2019年3月22日 (金)

変わった

このブログの更新ページががらりと変わった。
大きな修繕のある一日、「その日は終日つながりませんよ」との通知が来ていたので、翌日に入ってみようとしたら、またパスワードが違いますよ騒ぎになり、慌てた。
仕方がないので、何日か放っておいたらなぜか普通に入れた。
ページのデザインが一新されて非常にすっきりとした。これまでは書きながら改行すると一行空いたが、この度は空かない。それがどうなるか分からないので、改行して、もう一度改行して、前と同じみたいに書いてみる。
これを出来上がりで観たらどうなるのか分からないが、書き進む。
会津はお彼岸になって天候が定まらない。
昨日今日と気温は比較的高いが小雨模様で、今日の午後からは冷え込むらしい。
昨日は、来週に孫たちが来るというので、下の子用の車に付けるベビーシートを買ってきた。0歳児から4歳まで、何度使うことになるかわからないが、準備しないわけにもいかない。
以前は秘書課のOさんのものを借りたのだが、なんでも彼女、三人目のおめでただと言うから、今回は遠慮した。
それにしても不思議なものだ。なかなか子供が授からずに不妊治療を続けていた彼女。で、めでたく一人目が出来て、なんでも卵子の冷凍保存期限迫っているので二人目にチャレンジします、と言っていたのが数年前のことだ。
無事にかわいい女の子が生まれ、美人姉妹になったわけだ。
が、結局今回は全くできるなどと思いもせずにいたところを、自然に授かったというのだから、ご本人たちもだいぶびっくりしたことだろう。
ま、いずれにしてもめでたいことだ。
そんなめでたさを春風に乗せて、滝沢の彼岸獅子がやって来た。
住宅街で舞うのはウチぐらいなので、なかなか見物人も多い。
♪トーヒャレ、ドンドン!♪ 太鼓が3人に笛が5人もいる。いずれも若者たちだ。弓持ちの男の子はなんと中学生くらいだ。これだけ後継者がいれば頼もしい。
一日中この獅子舞を追っかけたカメラマン夫婦が、我が家での舞いを最後に獅子団に別れを告げていた。
みんなで記念写真を撮り、前垂れを上げ!てとのリクエストで前垂れを上げると、なんとまぁ、みな若者の顔だ。高校生くらいか…これまた心強い。
彼岸獅子のお札をいただき仏さまへ。
お札を置いて懇ろにお参り、今年の春はなんだかいろいろとお願いごとが多い、とかく諸事無事を祈るのみ、もう自分の力ではどうにもならないこともある。
春風駘蕩…何とか温かく穏やかな春風吹いてくれれば、と願うのみである。


2019年3月14日 (木)

歯は大事

歯が痛いと本当にしょぼくれてしまう。うまいものをむしゃむしゃ食べられないというのは本当に情けないことだ。

生きている楽しみの半分が半減する感じだ。

だましだまし使ってきた左下奥のインプラントの具合が本当にやばくなってきた。

このインプラント30年ほど前に入れたのだが、先端技術の上等なインプラントではない。

当時は全く知識がなくて、近くの歯医者さんが始めたインプラントを、安くしておくから、という理由で何の疑いもなくやってもらった。

2本埋め込んだインプラントのねじの1本が夜中に抜けてしまった時には、本当にこれ大丈夫なのか?とさすがに心配になったが、なんとかかんとか、金属をかぶせてしまい、今に至っている。

後年、現在の主治医のI先生にCTを撮ってチェックしてもらったら、「これは動脈すれすれで、ひょったとしたら危なかったかもしれないですね」と言われてゾッとした。

もしかしたらあの時、30代後半で私の人生は終わるという、そんな大事件が起こったかもしれない・・。

それほどひどい技術と施工だったという事だ。

と言え以来30年近く、何とか取れたり、痛みで耐えられなくなったりすることもなく付き合ってきた。

今は毎月1度、I先生のチェックを受け(もちろん歯全体の)、インプラントのところは時々違和感を感じると抗生剤の薬を入れてもらったりして、事なきを得てきた。

それが、この度の花粉症による気管支の異常を皮切りに、歯の方にまで影響が及んできたのである。

つくづく、体というものは全体が連動しているものなのだなぁと思う。

今月の初めに薬を入れてもらったのだが、10日頃から花粉症の症状と共に痛み始めた。ひどい咳につられる様に痛みが出てきた。

I先生に無理を言ってもう一度薬を入れてもらい、飲み薬も出してもらった。

それで何とかしのげるかな・・・と思っていたが、今回はなかなか痛みが消えてくれない。

痛みが消えないどころか全体に違和感が増して、モノを噛めないような状態が続いている。

もしこのままの状態が続けば、これはいよいよインプラントを外し、入れ歯にでもしてもらう他ないかもしれない。本当にそれは嫌だ。

何とか薬が効かないか!と祈るような気持ちでいるが、どうも経過は下り坂だ。

ここまで持ったのが奇跡的!と自分を慰めたりもするが、気分は滅入る。

美味しいものを美味しく食べることが出来る、そんな当たり前のことがいかに大切な事か?改めて思い知っている今日この頃である。

会津は春のドカ雪とまではいかないが、15センチほど、山は倍ほどの雪が降った。

雪が降り出した晩、電力会社の偉いさんと一緒だったが、「街は降らなくていいから山の方にもう1メートルぐらい降って欲しいよね」とおっしゃっていた。

この冬はあまりの少雪で、農家も電力会社も水が心配という事だ。

2019年3月12日 (火)

グリーンブック

こんなこと言うと怒られるかもしれないが、アカデミー賞を獲る映画というのは、大体がアカデミー会員というか映画通の人の評判が良くて、作品そのものとしてはあまり面白くないことがままある。

「ラ・ラ・ランド」と間違えて発表された「ムーンライト」だったり、「バードマン」だったり、とかく小難しい作品が選ばれがちだ。

今年のアカデミー賞の作品賞を獲ったのが「グリーンブック」、あの世界的大ヒットの「ボヘミアン・ラブソディ」を抑えての受賞だった。

助演男優賞にはおなじく「グリーンブック」のマハーシャラ・アリ。

またこれも人種差別を扱った小難しい映画なのかな?と思ってあまり期待せずに郡山で観たが、思いの外、良い映画だった。

タイトルのグリーンブックとは、旅行ガイドブックの名で黒人が泊まれる宿を記した黒人専用の旅の本のことだ。

60年代のアメリカでは何の不思議もないものだった。

NYで成功を収めた天才的な黒人ピアニスト、ドクター・シャーリーは差別の根強い南部、ディープサウスへの演奏旅行を試みる。

その旅の運転手兼ボディガードに選ばれたのが、イタリア系アメリカ人で本人も差別意識もりもりのトニー、高給に惹かれ8週間の旅を引き受ける。

このお茶目で乱暴者のイタリア人を演じたのがヴィゴ・モーテンセン。アカデミー賞の授賞式にも顔を見せていたが、ご本人はサラサラの金髪で知的な感じのする俳優さん、役とは全く別人みたいだった。

ああいう化け方がアメリカの俳優さんはすごい。

この二人の繰り広げるロードムービー。

シャーリー見事なピアノ演奏会は各地で成功を収めるのだが、主役である演奏家のシャーリーは当たり前のように黒人が泊まれる安宿に泊まるしかない。

運転手のトニーは近くのまともなホテルに分かれて泊まる。

演奏会場でのトイレも白人と黒人に分けられ、その日の主賓であるシャーリーは演奏会場とあんる有名ホテルのレストランに入ることさえ許されない。

大歓迎を受けながら楽屋は物置の片隅。それでもいったん舞台に上がりピアノを弾くと万雷の拍手を浴びる。

そんなシャーリーが地元のバーに足を踏み入れれば白人にからまれ、手ひどい扱いを受けるのだ。

ピアノ演奏の素晴らしさに惹かれ、また長い旅を重ねる中で次第に心を通わせていくシャリーとトニー。当時の南部では当たり前だった差別意識が様々な事件を引き起こす・・・。

そんなディープサウスの旅を終えて二人がNYに戻ってきたのは雪が降りしきるクリスマスの夜。

黒人、粗暴なイタリア系移民、マフィア、LGBT、世界は複雑に入り混じっている。そして、時に神様は手ひどいことを平気でする。

そしてまた時にはご褒美のような時間もくれるのだ。

なかなかのご褒美、☆4.3でした。

この日初めて郡山中央のスマートインターで降りてみた。駅に一番近いインターというふれこみだが、会津からでは桜通りを逆戻りの長い一本道、かえって遠くて料金も高いというものでした。

ちょっと考えて、地図を見れば当たり前でしたな。

2019年3月 7日 (木)

俳句の神様

ひょっとすると今ほど、多くの人に「俳句と」いうものが関心を持たれている時代はないのではないだろうか?

その大きなけん引役が、テレビの人気番組「プレバト」だ。

プレッシャーバトルの略らしく、普段やったことのないことを芸能人にやらせて点数付けをする。そのプレッシャーぶりを楽しむという趣向だ。

生け花や、料理の盛り付け、消しゴム版画や水彩画、中でも断トツの人気を誇るのが俳句だ。

番組の半分は俳句にあてられ、時に丸まる1時間を俳句にあてたり、もっと延長して俳句だけで特番にしたりすることもある。

この俳句人気に火をつけたのが、夏井いつきさんという俳句の先生だ。

四国松山、俳句の聖地とも言える松山で国語の先生をしていたが、俳句で生きることに決めて先生をやめたという傑物。

この夏井先生の、キレのいい批評、毒舌ともいえるバッサリ添削が小気味よく、人気に火が付いた。

才能なし、凡人、才能ありから特待生の級を進め、名人昇格まで進むタレントも現れ、意外な才能を発揮し、タレント人生に新たな道を拓いた人もいる。

なかなか面白く、かなり前から見ていた。最近では句会をやっていることもあり、夜の会合にぶつかるときには録画してまで見ている。

この夏井先生、我々会津の句会でご指導をいただいているR先生とは姉妹弟子にあたるというから、我々の先生もなかなかすごいのだ。

最近特に、夏井先生の批評添削がキレキレに切れている。

以前よりもますます鋭くなって、頭の回転が数十倍速くなられたような気もする。要はノッテいるのだ

以前は、いくら先生が言っても「そうかなぁ???」なんて思うこともあったが、最近は「参りました!」という事が多い。まさにノッテいる。

だが、これほどに人気が出て、夏井先生がバッサバッサとやっているのを見ると、俳句の素人ながら「このまま突っ走っていいの?」と思うこともある。

俳句は世界最短の詩形だ。

何百年もの時をかけて確立した詩の芸術世界であり、ここに至るまでには様々な芸術論争を戦わせてきた。

そして様々な流れを生み、それぞれの芸術世界が広がっている。

偉そうに言うほどは知らないのだが、写生こそが俳句だとする人々、季語の扱い方も、捉え方なども派によって様々である。

短詩だけに非常に多様性のある世界なのである。

何が言いたいかというと、これだけ高視聴率の番組で、いまや日本で一番有名な俳人である夏井いつき先生が「こうです」というとそれがすべてになってしまう。

芭蕉は知らずとも夏井先生は知っているという人にとっては、俳句の神様のような存在が言う事がすべて正解になってしまう。

いやいや、私は夏井先生が間違っているとか、嫌いだとか問題があるとかいうのでは全くない。むしろ完全にファンだ。

でも何か少し引っかかるのだ。

ここまで大勢の人々が、俳句という芸術に目を開こうとしている時、時には何人かの複眼的な視点で俳句を語る、という事があってもいいのではないかと思ったりするわけだ。

名人だとか、何段だ、永世名人だとかいうお遊びも確かに面白いが、高まれば高まるほど、俳句の鑑賞眼は厳しく、様々な意見を戦わせるものであった方がいいんじゃね???と、思ったりする。

夏井先生の批評がキレキレであればあるほど、他の俳人たちも皆同じように感じるのだろうか?という事を知りたくなるへそ曲がり。

時には様々な俳句の神様がモノ申すことを聞いてみたくなる。

・・・というのも一理はあると思うのだが、いかがだろう。

2019年3月 3日 (日)

ピストル

喜多方で、竹原ピストルさんの弾き語りコンサートを聞いた。

この変な名前の歌手を知ったのは、2,3年前、昨年の紅白歌合戦には「よお、そこの若いの」初出場を果たした。

日本国中のライブハウスを回り、魂の歌声を磨いてきた。

ダウンタウンの松本さんや、モッくんこと本木雅弘さんなどが大ファンで、映画に起用したり、ラジオで紹介したりして、徐々に人気に火がついてきたそうだ。

2時間ぶっ通し、ギター一本時々、ブルースハープ、あんなに力を込めて、絶叫してよく喉がつぶれないなぁ・・・と本当に思う。

毎日ではないにしても、ほぼ毎日。ドサ周りで鍛えた喉は頑強だ。

喜多方の知人に発売日の朝に買ってもらったので前から2列目という席、前すぎるよ・・・と思ったが、ステージの立ち位置からするとそんなこともなかった。ライブハウス感があってちょうどよかったかもしれない。

売れるようなるまでには何度も会津にも来ていたらしい。「風待亭」というライブハウスで何度も歌っていたらしい。

その風待亭を唄った「風待亭のシャンデリア」という曲も聞かせてくれた。

メディアやユーチューブで聞いて、一度は生で聞いてみたいと思っていた歌唄いだったが、期待を裏切ることはなかった。

「フォーエバーヤング」「オールドルーキー」拓郎さんの「落陽」中島みゆきさんの「ファイト!」も良かった。「アメージング・グレース」はちょっと涙が出た。

大声で唄い、叫び、絶叫するステージ、喜多方プラザ大ホールほぼ満員の客に向かって、たった一人ギター一本の真剣勝負だ。

ピストルは小さいながら人を撃つ。狙い定めて、心の底をドカン!と打つ。

2019年2月22日 (金)

お金の恨み?

お金が欲しくないという人はいない、だろう。

いくらあっても邪魔にならないといわれるし、実際、邪魔になるどころかあればあるほどうれしいものだ。

お金のあるなしはひとつの重要な物差しであって、お金によって世の中のかなり多くの物事は何とかなる。

それだけにお金に向き合う姿勢というものは難しいものなのだ。

ご自分のポケットマネーから1億円を出して一人に100万円ずつ100人に、お年玉を上げるといった人がいる。

自分のお金だからどう使おうが勝手なのだが、あまり聞いたことがない。

それによって自分が得るものは、ものすごく多くのフォロアーというか、自分を見つめている人を瞬時に集められるということぐらいだ。

もちろん、宝くじなんかよりもはるかに高い確率で高額のお金がもらえるのだから人々は殺到する。

私だって、もちろんくれるというなら拒否はしない。

しかし、お金をばらまいてそれに群がる人々を見て楽しむというのはどう考えても品のある行為とはいえないだろう。むしろ下品に見える。

その方は、自分がすごいお金を持っていて使っていることをどんどん人に言う。

高額な絵を買ったり、楽器を買ったり、100万円以下のワインは飲まないなんて話も笑ってする。

「へえー、すごいねぇ」とみんな言いつつ、(何言ってんだか!)と腹の中では少しあきれる。

でも、金がない人間のひがみでしょ、で片付けられるのが嫌で誰も何も言わない。

プライベートジェットでサッカーを見たり、女優さんと浮名を流し、大豪邸を建てたり・・・社長さんがお金を湯水のように使うことを社会に見せつける。

その会社の株主になっている人から見ればどう映るのだろうか?

もっともっと派手にやって、会社を有名にして株価をバカスカ上げてくれー!と応援してるだろう。結果が伴えば。

でも冷静に考えればそんなにバカみたいなお金の使い方は、会社の経営に影響を与えはしないのだろうか?という疑問が頭をもたげても不思議ではない。

いかに個人のお金ですといっても、中身はわからない。

きっと彼は時代の寵児で、時代を切り拓くすごい才能の持ち主なのだろう。

でも、ひと時代前の教育を受けた人々からすればどうにも鼻持ちならない。

でも、でもお金がないからでしょ?といわれるから静観している。

ここにきてその方も少々ピンチだなどと、報じられている。

根底に流れる原因は、お金の恨み、金持ち面している奴への妬みじゃないの?といった人がいた。ある程度的を射ているかもしれない。

「すごいなー!」の反対語は「ざまあみろ!」だから世間は怖い。

『いちいちお金のこと言うな。人前で金額を言って自慢するやつを信用するな。』なんて言われて育った世代は、どうなるのかなぁ・・・と少し面白がってみていたりする。

会津は晴れて気温上昇。このまま春になるのかしらん。

2019年2月20日 (水)

どうにかなるさ

亡くなったムッシュことかまやつひろしのスマッシュヒットに「どうにかなるさ」という歌がある。

♪今夜の夜汽車で旅立つ俺だよ、当てなどないけどどうにかなるさ♬ 見慣れた~街の灯り行くなと呼ぶ、けれどもおんなじ暮らしに疲れてバカだぜおいらは、どうにかなるさ~♪

というカントリー調の曲だ。恥ずかしながら・・・下手くそだけど時々歌ったりする。

確かに人生どうにかなるさ~、なのだがそれは、ほろ酔いの歌の世界で心に沁みるのであって、現実世界では何もせずには(行動を起こさずには)どうにかはならない。

どうにかなるさ、ではなくて、どうにかするさという気持ちにしか人生は応えてはくれないものなのだ。

若い連中と飲んだ時に話した。

「占いで大吉を引いても、本日の運勢がたとえ最高でも、ただ何もせずに寝て居て空からラッキーが降ってくるはずはないんだよ。」「そりゃそうですね・・・」

「そう、宝くじだって買わなきゃ当たんねえべ」「たしかに」

「人生はどうにかなるさ~、ではなくてどうにかするさ~、なわけさ。その時に背中を押してくれるのが占いだったりするわけよ。占いが当たる秘訣は、悪い事は一切聞かないで、良いところだけ自分の都合のいいように聞くことだ」

と偉そうには言ったものの、我が来し方を振り返れば『どにかなるさ~』だったよな、と反省するところも多々ある。

こうするんだ!ああするんだ!と常に前向きで、グイグイ来る人にどことなく腰の引けてしまうところが、昔からある。

正直、あまりに前向きな人が苦手なのだ。

なので酔っぱらうと「人生はブルースだよ、思わずバカなことやってしまう、だから人は愛おしいものなんだ!愚か者よ・・・だよ」

なんて歌の世界に浸ってしまうところがある・・・。

この歳になって改めて思っても時すでに遅しの感は否めないが、『どうにかするさ~』という強い気持ち、やっぱり大切だ!

会津は少雪のまま、週中からは気温がまた上がってくるらしい。

スーパームーンの夕べは(もちろん見えなかったけれど)、この時期には珍しく雨が屋根をたたきつける音で寝付きました。

 

 

2019年2月14日 (木)

入選

「入選」とタイトルを打ち込むとはじめに「乳腺」と変換された。

先週からPCが新しくなった。8年以上使っていたのが、ちょっと動きが怪しくなってきたので新しいのに変えてもらった。

全体に薄いし、キーもすごくソフトタッチで打ちやすい。

何かいろいろ新しい機能がついているらしいが、よくわからないし、使いこなせない。というか、やることはこれまでとほとんど変わらない。

主は文章や書類づくりだ。

このPC入れ替え、大きな問題はなかったが、ちょっと焦ったのは、このブログの管理ページに入れなくなってしまったことだ。

はじめのIDがわからなくなってしまった。

パスワードは合っているようだが、IDがわからない。普通はメルアドなのだがそれを打っても全く入れない。

別のIDなんて全く記憶がない。これにはちょっと困り、焦った。

私のブログも強制終了か・・・!

入れ替えてくれたAくんが、「それは困りましたよね」と言いながら@niftyのページをカチャカチャやってくれた。

その内に右上に「ようこそ++++さん」みたいな文字が出てきて、それが記号みたいだったので、ひょっとしてと思い、IDに打ち込みパスワードを入れたら、ヒョイとつながった。

めでたし、めでたし。ということで駄文ブログも継続しているというわけだ。

その新しくなったパソコンで「入選」と打ったのはおそらく初めて。このパソコンくんの第一変換候補はなぜか「乳腺」だったのだ。

開発者が女性?なんて馬鹿な話はきっとない。

で、その入選。何が入選かというと。私のつたない俳句がある賞の入選句に選ばれていたというプチ自慢話なのである。

昨年春から始めた句会の話は何度か書いた。「涼颯会」

その句会で先生から郡山文学の森で俳句を募集している「三汀賞」のチラシをいただいた。

会津ではなく郡山だったが、先生が選者の一人になっており、「みなさんもチャレンジしてみたら?」といただいたものだ。

それで翌日素直に、以前書いた句から三句を見繕いハガキに書いて、出してみたのだった。

何を出したか、というよりも、出した事自体もすっかり忘れていたのだが、先日郡山に住む姉から、ショートメールが来た。「あなたの句が入選しているよ、すごいね」と。

ネットで調べてみるが、入選句までは出ていない。

なので発表された句の載った冊子を姉が送ってくれるというので待っていたら、同時に文学の森からも送られてきて二冊になった。

それを見ると「三汀賞」の特選や優秀賞には秀句が並び、そのあとに各選者が選んだ。優秀句や入選句が並んでいる。

私の句はその中の選者の一人が入選句として取ってくださったというわけだ。

ま、一重の花丸みたいなものか。どれどれ?

『冬の葬天然パーマは父譲り』・・・・そうそう、この句は出したな。と記憶がよみがえる。

その下に私の俳号「破竹」とある。む!これは記念すべき俳号デビュー第一号だ。

福島に破竹あり!なんてことにその内になるかもしれない・・・が、それはまずない。

いつだったか家人とこんなやり取りをしたことがある。

「俳句で賞でも狙ったら?」「いや、それは無理だ。僕に俳句の才能はない。小器用なだけ。ある程度音楽の才能のある人が、自分にはプロになるほどのの音楽の才能はない、と判断できるように、少し出来るからこそ自分の才がどの程度かはわかるんだよ・・・」

なんと謙虚な・・・と聞こえるかもしれないが、これはホントのところ、自分のことぐらいはわかる。

とはいえ晩年の趣味としては悪くないから、続けてはみようとは思っている。

私の父は、会津では知られた俳人だった。

父の若かりし時代は俳句が盛んで青年たちの先鋭的な芸術活動でもあった時代だ。

戦争が近づくと演劇や絵画、俳句・短歌などにうつつを抜かす青年はろくなもんじゃない、とされ、父も憲兵から目をつけられていた時期もあったらしい。

父は亡くなるまで俳句を趣味として、老人学級の俳句指導などもしていた。

そんなわけで、お葬式にはいくつも「弔句」が供えられた。

会津の俳人名鑑みたいなのにも名前がちゃんと載っていて、句も何点か紹介されているのだから、まぁなかなかのものだ。

俳号は「まさを」だった。名前そのままだ。

そんな父も天然パーマだったので、姉はすぐに腑に落ちた句なのだろうと思うが、本当は父のことを詠んだわけではない。

いつか私が死んだ時、私の娘が、これまた天然パーマで(家人も天然パーマなので致し方ない)、そんな娘が父を偲んで詠む、というもう少しロマンチックな想像句なのだ。

娘が満点の冬空を見上げ父を偲ぶ・・・は絵になるが、息子が父を偲ぶ、はどうも今一つだ。

それも親父と同じ天然パーマに濃い髭では・・・なんか美しくはない。

加えてもう一つの問題は、私がすでに天然パーマなのかどうかも分かりにくい髪形(髪の量)になってしまっていることもある。

が、ここではそれは問題にしないことにしておこう。

姉からの一筆箋には「おめでとう。俳句の才能も父譲りかも・・・」と書かれていた。

2019年2月 8日 (金)

残されたカード

当たり前の話だが、私も「赤ちゃん」だった。

「幼児」「児童」「生徒」「学生」

「こども」「少年」「青年」「中年」

「お友達」「恋人」「夫」「父親」と、さまざまな立場を生きてきた。

人は胸に付けたカードに書かれた立場、役割を生きる。

懸命に、時には拗ねて迷い、何ものかと闘いながら、その時々の「私」を生きなければならない。

確かなことはこの時の流れが未来への一方通行で、決して逆戻りすることは出来ないということだ。

私が「ぼくちゃん」と呼ばれた時代を生き直すことが出来ないように、誰にも出来ない。

人生のカードは歳に合わせてどんどん進む、そして減る。

「おっさん」「お義父さん」「ジイジ」「高齢者」

トランプのカードをめくっていくように、残りのカードはどんどん少なくなっていく。

「老人」「病人」「後期高齢者」「要介護」

そして最後のカードは万国・万人共通「仏さま」だ。

もう使ってしまった昔の古いカードのなんと輝いて見えることか!古ければ古いほどピカピカに輝いているものなど、人生の思い出ぐらいだ。

振り返れば際限がない。

人生はまさに一瞬のまばたき。

せめて、これから使うカードに少しは前向きな、役立つ有効カードを入れなくてはならないだろう。

「種まく人」「伝える人」「奉仕する人」「支える人」

「好々爺」「長老」「達人」「仙人」・・・それは無理か。

残りの手持ちを気にしだした時点で勝負に負けている・・・それがギャンブルの鉄則ではあるが、残念ながら、ないものはない。

残された中でいったい何枚の有効カードを切れるだろうか?

歳というものは、突然にそんなことを気にさせるものだ。

寒気が三連休に向かって下りてきて、会津はぐんと冷え込むらしい。

寒さは耐えるが、出来れば雪は20センチ程度で抑えていただければ非常にありがたいのだが、さて、どうなるだろう。

2019年2月 7日 (木)

八田与一

八田与一さんという人をご存じだろうか?日本よりも台湾でとても有名で尊敬を集めている人物だ。

正直、私もよく知りませんでした。

水利技術者で台湾で活躍、台南の広大な嘉南平野を旱魃の危機から救い、肥沃な耕地に生まれ変わらせた人物だ。

今回の旅で、この八田与一記念館とお墓、銅像、そして彼が建設した烏山頭ダムをどうしても見学したいというのはN・Sくんのたっての希望。

台南市に入る前に、一連の施設を見学した。

八田与一さんは1886年(明治19年)に石川県で生まれ、東京帝国大学卒業後、土木技手として台湾での数々の工事を手掛け、その優秀な頭脳と技術でメキメキと頭角を現した。

1925年から1930年まで烏山頭ダムの陣頭指揮を執りダムを完成させた。嘉南平野に張り巡らされた膨大な水路も含めて、15万ヘクタールの田畑を潤す水利設備「嘉南大しゅう」を造り上げた偉い人なのである。

それまで常に旱魃の危機にさらされてきた土地を、未来永劫続く豊かな大地に変えたのだから、その土地の人々の感謝と尊敬を集めるのは当たり前のことだろう。

ダムの傍にある八田与一さんの銅像、その後ろに奥さんとともに葬られているお墓の前では、現在も命日の5月8日には盛大な慰霊祭が行われているそうだ。

八田さんは第二次世界大戦中の1942年フィリピンへ水利調査に向かう途中、米軍の魚雷攻撃を受けて55歳という若さで殉職されている。

それから3年経った、終戦後に奥さんの外代樹(とよき)さんも、夫の死のショックから立ち直ることが出来ないまま、烏山頭ダムの放水口から身を投げて亡くなっている。

悲しい夫婦愛の物語だ。

灌漑用のダム、烏山頭ダムはコンクリートではなく緩やかな草の生えた堤によって囲まれている。高さはせいぜい20メートルか30メートルくらいだろうか。

長い堤の反対側には、満面の水をたたえた人造湖が広がっている。

小島が浮かび、まるで松島のような景観を作り出している。

その緑豊かな風景からは「乾き切った荒地」などという言葉は全く思いも浮かばない。

ということで、大きく西に傾いた日差しを受けた会津組8人。

次の訪問地、台南市へと向かったのでありました。

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