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2010年4月

2010年4月30日 (金)

よく歩く都会人

GWに突入した。昨日の初日は荒れた天気だった。ゴルフ場にいたので前線の通過を肌で感じた。なかなかすごいものだ。一転にわかにかき曇り、雲が暴れ馬のように駆けていく。突風のような風と共に冷たい横殴りの雨、前線の通過で風向きが変わると、一気に気温が下がり、手先が凍えた。山の上でこんな天気に会うときっと遭難するんだろうなぁ、と感心していたらスコアも遭難状態になっていた。

今日は一転して穏やかな天気となった。これからは気温も上がり、GWは最高のコンディションだとの予報だ。ハズレないで欲しいものだ。

この時期、会津には多くの観光客が訪れる。この爽やかな天気、市内観光はぶらぶらと歩くのがお薦めだ。巡回バスがあるので疲れたら乗ればいい。飯盛山、お薬園、お城、七日町など遠いようだがせいぜい2,3キロ圏内だ。今年はおまけに道々に花が咲いている。

えてして地方の人間は歩くのは大変だから・・・と思いがちだが、都会人にとってはそうでもない。地方人がよく歩いて、都会人が歩かないように思うが逆だ。地方はクルマ社会、ドア・トゥ・ドアで意識しないと本当に歩かないで済んでしまう。都会は人も建物も密集しているのであまり距離感を感じないが、何をするにも結構歩かなくてはならない。

たまに都会に出張すると2,3箇所訪ねただけで足が痛くなる。駅内の移動、階段の上り下り、乗り換えなどスタスタ歩かない事にはどこにもいけない。地方では駐車場が職場から2,3百メートル離れただけで「遠すぎる」と文句がでる。都会人はひと駅ぐらい平気で歩く。地方のサラリーマンは都会のサラリーマンよりも絶対にやわだ。

市内を歩く際には、以前にも書いたが街全体が東西に傾斜しているので飯盛山や東山温泉、武家屋敷などを起点に西に巡っていくのがいい。基本、街は碁盤の目状になっているから、それほど迷う事もないだろう。

車窓からでは見えない、のどかな会津の姿に会える。そんな天気のいいGWになりそうだ。

2010年4月29日 (木)

くいっ、といく師匠

私にはOさんという日本酒の師匠がいる。師匠と言っても何を習ったわけではなく、私が勝手にそう思っているだけだ。何がすごいと言って、これほどおいしそうに日本酒を飲む人を他に知らない。

Oさんと出会ったのは25年以上前になる。当時私はあまり日本酒を飲まなかった。ビールかウィスキーが主体で炉端焼きなどで日本酒を飲むことはあったが稀だった。要するにまだ日本酒の味わいもよくわからなかったのだ。たまに飲むとがぶ飲みで翌日頭が割れそうになる、日本酒の二日酔いはたまらん、と自分からは手が伸びなかった。

そんな頃、「串」という会津では老舗の居酒屋でOさんに会った。カウンターと囲炉裏に10席ほどの小さな酒場だ。もちろんOさんは日本酒を飲んでいた。その飲み姿にほれぼれした。厚手のぐい飲みをすーうっと口に運ぶ、半分ほどくいっといく、舌の奥で味わうように口元がきゅっと引き締まる。その一連の動作が流れるように実に様になっているのだ。

まず、手の運びがいい、ゴルフでいうところの手首を使ってクイッと上げてはいけないというやつ、それだけで下手が分かる。まことになめらか、受ける口元には嬉しそうな笑みが浮かぶ。流し込むでも飲み込むでもなく、滑り落ちて行く感じ、そして深く味わう。映画やテレビを見ていてうまそうに飲むシーンが出てくるとつられて飲みたくなるが、それと同じだった。私も日本酒にして混ぜてもらった。

以来、Oさんとは飲む機会も増えた。会津漆器を日本中の神社仏閣に卸すという商売ゆえ、フーテンの寅さんよろしく日本中を旅しているOさんは土地土地の酒や肴にめっぽう詳しく、万事博識、話題は尽きない。穏やかな声で「ほー、そうですか、なるほど、これはですね・・・」と話が弾み、くいっといっては笑い、話し、またくいっといっては破顔する。酒場の時間はかくあれかし、とでもいうようにいつもいい酒、まためっぽう強いのだ。以来私は彼を酒場の師匠としている。

人を惹き込むほどおいしそうに飲む、食べる、というのはひとつの才能だ。会津清酒がいかにうまいかを、言葉で尽くすよりもOさんの「くいっ!」の方がはるかに雄弁だ。なによりもおいしそうなふるまいは人を平和な気分にさせる。

だからどうなの?と言われればそれだけの話なのだが、人生、我以外皆師なり、という。日々、酔眼の中にも師は宿るのである。さすがに最近、師匠も少々弱くなられましたが・・・。

2010年4月28日 (水)

エリートとカス

西の友から久しぶりに連絡があった。五十半ばの転勤で東京に移り住むという。家族揃ってというからまだいいが、この歳での移住は大変だろうと想像する。私は学生時代には京都に住んだが、それ以外はすっかり会津に土着してしまい、今さら見知らぬ町に住むという事がなかなか想像できない。

彼は遊牧民とまではいかないが結構動いている。会津を出て関東圏に住み、京都では私の隣りに住んだ。さらに西の町に移り、そこで長く暮らし、ここへ来て東京へと移る。その間、浮き沈みもあり奥さんも変わって、今では孫と言ってもおかしくない可愛い息子と若い奥さんが自慢だ。

昔からメチャクチャに体力があった。顔はイマイチなのに誰からも好かれ、もてた。『男はタフでなければ生きてはいけない、優しくなければ生きる資格がない』という名セリフがあったが、彼を見るとまさにそんな感じがする。

飛躍するが、戊辰戦争に敗れた会津藩士たちは青森県津軽に新天地を求め斗南藩を作った。塗炭の苦しみに耐えたものの、やがて藩は解体、北海道、青森、東京へと藩士とその家族は散りじりになった。この時に会津からエリートが大量流出し、会津にはカスばっかりが残ったのだ、とする口の悪い説がある。なるほど明治にキラ星と輝く先人たちの多くは会津に固執することなく新天地を求めた人々だ。あながち嘘とはいえないのかもしれない。

その談でいけば、彼の方がエリート系で、私がカス系に属することになる。確かに十年に一度ぐらいしか会えないが、彼はどんな時も元気だ。どう見てもエリートには見えないが、身も心もタフガイで「へこたれない」という稀代の才があることはだけは間違いない。

一方、我が身を振り返り「カスだったんですか?」といわれるとちょっと辛いが、カスではないという証明は残念ながら今だなされてはいない・・・。

転勤の友を思いやりながら、なんだか自分が凹んでしまったではないか!

2010年4月27日 (火)

「なにを」先生

崩れる予報だが会津はまだ天気が良い。しかし風が冷たい、風の芯がいつまでも温かくならない。ものには芯がある。芯は大切だ。芯がぶれたり、ずれたりするとろくなことにならない。身体の芯がずれると具合が悪くなる。芯がぶれるとスポーツはダメだ。言ってる事の芯がぶれまくると信用を失う。芯のない人は結局、信も真もない。

若い時にいきなり、やった事もない仕事を任されたことがある。本作りだ。右も左も分からず、指導してくれる人もいない。ハウツウ本で勉強して間に合う話でもない。そんな時、心の師と仰いだのが「なにを」先生だ。今、自分のすることの目的は何か、何をすればいいかを繰り返し確認をする。要は芯がずれていないか、目的と外れていないかをセルフチェックするのだ。出来の上手下手はあったとしても、芯さえずれていなければとんでもない事にはならない。まずはそれが大事なところだ。

常に「なにを」先生を肩に乗せ、お前は何をするんだ?何を伝えたいんだ?これでずれてないのか?を繰り返した。が、結構上手く行ったりするとすぐに調子に乗る、やりたい事が先行し、思い込みだけが先走り、「なにを」先生を忘れる。そうすると必ず後で、手ひどいしっぺ返しを食らった。

この「なにを」先生、今でも充分役に立つ。ただし事が複雑化し、忙しさに追われたりすると、一体、何が「なにを」だったか分からなくなる事もある。世の中、そうそうシンプルな事ばかりではない。しかし、心落ち着け、よーく考えて「なにを」先生とよくよく話し合えば、見えてくるものがあるはずだ。

芯をずらさない事、ぶれない事。難しい事だが、ここを外さなければ大事にはならない。ただ、その先は才能の問題だ。ずれない、ぶれないだけでは前に進まないし、それだけで素晴らしいもの、卓越したものが出来上がるとは限らない。何事も才と努力と訓練が大事なのである。

2010年4月26日 (月)

満開の誕生日

今日は妻の誕生日である。何歳になるかは個人情報なので言えない。女性はある程度の歳を過ぎると誕生日がとても嫌で、来ても知らんぷりする人が多いと聞くが、彼女はまったく気にしていないようだ。もっとも知らんぷりしたからと言って歳を取らないわけではないので、ちゃんと祝ってもらった方が絶対に得だ。おめでとう!

同じ誕生日でも30代から40代というように、歳代が変わる誕生日は特別な感じがした。20代~30代の時は「大人だなぁ」って感じ、30代~40代は「嗚呼ぁ」って感じだった。40代最後の日にはなんとも思っていなかったのだが、今日から50歳です、と言われたら急に「俺が50かよ!」と大きなショックを受けた。この先、還暦です、と言われたらさぞや効くだろうなぁ、と思う。しかし、ま、ショックではあるが長続きはしない。受け止め、慣れる以外に道はないからだ。

時間というヤツは絶対に戻らない。生きていれば、あの時に戻れないかと願うような事が何度かある。事故や事件は当然だ。思わず口をついてしまった言葉、そんなつもりはなかったふるまいも絶対に消せやしない。いくら後悔しても時計の針は1秒も戻らない。戻らない以上、その事実を受け止めて前を向く以外に道はないのだ。

人生いろいろあります。誕生日はお目出度い節目であり、ここまで来た、ここまで来たという一里塚でもある。たとえ何歳でも、よく頑張ったと褒め称える一日だ。そうこうしている内にやがて誕生日も来なく無くなる日が来る。おめでとうに添え「その時まではよろしく面倒見てね」とお願いしておこう。

本日、会津は晴天なり。満開宣言が各地から聞こえてきます。

2010年4月25日 (日)

花より山田ダンゴ屋

最近驚いたニュース、山田ダンゴ屋が閉店してしまった。会津若松市の人なら知らない人のない超有名店だった。渋い老舗というのとは違い、言ってみれば生涯B級グルメです、といった感じの庶民的な店、半世紀以上店構えまったくは変わらなかった。

馬場三ノ町角、間口はわずかに二軒ほど、軒の高さは一軒もなく背をかがめないと店には入れないが、入ったことはない。店先のクラシックなガラスケースにダンゴ、大福、笹団子などが並びすべては店先で完結、駐車場もなく路上駐車でパッと買って、パッと帰らなければならない。

ダンゴは独特のトロットしたこし餡をたっぷり塗り付けた、これぞ田舎ダンゴというスタイル。みたらしもあり人気だった。時に観光バスが止まったり、旅行者が並んだりしていたのになんでかなぁ?

もったいないと思うのは「山田ダンゴ屋」というブランドだ。権利などの問題もあり簡単ではないだろうが、これほど名の知れたダンゴなら町なかの活性化にうまく活かせるような気もする。先日、宴席でこの話が盛り上がった。「今の商売よりダンゴの方が絶対に儲かる!」と言った某社長さんの言葉、妙に説得力があったっけ。

ようやく花の会津です。花より山田ダンゴ屋と言われたのに・・・名物がまた一つ散りました。残念!

2010年4月24日 (土)

普段の顔

自分で自分の顔を見ることは出来ない。鏡に映る顔も、みんなが見ている自分の顔とは少し違う。顔そのものの善し悪しは如何ともし難いとして、その利用法、表情の作り方、どんな顔で生きるかはその人の責任だ。35歳を過ぎたら100%その人の責任である、とかのリンカーンも言っている。

泣いたり、笑ったり、怒ったり、大きな表情はたまにしか作らないが問題は普段の顔だ。電車に乗って窓外を眺めている時、本を読んでいる時、ボーっつとテレビを見ている時、会議で人の話を聞く時、普段、自分がどんな表情で生きているのかを気にしてみると、いろんなことに気付く。

人の顔をじろじろ見るのはあまり良くないが観察すると面白い。軽く口角が上がって穏やかな笑みをたたえる人、何もないのに怒っているような人、悲しげな人、完全に笑っている人。普段の顔がその人の精神状態を表しているし、普段の顔でその人がどんな人なのか大体分かる。

一番いただけないのは「臭い顔」という奴だ。眉間やおでこにしわを寄せ、ふてくされたような、何事も不満から始まるような、何をやっても面白くないような・・・そんな気分を総合したのが「臭い顔」だ。こんな人とは何をしても楽しくないし、良い事をどんどん遠ざけてしまう気がする。

やっぱりにこやかな明るい表情が一番だ。鳩山さんのように何を言われてもうすら笑いというのはいただけないが、軽やかな笑みを絶やさずに過ごせたら素晴らしい。精神状態が安定し、幸せではないとそうはいかない。明るく行こう、元気出していこうとは思いながら臭い顔してしまっている自分に気付く、現実はそんなものだが気にするとしないでは大違いだと思う。

よそ行きではない普段の顔、事務所のデスクで一人考え込んでいるその時の顔なんですよ、問題なのは。普段の顔を変えていけばいろんなことが変わっていくんじゃないのかなぁ。笑えてますか?お元気ですか?

会津は昨晩までは冬、今日からはようやく晴れて春さんがやって来るようです。

2010年4月23日 (金)

育てる人

♪小原庄助さん、なんで身上つぶした。朝寝朝酒朝湯が大好きでそれで身上つぶした。あーもっともだぁ、もっともだぁ♪のはやし言葉で知られる小原庄助さん。実在か伝説かは諸説あるものの、会津の超有名人の一人である事は間違いない。無類の酒好きでお人好し、豪放磊落、天真爛漫、愛嬌に溢れ誰からも愛される人・・・酔いの中から生まれ出た酒飲みの理想像かもしれない。

庄助さんとまではいかないまでも、会津に酒好きは多い。酒好きがいてこそ、うまい酒が出来る。酒好きの厳しい舌に鍛えられ蔵元も技を磨く、そうした長い歴史を経て会津は酒どころの地位を勝ち得た。いわば酒どころ会津の育ての親(ただの呑ん兵衛ですが)の代表選手が小原庄助さんと言う事になる。

残念ながら日本酒を飲む人は減り続けている。それに伴って蔵元が減るのも道理だ。会津の蔵元もここ数十年で激減した。育てる人(呑ん兵衛)が減れば、いい酒も減る。だが、ここに来てそれも底を打ったのではないかと思える。今、生き残った蔵はそれぞれに個性的で、実に良い酒を造っている。会津の地酒=良質でうまい酒、はすっかり定着した感が強くある。会津清酒は非常にハイレベルで高止まりしたといえるだろう。

私論だが、世界の酒の中で最高峰は日本酒だと思っている。日本酒ほどシンプルな原料で、あれほど神秘的な味の酒は他に無い。酸・甘・辛・苦・渋が複雑に絡み合って得もいわれぬ味わいを醸す杜氏の技はまさに芸術の域と言っていい。つい飲みすぎて翌日に残るなんて話になるが、問題は酒類ではなく過ぎる事にある。

会津清酒のレベルが高止まりした今、育てる側がこれ以上減らないで欲しいと願う。日本酒はうまい、日本食に、郷土料理に合うのは間違いなく日本酒です!何にでも甘いナントカハイ、おいしいから勝手でしょ、というが日本酒の味わいと伝統の食文化を知り、伝える事は大切なのだ。

ヨーロッパ人はワインを沢山飲む。それは自分たちの食文化のベースにワインがあると確信するからだろう。日本食のベースにあるのは間違いなく日本酒だ。若者よ、ナントカハイもいいけれど、合う、合わない、取り合わせの妙を知る人にもなって欲しい。そしてぜひ会津清酒を育てる人にもなって欲しい!とりあえず私も頑張る。

2010年4月22日 (木)

雪つむ上の・・・

朝、何台か雪を積んでいるクルマを見て驚いた。下郷方面や猪苗代、湊の方も雪だったようだ。今日は4月21日ですよ。昨日の会津もそれほど暖かくはならなかったのだが、今日はまた一段と寒い。車外温度は3度、ほころびかけた桜も完全に躊躇し、震えていた。一度咲いてしまった桜の花は、やめた!と閉じる事ができるのだろうか?開いていては寒そうだ、もう一回閉じたら、と言いたくなる。

「・・・・・雪つむ上の夜の雨」春の夜の情感が溢れる下の句を思いついたのは芭蕉の弟子の凡兆さん。雪の上に降る雨は、どこか切ない。冬の終わりを感じさせるけれど待ち人は来ない。窓を開ければ音無しの雨が降っていた、もしかして私は大切な何かにずっと気付かないままこうしていたのだろうか・・・?などと、たった12文字に想像は広がる。しかし、凡兆さんいくら考えてもうまい上五が浮かばない。

そこで芭蕉先生に尋ねたそうな。すると芭蕉先生はすかさず「下京や」と詠んだ。「下京や雪つむ上の夜の雨」さすがー、と思うが凡兆さんにはどうもピンと来なかったらしい。そしたら芭蕉先生、アタマにきて「これよりいい上五を詠める奴がいたら、わしは俳句をやめてやる!」と言ったとか言わなかったとか・・・。

「の」「に」「や」「と」たった一文字で世界の広がりが全く変わってしまう俳句ワールドは実に奥が深い。それにしても奥の細道を旅した芭蕉はなぜ会津に立ち寄らなかったのだろう?白河の関を越えまっすぐ北上してしまった。当時でも会津の名は知れ渡っていたはずだ。もし芭蕉が会津を訪れたならどれだけの名句が生まれた事か・・・。言っても詮無い事だが『芭蕉の不覚だ』といいたくなる、気持ちもよく分かる。

凍えるような雨、しとしと、しとしとの会津です。

2010年4月21日 (水)

会津暮らしの醍醐味

友人にドクターが何人かいる。開業のドクターの中には、水曜・土曜の午後を休診にしている人が多い。ゴルフ好きなドクターはこの休診の午後にもラウンドする。市内から約30分、4月から日の短くなる10月頃までは充分にワンラウンドが楽しめる。猛者になると水、土、日曜と週に3ラウンドもするという。こういうことが可能なのも地方ならではといえるだろう。

夏場には朝ラウンドも出来る。ゴルフ場に予約しておくとカートが出ていて、自分でバッグを積んで明るくなったらスタート可能だ。ワンラウンド回ってから出勤、などというのも珍しくない。朝ラウンドまで入れたらラウンド数はまさにツアープロ並みだ。

私の周りにはとにかく元気な友人が多く、時に圧倒される。仕事のできる男は、ある意味、多動性症候群(?)のようなものだ。じっとしていられない。何とか時間をやり繰りしてよく遊び、よく飲み、よく打つ。たまにゆっくり休めばいいのに、と思うが休んでいない方が確実に元気そうなのだ。

先日こんな会話があった。「土曜のコンペは出るの?」「それが夕方から仙台で会議でさぁ、スタートが遅いから出られないよ」「そりゃあ、残念だ」「ホントだよ、つまんないから朝早く出て磐梯山に登ってから仙台にいこうかと思ってさ・・・」これ、ホントの話です。磐梯山に登ってって?まだ山開きもしてない雪山ですよ。元気すぎます!

これからの季節、仕事の合間に釣り、山菜取り、山登り、ゴルフ、マリンスポーツ、さらには田んぼ仕事、畑仕事etc.。挟み込もうと思えば結構出来てしまうのが田舎暮らし、会津暮らしの醍醐味といえるのかもしれない。

確かに『元気があれば何でもできる!』です。みんな元気で会津暮らしをエンジョイしたいものですなぁ、、、ほどほどに。

2010年4月20日 (火)

私、今日咲きます。

石部桜レポート第二弾。石部桜は咲く前のつぼみの状態が一番赤い。大きく枝を張る老木は今朝、開花直前の赤紅に染まっていた。咲く直前のこの一瞬も見事なものだ。朝焼けの田んぼの中に一人静かに佇んで「私、今日咲きます」と、間違いなくおっしゃった。

山側の土手で目の周りを真っ赤に染めた雉に出会った。桃太郎の絵本と同じ鳥が目の前に飛び出てくると結構ビックリする。「クォーン、クォーン」と独特のかすれた啼き声、そこにホケキョ、ケキョ、ケキョと鶯の啼き声がかぶさる。花も鳥も行きつ戻りつで遅れた春を取り戻そうとしているのか・・・賑やかな朝だ。

飯盛山の下はにもう一本、市の文化財に指定されている桜がある。「太夫桜」これも石部桜と同じ種のエドヒガンサクラだが、こちらは二代目に代替わりをしている。古い木だが苔むしてはいない。太夫の立ち姿のようにシューっと背の高い桜で15m程はあるだろうか。こちらは山際のため開花はまだ先の感じだ。赤らんでもいない。

石部桜の付近には先週末から警備員が配置されている。道路際には臨時の観光売店も出されている。それだけ昼間の見物客が多いという事だろう。花には人を集める不思議な力がある。会津も花の観光にもっともっと力を入れていいのかもしれない。

今度の土・日、天気もまずまずの予報、桜満開で会津は最高の週末を迎える。春爛漫の会津に会いにこらんしょ。

2010年4月19日 (月)

深呼吸の季節

やっと普通の気温に戻ってきた。朝、図書館脇の桜が上のほうから吹きこぼれる様に咲き出していた。もういい加減、桜もアタマに来ているに違いない。温まってきたと思ったら寒風にさらされ、雪までかぶせられ、どうしろって言うんだ!ってきっと怒ってる。気温が上がれば、コンチクショー、とばかりに一気に花開くに違いない。

今週、会津は桜の週だ。平場から咲き出し、この調子だとゴールデンウィークまで各地で楽しめるだろう。ソメイヨシノのあのモコモコとした花の塊りは、まさに生命の塊りだ。花散ればしっかりと新芽が吹き、気が付けば野山は新緑で溢れる。花もいいが新緑の会津もまた素晴らしい。

新緑の山々を見ると、ひと口に緑とは言っても一つとして同じ色がないことに気付かされる。灰色のような緑から、黄色に近いもの、深い色、透明感のある色・・・夏場には緑の塊りに見える山々も、実は複雑で多様な植物の集合体なのだという事が新緑の季節にはよく分かる。一人として同じ人がいないのと同じだ。

この時期、誰もが深呼吸が好きになる。春を思い切って吸い込み冬を吐き出す。

大きく吸ってぇ、吐いてぇ・・・春風を吸い込み病気を吐き出す。陽光を吸い込み悩み事や心の憂いを吐き出しまう!そんな交換が出来たらいい。思いっきり深呼吸するとなんだか少しは出来るような気がする。

2010年4月18日 (日)

不器用な男ですから

と、言えば健さんだ。高倉健の大ファンです。板前や技師、漁師などむしろ器用そうな役が多いが、健さんはいつも不器用だ。吹雪に黒いとっくりセーターに短い頭、「すみません」と、健さんは謝る。義理ある人の理不尽な要求に「すみません、自分は・・・」と健さんは耐え、一発食らう。それでも健さんは奥歯をぐっとかみしめる。大体どんな役をやっても同じ感じだ。やくざも刑事も同じじゃ、駄目でしょう!って話だが健さんはいいのだ。不器用にしか生きられない、じっと耐え、最後にガツンと立つ。あの怒りの目が観客の共感を呼び起こす。名優、名演というのとはちょっと違う。健さんはスターなのだ。

「唐獅子牡丹」「網走番外地」・・・やくざ映画は三本立でよく観た。ストーリーの骨は同じなので続けて観るとごっちゃになる。その後もさまざまな新境地を拓いたが、健さんはどんな役でもあまり変わらない。

私の一本、を挙げるとすれば「居酒屋・兆治」かなぁ。不器用そのものの兆治、居酒屋に集う誰もが器用には生きられない。あの時の大原麗子は最高だ。兆治とのかなわぬ恋に壊れて行く女。大原麗子のあのハスキーで甘い声「兆治さん・・・私・・・」そう、まさに大原麗子にとっても最高作ではないだろうか。脇がまたすごかった。どこまでも嫌味な先輩・伊丹十三、本当に小憎らしい。小松政夫、ちあきなおみ、加藤登紀子、誰もが心に残る名演を見せている。実にいい映画だ。なによりも健さんが生きている。

役の上でも不器用だし、健さん自身も不器用だ。不器用を貫き通す生き方の方が本当は難しい。そして、そういう人こそが本当はかっこいいのだと思う。健さんももうかなりの歳だろう。このまま私たちの前にはもう姿を現さないかもしれない。それが彼の美学であり、一生を通して演じきる「高倉健」という男の姿なのだろうと思う。そしてきっと高倉健は伝説になる。

会津は雪が積もりました。すごいことです。農業被害、観光被害、一般消費に与える被害は大変なものだと思う。川が決壊したり、建物が倒壊したりはしてないが、四月のこの雪はまさに大災害です。

今朝、雪の庭にうぐいすが来た。一声「ホー、ホケホケチョ」と啼いてみせた。まだまだ不器用、でも頑張れー!

2010年4月17日 (土)

四月の雪、ボサボサ

朝起きたら会津には雪が積もっていた。雪に注意とは聞いていたが、何もこんなに降らなくてもいいでしょうというぐらい積もっている。全国各地で四月にこれほどの雪は年十年ぶりだとか、観測史上初だとか報じられるのだろう。それにしてもどうするの?って感じだ。今日はクルマで福島へ行かなければならない。この雪に普通タイヤで猪苗代を越えるのはちょっと無理でしょう・・・。

雪国なんだからタイヤチェーンぐらいあるんでしょう?と思う人もいるかもしれないが、チェーンなんてここ何十年も持ってません。確かに昔はチェーンを積んでいたし、着けたりしたこともある。しかし、冬タイヤの性能が上がり、冬タイヤで走れないところはチェーンを着けても無理だし、かえって危ない。チェーンは普通タイヤに一時的に着けるもの、だから要らないのだ。

かと言って、いまさらタイヤを履きかえるのは面倒くさすぎる。そんなマメさは持ち合わせていない。大体、出来るかどうかも怪しい。

結婚前、スキー場に登る道でチェーン着装を申し渡されたことがある。大の苦手だが格好悪いところも見せられないので必死で着けた。ほかのクルマがパッパと行くのにやたら時間がかかった。やっとできたと思ったら、裏表が逆なことに気付いた。チェーンには裏表がある、これが大事、逆だと切れやすい。そして駆動輪に着けることが必須、こちらは間違えなかったがなんと裏表逆だった。

どうせスキー場までだ、面倒くせぇ、まあいいいや、とそのまま行ってしまった。自分が間違えたくせにやたらとムカつきながら・・・。

その時点で『不器用で、雑で、テキトウ』という私の特性が完全にバレた。しかし、結婚前にダメなところはちゃんと分っていた方がのちのち無駄がなくていい。過剰な期待をさせることはむしろ罪だ。人生なんて、電球の取り換え、油さし、しめ縄の取り外しができれば何とかなるから心配ないのだ。

どうしてこんな懺悔のような話をしているのでしょう・・・?そう、悪いのは雪だ四月の雪、なんとまだボサボサと降ってます。

2010年4月16日 (金)

春高楼の花の宴

土井晩翠作詞、滝廉太郎作曲の名曲「荒城の月」。この荒城の月のモデルが鶴ヶ城址だといわれている。(青葉城だとする説もあるが)現在の天守閣は1965年(昭和40年)に再建されたが、その前は石垣だけが残されていた。苔むした石垣だけの城址はまさに「栄枯は移る世の姿・・・昔の光今いずこ」という格調高い詩そのものの世界だった。

現在、鶴ヶ城本丸の東南の一角に天守閣を望むように「荒城の月」の歌碑がある。ガイドさんが案内するが、若い人は「荒城の月」と言ってもどうもピンと来ないらしい。年配者は「え?知らないの!」と驚くけれど「荒城の月」が音楽の教科書から消えて久しい。知らなくても当然といえば当然なのかもしれない。

この日本を代表する叙情歌を歌い継ごうと市民有志が始めたのが「荒城の月市民音楽祭」だ。幼稚園、小、中、高等学校、一般と合唱を中心にさまざまなジャンルが集まり音楽を心から楽しむ。叙情歌を歌い奏で、フィナーレには「荒城の月」をみんなで歌うのだ。合唱王国福島といわれるが、会津もその一翼を担いレベルは高い。2時間半のステージは充分に聞き応えがある。

今年は第11回目となる。5月9日(日)の午後2時から、会津風雅堂において、入場は無料だ。ぜひ一度お越しいただきたい。

実は私、4年前から市民ボランティアの一員として舞台のプロデュースをお手伝いしているのです。どうぞよろしく。

2010年4月15日 (木)

そんなに飛び出さなくっても

3Dのテレビが発売される。専用メガネをかけると画像が立体的に見えて、飛び出したり遠ざかったりする。科学技術の進歩はすごいと思う一方、これって本当に大丈夫なの?と思ってしまう。

画像が立体に見えるのは白黒がカラーになるのとは訳が違う。本当は立体でない絵をメガネをかけるなどして脳の中で処理してもらって立体に見せている。いわば脳のお世話になって成立しているわけだ。立体を見たいがために勝手に脳を働かせているといっていい。はて、そのことがどのくらい人体に影響を及ぼすものか?安全性は確認されているのだろうか?

新薬の場合、治験というのが必ず行なわれる。おかしな副作用が出ないか人体で試すのだ。クスリとは違うが、ある意味、脳に侵襲し画像処理を強要する、そんな行為を長時間続けて本当に影響はないか、誰か試したのだろうか。

テレビは家庭に居続け際限がない。テレビから飛び出してくる弓矢や宇宙人から身をかわして大喜びする不思議な光景。もうボケがきてる世代はまだいいとして、成長期の脳はそれを一体どう受け止めるのだろう?それでなくてもバーチャルなゲームの世界に多くの若者は浸っている。そこへさらに3Dという新薬を投入してしまったら、本当にリアルモンスターが飛び出して来てしまうかもしれない。

「アバター」一本見ても結構疲れた。現実との境がおかしくなったとの報道もあった。映画が一本当ったからといって、なにもそんなにあわてる事はない。もっとゆっくり時間を掛けて、いろいろ確かめてから飛び出してもらって私は一向に構わないと思うのだ。が、3Dテレビは不況脱出の切り札だ、とばかりにCMがガンガン流れている。

・・・今日の会津は花冷えを通り越して冬の寒さだ。こんな中で今夜は恒例の花見がある。たとえどうあれ花見をバーチャルで済ますことは出来ない。こうなったら防寒着に身を包み決死の覚悟でお城を目指そうではないか!ま、ほとんど咲いてないとは思いますけどね。

2010年4月14日 (水)

木が伐られてるよー、どうして?

いよいよ桜が・・・なんて話しをしていたのに今朝は周りの山が、それもぐっと低い山まで白くなった。四月中旬の雪はいくら会津でも珍しい。

異常気象という言葉が一時期盛んに使われたが、最近はあんまり聞かれない気がする。異常があまりに多過ぎると、何が異常なのか分からなくなる。異常が正常で、正常が異常に逆転なんてことも起りかねない。そのぐらい近頃の気象は、私がこどもの頃(ほぼ半世紀前)とは違っている。あくまで記憶上の話だが相当に違う。

なんと言っても雪の量が違う。昔は会津若松市内でもかなりの積雪で、二階にまで届くような雪が降った。長ーい氷柱がそこら中に下がり、道路は真っ白に凍っていた。市内でも橇でモノを運んだ。春にはツルハシで道路の氷を割った。クルマ社会でなかった事を差し引いても雪が多く、寒かった。

夏が特別涼しかった、訳ではないが短かったと思う。現在は6~9月が夏と言う感じだが、夏は7、8月、盆踊りが終われば朝晩はめっきり涼しく、9月に真夏日が何日も続くようなことはなかった。

地球は確実に温暖化している。原因は諸説あるが森林伐採が地球の冷却機能を破壊している事だけは確かなようだ。

木を伐る。そのことで最近とても気になることがある。国道や磐越西線を走ると、里山のいたるところで木が伐られている。そんな光景がとても目に付く。森林伐採とまでは行かないまでもどうして最近、あんなに木を伐っているのですか?誰か教えて!と叫びたいほどだ。

あるゴルフ場では、落ち葉の始末が大変だからとバッサバッサと木を伐ってしまった。全く別なゴルフ場のようになってしまった。ゴルフ場を造成するだけでも自然破壊といわれたのに、落ち葉が邪魔だからってそんなに木を伐ったら反則でしょう・・・と、思うのだがヘーキだ。世の中はエコ、エコと言われているのに、今、会津のあちこちでなぜか木が伐られている。これは一体どうしてなんですか?誰か知っていたらぜひとも教えて欲しい。

2010年4月13日 (火)

市民と鶴ヶ城

会津鶴ヶ城の桜が少しだけほころんでいると言う。まだ開花宣言は聞いていないので気の早いのがフライングしてるんだろう。嬉しいフライングだ。鶴ヶ城祉は23haの広さ、天守閣を中心に緑豊かな公園になっている。この城の特長と言えば市民との距離が大変近いことだろう。お城は市民にとってかけがえのない場なのだ。

東には10面のテニスコートがある。伝統ある土のコート(クレーコート)で水捌けは抜群ときく。北には武徳殿、弓道場があり、部活などが盛んに行なわれている。南には鶴ヶ城体育館、文化センター、さらに県立博物館、市立図書館、会津風雅堂など市民が集う場所が集まっている。

我々の高校時代は本当によく通った。石垣登りでしごかれ、授業をサボって寝転んだ。デートに議論に果し合い、深い緑と苔むした石垣がニキビだらけの青春を見守ってくれていた。時流れ、いろんな施設も出来、多少は分散したようだが今も学生たちの姿は多い。

本丸は早朝から多くの市民で賑わう。陽気が良ければ日がな一日、市民の絶える事はない。これからは待望の花見である。酔ってお堀にドボンというのは最近は聞かなくなった。バンカラも度が過ぎるとお仕置きを食らう時代になったのでみんな少しお行儀が良くなった。が、だからと言ってお城から遠ざかっている訳ではない。桜の下はもちろん満開の人だ。

市民に親しまれ愛される続けるお城の姿こそが、観光客にとっても魅力的に映るのだと思う。以前、お城の維持管理費をひねり出そうと、本丸内に入るだけでお金をいただこう、と言うバカな話が持ち上がった。鶴ヶ城から市民を締め出すことが理に叶うはずもなく、いつの間にか立ち消えになった。

鶴ヶ城は単なる観光施設ではない。いつも、いつまでも市民と共にあり続けてこそ鶴ヶ城なのだ、と私は思っている。 さあ、花見です!

2010年4月12日 (月)

優しい雨

朝からしとしと春雨じゃ。この時期の雨はひと雨ごとに野山の風景を変える。冬枯れの様な田んぼがいつの間にかうっすらと緑を帯び、雨ごとにその緑が大きくなっていく。まさに生命育む優しい雨だ。

雨に庭の木々の枝が小さく揺れている。嬉しくてクスクスと身を震わせて笑っているようだ。予報は明日からまた大荒れ・・・なんてことを言っているが、ここまでくればもうさすがに冬将軍の逆襲ということはないだろう。

花見&新入職員歓迎会が続く。今年のスピーチは「真面目が一番!」と言った矢沢永吉氏の話で行こうと思ってる。物事、真面目が一番だが、逆にいえば真面目に打ち込めるものに出会う(出会える)ことが肝心だ。しかし、誰もが胸を張ってこれだ!と言えるわけでもないだろう。悩み続ける人の方が多い。迷いながらそれを探す旅こそが人生だ。ま、たとえ見つからなくても真面目に探せば、結果的には旅そのものが微笑んでくれるはず、答えをくれるはずだ。

新人も、実は迎える先輩たちも悩みは尽きない、それが人生なのだ。真面目に悩んで大きくなる。ぶつかって乗り越えてひとつひとつ答えを探していく。そんなあなたに優しい春の雨が降る。さあ、月曜日、頑張って行きましょう。

2010年4月11日 (日)

白黒あります

日曜の昼、久しぶりにそばを食べに行く。実は会津はそばそばどころなのだ。信州、山形などには、知名度の点では負けるかもしれないが、味では決して負けない。それも、いわゆる田舎そばと呼ばれる黒いそば、更科そばと呼ばれる白いそば、そのどちらもある、というそば好きにはたまらない地区ともいえる。

白いそばは山都そば。山都町宮古地区、米のとれない山間地でのそばの歴史は古い。当たり前のようにそばを食べ誰もがそばを打った。地区の人々は特別なものとは思わなかったが、都会から来たお役人が振る舞われたそばの美味さに驚愕したというエピソード、真偽の程は分からないが美味いことは間違いない。30数年前から、山都そばのブランドでそばによる地域おこしが始まった。

宮古地区は地区全体で保健所の許可を得、一般民家の座敷でそばを食べることができるようになった。飯豊山の麓でかなりの山の中、霧の多いこの地区で採れるそばは超良質、伏流水もいい。田舎ながらも真っ白い上品なそば、そのミスマッチがまた話題となって評判が広まっていった。若松市内のお蕎麦屋さんはこの山都系の蕎麦屋が多い。

もう一方の黒いそばは、南会津尾瀬の入り口、桧枝岐村が中心だ。そばの殻も入れて挽くそばは黒く香り高い。打ち方も違う。丸く延し、布を裁つように一本一本切ることから裁ちそばとも呼ばれ、黒くコシがあり太い。そばはこれでなきゃ食った気しない、という田舎そば派も多い。

会津各地に蕎麦屋は多い。そば好きが高じて蕎麦屋を開いたなどと言う話は枚挙にいとまがない。大体、そば打ちは一家言を持ち、自分が一番、人の話を聞かない人が多い。自分の思いを突き通そうとすれば自分でやるしかなくなるのかもしれない。ま、それはそれで、食べる一方の我々にとっては、嬉しい楽しみな話だ。各地の蕎麦屋をめぐり、勝手に点数をつけ能書きを垂れたりする。そば好きの楽しみは尽きない。

そば好きのみなさん、ぜひ一度会津の白黒あるそばに会いにきてください。

2010年4月10日 (土)

んめぇもの 吉田の調理パン

うなぎのえびやさんの隣り、吉田菓子舗はその名の通り和菓子の老舗だ。「四道将軍」というお菓子や、季節の生菓子がズラリと並んでいるが、その前に昭和を感じるようなガラスケースがあり、パンがズラリと並んでいる。このパンが有名だ。最近流行りのちょっとおしゃれなパン屋さんのイメージとは全く違う、クラシックなパンの数々。

クリームパン、うぐいすパン、あんドーナツ、ジャムパンetc.ほかに、たまごサンド、コロッケサンド、ハムサンド、サラダサンドなどの調理パンが並ぶ。サンドといってもサンドウィッチではなくて、小ぶりのコッペパンに具をはさんだスタイル、パンはもちっと甘く、具はしっかり味が濃い。このバランスが絶妙、近くには官公庁があり昼時には行列ができる。

調理パンで120円~160円、女性で二つ、男性で三つ、ダイエット中は勿論一つという腹勘定だから高くない。たまごサンドが好きという声が多い。ゆで卵をマヨネーズであえてあるあれ、シンプルだが少々しょっぱい、それがまた甘いパンに合うのだ。コロッケパンももちろんソースがしっかりしみている。何を食べても、こういうのってありそうで無いよなぁ(無くなったよなぁ)と思う。

しょっ中ではないが。忘れた頃にむしょうに食べたくなる。きょうも春風に誘われて買ってきました、四つを我慢して三つ。牛乳もいいが紅茶が合うんだよなぁ。

布団を干して家中の空気入れ替え、今日の会津はシャツ一枚でとっても快適!これは開花も加速しそうです。

2010年4月 9日 (金)

孤高の一本桜

会津には五桜と言われる桜がある。薄墨桜(高田・伊佐須美神社)、虎の尾桜(高田・法用寺)、大鹿桜(猪苗代・磐椅神社)、杉の糸桜(坂下・薬王寺)、そして石部桜(若松・一箕)だ。それぞれに特長のある桜だがなんと言っても見事なのは石部桜だと私は思う。他の桜が寺や神社の境内にあるのに対し、石部桜は田んぼの中にまさに一本、孤高の佇まいを見せる。

この時期になると朝の散歩は石部桜へのご挨拶が定番ルートになる。六百年以上の老木だ。苔むした根がゴツゴツと盛り上がり、五本の太い枝に分かれている。根の先からはさらに三本の枝が伸び樹高11~12m、枝ぶりは20mにもなろうかと言う巨木だ。老木の根は、樹高の5~10倍にも広がるといから一面の田んぼの下には石部桜の根が伸びていることになる。

今朝の様子では開花はまだ先だ。ようやくつぼみに赤みがさして来た、あと10日はかかるかな。花はエドヒガンザクラという種類で、小さく薄い桜色で愛らしい。石部の名の由来は、芦名時代にここに石部ナントカという人のお屋敷があったそうな。開花の時期には観光バスもやってくる。その見事な立ち姿に誰もがため息を付く。

歳を重ねたものは桜でも敬意を払われる。しかし、政界ではボロクソだ。70になんなんとする老練の政治家が「たちあがれ日本」と叫べば、立ち枯れか?と茶化す。確かに今さらとは思うが、こうした状況の中、若い力が突出しない方が本当はおかしいのだ。国を憂う気持を小馬鹿にするのはあまり気持ちのいいものではない。でも、どうせ自らオヤジだと言うのなら「いかり新党」にして欲しかったなぁ。漂流する日本にアンカー(錨)を打ち込む、怒り心頭のオヤジギャグ、いかがでしょう?

『老木と呼びし人皆死に往けど 石部桜は今年もほころぶ』 

2010年4月 8日 (木)

下手の横好き事情

『下手の横好き』・・・私のゴルフほどこの言葉がぴったりの趣味はない。初めて十数年になるが、めったに百を切らない。いいホールもあるのだが18Hの中にはちゃんととっても悪いホールもある。何も考えない昔はアホほど飛んだが、飛距離を追い求めて大曲り萎縮病になり、結果ちっとも飛ばなく、おまけに真っ直ぐもいかなくなってしまった。とても同じ人間とは思えない。ま、腕の話はどうでもいい。

会津は雪国にもかかわらずゴルファーにとっては良い環境ではないかと思う。もちろん冬期間は出来ないが、厳冬期(2月頃)までは中通り(クルマ1時間程度)のゴルフ場は概ね可。厳冬期も那須、いわきのゴルフ場(クルマ1時間半~2時間)はOKだ。要は、ほぼ一年中出来ると言っていい。この冬はいわきや那須でも何日かクローズの日が出たが、こんな年は珍しい。

グリーンシーズンは会津若松市に名門・磐梯カントリー(18H)、河東ナリ(27H)があり、街なかから30分ほど、午後からのプレイも充分可能だ。猪苗代方面にもボナリなど良いゴルフ場がある。新潟方面もいろいろある。磐梯になぜ名門が付くかと言うと、昭和天皇が大正13年ハネムーンで猪苗代天鏡閣に滞在された際に、この地でゴルフを楽しんだとことに由る。ゴルフ場としてオープンしたのは昭和39年だが、名門にふさわしく工夫を凝らした18H、変化に富み何度回っても飽きる事はない。その磐梯カントリーも4月1日のオープンは雪が消えずにエイプリールフールになってしまったらしい。今週末あたりからようやく本格始動のようだ。

「ホールインワンの保険が切れますが、どうされますか?」と電話がかかってきた。どうされますか?って、あなたは必要ないですよね、って念押しされているような気もする。こういうのを典型的ひがみ根性と言うのだが、どうもそう聞こえた。

ちょっとムッと来たが翌日、穏やかな説明を受けた。損害賠償、ケガや用具の保険で言ってみればホールインワン&アルバトロスはおまけのようなもの。ゴルファー保険というのが正しい名称でした。ずっと入ってて今頃納得してどうすんだ!って話ですが、おまけの方を強調されるとどうもなぁ・・・一応、夢見てはいますがね。

2010年4月 7日 (水)

暁前から

『春眠暁を覚えず』というがすぐに暁を覚えてしまう。夜中に最低二度は起きる。典型的な中高年の症状だ。泥のように眠る、などというのは記憶の彼方、たまに5時間ぐらいノンストップで寝られるとすごく寝た気がして嬉しい。もっと寝てもいいんだよ、といわれても眠れない事の方が多く、昼間、寝ちゃダメな時に眠くなるから切ない。

寝れば蘇る、というのが睡眠の理想だ。どんなに疲れても寝れば元気がチャージされ満タンになる。そんな感じがなくなったのはいつ頃からだろうか?寝てもせいぜい5~6割程度しかチャージされない気がする。学生時代、四国・九州を旅し部屋に戻ったのが午後2時だった。一瞬ベッドに倒れこんでハッと気付いたらもう4時だった。それもすごく静かな午前4時、なんと14時間も死んだように眠っていた。あの気持ちよさは忘れられない。

睡眠は天賦の才だと思う。デキる人はまず睡眠が深く、良質だ。マイ・ボスは火事でも起こさないで、というぐらい眠りが深い。どんなに遅くまで飲んでも一気に回復するし、会議や講演会などでも眠そうなところさえ見たことがない。世に名を成した人物は、おそらく大半が睡眠上手だったに違いない。寝ているかクリアか、どちらかしかなければ仕事も相当にはかどるはずだ。

決まった時間に寝る。あまり酒を飲まない。食事は早めに済ませ寝る一時間前に風呂に入る。方法は分かってはいても、なかなかうまくいかない。第一、睡眠上手は、こんな事などまるで気にせず横になったら泥のように眠り、起きれば満タンチャージなのだ。実に羨ましい。

会津の春眠、今日も暁前から起きてます。

2010年4月 6日 (火)

んめぇもの・お店 グリッシーヌ

街角の小さなワインレストランがグリッシーヌ、開店して2年になるというが、ちゃんと名前を覚えるのに1年はかかった。なんどあそこ、あそこ、で済ませてきたか。

小さなレストランは、夫婦でやっている。旦那がホール、奥さんが厨房。旦那はソムリエの資格を持ち、胸に小さな勲章の様なバッジが光る。ワインのセレクトは確か、好みに合わないことはあってもスカに当たったことはない。

店の奥に小さなワイン部屋があり、箱の中や棚の上、寝かされたり、起こされたり、出番に備えてワインやシャンパンが並ぶ。ワインは寝せるものだとばかり思っていたが、開ける時間に合わせて起こしたりなんだり、微妙な調節があるものらしい。通が予約をすれば、数時間前にワインを開けてデキャンタに注ぎ…なんて微妙な調整もするようだ。

料理はフレンチ系、もっぱら奥さんだが全般なかなかいい味だ。非常に控えめな奥さんで「すべて主人の指導のもとで・・・」というが行くたびにメニューも工夫を凝らし、確実に腕が上がっているように思える。

夕方から食事ということもあるが、二次会で流れることもしばしば。酔っ払い具合に合わせて、お薦めのワインを注いでくれる。講釈は一通り聞くもののいつもの右から左に通り抜けるが、ワインの深い味わいはしっかりと舌にとどまる。

2010年4月 5日 (月)

それほど「老い」てはいませんが

自分の「老い」を実感するという事は、実はなかなか難しい。鏡を見れば愕然とするものの、常に自分の立ち振る舞いが見えるわけではない。足腰がテキパキと動かないにもかかわらず結構普通に動いているように思っている。スポーツなど若い頃のようには全く出来ないのにもかかわらず、なんだかそこそこ出来るような気がするのは、まんざら私だけでもないようだ。

TVを観ていて「あんなことは出来ないなぁ」とつぶやくと「誰もやれって言わないから大丈夫だ」と言い返されることがよくある。あれって「出来る出来ない以前の問題ですから!アホらしい!」ってことなんですよね、本当は。

『四十にして惑わず』とは言うものの、この情報過多の時代に、惑いっぱなしである。頭が相応に成長していないから自身の「老い」を正しく認知できないのかもしれない。もし20代の人がいきなり50代の身体になってしまったら狂ってしまうそうな。ゆっくり衰えてきているから受け止められるし、絶望もしないで済んでいる。それも「老い」というものの一面かもしれない。

明治の英雄の多くは、20代から30代に活躍し大事を成している。寿命の関係もあるだろうが、大きな事を成すのに「若さ」は重要な要素に違いないのだ。もう壊れた鳩時計のようなポッポ、ポッポ(詭弁)の繰り返しは聞きたくもない。でも、できるなら「老い」ではなく、「若さ」に希望を託したいというのも本音だ。

会津は朝から雨、行きつ戻りつの春の天気です。

2010年4月 4日 (日)

一気に進んでます!

新潟まで100キロ、快晴の春ドライブ、タイヤも履き替え爽快、ETC千円。会津平はすっかり雪が消えて枯れた黄金色だが、新潟平野に入ると田んぼや畑もうっすら緑色に染まっていた。新潟の春は一足早いようだ。

道中、山々の雪も一気に溶けだしている。ついこの前まで真っ白な三角だった磐梯山頂も汗が流れたように山肌がまだらになってきた。周りの山々もまだら、中腹より下に雪は見えない。そんな中「わしは動じんぞ!」とばかり真っ白けの大山塊がそびえ立つ。万年雪の山、飯豊山だ。ここだけ真っ白、対比の妙、まっこと美しい。

新潟万代シティから我が家まで、およそ1時間30分。ちょっとばかし飛ばしすぎたでしょうか?土産は加島屋の焼き漬け、これが好物で・・・。ご飯は我が同級生が作る絶品のコシヒカリ、会津と新潟のコンビネーション、これがたまりません。

春もクルマも食欲も渋滞することなく、一気に進んでいます!

2010年4月 3日 (土)

真面目にやってんの?

先日TVで、矢沢永吉が若者と語ると言う番組をやっていた。トップバッターが「今の矢沢さんを築いたものは何ですか?」と尋ねたら、永ちゃんは「矢沢永吉は真面目な男です。真面目が一番・・・」と答えた。ロックンロールと真面目、一見、水と油のようにも思えるが矢沢永吉と言う男の中で、いい感じに溶け合っている。

若い頃の永ちゃんを見た事がある。キャロルで鮮烈デビュー、京都会館の公演をバイトで手伝っていた。楽屋の通路で記者に囲まれた永ちゃんは、今の永ちゃんをカンナで削ったようにシャープで尖がっていた。「キャロルは絶対成功するよ、俺たちはビックになる!よろしく!!」そんなような事を、大げさな身振りと革ジャンで堂々と語っていた。

亀田兄弟のように乱暴ではなかったが、大勢の記者を相手にデビューしたばかりのロックンローラーが見得を切る様は新鮮だった。そしてその通りになった。翌夏、円山の野外ステージに立った頃にはキャロルはもう伝説的なバンドになっていた。あの頃から永ちゃんはずーっと真面目なロックンローラーだったんだ。

時間を越えて残るもの、人の心に響くものはすべからくひたむきな真面目さに裏打ちされている。

多少無茶振りだが、会津だって漫然と歴史と伝統という冠の上にあぐらをかいているだけでは、ぽろぽろと時間に風化し、やがて全てが剥がれ落ちて消えていってしまうだけだろう。

「おまえ本当に真面目にやってんの?」還暦を迎えた永ちゃんの言葉がなんだか自分に向けられたようにチクリと胸に突き刺さった。

2010年4月 2日 (金)

城と桜とお神輿と

会津の桜はまだ咲かない。つぼみに赤みも射してはいない。2週間もしたら咲くのだろうか?今朝も冷たい雨が降っている。会津若松市の桜といえばやはりなんと言っても鶴ヶ城だろう。数千本の桜が咲き誇り見飽きる事がない、古い石垣と桜の古木がみせる風景はまさに一幅の絵だ。なんとも言われぬ味わいがある。

そのお城で「エイサー、エイサー」と祭り神輿を担ぎたいと始まったのが「鶴ヶ城さくら祭り」だ。今年でなんと26回目になると言う。まさに継続は力なり、会津の神輿もすっかり板に付き、違和感がなくなった。

違和感と言うのは、もともと会津には三社祭のような威勢のいい祭り神輿はなかったからだ。こどもの頃、町内のお祭りでは、神輿ではなく山車を引いた。「ヤーッコ、ヤレ、ヤレ!」の掛け声でお囃子の乗った山車を引いてまちを練り歩いた。「ワッセ、ワッセ」の神輿に比べれば若干大人しいのが会津の祭りだった。

さくら祭りの祭主をつとめるS氏が、祭り好きを集め神輿を担ぎ始めたのは、もう30年近く前になる。威勢のいい掛け声、その熱狂と興奮に多くの人がとりこになった。祭り好きの輪はじわじわと広がり、遂に本丸での神輿を実現させたのだ。さくら満開のお城、それも本丸内で存分に神輿を担げると言うのは全国的にも珍しいという。今では全国各地から多くの神輿が集う春の風物詩となった。

先日、雪の夜のショットバーで偶然、祭主のS氏と出会った。相当な久しぶり。よくぞここま続きましたね、と感心したら。「バカがいないとまちもつまんねぇよ!」と、抜けない江戸弁で血色のいい頭をつるりとなでた。

今年のさくら祭りは17日、18日に行なわれる。

   

2010年4月 1日 (木)

会って合う

いよいよ新年度だ。新入職員の辞令交付式が行われた。誰もが期待に胸を膨らませている。この日の緊張と感激、まっすぐな気持ち、今日の感動はエイプリールフールじゃないからね、決して忘れないように。

会津の名の起こりは、神話の中の出会いの物語に由来するという。まさに出会いの地なのだ。会う、合う、逢う、遇う・・・不慮の出来事に襲われる「遭う」だけはご勘弁願いたい。人の縁は不思議なもの、人との出会いが人生を形作っていく。この出会いはあらかじめ決められた運命なのだろうか?

こんな一節がある。『神様の地図はすでに描かれている。でも、すごろくゲームのようにところどころに関門があって、その分岐点をどう乗り越えるかでその人の人生が変わっていくんだ』なるほどのような、なるほどでないような・・・。

四月は新しい出会いにあふれている。その出会いを「会い」だけで終わらせないで「合う」にまで進めることだ。語り合う、認め合う、信じ合う、ふれ合う、そんな風に仲間を作り、友を作ればいい。誰だって一人では生きてはいけない。会って合うことで、きっと毎日が豊かになる。仕事も勉強も遊びも本気で!

見つめ合う、ときめき合う、愛し合う・・・そんな合うもまたいいだろう。四月の会津は「会って合う」みなさんにきっと優しいはずだ。

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