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2010年3月

2010年3月31日 (水)

赤べこの春

会津を代表する郷土玩具「赤べこ」。べことは牛の事、真っ赤な張子の牛がゆらゆらと首を揺らす。その昔、会津柳津町の円蔵寺・福満虚空蔵尊の難工事の際にどこからともなく現われ獅子奮迅の働きをした謎の赤牛、牛が獅子というのもおかしいが、あまりの凄さに伝説となり玩具となったと伝わる。

その後、天然痘が流行った折りに赤べこを贈られたこどもが助かったとも伝えられ、こどもの守り神、子育ての縁起物にもなっている。出産祝いに赤べこを添えるのは理にかなっているのだ。首を振る姿は誠に癒し系、変わらぬ会津土産の代表選手だ。

近頃、観光会津のマスコットとして様々なところで使われている「あかべえ」は、この赤べこをさらにキャラクター化したもの。ワンちゃんにも見えるところが微妙だが、このところすっかり定着してきた感がある。まちなかを走る周遊バスあかべえ、JRの快速車両にも描かれ、いろんなあかべえグッズが作られ、セブンイレブンでも売られている。

ぽん、と頭をたたくとゆらゆらと首を揺らす赤べこ。ゆるやかでおだやかな首の動きは、あたたかな春の陽射しによく似合う。見ているだけでなんだか眠くなってくる・・・さあ、明日から四月、会津観光も本格的な幕開けを迎える季節だ。

2010年3月30日 (火)

こどもの時間、大人の時間

4月を前に会津は氷点下3度、雪、ちょっと気持ちも萎える。積もった雪の上をこどもたちが元気に駆け出していった。

こどもはなんでも嬉しい。教室から見つめる鉛色の空、厚い雲が剥がれたように雪が落ちてきた。「あっ!雪だ!!」授業中なのに見つけたこどもが叫ぶ。「あ、雪だ!雪だ!」その年の初雪に誰もが歓声を上げた。先生が窓を開ける。「雪だ!雪が降ってきた!」なんで毎年降る初雪があんなに嬉しかったのだろう?

大人は過去の冬を思ってため息をつく。こどもは新しい冬に心をときめかす。こどもは過去を振り返らない。目の前の新しい時間に全霊で立ち向かっていく。こどもの頃、一日がものすごく長かった。一年などまるで先の見えない長さに思えた。ただ、長くても少しも飽きる事はなかった。それは一秒一秒が未知の時間だったからだろう。

大人の時間は短い。それも歳を重ねるごとに加速度的に短くなって行くように思える。ひと月なんてあっという間、一年なんてあっ×12ぐらいの間だ。もちろんその一秒一秒は決して戻らない貴重な時間だ。だが未知ではない。一瞬先は闇とは言うけれども、大体は分かって生きているのが大人と言うものだ。今日、明日、明後日、過ごすその時々は長いけれども、過ぎ去れば『経験』という箱の中に一瞬として折りたたまれてしまう。

こどもの箱は空っぽだ。だから、こどもは常にときめいている。行きたいところへまっすぐに走る。寝るまで起きている。すぐ泣いて笑う・・・こどもは素晴らしい。

こども達の声が響き渡る街、会津若松がそんな街になればいいなと思う。

2010年3月29日 (月)

ストローを吸いましょう

花冷えと言いたいところだが、まだ何の花も咲いていないので春寒とでも言うのだろうか?早朝ウォーキングと勇んで起き出したがなんと雪、すっかり気持ちが萎えた。週末から寒い。日曜日の市内活性化イベント、みんな震えていた。

百貨店の閉店を受けて、テナントを神明通り周辺の空き店舗に分散して活性化を狙う。また、大町四つ角周辺の古い建物を活かしカフェなど新たな見所が造られた。オープンイベントでは会津の農産品を活かしたアグリカフェや手作り市、会津のスウィーツを集めたフェアなど、時機を見たイベントも併催され、寒空の下、中心部は大いに賑わいを見せた。

大町四つ角と言えば市の真ん中だが、地図の基点でもある。会津若松市まで何キロと言う基点はクランク状にずれたこの四つ角にある。昔、会津から五街道が伸びていた。白河、二本松、越後、下野、米沢の五街道。現在の主要幹線もその街道をなぞるように中通り、栃木、新潟、山形と会津を結んでおり、交通は非常に便利になった。

道路一本で地域は変わる。入りもすれば出もする。地方都市の多くは道路の便利さと引き換えに都市部にパワーを吸い取られ、滞在地から通過点に成り下がる、というストロー化現象に悩まされる。とはいえストローなのだから負けずに吸えばいいわけだ。その吸い込む力を、まちづくり会津や商工会議所、市や各商店街、農協などが力を合わせ懸命に探っているといえるだろう。

イベントのぶらり歩きは楽しかった。農力、味力、文化力、会津の底力はまだまだ捨てたものではない。

2010年3月28日 (日)

歩くということ

たまに散歩する程度でエラそうには言えないが、歩くということは考える時間でもあると思う。歩くといろいろなことを考える。足の裏が刺激されるので、脳は寝っ転がった状態よりは活性化されているのだろう、さすがに歩きながら寝てしまったことはにない。つくづく思うのは、昔の人は、この歩くという行為の中で実に様々なことを考えたんだろうなぁ、ということだ。

人気の坂本龍馬も猛烈に歩いた人だ。33年の生涯で高知、江戸、京都、鹿児島、長崎など日本中を駆け巡った。駆け巡ったというと、どうも福山君が飛行機や新幹線に乗っている姿を思い浮かべてしまうが、ひたすら歩いたんだからすごい。船も多用しただろうが、相当な距離を自らの足で歩き、考え抜いたに違いない。

吉田松陰も自らの見識を広げようと奥州を歩いた。会津にも訪れている。多くの人物に会い、論を戦わせ深く深く考え抜く。歩くことは移動手段であるとともに大切な熟考の時間だったのだろう。『百術は一誠に如かず』・・・まっすぐに歩く姿勢のいい後ろ姿が見えるようだ。

さて、龍馬本日いよいよ脱藩。学生時代、龍馬に入れ込み土佐を旅した。四国山脈を越えたとき、決して標高は高くないがその急峻なことに驚いたのを思い出す。この急な山を越え、龍馬は歩いて、歩いて、歩いて、大いなる自由人として歴史を動かしていったのだ、と思うと一人興奮した。

さて、ヒマな日曜、春底冷えの会津です。たまにはまちなかでも散歩してきますかね。

2010年3月27日 (土)

茶髪になるのね

今年は鶴ヶ城天守閣の大修理がおこなわれるそうだ。外壁をきれいにして屋根瓦をすべて吹き替えて往時の姿により近付けるという。鶴ヶ城の天守閣は現在、黒いっぽい瓦だが、出土品などを見ると、もともとは赤瓦が使われていたらしい。その頃の姿に戻すのだという。

こうした一連の記事を読むと素朴な疑問がわいてくる。では、なぜ再建当初から赤瓦にしなかったのだろう?天守閣を復元するという大事業だ。当然、調査を重ね、往時の姿を再現しようとするのが当たり前だと思うのだが、なぜそもそも本来の赤ではなく、黒にしたのか?それが不思議だ。案外、「黒の方がかっこいいと思ったのよね」というような超単純な理由だったりするものだ。その辺をぜひ教えてほしい。

これから天守閣は足場で囲われて見えなくなるらしい。間もなく始まるのお花見の時期をできる限り避けて工事は進められるそうだ。せっかく来たのに天守閣が見えない!とがっかりする観光客のためには、普段は拝めない鯱鉾を間近に見てもらったり、閣内の展示物に工夫を凝らすという。

この工事が終われば一段と会津観光の魅力が増す!と市長さんは嬉しそうにインタビューに応えていた。完成予想図を見る限り、今までのお城よりも優しい表情になるように思える。ちょうど真っ黒の髪を茶髪に染める感じかなぁ・・・ただし、似合わないからって染め直しは利きませんけどね。

2010年3月26日 (金)

飯盛山のすごい奴

白虎隊士の墓がある飯盛山、その石段は何段あるかご存知だろうか?なんて、偉そうに言ってますが、今朝、初めてちゃんと数えてみました。道路から上の広場まで188段、思えば今年初登り、もう、雪はまったくありません。

まだ少ないが、四月にもなると飯盛参道の朝は結構な人だ。石段登りに励む人も多い。私の場合、1回かせいぜい2回、それも週に1、2回だが、間もなくすごい人が現れる。彼は一回登るごとに地面に正の字を書いていく、それがいつも4つだ。20回って事でしょう?それも毎朝平気な顔で。あの人は一体何をしている人なのか?いくらなんでも朝っぱらから運動しすぎでしょう?と余計な心配が先に立つ。

きっとレスキュー隊員か、体育の先生じゃないかと当たりをつけているが、当然尋ねた事はない。「おはようございます!」とハチマキ巻いていつも元気だ。こっちは1回でもう息が上がっているというのに、ずらり並んだ正の字を見ると、なぜか小さくなってしまう。

登って眺める会津若松市の朝は穏やかだ。山腹の広場には自刃した白虎隊19士の墓がある。近くに他の隊士31名もあわせて祀られている。誰もがここで手を合わせる。世界平和、日本の平和、会津の平和、組織の安寧、家内安全、そして祈っても仕方がないが脱・メタボ!

どう考えても祈るより食うな、って話です。

2010年3月25日 (木)

無尽おそるべし

会津は無尽の盛んな地域だ。西の方ではたのもし講などという。もともとは庶民金融の寄り合いだったが、今では本来の金融的要素はほとんどなく、仲間同志の積み立や、ゴルフ、旅行無尽などが盛んだ。要は月に一度仲間が集まっての酒飲み会と思っていい。この無尽を通して人脈も広がるし、情報交換も盛んに行なわれる。多い人になると月に10本以上も無尽に出ていると聞く。

街の噂は無尽を通して一気に広がる。ちょっとしたスクープも一晩たてば周知の事実となる。無尽の情報伝播力は侮れない。ネットやメールよりも酒の勢いが乗った分、尾ひれも付もついて「知ってっかよー」「んだがらー」「うー、やんだごど!」と燎原の炎のように一晩でメラメラと多少大げさに燃え広がる。まさに無尽おそるべしだ。

女性だけのお酒を飲まないお食事無尽などと言うのもある。無尽によって会津の飲食店は恩恵を受けている。多くの無尽宿になれば収入の安定化が図れるという塩梅だ。だが近年、若い人の無尽は少ないという、無尽も将来は消えゆく庶民の文化なのかもしれない。

何十年も続く無尽も決して珍しくない。メンバーは気心の知れた半ば兄弟のようなものだ。歳を取れば病気の話ばかり。相手よりもちょっと血糖値が低いだけで優越感に浸り「おめの葬式の時は、俺が弔辞を読むしかねえなぁ」などとバカ話が弾む。今夜も無尽、明後日も・・・その内、花見や歓送迎会がはさまってお酒の切れ目がなくなっていく。

2010年3月24日 (水)

こづゆという煮肴

会津の代表的な郷土料理に「こづゆ」がある。冠婚葬祭や祝いの席には必ず出されるおつゆだ。貝柱たっぷりのダシ汁で、里芋、にんじん、シイタケ、糸こんにゃく、きくらげ、豆麩などを煮込む、具沢山の汁で底の浅いこづゆ椀によそって出される。とても田舎料理とは呼べない上品な味わいの一品だ。

会津の人間なら知らない人はいない料理だが、私の家では「こづゆ」ではなく「にざかな」と呼んでいた。「こづゆ」と「にざかな」が同じものだと知ったのは大人になってからだ。三つ子の魂は強力なもので、なかなか「こづゆ」には馴染めなかったが、今では「にざかな」は敗れ去り、「こづゆ」がその座を不動のものにしている。

昔、宴会のお膳はほとんど食べずに家に持ち帰るものだったという。食べるのは汁物ぐらい、お膳には手を付けずに汁椀を肴に酒を飲んだ、だから「にざかな=煮肴」、納得の行くネーミングだ。いろいろ聞いてみると、どうも若松市内でも中心部で「煮肴」だったようだ。

お膳には手をつけないので、「こづゆ」だけは何杯お代わりしてもOK、何杯食べてもはしたないとは言われない、と言う暗黙の了解があったという。大きな鍋にたっぷり作られた「こづゆ」が目に浮かぶ。

今では、食中毒などの問題もあり、お膳のお持ち帰りはお断りと言う店もある。したがってお店では「こづゆ」もお代わり自由と言うわけにはいかない。つい昔のクセで「こづゆお代わりできる?」と聞くと、決まって嫌な顔をされる。そんな事聞く人初めてだわ!見たいな顔をされるとムッとくるが、お膳ペロリの上、何杯もお代わりされたんじゃ確かにたまったもんじゃないですわな。

2010年3月23日 (火)

光ってください

連休に山形の銀山温泉に行ってきた。川沿いに古い木造三階建ての旅館が並ぶ情緒溢れる風景は、まるで別世界に迷い込んだようだった。クルマも通らない細い道、大きな荷物は手押し車で運ぶ。よくぞ深い山あいにこんな建物、景観が残ったものだと感心した。狭い温泉街は観光客であふれていた。この景観が守られる限り人気は不動のものだろう。

それにしても優れた景観を後世に残す事がどれだけ大きな地域資源になることか、改めて思った。近年、会津の観光地で断トツの一番人気は「大内宿」だ。一時は寂れた村の景観が今は多くの人々のロマンを駆り立てている。まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような異空間、大内宿もまた景観を守り通した人々の想いが光を放った、大いなる宝といえるだろう。

そこに行かなければ見ることの出来ない風景、味わえない味、体験できない感動・・・そうした宝を守り育てる事こそが、観光振興の唯一無二の方策なのだろうと思う。不況、不況とはいえ日本の底力はまだまだある。そこでしか会えないものにはちゃんと人は集まってくる。

新聞によれば昨年会津の観光客は13万人増加したそうだ。どこにでもあるようなどこかではなく、ここにしかない会津、それを守り育て、しっかり磨き上げていけばきっともっと多くの人々が会津に会いに来るはずだ。

よく言われる言葉だが、観光とはその地域の光を観ること。光っているのが集魚灯のような薄っぺらな光ではなくて、地域自らが放つ本物の光であること、それが大事なんですな。

2010年3月22日 (月)

根拠はありませんが

昨日、仙台のアーケードでロンブーのロケに出くわした。全国各地で一般の女性の中から原石を探し、宝石に変身させてスタジオに連れてくるというあれだ。黒山の人だかりにも驚いたが、タレントの顔色の悪さと小柄なのにも驚いた。

私が言ったわけではないので怒られても困るが「仙台ブス」とはよく聞く言葉、なんとなく実感はある。結構派手な人も多いが、あと一息で残念というような方を多く見かける気がする。(私だけかもしれないゴメンナサイ)で、仙台でのロケは大変だろうなと余計な心配をした。

「会津美人」ともいうが、これはよくある身内をよいしょのレベルで、「秋田美人」のように色白で目鼻立ちが良い美人が確かに多い、と全国的に認知されたものではない。会津美人はさておき、私のこれまでの経験からして会津高田には顔立ちの整った女性が多い、と勝手に思っている。

それもおかめ形のぽっちゃり美人ではなく、私オスカルです、みたいなシュッとした顔立ちの美形が多いように思うのだ。もちろん何の根拠もない。酔っ払って何度かこの説を披露したことがあるが、そう言われれば…という人は若干いたが、もろ手を挙げて賛意を示す人はあまりいないのできっと私一人が勝手に思っているだけなんでしょう、高田美人。

ちなみに妻は会津高田とは縁もゆかりもない。

2010年3月21日 (日)

んめぇもの・お店 居酒屋「北の酒林」

出たー、名物「手羽焼き」!あのくの字に曲がった私手羽です、みたいな手羽焼きとは違う。一本一本ブツッと切って開いて串を打って焼く、たっぷりの黒コショウ「ワー、それじゃ辛いべした」と思うが、そんなことはない。食べやすいばかりでなく、手羽を内側から食べる感じになるわけで、食感も違うし、トリトリしたの苦手です、という人にもお薦め、美味い。

居酒屋なのに「ピザ」もうまい。ピザ窯でパリパリというのではなく、手作り感たっぷり具だくさんパン生地のピザだ。ビールにも焼酎にも合う。「もちっこミート」なるオリジナルメニューもファンです。鉄板の上に餅を敷き特製ミートソースを乗せて焼く、トロットして餅好きにはたまらない。

もちろん定番の焼き鳥も揃う。日本酒は会津清酒中心にズラリ、芋焼酎の数も多い。女性向けのなんたらサワーも多く、ワインまである。マスターはお燗名人講座でもらった温度計使用で燗をつけるが、意外とこれが熱燗、ぬる燗安定していいのです。普段いかに適当に飲んでいるかが、よくわかる。ま、初めのうちだけですけど。

月に1,2は行く我が家の晩飯処だ。中央通りの駅近く。上町には姉妹店「上酒林」がある。ちなみに酒林とは、造り酒屋の前に下がるまあるい杉の玉のこと。新酒の仕込みの頃に青々とした玉が下げられ、ひと夏を越えて熟成し、新酒販売となる酒正月(10月1日)の頃にはまっ茶色になる、あの玉です。

2010年3月20日 (土)

白い三角

すっかり雪の消えた街の建物の間から、春の陽を浴びた真っ白な三角が見える。会津磐梯山だ。この時期、建物や低山の向こうに見える磐梯山は真っ白な三角だ。もう少し季節が進めば山肌はまだらになる。雪の消えた町並み+真っ白な三角+春の青空という三段重ねは今しか見られない。

昨日、とある駐車場で聞いた言葉。「ほぅー、磐梯山が真っ白だ、見事だなぁー」「あらー、真っ白できれいだことー」と言われて改めて気付いた、春のコントラストだ。

ちなみに磐梯山はどこから見るのが一番美しいか?これはもう会津に住む人にとっては千差万別に違いない。朝日を浴びた磐梯、夕日に染まる磐梯、その立ち姿も角度によって微妙に変化し、好みもいろいろだ。私の場合、中学校の恩師のT先生が「高田駅のホームから見た磐梯山の姿が一番!」と言い切ったので、どうもそういうもんだと刷り込みが入ってしまっている。

朝な夕な、会津の人々は見るともなく磐梯山を眺め暮らしている。そんな中に忘れられない思い出の一瞬が生まれる。パシャ!心のシャッターが切れた時、見慣れた風景がふるさとになる・・・なんてね、今日はなんと19℃まで上がるとか、磐梯山が笑っています。

2010年3月19日 (金)

早く二泣き目に!

歓送迎会の季節だ。この時期になると「会津の三泣き」と言う言葉がよく言われる。会津に来た人は初めは会津の人のとっつきにくさに泣かされて一泣きする、やがて心が通じ合い厚い人情に触れて二泣き、そして去る時には別れが辛く三泣き、となる。会津人の気質を表した言葉だ。一泣き目には、雪や寒さが加わるなどの説もある。

一泣き目のとっつきの悪さは会津人ならではかもしれない。別に人が悪いわけではないのだが、総じてシャイで人見知りだ。「まいど!」と、いきなり十年来の知己のようにふるまう事はなかなか出来ない。どうしても慣れるのに時間がかかる。この初めとのギャップが大きいからこそ二泣きが際立つのだろう。

送別会の涙、引っ越してきた心細さに震える涙、一泣き目と三泣き目が今の季節に交錯する。二泣き目が生まれるのは、五月病も乗り越えてやっと会津になれた夏の頃だろうか・・・。この春、会津にやってきた人が出来るだけ早く二泣き目に出会えるように祈りたいものだ。

蛇足: 「初めて会った時はすごく怖い人だと思いました」これは、私がよく言われる言葉だ。これについては会津人気質というだけではなく、見た目にかなりの問題があるということは充分に自覚している。が、直しようが無いのも事実なのでよろしくお願いしたい。

2010年3月18日 (木)

春を連れてくる人

トーヒャレ、ドン、ドン、トーヒャレ、街角に彼岸獅子の笛太鼓が響き渡ると心の底から春を感じる。今日は彼岸の入り、暑さ寒さも彼岸までとはいうものの朝から雪がチラついる。

彼岸獅子は立ち踊りの三匹獅子舞、会津若松市周辺の村々に伝統の獅子団があり、春のお彼岸になると会津若松市内の商店を角付けして歩く。赤枝、小松、天寧、滝沢など、獅子団によって衣装も獅子頭も舞いも微妙に異なる。

黒光りするカラスの羽(ではなかったようです。コメント参照まで)をたてがみに、大きな目玉を光らせた精悍な獅子は春の陽光が実に良く似合う。漆塗りの獅子頭、その漆黒の目玉に春の光が反射する。踊り手が頭の上にかぶっているのだが、幼い瞳にはまるで獅子が生きているように写った。町内に来た獅子舞いを子どもたちはどこまでも追いかけていったものだ。

舞いにもいくつか種類がある。おかめと舞うものや、棒つかみ、弓くぐりなど、心付けの額によって、よりエキサイティングな舞いになる。最高は弓くぐりだろう。糸の張られた弓の間を獅子がくぐり抜ける、それだけだが舞いは感動的だ。

あんなに強そうな顔をしながら、何度も何度も躊躇し、迷い、弓をくぐれない獅子、その戸惑いは実に人間臭い。充分に時間をかけ、やがて意を決して弓に向かって飛び込んでいく獅子、くぐりぬけた時には大きな歓声が上がる。

長く冷たい冬を耐えて、迷いを吹っ切る春へのジャンプだ、トーヒャレ、ドン、ドン!

『前垂れを上げて一服獅子の人』

2010年3月17日 (水)

とう道をくぐる

NTTの地下、会津若松市のど真ん中にとう道という長ーいトンネルが通っている。(まったく知りませんでしたが)そのトンネルを見学させてもらった。市役所前のNTTビルから地下へおよそ20m、南北におよそ500m、ケーブルの束が走るトンネルの中はまるで映画の世界のよう、蛍光灯に照らされた直径2.5mほどの穴が長く伸びている。

この真上が「鰻のえびや」さん、あの先が「山田ダンゴ屋」さんの辺りですね。と言われれば市内の人なら位置関係がよく分かるに違いない。

ところどころから水が沁みていて、白く小さな氷柱のようなものが垂れている。石灰質が溜まったのだろう、まるで鍾乳洞みたいだ。真ん中辺りで「そのまま動かないで」と言われて、灯りを消された。これはもう本当に真っ暗、あまりの暗さに一瞬上下左右が分からなくなるような感じがした。

トンネルと言って会津で有名なのは、やはり飯盛山の洞門だろう。猪苗代湖の水が戸の口堰を通り、人の背丈ほどの洞門をくぐって飯盛山の山腹に流れ出ている。この洞門を140年ほど前に白虎隊士たちがくぐり抜けて来た。隊長とはぐれ、夜通しさまよった少年たちはとにかく城下を目指して洞門をくぐった。疲労困憊の彼らが飯盛山の山頂から見たものは、炎に囲まれた鶴ヶ城の姿だった・・・この有名な悲劇、自刃する前にくぐり抜けて来た洞門の闇、水の冷たさを思うと、なお一層少年たちが哀れだ。

市の中心部の地下深く、光ケーブルの束の走るとう道。「とう道の(とう)とはどういう字ですか?」「洞門の洞ですよ」と言われたとたん、条件反射のようにその白虎隊を思い出していた。

2010年3月16日 (火)

不屈の都市・会津若松

新入職員の面接があった。当たり前だが、みんなものすごく緊張している。倒れるんじゃないかと思う人もいる。何度も練習してきたんだろう、志望動機を朗々と話し出すが、一箇所詰まったとたんに後がまったく続かなくなる。血が止まりそうなくらいに手を握り締めても・・・あとが出てこない、パニックだ。真剣さが分かるだけに気の毒になってしまう。

中にはポロリと涙のこぼれてしまう人もいる。本人も辛いだろうが面接官のこちらも結構傷つく。「彼岸獅子のように見えたんだわきっと」と、家人にからかわれる。出来るだけ優しく話しているつもりなのだが、可哀想に震えてます。

不況もあってか県内外から結構の数が受験する。前日はホテルで緊張しまくり、一日がかりの試験で振るい落とされた日には、会津の印象もさぞ悪かろうなぁ、と余計な心配までしてしまう。

辛いですが選抜試験、相性も縁もあります。しかし、躓いたからと言って君は決して敗者ではない、まだ成功を手にしていないだけの挑戦者だ。こじつけて言うなら会津若松は戊辰の戦火から蘇った「不屈の都市」です。君もその不屈の精神で頑張れー!すねたら負けよ、ですぞ。

嗚呼、こんなに先日の面接が気になるのは、来年、就職試験を受けるであろう息子の事が重なるからかしら。

2010年3月15日 (月)

勉強しすぎの宿

ユニークな温泉宿が会津柳津町にある。「花ホテル滝のや」さん。小さな宿だが、地域文化の重要な発信地になっている。勉強するのはお値段ではない。いろいろな人が集まって、いろんなことを本当に勉強しているのだ。

花ホテル講演会という小さな講演会を月に4回のペースで開催している。その回数は200回を越えていると言うから驚きだ。社長の塩田さんの人脈で県内外から大学教授や会社経営者など様々な講師が訪れる。

地域文化論、IT論、ロボットや金融などテーマは多種彩彩。大体は夜の7時から9時半という時間に行なわれ、インターネットでもその模様を見ることが出来る。時に議論は白熱し、そのまま飲み会になだれ込むことも少なくないとか。

講演会は当然ながら講演する人とそれを聞く人で成り立つ。これだけのペースで、講師もさることながら、成立するだけの聴衆が会津柳津町に集まるという事実にも驚かされる。それも嬉しい驚きと言って良いだろう。好奇心、向学心にあふれ、会津と言う地域の好きな人間がそれだけ数多くいるということの証明に他ならないと思う。

興味のある方は「花ホテル滝のや」で検索してみてください。会津柳津温泉の宿です。

2010年3月14日 (日)

おひな祭りで点数アップ?

今日はホワイトデーだ。バレンタインデーも同じ日曜日、義理チョコ組には少々面倒くさい曜日だ。前倒しの金曜日にもらったり、一日遅れの月曜日に渡したり。

バレンタインのお返しなら3月3日のおひな祭りに渡した方がいいんじゃないかと思う。どんなにお年を召しても女性にとっておひな祭りは特別だ。たとえ義理返しでもその日に、プレゼントをもらった方が嬉しいのではないだろうか?ま、もっともそれでは何もない日に需要を喚起するというお菓子業界の思惑とは外れてしまう。

そんなわけで私は、おひな祭りにお返をした。おひな祭りの和菓子、餡子の入ったお内裏様とお雛様のかわいらしい生菓子で「おひな祭りおめでとう」と言って渡すと、なぜか年齢が高いほど驚いて喜ぶ。どう考えてもこっちの方が点数が高いような気がする。

元・市民会館前の通りにある吉田菓子舗さん。会津でも数少なくなった和菓子を作るお菓子屋さんだ。店には手作りの季節の和菓子が並んでいる。色鮮やかで細やかな細工を凝らした和菓子を見ると、懐かしいような気分になる。ここは和菓子もさることながら、なぜか調理パンが有名だ。吉田菓子舗の素朴な調理パン、これはまたいずれ「んめぇもの」でご紹介したい。

本日晴天、三月も半ば、もう冬へは逆戻りしたくはない会津の春です。

2010年3月13日 (土)

芋煮会はないでしょう

コピーライターの糸井重里氏の「ほぼ日イトイ新聞」、楽しみに読ませてもらっている。そこで先日「ほぼ日芋煮会」なる企画が始まった。1月の都内某所で芋煮会をやるというレポートだ。季節はずれは分かっていますが・・・と断ってあったものの、でもやっぱりそれは違うでしょう!と声をあげてしまった。

芋煮会とは芋煮を作ってみんなで楽しむことではなく、野外で芋煮を作って秋を楽しむ行事のことだと私は思っていたからだ。「季節外れのすき焼きパーティ」はあっても「季節外れのクリスマス」や「季節外れのお正月」なんてのがないように、秋以外に芋煮会が成立するとは思えない。うるさいことを言えば「芋煮を食べる会」は季節はずれでもできるが、「芋煮会」は出来ないと思うのだけれども・・・賛同者がいるか不安です。

芋煮会をやらない地方の人からすれば、バーベキューやカレーパーティなどと同じようなものだけれども、秋に芋煮会をやる人々にとっては大切な秋の季語なんだと思う。

季節の行事には風景がくっついている。私の「芋煮会」には、会津の秋の高い青空やほうきではいた様な雲、河原や湖畔などなぜか水辺の風景がくっついている。真っ白な雪景色の中で燃えるから歳の神(どんと焼きの様なもの)なのであって、真夏ではただのたき火と変わらないのと、同じだ。

思い出にくっついた風景、それは故郷への郷愁・・・そして故郷への愛着になっていくのではないのかなぁ。

都内某所で1月に「芋煮会」は出来ない!会津の人は頑固だから、やっぱそう言ってしまうのなし。

2010年3月12日 (金)

朝が生まれる

春はあけぼの・・・と申します。今朝、今年初のウォーキングをしてなるほどと思った。5時半前、まだ薄暗い中を出発、まさに朝が生まれるその中を歩いた。間もなく東の空が白みはじめ、太陽のある辺りの山際がひときわ強い光を放ってくる。紫立ちたる雲はたなびいてはいなかったけれど、見る見る空が生命感あふれる輝きに変わっていく。美しい朝の誕生だ。

清少納言さんの時代、この朝の誕生を見ようと思えば外に出たのだろう。アルミ戸やガラス窓もないから、木戸を開け放つか、外に出て佇む。もう、それだけで春だ。寒さに震えた冬を越え、あけぼの空を眺められるだけの季節になった。ああ、春の朝は格別だと言う事になる、ごもっともです。

ちなみに冬は早朝と言っているが、冬の早朝は、実は春のあけぼのよりもずっと遅い。積もった雪の白さと、空の白さが同じぐらいに明けた冬の早朝。寒さの中、赤く熾きた炭は格別だ・・・なんか清少納言さんと気が合うなぁ。きっといい女だったに違いない。

さて会津のあけぼの。東山温泉のその奥のV字谷の切れ込み辺りから明るさが増してくる。高くに背あぶり山、手前には低い慶山の山々、木々には霜が降りて細かい枝が針のようだ。歩くごとに朝の光は強さを増し、歩く息は上がる。

雪も消えて第1回目のウォーキング、この美しい朝の中で、感動と共にかなりの運動不足も自覚することとなった。

2010年3月11日 (木)

怒られたって困ります

佐渡の朱鷺がイタチかテンのような小動物に襲われて死んでしまったとか。国を挙げたプロジェクトで保護しているのにそんな事ってあるんだ、と驚いた。小動物にしてみれば、朱鷺を狙ったわけでもなく、本能の赴くままに襲ったのがたまたま朱鷺だったわけで、「そんな大それた事をしようなんて気はサラサラありませんで、実はあっしも驚きました・・・」ってところだろう。

こうした小動物は会津にも結構いる。イタチは見たことがあるし、子どもが小さい頃、家の庭に親子の狸が来たこともあった。リスもいるし、大動物の熊の出没もある。

近頃、驚いたのは、街のど真ん中の料亭でハクビシンの大捕り物があった事。天井裏のワナにかかったハクビシンが大暴れ、ワナを外せるのは専門業者で、遠くから向かってますと言う話。およそ2時間、暴れるハクビシンの啼き声を聞きながらの酒宴は、どうにも盛り上がらなかった。お詫びでもないのだろうけれど、檻に入れられたハクビシンを見せてくれた。鼻筋に白い線が入り、まさに白鼻芯。ふるまいはかなり強暴だ。こんなのが市内の空き家などに住み着いて、結構快適にまちなか暮らしを楽しんでいるらしいから、コワイ。

会津も佐渡も自然は豊かだ。ゆえにいろんな生き物が生息している。彼らは彼らなりに生きているわけで「怒られたって困ります」と言うのが本音だろう。

「穴は掘るし、入り込むし、時には襲いかかります、そんな奴なんでそこんとこよろしく!」と言われれば「ハイ、気をつけます」と言うしかない。気をつけながら共存していく、それがやっぱり自然でしょう。

2010年3月10日 (水)

上手に脱がして

思わぬ春の嵐、会津がまた真っ白になってしまった。思わぬ雪だが会津では今頃になると、いつ冬タイヤを脱いで普通タイヤに履き替えるか迷う。ひとつの目安が春彼岸だが、お彼岸の頃にも台湾坊主と呼ばれる低気圧が太平洋側を発達しながら北上し、思わぬ大雪になることがある。「そろそろかー」「もう大丈夫だべ~」と、今頃になるとタイヤ交換の話題が挨拶にもなる。

何もそんな事迷わずに、もう絶対雪の降らない4月の桜の咲くころにでも取り替えればそれでいいじゃないか、と言われればそうなのだが、雪国の人々は適正時期を気に掛ける。理由は①スタッドレスタイヤ(冬タイヤ)のゴムは柔らかいので減りが早くもったいない。②いつまでも冬タイヤを履いているとだらしない人だと思われる。 からだ。

①はともあれ②には、ひと昔前のスパイクタイヤの影響があるのではないだろうか。タイヤに金属のピンを打ち込んだスパイクタイヤは凍道でもキュッツと止まった。走るとバツバツとすごい音がして、雪が無ければ道路を削る。その粉塵が春になるとものすごいかった。これはひどい、という事で使用が禁止された。そのスパイクタイヤを誰もが履いていた頃は、いつ履いていつ脱ぐかが非常に重要だったのだ。雪のない春道をいつまでもスパイクタイヤで疾走する事は社会的マナーに反した。だから微妙な履き替えの時期をみんなとっても気に掛けた。

今でも3月になると、もういいかな?まあだかな?と気になるのは、①もあるけど、そんなスパイクタイヤの頃の名残りではないだろうか。

「よし、面倒くさいから毎年4月20日になったら替えよう!」と決めても、どうにも・・・なぜか気持ちが悪い。春の陽を浴びた愛車のタイヤが「いつまでも履かせてないで、上手に脱がして!」と言っているような、そんな気がしてしまうのです。

2010年3月 9日 (火)

んめぇもの・お店 オーパス

ワイン好きの集まるお店だ。それもイタリアワインしか置いていない。この店はなかなか見つけにくい、というのも看板がないから知らない人はちょっと入れない。神明通りの興徳寺近くの薄暗い路地、中から明かりが漏れていれば営業中だ。40代のヒゲの店主が一人。9時過ぎまでは厨房にシェフがいる。料理がメインではないような顔をしつつ、パスタ、ピッツア、肉料理などしっかりしたイタリアンが楽しめる。

夜も更けると、商売をヤル気があるのかないのか分からないゆるーい雰囲気の店主がイタリアワインを注いでくれる。正直、ワインは好きだが、ワイン好きの講釈にはまったく興味がない。というか、覚えられないし、覚える気もない。「美味いのちょうだい」と言って、注がれるままに飲む。「いける、イマイチ」は、はっきり言う方なので、店主が次第に好みを覚えてくれて、薦めるワインにハズレはほぼなくなってきた。

カウンターには常連客も多い。店主に予算を告げて今夜の1本を開ける。ワインが好きな常連同志、テイスティングの真似事みたいに注ぎ合う姿がよく見られる。皆さん中々の講釈を垂れるが・・・よく分からない。

フルボディというのか、ガツンとした赤ワインが好きだ。チーズとパンをつまみながら、顔見知りとなった仲間とワイワイやる。しばしば大いに盛り上がる、が考えてみたらみなさんのお名前も知らない。第一あのそこ店主は、何というお名前なの??

ちょっと不思議なワインやさん「オーパス」

2010年3月 8日 (月)

「スカ」と「はずれ」

子どものころ駄菓子屋のクジを舐めると「スカ」と出る、本当にダメよ、って感じだ。「スカ」といわれると返す言葉がない。「はずれ」ならまだ、ハイ残念賞、とか敗者復活のかすかな望みも感じられるが、「スカ」には取り付く島がない。

映画「三丁目の夕日」で茶川役の吉岡秀隆くんが一生懸命スカのクジを作っている場面があった。思えばあの頃の子供は、結構ギャンブルな日々を過ごしていた。飴を引っ張ったり、甘納豆の袋をちぎったり、ラムネのクジを引いたり、ほとんど毎日がクジ引き、幼い射幸心をあおっていた。世の中には嬉しい事もあれば残念な事もあるんだ、それはそれで勉強だったのかもしれない。

会津にはそんな昭和の駄菓子よりもずっと古い、江戸時代からの駄菓子を伝える店がある。本家・長門屋さんがそれだ。嘉永元年(1848)創業というから150年以上の歴史がある。とり飴、だるま飴、きなこねじり、黒パンなど材料にも気を配った純朴な伝統駄菓子だ。品のない舐めるクジなどはない。お店には女将さんの正調会津弁と柔らかなもてなしがある。素朴な味わいはもちろん「スカ」でも「はずれ」でもない。

ところで駄菓子ではないが、最近流行りの超セレブ「鳩山サブレ」。あれって「大当り」ではなかった様な気がするのですが・・・。ひょっとして「スカ」?「はずれ」?みんなの期待風船の大きさからして、それはないよねって思ってしまいます。

2010年3月 7日 (日)

300㎞離れて

会津若松ー東京間は約300kmだ。決して近くはないが恐ろしいほど遠くもない。電車で3時間弱、クルマで5時間程度。近ごろは高速バスを使う人も多い。新幹線、高速道路が出来て本当に近くなった。

昔はこの300㎞も相当遠かった。夜11時過ぎの夜行列車に乗って朝方に着く。そんな上京の仕方が普通だった。思えば「上京」などという大層な言葉も今はあまり使わない。「東京に行ってくるわ」と、ちょっとその辺に、感覚になった。

江戸時代まで会津は東北地方に入る際の最重要都市だったそうだが、戊辰戦争に敗れて、明治政府は会津にはそっぽを向いた。郡山を通る中通りラインの交通網を優先整備した。どの方角から入るにも山越えしなくてはならない会津は取り残された。今も若干の名残は感じる。会津若松ー郡山間の磐越西線50数㎞が1時間、残り郡山からわずか1時間20分で東京だ。

磐越西線の接続の関係で、東京から帰る新幹線で会津の人に会うことは珍しくない。時効の話だが、ある社長さんが臨席の若い女性と楽しそうに話していた。それが「こんにちは!」とあいさつをすると急に乗り合わせただけの他人ように白々しくなった。「お前さんも鈍いね、東京デートに決まってるじゃないか!新幹線でバレるってのがよくあるんだよ」と、友人が教えてくれた。まさに、上京証拠、というやつだ。

さて、今日はこれからちょっと東京へ。午後いっぱい会議で9時頃には帰るかな。そうだ「龍馬伝」一応録画しておこう。

2010年3月 6日 (土)

そんなに笑わないで。

別れの季節、会津の思い出にと「起き上がり小法師(こぼし)」を贈る。山田民芸店さんで手作りの大きな小法師(とはいっても15cmほどだが)に名前を入れてもらって贈る事にしている。とても喜ばれる。

この小法師も政界の黄門様として有名な渡部恒三さんがテレビでPRしてすっかり有名になった。みやげ物店には赤だけでなく黄色や青やいろいろな起き上がり小法師が並んでいる。

もともとは正月の初市・十日市の縁起物。子孫繁栄、家内安全を願って、家族よりも一つだけ多く買い求め神棚に供えた。盆の上で転がし起き上がりのいいもの、顔の気に入ったものを選んだ。眉と目の線を引いただけの純朴な表情、それは単純なだけに見るものの心を写す。遠いじいさまや、離れた兄弟にも見えるから不思議なものだ。

近年、おみやげ物の地位を不動にした起き上がり小法師は、よほど嬉しいのか多くがニコニコマークのように三日月おめ目で笑っている。愛嬌があるといえばそれまでだが、時代遅れの男にはどうにも気持ちが悪くて、苦手だ。十日市の際にも、昔の顔の小法師を求めてさまよう。

「会津の人は頑固だがらなし」とはコマーシャルのうたい文句。「どこが頑固なんだよ!」と、媚びるように笑う起き上がり小法師を見て、一人毒づく。

嗚呼、これじゃあ、まるで頑固じいさんじゃありませんか・・・いけないなぁ、いけない。

2010年3月 5日 (金)

欠けていく町並み

街の中の一角が取り壊されて突然空き地になる。すると、見慣れたはずの町並みなのに「あれ・・・ここに何があったっけ?」と、驚くほど思い出せない。私がもうろくしたから、だけではなく。いろんな人に聞いてもすぐには出てこない。町並みという塊りとしては思い浮かぶのだが、そのひとつを抜かれるとなんだったけ?という事になる。

会津若松市内にも残念ながら歯抜けのように空き地が増えている。多くは駐車場になっているが、空き地の続く町並みは決して美しいとは言えない。

もし駐車場で景観が損なわれるのなら、逆転の発想で駐車場を作る際に生け垣を作っては(義務付けては)どうだろう。それも会津にふさわしい植物で統一する(何かは分かりませんが、一斉に花が咲いたりしたらいいですね)

昔の屋敷林ならぬ会津オリジナルの駐車場林構想、空き地が増えるほどに緑が増えていく・・・増えすぎて森になってしまったらブラックユーモアですけれど。

私の生家のあった場所も昨年更地になってしまった。子どものころ遊びまわった七日町を通るたびに心がチックと痛む。

2010年3月 4日 (木)

それだけは忘れないで。

今朝はうす曇りだったが飯豊連峰がきれいに見えた。会津盆地の北、福島県と山形県にまたがる大山塊、万年雪を抱く峰々はまさに大きくメシを盛ったように見える。白い連峰が朝焼けでうっすら桃色に染まっていた。以前、会津を訪れたネパールの人から、この風景はカトマンズに似ているという話しを聞いた事がある。万年雪の峰はさながら神々の座・エベレストか?

今日は縁ある看護学校の卒業式だ。毎年30人ほどの学生が社会に旅立つ(国家試験に受からなければダメですが)。3年間の厳しい勉強や実習をやり遂げた学生たちの顔はさわやかだ。

きっと希望に胸を膨らませて「やるぞー!」と思っていることだろう。が、初心忘るべからず、は簡単なことではない。社会に出ると凹まされる事は山ほどある。当初のファイトも次第に色褪せていく。

やるぞー!という、初心は時折忘れても仕方がない。周りの仲間や先輩が引っ張ったり背中を押したりしてくれるだろう。でも、元の元、発心というか、君がこの道に進もうと思った一番最初の尊い思いだけはぜひ忘れないで欲しい。

「ばあちゃんの死に接して人を助ける仕事がしたいと思った」「苦しんだ父に何もして上げられなかった自分が悔しかった」「看護を通して人の役に立ちたいと思った」・・・・志望動機の時に語ってくれたあの発心です。たとえ躓いても、転んでもあの一番最初の気持ちに立ち返ったならば、きっともう一度頑張れるはず。

どうぞ「発心」それだけは忘れないでくださいね。

2010年3月 3日 (水)

酔い覚めの味噌汁

この時期になると思い出す味噌汁の味がある。

もう40年近くも前になる。大学も決まり、別れの近づいた悪ガキどもが寺の息子の部屋に集まった。勢い「酒を飲んでみっぺ!」という事になった。本堂には日本酒が並んでいる、しかし日本酒はダサいと買出しに。ウィスキーやらジンやらカクテルやら訳も分からずに買って、片っ端から飲んだ。美味いはずもないのに「なかなかいける」などと大人ぶってみた。ジンもライムも酒だと思って別々に飲んだ。すっぱいライムジュースが一番効く!と騒いだバカ者ども。酒量も分からずに飲むものだから、やがて全員が討ち死に、本堂脇の部屋は凄惨な有様となった。

やがて霞のかかったような朝。御歳90歳になるおばあさんが、孫に声を掛けた。「みんなを起して一回り散歩してこい」明治生まれのかくしゃくとしたおばあさんの笑顔は優しかった。寺の井戸でがぶがぶと水を飲み、フラフラしながら川べりを言われたとおり素直に散歩した。割れるような頭の痛み、こみ上げる吐き気・・・これが大人の朝なんだと思った。

まるで敗残兵の行進のような散歩から帰ると、おばあさんが味噌汁を作ってくれていた。ワカメとジャガイモのごく普通の味噌汁、何も言わずによそってくれた。その美味しかった事、今も忘れる事ができない。大振りのお椀に何杯もいただいた。ガキどもが何杯も飲めるように大鍋一杯の味噌汁だった。

ガキどもの狼藉に何一つ小言もなく味噌汁を作ってくれたおばあさん、言葉ではなく、行いと笑顔ですべてを諭してくれたように思う。やがてガキどもは部屋の掃除をし、宴の残骸を片付けて、照れくさそうに小さな声でお礼を言った。大人というものは人にはこう接するものだよ、と教えられたようで、なぜかジーンときた。

それから1週間後には全員が会津を離れ、それぞれの街でそれぞれの青春を過ごした。思えば、あの時の仲間で会津の戻っているのは、私一人なんだなぁ。

2010年3月 2日 (火)

お盆の底はまだら模様

磐越自動車道を走る。河東インターを過ぎると景色が一気に開け、会津盆地へと下ってくる。この景色を見るたびに「ああ、会津に帰ってきた」という気分になる。

高速道路は東から西へ向って会津盆地を突っ切っていく。今の時期に景色を見渡しながらクルマを走らせると、こんなに盆地の中でも気候はいろいろ、地面は生きてるんだなぁ、と改めて感じる。

まだ白い田んぼ、あぜ道だけがくっきりと顔を出した田んぼ、もうすっかり雪の消えた田んぼと、盆地の底の模様は様々だ。川の付近、山べりの畑、遠く扇状地に広がる圃場、日当りも風向きも違う中で農作物は育つ、成長も出来も微妙に違って当たり前だ・・・と、当たり前の事を改めて思う。

湯川村の米が美味い、北会津の野菜が美味い、美里の果樹がいい、土壌プラスそれぞれの作物に合った気候が最高の「美味い」を作り出しているのだ。

会津盆地のお盆の底は今、春のまだら模様になってます。

2010年3月 1日 (月)

晩冬のころ

あっという間に1年も2ヶ月が過ぎた。卒業&別れの3月、入学&出会いの4月と、季節はあわただしく過ぎてゆく。

子どもの頃はこの時期がなんとなく嫌だった。この時期の会津はいつもびしゃんこで、泥だらけのイメージが強い。今のようにコンクリート&アスファルトの街ではなかったので、雪解けが進むといたるところがぬかるんだ。雪解けのありがたさや、南風の爽やかさは子ども心にはまだよく分からなかったようだ。軒下からはいつもぼたぼたと雪解けの雫が落ち、頭を打たれて嫌だった。

春が嫌だった訳じゃなく、冬の終わりが嫌いだったのだ。

晩春、晩夏、晩秋は分かるが、晩冬というのはいまひとつピンと来ない。春、夏、秋は惜しまれるけれども、冬が惜しまれることはあまりない。思えば冬も可哀想なものだ。来るのを嫌われ、死に行く時は拍手と喜びで送られる。あんなに雪と氷に遊び、オリンピックに燃えたのに、晩冬は早春にその座を奪われまるで立つ瀬がない。

さて3月1日、会津は晩冬でしょうか?早春でしょうか?

『着更着の 更着を脱いで 弥生三月』

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