長するのか、早めるかだ。

ま、どうでもいいのですが新聞の見出しに『今夜は夜更かし列島』なんて書いてあると、気合いが足りないから寝ちまうんだ、と言われてるみたいな気もして・・・『超早起き列島』でもいいんじゃないでしょうかね?

草木も眠る丑三つ時、とは午前3時から3時半頃と辞書にある。夏至の頃は実にきわどい、日本戦のキックオフは夜なのか?朝なのか?ホントどうでもいいんですけど、頑張って欲しいということです。

会津盆地を囲む山々には低い雲が引っ掛かっていますが、うっすら陽が射しています。梅雨の雲を切り裂いて、ところどころに青い空、今日から2,3日雨は降らない予報です。暑くもなるらしい。

さぁ、もう一度、がんばれニッポン!今日は早く寝るぞー。

2010年6月23日 (水)

泣きたいのは

梅雨空の会津、非常にむしむししている。不快指数はかなり。

最近、毎朝大泣きしているちびっ子が居る。学校に行きたくなく、集団登校について行かない。普段、ウチの周りで遊んでいる時にはめちゃくちゃ元気な明るい子だ。きっといじめとかそんな陰湿な理由ではなく、彼なりに行かない理由があるのだろう。

「行きなさい!」と叱るお母さんと分かれ道のところで、毎朝ひと悶着。お母さんは何とか行かせようとするが、こどもはぐずる。「行きなさい!」お母さんの声も次第に大きくなる。お母さんだって大変だ。仕事もあるだろう、勤めていたら毎日遅刻だ。それでも彼は頑として行かない。やがて天を仰いで大泣きする。泣いても泣いても、行かない。

大きな泣き声が響き渡るが、本当に泣きたいのはお母さんではないかと思う。許されるなら天を仰いで「うぉん、うぉん」泣きたいのはお母さんではないだろうか。

こどもはどんなに愛情を注いでも、言うことを聞かないことはしょっちゅうだ。聞き分けがない!と怒るが、聞き分けがないからこどもなのだ。

これだけいじめや児童虐待などが報じられている現代、いろいろ周りに気を使いがちだ。しかし、毎朝のお母さんは、周りを気にすることなく本気でこどもとぶつかっている。あれだけ本気でぶつかれるのは、きっと良いお母さんなんだと思う。優しいお母さんなんだと思う。

それが証拠に、怒って帰ろうとするお母さんにこどもが「お母さん、お母さん」と大泣きしながら追いすがる。お母さんだって泣きたいんだよ、君・・・・。

今までこんなことはなかったんだから、普段は元気よく遊べるのだから、何かしら大人には分からない彼なりの理由があるのだろう。何とかスイッチが切り替わって、君もお母さんも泣かないで済む日が早く来るといいね、と朝のトイレで私、祈ってます。

2010年6月22日 (火)

嘉永蔵が使えない

会津若松市七日町通りから大和町を北に入って二ブロック、一角に末廣酒造がある。木造の三階建の大きな建物、正面には酒林が下がり、実に味のある建物だ。野口英世の母とも縁が深く、歴史的価値も高い。末廣の酒造りの蔵は「嘉永蔵」という。

この嘉永蔵の2階部分がホールになっている。全国的にも珍しい酒蔵のホールだ。およそ200人が入れる。蔵だけに雰囲気も、音の響きも実に味わい深い。過去に多くのアーティストが好んでこの舞台を踏んでいる。

JAZZの大御所・渡辺貞夫さんを筆頭に、クラシック、ジャズ、エスニックミュージックなど実に多彩。演劇の実験的公演や落語会なども数多く開かれてきた。そう、お登紀さん(加藤登紀子)のほろ酔いコンサートもこの蔵でのコンサートが伝説的だ。

そんな嘉永蔵のホールが使えなくなったのだという。法律の壁だ。古い建物だけに不特定多数の人間を入れて行う催しには引っ掛かる。これまでも何度か改善を加えてなんとかやってきたが、今度ばかりは難しいらしい。クリアするには改善費用が相当にかかる。

ここの社長は先輩だが「とてもそこまでの費用はかけられない。ホールでは儲からないし、みんなに使ってもらいたいけど、法律ではなぁ・・・」と嘆いている。

街の中の150~200席程度のホールは非常に使い勝手も良く魅力的だ。まして酒蔵のホールともなれば会津の雰囲気にぴったり。私も嘉永蔵が好きで何度かコンサートに足を運んだので実に残念だ。

何とかならないのだろうか?このままでいいのだろうか?という思いが頭をもたげている。まちおこし、まちづくりの運動というのなら、これだけの施設を簡単に失っていいものだろうか?決して会津のためにはならない。

仮に募金を募って修理改善するとしよう、個人のものだけに、それには法律や税の壁も立ちはだかるだろう。でも、でも、でもだ。何とかならないかと思う。これまで会津の文化を支えてきた魅力的な施設だ。個人のものではあるけれど市民の共有財産と言ってもいい。このまま使えないのは、あまりにもったいない。

抜け道ではなく、正道で嘉永蔵が再び蘇る道はないか?ちょっといろいろな人に話を聞いて、話し合ってみようと思っている、今日この頃である。

2010年6月21日 (月)

良い刷り込み

会津のこどもたちの健やかな成長を願って会津若松市が策定した「あいづっこ宣言」というのがある。これは、白虎隊の少年たちも学んだ有名な「什の掟」を現代風にアレンジしたものだ。

『一、人をいたわります 二、ありがとう ごめんなさいをいいます。 三、がまんをします 四、卑怯なふるまいをしません 五、会津を誇り年上を敬います 六、夢に向かって頑張ります  ~やってはならぬ やらねばならぬ ならぬことはならぬものです~』という内容だ。

この宣言に向ってこどもだけではなく大人も一緒に取り組み、地域ぐるみでこどもたちの健全な成長を見守っていこうという狙いだ。手本となるお父さん、お母さんも大変だ。

私がこどもの頃は、こどもの世界と大人の世界は、はっきり分かれていた。大人はすごいと思っていた。すごいと思っている大人に言われれば大概の事は素直に聞いた。こどもには知ることのできない大人の世界が歴然としてあったのだ。

テレビをはじめ、溢れる情報がこどもとおとなの世界の垣根をどんどん低くした。素顔の大人が当たり前に丸見え状態、それを茶化してお笑いのネタにする。大人がこどもに威厳を持って接することは難しくなった。

「大人はどうなんだ?」と言い返すこども。「自分の好きなように生きればいいいんだ」と野放しと個性を履き違えた大人もいる。

「会津っ子宣言」が「什の掟」の精神にならったものならば、そういうものは一蹴するしかない。理屈ではない「ならぬことはならぬ」の精神を自我が確立する前から叩き込むことは、とても重要だ、と国家の品格を書いた藤原正彦氏も言っている。

悪いことをすると何となく気持ちが悪い、そうした刷り込みは大切だ。

日本のあちらこちらでこどもたちがむかついて簡単に人を刺している。人をいたわらず、我慢をせず、刃物で切り付けあやまらない。間違った自由と個性尊重の行き着く果てはどこなのだろう?

保育園や小学校では「あいづっこ宣言」を一日一回、全員唱和!そんな風にやるのもいいのかもしれない。会津のこどもたちには元気で、まっすぐに育って欲しい。どうか、隣りの友達を刺したりしないでほしい。

2010年6月20日 (日)

一人より二人、二人より・・・

会津は梅雨空。どんよりとした空には、矢のように飛び交うツバメが似合うのだけれど近頃ツバメの姿をあまり見ない気がする。そういえば家の周りにもツバメの巣がある家は見かけない。温暖化や環境問題と関係してるのだろうか?

昨晩は初めてパブリックビューイングの真似ごとを体験した。大画面を映し出し、みんなが集まってサッカーを応援するというあれだ。

某所でプロジェクターにインターネットテレビをつなぎ大画面を設置。多少のビールやつまみ(多少ではないか)を持ちよりキックオフを待つ。人が増えるごとにボルテージが上がって来る。こんな時、必ず一升瓶をぶら下げて現れるバカがいる。泡よりはガツンと酔いが周りボルテージは、なお一層上がる。

不思議なのは、人が増え、笑顔の数が増えるごとになんだか負ける気がしなくなってくることだ。これは決して酔いのせいばかりでもない。

初めは景気付けに2-1で日本の勝ちだ、いや3-0だ、とかあまり心にもないことを言っているのだが(正直0-0で引き分けたら最高だと思っていました)人が増えるごとに本当に、負けそうもない気がしてくる。

選手たちと一緒に、みんなで肩を組んで君が代を歌う頃には、もう勝つ気満々だ。やっぱり一人より二人、二人より三人、大勢いた方が楽しいし、パワーも出る。

「どうやって見たって結果は一緒だ!」それはその通り。みんなが集まって燃える大きなパワー、これを無駄なパワーと見るか、スポーツの魅力・魔力と見るか?ともあれ、弾けて大騒ぎできる気のいい仲間が沢山いた方が、日々は楽しい。

結果は残念だったがよく頑張った。祭りの後には不思議な爽快感と倒れている数名の酔っ払いが残った。さて、この後デンマークに勝つか引き分ければ予選リーグ突破だ!またやろうかなぁー。

がんばれニッポン!合わせて、がんばれ遼君!!

2010年6月19日 (土)

Always 七日町 Ⅱ

七日町駅の駅舎には「ナヌカマチ」とカタカナの駅名が貼られていた。「ノ」ではなく「ヌ」が印象的、駅にはいつも沢山の自転車が並んでいた。

昭和30年代の中頃だろうか、七日町に初めてスーパーマーケットが出来た。お客が自分で買いたいものを選んでカゴに入れレジで精算する、アメリカでは店はみんなこんな風になっているんだ、と聞かされ新鮮だった。また、好きなだけ買ってお金が足りなくなったらどうするんだ?と心配でもあった。

その小さなスーパーは数年でなくなったが、その頃から街は次第に変わっていった。商店の活気は薄れ、閉める店が目に付き始める。こどもの声が減り、年寄りが増える。賑やかに通りを歩いていた人々はいつの間にか、車で通り過ぎる人々に変わっていった。

平成を迎える頃には街はすっかり沈んでいた。高齢化が進みお葬式を出そうにも、町内には手伝える元気な若年寄りさえいない、というような話も聞こえてきた。高速で東京は近付いたが、あの華やかな昭和の七日町は遥か彼方へ遠ざかっていた。

置き去りにされたような七日町の街並み、古い建物を宝物に変えようとまちづくり運動が起こったのが、そんな頃だ。駅にほど近い、渋川問屋の建物を中心とした一角から、「大正浪漫調のまちづくり」を合言葉に、まちおこしが始まった。

以来十数年、まさに継続は力なりだ。当初は観光客もその規模に、いささかガッカリしたものの、近年ではかなり整備が進んだ。「まちなか観光」の拠点として休日ともなると驚くほど多くの人が七日町を訪れるようになっている。新たなレストランやそば屋、お土産物屋、お菓子屋などが人気を集めている。

もちろん、これで生活の場としての街が本当に蘇ったわけではない。しかし、交流人口が増えれば増えるほど新しい可能性が生まれてくることは間違いないだろう。人の集まる七日町をステージとして、ものづくりやアートに取り組む若者が住み付いたりしたら面白い、街も根本から大きく変わるだろう。

先は分からないがあの沈みきった七日町が今、動いていることだけは確かだ。残念ながら私は七日町を離れたが、七日町が今後益々、良い方向に動き、新らたなAlwaysな日々を迎えることを心から期待している。

みなさんもぜひ一度、七日町をお訪ねあれ!

2010年6月18日 (金)

Always 七日町

映画「Always 三丁目の夕日」の舞台となった昭和三十年代、ちょうどその時期に小学生の時代を過ごした。会津若松市七日町四丁目の夕日を見つめながら。

東京は遥か彼方だった。

田舎町だったが、中心部は今よりもずっと賑やかで都会だったように思う。もちろん郊外店などはない、大きな店、飲食店、娯楽施設、あやしげな要素、すべてが街の中心部に集まっていた。一歩外れると、田んぼがどこまでも続いていた。

今の地方都市がドーナツ化なら、昔は目玉焼きだ。黄身のように真中にすべてが集中し、美味しそうにこんもりと盛り上がっていた。七日町はそんな黄身の北西の端に位置する。七日町の北側の一角は花街だった。従って昭和28年の赤線廃止まで大いに栄えていたのである。廃止の年にテレビ放送が始まり、私も生まれた。

七日町駅からど真ん中の大町までの一直線が七日町通り、郡部の人々は会津若松駅のひとつ前にあたる七日町駅で降りて通りを歩いた。

あの当時は町内にすべてがあった。八百屋、肉屋、魚屋、靴屋、呉服屋、洋品店、時計屋、薬局、酒屋、食堂、パン屋、荒物屋、味噌醤油屋、石屋、そしてお寺と広場。

今のスーパーマーケットのそれぞれの売り場が一軒の店であり、屋号、看板、のれんを大事にして一円の人々の暮らしを支えていた。が、こどもの絵本に必ず出てくる花屋さんというのは記憶にない。花にお金を使えるような豊かさは、もう少し後になるのかもしれない。

こんな梅雨の時期、しとしと降る雨の街を二階の窓から飽くことなく眺めていた。時折、空を切り裂くように黒いツバメが飛び交い、巣の小鳥たちに餌を運んでくる。ちょっと外に飛び出せば田んぼが広がる、餌はいくらでもあったのだろう。どこの店の軒先にもツバメが巣を作っていた。

忙しそうに行き来する大人たち、にぎやかな雑踏、通りはいつも活気に溢れていた。当時はどうしてあんなに大勢の人が道を歩いていたのだろう?

とにかく街には人が一杯であり、人の沢山居るところが街だったのだ。   (つづく)

2010年6月17日 (木)

その気になる

梅雨の晴れ間だ!と、感動するほどまだ梅雨も味わっていないのにきれいなお天気お姉さんに「貴重な梅雨の晴れ間です」と言われると長雨を通り抜けたような気持ちになる。言葉は人をその気にさせる。

欧米人には肩がこるという概念がないらしい。「バックが痛い!」「痛い?凝ってるんじゃないの?」といって肩を揉んでやると「ああ、気持ちがいい、そこそこ」ってなことになって、これが日本人が言う肩がこるということか、と肩こりの概念が生まれる。以来、彼は肩こりと共に生きることになる。

言葉にするとその気になる。言葉にはものを動かす霊が宿る。『言霊』だ。口にすると不思議とそうなる経験は誰もが持っているだろう。「池に入りそうな気がする」と言ったティショットはほとんど池ポチャする。言霊が意識と身体にスイッチを入れてしまうのだ。

が、こういうのは自分には効くが、他人様任せのものにはあまり効かない。「この宝くじ絶対に当たる気がする!」といくら叫んでも当たらない。

同じ事でも云い方一つで思いが動く。「もう半分しかない」と嘆くか「まだ半分もある」と喜ぶか、「これっぽっち」と呆れるか「超貴重!」と感動するか。ものは言いよう、どうせなら前向きに考えた方がいい。

『転んで丸くなる、転んで強くなる』『迷った分だけ様々な出会いがある』転んだり迷ったりしない方がいいに決まっているが、避けられないのなら仕方がない。後ろ向きばっかりではつぶれてしまう。

「…とは言ってもなぁ」本音が顔をもたげる時は、その気になったふりをしていると案外、本当にその気になるものだ。

会津は今日明日、貴重な梅雨の晴れ間、30度はいきそう。週末には梅雨空が戻るでしょう。

2010年6月16日 (水)

んめぇもの・お店「田事」

ひさしぶりの「んめぇもの」、お店の名前は「たごと」と読む。会津若松市の下町、飲食店街から離れた城北町にポツンとある、郷土料理の割烹旅館だ。が、地元の人が泊まるということはめったにない。

ここのご主人は、わっぱ飯で有名な「田季野」の亡くなったご主人とご兄弟、妹さんも合わせ有名な美男美女の一族だ。創業はもう80年になるという。

ご主人は、鮎釣りの名人として有名だった。ご主人自ら釣り上げた上物の鮎を囲炉裏で焼いて食べる、これが田事の名物だった。今はもう釣りのほうは引退されたが調理場では現役だ。古民家を思わせる落ち着いた佇まい、玄関口に飾られた鮎釣りの見事な竿(工芸品と言ってよい)が鮎釣り名人の往時を物語っている。

郷土料理全般、こづゆに始まり、馬刺し、ニシンや棒たら、わっぱ飯などいずれも良いが、ここに来たならやはり鮎を食べなくては、画龍点睛を欠く。

先日、法事で久しぶりにご馳走になった。手釣りの鮎を供するということは難しいのだろうが、そこは元名人、鮎の仕入れには非常に気を使っていると見た。

大きくもなく、小さくもなく、まさにジャストサイズの鮎が熱々で皿に泳ぐ。塩の固まったヒレを外し、鮎酢を少し付け頭からバクリといく。ほんのりとした香りと苦み、骨が全く邪魔にならない。三口でしっぽまでペロリ、美味い!三匹ぐらいは軽くいけるが、他のお膳に手を伸ばすわけにはいかない。

会津の鮎釣りは7月1日に解禁になる。特に伊南川(南会津)の鮎は有名だが、近年、川鵜の被害がひどいという。香魚とも呼ばれ、釣りたての鮎は本当にスイカのような香りがする。会津の夏の絶品だ。

田事には、福島国体の際に皇太子殿下、妃殿下が昼食に訪れている。最高級の鮎に下鼓を打たれたことだろう。その際に雅子妃が食べられたという、しらすのわっぱ飯でその日の膳もしめた。陽の高い内からご酒も進み、またも、少々いただきすぎました。

2010年6月15日 (火)

とはいえ俄かサッカーファンです。

驚いた。日本の勝利とこの天気。

会津は昨日、梅雨入りしたはずなのに見事な快晴。青空は高くうろこ雲、周りの山々の稜線がくっきりと、澄み渡った空気を教えている。興奮の果て、寝ている内に一気に秋になっちゃったのか?と思うような空だ。

正直、応援したが、勝てるとは思っていなかった。やはり、勝負事ってのはやってみないと分からないものだ。ましてサッカーはチームプレイ、どう見たって巧者揃いのカメルーンでも、チームとしてまとまらなければゴールをこじ開けることはできない。チーム内に不協和音が聞こえてきた時点で、勝機が生まれていたのだろう。少し眠いが、難波友あれ(なにはともあれ)、おめでたい。

カメルーンの番組で解説者が、やる前から負けていては話にならないが、やる前から勝っているような気持ちになるのもダメだというようなことを言っていた。確かに。

勝負は勝ってこそ勝ちだ。ぶつかる時は無の境地にならないと本当の実力も全力も出ないものだ。なんとか、この調子でオランダともデンマークとも引き分けて欲しい・・・(超弱気)

『あたいは夢なんか見ないんだ、傷つくのが嫌だから・・・』 こんなセリフが浅川マキの唄にあったような、なかったような。そんなブルースはしばし、お休み。世界中が夢を見るのがW杯というものでしょう。

『それにしてもどうだいこの天気!おめぇの涙も寝しょんべんも一気に乾いちまうさ。さぁ、起きろ、起きろ!』 てな感じの入梅二日目の会津です。

2010年6月14日 (月)

雨の名前

会津は昨夜遅くから雨が降り出した。かなりの降りで、今はぽつぽつという感じ。山際の雲も低い、いよいよ梅雨入りだろうか。こんな長い晴れ(ひでり)の後の雨を「喜雨」とか「慈雨」というそうだ。植物目線の美しい言葉だ。

日本人ほど雨を愛する民族はいないという。雨の名前は、方言も入れればとても正確には分からないが、優に4、5百はあるだろう。

翠雨(すいう:青葉に降る雨)、小糠雨(こぬかあめ:霧が煙るように降る細かな雨)、驟雨(しゅうう:突然のにわか雨)、「甘雨」(かんう:木々に優しい雨)、鶴ヶ城周辺の木々も一層、その濃さを増して来た。

以前、雨が大好きだ、という人とゴルフを回ったことがある。雨が降って喜ぶゴルファーはまずいないがその人はうれしそうだった。雨具を身につけ、カートにも乗らずにフェアウェイを歩く。結構な雨に打たれながら嬉々としてゴルフを楽しんでいた。

「こんな雨の中さぁー、カッパ着て、ボール打ってそれも思うようにいかなくって、バカだよなぁ、わざわざこんな日にやんなきゃいいのに、と思うと嬉しくならない?」と訊かれてちょっと答えに窮した。

嬉しくはないが、確かに、バカなことやってます、どうにでもなれ!と開き直ればそれほど辛くもない。第一、雨の日のコースは静かだ。しっとりとした風景はそれはそれで美しい。ゴルフはあるがままま、こんな経験も悪くない、と思ったら大崩れしなくなった。

結局ホールアウトまで一度も雨は止まず、パンツまでびしょ濡れ。くだんの雨好きさんもさすがに後半は口数も少なくなった。そして、アガっての一言「いやー、ひどい目食った。全く止まないんだもんなぁ・・・」

なんだよ、やっぱり嫌だったんじゃないか!と思ったがそれはそれだ。

神様ではないので、どんなに痛めつけられても最後までドンマイ、ドンマイというわけにはなかなかいかない。心の中では「少しは止めよこのヤロー」というのもあるだろう。しかし、まずは楽しもうとする心掛けが大事だ!ということは教わった。

ブーブー、文句ばっかり言う前に、その状態を受け止め、良さを見つけ出し、やり遂げる努力を惜しまないことだ。

そう、こっちももう今更文句ばかり言っても始まりませんよ、応援あるのみ。W杯、がんばれニッポンだ!!

2010年6月13日 (日)

今、何時じゃ?

聞いた話です。自分の年齢を3で割った数字が、人生を一日24時間にたとえた場合の今なのだそうだ。たとえば18歳なら3で割って6だから午前6時、36歳がお昼、一日の終わりは当然72歳だ。

今の平均年齢なら4で割っても良いのかもしれない。特に女性など88歳だから4で良いようにも思うが、やっぱり3がリアリティがある。現役の限界は72歳頃まででいい、その先は自由気ままなおまけの人生と考えた方が感じが出る。

で、自分の歳を割ってみると19時少し前だ。ああ、残りはわずかに5時間だ!と、言うことになるわけだが、時間的な特徴を考えるとあんまりガッカリもしない。夜の7時、お疲れ様でとりあえずビール、夜はこれから、の一番わくわくする時間ではないか。

テレビも19時から21時がゴールデンタイム、一番視聴率も取れるし、CM料も一番高い。日は暮れたがきらめくネオンは美しく、心も躍る。美味い晩飯、お酒も楽しみ、夜しかできないことも色々ありますわなぁ・・・。

そういうたとえではないのだが、妙にうれしくなってしまう。あなたの人生は今、何時でしょう?それぞれの時間で、大いにお楽しみあれ!

会津は昨日30.5度、本日も晴れ模様、予想は31度、すっかり初夏の会津です。昨晩は寝苦しく少々エアコンを入れました。

2010年6月12日 (土)

世話やきジイさん

少子高齢化は社会の大問題だが、こんな数字を聞いたことがある。結婚して10年以上離婚しない夫婦だけを抽出して出生率をみると2.0を越えているという。日本の平均出生率は1.38だったか、とんでもなく下がっているのだが、実はちゃんと普通に結婚しているカップルはそうでもないのだ。

問題の根本は「未婚、離婚、晩婚」にあるという。確かに結婚しなけりゃ少子化もないもんだ。フランスのように子どもの半分が今や婚外子というようなお国もあるが、日本には馴染まないだろうし、そうじゃない方が良いに決まっていると私は思う。

確かに私の周辺を見渡しても、結婚していない若者(もう若者とも言えない人)が実に多い。やたら早く結婚するか、ずっとしないかの二極化の様な感じもする。「どうして結婚しないの?」なんてやたらと聞けない。「セクハラです!」なんて言われたら大変だ。まったくもって世知辛い世の中になったものだ。

見渡すと、あれとあれ、あいつと彼女、あの人とあの方、結構合うんじゃないの?と思えるような組み合わせが沢山ある。昔は近所に世話やきバアさんみたいな人がいて、口利きをしてまとめたりしたものだ。今ではもう、後々の保証はどうなるですか?みたいなバカなことを聞かれたりするので、世話やきバアさんもいなくなった。

しかし、この問題は深刻、特に会津のような地方都市においてはとっても深刻な問題であり、政治が喫緊に取り組まなければならない重要課題と言っていい。何せ、このまま放置すれば完全に地域が崩壊することは目に見えているのだから、これをやらねば何をやる!というものではないだろうか?

私ども中高年も、興味本位や面白半分は慎まなければならないが、ちょっとぐらい嫌な顔をされても、少しは世話やきジイさん、バアさんになっていいのかもしれない。

草食系、肉食系などと言うが、結局は自分で自分のことを決められないのだ。ドラマのような恋が天から降ってくるのはほんの一握りなのだという現実を教えてやっても、それほど悪いことではないだろう。決められないのだから人生の先輩に決めてもらうのも一つの方法、ただし結果については恨みっこなしよ、でいい。

無縁社会、単居老人、孤独死、このままでは歪んだ社会保障費は膨らむばかりだ。今は良いかもしれないが、先のことをイマジンすると、とっても笑ってはいられない。出でよ!世話やき中高年!!

2010年6月11日 (金)

たたらを踏む

いきおいあまってカラ足を踏む、すっとこどっこい何やってんだ!で済めばいいが、はずみで思わぬ怪我につながることもある。馴染みの店のオヤジがなんでもない段を踏み外し、かかとの骨を折ってしまった。立ってられないから店も開けられない。まさに大怪我だ。

はずみは恐ろしい。特に中高年ともなると転ぶのは本当に注意だ。平気だよー、なんて言って高みからポンと飛び降り、起きられなくなった光景はよく見る。

恥ずかしながら私もゴルフ場で骨折したことがある。当然、足だと思うだろうが、なんと左手の小指だ。ゴルフ場でどうやって小指を折るか?シチュエーションを考えるだけでも難しいが、ポッキリ折れた。

左ドックレックのミドルホール、1打目がセンターへ、2打目シャンク気味に土手の上、悪条件の三打目の寄せがぴたりと30㎝、ヤッホー、と土手を下る際にすってんコロリ、勢い余ってクラブを握った左手が自分のお尻の下に、全体重がかかった。みるみる腫れて骨折確信。家人に迎えに来てもらい救急へ。「折れて、腱も切れてますネ!」手術は何とか免れたが、今も左の指を揃えると小指だけがちょっとそっぽを向いている。

さらにバラすと、実は宴会中に右足の小指を折ったことがある。いろりを囲んでの和やかな宴、古民家風の内装も、料理も酒も申し分なかった。さて、ちょっとトイレにと、書画に見とれながらキョロキョロしてたのだろう。古くてがっしりした仙台箪笥の角に右足を思いっきりヒット!これもみるみる腫れてきた。

いずれも小指だから大事には至らなかったが、末端にまで神経が行き届いていないのかもしれない。「大男総身に知恵が回りかね」などと言わせたくはないのだが、少しあるかもしれない。なにはともあれ、みなさんもご注意の程!

鶴ヶ城天守閣の鯱鉾が下された。なんと目には2カラットものダイヤが嵌められていたとか。当時、工事にあたった建築会社が寄贈したそうだが、贈った方ももらった方も、どうしてそんなに高価なものが贈られたのか、今となっては分からないらしい。45年ぶりのお色直しだ。きれいに磨かれ、再び城の魔よけとして、その大きなダイヤの目で会津の未来を見守ってほしいものだ。

2010年6月10日 (木)

オヤジの受け皿

大体、いろんな人に聞くと、アラ還近くになると夜の街あっちこっちもなんだか面倒が先に立ち、あんまりフラフラしなくなるようだ。同級生の無尽でも二次会組はめっきり減った。流れるにしても、小料理屋かショットバーがほとんど、若いお姉ちゃんのいるお店にはめっきり足が向かなくなった。

枯れた、と言われればそうかもしれないが、この頃、良い店、面白い店がめっきり減ったように思う。

昔、会津若松市の飲み屋の数は、人口比で東北有数というのを聞いたことがある。東山には大勢の芸者衆が居たし、街中の芸者衆もかなり華やかだった。市内の歓楽街はスナック、バー、クラブと夜毎大いに賑わいを見せていた。あの頃は、アラ還真っ盛りの旦那衆が、中核をなしていたのではないのだろうか?お金を持っているのはやはりオヤジ、今はその受け皿がお粗末に思えるのは私だけかな?

一つにはカラオケがある。どこへ行ってもカラオケを歌わせればOK!みたいなきわめて雑なサービスだ。女の子はもろ肌脱いで、おみ足を出せば採用、そんな娘が適当に水割りを作る。濃いも薄いも関係ない。ウィスキーはこぼすし、半分も飲んだらガボガボと継ぎ足し、ネクストボトルを狙う。

テーブルにはこれで一体いくら取るんだ?というような乾き物の山、話してもろくに反応は無し、かえってこっちが気を使い、どちらが客だかわからない…そんな経験のある人はいませんか?

タクシーに乗れば、運転手さんは夜の街の衰退を嘆く。しかし、サービスと対価が釣り合っていなければ、人々の足が遠退くのは自明の理だ。これは単に景気の悪さだけではないように思うのだけれど。

当たり前のことを当たり前に、サービスの基本にのっとった、まともなお水のお店づくりをするだけで、結構、流行る思うのだけれどなぁ。

「さてはお客さん、昨夜だいぶひどい目に会いましたね。」「(ρ_;)」

2010年6月 9日 (水)

朝のモク拾い

会津は良い天気が続いている。鶴ヶ城天守閣は、工事の足場というイメージではなく、細かな金属パイプに全体がすっぽり覆われて中が全く見えない状態になった。瓦の葺き替えとは言ってもこれはなかなかの大工事だ。深い緑の中、巨大なパイプの塊りが朝日を浴びている。

今朝のウォーキングは飯盛山のゴミ拾いにした。ホントにたまぁーに、気が向くとゴミ袋と火バサミを持って石段のゴミ拾いをする。朝の運動も兼ねて一石二鳥だ。まずは左半分を登って降りて、次に右半分を登って降りて、裏に回ってさざえ堂から登って降りる。3往復、何もないとバテてやる気がしないが、不思議なことにゴミを拾いながらだと大汗をかくが結構、出来る。

スパーのショッピングバックに半分ぐらいは拾える。多いのはやはり吸いがら、それとビニール、飴ちゃんの包み紙だ。会津の聖地なのだから全山禁煙でもいいと思うが、やはり難しいのだろう。変わったものでは、靴下一足、名刺があった。

ウォーキングをしていると、いつも山腹の広場を掃除しているおばあさんに会う。農作業用の帽子をすっぽりかぶり、本格的いで立ちで箒を持って一人で黙々と掃除をしている。朝の6時前の事だ、誰に頼まれたわけでも、もちろん仕事でもないだろう、頭が下がります。

ああ、それなのに!と思うのは、灰皿が設置されているにもかかわらずその周りに落ちている多くの吸い殻。ここで吸って、なぜ灰皿に入れないか?その理由が分からない。それと、ちゃんと銀紙に包んで丁寧に道に張り付けてあるガム、世の中には不思議な事をする人が少なからずいるものだ。

グループで歩く修学旅行生も多く見かけるようになってきた。すれ違うハイカラさん(周回バス)も一杯に膨れ上がっている。この6月の好天で観光会津は賑わいを増してきているようだ。

2010年6月 8日 (火)

大きいことは・・・。

小さい頃から大きかった。ただ、ひょろひょろとやせて背だけが高かった。大きいと良いね、と言われるが、チビのデカはあまりいい役が回ってこない。幼稚園の時は「さるカニ合戦」のウスをやらせられた。頭にウスを乗せられて、嫌だった。

小学校の「ブレーメンの音楽隊」では一番下の馬役、「舌切雀」ではとうとう、悪いおばあさんのつづらの中から出てくる大勢のお化けの中の、唐傘お化けにまで格落ちした。それ以後、主役、脇役からも遠ざかったままだ。

鼓笛隊では身体が大きいというだけで、リズム感が悪いのに大太鼓をやらせられ、行進するたびにリズムが狂って大恥をかいた。「なんだって大きいのにダメだこと・・・」と言われることは結構あって、大きいのに俊敏でないと決まって、ウドの大木という言葉がついて回る。

背の高い人はモテるというが、確かに一つの要素であって、それだけが充分条件なら苦労はない。第一、好みなんて、いざとなるとコロッと変わるものだ。思えば大きいことで得したこともあったが、傷ついたことも沢山あった。

これは、大小の別、造作の別を問わず、多かれ少なかれ誰にもあることだろうと思う。人は皆ないものねだりに出来ている。「隣の芝生は青く見える」所詮、人のことは良く見えてしまうものなのだ。そんな他人への妬みで自らが不幸になることほど愚かなことはない。

「足るを知る」これが幸せへのキーワードだということは分かっている。分かっているけどそう易しくはない。

身長、体重、血圧、血糖値、中性脂肪、尿酸値、すべて足りてます。これらはもう少し不足にしなくてはならない。

「寒い、寒い」がいつの間にか「暑い、暑い」に変わった会津、今週もそこそこ良いお天気で行きそうです。

2010年6月 7日 (月)

会津らーめん

喜多方ラーメンは全国区になったが、会津らーめんも最近ご当地ラーメンとしてメキメキ頭角を現している。では何が会津らーめんか?と言われると、確たる定義はない。会津若松市を中心に美里町、坂下町辺り、要は喜多方ラーメン以外の会津地区らーめんというのが当たっているかもしれない。ベースはしょう油、だが、味噌、塩、坦々麺、豚骨となんでもある。

「若麺会」というグループ(現在17店舗)を作って会津らーめんの普及ならびに研鑽に努めている面々もいる。このグループでは旨いダシの出る会津地鶏のスープを使ったらーめんを開発し広めている。私のお気に入りの店も多く参加している。興味のある方はHPで検索されたし。

もちろん「若麺会」以外にもうまいらーめん屋さんは多いし、増えている。私はこどもの頃から会津のらーめんはレベルが高かったと思っている。ぶらぶら歩いてその辺の食堂に入ってもハズレはまずない。

その昔、京都・新京極の食堂で友人と初めて京都のラーメンを食べた。基本的にどんなにまずくても食べ物を残すということはないが、あれには閉口した。ちじれ麺でないとかダシが違うとか文化圏としての異質さはあったとしても、まずいものはまずい。会津らーめんで育った味覚にはらーめんとして受け付けられなかった。生涯で初めて食べ残したラーメンだ。もちろん、時が過ぎ今ではそんなこともなくなったと思うが、あれに比べりゃ、会津らーめんはどの店に入っても超絶品だ。

若い頃は飲んだ上がりは必ずらーめんで〆ていたが、さすがにそんなことはやめて久しい。酔っ払っていて汁ものが美味い!許容範囲が広がるのだろう、あれはやたらと美味い。が、案外、昼間に食べに行くとガッカリすることもあった。

もちろん。現在の会津らーめんは昼も夜も美味い。競争の原理が働いており、みんな研究熱心だ。切磋琢磨というのだろう、これは非常に良いことだ。

天下に「会津らーめん」の名が知れ渡る日もそう遠くはないかもしれない。それだけの実力は十分にあると確信している。かくして今日のお昼はらーめんに決まった!

2010年6月 6日 (日)

辿れない記憶

電気は点けっ放し、戸は開けっ放し、風呂のふたは閉めない、私の得意中の得意技だ。老化現象というわけでもなく若い頃から「尻抜け!」(戸をちゃんと閉めない)と散々怒られた。本を買っておつりをもらい忘れ「お客さん、お客さん!」と店員さんに呼び止められ、お釣りをもらったら今度は本を忘れて呆れられたこともある。

ぼーっとしているのか、上の空なのか分からないが、決してふざけているわけではない。でも最近、やばいなぁと思うことがある。若い頃は忘れても言われれば、ああそうだったと記憶を辿ることができた。失敗したなぁ、と自覚症状もあった。ところがこの頃、10に2、3は忘れたことすら思い出せない。そーだ、あの時買い物袋に気をとられロックし忘れたんだ、と辿れたものが、全く記憶にない。もっと凄いのは、「風呂のふた開けっ放し!」と家人に叱られても、確実に閉めた記憶があったりする。

それはその前の日だと言われれば、現に開いているのだからその通りと言うしかないのだが、どうにも納得できない。ちょっとしたイリュージョンを見せられたような気にさえなる。

だから最近は自信満々に言わないように気をつけている。「なんで、指示通りにやらないんだ!」とキレる前に「俺、こう言わなかったっけ?」と、下手に聞くように心がけている。

これが意外と正解。本当に相手がうっかり忘れていた場合には「あー、すみませんでした。いついつまでにこうしますから」と、反省とともにちゃんと対応まで考えてくれる。責め立てて怒って気まずくなって、しばし沈黙が続いたりするよりはずーっと効率が良い。自分が忘れていた場合には、恥をかかないで済むし、もうろくぶりをカモフラージュできる。こういうのを物忘れの功名というのかもしれない。

さすがに昨日の奇妙な天気は覚えている。昼過ぎに俄にかき曇り雷ゴロゴロ、土砂降りの雨、所によっては雹も降ったとか。しかしながら、同市内の私の事務所付近はちょっと暗くなったくらいで一滴の雨も落ちなかった。今日は間違いなしの晴天らしい。会津は実にいい季節になった。

2010年6月 5日 (土)

ものは言いよう

「いただきます」「ごちそうさま」を英語で言おうとすると、これに対応する英語単語はないのだそうだ。日本語は難しいといわれる。語彙が他の言語よりけた違いに多い。かのシェークスピアは4万語を自由に駆使したというが、小学生の使う国語辞書でも5万語以上あるし、広辞苑には24万語も載っている。もちろんそんなに自由に駆使できるわけではないが、表現の多様性は日本語の美しさにもつながっている。

「いただきます」は誰に向かって言っているのか?それを外国人に説明するのは難しい。もちろん料理を作ってくれた人だし、米や野菜を作ったお百姓さんや漁師さん、実りを与えてくれた天も含めてすべてに「ごちそうさま」なのだ。誰にというよりは、むしろおまじないみたいなものかもしれない。

「いってらしゃい」「おかえりなさい」「お疲れ様」「ご苦労様」いずれも対応する英単語はない。単なる挨拶にとどまらず、背景に広がる心情の大きさは日本人ならでは、なのだ。

近頃、なかなかいいなと思うのがあの謎かけ漫才の「整いました!」っていうやつ。こういう言い方はそれまで知らなかったが、「出来ました!」っていうのよりは断然いい。「出来たぞー!」って威張った感じはなく、「私はこんなの作ってみましたが、ご披露してもよろしいでしょうか?」というような周りへの気遣いが感じられる。美しい日本語の一つではないかと思う。

「出来ました!」と言ったものに「つまんねぇ」と言うとえらく傷つきそうだが、「整いました!」だと「では再度、整えてみます」ぐらいでカドが立たない感じがする。柔らかな響き、相手を思いやる気持ちを含んだ言葉こそが美しいと言えるのだ。

「同じ言うにも言い方ってものがあるだろうが!」こういう諍いは人の世の日常茶飯事。「ものは言いよう」「言葉を選べ」と、これまで何度怒られ反省してきたことか。いったん声に出した言葉は、どんなに消しゴムで消そうとしても、マンガの吹き出しじゃないから決して消せない。それを忘れずに言葉を選ばなくてはいけないのだが、難しいものです。

「整いました!」今日の会津のお天気とかけまして、打ち身ねんざと解きます。その心は「腫れてきましたねー」・・・・・もう少し、勉強させていただきます。

2010年6月 4日 (金)

いろいろと溺れないでね

6月4日は虫歯予防の日だ。虫歯は本当に嫌だ。治療が痛いし、怖い。キーン、というあの音、好きな人はいないだろう。もう7年ぐらいになるだろうか、歯医者さんにすごくお世話になっている。といっても治療ではなく、月に一度、歯周病予防の点検をしてもらっている。歯の状態、歯みがき具合を点検し、歯垢や歯石を取って磨いてもらう。これが実に助かるし安心でいい。診てもらい出してから虫歯は一本も出ていない。月一点検、お薦めします。

21年前の6月4日、天安門広場の学生たちの中に戦車が突っ込んでいった。中国に完全な自由はない事を示す驚きの映像が、世界に発信された天安門事件だ。あれから21年中国経済は恐ろしく発展した。オリンピックが行われ、万国博覧会が開かれている。あの時の自由は一体どこまで自由になったのだろう。

その日をはっきりと覚えているのは、息子が生まれたからだ。明け方まで病院にいた。もうしばらくは生まれそうじゃないというので、いったん家に帰って寝転んでいたらテレビが戦車を映し出したのだ。何か世界が大きく動き出す感じがした。そしてその日の午後に息子は生まれた。

ドックイヤーという言葉が一時期盛んに言われた。犬の成長スピードでIT技術は進歩する。確かに弁当箱の様な携帯電話からスマートホンまで、あんなに劇的に進歩するには100年ぐらいかかっても全然不思議じゃない気がするが、あっという間だった。

こうしたスピードの中で生きるのと、我々がこどもの頃のスピードの中で生きるのは何がどれくらい違うのだろうか?さっぱり分からないが、なんかやっぱり大変な様には思う。

情報の海、刺激の洪水、濁流のような変化、一応、スイミングは頑張って一級まで取ったのだから、どうか溺れないでおくれ我が息子よ、と願わずにはいられない。

いい天気の会津です。さすがにストーブも、もう要らないでしょうね。

2010年6月 3日 (木)

きっとトラウマ

人前で話すのは何度やっても慣れない。根がアガリ症なので、落ち着いてしっかり考えながら話すことが苦手で、終わってから、ああ言うんじゃなかった、これも言えばよかった、と後悔が多い。

人前の方がかえって調子が出るという人がいる。全くアガがらないことがまず羨ましい。落ち着き払ってゆっくりと話す、そういう人は大体が声もいい。

だったらしっかり原稿を書いて読めばいい、と思うのだが、カミングアウトするとこれが全く駄目なのだ。書いた原稿を読むとフリーで話すよりもボロボロになってしまう。これはきっとトラウマだと思う。

三十代で一度だけ仲人をやったことがある。その時にウケを狙った原稿を一生懸命書いた。ここで一同大爆笑、なんて思いながら・・・。当日、仲人挨拶は当然ながら乾杯の前、みんなまだ緊張の中だ。そこに若造の仲人が二人を紹介。ここで笑い、ここで大笑いの予定が、会場は静まり返ってシーンとしたまま。誰ひとり笑わずじっと私の方を見つめていた。あれ、なんで笑わないの?と思って読み進むうちに次第にしどろもどろになってしまった。嗚呼、あれは辛かった。

思えばあの時以来、苦手科目になってしまったのかもしれない。だって20代で友人の結婚式の司会をやった時には、会場の社長に「あんた上手いから休みの日にバイトしない?」なんて言われたことあったもの。

しかし、一応、修行だと思って、話す機会を与えられた場合には断らないようにしている。が、やはり、やるたびに大汗かいて後悔、反省する。自己採点で60点を超えることはない。人前で話せない、までの深刻なトラウマではないが心の傷とは恐ろしいものだ。

『会津の男は口下手ぐらいでちょうどいい』というのとは根本的に違う。言葉数少なく、朴訥ながら思いのたけを話せるなら、それはそれでいいのだ。かえって伝わるものがある。

どうにもアガがって先を急ぎ、焦ってしまうのだ。結局、思ったことの何割かしか伝えられないことが問題なのだ。「そんなことないでしょう!」と言われるかもしれないが、これは事実。もし、私が落ち着いて全く焦らずに話すことができたなら、あのオバマ大統領よりスピーチがうまいかもしれません。

会津は晴天が続いている。この先、一週間もお天道様のマークが並んでいる。こうなると今度は水不足が心配…なんて、まったくもって人間は世話が焼ける。

2010年6月 2日 (水)

ネクタイを外さない人

昨日は衣替え、オフィスのクールビズもすっかり定着の感がある。しかし、昨日の亀井大臣がそうだったように、年配者はノーネクタイには少し抵抗があるようだ。

「おれはいいんだ、気にするな」と言っても大臣がネクタイをぴしっとしてるのに下の者がノーネクタイというのも心情として憚られるだろう。習慣を変えるにはまず上の者が率先してやらなくてはなかなか変わらない。

年配の人が嫌がるのも分かる気はする。普通のワイシャツでネクタイだけを外すとやたらと開いて、かなりだらしなくみえる。下にくたびれたおじさん肌着が覗いたりすると、なんだか老年の悲哀さえ感じてしまう。

実はクールビズにはクールビズなりの工夫も必要で、普段の背広のネクタイを外すだけではさまにならない。だったら、このままがいい、という話になってしまうが、そこは若い奴にアドバイスを受けよう、ぐらいの鷹揚さがあっていい。

喫煙習慣も上が吸うのと吸わないのでは大違いだ。社長が禁煙しているのに宴会でブカブカ吸う奴はいないだろう。愛煙家のお医者さんが、タバコは身体に良くないからやめろと言っても全く説得力がない。やはり「隗より始めよ」だ。まずは上から、上は辛いのだ。

ところで小沢さん、輿石さん、亀井さん・・・連日のニュースを見てるいると、トップを裏で操ろうとしている人、はなからトップの言うことを聞く気がない人、というのはみんなネクタイを外さない様に見えますが、気のせいでしょうか?

会津は朝晩はクールビズや夏服ではまだ肌寒い感じの気温ですが、今週は晴天が続いています。昨日、今日、そして明日と徐々に気温が上がり、もうすぐ本当の衣替えができる6月の気温になりそうです。

2010年6月 1日 (火)

立派な運転手さん

鶴ヶ城天守閣の瓦の葺き替え工事が本格的に始まっている。天守閣が足場で囲まれて見えなくなった。クレーンも見える。

足場で囲まれた天守閣を見て、とても懐かしい気持ちになった。それは小さい頃にこんな姿を何度も見ていたからだ。私の父は役人だった。天守閣の建設にどんな形で関わっていたかは分からないが、よくお城に工事を見に行った。同じように足場が組まれ、その中にいかにもお城です、という建物が少しずつ姿を現してきた。

何枚も写真を撮った。画面の隅に松の枝をいれこんだりして、センスがいいと褒められ悦に入っていた。

思えばもう五十年もお城を眺め暮している。鶴ヶ城での様々なイベントを手掛けたこともあって、お城を眺めた時間はきっと普通の人より何倍も多いだろう。それだけに鉄筋コンクリートではあるが、あの五層の天守閣に思い入れは深い。

白壁をきれいにして、これまでとは違う、史実に沿った赤瓦に葺き替えるという。城の表情もだいぶ変わるだろう。変わったお城を見たらどんな気持ちになるのかなんとなく楽しみだ。

先日乗ったタクシーの運転手さん、「工事でお城が見えないのでこんなのを持ち歩いているんです」と、自家製のお城のアルバムを見せてくれた。四季の天守閣に、戊辰戦争時の写真まであった。これを見せて説明するのだという。加えて手作りのお城のカードを観光客にお好きなのを一枚どうぞと、プレゼントしているという。もちろん全部自前だ。

大したものだと、大いに褒めた。社長は年中ゴルフ場にいるのに立派な運転手さんが育つものだ。こういう一人ひとりの小さな思いやりが、観光客を感動させ、会津という地のイメージを形作る。

旅先での人とのふれあい、感動こそが旅の醍醐味であり、かけがえのない思い出になる。結局は人とのふれあいなのだ。昔、市民総ガイド運動というのが行われていたが、会津観光振興の第一歩は、まさにその精神尽きる。旅人への思いやりと優しさだ。

大阪万博の年、京都の駅前で道を尋ねた高校生が二人いた。「それはどすな・・・」そのはんなりとした言葉の美しさ、優しい応対にめちゃくちゃ感動、京都への憧憬はピークに達してしまった。二人は揃って京都の大学へと進み、京都での学生生活を謳歌した。その内の一人M君は、そのまま京都の人となってしまった。そして、もう一人はこの私である。

もしあの時、あの女性に道を尋ねなかったなら・・・二人は全く違った人生を歩んでいたのかもしれない。

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